コンテンプト・オブ・コート 1-19
夜。
店の営業は終わっていた。
トーマスは店内の照明を落とし、レジの横にある小さな机だけ明かりを残していた。
机の上には帳簿が広げられている。
電卓。
領収書。
銀行から届いた封筒。
仕入れ先からの請求書。
トーマスは一枚ずつ確認していた。
数字を書き込む。
電卓を叩く。
帳簿を見る。
また電卓を叩く。
同じ計算を三度繰り返したところで、トーマスは手を止めた。
「……足りないな」
小さく呟いた。
その声を、店の奥から戻ってきたローリーが聞いた。
「何が?」
トーマスが顔を上げる。
「まだ起きてたのか」
「水を飲みに来ただけ」
ローリーはカウンターの横を通り、父親の前に立った。
「何してるの?」
「店の帳簿を見てる」
「この時間まで?」
「月末だからな」
ローリーは机の上を見た。
帳簿には毎日の売上が並んでいた。
大きな店ではない。
だが、長年続けてきた小売店だ。
ローリーも店の数字をまったく知らないわけではなかった。
子供の頃から、父親がこの店を守ってきたのを見ている。
だからこそ、違和感があった。
「売上、落ちてる?」
トーマスは答えなかった。
ローリーが帳簿を覗き込む。
先月より売上が少ない。
それだけなら珍しいことではない。
だが、仕入れの金額がほとんど変わっていなかった。
「仕入れは同じくらいね」
「そうだな」
「利益が減ってる」
「一時的なものだ」
「何が原因?」
「景気が悪いんだろ」
トーマスは帳簿を閉じようとした。
ローリーが手を置いた。
「待って」
トーマスの手が止まる。
「これ」
ローリーは請求書を一枚取った。
金額を確認する。
「この支払い、何?」
「仕入れだ」
「仕入れ先の名前が違う」
「新しい業者だ」
「どうして?」
「安く仕入れられるからだ」
ローリーは請求書を裏返した。
「安くないじゃない」
トーマスは黙った。
ローリーはもう一度帳簿を見る。
今度は数字を追う速度が速くなった。
売上。
仕入れ。
家賃。
光熱費。
従業員への給料。
そこまでは分かる。
問題は、その下だった。
帳簿の一部に、毎月一定の金額が記録されている。
ローリーは指でそこを押さえた。
「これ、何?」
トーマスは視線を落とした。
「経費だ」
「何の経費?」
「店の経費だよ」
「項目が書いてない」
「細かいことはいい」
「よくないでしょ」
ローリーは父親の顔を見た。
トーマスは帳簿を閉じた。
「もういい」
「お父さん」
「店のことは俺に任せろ」
「でも、数字がおかしい」
「おかしくない」
「じゃあ説明して」
「説明する必要はない」
短い言葉だった。
ローリーは黙った。
父親がここまで強く拒むことは珍しかった。
トーマスは帳簿を抱えた。
そのとき、机の端に置かれていた銀行からの封筒が床に落ちた。
ローリーが拾う。
「これ、銀行から?」
「返してくれ」
「何の通知?」
「店の口座だ」
「残高が足りないの?」
「違う」
トーマスは封筒を取り上げた。
ローリーは父親の手を見た。
少し震えている。
「お父さん」
「何だ」
「店、大丈夫なの?」
トーマスは答えなかった。
「俺が何とかする」
「何とかするって、どういう意味?」
「そのままの意味だ」
「借金があるの?」
トーマスの顔が固まった。
ほんの一瞬だった。
だが、ローリーには分かった。
「……あるのね」
「誰でも借金くらいする」
「いくら?」
「ローリー」
「いくら借りてるの?」
「お前には関係ない」
「私にも関係あるでしょう」
「ない」
トーマスは帳簿を閉じた。
「この店は俺の店だ。お前は自分のことを考えろ」
「私は弁護士よ」
「今は仕事を休んでるだろ」
「それでも弁護士」
「だから何だ」
「困ってるなら相談して」
トーマスはしばらく黙っていた。
そして、銀行の封筒を帳簿の下に差し込んだ。
「心配するな」
「その言葉で安心できると思う?」
「できる」
「私はできない」
トーマスは小さく息を吐いた。
「店は潰さない」
ローリーは父親を見た。
その言葉が妙に引っかかった。
店を続けると言うのではない。
潰さない、と言った。
「何があったの?」
「何もない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ、どうしてこんなに必死になって帳簿を見てるの?」
トーマスは答えなかった。
時計の秒針だけが動いている。
ローリーはそれ以上、聞かなかった。
父親が話すつもりがないことは分かった。
だが、問題があることも分かった。
店の売上だけではない。
金が出ていく理由がある。
そして、その理由を父親は隠している。
ローリーは椅子から立ち上がった。
「寝るね」
「ああ」
数歩進んでから、ローリーは振り返った。
「お父さん」
「何だ?」
「一人で抱え込まないで」
トーマスは答えなかった。
ローリーは店の奥へ戻っていった。
トーマスは一人になった。
帳簿を開く。
さっきまで見ていた数字を、もう一度確認する。
赤字。
支払い期限。
不足している金。
トーマスは銀行の封筒を取り出した。
封筒の中身を見た。
そして、机の引き出しを開ける。
中には何枚かの書類が入っていた。
トーマスはその上に銀行からの通知を重ねた。
引き出しを閉める。
鍵を掛ける。
店内の照明を消した。
暗闇の中で、トーマスはしばらく動かなかった。
