ソマリア連邦共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:ソマリア連邦共和国(Federal Republic of Somalia)

首都:モガディシュ(Mogadishu)

人口:11,757,124人(2021年推定)

面積:637,657㎢(日本の1.7倍)

気候:熱帯気候
・雨季は3月~5月と9月~12月。
・乾期は6月~8月と1月~2月。
・気温は1年を通してほぼ安定している。(最低:15~24℃、最高:28~40℃)
6月から9月はとても暑く、最高気温は連日38℃を超える
・年間降雨量は地域によって多少異なるが、おおむね200~400mmほど。
・深刻な干ばつに悩まされている。

・北部の山岳地帯の気候は比較的安定している。
・観光におすすめの時期は12月から2月。
・熱帯低気圧の影響を受けることは滅多にない。

経済:
・開発途上国
GDPは49億ドル(2019年推定)
・超インフォーマル経済
・経済成長率はプラスを維持しているが、内戦の影響で市民の生活水準は低空飛行を続けている。。
・人口の約80%が遊牧民もしくは半遊牧民。
・遊牧民は収入を得るために樹脂やガムの実を集めている。
・主要産業は農業。
・人口の約80%が貧困ライン以下の生活を送っていると推定されている。

・主要輸出パートナーはオマーン(32%)、サウジアラビア(19%)、UAE(16%)
・主要輸入パートナーは中国(18%)、インド(17%)、エチオピア(11%)
・主要輸出品は羊、魚介類、木炭、バナナ。

人種(民族):
・ソマリア人 85%(推定)
・バントゥー人
・その他
・500以上の民族グループが存在する。
・文書化されている民族グループは極めて少なく、分からないことが多い。

言語:
・ソマリア語(公用語)
・アラビア語
・英語
・先住民族の言語

宗教:
・イスラム教(主にスンニ派)99.8%
・キリスト教 0.1%未満
・ヒンドゥー教 0.1%未満
・ユダヤ教 0.1%未満
・仏教 0.1%未満
・その他 0.1%

ソマリア連邦共和国

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大統領:モハメド・アブドゥライ・モハメド(Mohamed Abdullahi Mohamed)
首相:モハメド・フセイン・ローブル(Mohamed Hussein Roble)

政治体制:共和制
・野党と反政府勢力は2012年に発足した政府を認めていない。
・地方自治体は内戦の影響で機能不全に陥っている。
・国家元首は大統領。任期は4年。2期まで認められている。
・国会議員の憲法上の任務期間は2020年末で終了した。
現在、ソマリアに合法的な議会は存在しない
・上院の議員定数は54人になる予定。
・下院の議員定数は275人になる予定。
・2021年に議会選挙を予定している。
・反政府勢力とイスラム過激派組織は議会と政府の存在を認めていない。

法律:ソマリア連邦共和国の暫定憲法
・司法の独立を保障している。
・国民は裁判を受ける権利を保障されているが、裁判所にアクセスできる者は限られている。
・イスラム過激派組織と反政府勢力は基本的人権という概念を持ち合わせていない。
・女性の権利を2013年に保障し、性犯罪件数は年々減少している。
・1歳~14歳の少女の性病発症率は2013年時点で25%にまで低下した。
・女性と少女の95%以上が女性性器切除を強制されている。(2005年調査)
・同性愛を禁じており、違反者は公開処刑に直面する。
同性同士の性行為を禁じており、違反者は公開処刑に直面する。
・LGBTの存在を認めておらず、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーは公開処刑に直面する。

ソマリア連邦共和国/反政府勢力

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渡航情報:
外務省ホームページ
・避難勧告発令中(2021年3月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:極めて悪い
・世界で最も危険な地域のひとつ。
・ソマリア内戦が終結する見通しは全く立っていない。
・イスラム国(IS)関連組織が複数活動している。
・イスラム過激派組織と反政府組織による自爆テロ攻撃が各地で発生している。
・2017年の自爆テロ攻撃では数百人が死亡した。
・2012年に新政府が発足したが、野党と反政府勢力はこれを認めておらず、各地で暴力や暴動が発生している。
・安全な地域はない。
・日本大使館がない。
・通常の手続きでは入国できない。
・公開処刑、強殺、殺人、誘拐、強盗、強姦などの凶悪事件が多発している。
・銃器や爆弾などが市場に大量に流通している。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は11社あると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は6局。
・民間ラジオ局は11局。
・国営ラジオ局は1社。
・報道と言論の自由を保障しているが政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせや脅迫を受け、逮捕されることもある。
・1992年から2013年の間に殺害されたジャーナリストは約50人。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネット普及率は極めて低い。
・検閲はないと伝えられている。

【国営メディア/設立年】
・ソマリア国立テレビ 1983年

【民間メディア】
・ソマリアケーブルテレビ
・東部テレビネットワーク
・ホーンケーブルテレビ
・その他

ソマリア連邦共和国/首都モガディシュ

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2021年軍事力ランキング:137位

・軍人数:20,000人(推定)
  即戦力 20,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・陸軍を保有。

・国防予算:6,000万ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在のソマリア連邦共和国と周辺の一部地域はオスマン帝国とポルトガルの支配下に置かれ、各地で戦闘が続いていた。

・ソマリアの先住民族の長たちはポルトガルやその他の欧州諸国の侵略に抵抗した。欧州諸国はこの地域の象牙と奴隷貿易を狙っていた。

・オスマン帝国はソマリアを狙う欧州諸国と戦闘を繰り広げ、奪われた土地を奪い返すことも多かった。しかし、ポルトガルの艦隊に敗れることも多く、その都度民間人が犠牲になったと伝えられている。

・1700年代後半、ポルトガルとその他の欧州諸国がソマリアのほぼ全域を奪取し、オスマン帝国軍は撤退を余儀なくされた。

1800年代

・1840年代、ソマリアの野心的な商人、ハジ・シャルマルケ・アリ・サレが沿岸の港町に勢力を拡大し、土地を支配していたアラブ人を追放した。

・1850年代、現在のソマリランド共和国(独立国だが、国連は国家として認められていない)の港湾都市ベルベラが大きく発展し、アフリカで最も重要な貿易拠点のひとつと呼ばれるようになった。

・1860年代、港湾都市ベルベラはさらに発展した。当時、ソマリアとエチオピアの主要な商人たちはベルベラで取引を行い、輸出入品はほとんどベルベラでやり取りされていた。

・1860年代末、ベルベラの人口は10万人近くに達し、1日に6,000を超える商品(主にコーヒー、ミルラ、アカシアガム、サフラン、羽毛、ギー、皮、金、象牙)がやり取りされた。ヨーロッパ人は当時、ベルベラは世界で最も自由な貿易港であり、アラビア海最大の貿易拠点に成長したと述べていた。

・1884年、ベルリン会議。ヨーロッパ諸国はアフリカの分割を開始した。

・1889年、イタリアは現在のソマリア共和国と隣国の一部エリアを植民地下に置いた。

・1890年代、イタリアはソマリアの沿岸地域を次々に占領した。これに対し、先住民族はイタリア軍の支配に激しく抵抗し、各地で戦闘が続いたと伝えられている。

ソマリア連邦共和国/集落の住民たち

1900年~第一次世界大戦

・ソマリアは第一次世界大戦に関与していない。

・1900年代初頭、先住民族の長のひとり、モハメッド・アブドラ・ハッサンはヌガール州とイード州を統一し、ヨーロッパの植民地支配に抵抗する戦闘を本格化させた。

・1901年、ハッサンはオスマン帝国、スーダン、その他のアラブ諸国から武器を調達し、ソマリアの各地に土地を管理する施設を独自に設置した。ベルリン会議後、ソマリアに駐留していたイギリス軍はこの動きに強く反発し、各地で戦闘が発生した。

・1903年から1905年、ハッサンの私兵部隊数千人が大規模な軍事作戦を開始し、イギリス軍を撃退した。ハッサンは当時、オスマン帝国とドイツとの関係を強化し、ファシズムに傾倒し始めていた

・ソマリアの中央部と西部周辺は主にファシスト(オスマン、ドイツ、イタリア)の支配下に置かれ、その他の地域はイギリス軍が抑えていた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年、イギリス軍がハッサンの拠点施設を計4回空爆した。この攻撃でハッサンの私兵部隊は壊滅し、イギリスに対する一連の戦闘は終結した。

・1920年から1923年、ソマリア全土にファシズムを支持する思想が広まり、その多くがイタリアの考えに同意し、イギリスに対する抵抗を強めた。特にソマリランドはファシスト勢力の拠点になり、港湾都市として栄えたベルベラの自由な貿易スタイルも一変した。

・イタリアは保護条約の下でソマリランドやその他の地域へのアクセスを許可されていたが、土地を直接支配することはなく、現地のファシスト勢力の自治権には干渉しなかった。

・1925年、イタリアのベニート・ムッソリーニはソマリランドを含む東部アフリカの乗っ取りを開始するべく、現地のファシスト勢力に合図を送り、保護条約を全て破棄した

・1926年~1927年、イタリアと現地のファシスト勢力はソマリランドの一部、エチオピア、エリトリアのほぼ全土を占領し、反抗的な先住民族の兵士と民間人を虐殺した。

・1936年5月、ムッソリーニはイタリア帝国の創設を宣言し、ソマリランドの一部、エチオピア、エリトリアをアフリカオリエンタルイタリアーナと名付けた。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1940年、イタリア軍はソマリランドの一部を支配していたイギリス軍を追放し、イギリス領東アフリカ保護区も支配下に置いた。

・1940年~1945年、イギリス軍は東アフリカに戦力を投入し、ファシスト勢力からソマリランドを含む土地の大半を奪還した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

ソマリア連邦共和国/山羊

終戦~現在

・1945年11月、国連はポツダム会議でイタリア領ソマリランドを承認したが、独立国家を目指すソマリア青年同盟(SYL)や他の勢力はこの決定を却下し、反政府勢力として活動するようになった。なお、ソマリアとソマリランドの一部はイギリスの保護領として管理された。

・1950年代、イギリスの自治政府当局は、さまざまな行政開発努力を通じてソマリアの経済発展を推し進めようとしたが、反政府勢力の台頭などを受け、経済と市民の生活は停滞した。

・イギリスはソマリアの遊牧民に一定の自治権を与えるという条件を提示したが、エチオピア当局がこれに反発し、各地で独立を求める暴動が発生した。

・1957年、現在のケニア東部ノーザンフロンティア地区で生活していたソマリア人は、新たに創設されるソマリア連邦共和国に加わりたいと主張したが、イギリスはこの主張を却下し、ノーザンフロンティア地区の自治権をケニア当局に一任した。

・1958年、ソマリアとソマリランドの統一を決める国民投票が行われ、賛成多数で統一が決まった。

・1960年7月1日、「ソマリア連邦共和国」が独立を宣言。

・1960年9月20日、国連に加盟。

・1961年7月20日、国民投票。賛成多数で新憲法を批准。

・1969年10月15日、アブディラシッド・アリシェルマルケ大統領が警察官に射殺される。

・1969年10月21日、軍事クーデター発生。ソマリア軍は大きな抵抗を受けることなく権力を掌握した。

・1969年10月21日、最軍事クーデターを主導した最高革命評議会(SRC)のサラード・ガベイレ・ケディエ中佐とジャマ・コルシェル警察署長は「ソマリア民主共和国」の創設を宣言した。

・1969年10月22日、SRCのシアド・バレが大統領に就任。バレ大統領は議会と裁判所を解体し、憲法を停止すると宣言した。

・バレ政権は大規模な公共事業プログラムを推進し、都市部と農村部の識字率を劇的に向上させた。

・1976年7月、バレ大統領はSRCを解散し、科学社会主義とイスラム教の教義を組み合わせたソマリア革命社会主義党(SRSP)を設立した。

・1977年7月、統一ソマリアを目指すバレ大統領は、多数のソマリア人が生活するエチオピアのオガデン地域を奪取すると宣言した。

・1977年7月13日、オガデン戦争勃発。(ソマリア民主共和国vsエリオピア連合軍)

・1977年9月、ソマリア軍はオガデン地域の90%を占領した。

・1977年10月~12月、キューバとソビエトの連合軍がエチオピア政府を支援したことでソマリア軍は防戦一方になり、オガデンから追い出された。

・1978年3月23日、オガデン戦争終結、エリオピア連合軍が勝利し、ソマリアは全ての関係諸国との国交を断絶した。

<オガデン戦争>
・両軍参加者:20万~30万人(推定)
・両軍負傷者:数万人(推定)
・両軍死亡者:10,000~20,000人(推定)
・民間人死亡者:25,000~30,000人(推定)

・1979年、新憲法公布。

・1980年10月、バレ大統領はSRSPを解散し、最高革命評議会(SRC)を再結成したが、バレ政権の支持率は急降下し、多くのソマリア人は軍事独裁政権にウンザリしていた。

・1981年、冷戦が終わった影響でバレ政権とマルクス主義はさらに弱体化し、独裁に反対するレジスタンス運動が全国に広がった。

・1981年~1985年、レジスタンス運動はエチオピア政府の支援を受けたことで勢力を徐々に拡大した。バレ政権はレジスタンスのゲリラ軍を厳しく取り締まり、各地で激しい戦闘が発生した。

・1987年、バレ大統領がイサック地域の市民に対する攻撃を開始。バレ大統領はかつての民族間の対立およびレジスタンス運動を理由にイサック族を手当たり次第に殺し、一連の虐殺は「イサックジェノサイド」と呼ばれた。死者数は50,000~100,000人と推定されているが、正確な数は不明。50万人という説もある。

・1988年、バレ政権は勢いを増すレジスタンス運動のゲリラ軍と激しく衝突し、各地で大規模な空爆を決行した。

・1991年1月、エチオピアとリビアの支援を受けたレジスタンス運動がバレ政権に圧力をかけ、政権の奪取に成功。バレ大統領はケニアに亡命した。

・1991年1月26日、ソマリア国民運動を含むレジスタンス運動がソマリア連邦共和国の復活を宣言。

・1991年1月27日、レジスタンス運動は次の大統領を決めることができず、各地で権力争いと暴力が勃発した。

・1991年2月、南部地域で本格的な戦闘が始まる。軍のモハメッド・ファラエイ・ディッド将軍とアリマフ・ディ・モハメッド将軍の率いる武装勢力が首都に侵攻し、レジスタンスのゲリラ軍と衝突した。「ソマリア内戦」はこの衝突で始まったと伝えられているが、正確な開戦時期は明確にされていない。

・1991年、ソマリア内戦勃発。(ソマリア民主共和国レジスタンス軍vsソマリア反政府レジスタンス軍)

・1991年5月18日、ソマリランド共和国が独立を宣言。国際社会はこれを認めていない。

・1992年12月3日、国連安全保障理事会は満場一致で決議794を可決。アメリカ主導の国連平和維持軍の介入を承認した。

・国連、アフリカ連合、アラブ連盟などの後援を受け、両軍は和平に向けた会合に複数回参加したが、和平合意には至っていない。

・内戦による無政府状態が長年続いた影響で海賊が活動を強め、ソマリア沖は危険地帯になった。

・2000年8月、アブディカシム・サラダ・ハッサンが暫定大統領に就任。反政府レジスタンス軍はこれを認めなかった。

・2003年12月、行政機関が破産。活動を停止した。

・2004年12月、アブドゥラ・ヒユスフ・アーメドが暫定大統領に就任。反政府レジスタンス軍はこれを却下し、各地でゲリラ作戦を展開した。

・2006年、イスラム教組織のイスラム法廷会議(IOC)が南部の大部分を占領し、憲法を廃止したうえでシャリーアを採用すると宣言した。しかし、暫定政府はこれを即座に却下し、アメリカ軍やエチオピア軍の航空支援を受け、IOCを南部から追い出した。

・2008年~2009年、暫定政府とイスラム教の穏健派勢力が和平交渉を複数回行い、混乱の終息を目指した。

・2012年5月、モハメド・アブドラヒ・モハメドが連邦政府のリーダーに就任。

・2012年8月1日、新憲法施行。

・2017年2月、モハメド・アブドラヒ・モハメドが大統領に就任。反政府レジスタンス軍はこれを却下し、各地でゲリラ作戦を展開した。また、イスラム国とつながりのあるジハード組織も各地で活発に破壊活動を行った。

・2017年10月、ジハード組織が首都モガディシュで爆弾テロを決行。500人以上が死亡した。

<ソマリア内戦>
・両軍参加者:数百万人(推定)
・両軍負傷者:100万~300万人(推定)
・両軍死亡者:50万人以上
・民間人死亡者:分からない
・避難民:110万人以上

文化(目次に戻る

・イスラム文化が深く根付いている。

・挨拶時に握手を交わす習慣がある。ただし、異性との握手は厳禁。

・500以上ある民族グループの文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・主食は米とパスタ。主菜は牛肉、山羊肉、野菜全般、バナナ、オレンジなど。

・お菓子を作る文化が浸透している。人気デザートはケーキ全般、パンケーキ、ジェラート、クッキー。

ソマリア連邦共和国/子供たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカーとバスケットボール。

ソマリアの優秀なアスリートはほとんど外国籍を取得する。(主にイギリスとアメリカ)

・イギリス籍を取得したモハメド・ファラーは陸上界を代表するスター選手になった。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

・世界で最も危険な地域のひとつ。

ソマリア内戦が終結する見通しは全く立っていない

ソマリア連邦共和国/イスラム国とつながりのあるジハード組織
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