アンゴラ共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:アンゴラ共和国(Republic of Angola)

首都:ルアンダ(Luanda)

人口:30,355,880人(2020年推定)

面積:1,246,700㎢(日本の3.3倍)

気候:亜熱帯気候
・雨季と乾季を繰り返す。
・11~2月は降水量小、3~4月は降水量大、冬は乾燥している。
・夏は非常に蒸し暑い。
・砂漠エリアに雨季はない。
夏季の気温は20~35℃で推移。真夏の日中は高温多湿
・冬季の気温は高地でも10℃以上。乾燥するため非常に過ごしやすい。

経済:
・開発途上国
・主要産業は農業。
・天然資源(石油、天然ガス、ダイヤモンド)が豊富。
GDPは約894億ドル(2019年)
・人口の3分の1は自給自足生活を送っている。
石油の輸出に大きく依存。(輸出額の約90%、政府歳入の60%以上を占めている)
・貧富の格差が極めて大きい。
・都市部と地方の格差も大きい。
・インフォーマル経済。
・2001~2010年の年間GDP成長率は11.1%。石油の価格高騰で急成長を遂げた。
・2015年の石油ブーム終了以来、経済は収縮気味。
・アフリカを代表するダイヤモンド生産国。
・ダイヤモンドの密輸、それに関連する汚職が後を絶たない。
・ダイヤモンドは紛争や反乱の資金源になっている。(通称ブラッドダイヤモンド)

人種:
・オヴィンブンド人 37%
・キンブンド人 25%
・バコンゴ人 13%
・メスティコ 2%
・白人 1%
・他のアフリカ民族 22%

言語:ポルトガル語(公用語)
・民族や地域によって言語が大きく異なる。(47種類)
・都市部では主に、ポルトガル語、チェクウェ語、キコンゴ語、キンブンド語、オヴァンボ語、ムブンドゥ語が使われている。

宗教:
・ローマカトリック 56.4%(2015年国勢調査)
・プロテスタント 13%
・ペンテコステ派 10.4%
・その他のキリスト教 13.6%
・地域独自の信仰 4.4%
・その他の宗教 1.1%
・無宗教 1.0%
・キリスト教はポルトガル植民地時代に広がった。

アンゴラ共和国

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大統領:ジョアン・ロウレンソ(João Lourenço)

政治体制:共和制
・大統領は与党から選出。
・2010年に大統領選挙を廃止。
・州知事(18州)は大統領が任命。
・司法権の独立は保障されていない。(権力分立なし)
・議会の任期は4年、一院制。
・与党は不正選挙で議席の80%以上を常に堅持している。
政治家の汚職や不正が後を絶たず、罪に問われることも滅多にない
・最高権力者は大統領、議会ではない。
・軍の関係者が極めて大きな力を持つ。

法律:アンゴラの憲法
・ポルトガルの法律と慣習に基づいている。
・2010年の憲法改正時に大統領選挙を廃止。
・議会は大統領の解任権限を持っている。しかし、最高裁判所の承認を得ねばならず、裁判所の責任者は大統領。
・死刑廃止国家。ただし、地方では私刑が横行している。
・宗教と報道の自由を保障している。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2020年11月時点)

治安:危険
・感染症注意情報発令中。(エボラ出血熱、ポリオ、コロナウイルスなど
・内戦時の地雷が残っている地域あり。
・西部都市圏の治安は比較的安定している。ただし、スラム街は危険。
・その他のエリアは危険。
・ここ数年、大規模なテロ攻撃は発生していない。
・一部地域で武装勢力が活動している。
・イスラム過激派組織の活動は報告されていない。

アンゴラ共和国/首都ルワンダ

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・新聞社は10社。週刊誌も販売されているが、発行部数は数千部と伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は3社。
・ラジオ局は複数社存在する。
・報道の自由を憲法で認めているが、検閲は極めて厳しい。
ジャーナリズムは独立時に国有化されたといわれている
・インターネット環境は整っていない。

【国営メディア/設立年】
・アンゴラ公共テレビ 1973年

【民間メディア】
・TV Zimbo
・Palanca TV
・DStv(デジタル衛星テレビ)

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2020年軍事力ランキング:56位

・軍人数:107,000人(推定)
  即戦力 107,000人
  予備兵 0人

・陸・海・空軍を保有

・国防予算:70億ドル

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1700年代

・現在のアンゴラ共和国およびその周辺は、1575年にポルトガル王国の植民地になった

・現在の首都ルアンダは一定の自治権を与えられ、貿易港に発展した。

・ポルトガル領アンゴラの貿易相手はブラジルだったと伝えられている。(ブラジルもポルトガル王国の植民地)

・ポルトガル王国はブラジルやアンゴラの奴隷を領土拡大に利用した。(奴隷貿易と征服戦争)

・主な輸出品は奴隷、食料、ゴムなどだった。

1800年代

・1836年、奴隷貿易廃止。

・1844年、ルアンダ港を自由貿易港として開放。外国船の乗り入れが始まる。

・奴隷貿易廃止後も奴隷の密輸は後を絶たなかった。

・外国船の乗り入れが増加したことで輸出品も増加。ピーナッツ油、ワックス、コーパル、木材、綿、コーヒー、ココアなどが取引された。

ポルトガル王国に最も大きな利益をもたらしたのは、象牙とゴム、そして、現地民に課せられた税金だった。

・1884年、イギリスはポルトガル領アンゴラの一部地域の植民地化を認めなかった。(ベルリン条約)

・1885~1886年、一部地域を除く現在のアンゴラの国境が確立した。

アンゴラ共和国/高地

1900年~第一次世界大戦

・ポロトガル領アンゴラは、第一次世界大戦の影響を全く受けなかった。

・各地に都市、町、交易所が誕生、鉄道が開通し、港も拡張された。

・ポルトガル王国の支配者たちは、先住民族の伝統や遺産を残しつつ、欧州の文化、言語、キリスト教などを広めた。

・1900年代初頭、ポルトガル領アンゴラは急激に西洋化したと伝えられている。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・ポロトガル領アンゴラは、第二次世界大戦の影響を全く受けなかった

・象牙、綿花、コーヒーなどの輸出が増大、ポリトガル王国に大きな利益をもたらした。

ポルトガル王国は大きな利益をもたらす綿花の栽培を先住民族に強制した

終戦~現在

・1951年、ポルトガルの海外州に加入。

・1950年代後半、ポルトガルの支配に抵抗するアンゴラ解放人民戦線(UPA)とアンゴラ人民解放運動(MPLA)の動きが活発化する。

・1955年12月、ポルトガルが国連に加盟。

・1960年12月、ポルトガルの支配に抗議する労働者がボイコットを開始、より良い労働条件を要求した。

・1961年1月9日~11日、暴徒化したアンゴラ州の先住民族がポルトガル人を殺害する。

・1961年1月20日、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。以降、アメリカはアフリカのナショナリスト運動を支援する。アンゴラ州に関しては、UPAに武器などを直接提供した。

・1961年初頭、ポルトガルは植民地に対し、アメリカ製の武器使用を禁じる。

・1961年2月2日、ルワンダで数百人の抗議者とポルトガルの治安維持部隊が衝突。治安維持部隊の発砲で数十名が死亡した。

・1961年2月4日、アンゴラ独立戦争勃発。(ポルトガルのアンゴラ州軍vsUPA、MPLAなど)

・1961年3月15日、UPAを率いるホールデン・ロベルトは4,000~5,000人の過激派武装勢力を雇い、アンゴラ州北部への攻撃を開始した。

・1961年4月初旬、UPAの過激派組織がアンゴラ州北部のコルア村を襲撃。ポルトガル州軍を含む数十名を虐殺し、遺体を食べたと伝えられている。この虐殺共食い行為は、ポルトガル政府に大きな心理的ダメージを与えた。

・1961年4月11日、ポルトガルの独裁者、サラザール首相に対するクーデターが発生。失敗に終わる。

・1961年4月13日、サラザール首相がアンゴラ州への本軍派遣を指示

・1961年5月2日、ポルトガル政府は綿花の強制労働を禁じる新たな労働法を布告した。

・1961年6月9日、国連安全保障理事会が決議163を採択。アンゴラを非自治領と宣言し、ポルトガルに攻撃を停止するよう求めた。なお、決議はアメリカ、ソビエト連邦などによって承認され、イギリスとフランスは棄権している。

・1961年10月3日、ポルトガル本軍が攻撃終了を宣言。7日に軍事作戦終了を正式に発表した。

・1961年だけでアンゴラの先住民族2万~3万人が殺害され、約50万人が難民になった。(推定)

・1962年3月、UPAとアンゴラ民主党(PDA)が合併し、アンゴラ民族解放戦線(FNLA)を結成する。FNLAの指導者はホールデン・ロベルトが務めた。

・1962年3月27日、ホールデン・ロベルトがアンゴラ革命政府(GRAE)の設立を宣言。ロベルトはイスラエルを訪問し、1963~1969年まで援助を受けた。

・1970年代初頭、過激派組織の飛行隊がポルトガル州軍の基地を爆撃し始める。

・ポルトガル州軍が過激派組織への攻撃を開始、鎮圧に成功。

・1973年、ホールデン・ロベルトが中国を訪問。共産党の支持を取り付ける。

・1974年4月25日、ポルトガルの独裁政権に対するクーデターが発生。独裁政権は崩壊し、ポルトガルの民主化が始まる。(カーネーション革命)

・1974年4月25日、アンゴラ独立戦争終結。

・1975年1月15日、ポルトガル、FNLA、MPLA、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)がアルヴォー合意に署名。

・1975年11月11日、「アンゴラ共和国」が独立を宣言。

・1975年11月11日、アンゴラ南北戦争勃発。(MPLA連合軍vsFNLA、UNITA連合軍)

・1975年11月~1976年1月末、MPLA連合軍が敵軍を圧倒。FNLAに加担していた南アフリカが撤退を表明する。

・1977年5月27日、MPLA内でクーデターが発生するも失敗に終わる。MPLAとこれに加担するキューバ軍はクーデターに関わった数千~数万名を処刑したと伝えられている。

・MPLAはソビエト連邦と東側諸国から支援を受け、その後も激しい戦いを継続した。

・1987年1月13日、クイトクアナヴァレの戦いが始まる。(アンゴラ人民共和国vsFNLA、UNITA連合軍)

・1987年3月23日、クイトクアナヴァレの戦い終結。両軍合わせて数万人が死亡、決着はつかず停戦した。

・1987年6月、アメリカとMPLAが平和交渉を本格化させる。

・1992年10月30日~11月1日、MPLA軍がFNLAとUNITAの支持者を粛正。25,000~30,000人が虐殺された。(ハロウィーン大虐殺)

・1994年11月20日、アメリカやロシアの監視のもと、アンゴラ共和国とUNITAがルカサ議定書に署名。武装解除および和解に合意した。

・1995年、元UNITAの反乱軍などが局地的な戦闘を再開。

・1997年4月、内閣発足。

・1997年8月28日、国連安全保障理事会がUNITAへの制裁を採択。

・1999年、アンゴラ共和国軍の大規模攻撃で元UNITAの反乱軍などは壊滅、占領されていた主要都市の奪取に成功した。

・2002年4月4日、アンゴラ南北戦争終結。死者数は民間人を含めると推定100万人、数十万人が住居を失い、推定400万人が国内避難民になった。国内に敷設された地雷の数は推定1,500万発。

・2002年8月、UNITA政党誕生。

・2017年9月、アンゴラ共和国とMPLA軍を率いたホセ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領が辞任。38年の独裁政権が終了した。

・2017年9月、ジョアン・ロウレンソが形だけの選挙で新独裁大統領に就任。

文化(目次に戻る

・ポルトガル文化の影響を強く受けている。

・アンゴラ料理の主菜は米と豆。ニンニクなどの香辛料を多用する。

・代表的な食材は豚肉、鶏肉、サツマイモ、キャッサバ、トマト、玉ねぎ。

・アルコール飲料は国内産がほとんど。一番人気はアンゴラビール。

・ソフトドリンクはアメリカの影響を強く受けている。一番人気はコカ・コーラ。

・植民地時代および独立後の内戦時、音楽(主にポピュラー音楽)は厳しく制限されていた。

・国内で活動していたミュージシャンの多くが内戦時に殺害された。

・アンゴラ国民のアイデンティティを「アンゴラニダード」と呼ぶ。

アンゴラ共和国/アンゴラの女性

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はバスケットボール。

・サッカー代表チームはアフリカネイションズカップで一定の成績を収めている。

・数年前に女子ハンドボール代表チームを結成。

・オリンピックでのメダル獲得実績なし。

その他(目次に戻る

・アンゴラ南北戦争で壊滅的な被害を受けた都市圏以外のエリアは、今も荒廃したままである。

政治家の汚職や不正が蔓延しており、新たな争いの火種になると懸念されている

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