ボツワナの死刑制度:南部アフリカにおける「孤立」
2026年8月時点で最も現実的なシナリオは、直ちに全面廃止へ進むことではなく、まず現在の執行停止状態を公式な政策へ転換することである。
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現状(2026年8月時点)
2026年8月時点のボツワナでは、死刑制度は依然として法律上存続している。死刑は単に過去の法律に名目的に残されている制度ではなく、殺人など一定の重大犯罪について現在も裁判所が死刑判決を言い渡すことが可能な刑罰であり、政府も制度そのものを廃止したり、公式なモラトリアムを宣言したりしていない。2026年3月には司法・矯正サービス相が、死刑は法律上認められており、政府として死刑執行の停止を宣言した事実もないと議会で説明している。
もっとも、死刑が法律上存在することと、実際に執行されることは区別する必要がある。近年のボツワナでは執行件数が減少し、2025年まで少なくとも4年連続で死刑執行が確認されておらず、2026年に入っても執行再開には至っていないとみられる一方、死刑判決を受けた受刑者そのものは存在している。したがって、現在のボツワナは「死刑存置国」であると同時に、「執行を事実上停止している期間が続いている国」と表現するのが最も正確である。
この点は、ボツワナの死刑制度を考える際に極めて重要である。制度が廃止されていない以上、死刑囚にとって執行の可能性は完全には消滅しておらず、また大統領による恩赦・減刑などの行政的判断が残されているため、「死刑廃止に向かっている」と単純に結論づけることもできないからである。
2026年3月に政府が議会へ示した情報によれば、当時19人が死刑囚として収監されていた。そのうち6人は控訴審まで進み、4人については2024年10月以前、2人については2025年に控訴が退けられており、その後、恩赦を求める申立てがなされているケースも存在した。
一方、2025年のアムネスティ・インターナショナルの報告では、同年5月時点で死刑囚は15人とされており、資料によって人数に差がある。この差は、控訴の進展、恩赦申請、裁判所による判決変更、収監状況の更新時点などによって生じ得るため、死刑囚数については「特定時点の行政資料に基づく数字」として扱う必要がある。
こうした状況から、2026年のボツワナを「死刑を積極的に執行する国」と評価するのは適切ではない。しかし同時に、「死刑制度を廃止した国」とすることも明確に誤りであり、法律上の存置、判決の存在、執行停止に近い実態という三つの層を分けて理解する必要がある。
ボツワナにおける死刑制度の現状
ボツワナの死刑制度は、アフリカ諸国の中でも比較的特殊な位置を占めている。特に南部アフリカでは、南アフリカ、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、マラウイ、ザンビアなど、死刑を法律上廃止した国が広がっており、ボツワナは地域的な死刑廃止の潮流から外れた存在として目立っている。
ただし、「南部アフリカでボツワナだけが死刑を維持している」と単純化するのも正確ではない。周辺地域には死刑を法律上存置している国や、法律上は残していても長期間執行していない国が存在するため、より正確には「南部アフリカの死刑廃止・執行停止の流れの中で、ボツワナは死刑制度を明確に法制度として維持し続けている代表的な国」と位置づけるべきである。
この「孤立」は、必ずしも外交的孤立を意味しない。むしろ司法刑罰の価値観において、周辺諸国や国際人権機関が進めてきた死刑廃止の方向とボツワナの国内法が一致していないという意味での「制度的・規範的な孤立」と理解する方が妥当である。
さらに重要なのは、ボツワナ政府自身が2026年現在、死刑制度の存在を法的問題として否定していない点である。2026年2月、地方政府・伝統問題相は、憲法裁判所の設立が死刑を自動的に廃止するものではなく、死刑は憲法上の枠組みに組み込まれているため、制度を変更するなら議会での法改正と国民的議論が必要になるとの認識を示した。
この政府見解は、死刑をめぐる問題が単なる刑法改正の問題ではないことを示している。ボツワナでは、死刑を廃止するためには、刑法だけでなく、生命権を規定する憲法上の規定との関係、国民の意識、議会の判断、さらには大統領の恩赦権などを総合的に検討する必要がある。
2026年の政治状況は、この問題をさらに複雑にしている。2024年の総選挙で58年間続いたボツワナ民主党政権が交代し、弁護士出身のドゥーマ・ボコ大統領が就任したことで、死刑廃止への期待が国際人権団体などから高まったが、ボコ大統領自身は2026年3月、死刑に反対しているとの見方を否定し、弁護士として法律を尊重し実施する義務があると説明している。
ここにはボツワナの死刑問題の核心が表れている。すなわち、個人として死刑に批判的な政治家であっても、国民の合意、憲法、刑法、司法手続、恩赦制度などを無視して一方的に廃止することは容易ではないという構造である。
法的根拠と対象
ボツワナの死刑制度の中心的な法的根拠は憲法と刑法にある。ボツワナ憲法は生命に対する権利を保障する一方、一定の条件の下で裁判所の命令によって生命を奪うことを許容する構造を採っており、死刑そのものを憲法上全面的に禁止してはいない。2026年の国会審議でも、この憲法上の構造と刑法上の死刑規定との関係が改めて確認されている。
刑法上、最も重要なのは殺人に関する規定である。刑法第203条は、殺人について有罪となり、情状酌量に当たる事情が認められない場合に死刑を科す仕組みを採用している。このため、ボツワナの殺人罪における死刑は、裁判官が自由に「死刑か終身刑か」を完全に選択できるという一般的な裁量型制度とは異なり、一定の重大な殺人については死刑が強く制度化された構造になっている。
死刑の対象は殺人だけではない。政府系資料や法令の整理によれば、反逆罪、侵略を扇動する行為、生命を危険にさらす海賊行為など、限定された重大犯罪についても死刑が規定されている。もっとも、実際の死刑判決・死刑囚の大部分を理解するうえでは、殺人罪が中心的な位置を占める。
ボツワナの制度で注目すべきなのは、死刑判決に至る過程で「情状酌量の事情」が重要な意味を持つことである。裁判所が殺人について有罪と認定した場合でも、事件の具体的事情、被告人の状況、犯罪の態様などが考慮され、死刑を回避できる場合があるため、実際の判決は単純な「殺人=自動的に死刑」という関係ではない。2026年7月にも、妻を殺害した元警察官に対し、裁判所が死刑ではなく25年の禁錮刑を言い渡した事例が報じられている。
また、死刑という究極的な刑罰を対象とする以上、被告人の防御権をどのように保障するかも重要となる。ボツワナ司法当局は、死刑の可能性がある重大刑事事件について、被告人が自費で弁護士を雇うことが困難な場合でも国費による弁護士、いわゆる国選弁護人(pro deo counsel)を付す制度を設けており、殺人や反逆罪などがその対象となるとしている。
この点は、ボツワナ政府が死刑制度を単なる報復刑ではなく、司法手続の中に組み込まれた刑罰として正当化していることと関係する。つまり政府側の論理では、死刑そのものの是非とは別に、独立した裁判所による審理、控訴、弁護人の付与、恩赦申請などの手続的保障が存在する以上、制度は法の支配の枠内に置かれているということになる。
しかし、人権上の評価はここで終わらない。死刑廃止を求める国際人権機関は、適正手続が保障されていたとしても、国家が意図的に受刑者の生命を奪うこと自体に問題があると考えており、誤判の可能性や執行後に回復できない不可逆性を重視しているからである。したがって、ボツワナの死刑制度を評価するには、「手続が適正か」という問題と「国家が死刑を刑罰として維持すること自体が正当か」という問題を分けて論じなければならない。
以上から、2026年8月時点のボツワナの死刑制度は、法律上は明確に存続し、主として重大な殺人を中心に適用され得る一方、近年は執行が停止状態に近く、制度の実際の運用と国際的な死刑廃止潮流との間に大きな距離が生じていると整理できる。この二重性こそが、南部アフリカにおけるボツワナの「孤立」を考察する出発点となる。
執行方法
ボツワナにおける死刑の執行方法は、現在まで一貫して絞首刑である。アムネスティ・インターナショナルによれば、刑法上の死刑判決は首都ハボローネのガボローネ中央刑務所で絞首によって執行される仕組みとなっている。
絞首刑は、銃殺や薬物注射などとは異なる歴史的・制度的背景を持つものの、国家が司法手続を通じて生命を奪うという点では共通している。国際人権団体は、死刑の方法が比較的「人道的」に見えるかどうかではなく、死刑そのものが生命権との緊張関係を持つことを重視しているため、絞首刑であることによって人権上の問題が解消されるわけではない。
ボツワナの死刑制度について特徴的なのは、執行そのものが公開型ではなく、政府が詳細を積極的に公表する制度でもないことである。アムネスティは、ボツワナでは歴史的に執行が秘密裏に行われ、家族への通知が執行後になる場合があり、執行予定が事前に広く公表されないことがあったと指摘している。
この点は、死刑制度に対する社会的監視という観点から重要である。死刑が合法的な刑罰として存在する場合でも、いつ、どこで、どのような手続によって執行されたのかを社会が十分に把握できなければ、司法制度に対する透明性と説明責任の確保が難しくなるからである。
もっとも、ボツワナの執行方法そのものを「国際法上ただちに違法な方式」と断定することには慎重さが必要である。国際人権法における死刑をめぐる中心的問題は、執行方法だけではなく、生命権、適正手続、死刑判決に至る司法過程、恩赦・減刑へのアクセス、拘禁状態などを総合的に評価する必要があるためである。
秘密裏の執行
ボツワナの死刑をめぐって国際的な批判を集めてきたもう一つの問題が、執行の秘密性である。歴史的に、死刑執行の日時が事前に十分公表されず、家族が執行前に本人と最後の面会を行う機会を確保できなかった事例が報告されている。
その象徴的な事例が、南アフリカ出身のマリエット・ボッシュの死刑執行である。ボッシュは2001年に絞首刑となったが、その執行をめぐって、家族への通知や透明性のあり方が国際的な問題となり、アフリカ人権委員会にも事件が持ち込まれた。
アフリカ人権委員会は2003年のボッシュ事件に関する判断で、ボツワナが当時のアフリカ人権憲章上の規定に違反したとは認定しなかったものの、死刑に関するモラトリアムを検討する決議に従うための措置を強く求めた。この判断は、死刑そのものの合法性と、死刑執行に付随する手続・透明性の問題を分けて扱う必要性を示している。
その後も、ボツワナの死刑執行をめぐる情報公開の問題は繰り返し指摘されてきた。2018年にはジョセフ・ツェラヤロナの絞首刑についてアムネスティが強く批判し、2019年にはムケツィ・クゴシボディバの絞首刑をめぐって、ボツワナが南部アフリカの死刑廃止傾向に逆行していると指摘された。
2020年3月28日には、モアビ・セアベロ・マビレツァとマツヒディソ・ツィド・ボイカニョの2人が執行された。アフリカ人権委員会はこの執行について遺憾の意を示すとともに、死刑は生命権および残虐・非人道的・品位を傷つける刑罰の禁止との関係で重大な問題を持つとの立場を改めて表明し、ボツワナ政府に執行モラトリアムを求めた。
その後、ボツワナでは2021年以降、少なくとも4年連続で死刑執行が確認されていない。したがって、2026年時点の問題は「現在も秘密裏に頻繁な執行を続けている」ということではなく、過去に秘密性の高い執行を繰り返してきた制度を法律上存続させながら、近年は執行を停止した状態に近づいているという点にある。
この変化は重要である。執行が長期間行われなくなれば、死刑制度の実質的な意味は低下するが、公式モラトリアムや法改正がない限り、制度そのものは消滅しないからである。
南部アフリカにおける「孤立」の構図
ボツワナの死刑制度を理解するうえで最も重要なのが、南部アフリカの地域的文脈である。南部アフリカでは、1990年代以降、死刑を廃止する国が相次いでおり、死刑を国家刑罰の中心から排除する方向が地域的な大きな潮流となってきた。
南アフリカは1990年代に死刑制度を廃止し、ナミビア、アンゴラ、モザンビークなども死刑を廃止している。さらに2024年12月にはジンバブエが通常時の犯罪について死刑を廃止する法律を成立させ、南部アフリカにおける廃止の流れをさらに強めた。
特にジンバブエの動きは象徴的である。同国では2005年を最後に執行が行われていなかったものの、法律上は死刑が残されていたが、長期間の事実上の執行停止を経て、2024年に通常犯罪についての法的廃止へと移行した。つまり「執行しない状態」から「法律そのものを廃止する状態」へ移ることが可能であることを示した事例である。
これと比較すると、ボツワナの特徴が明確になる。ボツワナも近年は執行を停止しているものの、2026年現在、政府は公式なモラトリアムや全面的な廃止を約束しておらず、むしろ死刑制度は法律上存続しているとの立場を維持している。
したがって、ボツワナの「孤立」は、単純に「近隣国がすべて廃止したのにボツワナだけが存置している」という意味ではない。より正確には、南部アフリカの主要な法制度が死刑廃止または長期的な執行停止へ向かう中で、ボツワナは死刑を法体系から取り除く段階にまだ到達していないという意味での孤立である。
さらに、この孤立はアフリカ全体の人権制度との関係でも確認できる。アフリカ人権委員会は1999年以降、死刑を維持している締約国に対してモラトリアムを検討し、最終的に廃止するよう繰り返し促しており、2019年の決議では死刑には実証された抑止効果がなく、不可逆性のため生命権と尊厳に重大な問題があるとの認識を示した。
ボツワナ自身もアフリカ人権憲章の締約国であるため、こうした地域的人権規範から完全に切り離されているわけではない。むしろ、ボツワナはアフリカ人権制度の内部にありながら、死刑に関してはその制度が推進してきた方向と距離を置いているという点に、この問題の特徴がある。
周辺国の動向
南部アフリカの周辺国を見ると、死刑をめぐる政策は明確に変化している。南アフリカ、ナミビア、モザンビーク、アンゴラなどはすでに死刑を廃止しており、ザンビアも2021年に死刑廃止へ進み、ジンバブエも2024年に通常犯罪について廃止したことで、ボツワナの制度的な位置は相対的にさらに特殊になった。
ザンビアの変化も重要である。同国は死刑を長く法律上維持していたが、2021年に死刑を廃止し、南部アフリカの廃止潮流に加わった。こうした事例は、死刑存置国が「国民感情」を理由に永続的に制度を維持する必要があるわけではなく、政治的・法的条件が変化すれば廃止へ転換できることを示している。
一方、ジンバブエの場合は、死刑廃止に際して例外的な問題も残された。2024年の法律は通常犯罪について死刑を廃止した一方、国家非常事態の際に国防法を通じて死刑が再導入される可能性を残しており、アムネスティは完全廃止に向けてこの例外規定を削除するよう求めている。
つまり、南部アフリカの死刑廃止は一挙に完成したものではなく、各国が異なる速度と方法で進めている過程である。それでも地域全体として見るなら、法的廃止、事実上の執行停止、モラトリアム、死刑判決の減少などを含め、国家による死刑の使用を縮小する方向が優勢である。
この地域的な変化に対して、ボツワナは2026年現在も死刑を明確に存置している。アムネスティは2025年の分析で、ボツワナを南部アフリカでなお死刑を執行してきた国として位置づけ、地域の廃止傾向から取り残されていると批判した。
ただし、ここでも事実関係には注意が必要である。アムネスティが「南部アフリカで唯一、死刑を執行している国」と論じた背景には、ボツワナが近年まで実際に執行を行ってきたという歴史があるが、2026年8月時点では少なくとも2021年以降の執行停止が確認されているため、「現在も継続的に執行している国」と表現するのは適切ではない。現在のボツワナを特徴づけるのは、むしろ死刑執行国としての歴史を持ちながら、近年は執行を停止し、それでも制度廃止には踏み切っていないという中間状態である。
この中間状態こそ、ボツワナの死刑制度をめぐる議論を複雑にしている。制度を残す政府側から見れば、死刑は必要な最終刑罰として法律上存在しており、執行を行わないことは制度廃止を意味しない一方、廃止を求める側から見れば、執行停止は廃止に向かう第一段階として制度改革につなげるべきものだからである。
「孤立」は本当に孤立なのか
ここまでの分析から、「ボツワナは南部アフリカで孤立している」という表現には一定の妥当性がある。しかし、それを外交的・政治的孤立と理解するならば誤解を招く。ボツワナは民主主義、法の支配、地域協力などの面で南部アフリカ諸国と緊密な関係を維持しており、死刑問題だけを理由に国家として孤立しているわけではないからである。
より適切なのは、「死刑に関する規範的孤立」という概念である。すなわち、周辺諸国が死刑の法的廃止や事実上の執行停止を進め、アフリカ人権委員会も廃止を繰り返し勧告するなかで、ボツワナだけは死刑を憲法・刑法上の制度として維持し、その必要性を国内法と国民的支持を根拠に説明しているという構図である。
そして、この構図を理解するためには、単に「政府が人権を軽視している」と結論づけるだけでは不十分である。なぜ比較的安定した民主主義国家であるボツワナが、周辺国と異なって死刑を維持してきたのか、なぜ国民の相当部分が死刑を支持しているのか、そして司法の独立や適正手続に対する国内の自負が死刑存置論とどのように結びついているのかを検討する必要がある。
次回は、この国内要因に焦点を移す。特に「高い治安維持への意識」「国民的・政治的コンセンサス」「司法の独立と適正手続への自負」を軸として、なぜボツワナでは死刑廃止が容易に政治課題にならないのかを分析する。
死刑維持の背景と国内要因
ボツワナが死刑制度を維持してきた背景には、単純な政治的保守性だけでは説明できない複数の国内要因が存在する。とりわけ、重大犯罪に対する厳罰志向、被害者・遺族の感情、社会秩序への強い関心、そして死刑を「例外的な刑罰」として受け入れる国民意識が重なっていることが重要である。
ボツワナはアフリカの中でも比較的安定した民主主義国家として評価されてきた一方、殺人などの重大犯罪に対する社会的な不安が存在する。こうした環境では、死刑を廃止することが単なる刑罰制度の変更ではなく、「重大犯罪に対して国家がどこまで強い態度を取るのか」という治安政策上の問題として受け止められやすい。
この点で、死刑存置論は必ずしも国家権力の強化を求める思想だけから生じているわけではない。むしろ、被害者側の生命が奪われた以上、加害者にも究極的な刑罰を科すべきだという応報的な正義感覚が、死刑支持の重要な基盤となっている。
2024年に実施されたアフロバロメーター(Afrobarometer)の調査は、この国内世論の強さを具体的に示している。全国代表性を持つ成人1,200人を対象とした調査では、82%が「殺人など最も重大な犯罪について死刑は適切な刑罰である」と回答し、死刑をいかなる犯罪についても正当化できないとしたのは16%だった。
しかも、この支持は特定の社会階層だけに集中していない。女性の支持率は86%、男性は77%、18~25歳の若年層でも75%に達し、農村部81%、都市部81%と地域差もほとんど見られなかった。これは、死刑支持が特定の地域や世代に限定された現象ではなく、社会全体に広く分布していることを示している。
したがって、ボツワナの死刑問題を「政府が国民に押し付けている制度」と理解するのは不十分である。少なくとも2024年時点の世論調査からは、死刑制度がかなり広範な国民的支持によって支えられていることが確認できる。
高い治安維持への意識
死刑存置の第二の背景は、国家が社会秩序と治安を維持する責任を強く負っているという認識である。特に殺人のような重大犯罪について、単に犯罪者を拘禁するだけでは被害者や社会に対する責任を十分に果たしていないと考える層が存在する。
ここで重要なのは、「死刑が犯罪を減少させる」という主張と、「重大犯罪には最も重い刑罰を科すべきだ」という主張を区別することである。前者は犯罪抑止効果という実証的問題であり、後者は刑罰の正義や応報をめぐる価値判断であるが、ボツワナ国内ではこの二つがしばしば重なって議論されてきた。
死刑支持者にとって、死刑は「犯罪を犯せば国家が最も重い制裁を加える」という明確なメッセージでもある。特に殺人事件に対して厳しい刑罰を求める社会では、終身刑などの代替刑が存在しても、死刑を廃止すれば国家の犯罪抑止能力が弱まるという懸念が生じやすい。
しかし、この抑止論には重大な実証上の問題がある。国際的な刑事司法研究では、死刑が終身刑などの代替刑よりも殺人を有意に減少させるという確固たる証拠は確立しておらず、アムネスティ・インターナショナルも死刑には暴力犯罪を効果的に抑止することを示す信頼できる証拠がないと指摘している。
ボツワナの場合、この問題はさらに興味深い。現在のドゥーマ・ボコ大統領は、死刑について歴史的に批判的な立場を取ってきた人物であり、死刑が殺人犯罪の抑止に有効ではないとの考えを示してきた。しかし、2026年3月には、現在の法律が死刑を認めている以上、政府としてその法律を尊重する必要があるとの趣旨を説明している。
つまり、ボツワナでは「死刑は犯罪抑止に必要か」という議論と、「法律上認められている刑罰を政府が尊重すべきか」という議論が別々に存在している。ここに、死刑廃止を支持する政治家であっても、直ちに制度を廃止することが難しい理由がある。
さらに、治安への意識を考える際には、ボツワナ国民が死刑を支持する理由を一つに還元してはならない。犯罪抑止、応報、被害者への正義、社会秩序、国家の刑罰権など、複数の価値判断が組み合わさって死刑支持を形成していると考える方が適切である。
国民的・政治的コンセンサス
死刑制度が存続している最大の理由の一つは、政治家にとって廃止を進める明確な国内的インセンティブが弱いことである。アフロバロメーター(Afrobarometer)の2024年調査で82%という高い支持率が確認された以上、死刑廃止を政策の中心に据えることは、少なくとも短期的には大きな政治的リスクを伴う。
ここで注意すべきなのは、「82%が死刑廃止に反対している」という意味ではないことである。調査の質問は、重大犯罪に対する死刑を適切と考えるかどうかを問うものであり、死刑廃止を最重要の政治課題として反対するか、特定の政治家を死刑問題だけを理由に支持しないかまでを測定したものではない。したがって、82%という数字をそのまま「強固な政治的反対勢力」と解釈するのは適切ではない。
それでも、政治的な意味は大きい。死刑廃止によって得られる政治的利益が不明確である一方、廃止に反発する有権者が相当数存在する可能性があるなら、政権は制度を維持したまま、実際の執行を抑制するという中間的な政策を選択しやすくなる。
2024年の総選挙では、58年間政権を維持してきたボツワナ民主党が敗北し、野党連合「変革のための民主同盟(UDC)」を率いたドゥーマ・ボコが大統領に就任した。この政権交代はボツワナ政治史上極めて大きな変化だったが、死刑制度については政権交代だけで廃止へ進む結果にはならなかった。
これは重要な事実である。もし死刑存置が単純に旧政権の政策的遺産にすぎないのであれば、2024年の政権交代を契機に制度廃止が急速に進んでも不思議ではない。しかし実際には、政権が交代し、しかも新大統領が過去に死刑へ批判的な立場を取っていたにもかかわらず、2026年時点で死刑は存続している。
このことから、死刑制度の維持には政党を超えた社会的基盤が存在すると推測できる。つまり、ボツワナの死刑制度は特定政党のイデオロギーだけによって維持されているのではなく、世論、刑事司法観、被害者感情、治安政策などが複合した政治的コンセンサスによって支えられている。
もっとも、「コンセンサス」という表現にも注意が必要である。16%は死刑をいかなる犯罪についても正当化できないと回答しており、さらに法制度が人々を平等に扱っているかについて38%が「しばしば」または「常に」不平等な扱いがあると回答しているため、死刑制度に対する社会的議論が完全に一方向であるわけではない。
したがって、現在のボツワナに存在するのは「死刑をめぐる全員一致」ではなく、死刑存置を支持する圧倒的多数と、それに対する少数派の廃止論が共存する状態と評価するのが妥当である。
司法の独立と適正手続への自負
ボツワナの死刑存置を理解するうえで、司法制度に対する国内的な評価も重要である。ボツワナは長期にわたり、アフリカの中では比較的安定した立憲民主主義と司法制度を形成してきたため、死刑を支持する側は「独立した裁判所による適正な司法手続の結果として死刑を科すのであれば、制度そのものを否定する必要はない」と考えやすい。
この論理では、問題の中心は死刑の存在そのものではなく、誤判を防止するための手続が十分に機能しているかどうかとなる。被告人に弁護人を付け、証拠を審査し、上級審への控訴を認め、最終的には恩赦・減刑の機会を設けることで、国家による生命剥奪を司法制度の統制下に置こうとする考え方である。
ボツワナの司法当局は、死刑など重大な刑罰につながる事件について、経済的に弁護士を雇えない被告人に対して国費による弁護を提供するpro deo counsel制度を設けている。この制度は、少なくとも制度設計上、死刑事件における防御権を確保しようとする仕組みの一つである。
このような制度的保障があることは、死刑存置論にとって重要な意味を持つ。死刑を支持する立場からすれば、「ボツワナは恣意的に人を処刑している国家ではなく、裁判所の判断、控訴、弁護、恩赦など複数の手続きを経て刑罰を確定させている」という説明が可能になる。
しかし、ここには死刑をめぐる根本的な論点が残る。どれほど適正な裁判制度を構築しても、裁判所が誤判する可能性を完全にゼロにすることはできず、死刑が執行された後にはその誤りを修復することができないからである。
したがって、司法の独立は死刑制度の「手続的正当性」を強化する一方で、死刑そのものの「実体的正当性」を自動的に証明するものではない。むしろ、司法制度への信頼が高い国ほど、「裁判所が判断したのだから死刑は正当だ」という論理が強くなりやすい一方、廃止論者は「司法が独立していても人間による誤判の可能性は消えない」と反論することになる。
この対立は、ボツワナの死刑論争を単純な人権問題から、法の支配そのものをめぐる問題へと広げている。死刑存置派が重視するのは国家の刑罰権と司法手続の正当性であり、廃止派が重視するのは生命権の不可侵性と死刑の不可逆性である。
国内世論と国際規範の衝突
ここまでを総合すると、ボツワナの死刑制度が存続している理由はかなり明確になる。第一に、重大犯罪への厳罰を支持する社会的価値観が存在し、第二に、死刑を支持する国民が圧倒的多数を占め、第三に、司法制度と適正手続への信頼が死刑存置を制度的に支えている。
これに対して、国際人権機関は異なる基準を採用している。国際的な死刑廃止論では、刑罰がどれほど適正な司法手続を経て科されたかだけではなく、国家が生命を奪う刑罰そのものを維持していることが問題とされる。アムネスティは、死刑が犯罪抑止に有効であるとの十分な証拠はなく、また貧困層や十分な法的支援を受けられない人々に不均衡な影響を及ぼす危険があると指摘している。
つまり、ボツワナ国内では「適正な裁判を経た死刑」という考え方が一定の正当性を持つのに対し、国際人権規範では「適正な裁判を経ても死刑は廃止すべきだ」という考え方が強まっている。この規範の違いが、南部アフリカにおけるボツワナの「孤立」を生み出している。
しかも、2024年の政権交代によってこの問題は新たな段階に入った。人権派弁護士として知られたボコ大統領が政権を担うことで廃止への期待が高まった一方、国民世論は依然として強く死刑を支持しており、大統領は法的義務と政治的現実の間に置かれることになった。
ここから見えてくるのは、ボツワナの死刑問題が「民主主義対人権」という単純な構図ではないということである。むしろ、民主的に形成された多数派の意思と、国家が尊重すべき普遍的人権規範が衝突する問題として捉える必要がある。
この意味で、ボツワナの死刑制度は南部アフリカの特殊な例であると同時に、死刑をめぐる世界的な問題を凝縮している。すなわち、国民多数の支持がある刑罰であっても、生命権をめぐる国際的な規範から見れば廃止が求められる場合があり、その際に民主主義、主権、人権のどれをどのように調整するのかという問題である。
国際的な批判と人権上の課題
ボツワナの死刑制度に対する国際的な批判は、単に「死刑を残している」という一点だけから生じているのではない。生命権、刑罰の不可逆性、誤判の可能性、適正手続、執行の透明性、死刑囚の拘禁環境など、複数の人権問題が重なっていることが批判の背景にある。
国際人権法上、死刑をめぐる状況は長期的に変化してきた。国際人権規約(ICCPR)第6条は生命に対する権利を認め、死刑存置国についても厳格な条件を課しているが、同時に国際社会は死刑廃止を目指す方向へ進んでいる。さらに、ICCPR第二選択議定書は死刑廃止を目的としており、アフリカ人権委員会も加盟国に同議定書への加入と死刑執行のモラトリアムを繰り返し求めている。
ボツワナはICCPRそのものには2000年に加入している一方、死刑廃止を目的とする第二選択議定書には2026年8月時点で加入していない。この点は、ボツワナが国際人権法の枠組みから離脱していることを意味しないが、死刑廃止という国際的な規範形成にはまだ法的にコミットしていないことを示している。
また、ボツワナは拷問等禁止条約にも加入している。したがって、国家による刑罰が拷問や残虐、非人道的または品位を傷つける取扱いに該当しないかという問題は、死刑制度について考える際にも無関係ではない。
この問題を特に強く提起しているのがアフリカ人権委員会である。同委員会は2019年の決議で、死刑には実証された抑止効果がなく、不可逆的であり、生命権と人間の尊厳に重大な侵害をもたらすと指摘し、死刑存置国にモラトリアムを実施したうえで廃止へ進むよう求めた。
ここで重要なのは、ボツワナがアフリカ人権制度の「外側」にいるわけではないということである。むしろ同国はアフリカ人権憲章の枠組みに参加し、その地域的人権制度の中に位置しているため、死刑を維持することによって地域機関の示す人権規範との緊張関係が生じている。
「残虐な刑罰」としての批判
死刑廃止論の最も根本的な論点は、死刑が国家による合法的な殺人であるという評価にある。アムネスティ・インターナショナルは死刑を、生命権を不可逆的に否定する刑罰であり、残虐、非人道的または品位を傷つける刑罰であるとして、犯罪の種類や被告人の属性、執行方法を問わず反対している。
ボツワナで採用されている絞首刑についても、この問題は例外ではない。執行方法を変えれば人権問題が解消されるというより、国家が意図的に受刑者の生命を奪うという刑罰構造そのものが問題とされるからである。
さらに、死刑には他の刑罰にはない「不可逆性」という特徴がある。無期刑や長期刑であれば、再審や新証拠によって誤判が判明した場合に釈放や補償を行う可能性が残るが、死刑を執行した後に誤判が判明しても生命を回復することはできない。
この点は、司法制度に対するボツワナ国内の自信とは別の問題である。どれほど裁判官が独立し、弁護人が付され、控訴制度が整備されていても、裁判制度が人間によって運営される以上、誤判の可能性を理論的にゼロにすることはできない。
死刑の適用に社会的格差が影響する可能性も国際的な批判の中心である。十分な法的支援を受けられない人、貧困状態にある人、社会的に弱い立場にある人が死刑判決を受ける危険が相対的に高くなれば、死刑制度は刑罰の公平性という問題を抱えることになる。
ボツワナについても、この問題を完全に無視することはできない。アフロバロメーター(Afrobarometer)の2024年調査では、38%の回答者が、法制度が人々を「しばしば」または「常に」不平等に扱っていると回答している。多数派の56%は不平等な扱いが「まれ」または「決してない」と答えているため、ボツワナの司法制度が一般的に不公平だと結論づけることはできないが、少なくとも制度への完全な信頼が社会全体で共有されているわけではない。
この結果は、死刑をめぐる議論に微妙な意味を持つ。国民の多数が死刑を支持していても、その同じ社会の中に司法制度の平等性に疑問を持つ人々が一定数存在するなら、生命を奪う刑罰についてはより高いレベルの慎重さが求められるからである。
国際潮流との乖離
2026年現在の世界全体を見ると、死刑は依然として存続しているものの、長期的には廃止国が増えている。アムネスティ・インターナショナルによれば、2025年末時点で死刑を法律上全面的に廃止した国は113か国に達し、法律または実務上のいずれかで死刑を廃止した国は145か国に達している。
一方、2025年には世界で少なくとも2,707件の死刑執行が記録されており、2024年の1,518件から78%増加した。これは死刑廃止の世界的潮流が直線的に進んでいるわけではなく、一部の国ではむしろ死刑の使用が急増していることを示している。
したがって、「世界は死刑を完全に廃止しつつある」と単純化することはできない。より正確には、死刑を維持する国が依然として存在し、一部では執行が増加している一方、法律上または実務上の廃止国が多数派となり、死刑を国家刑罰として正当化することが国際的には次第に難しくなっているという構造である。
この世界的状況の中で、ボツワナは規模の小さな例外として位置づけられる。特に南部アフリカでは、南アフリカ、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、ザンビアなどが廃止へ進み、2024年にはジンバブエも通常犯罪について死刑を廃止したため、ボツワナの制度存置は地域的に目立つようになった。
ただし、2025年のアムネスティ報告が示すように、ボツワナは近年の執行停止によって「積極的な死刑執行国」という位置からは後退している。2025年のアムネスティ報告では、4年連続で執行が確認されず、複数の死刑囚が残されている状態とされている。
この点から見ると、ボツワナは「国際潮流に完全に逆行している国」というより、「制度を廃止するところまでは進まず、執行を停止した状態で国際潮流との距離を保っている国」と表現する方が正確である。
さらに、2024年の政権交代後、この矛盾はより明確になった。新大統領ドゥーマ・ボコは人権派弁護士として死刑の合法性に挑戦した経歴を持つが、2025年のアムネスティによれば就任後に死刑執行令状を一件も承認していない一方、死刑制度そのものは残されている。
これは、ボツワナが制度廃止に向けて動き出す余地を残していることを意味する一方、国内世論との衝突を避けながら段階的な改革を進めている可能性も示している。
今後の展望
今後のボツワナには、大きく三つの選択肢が考えられる。第一は現状維持であり、死刑を法律上存続させながら、実際の執行を抑制する方式である。第二は公式モラトリアムを宣言し、その後に死刑判決を終身刑などへ転換する制度改革を進める方式であり、第三は憲法・刑法を改正して死刑を全面的に廃止する方式である。
このうち、短期的に最も現実性が高いのは、第二の「公式モラトリアム」であると考えられる。すでに2021年以降、執行が確認されない状態が続いており、2025年にはアムネスティも政府に公式なモラトリアムを求めているため、事実上の執行停止を法的・政治的に明確化することは、全面廃止よりも国内世論との摩擦が小さい可能性がある。
しかし、最終的に廃止へ進むには世論の変化が必要となる。2024年のアフロバロメーター(Afrobarometer)調査では、重大犯罪に対する死刑を適切と考える人が81〜82%に達しているため、政府が国際人権機関からの要請だけを理由に一気に廃止へ進めば、民主的正統性について強い反発を受ける可能性がある。
そのため、死刑廃止を進めるのであれば、単に「国際社会が廃止を求めている」と説明するだけでは不十分である。死刑に犯罪抑止効果があるという認識、被害者遺族の感情、終身刑などの代替刑の実効性、司法制度への信頼、誤判防止策などを国内で議論し、死刑を廃止しても重大犯罪に対する刑事司法の機能が弱まらないことを示す必要がある。
また、ボツワナ政府にとっては、南部アフリカ諸国との制度的距離をどう縮めるかも重要な課題となる。隣国ジンバブエが2024年に死刑廃止へ進んだことは、長期間の執行停止を経て法的廃止へ移行するモデルを近隣地域に示したためである。
国際的には、ICCPR第二選択議定書への加入も重要な選択肢となる。同議定書は死刑廃止を目的としているため、ボツワナが加入すれば、単なる国内法改正を超えて死刑廃止に対する国際的な法的コミットメントを明確にすることになる。
ただし、これも直ちに実現するとは限らない。国内世論が圧倒的に死刑存置を支持している状況では、国際条約への加入が政治的に「国民の意思を無視した決定」と受け取られる可能性があるためである。
したがって、ボツワナにとって最も現実的な改革経路は、「執行停止→公式モラトリアム→死刑判決の減少・代替刑の整備→国民的議論→法改正→国際条約への加入」という段階的なものになると考えられる。この過程では、政府、司法、議会、人権団体、犯罪被害者団体、市民社会、研究者などが参加する公開された議論が重要になる。
まとめ
これまでの分析を2026年8月時点の最新情報と照合すると、最も重要な事実は、ボツワナが依然として死刑存置国である一方、近年は死刑執行が実施されていないという二重構造である。アムネスティ・インターナショナルは2025年について、ボツワナでは4年連続で執行がなかったと記録している一方、死刑そのものは法律上維持され、死刑囚も残されているとしている。
さらに2026年3月、ボツワナ政府は議会で、死刑に関する公式なモラトリアムは存在しないと明確に説明した。司法・矯正サービス相ネルソン・ラマオトワナは、政府も大統領も死刑執行停止を正式に宣言しておらず、当時19人が死刑囚として収監されていると述べた。
この政府説明は、ボツワナの現在の制度を理解するうえで極めて重要である。すなわち、「死刑執行が長期間行われていない」という事実だけを根拠として、ボツワナが事実上の死刑廃止国になったと判断することはできない。
むしろ2026年現在のボツワナは、法律上の存置、実際の執行停止、公式モラトリアムの不存在という三つの特徴を同時に持つ。これは死刑廃止への過渡期とも解釈できるが、政府自身は現段階で制度廃止を決定していない。
「孤立」という表現の再検証
では、ボツワナを「南部アフリカにおける孤立」と表現することは適切なのか。結論からいえば、一定の妥当性はあるものの、「地域的に完全に孤立している」という表現は強すぎる。
より正確なのは、死刑をめぐる「規範的孤立」または「制度的孤立」である。ボツワナは南部アフリカ諸国との外交関係を維持し、地域機構にも参加しているため、死刑制度だけを理由に外交的孤立へ追い込まれているわけではない。
一方、死刑制度そのものを見ると、周辺国の方向性との距離は明確である。南アフリカは死刑を廃止しており、アムネスティの最新分類でも「すべての犯罪について死刑廃止国」とされている。
さらに、南部アフリカでは死刑を廃止する国、長期間執行を停止する国が増えてきた。この地域的潮流と比較すると、死刑を憲法・刑法上維持し、公式モラトリアムすら宣言していないボツワナは、確かに特徴的な位置にある。
ただし、ここで一つ重要な補正が必要になる。アムネスティは2025年7月の分析でボツワナを「南部アフリカで現在も執行を続けている唯一の国」と位置づけていたが、その後の2025年報告ではボツワナについて4年連続で執行がなかったと整理している。
したがって、2026年8月時点でボツワナを「南部アフリカ唯一の死刑執行国」と現在形で表現するのは避けるべきである。より正確なのは、「近年まで南部アフリカで死刑を実際に執行してきた国であり、現在も死刑制度を法律上維持している代表的な存置国」という表現である。
死刑制度は「維持」されているのか
法制度という観点では、答えは明確に「維持されている」である。2026年2月、ボツワナ政府関係者は、憲法裁判所を新設したとしても死刑が自動的に廃止されるわけではなく、死刑は現在の法的枠組みに組み込まれていると説明した。
さらに政府は、死刑制度を変更するのであれば議会での法改正と国民的議論が必要だとの立場を示している。これは死刑問題を司法だけで決着させるのではなく、立法府と国民を巻き込んだ政治的・憲法的問題として扱っていることを意味する。
2026年3月にはドゥーマ・ボコ大統領自身も、死刑に反対する政治家であるとの単純な位置づけを否定し、弁護士として法律を尊重し実施する義務があると説明した。さらに、恩赦委員会から執行を推薦された案件は大統領に提示されていないとも述べている。
この発言は、ボツワナの死刑問題における政治的ジレンマを象徴している。ボコ大統領は人権派弁護士として死刑の合法性を問題にしてきた人物だが、国家元首となった後は、個人的信念だけで現行法を無視することはできないという立場を取っている。
したがって、2026年現在のボツワナでは、「大統領が死刑廃止に反対しているから制度が残っている」と単純化することはできない。むしろ、憲法、刑法、議会、司法、世論、大統領の恩赦権という複数の制度が相互に作用し、改革の速度を制約している。
死刑囚の存在が示すもの
2026年3月に政府が明らかにした19人という死刑囚数は、制度が単なる象徴的な法律ではないことを示している。執行が行われていないとしても、死刑判決を受けた人が現実に存在し、司法手続や恩赦申請が続いている以上、制度には現在進行形の法的効果がある。
しかも政府説明では、6人が控訴審まで進み、そのうち4人は2024年10月以前、2人は2025年に控訴を退けられ、その後に恩赦を求める申請を行っている。さらに、その6人のうち3人については、控訴を期限徒過を理由に実質審理されないまま退けられたことが明らかになった。
この事実は、死刑制度における適正手続の重要性を改めて浮かび上がらせる。死刑のように不可逆的な刑罰では、控訴権が形式的に存在するだけでは十分ではなく、実質的に裁判所へアクセスできることが極めて重要だからである。
ボツワナ司法においては、死刑判決が上級審で変更される事例も存在する。2021年にはトンデライ・カカンバ被告の死刑判決が控訴審によって破棄され、22年の禁錮刑へ変更された事例が報じられている。裁判所は、死刑判決につながる重大事件で長期間にわたり量刑が確定しないこと自体が非人道的な扱いにつながり得ると指摘した。
このような事例は、司法制度が死刑を機械的に適用しているわけではないことを示す一方、死刑制度そのものが抱える問題も示している。すなわち、死刑判決を出した後に上級審がそれを変更する可能性が現実に存在する以上、国家による生命剥奪を伴う刑罰については極めて高い慎重性が必要となる。
2026年の判例が示す「死刑と代替刑」の関係
2026年7月には、妻を殺害した元警察官に対し、ボツワナ高等裁判所が25年の禁錮刑を言い渡した。事件は複数回の刺傷を伴う極めて重大な殺人だったが、裁判所は被告人の精神状態や事件の背景などの情状を考慮し、死刑ではなく25年刑を選択した。
この判例は、ボツワナの死刑制度を理解するうえで興味深い。死刑が法律上存在していても、裁判所は事件ごとの情状を評価し、死刑以外の刑罰を選択することができるからである。
ここから、死刑廃止後の代替刑についても重要な示唆が得られる。ボツワナでは、重大犯罪に対する長期禁錮刑がすでに実際の司法判断として機能しており、「死刑を廃止すれば重大犯罪者が軽く扱われる」という単純な二者択一ではない。
もちろん、25年刑などの長期刑が死刑と完全に同じ刑罰目的を果たすわけではない。応報、抑止、被害者遺族への正義、社会防衛など、死刑支持者が重視する目的については、代替刑がどこまで社会的支持を得られるかという問題が残る。
しかし、死刑廃止を現実的な政策として考えるなら、このような長期刑、終身刑、仮釈放制度などを組み合わせて、重大犯罪への対応能力を維持することが重要になる。死刑を廃止するかどうかという議論を、単純な「厳罰か寛刑か」の対立から刑事司法制度全体の設計へ移す必要がある。
「残虐な刑罰」という評価の限界と意味
死刑廃止論では、死刑は残虐、非人道的または品位を傷つける刑罰であるとの評価が強い。一方、ボツワナ国内では、適正な裁判を経た死刑は合法的な刑罰であり、重大犯罪に対する正当な制裁であるという考え方が依然として強い。
この違いは、単なる事実認識の違いではなく、刑罰についての価値観の違いである。死刑存置派は国家が生命を奪うことの正当性を、犯罪の重大性、司法手続、社会防衛、応報の観点から判断するのに対し、廃止派は国家による生命剥奪そのものを原則として否定する。
したがって、ボツワナの死刑制度を「残虐だから違法」とだけ説明することには注意が必要である。どの国内法・国際法規範に照らして違法と評価するのかを明確にしなければ、倫理的批判と法的評価が混同されるからである。
その意味で、最も強い批判は「死刑は誤判時に回復不能である」という点にある。刑罰の正当性をめぐる価値観が異なっていても、誤判によって無実の人間が処刑される可能性を完全に排除できないという問題は、制度設計上の重大なリスクとして残る。
国際潮流との乖離はどこまで大きいのか
世界的に見ると、死刑廃止の潮流は明確である。アムネスティによれば、2025年末時点で法律上すべての犯罪について死刑を廃止した国は113か国、法律上または実務上の廃止国を合わせると145か国に達している。
しかし、死刑が世界から消滅したわけではない。2025年には少なくとも2,707件の執行が記録されており、前年より大幅に増加したとアムネスティは報告している。この事実は、世界の死刑政策が「一方向に廃止へ進んでいる」という単純な構図ではないことを示している。
それでも、ボツワナの置かれた位置は特殊である。人口規模や国家体制を考えれば世界的な死刑執行大国とは到底いえないが、南部アフリカという地域単位では、死刑を法的に維持していることそのものが目立つ。
したがって、ボツワナの「孤立」は、死刑執行件数の多さによって生じているのではない。地域的な規範が廃止方向へ進むなかで、制度を維持する政治的・法的意思を残していることによって生じている。
今後の現実的なシナリオ
2026年8月時点で最も現実的なシナリオは、直ちに全面廃止へ進むことではなく、まず現在の執行停止状態を公式な政策へ転換することである。すでに複数年にわたり執行が行われていない以上、公式モラトリアムは現実と法制度の乖離を縮める第一段階になり得る。
第二段階では、死刑囚に対する個別的な恩赦・減刑や、死刑判決を終身刑などへ置き換える制度改革が考えられる。これによって、死刑を維持する必要性と、実際には執行しないという政策の矛盾を整理できる。
第三段階では、憲法・刑法の改正を通じた全面廃止が議論されることになる。しかし、現在の世論を考えれば、この段階に進むには相当な政治的説明が必要となる。
アフロバロメーター(Afrobarometer)の2024年調査で重大犯罪に対する死刑支持が82%に達したことは、政府が国際的な圧力だけを理由に廃止を決定することの難しさを示している。したがって、廃止を進める場合には、犯罪抑止効果に関する研究、誤判の危険性、長期刑の実効性、被害者支援などを含む国内的な政策論争が必要になる。
総合評価
「ボツワナの死刑制度:南部アフリカにおける『孤立』」という問題設定は、一定の妥当性を持つ。ただし、その「孤立」は外交的孤立でも、南部アフリカで完全に唯一の死刑存置国という意味でもなく、死刑をめぐる地域的・国際的人権規範からの制度的な距離を指すと定義するのが最も適切である。
2026年8月時点のボツワナは、死刑制度を法律上維持している。しかし、2021年以降は執行が確認されず、2026年3月時点でも政府は公式モラトリアムを宣言していないため、「死刑廃止へ移行した国」と評価することもできない。
一方、2024年の政権交代後も死刑制度が存続していることは、この問題が単なる旧政権の遺産ではないことを示している。高い死刑支持率、重大犯罪への厳罰志向、被害者への応報的正義、憲法上の制度的位置づけ、司法手続への信頼などが複合して、制度を維持する社会的基盤となっている。
その一方で、控訴審で死刑が変更された事例や、2026年に重大な殺人事件で死刑ではなく25年刑が選択された事例は、死刑以外の刑罰によって重大犯罪に対応する余地が存在することを示している。
最終的にボツワナが死刑を維持するのか、廃止するのかは、国際社会からの圧力だけでは決まらない。国内世論、議会、司法、政府、被害者・遺族、市民社会、そして人権規範の間でどのような合意を形成できるかが決定的に重要になる。
したがって、現時点でのボツワナを「人権後進国」と単純に評価することも、「司法制度が整っているから死刑は問題ない」と評価することも適切ではない。ボツワナの事例が示しているのは、民主的多数派の意思、国家の刑罰権、司法の独立、生命権、国際人権規範という複数の原理が、一つの刑罰制度をめぐって正面から衝突する構図である。
南部アフリカにおける「孤立」という表現は、その意味ではボツワナを断罪するための言葉ではなく、地域全体が死刑を縮小・廃止する方向へ進むなかで、ボツワナがどの地点に立っているのかを可視化するための分析概念として使用するべきである。
そして2026年8月時点で最も注目すべきなのは、ボツワナがすでに「執行の減少」という変化を経験していることである。問題は、これを単なる一時的な停止として終わらせるのか、それとも公式モラトリアム、死刑判決の減刑、法改正、最終的な死刑廃止へつなげるのかにある。
この意味で、ボツワナの死刑制度は「過去の制度」ではない。19人の死刑囚が存在すると政府自身が2026年に明らかにしている以上、制度は現在進行形の問題であり、今後の司法判断と政治判断によって、その方向性は大きく変化する可能性がある。
参考・引用リスト
- Amnesty International, The State of the World’s Human Rights 2025/26 – Botswana。
- Amnesty International, “Botswana can escape the hangman,” 21 July 2025。
- Amnesty International, Death Sentences and Executions 2025, 2026年5月。
- Afrobarometer, “Batswana heavily favour continued use of the death penalty,” 23 January 2025。
- Afrobarometer, Botswana Round 10 Summary of Results, 2025。
- Botswana Daily News / BOPA, “Capital punishment sanctioned by law,” 23 March 2026。
- Botswana Daily News / BOPA, “Boko clarifies position on death penalty,” 9 March 2026。
- Botswana Daily News / BOPA, “Motshegwa addresses concerns over death penalty,” 16 February 2026。
- Botswana Daily News / BOPA, “Court sentences police officer to 25 years,” 16 July 2026。
- Botswana Daily News / BOPA, “Death row cell: Where dawn is memory and grave is roommate,” 16 April 2026。
- Botswana Administration of Justice, Appointment of Pro Deo Counsel。
- Constitution of Botswana。
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- International Covenant on Civil and Political Rights, Article 6。
- Second Optional Protocol to the International Covenant on Civil and Political Rights, aiming at the abolition of the death penalty。
- African Charter on Human and Peoples’ Rights。
- African Commission on Human and Peoples’ Rights, Interights et al. on behalf of Mariette Sonjaleen Bosch v. Botswana, Communication No. 240/2001。
- African Commission on Human and Peoples’ Rights, resolutions concerning the abolition of the death penalty in Africa。
- Amnesty International, Death Sentences and Executions 2024。
- Reuters, 2024年ボツワナ総選挙・政権交代関連報道。
