コンテンプト・オブ・コート 7-33
アンカレッジ市内。
住宅街の道路脇に、一台のタクシーが停まった。
後部座席から降りた女は、運転手に料金を支払うと、周囲を見回した。フィリピンから到着して間もない。長時間の移動で疲れは残っていたが、足取りに迷いはなかった。
道路の向こうに、一軒の住宅が見えた。
ローリーの実家だった。
女は道路脇の街路樹の陰に立ち、家の様子をうかがう。二階建ての住宅で、玄関前には小さな植え込みがある。駐車スペースには車が一台停まっていた。
窓にはカーテンがかかっている。
女は手にした鞄の持ち手を握り直した。
ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかった。
空港からタクシーに乗り、住所を伝えた。運転手は何も尋ねず、指定された場所まで送り届けてくれた。
今さら、何をしに来たのか。
自分でも分かっていたはずだった。
ただ、一目見たかった。
それだけだった。
女は住宅から目を離さず、道路の反対側へ移動した。通行人が近づくと、視線をそらしてやり過ごす。家の前を通る車にも注意を払った。
やがて、玄関のドアが開いた。
女の身体がわずかに固まった。
中から男が出てきた。玄関先で郵便物を確認し、何かを探すように車の方へ歩いていく。
女は顔を伏せた。
男は郵便物を手に家へ戻った。ドアが閉まる。
しばらく待っても、ほかに動きはなかった。
女は携帯電話を取り出した。画面には、フィリピンから届いた連絡の履歴が残っている。新しい通知はなかった。
女は画面を閉じ、再び家を見た。
ローリーは、ここで暮らしているのだろうか。
仕事に出ているのかもしれない。あるいは、家の中にいるのかもしれない。
女は玄関から目を離さなかった。
そのとき、家の窓際に人影が現れた。
女は息を止めた。
カーテンの隙間から、若い女性の横顔が見えた。ほんの数秒だった。人影は窓から離れ、室内の奥へ消えていく。
女は一歩踏み出しかけた。
だが、すぐに足を止めた。
声をかけることはできなかった。玄関へ向かうこともできない。
ただ、今見えた姿を目に焼きつけるように、窓を見つめていた。
鞄の中には、ここへ来るまでに必要だったものが入っている。身分を示す書類、現金、着替え。どれも、これからの行動に備えたものだった。
それでも、家の中に入る決心はつかなかった。
女はゆっくりと息を吐いた。
一目見られた。
それだけで、今は十分だった。
やがて女は住宅から視線を外し、歩道を歩き始めた。家の前を通り過ぎ、角を曲がる。
ローリーの姿は、もう見えなかった。
女は鞄を持ち直し、住宅街の先へ歩いていった。
