ガンビアの死刑制度:政治的弾圧の道具としての利用
ガンビアの死刑制度の歴史を検証すると、死刑そのものが必然的に政治的弾圧の道具となったというより、司法の独立性が弱く、行政権が司法・治安機関に強い影響力を持つ権威主義体制の下で、死刑が政治的威嚇の機能を持つようになったと評価するのが最も妥当である。
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現状(2026年9月時点)
2026年9月時点のガンビアでは、死刑は国内法上なお存置されている。一方で、2017年のヤヒヤ・ジャメ政権崩壊以降、死刑執行は行われておらず、実際の運用は死刑執行停止、すなわち事実上のモラトリアムの状態にある。したがって、現在のガンビアを「死刑廃止国」と分類するのは正確ではなく、より適切には「死刑廃止に向けて移行しているが、国内法上は死刑を残している国」と位置付けるべきである。
この点は、ジャメ政権期との大きな違いである。ジャメ政権下では、死刑が長期間実際には執行されていなかったにもかかわらず、その存在自体が国家権力による威嚇の手段として機能し、特に2012年の大量執行によって、死刑制度が単なる刑事司法上の最終刑ではなく、政治的恐怖を生み出す装置にもなり得ることが明確になった。
ただし、「ガンビアの死刑制度は一貫して政治的弾圧を目的としていた」と結論付けることは適切ではない。死刑の復活には治安悪化や殺人・反逆罪への対応という政府側の説明も存在しており、問題はむしろ、死刑制度が存在する権威主義的な政治環境の中で、司法手続、反逆罪、政治的反対派への処罰などと結び付けられた点にある。
歴史的背景とジャメ政権による死刑の復活
ガンビアは1965年にイギリスから独立した。独立後の政治体制は複数の政権交代を経験したが、死刑制度については独立後も一定期間存続し、実際に死刑が執行されていた時期があった。
その後、死刑制度をめぐる大きな転換が生じた。1993年、ガンビアは死刑を法律上廃止したとされるが、この状態は長く続かなかった。1994年7月、若手軍人ヤヒヤ・ジャメらによるクーデターによって政権が倒され、ジャメを中心とする軍事政権が成立すると、政治体制は急速に権威主義化していった。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch、HRW)によると、死刑は1995年に復活し、その背景として政府は犯罪増加や反逆罪の事例を挙げていた。
1995年の復活は、単なる刑法政策上の変更として理解するだけでは不十分である。死刑の復活が行われた時期は、ジャメが軍事的に権力を掌握し、政治制度を自らの支配に適合させていく過程と重なっており、以後のガンビアでは国家安全保障や反逆罪をめぐる処罰が政治的統制の問題と密接に結び付いていった。
もっとも、1995年の復活直後から大量の死刑執行が行われたわけではない。むしろガンビアでは、死刑制度が法律上復活した後も長期間にわたって執行されない状態が続き、1985年を最後に2012年まで死刑執行が行われなかったとする記録がある。このため、2012年以前のガンビアは、法的には死刑存置国でありながら、実務上は「死刑廃止国」に近い状態、すなわちabolitionist in practice(実質的死刑廃止)と評価されていた。
独立後の動向
独立後のガンビアにおける死刑制度を理解するうえでは、「法律上の死刑」と「実際の執行」を区別する必要がある。死刑制度が存在することと、国家が実際に死刑を執行することは同一ではなく、ガンビアの場合、この二つの間に長期間の隔たりが存在した。
特に重要なのは、1980年代半ば以降、死刑執行が停止していたことである。アムネスティ・インターナショナルは2012年の執行再開以前、ガンビアを死刑の「実質的廃止国」と分類していた。これは、死刑が法制度として残っていたとしても、長期間にわたり国家が実際の執行を行わなかったためである。
1994年のジャメによるクーデターは、この流れを大きく変える可能性を持っていた。ジャメ政権は1995年に死刑を復活させたものの、その後も長期間、実際の執行には踏み切らなかったため、死刑制度は一種の「潜在的な国家権力」として存在し続けたと評価できる。
ここに、後の政治的弾圧との関係を考える重要なポイントがある。すなわち、ジャメ政権下では、死刑そのものが日常的に大量執行されたのではなく、死刑を科すことが可能な法制度を維持しながら、反逆罪や国家安全保障をめぐる事件に死刑を適用することが、政治的威嚇と結び付く環境が形成されたのである。
ジャメによる復活(1995年)
1995年の死刑復活は、ジャメ政権の権威主義化を考えるうえで重要な転換点である。ヒューマン・ライツ・ウオッチの調査によれば、1993年に廃止された死刑が、ジャメ政権発足後の1995年に復活し、政府はその理由として犯罪の増加や反逆罪の問題を挙げていた。
しかし、死刑復活後の制度運用には重大な問題が残った。ガンビアの憲法と刑法の間には死刑の適用範囲をめぐる問題が存在し、特に反逆罪について死刑を適用できるかどうかは、後に国際人権機関から強く批判されることになる。
この問題が象徴的に現れたのが、後年の政治事件である。2012年には、反逆罪などで死刑判決を受けた軍関係者が存在し、アムネスティ・インターナショナルは、死刑が「最も重大な犯罪」に限定されるべきだという国際人権法上の原則との整合性に疑問を呈した。ガンビア憲法上も、死刑の適用について一定の限定が置かれていたため、反逆罪事件への死刑適用は、単なる刑事政策ではなく、政治的権力と司法制度の関係を問う問題となった。
したがって、1995年の死刑復活を評価する際には、「犯罪対策として復活した」という政府側の説明だけでなく、軍事政権から長期的な個人支配体制へ移行していった政治過程の中で、死刑制度がどのような意味を持ったのかを検討する必要がある。死刑はそれ自体が政治弾圧を意味するわけではないが、反逆罪など国家権力に対する犯罪に死刑を適用できる制度は、司法の独立性が弱い体制下では、政治的反対者を威嚇する潜在的な手段となり得る。
そして、この潜在的な危険性が現実のものとなったのが、2012年8月の死刑執行である。ジャメ大統領が死刑囚全員の執行を突然宣言し、約30年ぶりに9人が処刑された事件は、ガンビアの死刑制度が単なる法律上の存在から、国家による強制力を象徴する現実の制度へと変化した瞬間だった。
政治的弾圧の道具としての利用実態
ジャメ政権下の死刑制度を検証する際に重要なのは、死刑が政治犯を機械的に処刑するためだけの制度だったとみなすことではない。むしろ、死刑判決を可能にする刑法、反逆罪などの国家安全保障関連犯罪、政治的に独立性を欠いた司法、恣意的拘禁や拷問などが組み合わさることで、死刑制度が反体制的な活動を抑制する広範な国家権力の一部として機能したと理解する必要がある。
この構造は、ジャメ政権が反政府勢力や政権批判者に対して採用した「恐怖による統治」と密接に関係していた。ヒューマン・ライツ・ウオッチは、ジャメ政権下でジャーナリスト、人権活動家、政治的反対者などが恣意的逮捕・拘禁、拷問、不公正な裁判、脅迫などの対象になったと記録しており、死刑制度はこうした抑圧的な国家装置の一部として位置付けられる。
特に問題となったのが、反逆罪に対する死刑の適用である。2010年には元国軍幹部ら7人が反逆罪で死刑判決を受け、2012年には最高裁がその有罪判決を支持したが、アムネスティ・インターナショナルは、ガンビア憲法が死刑を「他人の死亡をもたらした犯罪」に限定していることとの整合性に疑問を呈した。さらに国際人権法上も、死刑を適用できるのは原則として「最も重大な犯罪」に限定されるべきであり、故意の殺人を伴わない反逆罪への死刑適用には重大な問題があった。
ここから見えてくるのは、死刑制度が政治的弾圧に利用される場合、その役割は必ずしも「反対派を実際に処刑すること」に限定されないという点である。死刑判決そのものが政治活動への強い威嚇となり、さらに公正な裁判を受けられない可能性や、拘禁中の拷問・虐待への恐怖が加わることで、国家に対する批判を事前に抑制する効果を持つからである。
クーデター未遂・反体制派への見せしめ(2012年の処刑強行)
2012年8月の出来事は、この問題を象徴する事件となった。同月19日と20日、ジャメ大統領はテレビ演説で、死刑囚全員について「9月中旬まで」に死刑を執行する方針を表明したとアムネスティ・インターナショナルは記録している。当時、政府の説明によれば死刑囚は47人に達しており、約30年にわたって停止していた死刑執行を一挙に再開するという極めて重大な政策転換だった。
そして8月23日夜から24日にかけて、首都バンジュール近郊の刑務所から8人の男性と1人の女性、計9人が連れ出され、銃殺隊によって処刑された。政府は当初ただちに詳細を公表せず、国際的な批判が強まった後の8月27日に内務省が処刑を確認したため、処刑の秘密性そのものも大きな人権問題となった。
9人の処刑には、ガンビア人だけでなくセネガル国籍者も含まれていた。さらに、少なくとも3人については国内での法的救済手続が終了していなかったとアムネスティは指摘しており、死刑制度の存在だけでなく、死刑執行に至る司法手続そのものの適正性が問われることになった。
この事件を「政治的弾圧」と評価するうえでは慎重さも必要である。9人全員が反体制派やクーデター関係者だったわけではなく、彼らの犯罪類型には殺人など一般刑事事件も含まれていたため、「2012年の9人全員が政治犯として処刑された」とする説明は事実関係を過度に単純化することになる。
一方で、同じ時期に反逆罪で死刑判決を受けていた軍関係者らが存在したことは重要である。2010年に反逆罪で死刑判決を受けた7人について、2012年10月に最高裁が有罪判決を支持したことで、ジャメ政権下では国家権力への反抗に対して死刑という最も重い刑罰が現実に適用される可能性が存在していたことが明確になった。
したがって2012年の処刑は、単なる犯罪者に対する刑罰執行として見るだけでは不十分である。約30年間執行されていなかった死刑を突然再開し、大統領自身が死刑囚全員の処刑方針を公に宣言したことによって、国家が国民に対して「必要ならば生命そのものを奪う」という権力を改めて誇示した点に政治的意味があったと考えられる。
アムネスティ・インターナショナルは、当時の死刑囚の中には公正な裁判を受けられなかった者や、弁護士へのアクセスや十分な上訴手続を欠いていた者、政治的動機による訴追を受けたとされる者がいたと報告している。また、拷問やその他の虐待によって自白を強要されたとの情報も記録されており、死刑制度と司法制度全体の信頼性を切り離して考えることが困難な状況だった。
さらに、9人の処刑後も少なくとも38人の死刑囚が残されており、彼らが次の処刑対象になる可能性があった。つまり2012年の処刑は9人を殺害して終わった単発事件ではなく、残された死刑囚全体に対する継続的な威嚇として作用したのである。
2012年処刑の「見せしめ」としての性格
2012年の処刑には、通常の刑事司法における死刑執行とは異なる特徴がいくつも存在した。第一に、大統領が短期間のうちに死刑囚全員を処刑するという方針を直接発表したこと、第二に、実際の処刑が秘密裏に行われ、本人や家族、弁護士への事前通知がなかったこと、第三に、処刑後も遺体の所在が家族に知らされなかったことである。
このような状況では、死刑は司法上の最終刑というだけでなく、社会全体に対する政治的メッセージとなる。特にジャメ政権に批判的な市民や政治活動家にとって、「国家がいつでも極刑を執行できる」という事実は、政治活動や政府批判に伴うリスクを大幅に高めるものだった。
さらに注目すべきなのは、死刑執行に反対する声そのものが弾圧の対象となったことである。2012年9月には、9人の処刑を批判していたイスラム教指導者イマーム・ババ・リーが拘束され、その後、NIA施設で非公式な拘禁と拷問を受けたとヒューマン・ライツ・ウオッチは報告している。処刑への批判を表明すること自体が国家安全保障上の問題として扱われ得たことは、死刑制度が政治的恐怖と結び付いていたことを示す重要な事例である。
2012年9月14日、国際的な批判が高まる中でジャメは死刑執行について「条件付きモラトリアム」を発表した。しかしこれは恒久的な執行停止ではなく、暴力犯罪が増加すれば自動的に解除されるという条件付きのものだったため、アムネスティは「十分ではない」と批判した。
この点からも、2012年の死刑政策は、司法制度による一貫した刑罰政策というより、ジャメ大統領の政治判断に大きく左右される制度だったと評価できる。死刑執行の開始と停止が、犯罪統計だけではなく、大統領の政治的意思によって左右され得たことは、権威主義体制における死刑制度の危険性を端的に示している。
国家情報局(NIA)による「超法的処刑」と恐怖政治
ジャメ政権の人権侵害を理解するには、合法的な刑罰としての死刑と、司法手続きを経ない超法規的殺害を明確に区別しながら、両者が同一の政治環境の中で存在していたことを見る必要がある。死刑が裁判所の判決を経て行われる建前を持つのに対し、NIAなどの治安機関をめぐっては、拘禁、拷問、強制失踪、殺害などの深刻な疑惑が積み重なっていた。
ヒューマン・ライツ・ウオッチは2015年の詳細な調査で、NIA、警察、国家麻薬取締局などの治安機関による重大な人権侵害について、十分な捜査や責任追及が行われていなかったと指摘した。特にNIAなどの組織が事実上の不処罰状態に置かれ、市民から見れば国家機関が生命や身体を無制限に支配できるとの認識が形成されていたと分析している。
この構造は、死刑制度との間に重要な違いがある一方、政治的恐怖という観点では相互補完的に作用し得る。裁判によって死刑を宣告する国家と、裁判外で人を拘束・拷問・殺害する国家が同時に存在すれば、市民にとって国家による生命への脅威は刑務所内だけに限定されなくなるからである。
したがってジャメ政権の「恐怖政治」を分析する際には、死刑制度を単独で取り上げるのではなく、死刑、恣意的拘禁、拷問、強制失踪、超法規的殺害、報道・政治活動への弾圧という複数の国家権力を一つの政治構造として捉える必要がある。
この意味で、2012年の9人の処刑は、ジャメ政権による国家暴力全体の中でも特に象徴性の高い事件だった。なぜなら、それまで長期間停止していた死刑を大統領が自ら再開させたことによって、国家による生命の剥奪が再び公然と政治権力の選択肢として示されたからである。
「魔女狩り」キャンペーンと連動した弾圧
ジャメ政権による政治的弾圧を理解するうえで、2009年に実施された、いわゆる「魔女狩り」キャンペーンは重要な意味を持つ。この事件は死刑制度そのものとは直接結び付いていないが、国家権力が超自然的な主張を利用しながら市民を大量に拘束し、治安機関や国家と結び付いた人物が身体的虐待を行ったという点で、ジャメ政権下の「恐怖による統治」を示す象徴的事例である。
ヒューマン・ライツ・ウオッチなどによれば、2009年、政府と結び付いた「魔術師」ないし伝統的治療師らが兵士とともに各地を回り、魔女とされた人々を拘束した。多数の女性を中心とする住民が秘密の拘禁施設へ連行され、幻覚作用のある液体を無理に飲まされるなどの虐待を受けたとされ、後のガンビア真実・和解・賠償委員会(TRRC)では、このキャンペーンによって数百人から最大約1,000人規模の人々が拘束されたとの証言が出ている。
この事件の特徴は、単純な迷信による集団的暴力ではなかった点にある。後のTRRCで証言した元警察長官は、ジャメ大統領自身から警察内部の「魔女」を特定するよう命令されたと証言しており、さらに複数の証言者は、兵士や政府車両が「魔女狩り」を行う人物らに同行していたと述べている。
つまり、2009年の「魔女狩り」は、国家から完全に独立した民間人による迷信的迫害として理解することができない。国家機関や治安部隊が関与したとされることで、一般市民にとって「政府から疑われれば拘束される」という恐怖を生み出し、ジャメ政権の広範な統制システムを補強する役割を果たしたと考えられる。
さらに深刻なのは、拘束された人々の一部が拘禁中または拘禁直後に死亡したことである。ヒューマン・ライツ・ウオッチは2021年、TRRCでの証言などを踏まえ、2009年の「魔女狩り」で41人が拘禁中またはその直後に死亡したとの情報を紹介している。
この数字は、死刑制度との比較においても重要である。死刑の場合は少なくとも法制度上、裁判所による判決という形式が存在するのに対し、「魔女狩り」では裁判手続きを経ずに国家の関与する拘禁と虐待が行われ、結果として死亡者まで生じているからである。
したがって、ジャメ政権の人権侵害を論じる場合、「死刑による政治弾圧」と「超法規的な国家暴力」を一つの制度として混同するのではなく、異なる手段が同じ恐怖政治の構造の中で併存していたと捉える必要がある。
死刑制度と国家による恐怖の相互作用
この観点から見ると、2012年の死刑執行が社会に与えた影響も、単なる刑罰政策以上のものとして理解できる。2009年の「魔女狩り」、反政府活動家やジャーナリストへの弾圧、恣意的拘禁、拷問などが存在する環境の中で、約30年間停止していた死刑が突然再開されたためである。
死刑は国家が合法的な司法手続を通じて生命を奪う制度である。しかし、司法の独立性や公正な裁判への信頼が損なわれている場合、その制度は市民から見れば「国家に逆らえば生命を奪われる可能性がある」という脅威として認識される。
実際、2012年8月の9人の処刑後、アムネスティ・インターナショナルは、残る少なくとも38人の死刑囚がなお処刑の危険にさらされていたと報告した。同団体は、死刑囚の中には公正な裁判を受けていなかった者、弁護士や上訴手続への十分なアクセスを持たなかった者、政治的動機による訴追を受けたとされる者が存在すると指摘していた。
ここで特に重要なのは、死刑そのものよりも、誰が、どのような手続で、どの犯罪について死刑を科すのかという問題である。国際人権法上、死刑を存置する国であっても、その適用には厳格な制約があり、自由権規約などの国際基準では「最も重大な犯罪」に限定するという原則が形成されている。
ところが、ジャメ政権下では反逆罪に対する死刑判決が存在した。2010年に元国軍幹部ら7人が反逆罪で死刑判決を受け、2012年10月には最高裁がその有罪判決を支持したが、アムネスティは、ガンビア憲法が死刑を「他人の死亡をもたらした犯罪」に限定していることから、この事件における死刑適用の適法性に重大な疑問を呈した。
この事実は、「死刑制度が政治弾圧に利用された」という主張を検討するうえで重要な材料となる。反逆罪という国家に対する犯罪に極刑を適用できる法制度が存在し、しかもその対象者が軍・政治エリートなど政権と対立し得る人物であった場合、死刑制度は刑事司法上の制裁であると同時に、政権に対する挑戦を抑止する威嚇手段にもなり得るからである。
国際社会の反応と人権団体からの批判
2012年の死刑執行は、ガンビア国内だけでなく国際社会から強い反発を招いた。特に、1980年代以降長期間にわたり執行が行われていなかったガンビアが突然死刑執行を再開したことは、アフリカにおける死刑廃止の潮流にも逆行する動きと受け止められた。
アムネスティ・インターナショナルは2012年8月、9人の処刑を「大きな後退」と位置付け、ジャメ大統領に対してさらなる執行を直ちに停止するよう要求した。同団体によれば、ジャメ大統領は8月19日と20日の演説で、同年9月中旬までにすべての死刑判決を「文字通り執行する」と発表しており、当時47人が死刑囚となっていた。
また、アムネスティは、処刑された9人について、本人、家族、弁護士に事前通知がなかったことを重大な問題として指摘した。さらに、少なくとも一部の死刑囚については法的救済手続が完了していなかったとの情報があり、秘密裏に行われた処刑は国際的な公正手続の基準に反すると批判した。
特に深刻だったのは、死刑執行に関する情報が極めて限定されていたことである。政府は9人の処刑を直ちには公表せず、内務省による正式確認は8月27日になったため、家族や弁護士は自らの家族が処刑されたのかどうかを直ちに確認できなかった。
これは死刑制度の透明性という観点から大きな問題となった。国家が死刑を執行する場合、少なくとも本人と家族、弁護士に対して必要な手続と通知を行うことが求められるが、ジャメ政権はそれを満たさなかったと人権団体は批判した。
国際人権NGOによる非難
国際人権NGOの批判は、死刑そのものだけに向けられたものではなかった。アムネスティ・インターナショナルは、ガンビアの刑事司法制度について、裁判の公正性、弁護士へのアクセス、上訴手続、拷問によって得られた自白の利用など、複数の問題が存在すると指摘していた。
この指摘には重要な意味がある。死刑は「最も取り返しのつかない刑罰」であるため、もし捜査・裁判制度に誤判や政治的介入が存在すれば、その結果を後から修正することができないからである。
ヒューマン・ライツ・ウオッチも、ジャメ政権下の20年間について、政権に批判的な人物や政治的反対者に対する深刻な人権侵害が継続し、「恐怖と抑圧の環境」が形成されていたと評価した。2015年の同団体の報告書は、恣意的逮捕、拷問、殺害などを体系的に調査し、ジャメ政権が反対意見を容赦なく抑圧していたと指摘している。
このため、国際人権NGOの評価では、ガンビアの死刑問題は独立した刑罰政策の問題ではなかった。死刑を含む司法制度そのものが、ジャメ政権による広範な政治的抑圧と不処罰の構造の中に置かれていたことが問題だったのである。
アフリカ地域機関による批判
国際社会の反応で特に重要なのが、アフリカ地域の人権機関であるアフリカ人権委員会(ACHPR)の対応である。同委員会は2012年8月、ジャメ大統領による死刑執行方針をめぐって強い懸念を表明し、死刑執行がアフリカ人権憲章第4条の生命に対する権利などに関係する問題であると指摘した。
ACHPRは、アフリカ人権憲章の締約国に対し、死刑執行のモラトリアムを設け、最終的には死刑を廃止する方向へ進むよう以前から求めていた。ガンビアについても、長年にわたり実質的なモラトリアムが維持されていたことを評価し、ジャメ政権にその状態を継続するよう要求した。
しかし、ジャメ政権は国際的な批判にもかかわらず、8月に9人の死刑を執行した。その後、9月14日にジャメは条件付きのモラトリアムを発表したが、これは犯罪率が上昇すれば自動的に解除されるという内容であり、アムネスティは恒久的な執行停止とは認められないとして批判した。
この「条件付きモラトリアム」は、ジャメ政権における死刑制度の性格を象徴している。すなわち、死刑を完全に放棄するのではなく、大統領の政治的判断によっていつでも再開できる状態を維持することで、死刑という国家権力を温存したのである。
孤立と国際的圧力
2012年の処刑は、ガンビアの国際的な孤立をさらに深める要因となった。当時、死刑廃止へ向かう国際的潮流が強まる中で、長期間執行を停止していた国が突然9人を処刑したことは、人権問題だけでなく外交上の問題にも発展した。
アムネスティの2012年年次分析では、その年に死刑を実際に執行した国は世界的に見ても限定されており、ガンビアでの執行再開は、インド、日本、パキスタンなどと並ぶ「長期間停止後の執行再開」の事例として取り上げられた。アフリカでは死刑廃止に向かう動きが進んでいたため、ガンビアの行動は地域的潮流にも逆行するものだった。
さらに、死刑制度の問題はジャメ政権のその他の人権侵害と結び付いて国際的に認識されるようになった。政治的反対者の弾圧、ジャーナリストへの圧力、強制失踪、拷問、超法規的殺害などについても国際人権団体が調査を続けたため、死刑執行はジャメ政権の人権状況全体を象徴する事件の一つとなった。
ここで重要なのは、国際社会の圧力が直ちにジャメ政権を変えたわけではないことである。2012年の処刑後もジャメ政権は存続し、2016年の大統領選挙まで権力を維持したため、死刑停止だけで直ちに民主化が実現したわけではなかった。
それでも、死刑問題はジャメ政権の人権侵害を国際的に可視化する重要な争点となった。2012年の9人の処刑によって、ガンビアが長年維持してきた「実質的な死刑執行停止」が破られたことで、国内の司法制度だけでなく、政権そのものの人権政策に対する国際的な監視が一段と強まったのである。
そして、この問題の歴史的な転換点となったのが2017年である。大統領選挙をめぐる危機とジャメの国外退去によって22年間続いた支配が終わり、新政権は死刑制度と過去の人権侵害について、ジャメ時代とは異なる方向性を打ち出すことになった。
2017年の民主化移行と現在の状況
2017年は、ガンビアの死刑制度を考えるうえで最大の転換点となった。2016年12月の大統領選挙で野党候補アダマ・バロウが勝利したにもかかわらず、ヤヒヤ・ジャメ大統領が当初敗北を認めず、政治危機が発生したが、最終的にジャメは2017年1月に退陣して国外へ移り、約22年間続いた支配が終わった。
バロウ政権は発足直後から、ジャメ時代の国家による人権侵害を調査し、司法制度や治安機関を改革する方針を打ち出した。その一環として、死刑制度についても、生命に対する権利を尊重し、国際的な死刑廃止の潮流に沿う方向へ政策を転換した。
この変化を象徴したのが、2017年2月のバロウ大統領による死刑執行モラトリアムの宣言である。バロウは国家演説の中で、ガンビアにおけるすべての死刑執行を停止する方針を表明し、死刑制度そのものを最終的に廃止する方向性を示した。
この政策転換には、単なる刑事司法政策の変更以上の意味があった。ジャメ政権下で死刑が政治的恐怖を生み出す国家権力の一部として利用されたとの批判を踏まえ、新政権が生命権、人権、法の支配を重視する国家へ転換することを国内外に示す象徴的な措置だったからである。
政権交代とモラトリアムの宣言
バロウ政権の死刑執行停止は、ガンビアの死刑制度を「執行される刑罰」から「廃止を待つ制度」へと事実上転換させた。2017年以降、ガンビアでは死刑執行が行われておらず、アムネスティ・インターナショナルの統計でも、近年の執行数は一貫してゼロとなっている。
ただし、モラトリアムはそれだけでは死刑制度の法的廃止を意味しない。死刑を規定する法律が残っている限り、裁判所が死刑判決を言い渡す可能性は存在し、実際に2020年代にも死刑判決そのものは確認されている。
この違いは、ガンビアの現在を理解するうえで極めて重要である。「死刑を執行していないこと」と「死刑が法律上存在しないこと」は別問題だからである。2026年現在のガンビアは、後者にはまだ到達していない。
それでも、2017年以降のモラトリアムには大きな実質的効果があった。ジャメ政権末期に存在していた死刑執行の脅威は消滅し、死刑囚が国家によって突然処刑される危険性は大幅に低下した。
さらに、政権交代によって死刑をめぐる政治的環境そのものが変化した。ジャメ政権では大統領個人の意思が死刑政策に強く反映されていたのに対し、バロウ政権では死刑廃止を国際人権法と民主的統治の枠組みの中で進める方向が示された。
国際人権条約への復帰
2017年以降の死刑政策を評価するうえでは、ガンビアが国際人権制度との関係を再構築したことも重要である。ジャメ政権は長期間にわたり国際人権機関から厳しい批判を受けていたが、政権交代後、バロウ政府は国際人権条約への参加・履行を強化する方針を取った。
特に重要なのが、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)の第二選択議定書である。この議定書は死刑廃止を目的とする国際的な条約であり、締約国には死刑廃止へ向けた法的義務が生じる。
ガンビアは2017年に第二選択議定書に署名し、2018年9月に批准した。これはジャメ政権期の死刑政策からの明確な方向転換であり、ガンビアが国際的な死刑廃止体制に正式に参加したことを意味する。国連条約機関の資料でも、ガンビアによる第二選択議定書の批准が確認できる。
第二選択議定書への加入は、単なる外交的ジェスチャーではない。原則として死刑を廃止し、締約国が死刑執行を行わないことを国際的に約束するものであるため、国内法に残された死刑規定を最終的に削除することが重要になる。
この点から見ると、2017年以降のガンビアは、「死刑を政治的統制のために利用する国家」から「死刑廃止を国際人権法の枠組みで進める国家」へと政策理念を転換したと評価できる。
ただし、この転換には国内法上の矛盾が残った。国際条約上は死刑廃止に向けた義務を負う一方、国内の憲法・刑法には死刑に関する規定が残されているためである。
残された課題
第一の課題は、死刑の完全な法的廃止である。モラトリアムによって執行は停止されても、法律から死刑規定が削除されなければ、制度としての死刑は残り続ける。
ガンビアではこの問題を解決するため、憲法改正や刑法改正を含む法制度改革が議論されてきた。2020年代には新憲法案も作成され、その中では死刑を廃止する方向が示されたが、憲法改正そのものをめぐる政治的対立などによって、改革は容易には進まなかった。
第二の課題は、ジャメ政権時代の人権侵害に対する責任追及である。死刑制度だけを廃止しても、拷問、強制失踪、超法規的殺害、恣意的拘禁などについて責任が問われなければ、過去の国家暴力を制度的に清算したことにはならない。
その意味で重要なのが、真実・和解・賠償委員会(TRRC)である。TRRCはジャメ政権下の重大な人権侵害を調査するために設置され、多数の被害者、元政府関係者、治安機関関係者らから証言を集めた。
TRRCの活動によって、ジャメ政権下で行われた人権侵害について、従来は断片的だった情報が体系的に記録されるようになった。特に2009年の「魔女狩り」、NIAによる拘禁・拷問、政治的反対者の弾圧などについて、国家機関の関与を示す証言が積み重ねられた。
第三の課題は、司法制度そのものの改革である。死刑を廃止しても、裁判所の独立性が弱く、被告人が十分な弁護を受けられず、拘禁施設で虐待が行われるなら、生命権を含む人権保障は十分ではない。
したがって、ガンビアに必要なのは死刑廃止という一点だけではない。司法の独立、適正手続、警察・情報機関の統制、拘禁施設の透明性、被害者への賠償、過去の人権侵害に対する説明責任を同時に進めることが必要となる。
2026年現在の評価
2026年時点でのガンビアは、ジャメ時代と比較すれば死刑をめぐる人権状況が大きく改善している。2017年以降、死刑執行は停止され、第二選択議定書への加入によって、国際的にも死刑廃止へ向かう方向性が明確になった。
しかし、だからといって「ガンビアの死刑問題は解決した」と評価することはできない。アムネスティ・インターナショナルの2025年に関する最新統計では、ガンビアでは少なくとも3件の死刑判決が記録されており、執行はゼロだったとされる。これは、死刑制度が法的には依然として存在していることを示している。
したがって、2026年現在のガンビアについては、「死刑を廃止した国」ではなく、「死刑執行を停止し、国際条約上は廃止を目指しているが、国内法上の死刑規定が残っている国」という評価が最も正確である。
また、ジャメ政権期との比較では、死刑制度の政治的意味も大きく変化した。ジャメ政権では死刑執行が大統領の政治的意思と結び付いていたのに対し、現在は死刑廃止そのものが民主化と人権保障を象徴する改革課題となっている。
この変化は、死刑制度が固定的な意味を持つ制度ではないことも示している。同じ死刑制度であっても、司法の独立性、政治体制、国際人権法との関係、国家による権力行使のあり方によって、その社会的・政治的意味は大きく変化するのである。
今後の展望
今後の最大の焦点は、モラトリアムを恒久的な法的廃止へ転換できるかどうかである。国際的にはすでに死刑廃止の方向を明確にしているため、国内法を国際的な約束と一致させることが、ガンビアの人権政策における重要な課題となる。
また、死刑廃止を単独の法律改正として扱うのではなく、ジャメ政権期の国家暴力からの制度的脱却として位置付けることも重要である。死刑廃止、治安機関改革、司法の独立、被害者への救済、真実の記録を一体的に進めることで、過去の恐怖政治を制度面から克服することが可能になる。
ガンビアの経験は、死刑制度と権威主義体制の関係を考えるうえで重要な事例である。死刑そのものが必然的に政治弾圧を意味するわけではないが、司法制度が政治権力から独立していない場合、死刑は国家による威嚇や政治的統制と結び付く危険性を持つ。
そして、2017年以降のガンビアはその反対方向への転換を試みている。したがって今後の評価では、単に「処刑が行われているか」だけではなく、死刑を可能にする法制度そのものを廃止し、過去の国家暴力に対する責任をどこまで明らかにできるかが重要な指標となる。
まとめ
ガンビアの死刑制度の歴史を検証すると、死刑そのものが必然的に政治的弾圧の道具となったというより、司法の独立性が弱く、行政権が司法・治安機関に強い影響力を持つ権威主義体制の下で、死刑が政治的威嚇の機能を持つようになったと評価するのが最も妥当である。1993年にいったん廃止された死刑は、1994年のジャメによる政権掌握後、1995年に復活し、以後長期間にわたって法制度上存続した。ヒューマン・ライツ・ウオッチは、ジャメ政権が死刑を国際法に反する形で適用し、司法制度そのものにも深刻な問題が存在していたと評価している。
特に重要なのは、1995年から2012年までの期間である。この間、死刑制度は存在していたものの、長期間にわたって執行されなかったため、ガンビアは実質的な死刑廃止国とみなされていた。しかし、2012年8月にジャメが突然、死刑囚全員を処刑する方針を表明したことで状況は一変した。
2012年8月23日夜、刑務所から8人の男性と1人の女性、計9人が連れ出され、銃殺隊によって処刑された。処刑は秘密裏に実施され、本人、家族、弁護士への事前通知がなかったうえ、少なくとも3人については国内の法的救済手続が終了していなかったとアムネスティ・インターナショナルは指摘している。
この2012年の事件は、本稿のテーマである「政治的弾圧の道具としての死刑」を考えるうえで中心的な事例となる。ただし、9人全員を政治犯と分類することは正確ではなく、彼らの中には一般刑事事件によって死刑判決を受けた者もいたため、「9人全員が政治弾圧の犠牲者だった」と断定することには慎重でなければならない。
むしろ問題は、死刑制度が政治的抑圧が広範に存在する環境の中で運用されたことにある。反逆罪による死刑判決、政治的反対者への恣意的拘禁、拷問、強制失踪、ジャーナリストへの弾圧などが並行して存在する状況では、死刑は単なる犯罪者への最終刑ではなく、国家権力の強大さを示す象徴的な威嚇手段となり得る。
この点を最も明確に示すのが、2010年に反逆罪で死刑判決を受けた元軍幹部ら7人の事件である。2012年10月、最高裁が有罪判決を支持したが、アムネスティは、ガンビア憲法が死刑を「他人の死亡をもたらした犯罪」に限定していることから、反逆罪に対する死刑適用の適法性に重大な疑問を呈した。さらに、国際人権法上も死刑は「最も重大な犯罪」に限定されるべきであり、故意の殺人を伴わない反逆罪への死刑適用は国際基準との緊張関係を持つ。
したがって、ジャメ政権下の死刑制度を「政治犯を処刑するための専用制度」と表現することは適切ではない。一方で、反逆罪など国家に対する犯罪を死刑の対象とし得る制度が、政治的反対者への弾圧や威嚇と同じ政治環境の中で運用されたことは否定できず、政治的統制との結び付きは十分に検証可能である。
死刑と「恐怖政治」の関係
ジャメ政権下の国家暴力を理解するには、死刑だけを切り離して分析してはならない。ヒューマン・ライツ・ウオッチが2015年の報告書で詳細に記録したように、ジャメ政権では恣意的逮捕、拷問、強制失踪、超法規的殺害などが問題となり、治安機関による人権侵害について不処罰が広く存在した。
2009年のいわゆる「魔女狩り」も、その一環として理解できる。多数の市民が拘束され、虐待を受けたとされるこの事件は、死刑制度とは別の国家暴力であるが、国家機関が市民の生命・身体・自由を恣意的に支配するという共通した政治構造を示している。
このため、ジャメ政権の「恐怖政治」は、死刑だけによって成立していたわけではない。死刑、拘禁、拷問、失踪、超法規的殺害、情報統制、政治的威嚇など複数の手段が組み合わされることで、政権に対する反対意見を抑制する環境が形成されていたと評価できる。
2012年に死刑執行へ抗議したイスラム教指導者イマーム・ババ・リーが拘束されたことも、この構造を象徴する。アムネスティは、彼が同年12月から起訴されないまま秘密拘禁されたと報告しており、死刑に対する批判そのものが国家による弾圧の対象となり得たことを示している。
したがって、「政治的弾圧の道具としての死刑」という表現は、死刑制度の法的目的を直接説明するものではなく、権威主義体制において死刑がどのような政治的効果を持ったかを説明する概念として用いるのが適切である。
2017年の民主化移行がもたらした転換
2017年の政権交代は、この構造を根本的に変えた。2016年12月の大統領選挙で敗北したジャメが退陣し、アダマ・バロウ政権が発足すると、新政府はジャメ時代の人権侵害を調査し、司法制度や治安機関を改革する方向へ政策を転換した。
死刑についても、バロウ大統領は2017年に死刑執行モラトリアムを宣言した。これはジャメ政権が2012年に死刑執行を再開したのとは正反対の政策であり、死刑を国家による威嚇の手段としてではなく、最終的には廃止すべき刑罰として扱うという政治的転換を示した。
さらにガンビアは、死刑廃止を目的とする自由権規約第二選択議定書への加入を進め、2018年に批准した。これによって死刑廃止は単なる政権の政策目標ではなく、国際人権法上の義務との関係でも重要な課題となった。
もっとも、ここでも「条約批准=国内法上の完全廃止」と理解してはならない。国内法に死刑規定が残っている限り、死刑制度は法的には完全に消滅したとはいえず、モラトリアムと法的廃止を区別する必要がある。
2025年の法改正と2026年時点の状況
2026年時点のガンビアについては、これまでの説明にさらに重要な最新情報を加える必要がある。アムネスティ・インターナショナルの2025年死刑統計によれば、ガンビアは2025年3月にCriminal Offences Act(刑事犯罪法)およびCriminal Procedure Act(刑事訴訟法)を成立させ、殺人、反逆罪、その他の国家に対する犯罪について死刑を削除し、懲役刑へ置き換えた。
これはジャメ時代からの制度的転換を評価するうえで極めて重要である。従来は「国内法上、死刑が残っている」という説明が中心だったが、2025年の刑事法改正によって、死刑を適用できる犯罪類型は大幅に縮小された。
しかし、2026年9月時点で完全な死刑廃止が達成されたとはなお言い切れない。アムネスティによれば、2025年7月、1997年憲法を置き換える新憲法案が国会の第二読会で否決され、この新憲法案が想定していた死刑規定のない憲法への移行も停滞した。また、国軍法や反テロ法などには死刑を規定する条文が残っているとされる。
したがって2026年9月時点では、ガンビアは「死刑執行を停止している国」から「主要な刑事法上の死刑規定を削除した国」へと大きく前進したものの、憲法および一部の特別法に残る死刑規定を完全に整理する段階にはまだ課題を残していると評価するのが適切である。
これは2017年当時と比較しても大きな進展である。2017年には「モラトリアムの宣言」が中心だったのに対し、2025年には主要刑事法から死刑そのものを削除する立法措置が実施されたからである。
残された課題――死刑廃止だけでは終わらない
ガンビアに残された最大の課題は、死刑に関する法制度を完全に整理し、国際的な死刑廃止義務と国内法を一致させることである。特に憲法、軍事法、反テロ法などに残る死刑規定をどう処理するかは、今後の重要な立法課題となる。アムネスティの2025年報告も、これらの残存規定を完全廃止への障害として指摘している。
第二の課題は、ジャメ政権時代の人権侵害に対する説明責任である。死刑を廃止しても、過去に行われた拷問、強制失踪、超法規的殺害などについて責任追及が行われなければ、法制度改革だけでは十分な「過去との決別」とはいえない。
この点では、2018年に設置された真実・和解・賠償委員会(TRRC)の活動が重要だった。TRRCの最終報告は2021年12月に公表され、ジャメと69人の関係者について人道に対する罪などを認定し、重大犯罪の責任者を訴追するよう勧告したとヒューマン・ライツ・ウオッチは整理している。
ガンビア政府は2022年にTRRCの勧告を受け入れ、責任者の訴追に進む方針を示した。しかし、その後も実際の訴追制度の整備には時間を要しており、被害者側からは迅速な責任追及を求める声が続いている。ヒューマン・ライツ・ウオッチは、重大犯罪を扱うための特別検察機関や、ガンビアとECOWASが共同で設置するハイブリッド法廷の必要性を支持している。
このことから、ガンビアの死刑廃止は単なる刑法上の問題ではないことが分かる。死刑制度の廃止を、司法の独立、治安機関の民主的統制、被害者救済、過去の犯罪への責任追及、法の支配の確立という広い制度改革の一部として位置付ける必要がある。
今後の最大の焦点は、2025年の刑事法改正を憲法・特別法レベルまで拡大し、死刑を国内法から完全に除去できるかである。新憲法案が2025年に否決されたことで改革には停滞が生じたが、すでに主要な刑事法から死刑を削除したことは、完全廃止へ向けた重要な基盤となっている。
また、国際人権条約上の義務を国内制度に実効的に反映させることも必要となる。自由権規約第二選択議定書への加入は重要な一歩だが、条約上の約束を国内法、裁判実務、刑事政策にまで浸透させて初めて、死刑廃止は実質的な意味を持つ。
さらに、過去の人権侵害について責任を問うことは、将来の再発防止という観点からも重要である。ジャメ政権期に形成された「国家機関は政治権力の命令に従えばよい」という構造を解体し、治安機関や司法機関が法律と人権基準によって拘束される体制を確立する必要がある。
ガンビアの経験は、死刑制度そのものよりも、死刑を執行する国家権力を誰が、どのような制度的制約の下で行使するのかという問題の重要性を示している。司法の独立性が確保されていなければ、死刑は誤判や政治的濫用という取り返しのつかない危険を伴い、特に権威主義体制ではその危険性が高まる。
一方、2017年以降のガンビアは、モラトリアム、国際人権条約への加入、TRRCの設置、2025年の刑事法改正などを通じて、ジャメ時代とは反対方向への制度改革を進めてきた。したがってガンビアは、死刑を政治的威嚇と結び付けた過去を持つ国が、民主化と人権保障を通じて死刑廃止へ移行する過程を示す事例として位置付けることができる。
最終評価
本稿の検証から、「ガンビアの死刑制度は政治的弾圧の道具として利用された」という命題は、限定付きで肯定できる。死刑制度が政治犯専用の制度として運用されたわけではなく、2012年に処刑された9人全員が政治犯だったわけでもないため、「死刑=政治弾圧」と単純化することはできない。
しかし、1995年の死刑復活がジャメによる権威主義的支配の形成と重なり、反逆罪に対する死刑判決、司法制度への政治的介入、恣意的拘禁、拷問、超法規的殺害などが同時に存在したことを考えれば、死刑が政治的恐怖を生み出す国家権力の一部として機能したと評価する十分な根拠がある。
その象徴が2012年の9人の処刑である。約30年間停止していた死刑をジャメ大統領が突然再開し、死刑囚全員を処刑する方針を公表したことは、死刑制度を国家による威嚇の手段として再び前面に押し出した出来事だった。アムネスティは、秘密裏の処刑、事前通知の欠如、未完了の上訴手続などを重大な人権問題として指摘した。
一方、2017年以降のガンビアは明確な転換を遂げた。死刑執行のモラトリアム、自由権規約第二選択議定書への加入、過去の人権侵害を調査するTRRC、そして2025年の主要刑事法からの死刑削除は、ジャメ時代の政治的統制から法の支配へ向かう制度改革として評価できる。
しかし、2026年9月時点で改革は完了していない。特別法などに残る死刑規定、新憲法制定の停滞、ジャメ時代の重大犯罪に対する責任追及の遅れなどが残されているためである。したがって、ガンビアの現在を「死刑問題を解決した国」と評価するより、「死刑制度の政治的利用を経験した国が、その制度を段階的に解体し、過去の国家暴力を清算しようとしている移行期の国家」と位置付ける方が適切である。
この意味でガンビアの事例が示す最大の教訓は、死刑制度の存廃だけを議論しても十分ではないということである。死刑が政治的弾圧の道具となる危険性を防ぐためには、司法の独立、適正手続、治安機関への民主的統制、被害者救済、情報公開、そして政治権力者自身が法の支配に拘束される制度を確立することが不可欠である。
参考・引用リスト
- Amnesty International, Executions in The Gambia: giant leap backwards, 24 August 2012. 2012年8月の9人の処刑、ジャメ大統領による死刑執行方針、約30年間の執行停止などを確認する基本資料。
- Amnesty International, Dozens of death row prisoners in Gambia risk imminent execution, 29 August 2012. 2012年処刑後に残された死刑囚、公正な裁判をめぐる問題、政治的動機による訴追・拷問の疑惑などを扱う。
- Amnesty International, Seven men at imminent risk of execution in The Gambia, 19 October 2012. 反逆罪で死刑判決を受けた7人の事例、ガンビア憲法上の死刑適用要件、国際人権法との関係を検討する資料。
- Amnesty International, The Gambia: Conditional moratorium on executions is not enough, 17 September 2012. ジャメによる条件付きモラトリアムと、その不十分性について分析した資料。
- Amnesty International, Death sentences and executions in 2012, 2013. 2012年の世界の死刑執行状況の中で、ガンビアの約30年ぶりの執行再開を位置付けた資料。
- Amnesty International, Death sentences and executions 2025, 2026. 2025年のガンビアの刑事法改正、死刑規定の削除、新憲法案の否決、残存する死刑規定など、2026年時点の制度評価に重要な最新資料。
- Human Rights Watch, State of Fear: Arbitrary Arrests, Torture, and Killings, 17 September 2015. ジャメ政権下の死刑、恣意的拘禁、拷問、殺害、司法制度への政治的介入などを体系的に調査した主要資料。
- Human Rights Watch, Gambia: Using Guarantees of Non-Recurrence to Prevent Past Atrocities, 25 May 2017. ジャメ政権後の司法改革、治安機関改革、過去の人権侵害の再発防止についての提言。
- Human Rights Watch, Gambia: Letter to Minister of Justice – Accountability for Past Serious Crimes, 21 April 2017. ジャメ政権期の重大犯罪についての責任追及と死刑廃止を論じた資料。
- Human Rights Watch, Questions and Answers on first German trial for serious crimes committed in The Gambia, 28 November 2023. TRRC最終報告、ジャメらに対する責任追及、ハイブリッド法廷構想などを整理した資料。
- United Nations Office of the High Commissioner for Human Rights(OHCHR), The Gambia National Human Rights Action Plan 2021–2025. 死刑廃止、1997年憲法・刑法・反テロ法・国軍法の関連規定改正を国家人権政策上の目標として位置付けた資料。
- United Nations Treaty Body Database, The Gambia. ガンビアの国際人権条約・自由権規約第二選択議定書への加入状況を確認するための国連資料。
- African Commission on Human and Peoples’ Rights(ACHPR), 2012年のガンビア死刑問題に関する声明・資料。アフリカ人権憲章上の生命権と死刑執行停止の観点からガンビア政府に対応を求めた地域人権機関の資料。
