テレビ離れ:20代は7割、30代は6割がほぼ見ず、SNS一強へ
2026年6月のNHK放送文化研究所調査は、日本のメディア史における大きな転換点を示している。
.jpg)
現状(2026年6月時点)
2026年の日本において、メディア利用環境は歴史的な転換点を迎えている。かつて情報・娯楽・広告・社会的共有体験の中心に位置していたテレビは、若年層を中心に急速な影響力低下に直面している。
特にスマートフォンの普及率がほぼ飽和状態となり、SNS、動画配信サービス、ショート動画プラットフォーム、オンラインゲーム、ライブ配信などが生活時間を奪う形で成長した結果、テレビは「家庭の中心メディア」から「数あるコンテンツの一つ」へと位置付けが変化した。
この変化は単なる視聴率低下ではない。人々の情報取得行動、余暇行動、広告接触行動、社会参加行動そのものの構造変化を意味している。
2026年現在、若年層においては「テレビを見ない」のではなく、「テレビを優先する理由がなくなった」という状況が進行していると考えられる。
NHK放送文化研究所の調査(2026年6月16日)
NHK放送文化研究所が2026年6月16日に公表した「国民生活時間調査」によると、「テレビをほとんど見ない」と回答した割合は16~19歳および20代で約7割、30代で約6割に達した。これは従来から指摘されてきたテレビ離れが、さらに加速したことを示している。
また今回の調査では、リアルタイム視聴の減少が若年層だけでなく中高年層にも広がりつつあることが確認された。テレビ離れはもはや一部世代の現象ではなく、日本社会全体のメディア構造変化として捉える必要がある。
NHK放送文化研究所の国民生活時間調査は1960年から継続されている長期調査であり、日本人の生活行動を把握するうえで最も信頼性の高い調査の一つとされる。そのため今回の結果は一時的な流行ではなく、長期的な構造変化を示す重要な指標と評価できる。
現状の検証(データが示す実態)
重要なのは「テレビ離れ」という言葉だけで現象を理解しないことである。実際にはテレビ視聴時間の減少と同時に、インターネット利用時間が急増している。
総務省系の各種調査では、10代・20代のインターネット利用時間はテレビ視聴時間の数倍に達している。例えば20代では平日のテレビ視聴時間が約54分であるのに対し、インターネット利用時間は約276分となっている。
つまり問題の本質は「テレビを見なくなった」ことではなく、「限られた24時間の奪い合いにテレビが敗れている」ことである。
さらに若年層ではテレビ番組のみならず、放送局が提供する関連コンテンツ全体との接触率も低下していることが確認されている。これは「テレビ離れ」ではなく「放送コンテンツ離れ」と呼ぶべき段階に入っている可能性を示している。
若年層の劇的な減少
今回の調査で最も注目すべき点は若年層である。
2020年調査では10代・20代の約半数がテレビをほとんど見ない状態だったが、2026年には約7割へ上昇した。わずか6年間で20ポイント前後増加したことになる。
これは世代交代による自然減少では説明できない。
スマートフォンネイティブ世代にとって、テレビは情報取得の第一選択肢ではなくなっている。ニュースはSNS、動画はYouTubeやTikTok、ドラマや映画はNetflixや各種配信サービス、スポーツは配信プラットフォームというように、テレビが担っていた機能が分散・代替されている。
若年層の生活世界において、テレビはもはや「必須インフラ」ではなくなったのである。
全世代への波及
かつてテレビ離れは若者特有の現象と考えられていた。
しかし、2026年の調査では30代のみならず40代・50代でも視聴時間減少が確認されている。
これはスマートフォン利用の一般化によって、デジタルメディアの利用が世代を超えて拡大したためである。
さらに近年は50代・60代でもYouTubeやSNS利用率が急増している。結果としてテレビは全世代で相対的地位を失いつつある。
「放送」から「通信」へ
20世紀の情報流通は放送中心であった。
放送は少数の送り手が多数の受け手へ同じ情報を届ける仕組みである。
一方、21世紀の情報流通は通信中心である。
通信は個人ごとに異なる情報が配信される。アルゴリズムが個人の興味関心を分析し、最適化された情報を提供する。
テレビからSNSへの移行とは、単なる媒体変更ではなく、「マスメディア社会」から「個別最適化社会」への移行なのである。
「どうしてこうなった?」4つの核心的要因
テレビ離れの背景には複数の要因が存在するが、本質的には4つの要因に集約できる。
第一に時間主導権の問題である。
第二に受動性と能動性の差である。
第三にスマートフォンのパーソナル化である。
第四にコンテンツ供給構造の変化である。
①時間の主導権(タイムパフォーマンス)の喪失
現代社会ではタイムパフォーマンスが重視される。
テレビは放送時間に視聴者を合わせる必要がある。
一方、YouTubeやNetflixは視聴者が好きな時間に視聴できる。
つまりテレビは「時間を拘束するメディア」であり、ネット動画は「時間を支配できるメディア」である。
時間主導権を失ったことはテレビ衰退の最大要因の一つである。
②受動的メディアと能動的メディアの差
テレビは受動的メディアである。
視聴者は番組編成に従う。
一方SNSや動画配信サービスは能動的メディアである。
利用者は検索し、選択し、コメントし、共有できる。
デジタルネイティブ世代は能動的参加を前提として育ったため、一方向的なテレビとの親和性が低い。
③スマートフォンの「パーソナル化」とテレビの「共有性」
テレビは家庭共有型メディアである。
しかし、スマートフォンは個人専用メディアである。
スマートフォンは常時携帯され、場所や時間を問わず利用できる。
テレビがリビング中心であるのに対し、スマートフォンは身体に近い存在である。
この差は極めて大きい。
メディア利用の主導権は家庭から個人へ移行したのである。
④コンテンツの多様化と「テレビのデバイス化」
かつてテレビはコンテンツそのものだった。
しかし現在ではテレビは単なる画面になりつつある。
同じテレビ画面でNetflix、YouTube、Amazon Prime Video、ゲームを利用できる。
つまり競争相手は他局ではない。
テレビそのものが、あらゆるデジタルコンテンツとの競争に巻き込まれている。
メディアイコノミーの構造変化
広告市場も大きく変化している。
デジタル広告はターゲティングが可能であり、効果測定も容易である。
一方テレビ広告は大量到達には優れるが、効果測定の精度で劣る。
結果として広告費はテレビからインターネットへ移動している。
メディア産業の収益構造そのものが変わり始めている。
時間の概念
テレビ時代の時間は「番組表中心」であった。
視聴者は決められた時間に合わせて生活した。
しかし現在はオンデマンド時代である。
利用者が時間を決定する。
この時間概念の逆転がテレビ離れの本質である。
情報の流れ
放送社会では情報は上から下へ流れた。
SNS社会では情報は横方向へ流れる。
友人、インフルエンサー、コミュニティが情報流通の中心になる。
情報の権威構造そのものが変化している。
費用対効果
テレビ番組は決められた時間を視聴しなければならない。
SNSや動画配信では必要部分のみ視聴できる。
ショート動画文化の普及は、長時間コンテンツへの耐性を低下させた。
若年層がテレビを非効率と感じる背景にはこの変化がある。
満足度
SNSや動画サービスは個人嗜好への適合度が高い。
アルゴリズムによって利用者好みの情報が提供される。
結果として短期的満足度は高くなる。
テレビは万人向けであるため、個別最適化競争では不利である。
課題
しかし、SNS中心社会にも課題がある。
情報の断片化が進み、共通知識が失われる可能性がある。
また情報の真偽判断が困難になる。
フェイクニュースや誤情報の拡散リスクも高まる。
テレビ局のビジネスモデル転換
今後テレビ局は放送局からコンテンツ企業への転換を迫られる。
重要なのは電波ではなくコンテンツである。
実際に各局は配信事業やSNS展開を強化している。
将来的には放送と通信の境界はさらに曖昧になると考えられる。
情報の「エコーチェンバー」化
SNSでは同じ意見を持つ人々が集まりやすい。
その結果、自分に都合の良い情報ばかり接触する現象が発生する。
これをエコーチェンバーという。
テレビには多様な情報を偶然受け取る機能があったが、SNSではその機能が弱い。
SNS一強の弊害
SNS中心社会では感情的・刺激的な情報が拡散しやすい。
アルゴリズムは滞在時間を伸ばすため、強い感情を生む情報を優先する傾向がある。
その結果、社会的分断や誤情報拡散が深刻化する可能性がある。
海外では選挙や社会運動への影響も指摘されている。
テレビが持っていた「社会共通の話題や災害時の信頼できるセーフティネット」としての役割
テレビには共通体験を形成する機能があった。
全国民が同じニュースやスポーツを視聴し、社会的共通認識を形成していた。
また災害時には迅速かつ信頼性の高い情報を広範囲へ届ける役割を果たしてきた。
特に日本のような災害多発国では、放送インフラの公共的価値は依然として高い。実際、テレビ利用者が減少しても災害情報や緊急情報への需要は根強く存在する。
今後の展望
今後テレビ視聴の減少傾向は継続する可能性が高い。
特に若年層ではテレビを所有しない世帯が増加し、リアルタイム視聴文化はさらに縮小すると予想される。
一方でテレビそのものが消滅する可能性は低い。
スポーツ中継、大規模災害報道、選挙報道、大型イベントなどリアルタイム性の高い分野では依然として強みを持つ。
将来のテレビは「国民的メディア」から「特定用途に強い専門メディア」へと変化していく可能性が高い。
まとめ
2026年6月のNHK放送文化研究所調査は、日本のメディア史における大きな転換点を示している。16~19歳と20代の約7割、30代の約6割がテレビをほとんど見ないという結果は、単なるテレビ離れではなく社会全体の情報流通構造の変化を意味する。
変化の背景には、タイムパフォーマンス重視、スマートフォンの普及、能動的メディアへの移行、コンテンツの多様化が存在する。人々は「放送を受け取る存在」から「自ら情報を選択する存在」へ変化した。
しかしSNS一強社会には、エコーチェンバー、誤情報拡散、社会的分断といった新たな課題も存在する。そのため将来の社会に必要なのはテレビかSNSかという二者択一ではなく、両者の強みを組み合わせた新たな情報環境の構築である。
テレビは衰退しているのではない。マスメディア時代の主役から、デジタル時代に適応した新たな役割へ再編されつつあるのである。
参考・引用リスト
- NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2026年6月16日公表)
- 朝日新聞「テレビ離れ加速、20代は7割・30代は6割がほぼ見ず NHK調査」(2026年6月16日)
- NHK放送文化研究所「2020年国民生活時間調査」
- NHK放送文化研究所『メディア多様化時代の20代とテレビ』
- 総務省「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」
- BCG「メディア消費者行動調査2026」
- NTTドコモ モバイル社会研究所「ニュースを得るメディア調査」
- 日本リサーチセンター「NHKプラス・民放同時放送の利用意向調査」
- LINEリサーチ「テレビの視聴方法に関する調査」
- 今道琢也『テレビが終わる日』(新潮社)
- ダイヤモンド・オンライン「20代の3割がテレビを見ない現実」
- 各種メディア産業・広告市場統計資料
- メディア論・情報社会論関連研究
- デジタルプラットフォーム研究およびアルゴリズム研究文献
- SNSとエコーチェンバー現象に関する国内外の学術研究
テレビ局のビジネスモデル転換(配信・IP戦略)の深掘り
テレビ離れの進行を単純に「テレビ業界の衰退」と解釈するのは正確ではない。現在進行しているのは、放送産業からコンテンツ産業への構造転換である。
20世紀のテレビ局は電波という希少資源を保有することで優位性を確保していた。限られた放送枠を持つこと自体が参入障壁であり、広告主はテレビ局を経由しなければ全国規模のリーチを獲得できなかった。
しかしインターネット時代になると、この前提が崩壊した。YouTube、Netflix、TikTokなどのプラットフォームは電波を必要とせず、世界中の利用者へ直接コンテンツを届けられるようになった。
つまり現在の競争相手は他局ではない。
テレビ局はGoogle系サービス、Meta系サービス、Netflix、Amazon、Disney、TikTok、さらには個人クリエイターとも競争している。
この環境下では「放送局」であること自体の価値は急速に低下する。
代わりに重要になるのがIP(知的財産)である。
IPとは番組、キャラクター、ドラマ、アニメ、映画、音楽、イベントなどを含む知的資産を意味する。
近年の世界的なメディア企業を見ると、成功している企業の多くは放送会社ではなくIP企業である。
例えば、Disneyはテーマパーク、映画、配信、商品販売を統合したIPビジネスを展開している。
また、Netflixも配信会社であると同時にオリジナルIP保有企業へ変貌している。
日本のテレビ局も同様の転換を迫られている。
近年はTVerを中心とする見逃し配信強化、動画配信事業への投資、海外販売、イベント事業、アニメ事業などが急速に拡大している。
特に重要なのは「広告モデルから複合収益モデルへの転換」である。
従来のテレビ局収益はテレビ広告に大きく依存していた。
しかし今後は配信課金、サブスクリプション、IPライセンス、海外販売、ライブイベント、グッズ販売など多層的収益構造への移行が不可欠となる。
今後10年間で生き残るテレビ局は「視聴率を売る会社」ではなく、「コンテンツ資産を運用する会社」になる可能性が高い。
情報の「エコーチェンバー化」とマスメディアの社会的価値
テレビ離れによって失われつつあるものの一つが、社会全体で共有される情報空間である。
テレビ全盛期には、多くの国民が同じニュースや番組を視聴していた。
もちろん全員が同じ意見を持つわけではなかったが、少なくとも共通の事実認識の土台は存在していた。
しかし、SNS時代になると状況は大きく変わる。
利用者は自分の関心に近い情報だけを選択する。
さらにアルゴリズムは過去の閲覧履歴を分析し、好みに合った情報を優先表示する。
その結果、似た意見ばかりが繰り返し表示される環境が形成される。
これがエコーチェンバー現象である。
エコーチェンバーでは、自分と異なる価値観や意見に触れる機会が減少する。
結果として社会的分断が進みやすくなる。
米国や欧州では政治的分極化との関連性が多数研究されている。
実際には社会は多様な意見によって構成されているにもかかわらず、利用者は「自分の周囲の意見こそが多数派である」と錯覚しやすくなる。
これは民主主義社会にとって大きな課題である。
ここで改めて注目されるのがマスメディアの社会的価値である。
テレビは一方向的なメディアであるため批判されることも多い。
しかし逆に言えば、特定の個人に最適化されていない。
誰もが同じニュースを受け取るという性質を持つ。
これは市場原理だけでは供給されにくい公共財的機能である。
SNSが「個別最適」を実現する一方で、テレビは「社会最適」に近い役割を果たしてきたと言える。
今後の課題は、この公共的役割をどのように維持するかである。
信頼のセーフティネットをどう維持するか
情報過多時代において最も希少な資源は情報そのものではない。
信頼である。
現代人は情報不足ではなく情報過剰の状態にある。
問題は「何が正しいのか分からない」ことである。
SNSには膨大な情報が存在する。
しかし、情報量の増加は必ずしも信頼性の向上を意味しない。
むしろ真偽不明の情報が増えることで、利用者の判断コストは上昇する。
そのため社会全体としては「信頼できる情報源」の価値が相対的に高まる。
テレビ局、新聞社、公的機関、大学などは、その候補となる。
特に災害時にはこの傾向が顕著に現れる。
地震、津波、豪雨、噴火などの緊急事態では、情報の速度よりも正確性が重要になる。
誤った避難情報は生命に直結する。
日本では災害報道に関する制度や取材体制が長年整備されてきた。
そのため放送機関は依然として重要なインフラである。
実際、災害発生時にはSNS利用者であってもテレビや公共放送へアクセスする行動が確認されている。
これは平時と有事で求められるメディア機能が異なることを示している。
SNSが日常的な情報収集を担う一方で、テレビは社会のセーフティネットとして機能する。
今後は「普段は見ないが、必要な時には信頼されるメディア」という位置付けが重要になる可能性がある。
その意味で放送機関は単なる娯楽産業ではなく、社会インフラとしての側面を持つ。
「フェイクニュースに対抗する検証機能」という公共財としての役割
テレビが将来的にも存在意義を持つ最大の理由の一つが、検証機能である。
SNSでは誰でも情報発信できる。
これは情報民主化という意味では大きな進歩である。
しかし同時に、誤情報や偽情報も大量に流通する。
近年では生成AIの発展によって問題はさらに深刻化している。
本物そっくりの画像、動画、音声を容易に作成できるようになった。
いわゆるディープフェイク問題である。
今後は「見たから信じる」が通用しなくなる可能性が高い。
そのような環境では情報の発信能力よりも検証能力が重要になる。
ここに報道機関の存在意義がある。
報道機関は本来、情報を収集するだけではない。
複数の情報源を照合し、裏付けを取り、誤りを排除する。
このプロセスにコストと時間を投入している。
市場原理だけで考えるなら、この作業は非効率である。
しかし社会全体で見ると極めて重要である。
なぜなら検証済み情報は公共財だからである。
公共財とは、一人が利用しても他者の利用を妨げず、社会全体に利益をもたらす財を指す。
信頼できる報道は典型的な公共財である。
例えば選挙期間中に候補者の発言を検証する。
あるいはSNSで拡散したデマを訂正する。
行政発表の事実確認を行う。
こうした活動は直接的な利益を生みにくい。
しかし民主主義社会の維持には不可欠である。
問題は、この検証機能の経済的基盤が弱体化していることである。
広告収入の減少は取材人員の削減につながる。
取材人員の減少は検証能力の低下につながる。
結果として社会全体の情報品質が低下する危険がある。
したがって今後の議論は「テレビが生き残るか」ではなく、「誰が社会の検証機能を担うのか」という問題へ移行していく。
テレビ局、新聞社、大学、ファクトチェック機関、公共放送、プラットフォーム企業などが連携し、新しい情報検証システムを構築する必要がある。
テレビの本当の価値は「番組」ではなく「信頼インフラ」にある
テレビ離れが進む中でも、テレビの価値が完全に消滅するわけではない。
むしろ今後重要になるのは娯楽機能ではなく、社会基盤機能である。
SNSや動画配信サービスは個人の満足度を最大化する。
一方でテレビや報道機関は社会全体の情報品質を維持する。
両者は競争関係にあるだけでなく補完関係にもある。
将来のメディア環境では、日常的な情報取得はSNSや配信サービスが担い、重要情報の検証や災害時の信頼できる情報供給は放送機関や報道機関が担うという役割分担が進む可能性が高い。
つまりテレビの未来は「放送の勝利」でも「SNSの勝利」でもない。
真に重要なのは、個人最適化された情報空間が拡大する社会において、誰が共通の事実認識を支え、誰が信頼のセーフティネットを維持するのかという点である。
その観点から見ると、テレビ局の将来価値は視聴率や広告収入以上に、「検証された情報を供給する公共的インフラ」としての役割にかかっていると言える。
最後に
2026年6月に公表されたNHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」は、日本社会におけるメディア利用構造の歴史的転換を改めて明確に示した。16~19歳および20代の約7割、30代の約6割がテレビをほとんど見ないという結果は、一時的な流行や世代特有の嗜好変化ではなく、社会全体の情報流通システムが大きく変化していることを示す重要な指標である。
かつてテレビは、日本社会において圧倒的な情報インフラであった。ニュース、娯楽、スポーツ、ドラマ、教育番組、災害情報など、あらゆる情報がテレビを中心に流通し、人々は同じ番組を視聴することで共通の話題や共通認識を形成していた。テレビは単なる娯楽機器ではなく、社会統合の装置として機能していたのである。
しかし21世紀に入り、スマートフォンとインターネットの普及によって、この構造は根本から変化した。人々はテレビ番組表に合わせて生活する必要がなくなり、自らが見たい情報を、見たい時に、見たい場所で取得できるようになった。情報の流れは「放送」から「通信」へと移行し、マスメディア中心社会から個別最適化社会へと変化した。
今回の分析を通じて明らかになったのは、テレビ離れの本質が「テレビがつまらなくなった」という単純な問題ではないということである。本質は、人々の時間の使い方、情報の選び方、満足の得方そのものが変化した点にある。
その背景には四つの構造的要因が存在する。第一に、タイムパフォーマンスを重視する価値観の拡大である。現代人は限られた時間の中で最大の満足を得ようとするため、放送時間に縛られるテレビよりも、オンデマンドで利用できる動画配信サービスやSNSを選択する傾向が強くなった。
第二に、受動的メディアと能動的メディアの差がある。テレビは視聴者が番組編成に従う受動的なメディアであるのに対し、SNSや動画配信サービスは利用者自身が検索し、選択し、参加できる能動的なメディアである。特にデジタルネイティブ世代にとっては、情報への参加や発信そのものが日常的行為となっており、一方向的な放送との親和性が低下している。
第三に、スマートフォンのパーソナル化がある。テレビが家族共有型メディアであったのに対し、スマートフォンは完全な個人メディアである。利用者は自分専用の情報空間を持ち、常に携帯し、場所や時間を問わず利用できる。この変化によって、情報の主導権は家庭から個人へ移行した。
第四に、コンテンツ供給構造そのものの変化がある。かつてテレビはコンテンツの中心であったが、現在ではNetflix、YouTube、TikTok、ゲーム、ライブ配信など無数の選択肢が存在する。テレビはコンテンツそのものではなく、多様なコンテンツを表示するデバイスの一つへと変化しつつある。
このような変化は広告市場にも大きな影響を与えている。従来のテレビ局は広告収入を中心とするビジネスモデルによって成り立っていた。しかしデジタル広告市場はターゲティング精度や効果測定能力に優れており、広告費は急速にインターネットへ移行している。テレビ局はもはや広告だけで成長できる時代ではなくなった。
そのため今後のテレビ局は、放送事業者からコンテンツ企業への転換を進める必要がある。重要なのは電波ではなくIP(知的財産)である。ドラマ、アニメ、映画、イベント、キャラクター、音楽などのコンテンツ資産を多面的に展開し、配信、ライセンス、海外展開、イベント事業など複数の収益源を確保することが求められている。
つまり、今後のテレビ局の競争相手は他局ではない。世界中のプラットフォーム企業やコンテンツ企業との競争に勝ち残るためには、「放送局」から「総合コンテンツ企業」への変革が不可欠となる。
しかし本稿の分析で最も重要なのは、テレビ離れの進行にもかかわらず、テレビが果たしてきた社会的役割が依然として重要であるという点である。
SNSや動画配信サービスは個人の満足度を最大化する優れた仕組みを持つ。しかしその一方で、エコーチェンバー現象やフィルターバブルと呼ばれる問題を生み出している。利用者は自分と似た意見ばかりに接触し、異なる価値観や多様な視点に触れる機会が減少する。その結果、社会の分断や対立が深刻化する可能性がある。
テレビには多様な情報を偶然受け取る機能が存在していた。興味のないニュースや異なる意見にも接触することで、人々は社会全体の状況をある程度共有できていた。この機能は市場原理だけでは十分に供給されにくい公共財的性格を持つ。
また、災害時におけるテレビの役割も依然として大きい。日本は世界有数の自然災害多発国であり、地震、津波、台風、豪雨、火山噴火などへの対応が常に求められている。こうした非常時には、速度だけではなく正確性と信頼性が極めて重要になる。誤った情報は人命に直結するためである。
SNSは速報性に優れる一方で、誤情報や未確認情報も同時に拡散する。テレビや報道機関は長年にわたって構築してきた取材網や検証体制を活用し、正確な情報を社会へ提供する役割を担っている。この機能は社会のセーフティネットとして極めて重要である。
さらに生成AIの発展によって、情報空間の課題は今後さらに深刻化する可能性がある。ディープフェイク技術の進歩により、本物と偽物を見分けることが難しくなりつつある。画像や動画、音声であっても、その真偽を即座に判断することは容易ではなくなる。
このような時代において重要になるのは情報発信能力ではなく情報検証能力である。誰もが発信できる時代だからこそ、誰が事実確認を行うのかが重要になる。ここに報道機関の存在意義がある。
報道機関は単に情報を伝達するだけではない。複数の情報源を照合し、裏付けを取り、事実確認を行い、誤りを排除する。この検証プロセスには時間とコストが必要であるが、民主主義社会の維持には不可欠である。
その意味で、テレビの将来価値は視聴率や広告収入だけでは測れない。むしろ重要なのは、共通の事実認識を支える社会基盤としての機能である。テレビが持っていた価値は「番組」そのものではなく、「信頼」であったとも言える。
今後の社会では、SNSや動画配信サービスが個人最適化された情報取得を担い、テレビや報道機関が検証済み情報や公共性の高い情報を担うという役割分担が進む可能性が高い。両者は対立する存在ではなく、相互補完的な存在として共存していくことになるだろう。
したがって、「テレビは終わったのか」という問い自体が適切ではない。実際に終わりつつあるのは、20世紀型のマスメディア独占時代である。一方で、社会が信頼できる情報を必要とする限り、検証機能、災害報道機能、社会統合機能を持つメディアの重要性は失われない。
テレビ離れは確かに進行している。しかし、それはテレビの完全な消滅を意味するものではない。むしろテレビは、娯楽中心のメディアから、社会の信頼インフラとしての役割を強めながら、新たな形へ再編されつつあると理解すべきである。
2026年のNHK調査が示したのは、単なる視聴率低下ではない。それは日本社会が「放送の時代」から「通信の時代」へ移行したことを示す象徴的な出来事であり、同時に、情報の自由化が進む社会において、信頼できる情報をいかに維持するかという新たな課題を私たちに突き付けているのである。
