◎フジモリ氏の遺体は首都リマの文化省に移された。
ペルー政府は12日、フジモリ(Alberto Fujimori、86歳)元大統領が亡くなったことを受け、国を挙げて3日間喪に服すと宣言した。
フジモリ氏の娘であるケイコ(Keiko Fujimori)氏は11日、X(旧ツイッター)への投稿で同氏が亡くなったことを明らかにした。
フジモリ氏の遺体は首都リマの文化省に移された。ボルアルテ(Dina Boluarte)大統領はケイコ氏ら遺族と面会し、遺体と対面した。
フジモリ氏は1991年と1992年に「反テロリスト作戦」を指揮し、子供を含む反対派勢力25人を殺害。2009年に「人道に対する罪」などで懲役25年を言い渡された。
同国の憲法裁判所は昨年末、フジモリ氏を即時釈放するよう命じた。
フジモリ氏は11日、首都リマの自宅でガンのため亡くなった。
文化省の周辺にはフジモリ氏の支持者が集まり、哀悼の意を表した。
フジモリ氏の娘ケイコ氏と息子ケンジ(Kenji Fujimori)氏が棺の後に続き、その後、棺を文化省に運んだ。
政府は公共施設や自治体などに半旗を掲げるよう命じた。
フジモリ氏は1938年7月28日生まれ。移民の両親はリマのダウンタウンで仕立て屋を開くまで綿花を摘んでいた。
1956年に農業工学の学位を取得後、フランスと米国に留学。1972年にウィスコンシン大学大学院で数学の学位を取得した。
1984年にはリマの農業大学の学長に就任し、6年後に政治家としての経歴を持たぬまま大統領選に出馬。腐敗し信用を失った政治家階級に代わるクリーンな存在として自らを謳った。
1990年選挙の1ヶ月前には6%だった支持率を急上昇させ、第1回投票で9人中2位となり決戦投票に進出。初当選を果たした。
フジモリ氏が最後に公の場に姿を現したのは今年9月4日、車椅子で私立病院を退院した時だった。