イランの死刑制度:極めて高い執行件数、法的・宗教的背景
イランの死刑制度は、単に「死刑を存置している国」というだけでは説明できない。
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現状(2026年9月時点)
イランの死刑制度は、世界でも極めて大規模に運用されている制度の1つである。2026年9月時点で確認できる最新の年次統計では、2025年に少なくとも1,639人が処刑されており、これは2024年の975人から68%増加し、1989年以降で確認された最多の執行件数となった。さらに2026年に入ってからも執行が続いており、死刑制度が一時的な治安政策ではなく、刑事司法と政治的統制の双方に組み込まれた恒常的な国家制度として機能していることが分かる。
ただし、イランの死刑執行件数を把握する際には、公式発表だけを見てはならない。2025年に確認された1,639件のうち、当局が公表したものは113件にとどまり、全体の93%以上に当たる1,524件は当局から公式には発表されていなかったためである。したがって、実際の執行規模は人権団体が確認できた数字をさらに上回る可能性があり、統計上の「少なくとも」という表現そのものが重要な意味を持つ。
この非公開性は、イランの死刑制度を分析するうえで大きな問題となる。刑務所内で執行された死刑について家族や報道機関への通知が限定される場合があり、国外の調査機関は国内の情報提供者、弁護士、家族、地方メディアなど複数の情報源を照合して件数を推計しているからである。そのため、国際的に広く引用されている執行統計は、実際の全件数ではなく、確認可能な最低限の件数と理解する必要がある。
執行件数の現状と動向
イランにおける死刑執行は、2022年以降、とりわけ顕著な増加傾向を示している。イラン人権と死刑廃止を求める専門機関の共同調査によれば、2023年は少なくとも834人、2024年は975人、2025年は1,639人が処刑されており、3年間で執行件数はほぼ2倍に達した。2024年の975件も2000年代後半以降の高い水準だったが、2025年にはそれをさらに大きく上回った。
特に注目すべきなのは、2025年の増加が特定の犯罪類型だけによって説明できない点である。薬物犯罪による執行が795件、殺人に対するキサス、すなわち報復刑による執行が747件確認されており、この2つだけで全体の大部分を占める一方、反政府活動や国家安全保障に関係する犯罪でも死刑が使用されている。つまりイランの死刑制度は、通常の重大犯罪に対する刑罰としての側面と、国家の安全保障政策・政治的統制の手段としての側面を同時に持っている。
2025年の1,639件という数字を単純に年間日数で割ると、平均して1日あたり4人を超える人が処刑された計算になる。この水準は、死刑が例外的な刑罰として個別に適用されているというより、一定の規模を持つ行政・司法上の継続的な執行システムとして運用されていることを示している。
さらに2026年についても、死刑執行をめぐる状況は改善していない。2026年9月10日付の人権団体の報告では、同年3月18日から8月末までの約5か月間に、当局が最近の抗議活動に関連して29人の処刑を公表したとされ、その中には18歳、19歳の若者も含まれている。また、抗議活動関連事件では逮捕から死刑執行までの期間が極めて短い事例も報告されている。
急増する執行件数
この急増を単純に「犯罪が増えたため」と説明することには無理がある。2025年の執行件数では薬物犯罪が795件と最大の割合を占めたものの、2024年の503件から58%増えており、薬物犯罪への死刑適用が拡大したこと自体が執行件数全体を押し上げる要因となっているからである。
一方、殺人に対するキサスによる執行も2024年の419件から2025年には747件へと79%増加した。この増加は、イランの死刑制度が国家による刑罰だけで構成されているわけではなく、被害者遺族の権利や和解制度などイスラム法上の特殊な仕組みとも結び付いていることを示している。したがって、イランの死刑執行急増を分析するには、政治的弾圧だけでなく、薬物犯罪、殺人、宗教的犯罪、国家安全保障犯罪という複数の領域を分けて考える必要がある。
しかし、政治的要素を無視することもできない。2022年に始まった大規模な反政府抗議運動以降、イラン当局による死刑の利用が増加してきたと人権機関は指摘しており、2025年の異例の高水準についても、死刑を社会に恐怖を与える手段として利用しているとの分析が示されている。
2026年はさらに複雑な状況にある。国内の抗議運動に加えて、イランをめぐる国際的な軍事・外交上の緊張が高まり、国際社会の注目が核問題や軍事衝突へ移る一方、国内では死刑執行を含む司法措置が進められているとの懸念が示されている。このため、現在のイランでは死刑制度を「刑事司法制度の一部」としてだけ捉えるのではなく、治安維持、政治的抑圧、社会統制、宗教的規範の維持が重なった制度として分析する必要がある。
ここまでの数字から明らかなのは、イランの死刑制度が単に「死刑を存置している国」という水準を超えていることである。年間1,000件前後、2025年には1,600件を超える規模で執行が行われ、その大部分が公式には十分に公表されていないという状況は、死刑制度そのものだけでなく、司法の透明性、裁判手続、国家による情報管理、そして人権保障のあり方を同時に問う問題となっている。
世界全体への影響
イランの死刑執行件数を世界全体の動向の中に置くと、その規模の大きさがより明確になる。アムネスティ・インターナショナルによると、2025年に世界で確認された死刑執行は少なくとも2,707件であり、このうちイランは少なくとも2,159件を占めたため、確認された世界の執行件数の約80%に相当する規模となった。中国では死刑執行件数が国家機密として扱われ、数千件が執行された可能性があるため単純な世界順位には限界があるものの、確認可能な統計だけを比較すれば、イランが世界の死刑制度に与える影響は極めて大きい。
しかも問題は、死刑を執行する国の数が増えているわけではない点にある。2025年にアムネスティ・インターナショナルが確認した執行国は17か国にとどまり、歴史的に見ても少数である一方、その限られた国の一部で執行件数が急増しているため、世界全体の数字が押し上げられている。イランはその中心的な存在であり、死刑制度が世界的に縮小する流れと、特定国家における大量執行が同時に進行するという二極化を象徴している。
2024年にも同様の構造が確認されていた。アムネスティ・インターナショナルが確認した世界の執行件数は少なくとも1,518件で、そのうちイランは少なくとも972件を占め、サウジアラビア、イラクと合わせた3か国だけで確認された世界の執行件数の91%を占めていた。したがって、イランの問題は単独の国内問題ではなく、中東地域に集中する死刑制度の拡大を考える際の中心的な事例となっている。
法的・宗教的背景
イランの死刑制度を理解するためには、イスラム法と現代国家の刑法がどのように組み合わされているかを見る必要がある。イラン・イスラム共和国の刑法では、イスラム法上の概念を基礎とする刑罰と、国家が定める犯罪・刑罰が併存しており、死刑も単一の法理によって運用されているわけではない。
特に重要なのが、キサス、フドゥード、モハレベ、そして「地上における腐敗」を意味する概念などである。これらはそれぞれ成立条件や法的性質が異なり、すべてを単純に「宗教上の死刑」と一括りにすることは適切ではない。
同時に、イランでは国家安全保障に関係する事件について革命裁判所が重要な役割を果たしている。アムネスティ・インターナショナルは、革命裁判所が国家安全保障犯罪や薬物犯罪を管轄し、死刑判決を含む重い刑罰を科している一方、被告人の公正な裁判を受ける権利が体系的に侵害されていると指摘している。
イスラム法に基づく分類
イランの刑罰体系を大きく整理すると、イスラム法上の刑罰として重要なのがキサスとフドゥードであり、それとは別に裁判官の裁量や国家刑法に基づく刑罰も存在する。この分類を理解することは、なぜ殺人事件と政治事件で死刑に至る法的経路が異なるのかを理解するうえで重要である。
キサスは主として殺人や身体的損傷に対する報復を意味し、フドゥードは宗教的・道徳的に重大な犯罪について一定の刑罰を定める制度である。一方、モハレベや「地上における腐敗」は国家の安全や社会秩序を脅かす行為に関連して適用されることがあり、現代の政治事件との接点が特に問題視されている。
さらに、死刑の適用にはイスラム法上の犯罪だけでなく、薬物犯罪や安全保障関連犯罪など、国家が制定した法律によるものも含まれる。このため、イランの死刑執行件数を宗教的犯罪だけから説明することはできず、宗教法、刑法、治安政策が重なった複合的な制度として捉える必要がある。
キサス(報復刑)
キサスは、イランの死刑執行を考えるうえで特に重要な制度である。典型的には故意の殺人について、被害者側の権利として加害者に同等の報復を求めることが認められ、死刑判決が確定した場合でも、被害者遺族が刑の執行を求めるか、赦免するか、一定の賠償を受けて和解するかという選択肢を持つ。
この制度は、国家が一方的に犯罪者を処刑する一般的な死刑制度とは性格が異なる。イラン人権などの調査によると、2025年には殺人事件に対するキサスによる処刑が少なくとも747件確認され、前年の419件から大幅に増加した。2025年のイランにおける死刑執行全体の中でも極めて大きな割合を占めており、現在の大量執行を説明する際には政治事件や薬物犯罪だけでなく、キサス制度も考慮する必要がある。
キサスをめぐっては、死刑廃止を求める側からも重要な問題が指摘されている。とりわけ、貧困や社会的立場によって賠償金を準備できる能力に差が生じる場合、実質的な結果が経済力に左右される可能性があるためである。
したがって、キサスは単純な国家刑罰ではなく、被害者遺族の権利、加害者の生命権、賠償と和解、宗教的法理、国家司法制度が交差する領域に位置している。イランにおける死刑執行件数が多い理由を分析する場合、この特殊性を無視すると統計の意味を誤って解釈することになる。
フドゥード(神に対する罪)
フドゥードは、イスラム法において一定の犯罪について定められた刑罰を指す。具体的な犯罪類型や刑罰についてはイスラム法学派によって解釈の違いが存在するが、イランの刑法体系では宗教的規範と刑事罰が密接に結び付いている。
死刑との関係では、特定の性的犯罪などに極めて重い刑罰が規定されていることが問題となってきた。アムネスティ・インターナショナルは、2025年にもイランで「姦通」が石打ちによる死刑の対象となり得る状況が残っていると報告している。
ただし、現在の大量執行の大部分をフドゥードだけで説明することはできない。2025年に確認された多数の執行は薬物犯罪、殺人、政治・安全保障関連犯罪などに集中しており、フドゥードはイランの死刑制度を構成する一部分として位置付ける方が実態に近い。
モハレベ(神に対する敵対行為)
モハレベは、一般に「神に対する敵対行為」などと訳され、イランの刑法において死刑と結び付く重要な犯罪類型である。武器を用いて社会に恐怖や不安を生じさせる行為などが対象とされるが、実際の適用については解釈の広さが大きな問題となっている。
特に政治的反対派や抗議活動参加者に対してモハレベが適用されるケースが国際的な批判を受けている。2025年には、禁止された反政府組織との関係などを理由として、モハレベ、「地上における腐敗」、国家に対する武装反乱などの罪名によって死刑判決を受けた事例が確認されている。
この点が、イランの死刑制度における最大の論点の1つである。宗教的・法的概念として制定された犯罪類型が、どこまで政治的行為や表現活動に適用され得るのかという問題であり、国際人権機関は、犯罪構成要件が広く曖昧であることによって死刑の対象範囲が拡大していると批判している。
特に2025年には、イスラエルとの戦闘をめぐる緊張の高まりを背景に、当局が「神に対する敵対行為」や「地上における腐敗」を安全保障上の行為に適用する姿勢を強めたと報告されている。イラン当局は、国家の安全を脅かす行為への抑止を目的としていると主張する一方、人権機関は表現、政治活動、反対意見まで死刑の対象になり得る危険性を指摘している。
このように見ると、イランの死刑制度には3つの異なる側面が存在する。殺人などに対するキサス、宗教的犯罪に対するフドゥード、そして国家安全保障や社会秩序に関係するモハレベなどであり、さらに薬物犯罪などの一般刑法上の犯罪が加わることで、非常に広範な死刑適用が形成されている。
適用範囲の広さ
イランの死刑制度が極めて高い執行件数につながっている大きな理由の1つは、死刑の対象となる犯罪類型が広いことである。殺人に対するキサスだけでなく、薬物犯罪、強姦、国家安全保障関連犯罪、武装反乱、モハレベ、「地上における腐敗」、諜報活動など、複数の法的根拠から死刑判決が成立する仕組みになっている。
2025年にイラン人権が確認した少なくとも1,639件の執行では、薬物犯罪が795件、殺人に対するキサスが747件を占めたほか、強姦による執行が37件、国家安全保障関連の罪による執行が少なくとも57件確認された。つまり、執行件数の急増は単一の犯罪類型だけによるものではなく、一般犯罪と安全保障犯罪の双方で死刑が広範に利用されている結果と考える必要がある。
さらに問題となるのが、国家安全保障関連の犯罪概念の広さである。モハレベ、「地上における腐敗」、武装反乱などは本来、重大な暴力行為や国家秩序への深刻な脅威を対象とするものとして理解されるが、実際には政治活動家、反政府活動への参加者、反体制組織との関係を疑われた人物などにも適用されていると人権機関は指摘している。
この構造によって、死刑は重大な殺人事件に対する最終刑罰という限定的な位置から、薬物取締り、治安維持、政治的反対派の処罰という複数の政策領域へ広がっている。結果として、犯罪抑止のための刑罰と政治的統制のための刑罰との境界が不明確になっている。
執行を急増させる政治的・社会的要因
2025年の急増を理解するうえで重要なのは、2022年に始まった大規模な「女性、生命、自由」運動以降、死刑の政治的な意味が強まったことである。イラン人権は、2025年の1,639件という記録的な執行について、当局が死刑によって社会に恐怖を植え付け、さらなる抗議活動を抑止しようとした可能性を指摘している。
2025年には、国家安全保障関連の罪による執行も少なくとも57件に達し、2024年の31件から大幅に増加した。そこには抗議活動参加者、政治囚、諜報活動を疑われた人物などが含まれており、死刑制度が通常の刑事司法だけでなく、国家安全保障政策と直接結び付いていることが分かる。
特に2025年6月のイスラエルとイランの軍事衝突以降、この傾向が強まったと報告されている。イラン当局は外国勢力との協力や諜報活動を重大な国家安全保障上の犯罪として扱い、戦時下の治安環境を背景に、死刑を含む厳しい刑罰を適用する動きを強めた。
2026年には、この傾向がさらに政治的な性格を帯びている。2026年3月18日から8月末までの5か月間だけで、イラン当局は最近の抗議活動に関連して少なくとも29人を処刑したとヒューマン・ライツ・ウォッチが報告しており、その中には18歳と19歳の若者も含まれている。
反政府デモや政治的不安の抑圧
死刑と政治的弾圧との関係を考えるうえで重要なのは、死刑判決を受けた人物の行為そのものと、国家がそれをどのように犯罪化しているかを区別することである。2026年の抗議活動関連事件では、殺人を行ったとの具体的な主張がない人物についても、道路封鎖、公共施設の損壊、政府施設への侵入、敵対国との協力などを理由として死刑が執行されたと報告されている。
ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、2026年3月18日から8月末までに政治的動機を持つとされる国家安全保障関連の罪で少なくとも59人の男性が処刑された。そのうち少なくとも29人が2025年12月から2026年1月にかけての抗議活動との関係で逮捕された人物であり、さらに2022年の「女性、生命、自由」運動に関連して逮捕された人物も含まれている。
ここで注目すべきなのは、死刑の対象となる行為が必ずしも故意の殺人ではないという点である。国際人権法上、死刑を存置する国であっても、その適用は原則として最も重大な犯罪、すなわち故意による殺人に限定されるべきだと国際人権機関は解釈しており、単なる抗議活動や財産損壊などに死刑を適用することには重大な問題がある。
2026年の状況は、この問題をさらに明確にしている。2026年1月の抗議活動に関連して死刑判決を受けた人々の中には、2026年5月時点で少なくとも41人が含まれており、さらに政治活動家や反政府組織との関係を疑われた人物などを含む少なくとも78人が死刑執行の危険にさらされているとアムネスティ・インターナショナルは報告した。
薬物犯罪関連の摘発強化
イランの死刑急増を考えるうえで、政治的事件と並んで極めて重要なのが薬物犯罪である。2025年には少なくとも795人が薬物犯罪によって処刑され、2024年の503件から58%増加したため、薬物犯罪だけで2025年の全執行件数の約半分を占めた。
薬物犯罪に対する死刑執行は2021年以降、継続的に増加している。イラン人権の調査では、2023年と2024年の薬物犯罪による執行件数は、2018年から2020年までの年間平均と比較してそれぞれ18倍、19倍に達し、2025年にはさらに58%増加したとされている。
薬物犯罪の摘発強化には、薬物の密輸や流通を抑止するという刑事政策上の理由がある。しかし、人権団体は、薬物犯罪者に対する死刑が実際の犯罪抑止に有効であることを示す十分な証拠がないにもかかわらず、イラン当局が極めて重い刑罰を継続していると批判している。
また、薬物犯罪による死刑は社会的に弱い立場にある人々へ偏っているとの指摘も重要である。アムネスティ・インターナショナルは、2025年の薬物犯罪による執行がクルド系住民、バルーチ系住民、アフガニスタン出身者などの少数派に不均衡な影響を与えていると指摘している。
特にバルーチ系住民については、2025年に少なくとも106人が薬物犯罪で処刑され、全人口に占める割合を考えると過剰に高い比率となったとイラン人権は報告している。したがって薬物犯罪への死刑適用は、単なる犯罪対策だけでなく、貧困、地域格差、民族的少数派の社会的脆弱性という問題とも結び付いている。
恐怖政治による統制
ここまでのデータを総合すると、イランの死刑執行急増には「犯罪に対する刑罰」という側面だけでは説明できない政治的機能が存在すると考えられる。特に抗議活動が繰り返される状況では、処刑そのものを社会に対する警告として利用することで、国民に国家への抵抗には極めて重い代償が伴うことを示す効果が期待される。
この意味で、死刑は個々の犯罪者に対する刑罰であると同時に、社会全体に向けた政治的メッセージとなる。イラン人権の分析でも、2025年に平均すると1日4~5人に相当する規模で処刑が行われたことについて、当局が恐怖を利用して新たな抗議活動を防ぎ、政権の統制を維持しようとしたとの見方が示されている。
この「恐怖による統制」という構造は、公開処刑や政治事件に対する迅速な死刑執行によってさらに強化される可能性がある。2026年には抗議活動関連の死刑執行の一部が公開で行われ、ヒューマン・ライツ・ウォッチは2026年3月から8月までに少なくとも5件の公開処刑を確認している。
ただし、死刑を大量に執行すれば必ず政治的安定が実現するとは限らない。実際、2025年に記録的な執行件数を記録したにもかかわらず、その年末には再び人々が街頭に出て基本的権利を求める抗議活動が発生したとイラン人権は指摘しており、処刑による抑止政策には明確な限界があることも示唆されている。
さらに、2026年1月から8月までについてイラン人権が確認した執行件数は少なくとも528件に達し、その中には抗議活動参加者31人、禁止された反政府組織に所属するとされた政治囚13人、諜報活動を疑われた14人が含まれている。2026年も死刑が政治的・安全保障的な統制手段として機能していることを示す数字であり、2025年の急増が一時的な現象ではなかった可能性を強く示している。
以上を踏まえると、イランにおける死刑執行の急増は、犯罪件数の増加だけでは説明できない複合現象である。薬物犯罪への厳罰化、キサスによる殺人犯の処刑、国家安全保障関連犯罪の拡大、抗議活動への弾圧、外国勢力との対立、そして死刑そのものを利用した恐怖による社会統制が重なり、世界でも突出した執行規模を形成している。
国際法および人権上の主な問題点
イランの死刑制度をめぐる最大の問題は、死刑そのものを存置していることだけではなく、その適用対象、裁判手続、執行方法のそれぞれが国際人権法上の基準と大きく衝突している点にある。イランは「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の締約国であり、生命に対する権利、公正な裁判を受ける権利、拷問を受けない権利などを尊重する義務を負っている。
国際人権法上、死刑を存置する国であっても、その適用には厳しい制限が存在する。国連の人権機関は、死刑の対象となる「最も重大な犯罪」を故意による殺人に限定する方向で解釈しており、薬物犯罪や単なる政治活動、財産損壊などに死刑を適用することには重大な問題がある。
イランでは、こうした制限に反して薬物犯罪や曖昧な国家安全保障犯罪に死刑が適用されていると人権機関は指摘している。特にモハレベや「地上における腐敗」など、構成要件の解釈に幅がある犯罪が政治的反対派に適用される場合、何が死刑に値する犯罪なのかを市民が予測できないという「罪刑法定主義」の問題も生じる。
公正な裁判の欠如
死刑制度をめぐる問題の中でも、特に深刻なのが公正な裁判を受ける権利の侵害である。国際人権機関の報告では、イランの死刑事件において拷問などによって得られた供述、弁護士へのアクセス制限、独立した弁護士を選任する権利の侵害、推定無罪の原則の軽視などが繰り返し指摘されている。
とりわけ政治事件では、逮捕から判決、執行までの期間が非常に短い事例が報告されている。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、2026年の抗議活動関連事件では、逮捕から処刑までが5週間余りから8か月未満というケースがあり、重大な死刑事件について被告人が十分な防御準備を行う時間が確保されていなかった。
2026年2月には、1月の全国的な抗議活動に関連して少なくとも30人が死刑の危険にさらされているとアムネスティ・インターナショナルが報告した。そのうち8人は逮捕から数週間で死刑判決を受け、少なくとも22人についても、拷問によって得られたとされる供述や弁護士へのアクセス制限などを伴う手続が進められていた。
死刑事件では、誤判が発生した場合に生命を回復できないという特殊性がある。そのため、通常の刑事事件以上に証拠の厳格な審査、弁護人との十分な接触、公開性と司法の独立性が必要になるが、それらが十分に保障されないまま死刑が執行されれば、生命権への重大な侵害となる。
少年の処刑
イランでは、犯罪行為を行った時点で18歳未満だった者に対して死刑判決が下され、実際に執行されるケースが長年にわたって問題となっている。国際人権法は、犯罪時に18歳未満だった者への死刑を明確に禁止しており、児童の権利に関する国際条約や「市民的及び政治的権利に関する国際規約」もこの原則を採用している。
アムネスティ・インターナショナルによれば、2025年には世界で確認された少年犯罪に対する死刑執行は少なくとも3件あり、そのうち1件がイランであった。さらに2026年についても、17歳など犯罪時に18歳未満だった人物が死刑の危険にさらされている事例が確認されている。
イランの刑法には、少年について裁判官が犯罪時の精神的成熟度などを判断し、死刑を別の刑罰に変更できる仕組みが存在する。しかし、これは国際法が要求する「18歳未満の犯罪者には死刑を科してはならない」という明確な年齢基準とは異なるため、根本的な問題を解消していない。
さらに深刻なのは、少年事件でも拷問による供述や弁護士へのアクセス制限が問題となっていることである。未成年者は成人以上に取調べや拘禁による心理的圧力を受けやすいため、死刑事件における手続保障が不十分であれば、その危険性はさらに大きくなる。
公開処刑の実施
公開処刑もイランの死刑制度を特徴付ける問題の1つである。2025年についてアムネスティ・インターナショナルは、世界で少なくとも17件の公開処刑を確認し、そのうち11件がイランで行われたとしている。これは公開処刑がイランで単なる過去の慣行ではなく、現在も実施されていることを示している。
2026年には、公開処刑が政治的抑圧の手段として利用されているとの批判がさらに強まった。ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、2026年3月18日から8月末までに政治的動機を持つ国家安全保障関連の罪で処刑された59人のうち、5人が公開の場で処刑された。
公開処刑には、通常の刑務所内での死刑とは異なる政治的・社会的効果がある。処刑される人物だけを対象にするのではなく、現場を目撃する住民や映像を見る社会全体に恐怖を与え、国家に抵抗すれば同様の結果になるというメッセージを伝えることが可能だからである。
このため、人権機関は公開処刑を単なる刑罰執行方法の問題としてではなく、残虐で品位を傷つける取扱いの禁止、生命に対する権利、政治的抑圧との関係から問題視している。特に抗議活動参加者を公開処刑することは、死刑制度を刑事司法から政治的威嚇の手段へ転化させる危険性を持つ。
国際社会の反応
国際社会では、イランにおける死刑執行の急増に対して継続的な批判が行われている。国連の人権機関は、死刑事件における拷問、恣意的拘禁、公正な裁判を受ける権利の侵害などについて個別案件を取り上げ、イラン政府に対して情報提供や改善を求めている。
2026年については、抗議活動参加者や政治的反対派に対する死刑執行が国際的な警戒を強める要因となった。アムネスティ・インターナショナルは2026年5月、米国とイスラエルによる対イラン攻撃が始まった2月28日以降、政治的動機を持つ罪によって少なくとも36人が処刑され、少なくとも78人が死刑判決を受けた状態にあると報告した。
ヒューマン・ライツ・ウォッチも、2026年3月から8月までの5か月間に少なくとも59人が政治的動機を持つ国家安全保障関連の罪によって処刑されたとし、そのうち少なくとも29人が2025年12月から2026年1月の抗議活動との関係で逮捕された人物だったと報告している。さらに18歳、19歳の若者も処刑されたことから、国際社会に対して緊急の外交的対応を求めている。
ここで重要なのは、国際社会の批判が単純な「死刑廃止要求」にとどまっていないことである。死刑制度そのものに反対する立場に加え、少なくとも国際法上許容される範囲を超えた犯罪への死刑適用、拷問による供述、公正な裁判の欠如、少年への死刑、公開処刑といった個別の問題が同時に指摘されている。
一方、イラン政府側には国家安全保障、テロ対策、薬物犯罪対策、被害者遺族の権利などを理由として死刑を維持する論理が存在する。そのため、国際社会からの圧力だけで短期間に制度そのものが廃止される可能性は低く、今後は死刑執行の透明性を高めること、政治事件への死刑適用を停止すること、拷問による供述を排除すること、少年への死刑を禁止することなど、個別の改善を求める圧力が中心になると考えられる。
2026年9月時点の状況を見る限り、イランの死刑制度は単なる刑事政策ではなく、犯罪処罰、宗教的規範、国家安全保障、政治的弾圧、社会統制が重なった制度となっている。特に2025年から2026年にかけての政治事件では、死刑が社会への威嚇として利用されているとの証拠が積み重なっており、国際人権法との緊張は一段と強まっている。
今後の展望
2026年9月時点で確認できる資料を総合すると、イランの死刑執行件数が短期間で大幅に減少する可能性は高くない。2025年には少なくとも1,639件という1989年以来最多の執行が確認され、アムネスティ・インターナショナルの集計では2,159件以上に達しており、調査機関によって数字に大きな差があるものの、いずれの調査でもイランが世界最大級の死刑執行国であるという結論は変わらない。
この数字の差は、統計の誤りというより調査方法の違いによって生じている。イラン人権は1,639件を確認した一方、その93%以上に当たる1,524件について当局による公式発表を確認できなかったとしており、アムネスティ・インターナショナルも確認可能な最低限の数字として2,159件以上を示しているため、実際の執行規模を正確に把握すること自体が困難な状況にある。
2026年に入ってからも、死刑の政治的利用を示す報告は続いている。アムネスティ・インターナショナルは、2026年2月28日以降、政治的動機を持つ罪で少なくとも36人が処刑され、少なくとも78人が死刑判決を受けた状態にあると報告しており、同年5月時点でも執行の危険が続いていた。
したがって今後の焦点は、単純な年間執行件数の増減だけではない。薬物犯罪に対する死刑、キサスによる殺人犯の処刑、政治的事件に対する死刑、少年犯罪者への死刑、公開処刑という複数の領域が、それぞれどの程度維持されるかを追跡する必要がある。
政治的緊張と死刑制度
2026年の状況を考えるうえでは、戦争や国家安全保障上の緊張が死刑制度に与える影響を無視できない。アムネスティ・インターナショナルは、2026年2月28日以降、当局が「戦時」を理由として大量逮捕や迅速な裁判を進め、政治的動機を持つ死刑執行を強化したと報告している。
このような状況では、国家安全保障を理由として司法手続を短縮する圧力が強まりやすい。実際、アムネスティ・インターナショナルは2026年5月、当局が逮捕者に対する迅速な起訴を指示し、拷問や強制的な供述、弁護士へのアクセス制限などを伴う不公正な裁判が行われていると指摘している。
特に危険なのは、戦争やテロ対策という国家安全保障上の名目が、平和的な政治活動や情報発信まで取り込むことである。死刑が殺人などの重大犯罪だけではなく、国家への反対、外国勢力との関係を疑われた行為、抗議活動などにまで拡大すれば、刑罰と政治的弾圧の境界はさらに曖昧になる。
死刑制度改革の可能性
イランで近い将来に死刑制度そのものが廃止される可能性については慎重に見る必要がある。死刑は刑法上の制度であるだけでなく、イスラム法上のキサスやフドゥード、国家安全保障に関する刑罰と結び付いているため、全面廃止には司法制度だけでなく、宗教的・政治的な制度全体の変化が必要になるからである。
一方、全面廃止が困難であっても、執行件数を減少させるための制度改革には複数の余地がある。薬物犯罪への死刑適用を縮小すること、政治的犯罪に死刑を適用しないこと、犯罪時18歳未満の者に死刑を科さないこと、被害者遺族との和解制度を拡充することなどは、死刑の削減につながる可能性がある。
実際、イランの大量執行は、死刑を廃止する国家が世界的に増えている流れとは明らかに対照的である。2025年末時点で、死刑を法律上全面的に廃止した国は113か国、法律または実務上廃止した国は合計145か国に達しており、国際社会全体では死刑廃止に向かう長期的傾向が続いている。
国際社会による圧力
国際社会が今後取り得る対応としては、死刑廃止の要求だけでなく、死刑に至るまでの司法手続を監視することが重要になる。特に拷問による供述、弁護士へのアクセス制限、秘密裏の裁判、迅速な死刑判決、少年への死刑適用などについて、個別案件を継続的に取り上げる必要がある。
また、イラン国内では当局が死刑執行の情報を十分に公表していないため、独立した統計の収集そのものが重要な人権活動となっている。イラン人権によれば、2025年に公式発表された執行は113件にすぎず、確認された1,639件の大半が非公開であったことから、国際社会が独立した情報源を維持することは、実態把握と国際的な監視の前提となる。
ただし、外部からの圧力だけでイランの死刑制度を直ちに変更させることには限界がある。イラン政府が死刑を犯罪抑止、国家安全保障、政治的統制のための重要な手段と位置付けている以上、外交的圧力とともに、司法手続の改善、弁護士の権利保障、拷問の防止、独立した情報収集などを組み合わせる必要がある。
まとめ
イランの死刑制度は、単に「死刑を存置している国」というだけでは説明できない。キサスによる殺人犯の処刑、薬物犯罪への厳罰、フドゥードなど宗教法上の刑罰、モハレベや「地上における腐敗」など国家安全保障と結び付く犯罪類型が併存し、それぞれが死刑執行を支える法的基盤となっている。
2025年の執行件数は、イラン人権の集計で少なくとも1,639件となり、2024年から68%増加した。アムネスティ・インターナショナルの集計では2,159件以上に達しており、調査方法の違いによる大きな開きがあるものの、イランが世界の死刑執行の中心的存在であるという点では一致している。
そして、執行件数の多さだけが問題なのではない。薬物犯罪だけで795件、殺人に対するキサスで747件という規模に加え、政治的・安全保障上の事件にも死刑が適用され、公正な裁判を受ける権利が十分に保障されないまま執行されているとの報告が相次いでいる。
さらに少年への死刑や公開処刑も確認されている。アムネスティ・インターナショナルによると、2025年にはイランで犯罪時18歳未満だった人物1人の処刑が確認され、公開処刑についてもイランで11件が確認された。
このことから、イランの死刑制度を評価する際には、宗教的伝統と国家刑法を区別しながら、実際の運用を分析することが不可欠である。イスラム法そのものが現在の大量執行を直接的に説明するのではなく、宗教法上の刑罰、国家刑法、薬物政策、治安政策、政治的弾圧が相互に作用した結果として、現在の極めて高い執行件数が形成されていると見るべきである。
特に2022年の「女性、生命、自由」運動以降、死刑が政治的反対派への抑圧手段として利用されているとの指摘が強まったことは重要である。2026年にも抗議活動参加者や反体制派に対する死刑執行が続いていることから、2025年の記録的な執行件数を一時的な異常値として扱うことは難しい。
総合すると、イランの死刑制度が抱える最大の問題は、死刑という刑罰の存在そのものと、その適用範囲・手続・政治的利用が複合している点にある。死刑の対象となる犯罪を限定し、公正な裁判を保障し、少年への死刑を禁止し、公開処刑を停止し、政治的反対派への死刑適用をなくすことが、国際人権基準との乖離を縮小するための最低限の課題となる。
2026年9月時点で見る限り、イランにおける死刑執行の急増は、単なる刑事政策上の現象ではなく、社会統制と国家権力の行使方法そのものに関係する問題である。したがって今後のイラン情勢を分析する際には、死刑執行件数を人権状況、国内政治、治安政策、司法制度の変化を測る重要な指標の1つとして継続的に追跡する必要がある。
参考・引用リスト
- イラン人権、死刑廃止を求める専門機関「2025年イラン死刑年次報告」2026年。2025年の1,639件という執行件数、犯罪類型別統計、公式発表件数などの基礎資料として使用した。
- アムネスティ・インターナショナル「2025年の死刑判決と死刑執行」2026年5月18日。世界各国の死刑執行件数、イランの2,159件以上という集計、薬物犯罪、公開処刑、少年の処刑などの比較資料として使用した。
- アムネスティ・インターナショナル「イラン:死刑執行の危険にさらされる抗議者・反体制派」2026年5月21日。2026年の政治的動機による死刑執行と、死刑判決を受けている抗議者・反体制派に関する資料として使用した。
- アムネスティ・インターナショナル「イラン:大量逮捕と政治的処刑による弾圧の激化」2026年5月28日。2026年の戦時下における司法手続の迅速化、政治的処刑、拷問や強制的供述などについて使用した。
- アムネスティ・インターナショナル「イラン:1,000人を超える処刑」2025年9月26日。2025年の執行急増と、2022年以降の死刑の政治的利用に関する資料として使用した。
- アムネスティ・インターナショナル「イラン:数千人が処刑の危険に直面」2025年9月10日。薬物犯罪や広範・曖昧な罪名、公正な裁判の問題などを確認する資料として使用した。
- ヒューマン・ライツ・ウォッチ「イラン:抗議者に対する違法な処刑運動が継続」2026年9月10日。2026年の抗議活動関連の処刑、政治的死刑、公開処刑などの最新動向を確認する資料として使用した。
