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世界分断した9.11、今も米社会に影、同時テロ25年、記憶の継承と「追悼と奉仕の日」

9.11は2001年9月11日に米国を襲ったテロ攻撃であると同時に、その後25年間にわたって米国社会を変化させ続けた歴史的事件である。
2001年9月11日/米ニューヨーク市、ワールドトレードセンターに旅客機が突っ込んだ直後の様子(ロイター通信)
現状(2026年9月時点)

2026年9月11日、米国は2001年の米同時多発テロから25年という大きな節目を迎える。2001年9月11日、国際テロ組織アルカイダのメンバーによってハイジャックされた旅客機4機がニューヨークの世界貿易センター、ワシントン近郊の国防総省、ペンシルベニア州に墜落し、約3,000人が死亡した事件は、米国だけでなく国際政治、軍事、安全保障、移民政策、社会意識を根本から変えた。

25年後の現在、9.11は単なる過去のテロ事件ではなく、米国社会の制度と記憶、さらには政治的対立を理解するための重要な分岐点になっている。2026年のロイター/イプソス調査では、米国民が最大の安全保障上の脅威として意識する対象は、かつての外国テロから国内過激主義へと大きく移り、33%が国内テロを、20%が外国テロを最大の脅威として挙げた。9.11直後に形成された「国外からのテロリストから米国を守る」という安全保障観は、現在では「米国内部の政治的・社会的過激化をどう抑えるか」という問題へ重心を移している。

しかし、9.11の影響が薄れたわけではない。むしろ25年という時間の経過によって、事件直後には見えなかった社会的・健康的・政治的な後遺症が明確になり、「9.11後の米国」を検証する段階に入ったと考えるべきである。

特に象徴的なのが、9.11を直接経験した世代と、その後に生まれた世代との記憶の差である。事件当時を知らない世代が社会の中心へ進出する一方、犠牲者の家族、消防士、警察官、救助・復旧作業員、周辺住民などにとって9.11は依然として現在進行形の出来事であり、25年という年月そのものが記憶の風化と継承という新しい問題を生み出している。

社会の分断と「テロとの戦い」がもたらした傷跡

9.11直後の米国社会には、強烈な国家的連帯が生まれた。ニューヨークでは消防士や警察官、救助隊員が英雄として称賛され、米国全体でも国旗が掲げられ、「一つの国」としてテロに立ち向かうという意識が広がった。しかし、その結束は長期的には大きな代償を伴うものとなった。

米政府は9.11を契機に安全保障体制を急速に再編し、国土安全保障省の創設、空港保安の強化、情報機関による監視、移民・入国管理の強化などを進めた。さらにアフガニスタン戦争、イラク戦争へと軍事行動が拡大し、「テロとの戦い」は20年以上にわたって米国の外交・軍事政策を規定する巨大な枠組みとなった。AP通信が25年後の米社会を分析した報道でも、9.11後の政策が国家安全保障だけでなく、移民制度や警備体制、宗教・人種をめぐる社会関係まで大きく変えたことが指摘されている。

問題は、「安全を守る」という目的そのものではなく、そのためにどこまで自由やプライバシーを制限できるのかという境界線であった。テロ防止を理由に政府の監視権限が拡大すると、犯罪を実際に起こしていない市民まで潜在的な脅威として扱われる可能性が生じるからである。

この問題は2026年になっても終わっていない。ロイター/イプソス調査では、米国民の65%が令状なしの国内監視に反対しており、空港などでの強化された安全対策を支持する世論とは対照的な結果となった。これは、9.11後の米国社会が「安全保障を強化すること」と「政府権限を無制限に拡大させないこと」の間で、現在もバランスを模索していることを示している。

さらに重要なのは、9.11後の「テロとの戦い」が、米国社会内部の分断を単純な安全保障問題から政治的・文化的問題へ変化させた点である。テロへの警戒は、イスラム教徒や中東・南アジア系住民への疑念と結びつき、移民、宗教、国籍、人種、愛国心をめぐる議論を複雑化させた。

こうして9.11は、米国人を一時的に結束させた事件であると同時に、その後の25年間にわたって「誰が米国社会の一員なのか」「安全のためなら自由をどこまで制限できるのか」「国家への忠誠とは何か」という問いを突きつけ続ける事件となった。

2026年の米国では、9.11直後のような単純な「外部の敵」と「米国」という構図は成立しにくくなっている。むしろ国内政治の激しい対立、過激主義、移民問題、宗教的偏見、政府への不信などが複雑に絡み合い、9.11後に構築された安全保障意識そのものが、新しい分断の土台の一つになっている。

この意味で9.11の25周年は、過去を追悼するだけの節目ではない。それは、テロへの恐怖から生まれた政策や社会意識が25年後の米国に何を残したのかを検証し、「安全」と「自由」、「記憶」と「分断」の関係を問い直す機会なのである。

監視社会化と人権の制限

9.11後の米国で最も大きく変化した領域の一つが、国家による情報収集と監視のあり方である。2001年10月に成立した愛国者法は、テロ捜査を強化する目的で政府機関の情報収集権限を拡大し、通信記録や金融情報などへのアクセス、外国人に対する監視・捜査の強化を可能にした。

その背景には、従来の犯罪捜査だけでは国際テロ組織による攻撃を防げないという認識があった。9.11では複数の情報機関が断片的な情報を保有していたにもかかわらず、それらを十分に共有・分析できなかったことが問題となり、「情報を集めること」そのものが安全保障政策の中心的価値となった。

しかし、情報収集能力が強化されれば、それだけ市民のプライバシーとの衝突も大きくなる。米国では国家安全保障を理由とした通信監視の拡大に対して、自由権や適正手続き、政府権力への司法的統制をどう確保するかという議論が続いた。

2013年、元米国家安全保障局職員エドワード・スノーデンによる大量監視活動の暴露は、この問題を世界的な議論へ押し上げた。米国政府が通信データなどを広範囲に収集していた事実が明らかになり、「テロを防ぐための監視」と「民主社会におけるプライバシー」の境界が改めて問われることになった。

その後、米議会は監視制度の一部を修正し、外国情報監視法や関連制度についても繰り返し見直しを行った。それでも2026年現在、監視をめぐる問題は解決していない。

むしろ人工知能、顔認識技術、位置情報、通信データ、巨大なデジタルプラットフォームなどの発達によって、政府や企業が収集可能な情報量は9.11当時とは比較にならないほど増加している。9.11後に生まれた「安全のために情報を集める」という発想は、現在ではデジタル社会の統治そのものをめぐる問題へと姿を変えている。

重要なのは、9.11後の監視強化を単純に「自由の侵害」と断定することでも、「テロ対策だから当然」と正当化することでもない。テロという重大な脅威に対処する国家の責任と、市民の基本的人権を保障する民主主義の原則を、どのような制度的均衡の中で両立させるかが本質的な問題である。

25年という時間を経た現在、米国社会が直面しているのは、監視を強化するか否かという二択ではない。むしろ、どのような情報を、誰が、どのような根拠で収集し、誰がその権限を監督するのかという透明性と説明責任の問題になっている。

イスラム系住民への敵意とヘイトクライム

9.11が米国社会に残した最も深い傷の一つは、イスラム教徒や中東・南アジア系住民がテロと結び付けられる現象である。アルカイダというイスラム過激派組織が犯行主体だったことから、一部の社会では「イスラム」と「テロリズム」が誤って同一視され、事件直後からイスラム系住民に対する暴力や嫌がらせが増加した。

ここで区別しなければならないのは、イスラム過激主義とイスラム教そのものは同一ではないという点である。米国内には長年にわたって生活してきたイスラム教徒が存在し、彼らの大多数は9.11とは無関係な市民であり、むしろ多くのイスラム系米国人自身がテロを強く非難した。

それにもかかわらず、9.11後には宗教施設への攻撃、モスク建設をめぐる反対運動、職場や学校での差別、空港などでの過剰な警戒といった問題が表面化した。米連邦捜査局のヘイトクライム統計でも、イスラム教徒を標的とした事件は9.11後に大幅に増加し、その後も一定の水準で発生し続けている。

この問題は、単なる偏見だけでは説明できない。移民政策、国家安全保障、警察活動、空港保安、メディア報道、政治家の発言などが相互に影響し、「イスラム系であること」そのものが安全保障上の疑念と結び付けられる環境を生み出したからである。

一方、25年間の変化も無視できない。米国社会ではイスラム教徒を米国社会の一員として捉える認識が徐々に広がり、イスラム系政治家、企業経営者、研究者、軍人、ジャーナリストなども社会のさまざまな分野で存在感を高めてきた。

したがって、現在の米国を「9.11後もイスラム系住民が一貫して排除されている社会」と捉えるのは正確ではない。露骨な差別に対する社会的批判は強まり、宗教的多様性を尊重する価値観も一定程度定着した一方、偏見そのものが消滅したわけではなく、政治的対立が激しくなる局面では再び表面化するという二重構造が存在する。

特に移民や国境管理をめぐる政治論争では、中東・南アジア系住民がテロや治安問題と結び付けられることがあり、9.11以前には必ずしも存在しなかった「安全保障と民族・宗教を結び付ける視線」が残っている。

政治的・文化的な亀裂

9.11直後の米国では、政党間の対立を超えて国家としてテロに対抗するという意識が強かった。ジョージ・W・ブッシュ政権の対テロ政策は高い支持を受け、アフガニスタンへの軍事介入についても、攻撃を受けた直後の米国社会では広範な支持が存在した。

しかし、その後のイラク戦争は社会の亀裂を拡大する大きな転換点となった。大量破壊兵器の存在をめぐる政府説明が問題となり、戦争の長期化と人的・財政的負担が明らかになるにつれ、「テロとの戦い」の正当性そのものを疑問視する人々が増加した。

ここから米国社会では、安全保障政策を支持する保守層と、政府権限や軍事介入を批判するリベラル層との対立が強まっていった。9.11そのものへの評価が二極化したわけではないが、「9.11から何を学び、国家はどう行動すべきだったのか」という解釈をめぐる政治的対立が広がったのである。

さらに2008年の金融危機、オバマ政権の誕生、移民問題、銃規制、白人とマイノリティーの関係、そして2016年以降のドナルド・トランプ現象などが加わり、9.11後の安全保障問題はより大きな文化戦争の一部へ組み込まれていった。

トランプ政治の時代には、イスラム圏からの入国制限をめぐる政策が大きな論争となった。支持者はテロ防止と国境管理の強化として評価した一方、批判者は宗教を基準とした排除につながるとして強く反発した。

この対立は、9.11から25年が経過しても「安全を守るために国家がどこまで介入してよいのか」という根本問題が米国社会で決着していないことを示している。つまり9.11は、単に一つのテロ事件として政治史に記録されたのではなく、自由、移民、宗教、国境、愛国心、人権という複数の価値観をめぐる対立軸を形成する契機となった。

さらに現在では、脅威の認識そのものが変化している。2026年のロイター/イプソス調査では、米国民の間で国内過激主義への警戒が外国テロへの警戒を上回っていることが示されており、9.11後に形成された「外から来るテロ」という安全保障認識が、「社会内部から発生する暴力的過激主義」へ移行しつつあることが分かる。

この変化は重要である。9.11から25年を経た米国では、テロ対策の対象が外国人や国際テロ組織だけではなく、国内で過激化する個人や集団へ広がっているからである。

しかし、ここにも新たな危険が存在する。政府が「過激主義」という曖昧な概念を広げすぎれば、暴力を実際に企図していない政治的・宗教的活動まで監視対象となる可能性があるためである。

したがって、9.11から25年後の米国における最大の課題は、テロの脅威が消えたかどうかだけではない。むしろ、脅威の姿が変化するたびに国家権力の範囲を拡大させるのか、それとも民主主義と人権を維持しながら必要な安全保障を実現するのかという、より根本的な選択にある。

9.11は米国を一度は結束させた。しかし、その後の25年間は、テロとの戦いを通じて拡大した政府権限、イスラム系住民への偏見、海外戦争への評価、移民政策、愛国心の定義などをめぐって、社会の内部に新しい境界線を形成した。

この意味で「世界を分断した9.11」という表現は、国際社会だけを指すものではない。9.11は米国自身の内部にも、安全と自由、寛容と排除、国際介入と内向き志向という複数の対立軸を残し、それらは25年後の現在も形を変えながら続いているのである。

変貌を遂げるニューヨーク:表層の和らぎと潜在する構造問題

9.11から25年を経たニューヨークは、2001年当時とは大きく異なる都市へ変貌した。世界貿易センター跡地には9.11メモリアルと博物館が整備され、周辺ではオフィス、住宅、商業施設、交通インフラが再建され、ロウアー・マンハッタンは再びニューヨークの重要な経済・文化地区となった。

しかし、都市の再生と社会の完全な回復は同じ意味ではない。建築物が再建され、人々が戻り、観光客が増加したとしても、9.11によって生じた心理的な傷、宗教や民族をめぐる偏見、格差、安全保障上の緊張まで自動的に消滅するわけではない。

ニューヨークはもともと世界でも有数の多民族・多文化都市であり、9.11後もイスラム系住民を含むさまざまな背景を持つ人々が生活してきた。むしろ25年間の人口・文化構成の変化を見ると、9.11後のニューヨークは「多様性を抑え込む都市」ではなく、「多様性を抱えながら安全保障と共存する都市」へと変化したと評価できる。

その象徴の一つが、イスラム系住民の社会的・政治的存在感の上昇である。ピュー研究所 (Pew Research Center)によると、2001年当時、米国議会にイスラム教徒の議員は存在しなかったが、2026年には複数のイスラム系議員が存在し、ニューヨーク市ではイスラム教徒であるゾーラン・マムダニが市長に就任した。これは、9.11の記憶が残る都市で、イスラム系住民が政治的代表性を獲得するまでになったことを示す象徴的な変化である。

この変化は、「9.11によってニューヨーク社会がイスラム系住民を恒久的に排除した」という単純な理解を否定する材料になる。一方で、政治的代表が増えたことと、社会全体から偏見が消えたことは同じではなく、むしろ両者が同時に存在することが25年後のニューヨークの特徴となっている。

つまり現在のニューヨークには、表面上の寛容性の拡大と、社会の深層に残る疑念や偏見が共存している。都市空間は再生され、人々の交流も拡大したが、9.11によって形成された「安全保障」というフィルターを通して特定の宗教や民族を見る意識は完全には消えていない。

露骨な差別の減少と寛容性の回復

9.11直後の米国では、イスラム教徒や中東系住民に対する敵意が急激に高まった。FBIの統計によると、イスラム教徒を標的とするヘイトクライムは2000年の28件から2001年には481件へ急増し、その後は大幅に減少したものの、2025年にも205件が報告されている。

この数字から重要なのは、9.11直後の異常な高水準からは明確に低下した一方、25年を経ても事件が消滅していないことである。しかもFBI統計は警察への届け出を基礎としているため、実際に発生した偏見や嫌がらせのすべてを把握しているわけではなく、数字そのものを社会全体の偏見の規模と同一視することはできない。

世論の側にも複雑な変化がある。2025年のピュー研究所 (Pew Research Center)調査では、米国民の74%がイスラム教徒は「ある程度」または「かなり」の差別を受けていると回答したが、これは前年の82%、2017年の87%から低下している。イスラム教徒への差別が存在するとの認識自体は依然として多数派だが、社会の評価は一定程度改善している。

こうした変化の背景には、イスラム系住民が米国社会のさまざまな領域で日常的な存在となったことがある。医師、研究者、教師、企業経営者、軍人、芸術家、ジャーナリスト、政治家など、イスラム系米国人が社会の多様な職業に進出することで、「イスラム教徒=外国から来た潜在的脅威」という単純なイメージは徐々に現実と合わなくなった。

また、ニューヨークのような国際都市では、宗教や民族の異なる人々が隣り合って暮らすこと自体が日常となっている。9.11の記憶を共有しながらも、事件とは無関係な次世代のイスラム系米国人が成長し、地域社会の一員として生活することで、都市の社会関係は少しずつ変化してきた。

ただし、「寛容性が回復した」という表現にも注意が必要である。ピュー研究所 (Pew Research Center)が2026年に実施した調査では、米国成人の43%がイスラム教徒は他の米国人より愛国心が低いと回答し、42%がイスラム系米国人は米国に悪い影響を与えていると回答している。

これは、露骨な暴力や差別が減少しても、社会的なステレオタイプが消滅したわけではないことを示している。9.11から25年が経過しても、一部の米国人がイスラムとテロ、イスラム教徒と国家安全保障を結び付けて認識する構造は残っているのである。

制度的な定着と偏見の根深さ

9.11後の差別問題を考える際、個人の偏見だけに注目することには限界がある。重要なのは、空港保安、入国管理、情報機関による監視、テロ対策、金融機関による監視など、安全保障を目的として構築された制度が、特定の地域・宗教・民族と結び付いて運用されてきた歴史である。

制度そのものはテロ防止という正当な目的を持つ。しかし、その運用によって「イスラム教徒である」「中東出身である」「アラビア語を話す」といった属性が安全保障上の疑念と結び付けば、制度上の中立性と実際の経験との間に乖離が生まれる。

ピュー研究所 (Pew Research Center)の2026年調査では、米国のイスラム教徒の59%が現在も「イスラム教徒に対する差別が多い」と回答し、59%がニュースにおけるイスラムやイスラム教徒の描写を不公平だと感じている。これは、社会の多数派側から見れば「差別は以前より改善した」と評価できても、当事者側ではなお深刻な問題として認識されていることを示す。

さらに興味深いのは、9.11直後にも米国社会には二つの異なる反応が存在したことである。2001年末の調査では、イスラム系米国人の52%が9.11後に自分たちのコミュニティーが差別を経験したと答えた一方、75%は米国人がイスラム教徒に対して敬意と寛容さを示していたと回答していた。

つまり、米国社会には最初から「排除」と「連帯」の両方が存在していたのである。9.11後の25年間は、この二つの傾向のどちらが社会の主流になるのかをめぐる長い過程だったと考えることができる。

そして現在、その結果は単純な勝敗として現れてはいない。モスクの数が2000年の約1,200から2020年には約2,800へ増加したことは、イスラム系コミュニティーが米国社会に定着したことを示す一方、2026年現在もイスラムを暴力と結び付ける世論が強く残っている。

特に注目すべきなのは、2026年初頭のPew調査で、米国成人の51%がイスラムは他の宗教よりも信者による暴力を助長しやすいと回答したことである。2002年には同じ回答が25%だったため、25年間でこの認識が必ずしも改善していないどころか、むしろ悪化している点は極めて重要である。

さらにこの認識には政治的な分極化が存在する。2026年の調査では、共和党支持層または共和党寄りの無党派層でイスラムを暴力と結び付ける回答が76%だったのに対し、民主党支持層または民主党寄りでは29%にとどまり、9.11直後よりも大きな党派間格差が形成されている。

ここに25年後の9.11問題の本質がある。事件直後には「米国対テロリスト」という外部との対立だったものが、現在では「安全保障をどう考えるか」「イスラムをどう見るか」「移民をどう扱うか」「国家はどこまで介入できるか」という国内政治上の価値観の対立へ変化している。

ニューヨークは、その変化を最も鮮明に映し出す都市の一つである。世界貿易センター跡地は追悼と再生の象徴となり、街には多様な宗教・民族的背景を持つ人々が暮らし、イスラム系住民も政治的代表性を高めている一方、9.11を理由として形成された社会的記憶や安全保障意識は依然として消えていない。

したがって、2026年のニューヨークを評価する際には、「9.11の傷から完全に立ち直った都市」と見ることも、「25年間何も変わっていない都市」と見ることも適切ではない。正確なのは、都市の外観、人口構成、政治参加、社会的寛容性には大きな変化が起きた一方で、偏見、安全保障意識、政治的分極化という深層構造には9.11の影響がなお残っているという二重の現実である。

そして25周年という節目は、この「表層の回復」と「深層の継続」を同時に見ることを求めている。ニューヨークは再建されたが、9.11によって生まれた社会的記憶そのものが再建されたわけではなく、それは世代交代とともに新しい形へ変化しながら現在も米国社会の中に存在しているのである。

記憶の継承と「追悼と奉仕の日」

9.11から25年という時間は、事件の記憶を「生存者や遺族が持つ個人的な記憶」から「社会が次世代へ継承する歴史的記憶」へ移行させる転換点でもある。2001年当時に幼かった世代、あるいは事件後に生まれた世代が米国社会の中心を占めるようになり、9.11を直接経験していない人々に何を伝え、どのように記憶させるかが重要な課題になっている。

ニューヨークの9/11メモリアルでは、2026年の25周年追悼式において犠牲者の名前が読み上げられ、従来の六つの黙とうに加えて、世界貿易センター周辺での有害物質への曝露によって後に死亡した人々を追悼する「七つ目の黙とう」が設けられる。これは極めて象徴的な変更であり、9.11の犠牲者という概念が、2001年9月11日に死亡した人々だけでなく、その後25年間に健康被害によって命を失った人々へ拡大していることを示している。

さらに、米国では9月11日を単なる追悼の日ではなく、「奉仕の日」として位置付ける動きも定着している。2026年には「9/11 Day of Service」の25周年事業が実施され、若者が地域活動やボランティア活動に参加することで、犠牲者を記憶するだけでなく、他者への奉仕という社会的価値へ記憶を転換する試みが行われている。

この「追悼から奉仕へ」という考え方には重要な意味がある。9.11を「米国が攻撃された日」としてのみ記憶すると、敵と味方を分ける記憶になりやすいが、他者を助ける行動へ結び付ければ、事件を民主主義社会における共助や公共性について考える機会へ変えることができるからである。

一方、記憶の継承には難しさもある。事件を経験していない世代にとって、世界貿易センターの崩壊や煙に包まれたニューヨークの映像は歴史資料となり、現在の戦争やテロ、政治対立とは異なる「過去の出来事」として認識される可能性がある。

そのため、9/11メモリアル・ミュージアムなどでは、学校教育やデジタル教材を通じて25周年を学ぶ取り組みが強化されている。2026年には学校向けのデジタル学習プログラムも用意され、9.11を知らない世代が事件の背景、犠牲者、救助活動、その後の社会的影響まで体系的に学ぶ機会が設けられている。

ここで重要なのは、記憶を「固定する」のではなく、「更新する」ことである。9.11の歴史は2001年9月11日で終わるのではなく、アフガニスタン戦争、イラク戦争、監視政策、イスラム系住民への差別、ニューヨークの再建、そして長期的な健康被害までを含む25年間の歴史として理解する必要がある。

残された健康被害と「25年目の真実」

9.11から25年を迎えた2026年に、事件をめぐる認識を大きく変えているのが長期的な健康被害である。攻撃そのものによる死者は約3,000人だったが、現在では救助・復旧作業員、消防士、警察官、周辺住民、通勤者、学生など、事件後に現場周辺へ接触した人々の健康被害が膨大な規模で確認されている。

米疾病対策センター(CDC)が運営する世界貿易センター健康プログラムには、2026年6月末時点で15万人を超える人々が登録している。ロイター通信によると、同プログラムで認定された9.11関連健康状態は約8万5,000件に達し、その約半数が有害な粉じんの吸入・摂取に関連し、約3割ががんに関係する認定となっている。

この数字が示すのは、9.11が「一日で発生して一日で終わった災害」ではないという事実である。現場で生き残った人々の中には、数年、十数年、あるいは20年以上経過してから病気を発症した人もおり、医学的には長期追跡が必要な大規模な環境・職業曝露事例となっている。

世界貿易センター跡地周辺には、建物の崩壊によって発生した微細な粉じん、コンクリートやガラスの破片、燃焼したプラスチック、金属、化学物質などが広範囲に拡散した。救助・復旧作業員は極めて厳しい環境の中で作業を続け、十分な防護が行われなかったケースもあり、その後の呼吸器疾患やがんなどとの関連が長期的に調査されることになった。

さらに、身体的疾患だけでなく、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、うつ病、薬物・アルコール依存などの精神的健康問題も長期化している。マウントサイナイの専門医らは25年後も患者を診療しており、9.11関連疾患について身体と精神を分けずに長期的に治療する必要性を指摘している。

この健康被害の問題をさらに複雑にしたのが、事件直後の大気環境をめぐる政府当局の説明である。当時、現場周辺の空気について安全性を強調する発言が行われたが、その後の研究によって有害物質への曝露と健康被害の関係が明らかになり、行政がどこまで危険を把握していたのかという問題が残った。

25年目の現在、この問題は単なる医学上の論争ではなく、行政の説明責任の問題へと変化している。被害者や救助作業員からすれば、「何が危険だったのか」「行政はいつ知っていたのか」「なぜ十分な警告が出されなかったのか」という疑問は、治療や補償の問題と同じくらい重要だからである。

関連がん・健康被害の深刻化

特に深刻なのが、9.11関連がんの増加である。2026年の報道では、ノースウェル・ヘルス(Northwell Health)の世界貿易センターがんプログラムで過去42か月間に811件の新たながん症例が確認され、3年前の同期間と比較して75%増加したと報告されている。また、世界貿易センター健康プログラムの登録者のうち、5万7,000人を超える人々ががんを経験しているとされる。

代表的ながんには、前立腺がん、皮膚がん、乳がん、尿路系のがんなどが含まれる。もちろん、個々の患者の発症原因を9.11曝露だけに帰属させることは医学的に慎重でなければならず、年齢、生活習慣、遺伝的要因なども考慮する必要がある。

それでも、大規模な集団を長期的に追跡することで、9.11曝露者に特定の疾患がどの程度発生しているのかを把握できるようになった。25年間の研究蓄積は、事件直後には認識できなかった健康影響を時間の経過とともに可視化したのである。

健康被害をめぐって特に重要なのは、「死亡者数」という9.11の規模を測る従来の指標が不十分になっていることである。2001年の犠牲者約3,000人という数字はテロ攻撃そのものの被害を示すが、その後の疾病や死亡を含めれば、被害の総量は時間とともに増え続けている。

2026年時点で世界貿易センター健康プログラムが追跡している登録者のうち、9,000人以上が死亡しているとロイター通信は報じている。ただし、これらすべての死亡が9.11によって直接引き起こされたと判断することはできず、健康プログラム側も因果関係の評価には慎重な姿勢を取っている。

したがって、「9.11後の関連死が攻撃当日の死者数を上回った」という表現を使う場合にも、死亡者全員を9.11による直接死とみなすべきではない。重要なのは、9.11が医学的にも社会保障上も「長期災害」として扱われる規模に達しているという点である。

この観点から見ると、25周年は一つの区切りであると同時に、新しい医療・社会政策の出発点でもある。曝露から25年経過した後にも新しい疾患が確認される以上、健康プログラムを短期的な救済措置としてではなく、数十年単位の公衆衛生政策として維持する必要がある。

未公開文書の開示

そして2026年9月、9.11から25年という節目に極めて重要な出来事が起きた。ニューヨーク市は9.11とその後の対応、大気環境、健康問題に関する17万ページ以上の市の記録を公開したのである。

ニューヨーク市によれば、公開資料には2001年の攻撃後に行政機関がどのように対応したのか、大気の安全性や健康への懸念についてどのような情報を把握していたのかを示す記録が含まれている。今回の公開は、9/11ヘルス・ウォッチ(9.11 Health Watch)が求めてきた情報公開をめぐる訴訟と和解したことを受けたものである。

報道によれば、公開された資料には、現場周辺の大気環境について行政内部で懸念が存在していたことを示す文書が含まれている。2001年10月の内部メモには、安全性をめぐる問題について行政側が訴訟リスクを意識していたことを示す内容も含まれていると報じられている。

これは25年後に初めて明らかになる情報が存在することの意味を考えさせる。事件直後に「何が分かっていたのか」を知ることは、単なる歴史研究ではなく、当時の行政判断が妥当だったのか、住民や救助作業員への情報提供は十分だったのかを検証するために不可欠だからである。

もっとも、文書が公開されたからといって、直ちに「行政が意図的にすべての危険情報を隠蔽した」と結論付けることはできない。内部文書には、確定した科学的知見だけでなく、当時の不確実な情報、法的検討、担当者間の意見の相違なども含まれるため、資料を一つ一つ時系列と科学的知見に照らして検証する必要がある。

しかし、情報公開そのものには大きな意義がある。9.11後の健康被害を抱える人々にとって、行政が当時何を知っていたのかを知る権利は、補償や医療支援だけでは満たされない「知る権利」の問題だからである。

今回公開された記録は、9.11をめぐる歴史研究にも新しい材料を提供する。これまで公にされていなかった行政内部の意思決定過程を分析することで、なぜ安全性について楽観的な説明が行われたのか、科学的知見と政治・行政判断の間にどのような緊張関係があったのかを検証できる可能性がある。

したがって、2026年の文書開示は、25周年の単なる記念事業ではない。それは「何を記憶するか」に加えて、「何をまだ知らないのか」「誰が情報を持ち、誰がその情報にアクセスできなかったのか」という、民主主義における情報公開の問題を9.11に改めて突き付ける出来事なのである。

そして、この問題は第1回・第2回で扱った監視社会化や政府権限の拡大ともつながっている。9.11後の米国では国家が市民を監視する権限が拡大した一方、市民の側から見れば、国家が危険情報をどこまで公開し、行政判断についてどこまで説明するのかという「政府を監視する権利」も重要になったのである。

25年という歳月は、9.11を「過去のテロ」から「長期的な社会・健康・行政問題」へと変化させた。追悼式で新たな黙とうが加えられ、医療制度では今も新たな患者が登録され、がん患者が増え、そして当時の行政文書が公開されるという一連の動きは、9.11の被害が時間とともに終息するのではなく、その意味を変えながら現在まで続いていることを示している。

この意味で、2026年の9.11は「25年前の出来事」ではなく、「25年間にわたって続いてきた出来事」として捉える必要がある。

25年という節目が投げかけるもの

9.11から25年という時間は、単なる周年記念以上の意味を持つ。事件を直接知る世代が高齢化する一方、2001年を経験していない世代が社会の中心となり、9.11は「個人の記憶」から「社会が継承する歴史」へと移りつつある。

しかし、25年という時間の経過は、9.11の影響が消滅したことを意味しない。むしろ、テロ直後には見えなかった長期的な健康被害、監視政策、人権問題、イスラム系住民への偏見、戦争の帰結、政治的分極化などが明確になり、9.11は米国社会を理解するための歴史的な基準点となっている。

事件直後の米国では、「テロに対して強く立ち向かうこと」が国民的合意になった。ところが、アフガニスタン戦争とイラク戦争が長期化し、監視権限が拡大し、イスラム系住民への差別が発生すると、「安全を守るために何を犠牲にしてよいのか」という別の問題が浮上した。

ここには9.11後の米国が抱えた最大の逆説がある。テロを防止するために国家の能力を強化することは必要だったが、その強化された権限が民主主義やプライバシーを侵食すれば、テロから社会を守るはずの政策そのものが自由社会の原則を弱める可能性があった。

したがって、9.11後の25年間を評価する際には、「テロ対策は成功したか」という一点だけでは不十分である。むしろ、安全保障政策によって何が守られ、何が変化し、どのような人々が負担を負ったのかまで含めて検証する必要がある。

今後の展望

2026年現在、米国が直面するテロ・過激主義の構図は2001年とは大きく異なる。国際テロ組織による大規模攻撃への警戒が消えたわけではないが、国内で政治的・宗教的な過激思想が暴力につながるリスクも大きな安全保障上の課題となっている。

2026年のロイター/イプソス調査で、米国民の33%が国内テロを、20%が外国テロを最大の安全保障上の脅威として挙げたことは、この変化を象徴している。9.11によって形成された「国外から来るテロリスト」という脅威認識は、現在では国内社会の分断そのものと結び付くようになった。

この状況で重要になるのは、過激主義対策を特定の宗教、民族、移民集団への監視と混同しないことである。9.11後の経験が示したのは、属性によって危険性を推定する政策は社会的不信を生み、結果として社会統合を弱める可能性があるということである。

今後の米国に必要なのは、暴力的行為や具体的な犯罪計画を対象とした精密な治安対策と、思想・宗教・政治的立場そのものを監視対象にしないための明確な法的基準である。国家安全保障と市民的自由を対立する二つの価値として捉えるのではなく、法の支配と透明性を基礎として両立させることが重要になる。

また、9.11関連健康被害への対応も長期化する。世界貿易センター健康プログラムには2026年6月末時点で15万人を超える登録者がおり、がんを含む多数の健康状態が9.11との関連で認定されている。

このため、医療支援や補償制度を「25周年を機に終了する事業」と考えることはできない。曝露から数十年後に発症する疾患が存在する以上、9.11関連医療は長期的な公衆衛生政策として維持される必要がある。

ニューヨークについても同様である。世界貿易センター跡地の再開発は都市としての回復を象徴しているが、その地下には健康被害を抱える人々の存在、遺族の記憶、救助作業員の経験、そして行政の判断をめぐる検証課題が残されている。

今後のニューヨークに求められるのは、「復興した都市」という物語だけを強調することではない。再生した都市の姿と、そこで生き続ける被害者・遺族・生存者の現実を同時に記憶することである。

まとめ

9.11は2001年9月11日に米国を襲ったテロ攻撃であると同時に、その後25年間にわたって米国社会を変化させ続けた歴史的事件である。ニューヨークの世界貿易センターが崩壊した瞬間に事件は終わったのではなく、その後の戦争、監視政策、社会的偏見、都市再生、健康被害、政治的分断へと影響が連鎖した。

25年間の変化を整理すると、少なくとも五つの大きな流れを確認できる。第一に、安全保障国家化によって政府のテロ対策能力が強化されたこと、第二に、その一方でプライバシーや人権との緊張が拡大したこと、第三に、イスラム系住民への差別とその後の社会的包摂が並行して進んだこと、第四に、9.11をめぐる政治的解釈が米国の党派対立と結び付いたこと、第五に、健康被害が長期化し、事件の被害範囲そのものが時間とともに拡大したことである。

ニューヨークはこの25年間で劇的に変貌した。世界貿易センター跡地は追悼と再生の空間となり、ロウアー・マンハッタンは再び国際都市としての活力を取り戻したが、都市の再生は9.11による社会的・身体的被害を消し去ったわけではない。

むしろ現在のニューヨークには、二つの時間が同時に存在している。一つは再開発された高層ビル、観光、金融、住宅、文化活動に象徴される「現在」であり、もう一つは9.11で失われた命、救助活動、粉じんへの曝露、疾病、遺族の記憶に象徴される「過去」である。

この二つを切り離さないことが、25周年を迎える現在の最大の課題である。過去を忘れないことは、恐怖を永続させることではなく、過去の経験から民主主義社会の制度を改善することを意味する。

イスラム系住民を一括して危険視しないこと、テロ対策を理由として市民的自由を無制限に制約しないこと、行政機関が危険情報を適切に公開すること、そして長期的な健康被害を抱える人々を支援し続けることは、いずれも9.11から学ぶべき教訓である。

そして、9.11を経験していない世代が増える現在、記憶の継承方法も変える必要がある。「何人が死亡したか」という数字だけではなく、なぜ事件が起きたのか、その後に米国が何を選択し、その選択がどのような結果を生んだのかを教える必要がある。

特に「テロとの戦い」を単純な英雄譚として記憶することには注意が必要である。テロという暴力を明確に否定することと、その後に採用されたすべての政策を無条件に肯定することは別問題だからである。

同時に、9.11後の米国社会を「自由を失った社会」とだけ評価することも適切ではない。イスラム系住民の社会参加、ニューヨークの再生、追悼と奉仕活動、医療支援制度の構築など、危機を経験した社会が新しい連帯を生み出した側面も存在する。

結局のところ、9.11から25年という節目が問い掛けているのは、「事件を覚えているか」という問題だけではない。「事件から何を学び、その教訓を現在の社会制度と次世代の価値観にどう生かすのか」という問題である。

9.11は世界を分断した。米国社会を一時的に結束させ、その後の政策や政治を通じて再び分断を生み出したという意味でも、この事件は歴史的な矛盾を抱えている。

しかし、その記憶を排外主義や恐怖の再生産に利用するのではなく、異なる宗教や民族が共存する社会、安全と自由を両立させる民主主義、被害者を長期的に支える公共政策へ結び付けるならば、25年という歳月は単なる時間の経過ではなく、社会が過去を再解釈するための重要な転換点となる。

2026年のニューヨークは、9.11によって破壊された都市から再生した都市である。しかし、それ以上に重要なのは、破壊と再生の双方を記憶する都市になったことである。

そして米国社会にとっての25周年も同じ意味を持つ。9.11は過去になったのではなく、過去をどのように現在へ引き継ぐかという新しい段階に入ったのである。


参考・引用リスト

  • Reuters/Ipsos「25 years after 9/11, Americans fear domestic extremists more than foreign attacks」2026年9月8日。2026年時点の米国民のテロ脅威認識、国内過激主義、監視政策に対する世論を確認するために参照した。
  • Reuters「Twenty-five years after 9/11, Americans still live with its legacy」2026年9月7日。世界貿易センター健康プログラムの登録者数、認定疾病、がんなど長期健康被害を検証するために参照した。
  • Pew Research Center「25 years after 9/11, a portrait of Muslim Americans」2026年9月3日。米国イスラム教徒の人口、宗教的・政治的意識、差別経験、米国社会における位置付けを検証するために参照した。
  • Pew Research Center「How much discrimination do Americans say groups face in the U.S.?」2025年5月20日。イスラム教徒を含む米国の各集団に対する差別認識の変化を確認するために参照した。
  • 9/11 Memorial & Museum「25th Anniversary Commemoration」「Marking the 25th Anniversary」。2026年の25周年追悼式、犠牲者の記憶、教育・世代継承、「9/11 Day of Service」に関する情報を参照した。
  • Centers for Disease Control and Prevention(CDC)/World Trade Center Health Program。9.11に関連する救助・復旧作業員、周辺住民等の長期的健康被害と医療支援制度を検証する際の基礎資料とした。
  • Federal Bureau of Investigation(FBI)「Crime Data Explorer / Hate Crime Statistics」。イスラム教徒を標的としたヘイトクライムの長期的推移を確認するための基礎統計として参照した。
  • ニューヨーク市政府(NYC)「25 Years Later, Mamdani Administration Opens City’s 9/11 Records」。2026年9月に公開された9.11関連行政記録と情報公開を検証するために参照した。
  • Associated Press(AP)。9.11から25年を経た米国の安全保障政策、移民、社会的影響に関する2026年の報道を補助資料として参照した。
  • 米国政府・議会関連資料。2001年以降の愛国者法、テロ対策、情報監視制度、国土安全保障体制の形成過程を確認するための基礎資料とした。
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