◎ネタニヤフ氏は先月末、政府の司法制度改革に反対を表明したガラント国防相をクビにした。
イスラエルのネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相が10日、ガラント(Yoav Galant)国防相の解任を撤回した。
ネタニヤフ氏はテレビ演説の中で、「ガラント氏は留任することになった」と語った。「私たちは意見の違いを乗り越えました。ガラント国防相はその職にとどまり、国民と国家のために働き続けます...」
ネタニヤフ氏は自身のツイッターアカウントにも声明を投稿。「私たちはイスラエルの安全のために、全力を尽くし働き続ける」と書き込んでいる。
ネタニヤフ氏は先月末、政府の司法制度改革に反対を表明したガラント氏をクビにした。
しかし、この決定は抗議デモに拍車をかけ、全国規模のストに発展。ネタニヤフ氏はデモ隊と野党の圧力に屈し、改革法案の審議を延期した。
地元メディアによると、ガラント氏はクビを切られた後も職務に当たっていたという。AP通信は国防相関係者の話として、「同省は通常通り機能している」と報じた。
ガラント氏はクビを切られた後も閣議に出席し、パレスチナとの緊張の高まりと暴力事件の急増に対処すべく、関係閣僚と協議してきた。
ネタニヤフ氏は演説の中で、「私と国防相はこの数日、安全保障上の課題に直面しながらも、あらゆる面で連携し、24時間体制で連絡を取り合ってきた」と述べている。
ネタニヤフ氏がガラント氏をクビにしてから数日後、東エルサレムの聖地アルアクサ・モスクでイスラエル警察とパレスチナ人礼拝者が衝突。その後、取り締まりに怒りを表明したイスラム過激派組織ハマスがイスラエル領に向けてロケット弾を発射した。
イスラエル軍はハマスの武器保管庫などを空爆し、これに応えた。
汚職容疑で起訴されているネタニヤフ氏は司法制度改革をめぐる混乱、暴力の急増、そして安全保障を担う国防相の空席に見舞われ、危機に瀕していた。
一方、ユダヤ人の入植を支持する右翼はパレスチナ人礼拝者がアルアクサ・モスクに通うことにいら立ち、10日に抗議集会を開催したと伝えられている。
イスラエルは1967年の第三次中東戦争でガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原、アルアクサ・モスクを含む東エルサレムを占領した。
イスラエルは東側の旧市街を含むエルサレム全体を首都とみなしているが、国際社会はこれを認めていない。
東エルサレムは1948年の第一次中東戦争後にヨルダンの管理下に置かれたものの、1968年以降は東西ともイスラエルが事実上支配している。