キプロス共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:キプロス共和国(Republic of Cyprus)

首都:ニコシア(Nicosia)

人口:1,189,265人(2018年推定)

面積:9,250㎢(四国の半分)

気候:地中海性気候
・冬は雨が多く寒い。夏は暑く乾燥している。
・沿岸地域の気候はかなり穏やかで過ごしやすい。
・沿岸地域の夏場の平均気温は最低が16~23℃、最高は27~33℃。
・沿岸地域の冬場の平均気温は最低が7~13℃、最高は17~23℃。
・降水量は地域によって多少異なるが、おおむね400~800mm。

・首都ニコシアの7月と8月の最高気温は40℃近くに達する。
・観光におすすめの時期は4月~5月と10月~11月。
・マリンスポーツを楽しみたい人は6月~9月に渡島するとよい。

経済:
・先進国
GDPは240億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはリビア(9%)、ギリシャ(8%)、ノルウェー(7%)
・主要輸入パートナーはギリシャ(19%)、イタリア(8%)、中国(7%)
・主要輸出品は柑橘類、ジャガイモ、医薬品、セメント、衣類。

・食料と天然資源は輸入に依存しており、慢性的な貿易赤字に悩まされている。
・若者の失業率の高さが社会問題になっている。
・中国、インド、南米、中東の投資家の活動拠点になっている。
・世界最大の船舶管理センターのひとつであり、世界の船舶管理会社が事務所を設置している。(3大陸の交差点に位置し、スエズ運河に近いため)
・世界トップクラスの観光インフラを構築しており、毎年多くの観光客が訪れる。

人種:
・ギリシャ人 98.8%(2011年国勢調査)
・マロナイトキプロス人 0.5%
・アルメニア人 0.3%
・トルコ人 0.2%
・その他 0.2%

言語:
・ギリシャ語 80.9%(公用語:2011年国勢調査)
・英語 4.1%
・ルーマニア語 2.9%
・ロシア語 2.5%
・ブルガリア語 2.2%
・アラビア語 1.2%
・フィリピン語 1.1%
・不明 0.6%
・トルコ語 0.2%(公用語)
・その他 4.3%

宗教:
・東方正教会 89.1%(2012年国勢調査)
・カトリック教会 2.9%
・プロテスタント 2%
・イスラム教 1.8%
・不明 1.1%
・仏教 1%
・無宗教 0.6%
・その他 1.4%

キプロス共和国

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大統領:ニコス・アナスタシアディス(Nicos Anastasiades)

政治体制:共和制
・EU加盟国。
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は56人、任期は5年。
・議会の24議席はトルコ系キプロス人に割り当てられているが、1963年以来空席が続いている。
・1974年の軍事クーデター以来、島は二分されている。
・北キプロスの独立を承認した国はトルコのみ。
・キプロスは北キプロスに侵攻できる軍事力を持っているが、北キプロスの後ろにはトルコとロシアが控えているため、島をひとつにまとめることは困難。
・副大統領はトルコ系キプロス人が務めることになっており、1974年の軍事クーデター以来空席を維持している。
・現在、トルコ系キプロス人は国政に参加していない。

法律:キプロス共和国の憲法
・英国法に基づいている。
・ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人を想定した憲法になっている。
・基本的人権を保障している。
・トルコ系キプロス人に対する差別や暴力が複数報告されている。
・キプロスの領土内にトルコ系キプロス人の学校はない。(マロナイトキプロス人の小学校はある
・売春が蔓延しており、東ヨーロッパの人身売買の主要ルートのひとつになっている。
・軍人の同性愛者同士の性行為は犯罪。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:普通
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・北キプロストルコ共和国も比較的安全と考えられているが、トルコの事実上の支配下に置かれていることを考えると、グリーンライン(国境)付近にはあまり近づかないほうがよい。
・他の欧州および中東諸国に比べると治安はよい。
・観光客が攻撃を受けることは少ないと伝えられているが、夜間は出歩かない方がよい。
・繁華街では窃盗、スリ、置き引きに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。

キプロス共和国/リゾートエリア

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・新聞社は9社活動していると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は20局以上。
・民間ラジオ局は4局。
・ギリシャとトルコのテレビ放送を受信できる。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は65~75%。
・2011年にアナログ放送を終了した。
・検閲はない。
・北キプロスで放送されるトルコ系キプロス人の電波をブロックしている。

【国営メディア/設立年】
・キプロス放送協会 1953年

【民間メディア】
・アルファTV
・キャピタルTV
・CBC
・エクストラ
・オメガ
・その他多数

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:87,000人(推定)
  即戦力 12,000人
  予備兵 75,000人
  準軍組織 0人

・陸海空軍と特殊部隊を兼任するキプロス国家防衛隊を保有。

・国防予算:4億ドル(推定)

キプロス共和国/1974年のトルコ軍侵攻

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1700年代

・1700年代、現在のキプロス共和国と北キプロストルコ共和国はオスマン帝国の支配下に置かれていた。

・イスラム教徒とキリスト教徒の比率は、オスマン帝国の支配の期間に大きく変動したと伝えられている。

・1777年、イスラム教徒のコミュニティは党内で影響力を強め、人口の約80%を占めるまでに成長した。

1800年代

・1821年、ギリシャ独立戦争勃発。ギリシャ系キプロスはオスマン帝国に立ち向かったギリシャを支持したため、島の主要なキリスト教会員と著名人が罰として処刑された。記録によると、約2万人のキリスト教徒が国外に逃亡したという。

・1828年、ギリシャ王国の初代統治者イオアニス・カポディストリアスは、キプロスのギリシャ系コミュニティに独立を呼びかけ、各地で数多くの小さな蜂起が発生した。しかし、これらのオスマン帝国に対する抵抗は一つも成功せず、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人の関係は著しく悪化した。

・オスマン帝国の支配下に置かれたキプロスの計算能力、就学率、識字率はすべて低かった。それらはオスマン帝国の支配が終わった後しばらくの間持続し、20世紀に入ると急速に改善した。

・1869年、スエズ運河開通。キプロスは3大陸(欧州、中東、アフリカ)の中継点になると期待されていた。

・1878年7月、イギリス軍がキプロスに侵攻。イギリスはスエズ運河からインドへの航路を確保するために島を占領し、オスマン帝国に対して、将来ロシアが侵攻してきた際に支援すると約束した。

キプロス共和国/海

1900年~第一次世界大戦

・1914年、イギリスはオスマン帝国がドイツおよびオーストリア・ハンガリー帝国と同盟を結んだことに強く反発し、キプロスを併合した。イギリス軍は1878年にキプロスを占領していたが、名目上はオスマン帝国の主権下にあった。

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・1915年、イギリスはギリシャの連合軍加盟を条件にキプロスを提供すると提案したが、ギリシャのコンスタンティノス1世は提案を断った。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1923年、ローザンヌ条約に基づき、オスマン帝国はキプロスの主権を放棄した。

・1925年、国際連盟はイギリスの主張を認め、キプロスを植民地下に置くことに合意した。

・1931年、ギリシャ系キプロス人のコミュニティと労働組合がトルコ系ギリシャ人に対する暴動を開始。首都ニコシアの政府庁舎は焼き尽くされ、戒厳令が発令され、議会は廃止された。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・キプロスは第二次世界大戦中、連合軍と共に戦い、ギリシャ系キプロス人は終戦間近に首都エノシスの自治権をイギリスに要求したが、トルコ系ギリシャ人はこれに強く反発し、各地で暴動が発生した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

キプロス共和国/港

終戦~現在

・1950年、マカリオス大司教がキプロスの政治的および精神的指導者に指名された。その後、キプロス正教会の長兼、ギリシャの支援を受けるエノシスキャンペーンの指導者に選出された。

・1955年4月、ギリシャとキプロスの統一を目指すギリシャ系キプロス人のゲリラ部隊がイギリス軍への攻撃を開始する。

・1956年、イギリスは統一ゲリラ攻撃の責任者であるマカリオス大司教を東アフリカのセイシェル島に強制送還した。

・1958年1月、ギリシャ系に反発するトルコ系キプロス人が暴動を開始。イギリスの治安部隊はこれを厳しく取り締まり、暴徒を7人殺害した。

・1958年6月7日、首都ニコシアのトルコ系報道機関が爆破される。

・1958年6月12日、ギリシャ系とトルコ系が衝突し、数十人が死亡した。イギリスの治安部隊は暴徒数十人を逮捕した。記録によると、トルコ系の過激派武装組織が非武装の市民数十人を殺害したという。

・1959年10月、マカリオス大司教がキプロスに帰還。大統領に選出される。

・1960年10月1日、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人のコミュニティが新憲法に合意。「キプロス共和国」はイギリスから独立したうえで、イギリス連邦に加盟した。イギリスは島内の2つの軍事基地に対する主権を保持した。

・1960年末、キプロスの総人口は58万人ほどで、そのうち約44万人がギリシャ系、約10万人がトルコ系だった。

・1963年、マカリオス大統領は、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人の権力共有の取り決めを廃止する憲法改正を提案したが、トルコの怒りを買い、地域間の暴力に発展した。この時。トルコ系キプロス人のコミュニティは権力共有から撤退すると宣言した。

・1963年12月21日、ギリシャ系キプロス人の警察官が関与する事件でトルコ系キプロス人2人が殺害され、地域間の暴力が全国に飛び火した。一連の暴動で、トルコ系364人、ギリシャ系174人が死亡し、主にトルコ系の村が破壊され、トルコ系の市民25,000〜30,000人が追放された。

・1964年、一連の暴動の影響でギリシャ系とトルコ系の権力共有は崩壊し、政府はトルコ系なしで形成され、島で唯一の正当な政府として認められた。

・1964年、国連平和維持軍(UNFICYP)が派遣され、トルコ系キプロス人の暴徒たちは島内の飛び地に撤退した。

・1974年7月15日、軍事クーデター発生。ギリシャはマカリオス大統領に対するクーデターを支援した。

・1974年7月20日、軍事クーデターから5日後、トルコ軍がキプロスへの侵攻を開始した。トルコ軍は軍事クーデターの首謀者や関係者を打倒し、キプロスの北3分の1を支配下に置いた。

・1974年7月20日、港湾都市キレニアから派遣された海軍の高速魚雷艇はトルコ海軍の艦隊と衝突し、沈没した。キプロス軍はトルコ軍への反撃を開始したが、上陸を止めることはできず、キプロス軍のT-34戦車と装甲車両は、トルコ空軍に打ちのめされた。

・1974年7月20日、国連安全保障理事会は決議353を可決し、トルコ軍の即時撤退を要求した。

・1974年8月15日、キプロス軍の最後の防壁が崩壊し、兵士たちは南部の都市ラルナカに撤退した。

・1974年8月15日、トルコ軍が首都ニコシアに侵攻し、キプロス軍の戦車部隊と衝突した。

・1974年8月16日、トルコ軍はグリーンラインまで前進し、キプロス軍をエリア外に追い払った。これにより、トルコ軍の侵攻作戦は事実終結し、キプロスの国土の約37%が取るトルコ系キプロス人の支配下に置かれた。

・1974年8月16日、国連安全保障理事会は決議360を可決し、キプロス共和国の主権、独立、領土保全を尊重することを宣言したうえで、トルコの軍事行動を正式に却下した。

1975年、トルコ系キプロス人が独立政権の樹立を宣言し、ラウフ・デンクタシュが大統領に就任した。

・1975年6月、アメリカ議会がトルコに対する武器禁輸措置を可決。トルコ軍はキプロス侵攻の際にアメリカ製の兵器を多数使用していた。

・1977年、マカリオス大統領死去。スピロス・キプリアノウが新大統領に就任した。

・1980年、国連主導の和平交渉が再開される。

・1983年、北キプロスのデンクタシュ大統領は和平交渉から撤退し、「北キプロストルコ共和国」の完全なる独立を宣言した。しかし、国際社会はこれを認めず、トルコだけが独立を承認した。

・1994年、欧州司法裁判所は北キプロストルコ共和国から果物や野菜を含む商品が輸出された場合、優遇措置の対象から除外すると裁定した。

・1998年、EUがキプロスを潜在的なメンバーに認める。

・2001年6月、キプロスと北キプロスが国連主導の交渉を再開。

・2002年11月、国連のコフィ・アナン事務総長は権力の共有とキプロスへの領土の返還を求めるキプロス平和統一計画を発表した。

・2002年12月、EUはキプロスと北キプロスが国連の計画に同意した場合、2004年のEU加盟を承認すると約束した。

・2003年4月、北キプロスが国境制限を緩和。これにより、双方の国民は約30年振りにグリーンラインを越えた。

2003年4月、大統領選挙。現職のグラフコス・クレリデス大統領がタソス・パパドプロスに敗れる。

・2004年4月24日、国連のキプロス統一計画の是非を問う国民投票。トルコ系キプロス人は計画を承認したが、ギリシャ系キプロス人は拒否し、計画は土壇場で頓挫した。

・2004年5月、EUに加盟。

・2004年12月、トルコがEU関税同盟協定をキプロスを含む10の加盟国に拡大することに合意。しかし、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相(当時)は、キプロスを正式に認めたわけではないと強調した。

・2005年8月、ギリシャのアテネ近郊でキプロスの航空機が墜落、乗客乗員121人全員が死亡した。

・2006年7月、タソス・パパドプロス大統領と北キプロスの指導者メフメト・アリタラットが国連主導の会談に出席し、和平交渉を再開するための枠組みに同意した。

・2007年1月、首都ニコシアの旧市街を隔てていた障壁が撤去される。

・2007年7月、パパドブロス大統領の統一に向けた戦術に反対する共産党が連立政権から離脱。

・2008年1月、ユーロを採用。

・2008年2月、大統領選挙。共産党のリーダー、デメトリス・クリストフィアスが勝利。クリストフィアス大統領は、統一に向けた努力を加速させると宣言した。

・2008年3月、デメトリス・クリストフィアス大統領と北キプロスのメフメト・アリ・タラットが統一に向けた協議を開始することに合意。

・2008年4月、首都ニコシアのレドラ通りの交差点が1964年以来初めて運用を再開した。

・2010年4月、大統領選挙。デルビス・エログルが現職のメフメト・アリ・タラット大統領を破る。

・2010年5月、北キプロスを代表する強硬派との再統一交渉を開始。

・2011年5月、議会選挙。右派政党のDISYが僅差で勝利した。

・2011年7月、イランの爆発物を積んだコンテナが海軍基地と国内の主要発電所で爆破され、海軍のアンドレアス・イオ・アニデス将軍を含む12人が死亡した。

・2011年9月、石油とガスの探索掘削を開始。これにトルコは強く反発し、北キプロス沖の海域に石油船を送り、キプロス政府を威嚇した。

・2012年4月、国連が和平交渉の中止を発表。統一計画自体は廃止されていない。

・2012年5月、トルコの石油会社はキプロス北部の陸地で石油と天然ガスの掘削を開始した。キプロス政府は違法掘削に強く反発しているが、トルコ政府は掘削を後押しした。

・2012年6月、キプロスの経済はギリシャ危機の影響を受け、著しく悪化した。

・2013年2月、大統領選挙。民主運動党のニコス・アナスタシアディスが勝利した。

・2013年3月、アナスタシアディス大統領はEUと国際通貨基金(IMF)から100億ユーロの救済を確保した。しかし、国内で第二位のライキ銀行は解体され、10万ユーロ以上預けていた預金者は大きな損失に直面した。

・2014年10月、キプロス政府はトルコのガス田探索に激しく抗議し、北キプロスとの和平交渉を中断した。EUとアメリカは緊張のさらなる悪化に懸念を示した。

・2015年2月、アナスタシアディス大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領が会談。アナスタシアディス大統領はロシア海軍のキプロス港へのアクセスを許可した。

・2015年5月、キプロスと北キプロスが統一に向けた和平交渉を再開。

・2016年1月、アナスタシアディス大統領と北キプロスの指導者、ムスタファ・アクンチが共同新年テレビ演説を行う。

・2018年11月、東部デリネイアと西部レフケの緩衝地帯の交差点が8年ぶりに運用を再開。

文化(目次に戻る

・ギリシャ、トルコ、キリスト教、イスラム教の影響を強く受けている。

・ギリシャ系キプロス人は主にキリスト教徒、トルコ系キプロス人は主にスンニ派イスラム教徒。

・主食はパンと米。よく使われる野菜はズッキーニ、ピーマン、オクラ、インゲン、アーティチョーク、ニンジン、トマト、きゅうり、レタス、ブドウの葉、豆類、ソラマメ、エンドウ豆、黒目豆、ひよこ豆、レンズ豆など。

・家庭料理で扱われる果物とナッツ類は梨、リンゴ、ブドウ、オレンジ、マンダリン、ネクタリン、メドラー、ブラックベリー、チェリー、イチゴ、イチジク、スイカ、メロン、アボカド、レモン、ピスタチオ、アーモンド、栗、クルミ、ヘーゼルナッツ。

キプロス共和国/カーニバル

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、バレーボール、自転車競技、バドミントン、クリケット、ラグビー、陸上境地、ボート競技など。

・プロサッカーリーグ、キプロス・ファーストディビジョンを運営している。

・人口約100万人の小国だが、スポーツの発展に力を入れており、世界トップレべルのアスリートを排出している。

・オリンピックでの獲得メダル数は1個。(銀:1個)

その他(目次に戻る

1974年の軍事クーデター以来、島は二つに分断されている

・人口約100万人の小国だが、2000年代初頭に先進国の仲間入りを果たした。

キプロス共和国/首都ニコシアの商店街
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