コンテンプト・オブ・コート 1-10
アンカレッジ。
夕方。
ローリー・ブルックスは、父親の店の裏口から入った。
小さな小売店だった。
食料品、日用品、酒類が並んでいる。
店内には客が二人いた。
レジの奥で、トーマスが新聞を読んでいた。
ローリーに気づく。
トーマスは新聞を折った。
「帰ってきたのか」
「うん」
「いつ着いた?」
「今日」
「そうか」
それだけだった。
トーマスは立ち上がり、レジの金を確認した。
ローリーは店内を見回した。
子供の頃と大きく変わっていない。
古い冷蔵庫。
傷のついた床。
壁際の棚。
レジの横には、昔の家族写真が飾ってある。
ローリーは写真を見た。
「お父さん」
「何だ?」
「私、しばらくここにいるから」
トーマスは顔を上げた。
「分かった」
「理由、聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
ローリーは答えなかった。
トーマスは新聞を畳んだ。
「なら、聞かない」
「裁判官と揉めた」
「テレビで見た」
ローリーの動きが止まった。
「見たの?」
「アンカレッジでもニュースになるくらいだからな」
「……そう」
「業務停止だろ?」
「六か月」
「そうか」
トーマスは責めなかった。
ローリーはそれが逆に気になった。
「怒らないの?」
「何を?」
「娘が裁判官を押したんだよ」
「お前が理由もなくやったとは思ってない」
「理由があっても、やっていいことじゃない」
「そうだな」
ローリーは黙った。
トーマスはレジの横にある椅子を引いた。
「座れ」
ローリーが座る。
トーマスは店の外を見た。
通りを車が走っていく。
「ニューヨークで弁護士を続けると思ってた」
「私もそう思ってた」
「戻ってきたのは、裁判が嫌になったからか?」
「違う」
「じゃあ何だ?」
ローリーはバッグから一冊の本を取り出した。
マリベル・ヴァレンタインの著書だった。
トーマスは表紙を見る。
「まだ読んでるのか」
「ずっと読んでる」
「好きだったな」
「今でも好き」
ローリーは本を開いた。
何度も読み返したページには、細い線が引かれている。
「アンカレッジに戻ってきたから、会ってみたい」
「ヴァレンタイン判事に?」
「うん」
トーマスは少し考えた。
「ちょうどいい」
「何が?」
「近いうちに、公判を見に行く」
ローリーが顔を上げた。
「公判?」
「ああ」
「どの裁判?」
「ニュースになってる事件だ」
トーマスは新聞を指で叩いた。
一面には、アンカレッジ市長殺害事件の記事が載っていた。
被告人の写真。
事件の概要。
そして、十四日後に始まる裁判についての記事。
ローリーは新聞を取った。
「これ……」
「そうだ」
「ヴァレンタイン判事が担当するの?」
「そう聞いてる」
ローリーは記事を読み込んだ。
「被告人は?」
「そこまでは知らない」
「州検事は?」
「エルマ・アトキンソンだったと思う」
その名前を聞いた瞬間、ローリーの表情が変わった。
トーマスが気づく。
「エルマが嫌いか?」
ローリーは新聞から目を上げなかった。
「別に」
「そうか」
トーマスはそれ以上聞かなかった。
店の入口でベルが鳴った。
客が入ってくる。
トーマスはレジへ戻った。
ローリーは新聞を畳んだ。
バッグの中へ入れる。
そしてマリベルの本を閉じた。
「お父さん」
「何だ?」
「明日、一緒に行ってくれる?」
「裁判所か?」
「うん」
トーマスは頷いた。
「分かった」
ローリーは椅子から立ち上がった。
店の奥へ向かう。
「部屋、まだ使っていい?」
「お前の部屋だ」
「ありがとう」
「ローリー」
「何?」
「帰ってきたことを、謝る必要はない」
ローリーは振り返った。
トーマスはレジの客に対応していた。
ローリーは何も言わなかった。
そのまま店の奥へ消えた。
バッグを置く。
窓の外を見る。
アンカレッジの街が夕暮れの中にあった。
ローリーは机の上にマリベルの本を置いた。
そして、明日の裁判所を考えた。
自分が弁護士として法廷に立てなくても、傍聴することはできる。
マリベル判事に会えるかもしれない。
ローリーは椅子に座った。
「戻ってきたんだ……」
そう呟いた。
ニューヨークでは、もう自分の席はない。
だが、アンカレッジには父親がいる。
そして、ここには自分がまだ知らない事件がある。
ローリーは机の上の新聞を開いた。
アンカレッジ市長殺害事件。
裁判開始まで、あと十四日。
ローリーは記事を最後まで読んだ。
