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ガイアナの死刑制度:「事実上のモラトリアム」の法的不確実性

ガイアナの死刑制度は、「存置国」と「事実上の廃止国」の中間に位置する極めて特殊な制度状態にある。
2025年9月7日/ガイアナ、首都ジョージタウン、宣誓するアリ大統領(ロイター通信)
現状(2026年9月時点)

南米北東部に位置するガイアナでは、2026年9月時点でも死刑制度そのものは法律上廃止されていない。一方、死刑の執行については1997年8月を最後に行われておらず、その後約29年間にわたり執行が停止しているため、現在のガイアナは「法律上は死刑存置国でありながら、実際には死刑を執行していない国」という二重構造にある。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)も、ガイアナが1997年以来「de facto moratorium(デ・ファクト・モラトリアム)」、すなわち事実上の死刑執行モラトリアムを維持していると整理している。

この状態を単純に「死刑廃止」と評価することはできない。ガイアナは死刑廃止を目的とする自由権規約第二選択議定書をまだ批准しておらず、国内法上も死刑という刑罰が残されているためである。したがって、ガイアナの制度を理解するうえで重要なのは、「執行されていない」という事実と「法律上存在しない」という状態を明確に区別することである。

2025年の国連普遍的・定期的レビュー(UPR)でも、ガイアナ政府自身が1997年以来の事実上のモラトリアムを認めている。さらに同国では憲法改革に関する全国的協議が進められており、その検討対象の一つとして死刑制度の問題が位置付けられていることから、2026年現在も死刑制度の法的位置付けは完全に決着したとはいえない。

法的枠組みと実態の乖離(法文上の存置 vs 執行の停止)

ガイアナの死刑制度をめぐる最大の特徴は、法制度と刑事司法の実務との間に明確な乖離が存在することである。すなわち、国家が死刑という刑罰を法律から削除したわけではないにもかかわらず、行政機関は1997年以降、実際の死刑執行を行っていない。

この違いは法的に重要である。正式な法律改正によって死刑を廃止すれば、国家が将来再び死刑を執行する可能性は原則として消滅するが、モラトリアムの場合には、法律を改正しない限り、政治的判断や社会情勢の変化によって執行が再開される余地が残るからである。つまり、ガイアナの「事実上のモラトリアム」は、死刑制度そのものを消滅させたものではなく、執行という国家作用を長期間停止させている状態と理解する方が正確である。

この構造は、国際的な死刑分類にも表れている。アムネスティ・インターナショナルは、死刑を法律上維持している国と、法律上廃止していないものの長期間執行していない「abolitionist in practice(事実上の廃止国)」を区別しており、ガイアナを考える際にも、この「法律上の存置」と「実務上の停止」の区別が重要になる。

憲法と刑法

ガイアナの死刑制度は、単なる刑法上の一規定だけではなく、憲法秩序との関係から検討する必要がある。国内の憲法および刑事法制は死刑を完全には排除しておらず、その廃止には議会による立法措置が必要になるため、「執行しない」という行政上・政治上の運用だけでは、死刑制度そのものを消滅させることはできない。OHCHRに提出された資料でも、死刑の廃止には議会の承認が必要であるとの説明が示されている。

もっとも、刑法の内容には重要な変化も生じている。2010年には「Criminal Law (Offences) Act(刑事法(犯罪)法)」が改正され、殺人についての義務的死刑、すなわち裁判所が一定の犯罪について自動的に死刑を科さなければならない仕組みが撤廃された。これによって裁判所の量刑裁量は拡大したものの、死刑そのものが廃止されたわけではない。アムネスティ・インターナショナルも、この改正後なお死刑判決が言い渡されていたことを記録している。

この点から見ると、ガイアナの制度は「死刑制度の縮小」と「死刑制度の廃止」を明確に区別している。義務的死刑を廃止したことは人権保障の観点から重要な改革である一方、死刑を選択可能な刑罰として残している以上、国家が最終的に死刑制度から離脱したとは評価できない。

執行の停止(1997年以降)

ガイアナで最後に死刑が執行されたのは1997年8月である。それ以降、死刑判決が存在する時期がありながら、実際の処刑は行われない状態が継続してきた。アムネスティ・インターナショナルも、1997年の執行を最後の死刑執行として記録しており、その後のガイアナを長期的な非執行国として扱っている。

ただし、1997年以降の停止を、直ちに「国家による正式なモラトリアム」と呼ぶことには注意が必要である。国連人権機関の資料では、ガイアナの状態は一貫して「informal moratorium(インフォーマル・モラトリアム」または「de facto moratorium(デ・ファクト・モラトリアム)」と表現されており、法律によって将来の執行を永久に禁止した制度とは区別されている。

この約29年間という長期停止は、それ自体として極めて重要な意味を持つ。死刑制度が存在するにもかかわらず、国家が長期間にわたって執行を実施していないという事実は、死刑制度に対する政治的・社会的姿勢が、法文上の規定よりも慎重な方向へ変化してきたことを示唆するからである。

しかし同時に、この状態には脆弱性がある。正式な廃止法が存在しない以上、将来の政権が治安政策や犯罪対策を理由として死刑執行を再開する可能性を、法制度上完全に排除することはできない。

死刑囚の存在

さらに重要なのが、死刑執行が停止していることと、死刑判決を受ける者が存在しないことは同義ではないという点である。ガイアナでは過去に死刑執行が停止している期間にも死刑判決が言い渡されており、国際人権機関は、死刑判決を受けた者が長期間にわたり死刑囚として拘禁される問題を繰り返し指摘してきた。

この問題を象徴するのが、2012年当時の状況である。アムネスティ・インターナショナルによれば、同年末には30人が死刑判決下にあり、その一部については10年以上にわたって死刑囚として拘禁されていた。また、死刑執行が実施されない一方で、死刑判決そのものが存在し続けることが、刑事司法制度上の大きな緊張を生み出していた。

ここに「事実上のモラトリアム」の法的不確実性が最も端的に現れる。国家は実際には死刑を執行しないものの、裁判所が死刑判決を言い渡すこと自体は可能であり、死刑囚となった者は「執行されないことが確約された囚人」でも、「死刑制度から完全に解放された囚人」でもないという中間的な法的地位に置かれるのである。

「事実上のモラトリアム」を生む制度的・物理的要因

ガイアナの死刑制度を「事実上のモラトリアム」と呼ぶ根拠は、単に長期間処刑が行われていないという事実だけではない。国連の資料によれば、1997年以降死刑執行が行われておらず、しかも政府や刑務当局が近年、死刑執行のための設備購入や職員訓練に資金を投入していないことが確認されているためである。

ここには、法的モラトリアムとは異なる特徴がある。国家が法律によって「死刑を執行してはならない」と明文で禁止しているのではなく、政治、司法、刑務行政など複数の領域が長期間にわたって執行から離れていくことで、結果として死刑が実施されない状態が形成されているのである。

つまり、ガイアナのモラトリアムは一つの法律によって作られた制度ではなく、複数の制度的判断が積み重なった「実務上の状態」と見ることができる。このため、その状態がどの程度安定しているのか、また将来の政権が執行再開を決定できるのかという点について、明確な法的境界線が存在しにくい。

さらに、死刑制度が縮小されてきたことも重要である。2010年の刑法改正によって殺人罪に対する義務的死刑が撤廃され、生命刑などの選択肢が認められたことで、裁判所が必ず死刑を選択しなければならない制度から、より限定的な死刑制度へと変化した。国連の報告でも、現在の死刑は警察官、刑務官、司法官など一定の公務遂行者の殺害や、証人・訴訟当事者としての地位に関連する殺人など、限定された場合に残されていると説明されている。

この改革は、死刑制度の「量的縮小」という点では大きな意味を持つ。しかし、死刑という刑罰そのものを法体系から除去したわけではないため、制度の根本的な不確実性は残ったままである。

執行インフラ・リソースの欠如

事実上のモラトリアムを理解するうえで特に注目されるのが、執行インフラの問題である。国連資料では、近年、ガイアナ政府も刑務当局も、死刑を実施するための設備購入や職員の訓練に資金を投じていないとされている。

これは単なる予算不足という以上の意味を持つ。死刑を法律上存置している国家が、実際に執行するための設備や人的能力を維持・更新していなければ、死刑制度は「法的には存在するが、行政能力の面では実質的に休眠している」状態になるからである。

もちろん、設備不足だけを理由に「ガイアナは死刑を廃止した」と判断することはできない。法律上の執行権限が残っている以上、将来、政治的意思によって設備や人員を再整備する可能性を完全に排除することはできないからである。

しかし、1997年から2026年まで約29年間にわたって執行が行われず、その間に執行能力を維持するための積極的投資も行われていないという状況は、偶然の停止とは考えにくい。むしろ、国家機構そのものが死刑執行を通常の刑事司法手段として扱わなくなっていることを示す重要な間接的証拠と評価できる。

さらに、ガイアナの刑務所制度そのものが十分な資源を持っているとは限らないことにも注意が必要である。過去の国際機関の報告では、刑務所の過密状態や医療・処遇上の問題が指摘されており、死刑執行制度の維持以前に、通常の刑事施設運営にも資源上の課題が存在してきた。

このため、死刑執行設備の再整備は単なる技術的問題ではなく、限られた国家資源をどこに配分するかという政策問題にもなる。死刑を執行するための制度を再構築するよりも、既存の刑務所制度や司法制度の改善を優先するという判断が続けば、モラトリアムはさらに長期化する可能性がある。

政治的・社会的慎重姿勢

物理的な執行能力の低下だけでは、約30年近く死刑執行が再開されなかったことを完全には説明できない。より重要なのは、死刑再開を積極的に求める政治的圧力が限定的であり、政府自身も死刑廃止を含む憲法改革を議論の対象としてきたことである。

国連資料では、2024年時点でガイアナ政府が憲法改革について国民の意見を聞く機会を設け、その中に死刑廃止の可能性を含める方針を示していた。また、同資料は、死刑執行を再開するための「public or political clamour(パブリック・オア・ポリティカル・クラマー)」、すなわち社会的・政治的な強い要求が存在しないことにも言及している。

この点は非常に重要である。死刑制度を維持する法律が存在しているにもかかわらず、政府が実際の執行を再開する政治的必要性を認識していないのであれば、法律と政治的実態の間には明確な距離が生まれるからである。

もっとも、ガイアナ社会が一貫して死刑廃止を支持していると断定することも適切ではない。重大犯罪や治安悪化が政治的争点になれば、死刑の存在を維持すべきだという意見が強まる可能性はあり、モラトリアムが将来にわたって不可逆的であるとは限らない。

したがって、現在のガイアナは「死刑廃止へ完全に移行した国家」というより、「死刑を法的に残したまま、政治的にはその使用を避け続けている国家」と位置付ける方が実態に近い。

法的不確実性の核心(なぜ問題なのか)

ここから、ガイアナの死刑制度における本質的な問題が見えてくる。それは、国家が死刑を執行していないにもかかわらず、法律上は死刑判決を出すことが可能であり、死刑囚が「いつか執行される可能性」を完全には否定できないということである。

正式な死刑廃止であれば、この問題は基本的に消える。法律が死刑という刑罰そのものを削除すれば、死刑判決を受ける法的可能性も、将来執行される可能性もなくなるからである。

しかし、事実上のモラトリアムでは事情が異なる。国家は長期間執行していなくても、「将来も絶対に執行しない」と法的に保証しているわけではないため、死刑判決を受けた者は、法制度上は依然として極めて不安定な立場に置かれる。

この問題は、死刑囚の拘禁期間が長期化する場合にさらに深刻になる。死刑判決を受けた者が何年、場合によっては10年以上も死刑囚として生活する一方、国家が実際には執行しないという状態は、「刑罰としての死刑」と「実際の国家行為」との間に大きな乖離を生み出すからである。

実際、過去のガイアナでは、死刑囚が長期間拘禁されたことをめぐって司法上の争いが発生している。アムネスティ・インターナショナルによると、2012年には、1992年以来死刑囚として拘禁されていた人物について、長期にわたる死刑囚拘禁と執行の脅威が憲法上禁止される残虐・非人道的または品位を傷つける扱いに該当するとの主張が提起され、その後複数の死刑判決が減刑された。

この事例は、ガイアナの制度が抱える矛盾を象徴している。国家は死刑を執行しない一方、裁判所は死刑判決を言い渡すことができ、その判決を受けた人物が長期間にわたって死刑囚として拘禁される可能性があるのである。

したがって、「執行されていないから問題は存在しない」という理解は成立しない。死刑制度の人権上の問題は、実際に処刑が行われる瞬間だけでなく、死刑判決が存在し、それがいつ執行されるか分からない状態が継続することそのものにも関係するからである。

ガイアナの場合、この問題をさらに複雑にしているのが、国家が正式な廃止を決断していないことである。2020年の国連人権理事会への回答でも、政府は死刑廃止および自由権規約第二選択議定書への加入に関する勧告を「留意し、検討する」としており、完全廃止を明確に約束するところまでは進んでいなかった。

この「検討する」という姿勢は、政治的には柔軟性を維持できる一方、法的には曖昧さを残す。すなわち、ガイアナの死刑制度は「廃止へ向かっている可能性」と「存置され続ける可能性」の双方を残したまま、実務上だけが先に停止しているのである。

司法判断と現実のねじれ

ガイアナの死刑制度では、司法と行政の間にも独特のねじれが存在する。死刑そのものは法律上認められているため、裁判所が一定の重大犯罪について死刑判決を言い渡すことは可能である一方、実際の執行を担う国家側は1997年以来、一度も死刑を執行していない。

国連の人権関連資料は、ガイアナでは死刑が限定された犯罪についてなお合法であるものの、実際には裁判所が死刑判決を科すことに消極的であり、国家はさらに執行に消極的であると説明している。つまり、死刑制度は法律上維持されているものの、司法と行政の双方において、その適用・執行を積極的に行う方向には進んでいない。

この構造は、三権分立の観点からも重要である。死刑を廃止する権限を最終的に議会が担う一方、裁判所は現行法を前提として判断し、行政は死刑判決の執行権限を持つため、それぞれの機関が異なる立場から制度に関与することになる。

ガイアナ政府自身も、憲法と国内法が死刑を規定しているため、完全な廃止には議会の承認が必要だと説明している。したがって、行政が執行しないという事実だけでは、立法府が死刑を法体系から削除したことにはならず、司法も原則として現行法そのものを無視することはできない。

ここに「法律」と「国家実務」のねじれがある。裁判所は死刑を合法な選択肢として扱う余地を残しながら、行政はその判決を長期間執行しないという状態であり、制度全体としては死刑の存在を維持しながら、その最終段階だけを停止しているのである。

死刑囚の法的・心理的不安定性

このねじれの影響を最も直接的に受けるのが死刑判決を受けた者である。死刑が正式に廃止されていれば、死刑判決そのものが存在しなくなるため、受刑者は将来処刑される可能性を考える必要がなくなるが、ガイアナではその法的保障が成立していない。

死刑囚にとって、「1997年以来執行されていない」という過去の実績は重要ではあるものの、それは将来の執行を法的に禁止する保証ではない。政権交代、重大犯罪の増加、治安政策の変更、社会的圧力などによって政治的環境が変化すれば、法律上は執行を再開する余地が残っている。

そのため、死刑囚は「死刑判決を受けているが、長年執行されていない」という特殊な状態に置かれる。この状態が長期化すれば、刑罰の確定性という刑事司法の基本原則との間に緊張が生じる。

特に問題となるのが、長期間にわたる「死刑執行の可能性」そのものが拘禁生活に及ぼす影響である。死刑囚にとっては、執行されないという現状と、法律上は執行され得るという可能性が同時に存在するため、刑罰の最終的な帰結が完全には確定しない。

過去のガイアナでは、この問題が具体的な司法問題になった。長期間死刑囚として拘禁されていた者について、死刑判決を維持したまま執行を待たせ続けることが、残虐・非人道的または品位を傷つける取扱いに当たるのではないかという憲法上の議論が提起され、実際に死刑から終身刑などへの減刑につながった事例も存在する。

したがって、「処刑されていないから死刑制度による人権侵害は発生していない」という理解は適切ではない。死刑制度の人権問題は、処刑という最終行為だけではなく、死刑判決を受けた者を長期間その地位に置くことによっても発生し得るからである。

憲法審査における合憲性闘争の限界

死刑の合憲性をめぐる問題では、さらに重要な司法上の限界が存在する。2023年にはガイアナ国防軍のメンバーらが死刑の合憲性そのものを争おうとしたが、カリブ司法裁判所(Caribbean Court of Justice、CCJ)は、特別許可を与えて実体的な憲法審査を進めることを認めなかった。

国連に提出された資料によれば、CCJはこの事件について、死刑の合憲性を争うことが当該事件との具体的な争訟関係を欠いた「Academic appeal(アカデミック・アピール)」あるいは勧告的意見を求めるものに近くなるとして、特別許可を認めなかった。これは、死刑が憲法上問題のある刑罰かどうかについて、最高レベルの司法判断そのものが行われなかったことを意味する。

この点は「死刑が合憲であると最高裁判所が最終確認した」という意味でもない。むしろ、死刑制度を正面から違憲審査するための手続的条件が満たされなかったため、制度の根本的な合憲性について司法的な決着が付いていないと理解する方が正確である。

ここには憲法訴訟特有の問題がある。裁判所は具体的な紛争を解決する機関であり、抽象的な政策論争や仮定上の問題について一般的な意見を示すことには限界があるため、死刑制度の存廃そのものを争う場合には、具体的な死刑判決や執行可能性との結び付きを必要とする。

その結果、死刑制度に反対する側からすれば、制度の合憲性を争いたくても、実際に執行されていないこと自体が司法審査を難しくするという逆説が生じる。つまり、モラトリアムは人権上の危険を一定程度抑える一方、死刑制度そのものを司法的に決着させる機会を減少させる可能性がある。

この意味で、「執行されないこと」と「違憲性が確定すること」は別問題である。ガイアナでは、死刑の実施が停止されていることによって緊急性が低下し、その結果として制度の根本的な法的評価も先送りされるという構造が生じている。

国際法秩序との摩擦

国内法だけを見れば、ガイアナは死刑存置国である。しかし、国際人権法の発展という観点から見ると、死刑廃止へ向かう国際的潮流と、国内法上の存置との間に一定の緊張が存在する。

特に重要なのが、自由権規約(ICCPR)と、その第二選択議定書である。第二選択議定書は死刑廃止を目的とする国際文書であり、締約国に原則として死刑を廃止する方向の明確な国際法上の義務を課す。

ガイアナはICCPRの締約国である一方、死刑廃止を目的とする第二選択議定書には加入していない。国連の条約データベースでも、ガイアナについて第二選択議定書の批准情報は確認できない。

したがって、ガイアナには「死刑を廃止する方向へ向かう国際的な圧力」は存在するものの、第二選択議定書によって死刑廃止を直接的に義務付けられているわけではない。この違いを理解することが重要である。

一方、国際社会における死刑に対する評価は、単純な「合法か違法か」という二分法だけでは説明できない。ICCPRは生命に対する権利を保障しつつ、死刑存置国についても一定の厳格な条件を設定しているため、死刑制度を維持する国家には適正手続や恣意的な生命剥奪を防ぐための高度な保障が求められる。

このため、ガイアナの「事実上のモラトリアム」は国際人権法上、一定の肯定的意味を持つ一方、最終的な解決とは評価されにくい。執行停止は廃止そのものではなく、法律上の死刑規定が残っている以上、国際社会からはさらなる制度改革を求められる余地が残るからである。

国際人権条約との整合性

ガイアナの制度を国際人権法との関係で評価する場合、最も重要なのは「現時点で執行していない」という事実と、「将来の死刑制度を法的にどう位置付けるか」を分けて考えることである。

1997年以降執行がないことは、実際の生命剥奪を回避しているという点で極めて重要である。さらに、2010年の法改正によって義務的死刑の範囲が縮小され、裁判所が生命刑を選択できるようになったことも、死刑制度の適用を限定する方向の改革と評価できる。

しかし、国際人権機関が問題視するのは、執行件数だけではない。死刑判決を受けた者の長期拘禁、十分な司法手続の保障、刑罰の比例性、死刑対象犯罪の範囲など、死刑制度を取り巻く一連の法的環境が問われることになる。

したがって、ガイアナが「1997年以来執行していない」という一点だけを根拠として国際人権上の問題が解決したと判断することはできない。むしろ、長期間のモラトリアムを正式な法的廃止へ移行させることが、国際人権秩序との整合性をより明確にする道となる。

2025年の第4回UPRでは、この点が国際社会から明確に指摘された。複数国が、正式な死刑執行モラトリアムの採択、既存の死刑判決の減刑、死刑制度そのものの廃止、さらにICCPR第二選択議定書への加入を相次いで勧告している。

ここから見えてくるのは、ガイアナの問題が単なる国内刑法の問題ではないということである。1997年以来の長期停止によって「死刑を実際には使わない」という国家実務は形成されたものの、「死刑を法律上も終わらせる」という次の段階には、なお到達していないのである。

そして、この問題は次回扱うUPRによる国際的圧力へとつながる。2025年のUPRでは、ガイアナに対して正式なモラトリアムだけでなく、既存死刑判決の減刑、憲法・法律からの死刑規定の削除、第二選択議定書への加入など、複数の具体的な改革が勧告された。

普遍的・定期的レビュー(UPR)での圧力

この問題を最も明確に可視化しているのが、国連人権理事会の普遍的・定期的レビュー(UPR)である。2025年に公表されたガイアナの第4回UPRでは、複数の国から死刑制度の正式な廃止に向けた具体的な勧告が相次いで提示された。

勧告内容は単なる「執行停止の継続」にとどまらない。ドイツは正式なモラトリアムを採択し、既存の死刑判決を自由刑へ減刑するよう求め、アイスランドは死刑そのものの廃止を勧告したほか、ポーランド、イタリア、オランダ、メキシコ、ポルトガル、スペイン、アルゼンチンなども、それぞれ法律からの削除、正式なモラトリアム、既存判決の減刑、第二選択議定書への加入などを求めている。

ここで注目すべきなのは、国際社会がガイアナの約30年間に及ぶ非執行を「最終的な解決」とみなしていないことである。むしろ、長期間執行していないという実績を出発点として、それを正式な法的モラトリアム、さらに死刑廃止へと移行させることが求められている。

UPRの勧告には、死刑制度を単独で扱うものだけでなく、既存の死刑囚を刑務所での自由刑へ移行させることを求めるものも含まれる。これは、国際人権上の問題が「将来の処刑を防ぐこと」だけではなく、「すでに死刑判決を受けている人々の法的地位をどう処理するか」という問題にまで及んでいることを示している。

今後の展望

2026年9月時点で考えられるガイアナの進路は、大きく三つに整理できる。第一は現在の事実上のモラトリアムを維持する道、第二は正式なモラトリアムを法律上制度化する道、第三は死刑そのものを廃止して完全な廃止国へ移行する道である。

第一の選択肢は、政治的には最も容易である。実際、1997年以降の長期間にわたって執行を行わず、刑務当局も死刑執行のための設備や人員への投資を行っていないため、現状をそのまま維持することには一定の継続性がある。国連資料も、ガイアナでは政府や刑務当局が近年、死刑執行のための設備購入や職員訓練に資金を投入していないと記録している。

しかし、この方法では法的不確実性が残り続ける。死刑が法律から削除されない限り、政権交代や社会情勢の変化によって執行再開の可能性が復活するためであり、死刑囚にとっても「執行されない」という実務上の期待を「執行されないことが法的に保障されている」という権利に転換することができないからである。

第二の選択肢である正式なモラトリアムは、その中間に位置する。法律上の死刑制度を直ちに廃止しなくても、国家として死刑執行を停止する明確な法的措置を採用すれば、現在の曖昧な状態を一定程度解消できる。

ただし、正式なモラトリアムも最終解決ではない。モラトリアムはあくまで執行を停止する制度であり、死刑という刑罰そのものを法律から消すものではないため、国際人権機関が求める「完全廃止」とは区別する必要がある。

第三の選択肢は、憲法および刑事法から死刑を明確に削除し、第二選択議定書への加入によって国際的にも廃止の意思を確定させることである。これが実現すれば、ガイアナは現在の「事実上の廃止国」から「法律上の廃止国」へ移行し、1997年以来続いてきた法と実務の乖離を根本的に解消できる。

もっとも、ここには国内政治上の難しさがある。国連資料によれば、ガイアナでは憲法および国内法が死刑を規定しているため、死刑廃止には議会の承認が必要であり、政府は憲法改革の過程で国民から意見を聴取する方針を示してきた。

したがって、今後の焦点は単純な「死刑を廃止するか否か」だけではない。死刑制度をめぐる国民世論、議会の判断、憲法改革、刑事司法改革、被害者・犯罪被害者家族への配慮などをどのように調整しながら、長年の事実上のモラトリアムを正式な法制度へ転換するかが問題になる。

国際人権法の観点からは、死刑廃止への方向性がより明確になっている。国連自由権規約委員会は、死刑制度を存置する国に対し、死刑対象犯罪を意図的な殺人を伴う「最も重大な犯罪」に限定すること、死刑囚の刑を減刑すること、法的なモラトリアムを確立すること、さらに第二選択議定書への加入を検討することを求めている。

この観点から見ると、ガイアナの現在の状態は国際人権法と完全に衝突しているわけではないものの、国際的な死刑廃止の方向性と十分に一致しているともいえない。約30年間の執行停止は重要な実績だが、それを法律上の廃止へ結び付けなければ、制度の根本的な曖昧さは残る。

まとめ

ガイアナの死刑制度は、「存置国」と「事実上の廃止国」の中間に位置する極めて特殊な制度状態にある。1997年以来、死刑執行が行われていないことから実務上は長期モラトリアムが成立しているが、死刑そのものは憲法・法律上なお存在しており、正式な廃止や法的モラトリアムには至っていない。

この構造の最大の問題は、死刑が実際には使われていないことではなく、「いつでも法的には存在し得る刑罰」が長期間にわたって実務上だけ停止している点にある。死刑囚にとっては将来の執行可能性が完全には排除されず、司法にとっては死刑の合憲性を正面から判断する機会が限られ、行政にとっては執行しないという慣行と法律上の執行権限が併存する。

したがって、「事実上のモラトリアム」という表現は、ガイアナの死刑制度を説明するうえで便利である一方、それ自体が最終的な法的地位を示す言葉ではない。むしろ、それは法律と実務の間に形成された暫定的な均衡を表す言葉であり、死刑制度をめぐる法的不確実性そのものを象徴している。

2025年の第4回UPRで各国から正式なモラトリアム、既存死刑判決の減刑、死刑制度の廃止、ICCPR第二選択議定書への加入などが勧告されたことは、この問題がすでに国内政策だけではなく国際人権秩序の中で評価されていることを示す。

結局のところ、ガイアナが今後問われるのは「死刑を執行するかどうか」だけではない。約30年間執行してこなかったという事実を、法的な廃止という明確な制度へ転換するのか、それとも死刑を法律上残したまま事実上のモラトリアムをさらに継続するのかという、国家の法政策そのものが問われることになる。


参考・引用リスト

  • United Nations Human Rights Council, Universal Periodic Review – Guyana, A/HRC/60/16. 2025年の第4回UPRにおけるガイアナへの勧告を収録している。正式なモラトリアム、死刑判決の減刑、死刑廃止、ICCPR第二選択議定書への加入など、現在の国際的な要求を確認する主要資料である。
  • Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights, Human Rights Committee関連資料. ガイアナについて、1997年以来死刑執行が行われていないこと、事実上のモラトリアムが存在すること、政府・刑務当局が死刑執行設備や訓練に投資していないことなどを確認できる。
  • United Nations Human Rights Committee, Concluding Observations on Guyana. 死刑対象犯罪の範囲、死刑囚の減刑、法的モラトリアム、第二選択議定書への加入などについて国連自由権規約委員会が示した見解を確認するための資料である。
  • Amnesty International, Guyana – Death Penalty / Human Rights materials. ガイアナが現在も法律上の死刑存置国として分類されていることや、過去の死刑執行・死刑判決の状況を確認するための資料である。
  • United Nations Treaty Body Database, Second Optional Protocol to the ICCPR. 死刑廃止を目的とする自由権規約第二選択議定書に関する批准・加入状況を確認するための国連条約データベースである。
  • Amnesty International, Annual and historical reports on Guyana. 1997年前後の死刑執行や死刑囚の状況を検証するための歴史資料として利用できる。1997年については、同年の死刑執行に関するアムネスティの記録が残されている。

追記:「事実上のモラトリアム」は廃止への過渡期なのか

ここまでは、ガイアナの死刑制度について、国内法、執行実態、死刑囚の法的地位、司法判断、国際人権法、そしてUPRを順に検討してきた。追記ではそれらを統合し、「事実上のモラトリアム」という状態を法制度としてどう評価すべきかを改めて整理する。

「事実上のモラトリアム」の法的評価

ガイアナの現在の状態を最も適切に表現するなら、「死刑廃止国」ではなく、「死刑存置国でありながら長期的な事実上の執行停止状態にある国」である。ガイアナ政府自身が国連に対し、1997年以来死刑執行がなく、再開を求める強い政治的・社会的圧力もなく、さらに政府や刑務当局が執行設備や訓練に資金を投入していないことを説明しているためである。

この点からすれば、「事実上のモラトリアム」という評価は十分な根拠を持つ。ただし、それは正式な法律用語として死刑制度を廃止したことを意味するものではなく、むしろ法制度と国家実務との間に形成された長期的な均衡状態を示す概念と理解する必要がある。

この区別は極めて重要である。もし議会が死刑を法律から削除すれば、裁判所が新たな死刑判決を言い渡す法的根拠も、行政が将来執行する法的根拠も失われるが、現在のガイアナではそこまで制度が変化していないからである。

「執行されない」と「執行できない」は違う

本稿全体を通じて最も重要な区別は、「死刑が執行されないこと」と「死刑を執行できないこと」は同じではないという点である。ガイアナでは1997年以来処刑が行われていないが、これは法律上の死刑そのものが消滅した結果ではない。

そのため、現在の制度には将来の政策変更という余地が残されている。政府が死刑制度を正式に廃止しない限り、将来の議会や政権が制度変更を行う可能性を完全に否定することはできない。

この意味で、約29年間という長期の執行停止は政治的・社会的には非常に強い意味を持つ一方、法的には完全な不可逆性を持たない。長期間続いた慣行は重要な事実ではあるが、それだけで死刑廃止という法的結論を導くことはできない。

司法の役割と限界

司法面では、2023年のカリブ司法裁判所(CCJ)の判断が重要な意味を持つ。「Harte and Greenidge v The State(ハートおよびグリーニッジ対国家事件)」では、申立人が死刑そのものの合憲性を争おうとしたが、CCJは特別上訴許可を認めなかったため、死刑制度の合憲性について実体的な最終判断が示されたわけではない。

この結果、ガイアナの死刑制度は「司法によって明確に合憲と確認された制度」でも、「最高司法機関によって違憲と判断された制度」でもない。この司法的未決着が、現在の法的不確実性をさらに強めている。

もっとも、これは司法の失敗と単純に評価すべき問題ではない。司法裁判所は具体的な事件を通じて法を解釈する機関であり、抽象的な制度論だけを一般的に判断することには手続上の限界があるためである。

むしろ問題は、行政による執行停止と司法による憲法判断の未確定が同時に存在することである。結果として、死刑制度は現実には使用されないまま、法律上の存在だけが残り続けるという状態になっている。

死刑囚の問題は制度の「空白」を象徴する

この制度的空白を最も直接的に経験するのが死刑判決を受けた者である。死刑執行が長期間行われていないという実績は死刑囚にとって一定の安心材料になり得るが、それは「将来も絶対に処刑されない」という法的権利とは異なる。

国連自由権規約委員会は、ガイアナに対し、係属中の死刑判決を自由刑へ減刑すること、死刑の必要性について国内対話を行うこと、法的なモラトリアムを検討すること、さらに第二選択議定書への加入を検討することを求めている。

これは重要な指摘である。国際人権機関は、死刑執行がないことだけでは問題が解決したとは考えておらず、すでに死刑判決を受けた人々の法的地位そのものを整理する必要があると考えているからである。

したがって、正式な死刑廃止を実現する場合には、新たに死刑判決を出さないという措置だけでなく、既存の死刑判決をどのように自由刑へ転換するかという経過措置も重要になる。

国際人権法から見た現在地

ガイアナは自由権規約(ICCPR)の締約国である一方、死刑廃止を目的とする第二選択議定書には加入していない。国連条約データベースでも、ガイアナについてICCPRの批准は確認できる一方、第二選択議定書の批准・加入は記録されていない。

この法的立場は、ガイアナが国際人権法に反する行動を継続的に行っているという単純な意味ではない。むしろ、死刑存置国として一定の国際法上の制約を受けながら、実務上は長期間にわたって死刑執行を停止しているという、移行的な位置にあると評価するのが適切である。

しかし、国際的な方向性は明確に廃止へ向かっている。2025年のUPRでは、第二選択議定書への加入、正式なモラトリアム、死刑判決の減刑、憲法・法律からの死刑規定の削除などが複数国から具体的に勧告された。

つまり国際社会から見れば、ガイアナは「すでに長期間執行していない国」から、「その状態を正式な法制度へ転換する段階」に進むことを期待されている。

2026年時点での最大の論点

2026年9月時点で最も重要なのは、ガイアナが今後もこの中間状態を維持するのか、それとも制度上の決着をつけるのかという問題である。1997年以来の実務を考えれば、死刑制度はすでに刑罰体系の中心的な機能を失っていると評価できる。

一方で、法律上の規定を残すことには政治的な意味もある。重大犯罪に対する最終的な刑罰として死刑を残しておくことで、犯罪被害者や治安を重視する世論に対して一定の政治的選択肢を確保できるからである。

そのため、死刑を正式に廃止するには、単なる刑法改正だけではなく、社会に対して「死刑をなくしても重大犯罪に対する刑事司法の実効性は失われない」という説明を行う必要がある。2025年UPRで、死刑廃止への世論形成や啓発活動まで勧告されているのは、この政治的側面を反映している。

最も現実的な改革シナリオ

現実的な改革手順としては、まず正式な執行モラトリアムを法制化し、その後に既存死刑判決を減刑し、最終的に憲法・刑事法から死刑を削除するという段階的な方法が考えられる。

この方法ならば、現在の実務を突然変更する必要がなく、1997年以来続いてきた執行停止を法的に確認することができる。また、死刑囚についても一括した減刑措置を設けることで、長期間続いてきた法的不安定性を解消できる。

さらに、第二選択議定書への加入を行えば、国内法だけでなく国際法上も死刑廃止へのコミットメントを明確にできる。2025年UPRの勧告が複数国から同議定書への加入を求めていることからも、これは今後の重要な外交・人権政策上の課題になる。

総合評価

ガイアナの死刑制度を「廃止された」と評価するのは正確ではない。しかし、「死刑制度が通常どおり機能している」と評価するのも同じように不正確である。

実態としては、1997年以来の執行停止、執行設備・訓練への投資停止、政治的な再開要求の欠如、司法による死刑適用の限定化、国際人権機関による廃止勧告という複数の要素が重なり、死刑制度は長期間にわたって実質的に休眠状態にある。

したがって、「事実上のモラトリアム」という表現は、ガイアナの現状を説明するうえで極めて有効である。ただし、それは「廃止」と同義ではなく、むしろ「廃止されていない制度が長期間使用されていない」という法的中間状態を表す。

本稿の結論は、ガイアナの問題の核心は死刑執行の有無ではなく、法律と実態の乖離が約30年間固定化されていることにあるという点である。死刑を使わないという国家実務が長期化している以上、次の法政策上の課題は、その実務を正式な法的地位へ転換することにある。

2025年UPRで示された勧告は、その方向性を明確に示している。正式なモラトリアム、既存死刑判決の減刑、死刑の法的廃止、第二選択議定書への加入という一連の措置を実現すれば、ガイアナは「事実上のモラトリアム」という曖昧な状態から、法律上も明確な死刑廃止へ移行できる。

逆に、現状を維持するだけなら、死刑執行が再開されない限り表面的な問題は発生しにくいものの、死刑判決を受ける者の法的不安定性と、国内法と国際人権秩序との間の緊張は残り続ける。したがって、2026年以降のガイアナにとって最大の課題は、「死刑を執行するか」ではなく、約30年間実施してこなかった死刑制度を、いつ、どのような手続で法律上も終わらせるのかという問題になる。


参考・引用リスト(追記)

  • United Nations Human Rights Council, A/HRC/60/16, Universal Periodic Review: Guyana.
    2025年の第4回UPRに関する主要資料であり、死刑について正式なモラトリアム、既存死刑判決の減刑、死刑廃止、ICCPR第二選択議定書への加入など多数の勧告が記録されている。
  • United Nations Human Rights Committee, Concluding Observations on Guyana.
    係属中の死刑判決の減刑、死刑に関する国内対話、法的モラトリアム、第二選択議定書への加入などを求めており、ガイアナの死刑制度を国際人権法の観点から評価する上で重要な資料である。
  • Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights, Guyana-related treaty body material.
    1997年以来死刑執行が行われていないこと、政府・刑務当局が執行設備や人員訓練への投資を行っていないこと、政府が死刑廃止について国民的議論を想定していることなどを確認できる。
  • Caribbean Court of Justice, Harte and Greenidge v The State [2023] CCJ 9 (AJ) GY.
    2023年の死刑の合憲性をめぐる訴訟であり、CCJが特別上訴許可を認めなかった経緯を確認できる。ガイアナにおける死刑の憲法審査の限界を検討するうえで重要である。
  • United Nations Treaty Body Database, Guyana.
    ガイアナが自由権規約(ICCPR)の締約国である一方、死刑廃止を目的とする第二選択議定書について批准・加入していないことを確認するための基礎資料である。
  • Amnesty International, Death Penalty Reports and Guyana materials.
    ガイアナにおける過去の死刑執行、死刑判決、死刑制度の運用状況を時系列で確認するための資料であり、1990年代の制度状況を検証する際にも有用である。
最後に

本文に追記を加えることで、本テーマは単なる「ガイアナでは死刑が長年執行されていない」という事実紹介ではなく、「法律上存置された死刑が、約30年間の非執行によって事実上休眠状態となり、その結果として法的・司法的・人権上の不確実性を生み出している」という構造として整理できる。

特に重要なのは、①法文上の存置、②1997年以降の執行停止、③執行インフラの実質的停止、④死刑囚の法的不安定性、⑤司法による合憲性判断の未確定、⑥ICCPR第二選択議定書への未加入、⑦2025年UPRによる廃止圧力という七つの要素が相互に関連している点である。

この意味で、ガイアナの「事実上のモラトリアム」は、単なる死刑執行停止ではなく、死刑存置制度が廃止制度へ移行する途中に形成された法的なグレーゾーンとして評価するのが最も妥当である。

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