グレナダ/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:グレナダ(Grenada)

首都:セントジョージズ(St. George's)

人口:111,454人(2018年推定)

面積:344㎢(琵琶湖の半分)

気候:熱帯気候
・乾期は1月~4月中頃まで。
・雨季は6月~12月。
・おおむね1年中高温多湿でむし暑い。
・首都セントジョージズの平均気温は1年を通じて安定している。(最低:22~24℃、最高:30~32℃)
・年間降水量は地域によって多少異なるがおおむね1,900~2,000mm。

・カリアク島、プチマルティニーク島、およびいくつかの無人島は比較的乾燥している。
・最高点は標高840mのセントキャサリン火山。
・他のカリブ海諸島に比べるとハリケーンの影響を受ける可能性は低い。(ハリケーンの通過ラインの最南端に位置しているため)
・観光におすすめの時期は2月から4月。

経済:
・開発途上国
GDPは10億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業。
・主要輸出パートナーはナイジェリア(45%)、セントルシア(11%)、アンティグアバーブーダ(7%)
・主要輸入パートナーはトリニダード・トバゴ(50%)、アメリカ(16%)、イスラエル(4%)

・主要輸出品はナツメグ、バナナ、ココア、果物と野菜など。

・2004年9月のハリケーンアイバンの被害額はGDPの2倍以上。
・慢性的な貿易赤字に悩まされている。
・失業率は30~33%と推定されている。
・自然災害や他国の経済状況の影響(特にアメリカ)を受けやすい。

人種(民族)
・アフリカ系 82.4%(2019年の世界人口レビュー推定)
・先住民とアフリカ系の混合 13.3%
・インド系 2.2%
・その他 1.3%
・不明 0.9%

言語:
・英語(公用語)
・パトワ(フランス語)

宗教:
・プロテスタント 49.2%(2019年の世界人口レビュー推定)
・ローマカトリック 36%
・エホバの証人 1.2%
・ラスタファリアン 1.2%
・無宗教 5.7%
・その他 5.5%
・不明 1.3%

グレナダ

政治(目次に戻る

君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:セシル・ラ・グレネード(Cécile La Grenade)
首相:キース・ミッチェル(Keith Mitchell)

政治体制:立憲君主制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首はエリザベス女王。
・上院の任期は5年、議員定数は13人。
・下院の任期は5年、議員定数は15人。
・君主と総督の権限は限られている。
・主要政党はリベラル派の国民民主会議と保守派の新国民党で、どちらも穏健派。

法律:グレナダの憲法
・イギリスのコモンローに基づいている。
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・刑務所システムは国際基準を満たしておらず、複数の人権侵害が報告されている。
・レイプや配偶者のレイプを厳しく取り締まる法律を導入した。容疑者はむち打ちの刑や最長30年の実刑判決を受ける可能性がある。
・LGBTへの差別を取り締まる法律はまだ施行されていない。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:普通
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・繁華街では武装強盗や性的暴行事件が報告されている。
・スリ、引ったくり、置き引きに注意。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は安全な場所で保管し、極力持ち歩かない。
・深夜のストリートパーティやフェスティバルに参加する時はトラブルに巻き込まれないよう注意したい。
・海水浴は当局の監視下に置かれているエリアで。管理外で泳ぐ際はサメや離岸流に注意。

グレナダ/首都セントジョージズ

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は6社。全て週刊誌。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は1局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は4局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は50~60%。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
グレナダ放送ネットワーク 1972年

【民間メディア】
・MTV

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 900人

・軍を保有していない。
・ロイヤルグレナダ警察が国防任務の責任を負っている。

・国防予算:3,000万ドル(推定)

グレナダ/ロイヤルグレナダ警察

歴史(目次に戻る

1700年代

・1700年代:グレナダはフランスの植民地下に置かれていた。

・1714年:砂糖農園の経営が行き詰まり、新たにココアとコーヒー栽培が導入された。

・1738年:最初の病院が建設された。

・1762年3月:グレナダは世界各地で繰り広げられた七年戦争の中で、イギリス軍に制圧された。

・1763年2月10日:フランスはパリ条約に基づき、グレナダをイギリスに譲渡した。

・1779年7月:フランスはアメリカ独立戦争の混乱に乗じ、グレナダを奪還した。

・1783年:フランスはヴェルサイユ条約に基づき、グレナダをイギリスに譲渡した。その後、アフリカの奴隷の移送が本格化した。奴隷たちは主に綿花、ココア、コーヒー、タバコのプランテーションで働かされた。

・1795年3月:奴隷のリーダー、ジュリアン・フェドン率いる反乱軍がイギリスの統治に抵抗。反乱軍はフランス革命に触発されたと伝えられている。この時、グレナダの奴隷約28,000人のうち約14,000人が革命軍に加わりイギリス自治政府軍と戦った。

・1796年:イギリス自治政府軍は奴隷反乱軍を打倒したが、リーダーをフェドンを捕まえることはできなかった。

1800年代

・1833年:グレナダは英領ウィンドワード諸島政権の一部となり、1958年までその状態を維持した。

・1834年:イギリス議会が奴隷制の廃止を承認。これによりグレナダの奴隷たちは自由を得たが、生活するためには白人の下で働くしかなかった。

・1843年:ナツメグの栽培が始まる。

・1857年:最初の東インド移民が到着。

・1871年:電信が開通。

・1872年:最初の中等学校が建設された。

・1877年12月:イギリス議会が直轄植民地モデルをグレナダに導入。これにより、先住民族の政治システムは廃止された。

・1882年12月:都市グヤヴェに島としては過去最大の木造桟橋が建設された。

・1885年:バルバドスが英領ウィンドワード諸島を離脱。これを受け、植民地連邦の首都がブリッジタウンからグレナダのセントジョージズに移管された。

・1889年~1894年:全長340フィートのセンドールトンネルが建設され、交通(馬車と歩行者)の利便性が大きく向上した。

グレナダ/子供たち

1900年~第一次世界大戦

・グレナダは第一次世界大戦に関与していない。

・1901年:初の国勢調査が実施される。記録によると、当時の人口は63,438人だったという。

・1917年、T.A.マリーショーが代表政府協会(RGA)を設立。マリーショーは国民参加型の政治を推進した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・グレナダは第二次世界大戦に関与していない。

・1925年:グレナダ人は立法評議会の委員15人のうち5人を選出する権利を与えられた。

・1928年:セントジョージズで電気が開通した。

・1943年:パールズ空港開港。

・1944年8月5日:パールズ空港を発ったスクーナー号が消息を絶つ。乗客乗員67人の安否は不明。

グレナダ/首都セントジョージズの市場

終戦~現在

・1950年:エリック・ゲーリーがグレナダ統一労働党を設立。

・1950年末:グレナダは憲法を改正し、立法評議会の議席数を5議席から8議席に増やした。

・1951年:統一労働党がゼネストを主導し、労働条件の改善を政府と雇用主に求めた。ゼネストは大きな不安を引き起こし、多くの建物が破壊され、一連の騒乱は「赤い空の日」と呼ばれるようになった。

1951年10月10日:初の総選挙。統一労働党は立法評議会の8議席のうち6議席を獲得した。しかし、イギリス議会は立法評議会にほとんど権限を与えていなかった。

・1955年9月22日:ハリケーンジャネット上陸。記録によると、約500人が死亡し、島内のナツメグ農園の75%が破壊されたという。

・1958年:西インド連邦に加盟。

・1962年5月:西インド連邦崩壊。イギリスは新たな東カリブ海連合を形成しようとしたが、失敗した。

・1967年3月3日:グレナダを含む東カリブ海の国々は西インド諸島法に基づき、完全な自治権を与えられた。ただし、外交と防衛問題についてはイギリスの管理下にとどまった。

・1967年8月:総選挙。グレナダ統一労働党が過半数を獲得し、エリック・ゲーリーが首相に就任した。

・1974年2月7日:グレナダが独立を宣言。イギリス連邦に加盟した。

・1976年:セントジョージズ大学が設立された。

・1979年3月13日:軍事クーデター発生。モーリス・ビショップ率いるニュー・ジュエル運動はゲイリー首相を解任し、憲法を一時停止したうえで、人民革命政府(PRG)の設立と武装革命を開始すると宣言した。

・ビショップ首相が主導したマルクス・レーニン主義政府はキューバ、ニカラグア、および他の共産諸国と緊密な関係を構築し、ニュー・ジュエル運動を除くすべての政党は活動を禁止され、PRGの統治期間中に選挙は行われなかった。

・1983年10月14日:クーデター発生。ビショップ首相による独裁体制は約4年で終結し、かつての友人でありライバルであるバーナード・コード副首相が一時的に首相に就任した。このクーデターは大規模な抗議活動に発展した。

・1983年10月19日:軍事クーデター発生。ハドソン・オースティン将軍率いるグレナダ軍は政府を打倒し、新たな軍事政権を発足させた。これに合わせて4日間の夜間外出禁止令が発表され、命令に背いた民間人は即決処刑の対象になった。

・1983年10月19日:ビショップ首相を含む閣僚7人が銃殺刑に処される。遺体は軍のキャンプで焼却処理されたと伝えられており、遺骨の行方は明らかにされていない。グレナダの総督ポール・スクーンはアメリカに支援を求め、ロナルド・レーガン大統領はグレナダ侵攻を指示した。

・1983年10月25日:米軍が「緊急怒り作戦(Operation Urgent Fury)」と呼ばれる緊急作戦を開始。屈強な米兵たちは速やかにグレナダに侵攻し、グレナダ軍とキューバ軍を打ち負かした。一連の戦闘でグレナダ人45人、キューバ人25人、アメリカ人19人が死亡した。

・緊急怒り作戦はエリザベス2世、連邦機関、その他の外交機関に相談することなく、グレナダの総督の訴えおよび東カリブ諸国機構からの支援要請に応じて実行された。

・この時アメリカ政府の軍事戦略家は、ソビエト軍がグレナダに駐留することで、ソビエト連邦がカリブ海地域全体に影響を及ぼす可能性があると指摘していた。作戦に伴い米国市民は避難し、作戦終了後、新たな文民政府が設置された。アメリカは1984年、グレナダに4,840万ドルの経済援助を提供した。

・1984年:総選挙。中道左派の新国民党(NNP)が勝利し、ハーバート・ブレイズが首相に就任した。

・1984年10月28日:ポイントサリーヌ国際空港開港、パールズ空港は閉鎖された。これにより、大型商用ジェット機の運行が可能になった。

・1986年:1983年のクーデターに関与した人民革命政府(PRG)の容疑者17人が刑事裁判にかけられた。このうち14人はビショップ首相を含む政府高官および民間人の処刑に関与した罪で死刑判決を受け、残りの3人は過失致死罪で30年以上の実刑判決を受けた。

・1991年:総選挙。中道右派の国民民主会議(NDC)を率いるニコラス・ブラスウェイトが連立政権を形成し、首相に就任した。

・1995年2月:ブラスウェイト首相が辞任。ジョージ・ブリザン農業大臣が後任に指名された。

・1995年6月:総選挙。NNPが圧勝し、党首のキース・ミッチェルが首相に就任した。

・1999年:総選挙。NNPが全15議席を全て獲得。キース・ミッチェル首相の再任が決まった。

・2000年4月:1976年から1983年の間に発生した革命事件を調査する真実和解委員会が創設された。

・2000年9月:中国人外交官3人が、グレナダの内政への干渉と解釈された声明のにより国外追放される。3人は野党指導者マイケル・バプティストが新たに結成したグレナダと中国の友好協会の中で内政に干渉する発言をしたと伝えられている。

・2001年:パリを拠点とする金融活動タスクフォースは、グレナダはマネーロンダリングの阻止に向けた取り組みを行っていないと主張し、ブラックリストに掲載した。これを受け、政府はマネーロンダリングに利用されていたオフショア銀行の見直しを開始した。

・2001年:ミッチェル首相がリビアと新たな外交関係を構築。野党は政府の対応を厳しく非難した。ミッチェル首相はアメリカとイギリスの援助支援停止を受け、東カリブ諸国機構(OECS)の代表団の一員としてリビアと協議を行った。

・2001年12月:カナダ政府は9.11同時多発テロを受け、現金さえあれば誰でも購入できるグレナダのパスポート所有者にビザ制度を課した。なお、グレナダ政府は9.11後、テロリストの入国を避けるために、パスポートの販売を停止していた。

・2001年12月:グレナダ海岸沖の海底火山キックジェニーが噴火。噴煙は海面に到達せず、津波も発生しなかった。

・2002年2月:パリに本拠を置く金融活動タスクフォースは、グレナダのマネーロンダリングとの闘いを評価し、ブラックリストから除外した。

・2002年5月:農業を後押しするための新たな有機バナナプロジェクトが始動。これに伴い、バナナ栽培に適した土地150エーカー(東京ドーム13個分)が確保された。

・2003年6月:米国財務省の金融犯罪機関は、グレナダの対オフショア銀行クリーンアップ作戦を評価し、2002年発効の注意勧告を取り消した。

・2003年11月:総選挙。NNPは何とか勝利を収め、ミッチェル首相の3期目が決まった。

・2004年9月7日:カテゴリー5の巨大ハリケーンイワンが上陸。イワンは首相官邸や刑務所を含む島の建造物の約85%を破壊し、グレナダの経済の中心であるナツメグ畑は壊滅した。ミッチェル首相は国家非常事態を宣言した。

<ハリケーンイワンの被害(国/犠牲者/被害総額)>
バルバドス 1人 500万ドル
ケイマン諸島 2人 28億6,000万ドル
キューバ 0人 12億ドル
ドミニカ共和国 4人 不明
グレナダ 39人 11億ドル
ジャマイカ 17人 3,600万ドル
セントルシア 0人 260万ドル
セントビンセント・グレナディーン 0人 4,000万ドル
トリニダード・トバゴ 1人 490万ドル
アメリカ 54人 205億ドル
ベネズエラ 3人 不明

・2005年1月:中国との外交関係を再構築する。これにより台湾との関係は破綻した。

・2005年7月:カテゴリー5の巨大ハリケーンエミリーが上陸。北部の民家や農作物が被害を受けた。

<ハリケーンエミリーの被害(国/犠牲者/被害総額)>
グレナダ 1人 1億1,040万ドル
ジャマイカ 5人 6,500万ドル
ハイチ 5人 被害なし
ホンジュラス 1人 被害なし
メキシコ 5人 8億3,430万ドル
アメリカ 0人 480万ドル

・2007年2月:イギリスに本拠を置く枢密院司法委員会は、グレナダの1983年のクーデターに関与し死刑判決を受けた死刑囚14人の裁判をやり直すよう裁定した。

・2008年2月:初代首相のエリック・ゲーリーが国内初の国民的英雄に選出される。

・2008年7月:総選挙。国民民主会議(NDC)の勝利。ミッチェル首相は4期目を辞退し、NDCのティルマン・トーマスが首相に就任した。

・2009年:ポイントサリーヌ国際空港は1983年のクーデターで死亡したビショップ首相に敬意を表して、空港名をモーリス・ビショップ国際空港に変更した。

・2009年9月:1983年のクーデターおよび、ビショップ首相を含む閣僚の処刑で有罪判決を受けた17人のうち7人が刑期を終え釈放された。

・2013年2月:総選挙。野党の新国民党が15議席すべてを獲得。キース・ミッチェルが首相に返り咲いた。

文化(目次に戻る

・イギリスとフランスの影響を強く受けている。

・先住民族はアフリカ系アメリカ人、ヨーロッパ人、および他の民族と同化した。

・主食は米と小麦。主菜は地元で獲れる魚、野菜全般、山羊肉、ココナッツ、バナナなど。

・グレナダの郷土料理であるオイルダウンは、パンノキ、ココナッツミルク、ターメリック、餃子、カラルー、塩魚(タラ、スモークニシン)、ソルトビーフを組み合わせたもの。

・祝日や記念日にはダンスフェスティバルやカーニバルを開催する。

グレナダ/女性たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはクリケット、陸上競技、バスケットボール、サーフィン、釣りなど。

・2007年に他のカリブ海諸国とクリケットワールドカップを共催した。

・オリンピックでのメダル獲得数は2個。(金:1個、銀:2個)

・2012年のロンドン五輪で初の金メダルを獲得。これにより、グレナダは夏季五輪で金メダルを獲得した最小の国家になった。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

【有名スポーツ選手】

・キラニ・ジェームス(Kirani James)陸上競技。グレナダ唯一のオリンピックメダリスト。

その他(目次に戻る

・他のカリブ諸国に比べるとハリケーンの影響を受けにくいが、2000年以降、大型ハリケーンの被害に2度見舞われている。

グレナダ/ビーチ
アフィリエイト広告
スポンサーリンク