ガイアナの死刑制度:法制度上の存続と死刑判決の継続
ガイアナの死刑制度を一言で表現すれば、「法律上は存続しているが、1997年以来、執行されていない制度」である。

現状(2026年9月時点)
南米北東部に位置するガイアナでは、2026年9月時点でも死刑制度が法律上存続している。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルはガイアナを明確に「死刑存置国」と分類しており、単なる歴史的な残存規定ではなく、現行法上、一定の犯罪について死刑判決を下すことが可能な国として扱っている。
しかし、法制度上の存続と実際の執行状況を分けて見る必要がある。ガイアナでは1997年以降、死刑の執行が確認されておらず、2025年についてもアムネスティ・インターナショナルは執行ゼロ、新たな死刑判決ゼロと記録している一方、同年末時点で24人が死刑判決を受けた状態にあったと集計している。
この数字は、ガイアナの死刑制度を考える上で極めて重要である。つまり同国では「死刑を執行している国家」ではないものの、「死刑そのものを廃止した国家」でもなく、死刑判決を受けた者が存在するという意味で、制度は現在も司法制度の内部に残っている。
世界的には死刑廃止の方向が強まっている。アムネスティ・インターナショナルによれば、2025年末時点で死刑を法律上完全に廃止した国は113か国、法律または実務上廃止した国は合計145か国に達しており、ガイアナのような存置国は国際的には少数派に位置する。
もっとも、「執行されていない」という事実だけを根拠にガイアナを事実上の廃止国と断定することも適切ではない。死刑制度が法律上維持され、裁判所が死刑判決を下す可能性が残され、さらに政治的・法的議論の中で死刑が刑罰政策の選択肢として扱われ続けている以上、同国は「長期的な執行停止状態にある死刑存置国」と理解するのが最も正確である。
法制度上の存続
ガイアナの死刑制度を理解する第一のポイントは、死刑が憲法や刑事法制の中で完全に排除されていないことである。1980年憲法は生命に対する権利を保障すると同時に、18歳未満で犯罪を犯した者については死刑の対象としないことを明記しており、これは逆にいえば、成人については一定の条件下で死刑を許容する法体系が存在することを意味する。
さらにガイアナ憲法141条は、何人も拷問、非人道的または品位を傷つける刑罰その他の扱いを受けてはならないと規定している。ただし同条には、憲法施行以前から合法であった刑罰について一定の例外的な扱いを認める経過的な規定も存在し、死刑制度と人権保障との間に複雑な法的関係を形成している。
ここから生じる重要な問題は、「死刑を規定する法律が存在すること」と「その法律が憲法上、無条件に適用できること」は同じではないという点である。ガイアナでは2000年代以降、死刑をめぐる憲法訴訟や司法判断が積み重なり、刑罰としての死刑そのものだけでなく、どのような手続で死刑を宣告できるのか、長期間死刑囚として拘禁することが許されるのかといった問題が争われてきた。
この点は、ガイアナの制度を単純に「死刑がある国」と分類するだけでは見えてこない。現行制度は、死刑を法律上残しながら、その適用範囲、宣告方法、執行可能性、死刑囚の処遇について憲法上の制約を受けるという多層的な構造になっている。
また、死刑制度の存続は国際人権法との関係でも問題となる。ガイアナは市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)の締約国であり、生命に対する権利など国際的な人権基準を受け入れているが、死刑廃止を目的とする同規約第二選択議定書には加入していないため、国際法上も死刑廃止国とは位置付けられていない。
したがって、2026年時点のガイアナについて「死刑は存在するが、実際には長年執行されていない」という二重構造を理解する必要がある。この構造こそが、後述する「死刑判決は残っているのに執行されない」という制度上の矛盾を生み出している。
対象犯罪
ガイアナでは、かつて殺人に対して強制的に死刑を科す仕組みが存在した。しかし、この制度は2010年の刑法改正によって大きく変更され、殺人罪について一律・自動的に死刑を科すという仕組みが廃止され、裁判所が事情を考慮して刑罰を決定する余地が拡大した。国連に提出されたガイアナ政府の報告でも、2010年の「Criminal Law (Offences) (Amendment) Act No. 21(2010年ガイアナ法第21号など)」によって殺人に対する「絶対的死刑・必要的死刑(Mandatory death penalty)」が廃止されたと説明されている。
この改革は、死刑制度そのものを廃止したものではない。むしろ重要なのは、「死刑を残したまま、死刑を必ず科す制度を改めた」という点にあるため、2010年改革は後の憲法訴訟を理解する上で重要な転換点となる。
2010年改正後の制度では、通常の殺人について必ず死刑になるわけではなくなり、生命刑を含む別の刑罰が選択される可能性も制度上認められた。一方、特定の加重された殺人などについては依然として死刑が法定刑として残されており、国家に対する重大犯罪である反逆罪などについても死刑の規定が維持されてきた。国連文書は、2010年改正後も警察・治安関係者、刑務官、司法官など職務遂行中の一定の公務員の殺害や反逆罪など、限定された犯罪について死刑が残っていることを説明している。
したがって、ガイアナの死刑制度は「殺人をすれば死刑」という単純な制度ではない。現在の制度を正確に表現するなら、一定の重大犯罪について死刑を法定刑として維持しながら、2010年以降は少なくとも通常の殺人について自動的に死刑を宣告する仕組みを制限した制度である。
ここには刑事政策上の大きな意味がある。死刑を存置する国家であっても、すべての殺人犯に同じ刑罰を機械的に適用する制度から、犯罪の態様、犯人の事情、被害者との関係、犯罪の重大性などを考慮して刑罰を決定する制度へ移行することは、近代刑法における比例性や個別化された刑罰という考え方と密接に関係する。
一方で、死刑が法定刑として残っている限り、裁判所が死刑判決を言い渡す可能性は消えない。そのため、2010年改革によって「強制的な死刑宣告」が後退したことと、「死刑判決そのものがなくなったこと」は明確に区別しなければならない。
この区別が、ガイアナの死刑制度をめぐる最大の特徴の一つである。つまり、制度改革は死刑の適用を狭めたものの、死刑という刑罰自体を法体系から取り除いたわけではなく、その結果として現在も死刑判決を受けた者が存在するのである。
さらに、ガイアナ政府自身が国連に提出した人権状況に関する報告で、1997年以降執行が行われていないことと、2010年に絶対的死刑・必要的死刑(Mandatory death penalty)が廃止されたことを併記している点は象徴的である。これは、同国の制度が「執行停止」「強制死刑の廃止」「死刑そのものの存続」という三つの異なる段階によって形成されていることを示している。
この三層構造を整理すると、第一に1997年以降、死刑の執行が行われていない。第二に2010年には通常の殺人に対する強制的死刑が廃止された。第三に、それでも死刑という刑罰そのものは法律上残され、2025年末時点で24人が死刑判決を受けた状態にあったという事実がある。
したがって、ガイアナの死刑制度をめぐる問題は、「死刑を執行するか、廃止するか」という二択だけでは説明できない。実際には、死刑の法的存続、対象犯罪の限定、強制的宣告の廃止、死刑判決の継続、長期的な執行停止、憲法上の人権保障という複数の要素が重なり合っている。
憲法上の容認
ガイアナ憲法は、死刑を全面的に禁止する構造を採用していない。憲法第138条は生命に対する権利を保障しながら、18歳未満の時に犯罪を犯した者については死刑を科してはならないと明記しており、成人について一定の条件の下で死刑を許容する余地を残している。
これは、死刑が単に通常の刑事法だけに置かれている制度ではないことを意味する。死刑の存否は憲法そのものと関係しているため、単純な刑法改正だけで全面廃止できる問題ではなく、少なくとも政治的には憲法改正を伴う重大な制度変更となる。
一方、ガイアナ憲法第141条は、拷問や非人道的・品位を傷つける刑罰または取扱いからの保護を定めている。この規定が死刑制度との関係で重要になるのは、死刑そのものだけではなく、死刑確定後に長期間拘禁されることや、処刑を待つ状態がどのような人権上の問題を生むかという論点につながるためである。
したがって、ガイアナの憲法体系には一見すると緊張関係が存在する。一方には生命権や非人道的処遇の禁止があり、他方には一定の条件下で死刑を許容する規定が残されているからである。
この構造を「憲法が死刑を積極的に推奨している」と理解するのは正確ではない。より適切なのは、憲法が死刑を制度として排除してはいない一方、その適用については年齢制限、人権保障、刑事手続、恩赦など複数の制約を設けていると理解することである。
さらに重要なのは、ガイアナが市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)の締約国でありながら、死刑廃止を目的とする第二選択議定書には加入していないことである。国連の資料でも、ガイアナでは憲法と国内法が死刑を規定しており、廃止には議会による対応が必要になると説明されている。
この点から見ると、ガイアナは国際人権法の枠組みに参加しながら、死刑については廃止義務を受け入れていない国家である。したがって、国際社会から死刑廃止を求める圧力が存在しても、それだけで国内法上の死刑が自動的に無効になるわけではない。
恩赦制度
死刑制度を理解する上でもう一つ重要なのが、憲法上の「Prerogative of Mercy(恩赦の特権)」、すなわち恩赦権である。ガイアナ憲法第188条は、大統領に対し、恩赦を与えること、刑の執行を延期すること、より軽い刑に置き換えること、刑の全部または一部を減免することなどを認めている。
死刑判決を受けた者にとって、この制度は非常に重要な意味を持つ。裁判によって死刑判決が確定しても、最終的に大統領が恩赦権を行使して死刑を減刑したり、執行を猶予したりする法的可能性が残されているからである。
ただし、大統領が完全に単独で判断する仕組みではない。憲法第189条は「特赦諮問委員会(Advisory Council on the Prerogative of Mercy)」を設置し、大統領が恩赦権を行使する際の助言機関として位置付けている。評議会には担当閣僚や司法関係者のほか、一定数の民間人が参加し、少なくとも1人は医師であることが求められている。
さらに死刑判決については特別な手続が設けられている。憲法第190条によれば、死刑判決が出された場合、担当閣僚は裁判官による事件報告などを恩赦諮問評議会に検討させ、その助言を得た上で大統領に対して意見を述べる仕組みになっている。
ここで注意すべきなのは、恩赦手続は裁判そのものではないという点である。裁判所が有罪か無罪か、死刑判決が法的に適切かを判断する司法手続とは異なり、恩赦制度は司法判断が終わった後に刑罰をどう扱うかという行政・憲法上の制度である。
ガイアナ政府も国連への説明の中で、恩赦制度は死刑囚が大統領に減刑を求めることを可能にするものであり、諮問機関の役割はあくまで助言的なものだと説明している。最終的に恩赦権を行使するかどうかは大統領の権限に属するという整理である。
この制度は、死刑存置国における「最後の安全弁」ともいえる。裁判所による有罪認定や死刑判決に誤りがなかったかを直接再審理するものではないが、死刑という不可逆的な刑罰を実際に執行する前に、行政側から再度その当否を検討する機会を設けているためである。
事実上の執行停止と「死刑判決の継続」の矛盾
ここから、ガイアナの死刑制度における最大の特徴が浮かび上がる。それは、死刑制度が法律上存続し、死刑判決も存在するにもかかわらず、1997年以降、執行が行われていないという二重構造である。
国連の資料では、1997年以降誰も死刑を執行されておらず、これを「Informal moratorium(インフォーマル・モラトリアム)」、すなわち法的に正式宣言されたものではない事実上のモラトリアムと説明している。しかも2024年時点の政府説明では、死刑執行のための設備購入や担当者の訓練にも、近年は政府・刑務当局が資金を投入していないとされていた。
ここで「死刑制度は廃止された」と結論付けると事実を誤る。死刑執行が停止されていることは、死刑を科す法的権限まで消滅したことを意味しないからである。
実際、国連人権高等弁務官事務所に提出された近年の資料は、ガイアナについて「死刑を廃止していない」「1997年以降執行がない」「それでも死刑判決は出され続けている」という三つの事実を明確に区別している。これはガイアナの制度を分析する上で極めて重要なポイントである。
つまり、現在のガイアナでは「死刑判決を出せる法的制度」と「実際に死刑を執行する国家実務」が分離している。裁判所が死刑判決を言い渡す可能性は残っているものの、実際の執行については長期間にわたって停止状態が続いているのである。
この状態は法政策上、複数の問題を生む。死刑囚本人から見れば、死刑という最も重大な刑罰を宣告されながら、それがいつ実行されるのか、あるいは減刑されるのか分からない状態が長期化する可能性がある。
一方、国家側から見れば、死刑制度を正式に廃止していないため、死刑を求める政治的・社会的要求が生じた場合に、法律を根本的に変更することなく制度を再び運用する余地が残る。したがって、現在のモラトリアムは「廃止への不可逆的な移行」ではなく、制度を残したまま実務上の執行だけを停止している状態と評価できる。
この点について、国連の近年の資料は特に興味深い。政府側は、1997年以降執行がないことに加え、死刑執行を再開するための設備や訓練への投資も行っていないことを説明しているため、単なる一時的な延期というより、長期的に定着した執行停止とみる根拠がある。
しかし、その一方で、死刑判決そのものは残っている。このため、ガイアナの制度は「法律上の死刑」と「実務上の死刑停止」の中間領域に位置していると評価することができる。
この状態を人権の観点から見ると、さらに複雑になる。死刑そのものの問題に加え、死刑囚として長期間拘禁されることによる精神的苦痛、恩赦手続の透明性、司法救済の実効性、再審の可能性などが問題となるためである。
カリブ海地域では、死刑囚が長期間にわたって死刑執行を待たされること自体が残虐・非人道的取扱いに当たり得るという司法判断が発展してきた。特に英国枢密院司法委員会の「Pratt and Morgan(プラット・アンド・モルガン)判決」は、死刑確定後の過度な長期拘禁について重要な基準を示し、その後のカリブ諸国の死刑制度に大きな影響を与えた。
この判例の意義は、死刑制度の合法性だけを問うのではなく、「死刑判決を受けた人間を、国家がどの程度の期間、死刑執行を待つ状態に置けるのか」という問題を独立した人権問題として扱った点にある。したがって、ガイアナの1997年以降の執行停止も、単なる刑罰政策上の現象ではなく、死刑囚の長期拘禁と人権保障という観点から分析する必要がある。
さらに、国連人権機関は死刑について、単に執行件数を見るのではなく、死刑が「最も重大な犯罪」に限定されているか、強制的な死刑宣告が存在しないか、恩赦や減刑が可能か、適切な上訴手続が保障されているかという複数の基準から評価している。ガイアナに対しても、こうした国際基準との整合性が繰り返し問題となってきた。
したがって、ガイアナの死刑制度を「1997年以来処刑されていないから問題は小さい」と評価するのは不十分である。むしろ、執行されていない死刑制度が存在し、そこから死刑判決、死刑囚の長期拘禁、恩赦、憲法上の人権保障という別々の問題が派生していることに注意する必要がある。
現時点での最も適切な整理は、「ガイアナは死刑制度を法律上維持しているが、1997年以降、長期的な事実上の執行停止状態にあり、その一方で死刑判決はなお制度上可能であり、実際に判決を受けた者も存在する」というものである。これは死刑廃止国でも、通常の死刑執行国でもない、いわば「存置・停止型」の制度と位置付けることができる。
最後の執行(1997年)
ガイアナで最後に死刑が執行されたのは1997年である。それ以降、死刑判決を受けた者は存在しているにもかかわらず、国家による執行は行われていない。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)は、ガイアナを「法律上は死刑を存置しているが、長期間執行していない事実上の廃止国(abolitionist de facto)」と位置付けている。
この1997年という年は、ガイアナの死刑政策を考える上で一つの境界線になっている。それ以前には死刑が実際の刑罰として執行されていたが、それ以後は司法制度の中で死刑判決が残りながら、行政による執行だけが長期間停止する状態に移行したからである。
ただし、1997年以降に死刑制度を正式に停止する法律が制定されたわけではない。したがって、1997年は「死刑廃止の年」ではなく、「最後の執行が行われた年」であり、この二つを混同してはならない。
ここには刑事司法制度の重要な特徴が表れている。法律を変更せずに執行を行わないという政治的・行政的選択は、死刑を直ちに廃止するよりも制度変更のハードルが低い一方、死刑そのものを将来復活させる法的余地を残すことになる。
実際、ガイアナは1997年以降、死刑を廃止した近隣諸国とは異なり、死刑を法体系から削除する決定をしてこなかった。南米大陸の中では、現在も死刑を法律上維持している国として極めて特殊な位置にある。
死刑判決の継続
最も注目すべき事実は、執行が停止した後も裁判所による死刑判決が続いてきたことである。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)によると、2018年には4人、2019年にも少なくとも1人が死刑判決を受けており、2023年だけでも最大7件の死刑判決が言い渡されたとされる。
つまり、ガイアナでは「死刑は実際には執行されない」という国家実務と、「裁判所は法律に基づいて死刑判決を言い渡すことがある」という司法実務が並存してきた。この点は、単なる死刑制度の形骸化ではなく、死刑判決を受けた人間が現実に死刑囚として刑務所に収容されることを意味する。
アムネスティ・インターナショナルの2025年統計では、ガイアナは同年の死刑執行0件、死刑判決0件であった一方、2025年末時点で24人が死刑判決を受けた状態にあったとされる。したがって、2025年に新規判決がなかったことをもって死刑制度が司法上消滅したと判断することはできない。
むしろ、24人という数字は、長期間の執行停止が必ずしも死刑囚の減少を意味しないことを示している。死刑執行が行われなくても、新たな死刑判決が積み重なれば、死刑囚として拘禁される人々が蓄積するからである。
2024年についても、デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)の資料はガイアナの死刑囚を24人と記録している。さらに同資料は、同国の刑務所について過密、衛生環境、飲料水などの問題が指摘されていることにも触れており、死刑制度を評価する際には単純な執行件数だけでなく、死刑囚が置かれている拘禁環境まで見る必要があると示唆している。
ここで重要なのは、「執行されないから死刑判決に実害はない」という考え方が成り立たないことである。死刑判決を受けた者は、生命を奪われる可能性を法的に抱えたまま拘禁され、上訴、再審、恩赦、減刑などの手続を長期間にわたって経験することになる。
したがって、死刑執行の停止と死刑制度の廃止には大きな違いがある。廃止であれば、国家は死刑判決そのものを新たに言い渡せなくなり、既存の死刑判決についても生命刑などへの減刑が必要になるが、執行停止の場合には死刑判決そのものが制度内に残る。
この意味で、ガイアナの状況は「死刑の休眠状態」と表現することもできる。ただし、単純な休眠ではなく、裁判所が死刑を宣告する可能性を残したまま、行政が実際の執行を行っていないという制度的分離が存在する。
世論と政治的背景
死刑廃止が進まない理由を理解するためには、法律だけでなく政治的背景を見る必要がある。犯罪、とりわけ殺人や重大な暴力犯罪への対応をめぐって死刑を支持する政治的圧力が存在するため、政府にとって死刑廃止は単なる法技術上の問題ではなく、治安政策と世論に関わる政治的問題となる。
ガイアナだけでなく、カリブ海地域の死刑存置国では、死刑廃止に対する一つの大きな障壁として「犯罪被害者と社会の安全をどう守るのか」という問題が繰り返し提示されてきた。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)が東カリブ諸国などを対象に行った調査でも、死刑制度が長期間執行されていないにもかかわらず存続する背景には、世論、政治家の姿勢、犯罪に対する社会的な不安など複数の要因が存在することが検討されている。
特にガイアナでは、死刑が単なる刑罰ではなく、重大犯罪に対する国家の強い姿勢を示す象徴として政治的に利用される可能性がある。実際に近年の政治的議論でも、重大な暴力犯罪やテロ関連犯罪などに対する厳罰化の文脈で死刑が言及されることがあり、制度を完全に廃止することには政治的コストが伴う。
この点を理解するには、死刑制度を「犯罪抑止のための刑罰」と「政治的メッセージ」の二つの側面から考える必要がある。前者では死刑が犯罪をどの程度抑止するのかという経験的問題が中心となるが、後者では「国家が最も重大な犯罪に対して最も重い刑罰を維持する」という象徴的意味が重視される。
しかし、死刑の犯罪抑止効果については科学的に決着したとはいえない。2021年のガイアナの憲法訴訟では、オックスフォード大学の犯罪学者らの専門家報告が提出され、死刑がより軽い刑罰より犯罪抑止に有効であるという根拠はないとの主張が展開された。
ここで重要なのは、これは単なる人権団体の政治的主張ではなく、死刑制度の効果を研究する専門家の知見が司法手続の中で証拠として提出されたということである。つまりガイアナの死刑制度をめぐる議論は、「厳罰を求める世論」対「廃止を求める人権団体」という単純な対立だけではなく、犯罪抑止、刑罰政策、司法の公平性について専門的な証拠を比較する段階に入っている。
さらに政治的な難しさを増しているのが、死刑を廃止する場合に何を代替刑とするのかという問題である。殺人など極めて重大な犯罪に対して死刑を廃止するなら、終身刑などの代替刑、仮釈放制度、被害者遺族への支援、再犯防止策などを同時に整備しなければ、社会に対して「犯罪に弱腰になった」と受け止められる可能性がある。
そのため、死刑廃止は単独の刑法改正として実施するより、刑事司法制度全体の改革として進める方が合理的である。ガイアナにおいても、2010年の強制的死刑の廃止後、死刑判決における個別事情の考慮や量刑ガイドラインの整備が重要な課題となり、2019年には司法関係者と国際的な法律専門家が参加する司法コロキウムが開かれた。
法的・人権上の主要な争点
ガイアナの死刑制度をめぐる法的争点は、大きく四つに整理できる。第一は死刑そのものが憲法に適合するのか、第二は死刑判決が個別事情を十分に考慮しているのか、第三は死刑囚の長期拘禁が非人道的取扱いに該当しないか、第四は国際人権法上の死刑制限と国内法との整合性である。
第一の問題は最も根本的である。ガイアナ憲法は死刑を完全に禁止していないため、死刑そのものが当然に違憲だとはいえないが、生命権、法の支配、比例性、恣意的な刑罰の禁止など、憲法上の原則から死刑を違憲と評価できるかという議論が成立する。
第二の問題は、死刑判決における「個別化」である。犯罪の重大性だけを理由に死刑を言い渡すのではなく、被告人の年齢、犯罪への関与の程度、精神状態、背景事情、犯行態様などを具体的に検討しなければならないという考え方である。
第三の問題は「死刑囚として長期間待たされること」の人権性である。執行されないから人権侵害がなくなるわけではなく、死刑判決を受けた状態そのものと長期拘禁が精神的苦痛を生む可能性がある。
第四の問題は国際人権法との関係である。ガイアナがICCPR締約国である以上、生命権や公正な裁判を保障する国際基準を考慮する必要がある一方、死刑廃止を直接義務付ける第二選択議定書には加入していないため、国内制度との間に一定の余地が残っている。
こうした争点が重なった結果、ガイアナでは「死刑を残すか廃止するか」という政治的議論だけでなく、「現行制度の下で死刑をどこまで合法的に適用できるのか」という司法的議論が強まった。2010年の強制的死刑廃止は、その最初の大きな転換点となった。
そして、この流れを決定的に示したのが、2013年に殺人・強盗で有罪となった元ガイアナ国防軍沿岸警備隊員3人をめぐる訴訟である。3人には死刑判決が言い渡されたが、その後の上訴で、死刑そのものの合憲性を正面から問う歴史的な争いへと発展した。
2022年12月、ガイアナ控訴裁判所は、死刑そのものを違憲とは判断しなかった。しかし、3人に対する死刑判決については、個別の量刑審理を行わずに死刑を言い渡したことが憲法上問題であるとして取り消し、3人を死刑から終身刑へ変更した。
この判決は非常に重要である。裁判所は「死刑制度そのものは違憲ではない」としながらも、「死刑を科す手続には憲法上の制約がある」と判断したため、ガイアナの死刑制度は存続したものの、その運用には明確な司法的制限が加えられたからである。
また、同事件では死刑の犯罪抑止効果や恣意性について、国際的な専門家による証拠が提出された。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)によると、専門家らは死刑がより軽い刑罰以上の抑止効果を持つという証拠がないこと、死刑制度には恣意性を避けられない問題があることなどを示した。
しかし、2022年判決は死刑制度そのものを廃止するところまでは踏み込まなかった。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)はこの判断を不十分と評価し、その後もガイアナにおける死刑の合憲性そのものを争う法的取り組みを続ける方針を示している。
この結果、2026年現在のガイアナでは、「死刑は憲法上存在し得る」という従来の枠組みが残る一方、「死刑判決をどのような手続で言い渡すか」については厳しい制約が存在する。この二つを区別することが、同国の死刑制度を正確に理解する上で不可欠である。
1997年以降のガイアナでは、死刑執行が長期間停止しているにもかかわらず、死刑判決は消滅しなかった。2025年末には24人が死刑判決を受けた状態にあり、これは「執行停止=死刑制度の実質的消滅」ではないことを明確に示している。
また、死刑制度を支えているのは法律だけではない。重大犯罪への厳罰要求、政治的メッセージ、犯罪抑止への期待、世論などが複雑に作用し、政府が完全廃止へ踏み切る際の政治的障壁となっている。
一方で、専門家による研究や司法判断は、死刑の恣意性、比例性、抑止効果、個別量刑の必要性を問題にしてきた。特に2022年の控訴裁判所判決は、死刑そのものを違憲とはしなかったものの、個別的な量刑審理を経ない死刑宣告を憲法違反とした点で、制度の運用に重要な制約を加えた。
したがって、ガイアナの現在の状況は「死刑制度が残っている」という一言だけでは説明できない。1997年以降の執行停止、死刑判決の継続、2010年の強制的死刑の廃止、専門家による廃止論、そして2022年判決による量刑手続の制約が積み重なった結果として、現在の制度が形成されている。
「残虐で非人道的な扱い」をめぐる憲法訴訟
ガイアナの死刑制度をめぐる重要な論点の一つが、憲法第141条との関係である。同条は、拷問、非人道的または品位を傷つける刑罰・取扱いからの保護を保障しており、死刑制度そのものだけでなく、死刑判決を受けた者が置かれる拘禁状態や長期間にわたる死刑待機状態も問題になり得る。
この問題を理解する上で重要なのが、死刑囚の「Death row phenomenon(死刑囚現象)」、すなわち死刑確定後に長期間にわたって処刑を待つ状態である。ガイアナでは1997年以降に執行が停止しているため、死刑判決を受けた者にとっては、死刑そのものよりも、いつ執行されるか分からない状態が長期間継続することが重大な人権問題となり得る。
国連人権委員会は、ガイアナに関する個別通報を通じて、死刑囚の長期拘禁、裁判の遅延、拘禁環境などを繰り返し検討してきた。例えば「Margaret Paul v. Guyana / テレンス・サハデオ事件、国連人権規約委員会通信第728/1996号」では、死刑判決を受けた人物について、自由権規約第7条を含む複数の人権問題が扱われた。
また、「Chan v. Guyana』(チャン対ガイアナ事件)」でも、死刑、生命に対する権利、公正な裁判、強制的な自白、非人道的・品位を傷つける取扱いなどが問題となった。これらの事件は、ガイアナの死刑制度が単に刑法上の刑罰規定だけの問題ではなく、国際人権法上の生命権、適正手続、拘禁環境と密接に関連していることを示している。
特に注目すべきなのは、国連人権委員会がガイアナの事件で「死刑そのものが存在するか」という問題と、「その死刑がどのような手続で科されたのか」という問題を区別している点である。死刑存置国であっても、公正な裁判を欠いた死刑判決や、長期間の拘禁によって人権侵害が発生した場合には、国際人権規約上の問題が生じる。
さらに、ガイアナの過去の事件では、死刑囚の長期拘禁が「Death row phenomenon(死刑囚現象)」として国際人権法上検討された。国連資料には、ガイアナに関する複数の個別通報について「Death penalty case(デス・ペナルティ・ケース)」などの問題が列挙されている。
ここから導かれる重要な結論は、死刑の執行を停止しただけでは、死刑制度をめぐる人権問題が消えるわけではないということである。むしろ執行停止が長期化すると、死刑判決を受けた人をどのような法的地位で、どの程度の期間、どのような環境に置くのかという新たな問題が発生する。
強制的な死刑宣告の違憲化(2010年)
ガイアナの死刑制度における最大の転換点の一つが2010年である。同年の「Criminal Law (Offences) (Amendment) Act No. 21(2010年ガイアナ法第21号など)」によって、殺人罪についての「Mandatory death penalty(マンダトリー・デス・ペナルティ)」、つまり有罪判決が出れば原則として自動的に死刑を科す制度が廃止された。
この改革の背景には、国際人権法上の問題があった。ガイアナの旧制度では、陪審が殺人について有罪と判断すれば、裁判官が被告人の個人的事情や犯罪の具体的状況を十分に考慮することなく死刑を科す仕組みになっていた。
国連人権委員会は、こうしたマンダトリー・デス・ペナルティについて、被告人の個人的事情や犯罪の具体的状況を考慮できない場合、恣意的な生命剥奪となり得るとの立場を示してきた。ガイアナについても、殺人罪に対する自動的・強制的な死刑が自由権規約第6条との整合性を欠くとの問題が指摘されていた。
この問題は、単に「死刑に反対する」という理念的議論とは異なる。刑罰には犯罪の重大性だけでなく、犯人の役割、犯行に至った事情、年齢、精神状態、被害との関係などを個別に評価する必要があるという、近代刑事司法の基本原則に関係する。
したがって2010年改革の意味は、「死刑を廃止したこと」ではなく、死刑を科す場合であっても、個別事情を考慮せず機械的に死刑を宣告することを認めない方向へ制度を転換したことにある。
実際、ガイアナ政府が国連に提出した報告でも、2010年改正によって殺人に対するマンダトリー・デス・ペナルティが廃止され、生命刑や仮釈放の可能性を伴う拘禁などが選択肢として設けられたことが説明されている。死刑は限定的な犯罪について残されたが、裁判所には生命刑を選択する余地が認められた。
ただし、「2010年に強制的死刑が廃止された」という説明には注意が必要である。法制度上は重要な改革だが、2010年に死刑そのものが違憲と宣言されたわけではなく、死刑存置という基本構造はその後も維持された。
この点は、前回までに確認した「死刑制度の存続」と「死刑判決の制限」を区別する上でも重要である。ガイアナは死刑を残したまま、その適用方法を人権基準に合わせて制約する方向へ進んだのである。
2010年以後の司法的発展
2010年改革後も、死刑制度そのものの合憲性をめぐる問題は終わらなかった。むしろMandatory death penalty(マンダトリー・デス・ペナルティ)が廃止されたことで、次の段階として「個別的な量刑手続を経た死刑そのものは憲法に適合するのか」という問題が浮上した。
この問題が大きく表面化したのが、2013年に殺人・強盗で有罪となったガイアナ国防軍沿岸警備隊の元隊員3人をめぐる訴訟である。死刑判決を受けた3人は、死刑制度そのものが恣意的・不合理・比例性を欠くものであり、憲法上保障された権利に反すると主張した。
この訴訟では、死刑の犯罪抑止効果についても専門家の証拠が提出された。デス・ペナルティ・プロジェクト(Death Penalty Project)によると、複数の研究者・法学者が、死刑が自由刑よりも優れた犯罪抑止効果を持つとの確かな証拠は存在しないという趣旨の専門的見解を示した。
これは重要な意味を持つ。死刑を維持する根拠として「犯罪抑止」が主張される場合、その主張が経験的・科学的な証拠によってどこまで裏付けられているかが問われるからである。
一方、ガイアナ控訴裁判所は2022年、死刑制度そのものを違憲とは認めなかった。つまり、裁判所は「死刑を法律上維持すること」自体について廃止を命じるところまでは進まなかった。
しかし、同じ判決で3人の死刑判決は取り消された。理由は、裁判所が被告人それぞれの事情を考慮する個別的な量刑審理を行わないまま死刑を宣告したことが、憲法上の権利を侵害していたためである。
この判決は、ガイアナの死刑制度をめぐる現在の法的状況を象徴している。死刑そのものは合法であり得るが、死刑判決を科す手続には憲法上の厳しい制約があるという二重構造である。
これは2010年改革の延長線上に位置付けることができる。2010年に「自動的に死刑」という制度が後退し、2022年にはさらに「個別的な量刑審理を欠いた死刑判決」が否定されたため、死刑を存置しながら、その実際の適用範囲を狭める司法的な流れが形成されている。
国際人権機関からの圧力
ガイアナの死刑制度をめぐるもう一つの大きな力が、国際人権機関からの継続的な廃止要請である。国連人権委員会や国連人権理事会の普遍的定期審査(UPR)では、死刑制度の廃止、執行停止の正式化、既存の死刑判決の減刑、ICCPR第二選択議定書への加入などが繰り返し提案されてきた。
2025年に公表された第4回UPRの勧告でも、ガイアナに対して死刑廃止を求める複数の勧告が示された。具体的には、正式なモラトリアムの採用、既存の死刑判決の懲役刑への減刑、憲法・法律から死刑規定を削除すること、第二選択議定書への加入などが提案されている。
このことは、国際社会がガイアナを単純な「執行停止国」として扱っているわけではないことを示す。1997年以来執行がないことは肯定的な要素として評価され得る一方、法律上死刑が残り、死刑判決を受けた人が存在する限り、国際人権機関は完全廃止を求め続ける立場にある。
特に重要なのが「Informal moratorium(インフォーマル・モラトリアム)」と「formal moratorium(正式なモラトリアム / 公式な一時停止)」の違いである。ガイアナ政府は2024年の国連資料で、1997年以降誰も執行されていないことなどから「Informal moratorium(インフォーマル・モラトリアム)」が存在すると説明したが、これは法律上正式に宣言された執行停止ではない。
この違いは小さく見えて、実際には大きい。正式なモラトリアムであれば、政府が死刑執行を行わないことを明確な政策として公示し、制度的な予測可能性を高めることができるが、非公式な停止の場合、将来の政府が政策を変更する余地が残される。
さらにガイアナ政府は国連に対し、2024年には国民が憲法改革について意見を表明する機会を設け、死刑廃止の可能性も含めて検討する計画を示していた。これは、死刑廃止が単なる国際的要求ではなく、国内の憲法改革論議にも組み込まれていることを示している。
一方で、ガイアナ政府は死刑執行のための設備購入や担当者の訓練について、近年は資金を投入していないとも説明している。この事実は、制度上は死刑を維持していても、国家が実際の執行を積極的に準備しているわけではないことを示す重要な材料である。
「廃止に近づいている」と単純に評価できない理由
ここまでの議論から、ガイアナが死刑廃止へ向かっているように見える。しかし、そこから「近い将来に必ず廃止される」と結論付けるのは早計である。
第一に、死刑は憲法と法律の双方に根拠を持っているため、正式な廃止には議会を含む政治的手続が必要になる。ガイアナ政府自身も国連に対し、死刑廃止には議会の承認が必要だと説明している。
第二に、死刑には重大犯罪に対する厳罰という政治的意味がある。実際に執行されていないとしても、死刑を法律から削除することは、政府が犯罪に対する最も重い刑罰を放棄するという政治的メッセージになる。
第三に、死刑廃止には既存の死刑判決をどう処理するかという問題が伴う。2025年末時点で24人が死刑判決を受けた状態にあったため、仮に全面廃止を決定するなら、これらの判決を終身刑などへ一括して減刑するのか、それとも個別に再量刑するのかという問題が生じる。
第四に、2025年のUPRで多数の国が正式なモラトリアムや死刑廃止を勧告していることは、逆にいえば、ガイアナが2026年時点でまだそれらを完全には実現していないことを意味する。国際的な圧力が強いことと、国内法が実際に変更されることは同じではない。
したがって、2026年9月時点の最も正確な評価は、「ガイアナは死刑廃止に向けた司法的・国際的圧力を受けているが、死刑を法律上廃止する段階にはまだ到達していない」というものである。
ガイアナの死刑制度は、1997年以降の執行停止によって実務上大きく後退した。しかし、法制度上はなお存続し、2025年末時点でも24人が死刑判決下にあったことから、制度が単なる歴史的遺物になったとは評価できない。
同時に、2010年のMandatory death penalty(マンダトリー・デス・ペナルティ)廃止、2022年の控訴裁判所による個別量刑を欠く死刑判決の取消し、国連人権機関による長期拘禁や公正な裁判に関する指摘は、死刑制度の実際の適用可能性を大きく狭めている。
つまり、ガイアナでは「死刑を廃止する法律」が成立していないにもかかわらず、憲法、司法判断、国際人権法、政府の執行停止という複数の要素によって、死刑の実効性が低下している。これが同国の制度を理解する上で最も重要な特徴である。
そして2026年時点では、問題の焦点は「ガイアナで死刑が執行されるか」だけではない。むしろ、死刑を存置したまま長期的な執行停止を続けることが、死刑囚の人権、司法の予測可能性、憲法上の生命権、国際人権法との関係でどこまで持続可能なのかという問題へ移っている。
今後の展望
2026年9月時点で、ガイアナの死刑制度をめぐる最大の焦点は、「執行を再開するか」ではなく、「長年執行されていない死刑を法律上も廃止するか」に移りつつある。1997年以降、死刑執行は一度も行われておらず、国際的には事実上の死刑停止国に近い位置にある一方、国内法と憲法にはなお死刑が残され、死刑判決そのものも消滅していない。
とりわけ注目されるのが憲法改革である。ガイアナでは2022年に憲法改革委員会が設置され、2026年6月にも憲法改革について国民からの書面提案を募る動きが続いているため、死刑制度も今後の改革議論から切り離すことはできない。
ただし、憲法改革が直ちに死刑廃止につながるとは限らない。政府側は過去の国際人権審査で、死刑廃止には議会による法改正が必要であり、最終的には国民の意見を踏まえる必要があるとの姿勢を示しているため、政治的合意の形成が重要な条件となる。
2025年の国連人権理事会の普遍的定期審査では、ガイアナに対して死刑の正式なモラトリアム、既存の死刑判決の減刑、死刑制度の廃止、さらに自由権規約第二選択議定書への加入などを求める複数の勧告が出された。これは、ガイアナが「執行していないから問題が解決した」という段階にはなく、国際人権制度からはなお制度そのものの撤廃を求められていることを意味する。
一方、死刑制度をめぐる政治的状況には反対方向の要素も存在する。2025年10月、ジョージタウンのガソリンスタンド爆破事件を受け、政府・警察がテロ関連容疑者について死刑を求刑する方針を示したことは、重大犯罪への強硬姿勢を示す手段として死刑がなお政治的・社会的言説の中に残っていることを示している。
したがって、今後のガイアナでは「死刑廃止へ向かう制度改革」と「重大犯罪への厳罰を求める政治的圧力」が併存する可能性が高い。1997年以降の長期停止を考えれば執行再開の現実性は高くないものの、死刑廃止が自動的に実現するわけでもなく、憲法・刑法・議会・司法・世論を横断した改革が必要となる。
まとめ
ガイアナの死刑制度を一言で表現すれば、「法律上は存続しているが、1997年以来、執行されていない制度」である。この特徴こそが、同国の死刑問題を理解するうえで最も重要なポイントとなる。
2010年の法改正によって、通常の殺人事件に対する強制的な死刑制度は撤廃され、死刑の適用範囲も限定された。裁判所には生命刑を選択する余地が認められ、実際にも死刑より終身刑が選択される傾向が強くなっている。
しかし、ここから「ガイアナは死刑を廃止した」と結論づけることはできない。死刑は憲法および刑事法制に残され、死刑判決も発出されているため、法制度上は明確な存置国である。
この点に「法制度と実務の乖離」が存在する。国家は死刑を執行していないものの、死刑判決を下すこと自体は可能であり、死刑囚にとっては死刑制度が現実の法的リスクとして残り続ける。
さらに、死刑囚が長期間にわたって死刑執行の可能性を抱えながら拘禁されることには、人権上の問題が生じる。カリブ海地域では、死刑囚の長期拘禁そのものが残虐・非人道的または品位を傷つける扱いに該当し得るという司法・人権上の議論が発展しており、ガイアナもこの問題から無関係ではない。
2010年の改革についても注意が必要である。正確には、「2010年に裁判所が死刑を全面的に違憲と宣言した」のではなく、法律改正によって殺人罪に対する強制的死刑が撤廃されたという理解が適切であり、その後の司法判断や国際人権法上の議論によって個別事情を考慮しない死刑の問題がさらに明確化されたと捉えるべきである。
したがって、ガイアナの死刑制度を評価する際には、「死刑があるか、ないか」という二分法だけでは不十分である。「法律上の存続」「死刑判決の存在」「1997年以来の執行停止」「2010年の強制死刑廃止」「司法による個別量刑の重視」「憲法改革」「国際人権機関からの廃止要求」という複数の要素を同時に見る必要がある。
現状を総合的に評価すれば、ガイアナは「死刑廃止国」ではなく、「長期間にわたる事実上の執行停止を維持しながら、限定的に死刑制度を法的に存続させている国」と位置づけるのが最も正確である。2026年には憲法改革に関する手続きが進んでおり、今後この制度的矛盾を解消するのか、それとも現状を維持するのかが重要な政策課題となる。
そして最も重要なのは、「執行されていない」という事実と「死刑が存在しない」という事実は同じではないということである。ガイアナの事例は、死刑制度が法的に存続したまま実務上停止されることで、国家の刑罰政策と国際人権基準の間に長期的な緊張関係が生じ得ることを示している。
本稿全体を通じて確認できるのは、ガイアナの死刑制度が単純な「死刑存置国」の一例ではないという点である。1997年以降の執行停止、2010年の強制死刑制度の改革、死刑判決の継続、憲法上の死刑存置、恩赦制度、長期拘禁をめぐる人権問題、国際的な廃止要求が複雑に重なっている。
国際人権の観点からは、次の段階として、死刑判決を受けた者への個別的な量刑審査、既存死刑判決の減刑、正式な執行モラトリアム、最終的な死刑廃止、自由権規約第二選択議定書への加入という流れが考えられる。実際、2025年の国連人権理事会でも、こうした方向性を求める複数の勧告が提示されている。
他方で、重大犯罪への対応や治安政策をめぐる国内政治では、死刑を求める声が再び強まる可能性も否定できない。2025年のテロ事件をめぐる政府の対応は、その象徴的な事例であり、死刑問題が人権政策だけでなく治安・政治・世論の問題でもあることを示している。
結論として、ガイアナの死刑制度は「廃止へ向かっている」と単純化するより、「長期間の執行停止によって事実上の死刑廃止に近づいている一方、法律上の存置と死刑判決が残るため、完全な廃止には至っていない」と評価するのが妥当である。この二重構造を理解することが、ガイアナの死刑制度を正確に評価するための核心となる。
参考・引用リスト
- 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)――ガイアナの自由権規約履行状況、死刑制度、1997年以降の執行停止、2010年の刑法改正に関する資料。
- 国連人権理事会(Human Rights Council)――2025年のガイアナ普遍的定期審査(UPR)および死刑廃止に関する各国勧告。
- ガイアナ政府・Department of Public Information――憲法改革委員会および2026年の憲法改革に関する情報。
- ガイアナ政府・Department of Public Information――2025年10月のテロ事件に関連する死刑求刑方針。
- 国連人権機関――ガイアナ政府による死刑制度、非公式モラトリアム、第二選択議定書に関する説明。
- Death Penalty Project――ガイアナにおける死刑判決、2010年改革、死刑囚の法的救済、強制的死刑をめぐる司法判断に関する資料。
- Amnesty International――世界各国の死刑判決・死刑執行状況、およびガイアナの死刑制度に関する年次資料。
- World Coalition Against the Death Penalty――ガイアナの死刑制度、死刑囚数、執行状況、最後の執行年、国際条約上の地位に関する国別資料。
