取引大手バイナンスの巨額盗難事件、北朝鮮が関与か?米大統領「調査中」

2026年10月29日に発生したバイナンスの巨額盗難事件は、約63億6000万ドル相当の暗号資産が10のブロックチェーンから流出した、暗号資産業界で過去最大級のサイバー攻撃である。
北朝鮮ハッカー集団のイメージ
現状(2026年10月時点)

2026年10月29日、世界最大級の暗号資産取引所であるバイナンスで、総額約63億6000万ドル(約9500億円規模、為替レートにより変動)の暗号資産が不正に移動させられる大規模なサイバー攻撃が発生した。米国のブロックチェーン分析会社トレース・アール・エム・ラボの調査によると、被害は10のブロックチェーンに及び、その大部分が約20分という短時間に移動した。

今回の事件は、暗号資産業界で過去最大級の盗難事件となるだけでなく、国家が関与する可能性のあるサイバー犯罪としても重大な意味を持つ。複数の専門調査会社は、北朝鮮の政府系ハッカー集団「トレーダートレイター」が攻撃を実行した可能性が高いと分析している。

ただし、2026年10月31日時点で、北朝鮮政府の関与が米国政府によって正式に認定されたわけではない。米連邦捜査局(FBI)は関係機関や民間企業と連携して調査を進めており、ドナルド・トランプ大統領も北朝鮮の関与について「分からない。調査している」と述べるにとどめている。

被害発生後、バイナンスは一部のネットワークで入出金を停止し、関係する暗号資産企業やブロックチェーン運営組織と協力して資産の追跡と凍結を進めた。トレース・アール・エム・ラボの初期分析では、約27億ドル相当の資産が凍結された一方、攻撃者側には約24億ドル相当の資産が残っているとされる。

バイナンスは利用者の資産を保護し、盗難による損失を会社資金で全額補填する方針を表明した。したがって、今回の事件は単純に利用者の預けた資産がすべて失われたというものではなく、取引所の内部管理体制、資産保全能力、暗号資産市場全体の信頼性が問われる事件として捉える必要がある。

事件の概要

今回の攻撃は、バイナンスが管理する複数の暗号資産ウォレットから、攻撃者が支配するウォレットへ資産を不正に移動させたものだ。対象となったのは、イーサリアム、ビットコイン、トロン、ソラナ、エックスアールピー・レジャーなど、複数のブロックチェーン上で管理されていた暗号資産である。

トレース・アール・エム・ラボの分析では、10月29日午後8時5分(協定世界時)ごろから大規模な資産移動が始まり、約20分間に大量の資産が攻撃者側のアドレスへ送られた。その後も別のネットワークで資産移動が確認され、最終的に被害規模は約63億6000万ドルに達したと推計されている。

重要なのは、今回の攻撃が単一の暗号資産や特定のウォレットだけを狙ったものではないという点だ。複数のブロックチェーンにまたがって同時並行的に資産が移動したことから、攻撃者はバイナンスの資産管理システムや取引承認の仕組みについて、広範な知識と高度な技術を持っていた可能性が高い。

暗号資産取引所は、顧客から預かった資産を複数のウォレットに分けて保管している。なかでも、インターネットに接続され、日常的な入出金に使用されるウォレットは「ホットウォレット」と呼ばれ、大量の取引を迅速に処理できる一方、外部からの侵入や内部システムの侵害に対するリスクを抱えている。

今回の事件で問題となったのも、こうしたホットウォレットの管理・承認システムだったとみられる。攻撃者はブロックチェーンそのものを破壊したのではなく、正規の取引に見える形で不正な資産移動を実行できる環境を作り出した可能性がある。

攻撃の手口

今回の攻撃で注目されるのは、ブロックチェーン上の暗号技術を直接突破するよりも、取引所内部の業務システムや取引承認の仕組みを侵害したとみられる点だ。バイナンスの初期調査では、従業員が使用する技術管理用のノートパソコンが侵害された可能性が示され、その後の調査では複数の侵入経路が存在した可能性も浮上している。

専門調査会社の分析によると、攻撃者は実際の盗難を実行する少なくとも36時間前から準備を進めていた。資金移動に使用するウォレットへ少額の暗号資産を送って動作を確認し、悪意のあるプログラムを複数のウォレットで試験したうえで、本格的な攻撃に移行したとみられる。

特にイーサリアム上では、EIP-7702と呼ばれる仕組みが悪用された可能性が指摘されている。これは通常の暗号資産ウォレットに、特定の条件下でスマートコントラクトの機能を実行させる技術であり、正規の利用者にとって利便性を高める一方、権限を不正に取得された場合には深刻な被害につながり得る。

トレース・アール・エム・ラボによると、攻撃者は事前に署名された複数の認証情報を用意し、バイナンスのホットウォレットを攻撃者が制御する資産回収用の仕組みとして動作させた疑いがある。これにより、ウォレットに保管されていた資産を連続的に外部へ移動させることが可能になったと分析されている。

さらに、イーサリアム以外の9つのブロックチェーンでも、バイナンスのウォレットから攻撃者側への送金が確認された。この事実は、特定のブロックチェーンに存在する欠陥だけでなく、複数のネットワークに共通する取引署名・承認インフラが侵害された可能性を示している。

ここで重要なのは、暗号資産の送金には通常、秘密鍵などによる正当な承認が必要だという点だ。攻撃者が取引承認に必要な権限を不正に利用できた場合、ブロックチェーン側から見れば、送金は正規の承認を経た取引として処理されるため、銀行の不正送金のように中央管理者が簡単に取り消すことはできない。

つまり、今回の攻撃は暗号資産の基盤技術そのものを破ったというよりも、巨大な資産を動かす権限を持つ取引所の内部システムを侵害した事件と考えられる。技術的な高度さだけでなく、企業内部のアクセス管理、従業員端末の安全性、取引承認の複数段階化といった基本的な管理体制が、巨額の損失を防げなかった可能性が問題となっている。

北朝鮮の関与・各所の動向

今回の事件で最も重大な論点の1つが、北朝鮮の国家支援型ハッカー集団が攻撃に関与した可能性だ。米国を拠点とするブロックチェーン分析会社トレース・アール・エム・ラボは、2026年10月29日に発生した約63億6000万ドルの盗難について、北朝鮮の精鋭サイバー攻撃部隊「トレーダートレイター」による犯行である可能性が高いと評価した。

同社は、ブロックチェーン上に記録された資金移動だけでなく、攻撃前の準備行動、資金洗浄の手法、過去の北朝鮮系攻撃との共通点などを総合的に分析している。特に、盗難の少なくとも36時間前から攻撃用ウォレットへの資金投入やプログラムの試験が行われていたこと、複数のブロックチェーンで同時期に不正な資金移動が発生したことなどが、計画的な国家支援型攻撃を疑う根拠となっている。

トレーダートレイターは、北朝鮮と関連するサイバー攻撃集団として知られ、暗号資産取引所、金融機関、ブロックチェーン関連企業などを標的にしてきた。米国政府は過去の制裁・注意喚起において、同集団を北朝鮮の情報機関と関係するサイバー活動主体として扱っており、暗号資産の窃取を通じた資金獲得が北朝鮮の重要な収入源になっていると指摘してきた。

今回の攻撃が北朝鮮によるものと確認された場合、単なる金銭目的の犯罪ではなく、国家が関与する経済活動の一環として位置づけられる可能性がある。北朝鮮は国際的な経済制裁によって外貨獲得の手段が制限されており、暗号資産の窃取は、通常の金融システムを経由せずに資金を獲得できる手段となっている。

もっとも、トレーダートレイターの関与を示す技術的な証拠と、北朝鮮政府が今回の作戦を直接指揮したことを証明する証拠は同じではない。専門調査会社による攻撃主体の特定は重要な判断材料だが、国家の指揮命令系統や政府機関の関与を最終的に立証するには、通信記録、関係者の身元、資金の流れ、情報機関の活動などを含む追加調査が必要となる。

今回の事件は、北朝鮮が暗号資産を狙うサイバー活動を継続的に高度化させているという、これまでの傾向とも一致する。特に、暗号資産の管理権限を持つ企業内部のシステムに侵入し、複数のネットワークから一斉に資産を移動させる手法は、従来のフィッシング詐欺や個人ウォレットへの攻撃とは異なる規模と複雑さを持つ。

トランプ米大統領の公式言及

今回の事件は、暗号資産を重要政策の1つに掲げるトランプ政権にとっても、無視できない問題となった。被害額が約63億6000万ドルに達し、北朝鮮の関与が疑われていることから、米国の安全保障、金融規制、国際的な制裁政策にも関係する問題として注目されている。

トランプ大統領は2026年10月30日、バイナンスの巨額盗難と北朝鮮の関与について質問を受け、北朝鮮が関与したかどうかは現時点では分からず、調査を進めているとの趣旨を述べた。つまり、大統領は北朝鮮の犯行を断定せず、調査中であるという立場を示した。

この発言で重要なのは、専門調査会社の高い確度の帰属判断と、米政府の公式な認定が一致していない点だ。民間の分析会社は、資金移動や攻撃手法、過去の事件との類似性をもとに攻撃主体を推定できるが、政府による国家責任の認定には、外交・安全保障上の判断や法的な証拠評価が伴う。

米政府が北朝鮮の関与を正式に認定すれば、追加制裁や関係者・関連企業への資産凍結、暗号資産交換業者への警戒要請などにつながる可能性がある。また、北朝鮮のサイバー活動を支える海外の仲介業者や資金洗浄ネットワークに対する国際的な取り締まりが強化されることも考えられる。

一方、トランプ大統領の発言だけから、米政府が北朝鮮に対する具体的な報復措置を検討していると判断することはできない。現段階では、捜査による攻撃主体の特定と盗難資産の追跡が優先されており、外交的・軍事的な対応については別途の判断が必要となる。

また、今回の事件は米国の暗号資産政策にも影響を与える可能性がある。トランプ政権は暗号資産産業の育成や米国の国際競争力強化を重視してきたが、世界最大級の取引所で巨額の盗難が発生すれば、産業振興と利用者保護、国家安全保障をどのように両立させるかという問題が改めて浮上する。

専門調査会社・公的機関の見方

今回の事件を分析するうえで重要なのが、民間のブロックチェーン分析会社と米国の法執行機関の役割の違いだ。民間企業は公開されているブロックチェーンの取引記録や独自の情報網を利用して攻撃主体を推定する一方、警察・捜査機関は犯罪の立証、関係者の特定、資産回収、国際的な法的措置を担当する。

トレース・アール・エム・ラボは今回の攻撃について、北朝鮮のトレーダートレイターによる犯行である可能性が高いと判断した。同社が重視したのは、攻撃の準備段階から実行、盗難後の資金移動までに見られる一連の特徴であり、過去の北朝鮮系攻撃との類似性も重要な根拠となっている。

特に、今回の攻撃では複数のブロックチェーン上で正規の署名を伴う不正送金が短時間に発生した。これについて同社は、個々のウォレットの秘密鍵が漏洩したという単純な説明だけでは全体を説明しにくく、バイナンスの複数ネットワークにまたがる取引署名システムが侵害された可能性を指摘している。

また、米国のサイバーセキュリティ当局や法執行機関にとっても、今回の事件は重大な調査対象となる。過去の北朝鮮系暗号資産窃取事件では、米連邦捜査局が攻撃主体を特定し、盗難資産に関連するウォレットの情報を公表した例がある。2025年2月の暗号資産取引所バイビットに対する約15億ドルの盗難についても、米連邦捜査局は北朝鮮のトレーダートレイターによる犯行と公式に判断している。

この過去の事例は、今回の事件の帰属判断を検討するうえで重要だ。同じ攻撃集団が関与したとすれば、北朝鮮系のサイバー部隊は、暗号資産取引所を標的とする大規模攻撃を繰り返し実行できる能力を持っていることになる。ただし、過去の事件で同集団の関与が確認されたからといって、今回の事件も自動的に同じ主体によるものと確定するわけではない。

さらに、今回の調査では、盗難資産を追跡する民間企業と、資産の凍結権限を持つ暗号資産発行会社やブロックチェーン運営組織との連携が重要になっている。ブロックチェーン上の取引記録は公開されているものの、資産を実際に凍結するには、発行会社やネットワーク運営組織が持つ技術的・制度的な権限が必要となる場合がある。

このため、今回の事件はサイバー犯罪の捜査だけでなく、国際的な暗号資産監視体制の実効性を試す事例でもある。専門調査会社が攻撃者のウォレットを特定し、金融関連企業が取引を監視し、発行会社が資産を凍結し、各国の捜査機関が犯罪者の特定を進めるという多層的な対応が求められている。

被害への対応と現状

今回の事件を受け、バイナンスは発覚直後から緊急対応に入り、被害の拡大防止、盗難資産の追跡、関係機関との情報共有を進めている。2026年10月31日に公表された同社の第2回公式発表によると、今回の攻撃ではホットウォレットから約63億ドル相当の暗号資産が流出し、同社は利用者に損失を負担させない方針を明確にした。

最初の対応は、攻撃を受けたウォレットに関連する認証権限の無効化と、追加のセキュリティー制御の導入だった。さらに、被害を受けた複数のネットワークについて入出金を一時停止し、システムの安全性を確認するとともに、外部への不正な資産移動が継続することを防いだ。

バイナンスは、当初の調査で従業員が使用するノートパソコンの侵害が疑われたものの、その後の調査で追加の侵入経路が判明したと説明している。一方、現時点ではウォレットの秘密鍵そのものが漏洩した証拠は確認されていないという。

この説明は重要な意味を持つ。秘密鍵が直接盗まれたのであれば、暗号資産の保管方法や鍵の生成・管理体制に根本的な問題があった可能性が高いが、取引承認システムや従業員端末などが侵害されたのであれば、企業内部の情報システム全体の安全性が問われることになる。

バイナンスは、影響を受けていないサービスについては運用を継続しながら、停止した入出金機能を段階的に再開する方針を示した。再開に際しては、対象となる暗号資産やネットワークごとに安全性を確認し、準備が整ったものから順次復旧させるとしている。

また、同社は今回の事件に関する詳細な技術調査報告書を公表する方針も示した。攻撃の全容、侵入経路、被害が拡大した原因、再発防止策を明らかにすることが、利用者の信頼回復に向けた重要な課題となる。

資産の凍結

今回の事件では、盗まれた暗号資産のすべてが攻撃者によって自由に換金できるわけではない。暗号資産には、発行会社やネットワーク運営組織が特定の条件下で送金を制限できるものがあり、こうした仕組みを利用した資産凍結が被害回復の重要な手段となっている。

2026年10月31日時点で、バイナンスは関係企業や捜査機関との協力により、約30億ドル相当の資産をブロックチェーン上で凍結したと発表した。これは盗難総額約63億ドルに対して、およそ半分に相当する規模だ。

トレース・アール・エム・ラボの初期分析では、テザー、サークル、リップル、ワールド・リバティ・ファイナンシャルなどが約26億7000万ドル相当のステーブルコインを凍結したほか、アービトラムの安全保障評議会もイーサリアムや独自トークンの一部を凍結したとされる。調査会社エリプティックも、約28億4000万ドル相当の凍結を確認したと報告している。

これらの数字には調査時点や評価方法による差があるため、単純に合算することはできない。バイナンスが発表した約30億ドルという数字は、複数の関係者による対応を含む最新の概算として扱う必要がある。

特に重要なのが、ステーブルコインの凍結だ。米ドルなどの法定通貨に価値を連動させるステーブルコインは、通常の暗号資産と異なり、発行会社が管理する仕組みを持つものがあるため、発行会社が不正なアドレスを特定すれば、対象資産を凍結できる場合がある。

今回の対応では、テザーやサークルなどの発行会社がこの仕組みを利用した。盗難資産が攻撃者のウォレットから別のウォレットへ移動しても、凍結措置が有効であれば、攻撃者はその資産を通常の取引に使用できなくなる。

一方、ビットコインやイーサリアムなど、発行会社が一元的に管理する仕組みを持たない暗号資産では、同じ方法による凍結は基本的にできない。攻撃者が保有する暗号資産を換金しようとした際に、取引所や金融サービス事業者が不正資産として検知し、取引を拒否することが重要となる。

つまり、資産凍結は暗号資産全体に共通する万能の仕組みではない。発行会社による技術的な凍結、取引所による入金拒否、各国の捜査機関による法的措置を組み合わせることで、攻撃者の資金利用を阻止する必要がある。

それでも、凍結されなかった資産が残ることは大きな問題だ。攻撃者は凍結対象となりにくい暗号資産へ交換したり、分散型金融の融資・交換サービスを利用したりすることで、資金の追跡や回収を困難にする可能性がある。

バイナンス側の補償方針

今回の事件で利用者にとって最も重要なのは、盗難によって発生した損失を誰が負担するのかという問題だ。バイナンスは10月31日の公式発表で、今回の盗難による損失は利用者ではなく会社側が負担すると明言し、全額補償を約束した。

補償には、利用者保護を目的として設けられている「セキュア・アセット・ファンド・フォー・ユーザーズ(SAFU)」と会社自身の資金を活用する。バイナンスは、補償に必要な資金として63億4000万ドル超を確保したと説明している。

さらに、5億ドルではなく、50億ドルを超える対応資産をすでに準備したとしている。内訳には、米ドル連動型ステーブルコインのUSDCやUSDT、ビットコイン、イーサリアム、バイナンスの独自トークンなどが含まれる。これによって盗難資産の約80%に相当する補填資産を確保し、残る約20%についても市場取引や相対取引を通じて必要な暗号資産を購入する方針だ。

この対応は、単なる返金措置ではない。取引所が顧客資産の保管・管理を担う以上、内部システムの不備やサイバー攻撃によって顧客資産が失われた場合に、企業自身がどこまで責任を負うのかという問題に対する回答でもある。

ただし、全額補償の発表と、実際に補償が完了したことは区別しなければならない。バイナンスは必要な資産の準備と補填を進めている段階であり、今後は利用者の口座残高と準備資産の対応関係を第三者が検証できるかどうかが重要となる。

同社は、準備資産の透明性を高めるため、準備金証明の更新を進める方針も示した。2026年11月2日までに最初の新たな残高基準時点を設定し、利用者が口座残高を裏付ける資産を確認できるようにするとしている。

このような補償方針は、世界最大級の暗号資産取引所としての信用を維持するための措置でもある。仮に利用者に損失を転嫁すれば、資産流出だけでなく大量の顧客離れや市場全体への不信を招く可能性があるため、バイナンスにとって全額補償は経営上も重要な判断となる。

市場への影響

今回の事件は、暗号資産市場に対して、短期的な価格変動だけでなく、取引所の安全性や資産保管のあり方に関する構造的な問題を突きつけている。約63億ドルという被害規模は、2025年2月に発生したバイビットの約15億ドルの盗難を大幅に上回り、暗号資産市場全体の信頼性を揺るがす規模となった。

市場への影響として最初に考えられるのは、投資家のリスク回避姿勢の強まりだ。大手取引所で巨額の盗難が発生すると、投資家は自分の資産が安全に保管されているのか、取引所が経営危機に陥る可能性はないのかを意識するようになる。

特に、取引所に暗号資産を預けたまま保有する投資家にとって、今回の事件は資産管理方法を見直す契機となる。取引所のウォレットが攻撃を受けたという事実は、利用者自身が秘密鍵を管理しない保管方式のリスクを改めて浮き彫りにした。

一方、バイナンスが全額補償を表明したことは、信用不安の拡大を抑える要因となる。顧客資産の損失を会社側が負担し、必要な補填資産を確保すると発表したことで、直ちに利用者全体が損失を被る事態は回避される見通しとなった。

ただし、補償の約束があるからといって、市場への影響がなくなるわけではない。取引所の内部システムが侵害されたという事実は、バイナンス以外の大手取引所にも同様の脆弱性が存在するのではないかという疑念を生み、業界全体に追加のセキュリティー対策を迫ることになる。

もう1つの問題は、ステーブルコイン市場への影響だ。今回の攻撃では、米ドルに価値を連動させるUSDTやUSDCなども大量に盗まれ、その一部が発行会社によって凍結された。ステーブルコインの発行会社が不正資産を凍結できることは被害拡大の防止に役立つ一方、発行会社が取引の停止や資産の利用制限を実施できるという中央集権的な性質も改めて示した。

また、今回の事件は分散型金融にも影響を与える可能性がある。攻撃者が盗難資産を交換業者や融資サービスに持ち込めば、資金洗浄の疑いがある取引として監視対象となり、関連するサービス全体で審査や取引制限が強化される可能性がある。

長期的には、暗号資産取引所に対する規制強化につながる可能性が高い。顧客資産の分別管理、秘密鍵の保管、取引承認の複数段階化、従業員端末の監視、外部委託先の管理などについて、従来以上に厳格な基準が求められることになる。

今回の事件は、暗号資産市場の成長を妨げるだけの出来事ではない。むしろ、巨大な金融インフラとして暗号資産取引所が成長する過程で、銀行や証券会社と同水準の安全管理と説明責任が必要になっていることを示す事件でもある。

知っておくべきこと

今回のバイナンス事件を理解するうえで重要なのは、暗号資産の盗難が必ずしもブロックチェーンそのものの欠陥によって発生するわけではないという点だ。ブロックチェーンは取引記録の改ざんが難しい仕組みを持つが、その上で資産を管理する取引所のシステムや秘密鍵の管理体制まで自動的に安全になるわけではない。

暗号資産の安全性は、大きく分けてブロックチェーンの技術的安全性、ウォレットの秘密鍵管理、取引承認システム、企業内部の情報セキュリティーという複数の要素で成り立っている。今回の事件は、これらのうち企業側の管理・承認システムが攻撃対象となった可能性を示している。

利用者が理解しておくべきもう1つの点は、取引所に預けた暗号資産と、自分自身で秘密鍵を管理する暗号資産では、所有権の管理方法とリスクが異なることだ。取引所に預けている場合、利用者は通常、取引所の内部台帳上の残高を保有しており、実際のブロックチェーン上の資産移動は取引所側が管理している。

これに対し、自分で秘密鍵を管理するウォレットでは、資産を動かす権限を利用者自身が持つ。取引所のサイバー攻撃による被害を避けられる一方、秘密鍵や復元用の情報を紛失したり、フィッシング詐欺などで盗まれたりすれば、資産を取り戻せなくなる危険がある。

また、暗号資産の送金は銀行振込と異なり、原則として一度ブロックチェーン上で確定すると取り消せない。盗難に気付いてから送金先を特定できても、資産がすでに別のウォレットへ移動していれば、回収には複数の事業者や関係機関の協力が必要になる。

今回、バイナンスが全額補償を表明したことは利用者にとって重要だが、すべての暗号資産取引所が同様の補償能力を持つわけではない。利用者は取引所の規模だけで安全性を判断せず、資産保管の仕組み、補償制度、準備金の透明性、過去の事故対応などを確認する必要がある。

歴史的規模のサイバー攻撃

今回の約63億6000万ドルという被害額は、暗号資産業界の歴史に残る規模となった。過去にも取引所や分散型金融サービスを狙った巨額の盗難事件は発生してきたが、今回の事件は被害額だけでなく、複数のブロックチェーンを横断した攻撃という点でも異例だ。

代表的な過去の事件として、2025年2月のバイビット事件が挙げられる。同事件では約15億ドル相当の暗号資産が盗まれ、米連邦捜査局は北朝鮮のトレーダートレイターが関与したと判断した。今回のバイナンス事件が同じ攻撃集団によるものと確認されれば、北朝鮮系のサイバー犯罪組織が短期間に極めて大規模な金融資産窃取を繰り返したことになる。

さらに、2022年のローニン・ネットワーク事件では約6億2500万ドル相当の暗号資産が盗まれた。米国政府はこの事件についても北朝鮮系ハッカー集団の関与を認定しており、暗号資産を標的とした国家支援型サイバー攻撃の代表例として知られている。

2014年のマウントゴックス事件も、暗号資産取引所の安全性をめぐる歴史的な事件だった。同社では大量のビットコインが失われ、経営破綻に至った。ただし、マウントゴックス事件は長期にわたる不正アクセスや管理上の問題が背景にあり、今回のような短時間の大規模攻撃とは性質が異なる。

これらの事件を比較すると、暗号資産の盗難は単なる技術上の問題ではなく、金融サービスを運営する企業の統治能力や危機管理能力に関わる問題であることが分かる。取引所が巨大化し、取り扱う資産が増えるほど、攻撃者にとって成功時の利益も大きくなり、攻撃の高度化を招く構造がある。

今回の事件で特に深刻なのは、攻撃者が1つのウォレットや1つのブロックチェーンに依存しなかったとみられる点だ。複数のネットワークを同時に攻撃できる能力は、従来の暗号資産窃取よりも広範なシステム侵害を示唆しており、今後の金融機関や暗号資産事業者の防御体制にも影響を与える。

国家サイバー犯罪の疑い

北朝鮮の関与が確認された場合、今回の事件は一般的なサイバー犯罪とは異なる性格を持つことになる。一般の犯罪組織は主として個人的な利益を目的として資産を盗むが、国家支援型のサイバー攻撃では、政府の政策や国家財政、安全保障上の目的が背景に存在する可能性がある。

北朝鮮は長年、核・ミサイル開発を続けてきた一方、国際的な経済制裁によって通常の金融取引や外貨獲得の手段を制限されている。こうした状況で、暗号資産の窃取は国際的な銀行網を経由せずに資金を獲得できる手段となり、北朝鮮のサイバー活動にとって重要な対象になっている。

国連安全保障理事会の北朝鮮制裁に関する専門家パネルは、過去の報告書で北朝鮮関連のサイバー活動による暗号資産窃取が制裁回避や大量破壊兵器開発の資金調達に利用されていると指摘してきた。米国財務省や連邦捜査局も、北朝鮮系の攻撃集団が暗号資産を盗み、複数の国や地域の仲介業者を通じて資金洗浄を行っていると警告している。

このような犯罪は、攻撃を実行する人物と資金を利用する主体が異なる場合があるため、犯人を特定するだけでは問題は解決しない。攻撃者が盗んだ資産を換金するための仲介ネットワーク、偽装企業、海外の取引所、資金洗浄に利用されるサービスなどを解明する必要がある。

また、国家支援型のサイバー攻撃は、一般的な犯罪捜査だけでは対応が難しい。攻撃者が国外に所在し、国家の保護を受けている場合、身柄の確保や証拠の収集が困難になるためだ。被害国は国際協力や経済制裁、関連企業への規制などを組み合わせて対応することになる。

ただし、今回の事件について北朝鮮政府の直接的な指揮や資金利用を断定するには、さらなる証拠が必要だ。攻撃集団の技術的な特徴が一致しても、それだけで政府の意思決定や国家機関の具体的な関与まで証明できるわけではない。

ユーザー資産への影響

今回の事件で利用者が最も懸念するのは、自分の口座に保有している暗号資産が失われるのではないかという問題だ。バイナンスは全額補償を表明しているため、会社側の発表が実行されれば、今回の盗難による直接的な損失が利用者に転嫁される事態は避けられる。

ただし、利用者は補償方針だけで安心するのではなく、口座残高や入出金状況、利用している認証手段などを確認する必要がある。特に、攻撃者が取引所内部の情報システムに侵入した可能性がある以上、利用者側のアカウント情報や個人情報に影響が及んでいないかについても、今後の調査結果を確認する必要がある。

利用者が実施できる基本的な対策は、二段階認証の有効化、認証用端末の安全管理、フィッシングメールや偽サイトへの警戒、出金先アドレスの確認などだ。特に、取引所やサポート担当者を装った連絡には注意が必要であり、パスワードや認証コード、秘密鍵を第三者に伝えてはならない。

また、長期間使用しない資産については、取引所に全額を預けたままにするのではなく、自分で秘密鍵を管理するウォレットに分散して保管する方法もある。ただし、自己管理には秘密鍵の紛失や盗難という別のリスクがあるため、利用者自身が管理能力に応じた保管方法を選択する必要がある。

さらに、今回の事件では資産の凍結によって一部の盗難資産が利用できなくなったが、すべての暗号資産が同じように凍結できるわけではない。利用者は、暗号資産の種類によって管理・回収の仕組みが異なることを理解し、取引所の補償制度や資産保全方針を事前に確認することが重要だ。

今回の事件は、暗号資産の保有そのものが危険だということを意味するわけではない。しかし、暗号資産を安全に保有するには、価格変動だけでなく、保管先の信用力、システムの安全性、運営企業の財務基盤、国家レベルのサイバー攻撃への対応能力まで考慮する必要がある。

今後の展望

2026年10月31日時点で、バイナンスの巨額盗難事件は、被害の拡大を防ぐ緊急対応から、盗難資産の回収、攻撃主体の特定、再発防止策の確立という段階に移りつつある。今後の焦点は、攻撃者が保有する資産をどこまで回収できるのか、北朝鮮の関与を米国政府が正式に認定するのか、そしてバイナンスが利用者の信頼を回復できるのかという3点に集約される。

第一の焦点は、盗難資産の回収だ。バイナンスは10月30日の第2回公式発表で、関係機関や暗号資産関連企業との協力によって約30億ドル相当の資産を凍結したと説明しているが、これは盗難総額約63億ドルの半分程度にとどまる。

トレース・アール・エム・ラボの分析では、約26億7000万ドル相当のステーブルコインなどが凍結され、攻撃者側には約24億ドル相当の資産が残っていると推定されている。一方、エリプティックの分析では、凍結を確認した資産は約28億4000万ドルに達しており、調査時点や資産評価方法によって数字に差がある。

今後、回収の難易度を左右するのは、攻撃者が保有する資産の種類と移動状況だ。発行会社が凍結できるステーブルコインは回収の可能性が比較的高いが、ビットコインなど発行会社による凍結機能を持たない暗号資産は、資金の追跡と換金先の特定が必要になる。

攻撃者が盗難資産を複数のウォレットに分散させ、異なる暗号資産に交換し、国境を越えた取引サービスを利用すれば、追跡はさらに難しくなる。過去の北朝鮮系サイバー攻撃でも、盗難資産の換金には長期間を要しており、今回も短期間で全額を取り戻せるとは限らない。

第二の焦点は、北朝鮮の関与をめぐる米国政府の判断だ。トレース・アール・エム・ラボとチェイナリシスは、今回の攻撃について北朝鮮系のトレーダートレイターによる犯行の可能性が高いと評価しているが、バイナンス自身は攻撃主体を確定しておらず、トランプ大統領も調査中との立場を示している。

米連邦捜査局などの捜査によって国家支援型攻撃であることが確認されれば、米国による追加制裁や関連ウォレットの監視、資金洗浄に関与した仲介業者への取り締まりが進む可能性がある。さらに、日本、韓国、欧州諸国などとの情報共有が強化され、北朝鮮のサイバー犯罪ネットワークに対する国際的な包囲網が形成されることも考えられる。

第三の焦点は、バイナンスの経営と信頼性だ。同社は約63億4000万ドルを確保したと発表し、利用者に損失を負担させない方針を示しているが、資産を準備したことと、実際の補償が完了したことは別問題である。

同社は、盗難されたものと同じ種類の暗号資産を約50億ドル相当確保し、残る分についても市場や相対取引を通じて購入する方針だ。さらに、2026年11月2日までに準備金証明の新たな基準時点を設定し、利用者の残高を裏付ける資産の透明性を高める計画を示している。

この計画が実行され、第三者による検証を通じて資産の裏付けが確認されれば、信用回復に向けた重要な一歩となる。一方、補償資産の不足や出金停止の長期化、追加の侵入経路の判明などがあれば、顧客離れや規制強化につながる可能性がある。

暗号資産業界の構造改革は進むのか

今回の事件は、暗号資産取引所の安全対策を根本から見直す契機になる可能性がある。これまで多くの取引所は、秘密鍵の保管方法や外部からの不正アクセス対策を重視してきたが、今回の攻撃は、それだけでは十分ではないことを示した。

特に重要なのが、取引を承認するシステムの独立性だ。ウォレットを管理する担当者、取引を承認する担当者、システムを保守する担当者の権限が過度に集中していれば、1つの端末や認証情報が侵害された際に、巨額の資産が一度に流出する危険がある。

今後は、複数の独立した担当者による承認、取引金額に応じた追加審査、通常と異なる送金パターンの自動検知、異常時の即時停止などが重要になる。特に、複数のブロックチェーンにまたがる大規模な送金を同時に検知し、通常の取引と区別できる監視体制が必要だ。

また、従業員が使用する端末の管理も重要な課題となる。今回の事件では、当初、開発運用担当者のノートパソコンが侵害された可能性が示され、その後の調査で追加の侵入経路も判明したとバイナンスが説明している。企業の情報システムにアクセスできる端末が侵害されれば、直接ウォレットの秘密鍵を盗まなくても資産移動を不正に実行できる可能性がある。

したがって、取引所はウォレットの保管環境だけでなく、従業員端末、開発環境、外部委託先、認証システムを含む全体的な安全管理を強化しなければならない。今後は、金融機関と同様に、サイバー攻撃を前提とした危機管理体制が経営上の必須条件になると考えられる。

さらに、規制当局による監督も強化される可能性がある。顧客資産の分別管理、準備金の証明、サイバー攻撃発生時の報告義務、経営者の責任、補償能力などについて、国際的な基準を統一する必要性が高まっている。

暗号資産市場が国際金融システムの一部として成長するのであれば、取引所の安全性を企業の自主的な判断だけに委ねることは難しい。今回の事件は、技術革新と金融規制の間に存在する課題を改めて浮き彫りにした。

まとめ

2026年10月29日に発生したバイナンスの巨額盗難事件は、約63億6000万ドル相当の暗号資産が10のブロックチェーンから流出した、暗号資産業界で過去最大級のサイバー攻撃である。攻撃の大部分は約20分という短時間に実行され、複数のウォレットと取引承認システムが侵害された可能性が指摘されている。

事件の背景として注目されているのが、北朝鮮系ハッカー集団トレーダートレイターの関与だ。米国の専門調査会社は高い確度で同集団による犯行と評価しているが、米国政府による正式な認定はまだ行われておらず、トランプ大統領も調査中との立場を示している。

被害への対応では、バイナンスが利用者の損失を全額補償する方針を表明し、約63億4000万ドルの資産を確保したと発表した。また、関係企業や捜査機関との協力によって約30億ドル相当の資産を凍結したとしている。しかし、凍結できない暗号資産も残っており、全額回収の見通しは立っていない。

今回の事件が突きつけた問題は、暗号資産の技術的な安全性だけではない。巨大な資産を管理する企業の内部統制、従業員端末の管理、取引承認の仕組み、国際的な犯罪捜査、国家によるサイバー攻撃への対応など、金融インフラ全体に関わる問題である。

特に北朝鮮の関与が正式に確認されれば、暗号資産の窃取が国家の外貨獲得や制裁回避に利用されているという問題が、再び国際社会の重要課題となる。暗号資産市場は、単なる投資・投機の場ではなく、国家安全保障や国際金融秩序とも深く結びつく段階に入っている。

今回の事件は、暗号資産が抱えるリスクを示す一方で、業界が成熟するために何を改善すべきかを明らかにした事件でもある。バイナンスが補償を完了できるか、盗難資産をどこまで回収できるか、そして攻撃主体を特定して責任を追及できるかが、今後の暗号資産市場の信頼性を左右することになる。

最終的に問われるのは、暗号資産の技術がどれほど高度であっても、それを管理する企業と国際社会が安全性を確保できるのかという点だ。今回の事件は、暗号資産産業が世界的な金融インフラとして存続・発展するためには、技術革新と同時に、厳格な管理体制、透明性、国際協力を確立しなければならないことを示している。


参考・引用リスト

バイナンス公式発表

1. バイナンス「セキュリティー事故に関する公式発表」(2026年10月30日)

2. バイナンス「セキュリティー事故に関する第2回公式発表」(2026年10月30日)

専門調査会社

3. トレース・アール・エム・ラボ「北朝鮮が63億6000万ドル相当をバイナンスから盗難、史上最大規模の攻撃」(2026年10月29日)

4. エリプティック「史上最大規模の盗難、北朝鮮がバイナンス攻撃に関与か」(2026年10月30日)

国際報道機関

5. ロイター「ブロックチェーン分析会社、バイナンス盗難に北朝鮮が関与と分析」(2026年10月30日)

6. 聯合ニュース「北朝鮮ハッカー、バイナンスから63億6000万ドルを盗難か」(2026年10月31日)

7. AP通信「バイナンスの63億ドル規模のハッキング事件で知っておくべきこと」(2026年10月30日)

8. アナドル通信「トランプ大統領、バイナンス攻撃の背後に誰がいるか調査中と発言」(2026年10月30日)

9. ビットワイズ「63億ドル規模のバイナンス事件と今後の展望」(2026年10月30日)


追記:北朝鮮の資金洗浄戦略

攻撃の全容に関する新たな分析

米国の調査会社トレース・アール・エム・ラボが10月29~30日に公表した詳細分析によると、今回の攻撃は単一の不正送金ではなく、少なくとも36時間前から準備された組織的な作戦だった。

攻撃者は10月28日から、資金洗浄に利用されるサービスを経由して少額の暗号資産を攻撃用ウォレットに移し、翌29日には攻撃プログラムを複数のウォレットで試験していた。最終的な攻撃コードを実際のバイナンスのホットウォレットに適用するまで、事前検証を繰り返していたと分析されている。

盗難の中心となったのは、10月29日20時05分(協定世界時)ごろからの約20分間だ。イーサリアム、ビットコイン、トロン、ソラナ、エックスアールピー・レジャーなど、10のブロックチェーンにまたがって資産が移動した。

その後、23時05分ごろにはアバランチやポリゴンでも追加の資産移動が確認された。つまり、最初の約20分間の攻撃だけで事件の全体が完了したわけではなく、複数段階に分かれた資産流出が発生していた。

この点は、今回の攻撃が高度な計画性を持っていたことを示している。攻撃者は各ネットワークの取引方式やウォレット管理の違いを把握し、短時間で複数の資産を移動させるための準備を進めていたと考えられる。

イーサリアムの新技術が攻撃に悪用された可能性

今回の攻撃で特に注目されているのが、イーサリアムの「EIP-7702」という技術の悪用だ。これは2025年5月の大型更新で導入された機能で、通常の暗号資産ウォレットにスマートコントラクトの処理を一時的に委任できるようにする仕組みである。

本来、この機能はウォレットの利便性を高めるために設計されたものだ。複数の操作をまとめたり、外部のプログラムを利用して取引を効率化したりできるため、暗号資産の利用環境を改善する技術として期待されていた。

しかし、今回の攻撃では、この委任機能が不正に利用された疑いがある。トレース・アール・エム・ラボによると、攻撃者はバイナンスのイーサリアム・ホットウォレットに対して、50件の事前署名済み認証情報を準備していた。

攻撃者はこれらの認証情報を利用し、バイナンスのウォレットに、自らが制御するスマートコントラクトの処理を実行させたと分析されている。その結果、ウォレット内の資産を攻撃者側へ移動させるプログラムが動作し、最初の送金では約16万7464イーサリアムと複数のトークンが流出した。

さらに深刻なのは、最初の送金だけで攻撃が終わらなかったことだ。委任された処理が有効な状態に残ったため、その後もウォレットに新たな資産が入るたびに、攻撃者側が繰り返し資金を回収できる状態になっていたとされる。

この手法は、単純な秘密鍵の窃取とは異なる。ウォレットそのものの管理権限を直接奪うのではなく、正規の認証手続きによって不正なプログラムを実行させることで、資産を移動させる仕組みを成立させた可能性がある。

ただし、EIP-7702そのものに欠陥があったと断定するのは適切ではない。今回の問題は、技術の設計上の弱点というよりも、署名を発行する側の管理システムや承認プロセスが侵害された可能性にある。

盗難資産はどのように移動したのか

今回の事件では、盗難された暗号資産が攻撃者のウォレットに集められた後、資産の追跡を困難にするための移動が始まった。トレース・アール・エム・ラボは、攻撃者が複数の取引サービスや分散型金融を利用し、資産の種類や保管先を変更していたと報告している。

特に注目されるのが、ステーブルコインからイーサリアムへの交換だ。ステーブルコインは発行会社によって凍結される可能性があるため、攻撃者は資産が凍結される前に、発行会社が直接利用を停止できない暗号資産へ転換しようとしたとみられる。

具体的には、約3億2500万ドル相当のUSDTが、分散型交換サービスなどを通じて約12万2300イーサリアムに交換されたと分析されている。この取引では通常の市場価格より10%以上低い条件で売却した可能性があり、攻撃者が資産の価値を犠牲にしてでも凍結を回避しようとしたことがうかがえる。

また、別のウォレットでは約6000万ドル相当のUSDTを融資サービスに預け入れ、それを担保として約1万9760イーサリアムを借り入れたとされる。盗難資産を担保として利用することで、資産の形態を変え、資金の流れを複雑にする狙いがあったと考えられる。

ビットコインについても、約1万8270枚が攻撃者側のウォレットに移動した後、約1000枚や100枚単位に分割されている。こうした手法は、資金を複数のアドレスへ分散させることで、追跡や一括凍結を難しくする目的がある。

ただし、ブロックチェーンの取引記録は公開されているため、資産を分割しただけで追跡不能になるわけではない。調査会社は取引のつながりを分析し、攻撃者が管理する可能性の高いウォレットを継続的に監視している。

今回の資金洗浄で重要なのは、攻撃者が従来型の資金洗浄だけに依存していないことだ。分散型交換サービス、融資サービス、市場仲介業者などを組み合わせることで、暗号資産の種類、取引経路、保有主体を次々に変化させる複雑な手法が用いられている。

約27億ドルの凍結、その内訳と限界

今回の事件では、暗号資産の発行会社やネットワーク運営組織による迅速な対応が、被害拡大を防ぐうえで大きな役割を果たした。トレース・アール・エム・ラボの10月30日時点の集計では、凍結された資産は合計約27億ドルに達している。

主な対応主体は、テザー、サークル、リップル、ワールド・リバティ・ファイナンシャル、アービトラムの安全保障評議会などだ。これらの組織は、それぞれが管理・制御できる資産やネットワーク上で、攻撃者のウォレットに対する凍結措置を実施した。

対応主体

主な凍結対象

テザー

約17億7000万ドル相当

サークル

約8億2500万ドル相当

リップル

約4050万ドル相当

ワールド・リバティ・ファイナンシャル

約2780万ドル相当

アービトラム

約3000万ドル相当

これらは調査会社が確認した資産の概算であり、各社の発表額や集計時点によって差がある。特に、凍結対象となった資産の一部は、攻撃者が最初に盗んだウォレットとは異なるアドレスに移動した後で凍結されている。

テザーはUSDT、サークルはUSDCというステーブルコインを発行している。発行会社は特定のウォレットを凍結する技術的権限を持つため、資産が別のアドレスへ移動しても、発行会社の管理対象であれば利用を制限できる場合がある。

一方、ビットコインやイーサリアムのような資産は、ステーブルコインと同じ方法で発行会社が一方的に凍結できるわけではない。このため、攻撃者が保有する約420000イーサリアムと約18270ビットコインなど、約24億ドル相当の資産については、追跡と換金阻止が中心的な課題となる。

今回の対応は、暗号資産の世界において、技術的な分散性と企業による管理権限が併存していることを示した。利用者が自由に送金できる仕組みである一方、ステーブルコインなどでは発行会社が資産の利用を制限できるという二面性がある。

米連邦捜査局と米国政府の対応

今回の事件では、米連邦捜査局(FBI)だけでなく、米国シークレットサービスもバイナンス側と連携していることが報じられた。ロイター通信によると、両機関は国際的な法執行機関や暗号資産関連企業と協力し、盗難資産の追跡と事件の全容解明を進めている。

FBIは10月30日、事件を把握しており、関係する官民組織と連携して攻撃の範囲、影響、適切な捜査手段を検討していると説明した。ただし、FBIはこの時点で北朝鮮を犯行主体として公式認定していない。

一方、トランプ大統領は10月30日、ホワイトハウスで記者団から北朝鮮の関与について質問され、「分からない。調査している」と回答した。また、盗難資産の回収については、バイナンス側が回収できると説明していることに触れながら、事態を見守る姿勢を示した。

この発言は、米政府が北朝鮮の関与を否定しているという意味ではない。民間の専門調査会社が高い確度で北朝鮮系攻撃集団の関与を評価している一方、政府としては捜査と証拠の確認を進めている段階だということを示している。

今後、北朝鮮の関与が正式に認定されれば、米国による追加制裁、資金洗浄に関わる海外企業や仲介業者への措置、関連ウォレットの監視強化などが検討される可能性がある。特に、盗難資産が第三国の金融機関や暗号資産交換業者を経由して換金される場合、国際的な捜査協力が重要になる。

日本にとっても他人事ではない

今回の事件は米国の大手取引所で発生したものだが、日本の暗号資産市場にとっても重要な警告となる。日本は過去に北朝鮮系の攻撃集団による暗号資産窃取の被害を受けており、同様の攻撃が国内事業者に向けられる可能性は否定できない。

警察庁は2024年12月、米国のFBIなどと共同で、日本の暗号資産交換業者DMMビットコインから約482億円相当のビットコインが窃取された事件について、北朝鮮を背景とするトレーダートレイターの関与を特定したと発表した。

この事件では、攻撃者が採用担当者を装って企業従業員に接触し、採用試験を装った悪意あるプログラムを実行させた。その後、侵害した従業員の認証情報などを利用して、暗号資産の送金指示を改ざんしたと警察庁は説明している。

この手口は、企業の従業員を標的とする社会工学的な攻撃と、内部システムへの侵入を組み合わせたものだ。今回のバイナンス事件でも、従業員端末の侵害が初期調査で疑われており、企業内部への侵入を足掛かりに巨額の資産を盗むという点で共通する問題がある。

日本の暗号資産交換業者にとっては、ウォレットの秘密鍵を安全に保管するだけでは不十分だ。従業員の採用・認証管理、開発環境の監視、外部委託先の安全性、取引承認システムの分離など、企業全体を対象とした対策が必要になる。

日本の警察庁、金融庁、内閣サイバーセキュリティセンターなどには、海外の捜査機関や民間調査会社との情報共有をさらに強化することが求められる。暗号資産の窃取は国境を越えて実行されるため、国内の事業者だけで防御することには限界がある。

今回の事件から導かれる重要な教訓

今回の事件から得られる教訓は、大きく3つある。

第一に、暗号資産の安全性はブロックチェーンの技術だけでは決まらないということだ。ブロックチェーンが正常に動作していても、取引所の署名システムや従業員の認証情報が侵害されれば、正規の取引として資産が流出する可能性がある。

第二に、国家支援型のサイバー犯罪は、従来の金融犯罪とは異なる対応を必要とするということだ。攻撃者の身元を特定しても、国家の保護を受けている場合には逮捕や資産回収が困難となる。金融機関、暗号資産企業、捜査機関、政府が連携し、攻撃者の資金調達経路そのものを断つ必要がある。

第三に、利用者保護には取引所の財務力と透明性が欠かせないということだ。バイナンスは全額補償を約束し、63億4000万ドルを超える会社資金を確保したと発表しているが、今後はその資産が実際に利用者の残高を裏付けていることを第三者が検証できるかが重要となる。

今回の事件は、暗号資産産業が世界的な金融インフラとして成長する一方で、その管理体制が国家レベルのサイバー攻撃に耐えられるかという根本的な問題を突きつけている。

最後に

今回、新たに確認された技術的情報から、事件の構造は当初考えられていた以上に複雑だったことが分かる。攻撃者は少なくとも36時間前から準備を進め、イーサリアムの新しいウォレット機能を悪用するとともに、複数のブロックチェーンで取引署名を不正に利用した可能性が高い。

また、盗難後の資金移動では、ステーブルコインをイーサリアムなどに交換し、融資サービスや市場仲介業者を利用する動きが確認された。これは、資産を盗む段階と、盗んだ資産を実際に利用可能な資金へ変える段階が、別々の高度な作戦として実行されていることを示している。

北朝鮮の関与については、トレース・アール・エム・ラボに加え、チェイナリシスの幹部も同国の攻撃集団による犯行の可能性を指摘している。しかし、米国政府による正式な帰属認定はまだなく、FBIも調査を進めている段階だ。

したがって、現時点で最も正確な評価は、北朝鮮系ハッカー集団の関与が強く疑われる、暗号資産史上最大級の組織的サイバー攻撃であり、国家の直接的な関与については捜査上の確認が残されているというものだ。

今後は、盗難資産約24億ドル相当の行方、バイナンスによる全額補償の実行、FBIなどによる捜査結果、そして攻撃の根本原因を明らかにする技術報告書が重要になる。これらが明らかになれば、今回の事件は暗号資産業界のセキュリティー基準を大きく変える転換点となる可能性がある。


参考・引用リスト(追記)

専門調査会社

1. トレース・アール・エム・ラボ(2026年10月29日)
「北朝鮮がバイナンスから63億6000万ドルを盗難、史上最大規模の攻撃」

2. エリプティック(2026年10月30日)
「バイナンス事件における盗難資産の追跡と北朝鮮の関与」

バイナンス公式資料

3. バイナンス(2026年10月30日)
「セキュリティー事故に関する第2回公式発表」

米国政府・国際報道

4. 米連邦捜査局の対応に関する報道(2026年10月30日)

5. ロイター通信(2026年10月30日)
「FBIと米国シークレットサービスがバイナンスの事件に対応」

6. アナドル通信(2026年10月30日)
「トランプ大統領、バイナンス攻撃の背後関係を調査中と発言」

7. AP通信(2026年10月30日)
「バイナンスの63億ドル規模のハッキング事件で知っておくべきこと」

日本の公的機関

8. 警察庁(2024年12月24日)
「北朝鮮を背景とするサイバー攻撃グループTraderTraitorによる暗号資産関連事業者を標的としたサイバー攻撃について」

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