◎国営のIRNA通信によると、アリ・アクバル・モータシャミプール氏は首都テヘラン北部の病院で死亡したという。
2006年12月11日/レバノン、ホロコーストに関する会議に出席したヒズボラの最高聖職者アリ・アクバル・モータシャミプール氏(中央)(AP通信/Vahid Salemi)

現地メディアによると、イスラム過激派組織ヒズボラを創設した最高聖職者のアリ・アクバル・モータシャミプール氏が6月7日にコロナウイルスで死亡したという。同氏はイスラエルの諜報機関モサドが行ったと伝えられている爆弾攻撃から生還したことで知られている。

モータシャミプール氏はイランの元最高指導者である故ルーホッラー・ホメイニー氏の親しい同盟者で、イスラム革命後、イラン革命防衛隊の設立を支援し、イランのシリア大使を務め、ヒズボラの形成に尽力した。

国営のIRNA通信によると、モータシャミプール氏は首都テヘラン北部の病院で死亡したという。イランのアヤトラ・アリ・ハメネイ最高指導者は同氏の「革命的貢献」を称賛すると声明を発表した。

ハッサン・ロウハニ大統領も「モータシャミプール氏はイスラム運動を促進し、革命の理想を実現するために人生を捧げた」と称賛した。

来週行われるイラン大統領選の有力候補と考えられている強硬派のエブラヒム・ライシ氏は遺族に哀悼の意を表した。

モータシャミプール氏は1970年代、当時のイスラム過激派組織との対話を仲介し、イスラム共和国とパレスチナ解放機構の同盟の形成を支援した。

イラクで逮捕された同氏は1979年のイスラム革命で勝利を収め、亡命先からイランに戻った。

1982年、故ホメイニー最高指導者はモータシャミプール氏をシリア大使に任命した。記録によると、同氏は表向きは外交官だったが、この地域のジハード軍に資金や兵器を提供するために動員された数百万人の監督も務めていたという。

シリアはレバノンに何万もの兵士を配備したが、イスラエルの侵略に屈し、シーア派コミュニティは大打撃を受けた。一連の戦争は「神の党」と呼ばれるヒズボラの創設を後押しした。

アメリカは1983年のベイルート米国大使館爆破事件(死者63人)、米国海兵隊兵舎爆撃事件(死者241人)、フランス空母隊に対する爆破テロ(死者58人)でヒズボラを非難したが、イランとヒズボラは関与を否定している。

米国地方裁判所のロイス・ランバース判事は2003年の書簡の中で、「ヒズボラがイラン政府から大規模な物的および技術的支援を受けていたことは疑いの余地がない」と報告した。

レバノンを支配しているヒズボラは7日の声明で、モータシャミプール氏に哀悼の意を表した。「シオニストの暗殺未遂の結果、彼の手、顔、胸には傷が刻まれた。彼はジハードに人生を捧げた最も偉大な聖職者のひとりである...」

ロネン・バーグマン氏の著書「ライズ・アンド・キル・ファースト」によると、モサドはモータシャミプール氏に対する追跡と暗殺の承認を当時のイツハク・シャミール首相から得ていたという。

1984年、モータシャミプール氏は「シーア派の聖地に関する英語で書かれた本」に仕掛けられた爆弾で両手の指をそれぞれ2本ずつ失ったが生還し、後にイランの内務大臣になり、議会で強硬派の議員を務めた後、2009年に改革派に加わった。

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