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ロシア、ICC赤根所長らの身柄引き渡し要求、背景にある「欠席裁判」の判決

2026年10月8日にロシア最高検察庁がオランダなど複数国に対して赤根智子ICC所長ら9人の身柄引き渡しを求めたのは、2023年3月のプーチン大統領への逮捕状に始まるロシアとICCの対立が、新たな段階に入ったことを示している。
国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長(Getty Images)
現状(2026年10月時点)

2026年10月8日、ロシア最高検察庁は、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長ら9人について、拘束したうえでロシアに引き渡すよう、ICC本部が置かれるオランダなど複数国に要請したと発表した。対象には赤根所長のほか、ICCの現職・元裁判官、元検察官らが含まれており、ロシア側はこれらの人物を国際手配の対象としていると説明している。

今回の要請は、突然現れた新しい対立ではない。ロシアは2023年3月にICCがウラジーミル・プーチン大統領らに逮捕状を発付した直後から、関係したICCの検察官や裁判官に対する刑事捜査を開始し、その後、ロシア国内で欠席裁判による有罪判決まで進めてきたためである。2025年12月には、今回引き渡しを求められた9人に対して、ロシアの裁判所が3年6カ月から15年の刑を言い渡していた。

したがって、今回の身柄引き渡し要求は、ロシアがICCに対して新たに一線を越えたというより、これまで進めてきた対抗措置を国際的な身柄拘束の要求へと段階的に拡大したものと位置づけることができる。特に重要なのは、対象がロシアの反体制派やウクライナ側の当事者ではなく、国際刑事司法の中枢を担う裁判官や検察官そのものである点である。

ICCは2026年10月現在、ウクライナ情勢をめぐる捜査・司法手続きを継続している。赤根所長自身も10月初めにアイルランドを訪問し、法の支配や裁判所の独立性に対する現在の圧力について発言しており、今回のロシアによる要求は、ICCが複数方面から政治的・法的圧力を受ける状況の中で起きた。

何が起きているのか(概要)

事態を整理すると、「ICCがロシアの国家指導者に逮捕状を出す」→「ロシアがICC関係者を捜査・指名手配する」→「ロシア国内でICC関係者を欠席裁判にかけて有罪判決を出す」→「今度は第三国に対して身柄の拘束・引き渡しを求める」という流れである。今回の動きは、この対立が外交上の非難だけでなく、双方が相手側の司法関係者を刑事手続きの対象とする段階に達していることを示している。

ロシア最高検察庁は、ICCが「法的根拠がないにもかかわらず」ロシア国民に対する逮捕状を発付したと主張している。さらに、ロシアは自国がICCの設立根拠となるローマ規程の締約国ではないことを根拠の一つとして、ICCにはロシア国民を訴追する権限がないという立場を繰り返している。

ここで注意すべきなのは、ロシアの主張をそのままICCの管轄権に関する国際法上の結論とみなしてはいけないことである。ICCのウクライナ情勢に対する管轄権は、ロシアがローマ規程の締約国であるかどうかだけで決まるものではなく、ウクライナ側による管轄権受諾や、犯罪が締約国であるウクライナの領域で行われたという問題など、複数の法的根拠に基づいて構成されている。

また、今回ロシアが引き渡しを求めている9人には、現在の赤根所長だけでなく、元ICC所長のピョートル・ホフマンスキー元判事や、元主任検察官のカリム・カーン氏らも含まれている。ロシア側の発表には一部の役職について現在とは異なる表記も含まれており、今回の要請がICCの組織そのものを標的とした政治的メッセージとしての性格を強く持っていることも読み取れる。

身柄引き渡しの要請

ロシア最高検察庁が今回、特にオランダ政府に要請したことには地理的・政治的な意味がある。ICCの本部はオランダのハーグにあり、裁判官や検察官を含むICCの主要機能が同地に集中しているため、ロシアにとってオランダは、ICCそのものを象徴する国家だからである。

もっとも、ロシアの要請が出されたからといって、オランダが赤根所長らを逮捕してロシアへ引き渡すことになるわけではない。実際には、要請を受けた国家の国内法、国際法上の義務、ICCとの関係、外交上の立場などが問題となり、ロシア側の要求がそのまま執行される可能性は極めて低いと考えられる。

それでも今回の要求には意味がある。ロシアは単に「ICCの逮捕状は違法だ」と声明を出すだけではなく、その逮捕状を発付した人物自身を犯罪者として扱い、第三国に拘束を求めることで、ICC側の司法判断を逆方向から無効化しようとしているからである。

いわば「逮捕状を出した側を逮捕対象にする」という構図である。これは実際の身柄確保が目的であると同時に、ICCの司法活動そのものを「政治的・違法な行為」と位置づけるための対抗宣伝、外交的威圧、国際司法制度への圧力という複数の機能を持つ。

ロシアがこの要求をオランダだけでなく複数国に送ったとされる点も重要である。ロシアが対象者の国際的な移動を制約し、ICC関係者に対して「ロシアの刑事手続きから逃れられるわけではない」というメッセージを発する狙いがあるとみられる。

ただし、ここには大きな実効性の問題がある。ICCを支持する国々がロシア側の要請に応じる可能性は低く、ましてICCの現職所長をロシアへ引き渡すことは、ICCの司法的独立性そのものを否定する行為になり得るためである。

むしろ重要なのは、今回の要請によってロシアが「ICCの判断を受ける側」から「ICCの裁判官・検察官を追及する側」へと立場を反転させようとしていることである。この反転こそが、今回の事件を単なる報復措置ではなく、国際刑事司法の正当性そのものをめぐる政治・法的対立として見るべき理由である。

背景にある「欠席裁判」の判決

今回の身柄引き渡し要求を理解するうえで重要なのが、2025年12月12日にモスクワ市裁判所が、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を含む裁判官8人と元主任検察官カリム・カーン氏の計9人に対して言い渡した有罪判決である。9人はいずれもロシア国内の法廷に姿を見せないまま審理され、懲役3年6カ月から15年の刑が言い渡された。

ロシア側が問題にしたのは、2023年3月にICCがロシアのウラジーミル・プーチン大統領らに逮捕状を発付した一連の司法手続きである。ロシア最高検察庁は、ICCが法的根拠を持たないままロシア国民を違法に訴追し、さらに違法な逮捕状を発付するよう裁判官に指示したと主張している。

判決で対象となった9人は、カーン元主任検察官、ホフマンスキー元ICC所長、赤根所長、さらにICCの副所長や裁判官らである。ロシア側の説明によれば、彼らには「無実であると知りながら刑事責任を問うたこと」、「違法な拘束」、「国際的な保護を受ける人物に対する暴力行為の準備」などに関係する罪が適用されたとされている。

刑罰の中でも特に重いのがカーン氏に対する15年の刑である。一方、8人の裁判官については3年6カ月から15年の範囲で刑が言い渡されたが、赤根氏についてロシア側は今回の発表時点でも具体的な刑期を明らかにしていない。

この判決の特徴は、被告となった9人がロシア国内で活動していた人物ではなく、国際的な司法機関の職務としてロシア関係者を訴追・審理した人物だったことである。つまりロシア側の論理では、ICCの司法活動そのものがロシア法上の犯罪行為となったことになる。

ここには極めて重要な問題がある。通常、国際裁判所の裁判官や検察官が、その職務として行った司法判断について、対象国の国内刑法によって処罰されるという構図は、国際司法制度の独立性と正面から衝突するからである。

国連人権理事会の特別手続きに関係する専門家らも、この2025年12月の判決について、国際法に反するものであり、国際裁判所の独立した司法・検察機能を犯罪化する前例のない試みだと批判した。専門家らは、9人が欠席裁判で有罪とされ、国際手配の対象になったことも問題視している。

「欠席裁判」が持つ意味

欠席裁判そのものが、常に国際法上違法になるわけではない。各国の刑事司法制度には、一定の条件の下で被告人が法廷に出席しなくても審理や判決を行う制度が存在するためである。

しかし今回のケースでは、被告とされた9人がそもそもロシアの裁判所に出廷する可能性が極めて低く、ロシア側が彼らを拘束して国内法廷に連れてくることもできないという特殊な事情がある。そのため、この判決は実際に刑罰を執行するための通常の刑事裁判というより、対象者を犯罪者として公式に位置づけ、国際手配を通じて移動を制限する意味合いが強いと考えられる。

実際、ロシア側は判決後、9人を国際手配の対象にした。つまり判決によって生じた刑罰をロシア国内だけにとどめず、第三国で対象者を拘束する可能性につなげようとしているのである。今回の身柄引き渡し要求は、この「国際手配」という段階からさらに踏み込んだ措置と見ることができる。

この点で、2025年12月の判決と2026年10月の引き渡し要求は切り離して考えることができない。2025年の判決によって赤根氏らにロシア国内での刑事責任を負わせ、そのうえで国際手配を行い、2026年になって第三国に身柄拘束と引き渡しを求めるという一連の流れになっているからである。

なぜロシアは「違法な訴追」と主張するのか

ロシア側の法的主張の中心には、ICCの管轄権に対する根本的な異議がある。ロシアはICCの設立根拠となるローマ規程の締約国ではなく、自国がICCに加入していない以上、ICCがロシア国民を訴追すること自体に正当な根拠がないという立場を取っている。

この主張を理解するには、「ICCがロシアを締約国として裁いているのか」という問題と、「ICCがウクライナ領域で行われたとされる犯罪について管轄権を持つのか」という問題を区別する必要がある。ICCは、対象となる国家がすべてローマ規程の締約国である場合にしか管轄権を持たない裁判所ではなく、犯罪が締約国の領域で行われた場合などにも一定の管轄権を持ち得る。

ウクライナについては、同国がローマ規程の締約国ではなかった時期から、ICCの管轄権を受け入れる宣言を行ってきたことが重要になる。したがって、ロシアがローマ規程の締約国ではないという事実だけから、ICCによるウクライナ情勢の捜査・訴追が当然に無効になるわけではない。

この法的構造があるため、ロシアの主張には「ロシアがICCに加入していない」という事実だけでは決着しない論点が含まれている。ICC側から見れば、ウクライナに関する管轄権を別の法的根拠によって成立させており、ロシア国民であることだけを理由にICCの管轄から完全に除外されるわけではないという考え方になる。

したがって、2025年12月のロシア判決は、単にICCの法解釈とロシアの法解釈が食い違っているというだけではない。どの司法機関が国際犯罪について最終的に判断する権限を持つのかという、国際司法秩序そのものをめぐる対立なのである。

判決は「報復」なのか

2025年12月の判決について国際的な報道で特に注目されたのが、そのタイミングと対象者である。ロシアが判決の対象にした9人の中心人物は、プーチン大統領らに対するICCの逮捕状発付に直接関係した人物だったため、この判決は広く「プーチン大統領への逮捕状に対する報復」と受け止められた。

ただし、ここで「報復」という言葉だけで説明を終えるのは適切ではない。ロシア側はあくまで自国の刑法に基づく正当な刑事手続きであると主張しており、問題はその主張が国際的な司法制度の中でどこまで受け入れられるかにある。

ロシアにとっては、ICCによる逮捕状を「国際的に有効な司法判断」として認めてしまえば、プーチン大統領の国際的な法的立場に重大な制約が生じる。そのため、逮捕状を発付した裁判官や検察官を逆に犯罪者として訴追することで、ICCの判断自体を「違法な司法行為」と位置づけることができる。

ここに今回の事件の本質がある。ロシアは単に「プーチン大統領を逮捕するな」と主張しているのではなく、プーチン大統領への逮捕状を生み出した司法手続きそのものの正当性を否定しようとしているのである。

そして2026年10月8日の身柄引き渡し要求は、その主張をさらに国際的な舞台へ押し出したものとみられる。ロシアは自国国内で下した判決を根拠に、オランダなど第三国に赤根氏らの拘束・引き渡しを求めることで、「ICCの裁判官であってもロシア法上の責任を免れない」というメッセージを発信している。

この構図を踏まえると、今回の要求が実際に身柄を取得できるかどうかだけを見るのは不十分である。むしろ重要なのは、国際刑事裁判所の司法判断に対して、国家が自国の刑事司法を使って対抗し、その対象者を国際的に追跡するという前例が形成されつつあることである。

赤根所長が象徴的な存在となった理由

赤根氏は2018年にICCの裁判官に就任し、2024年3月からはICC所長を務めている。ICCの公式経歴によると、就任前には日本の検察官として長年刑事事件を担当しており、国際司法協力にも携わってきた人物である。

さらに重要なのは、赤根氏が2023年3月のプーチン大統領らへの逮捕状発付に関わった裁判官の1人だったことである。その後ICC所長となったことから、ロシア側から見れば赤根氏は、ICCの制度的立場とプーチン大統領への逮捕状を象徴する人物の一人となった。

したがって、2026年10月にロシアが赤根所長の身柄引き渡しを要求したことは、個人としての赤根氏だけを標的にした動きとは考えにくい。ICCの現職所長を対象にすることで、国際刑事司法の意思決定層そのものに圧力をかける効果を狙ったと見ることができる。

一方、ICC側はこうした圧力に屈する姿勢を示していない。2026年8月には米国による赤根所長への制裁についても、ICCが司法機関の独立性に対する攻撃だとして強く反発しており、赤根氏はロシアと米国という異なる方向から圧力を受けるICCの象徴的存在となっている。

ここまでを見ると、2025年12月の欠席裁判は、2026年10月の身柄引き渡し要求の単なる前段階ではない。それ自体が、ロシアがICCの権威を否定し、自国の司法権を対抗手段として前面に押し出すための重要な一手だったと評価できる。

対立の根本原因(なぜロシアは激怒しているのか)

ロシアと国際刑事裁判所の対立が決定的に深まった転機は、2023年3月17日だった。この日、ICCの予審裁判部は、ロシアのプーチン大統領と、ロシア大統領府の子どもの権利担当委員だったマリア・リボワベロワ氏に対する逮捕状を発付した。対象となったのは、ロシアが占領したウクライナ地域からロシアへの子どもの違法な移送・追放という戦争犯罪であり、ICCはプーチン氏について個人としての責任に加え、部下に対する上官責任についても「合理的な根拠」があると判断した。

ここで重要なのは、逮捕状が「ロシアによるウクライナ侵攻そのもの」について発付されたわけではないことである。ICCがこの時点で対象にしたのは、占領地域から子どもをロシアへ移す行為という具体的な戦争犯罪であり、プーチン氏については、その行為に直接関与した可能性だけでなく、実効的な権限・統制下にある部下が犯罪を行った際に適切な統制を行わなかった責任も問題とされた。

この判断は、ロシアにとって極めて大きな政治的打撃だった。ロシアの国家元首が国際的な刑事裁判所から逮捕状を出されたことで、プーチン氏はロシア国内では国家指導者であっても、ICC加盟国を中心とする国際社会の一部では「逮捕状の対象者」という法的地位を持つことになったからである。

しかも問題となったのが「子ども」だったことは、国際世論上も非常に重い意味を持った。戦争における民間人被害の中でも子どもの強制的な移送は強い国際的非難を招きやすく、ICCの判断はロシアの軍事行動全般ではなく、占領地域の住民、とりわけ子どもをめぐる具体的な行為に焦点を当てることで、刑事責任の問題を明確に切り出したのである。

国連のウクライナ独立国際調査委員会も2023年3月の報告で、ロシア当局がウクライナの子どもをさまざまな状況で占領地域内の別の地域へ移送したり、ロシアへ移送・追放したりした事例を確認している。同委員会は、こうした移送によって子どもが家族から長期間引き離される状況が生じ、国際人道法に違反する違法な移送・追放に当たると判断した。

つまり、ICCの逮捕状にはロシア側が主張するような「根拠のない政治的決定」という側面だけで説明できない。ICCは独自捜査によって証拠を収集・分析し、予審裁判部がその証拠を踏まえて逮捕状発付の基準を満たすと判断したのであり、国連の調査機関も別の調査から子どもの移送について重大な問題を確認していた。

ただし、ここで「逮捕状が発付された=プーチン氏の犯罪が裁判で確定した」と理解してはいけない。逮捕状は有罪判決ではなく、ICCが捜査段階で一定の法的基準を満たすと判断したことを意味するものであり、最終的な有罪・無罪を判断する公判とは異なる。

それでもロシアにとって衝撃が大きかったのは、逮捕状が単なる外交的非難とは違うからである。国際機関がロシア大統領個人について刑事責任を問う可能性を正式な司法手続きとして示したことで、プーチン氏の海外渡航や外交活動には、訪問先の国家が逮捕状をどう扱うのかという新たな問題が付きまとうことになった。

プーチン大統領への逮捕状(2023年3月)

2023年3月17日の逮捕状は、ICCのウクライナ情勢に対する捜査の突然の開始によって生まれたものではない。ICC検察局は2022年3月2日、ウクライナ情勢について正式な捜査を開始すると発表しており、日本を含む複数の国がこの捜査に関する付託に加わっていた。

その捜査の対象は、2022年2月24日以降のロシアによる軍事行動だけに限定されたものではない。ICCの説明では、2013年11月21日以降にウクライナ領内で行われたとされる戦争犯罪、人道に対する罪、集団殺害犯罪などについて、管轄権の範囲内で捜査が進められている。

この広い捜査の中から、2023年3月にまずプーチン氏とリボワベロワ氏が逮捕状の対象となった。ICC検察局によれば、ロシアによる子どもの移送について、少なくとも数百人の子どもが孤児院や児童養護施設から移送され、その一部がロシア国内で養子縁組された疑いが確認されていた。さらにロシアでは、大統領令によって子どもへのロシア国籍付与を迅速化する仕組みも設けられていたとICCは指摘している。

この点は、単純な「戦時の避難」と「違法な移送」を区別するうえでも重要である。武力紛争下では、子どもを危険な地域から安全な場所へ一時的に避難させること自体が直ちに犯罪になるわけではなく、国際人道法上の問題は、その移動がどのような条件で行われ、家族との再統合が保障されていたのか、本人の身元や居場所が把握されているのか、占領国への恒久的な移転につながっているのかといった具体的事情によって判断される。

ICCが重視したのは、単に子どもがウクライナからロシアへ移動したという事実だけではない。ICC検察局は、子どもを元の国から恒久的に切り離す意図を示す事情があると主張し、ロシア国内での養子縁組や国籍取得を容易にする制度変更などを、その判断材料として挙げた。

このため、ロシア政府にとって逮捕状は、単なる軍事作戦に対する批判以上の意味を持つことになった。ロシアが「保護」「避難」「人道的措置」と説明してきた活動について、国際刑事司法機関が逆に「違法な追放・移送」という犯罪の可能性を認定したからである。

さらに重大なのは、逮捕状の対象がロシア軍の現場指揮官だけではなく、国家の最高指導者だったことである。ICCはプーチン氏について、本人が直接、共同して、あるいは他者を通じて犯罪を行った可能性に加え、部下を適切に統制しなかったという上官責任も検討し、逮捕状を発付した。

この判断によって、ウクライナ戦争における国際刑事責任の追及は、軍や行政の下位レベルだけを対象とするものではなく、最高指導部にまで到達する可能性が示された。ロシアにとって、この点が最も警戒すべき部分だったと考えられる。

なぜ赤根氏らがロシアの標的になったのか

2023年3月17日の逮捕状を発付した予審裁判部には、当時の裁判官として赤根智子氏が含まれていた。ICCの記録でも、同日、赤根氏ら3人で構成された予審裁判部がプーチン氏に対する逮捕状を発付したことが確認されている。

そのためロシア側から見れば、赤根氏はプーチン氏への逮捕状を生み出した司法判断に直接関与した人物となる。さらに赤根氏はその後ICC所長に就任したため、個々の裁判官という立場を超え、現在のICCを代表する人物としてロシア側から認識されるようになった。

ここから、2025年のロシア国内における欠席裁判と2026年10月の身柄引き渡し要求につながる構図が見えてくる。ロシアはプーチン氏に対する逮捕状を「不当な国際司法」と位置づけ、その発付に関与した裁判官や検察官を逆に刑事責任の対象とすることで、ICCの判断を正当な司法判断として認めない姿勢を制度的に示しているのである。

これは通常の外交的抗議とは性格が違う。国家が国際裁判所の判決や逮捕状に反発すること自体は珍しくないが、裁判官や検察官個人を刑事事件の被告として扱い、さらに第三国に身柄の拘束・引き渡しを求めるところまで進むと、国際司法機関と国家司法権との対立が個人レベルにまで拡大する。

ロシアの怒りの本質

ロシアが問題視しているのは、逮捕状によってプーチン氏が実際に直ちに拘束されることだけではない。より大きな問題は、国際社会に「ロシア大統領には国際刑事責任を問われる可能性がある」という法的評価が存在し、それがICCという司法機関によって正式に示されたことである。

ロシア国内ではプーチン氏は国家の最高指導者であり、その正統性はロシアの国内制度によって支えられている。しかしICCの司法手続きでは、国家元首であることだけを理由に刑事責任の検討から自動的に除外されるわけではない。この構造そのものが、ロシアの国家主権を重視する政治理念と強く衝突する。

さらに、逮捕状には国際的な実務上の効果がある。ICC加盟国を中心に、加盟国が一定の条件の下で逮捕状の執行義務を負う可能性があるため、プーチン氏が海外を訪問する場合、訪問先によっては拘束の問題が生じる。

実際、2024年にはモンゴルがプーチン氏の訪問を受け入れたことをめぐり、ICCがモンゴルによる逮捕状執行義務の不履行を問題にするなど、逮捕状は外交関係にも具体的な影響を及ぼしている。これは逮捕状が単なる象徴的文書ではなく、国家間外交の現実に影響する法的装置であることを示している。

したがって、ロシアがICC関係者を標的にする理由は、「プーチン氏を逮捕しようとしたから」という一言だけでは説明しきれない。より本質的には、国家主権を最上位に置くロシアの立場に対して、国際刑事司法が国家元首個人の責任を問う仕組みを突きつけたことへの反発なのである。

そしてロシアは、その反発を声明だけで終わらせなかった。ICCの裁判官・検察官を自国法上の犯罪者として扱うことで、「国際刑事司法がロシアを裁く」という一方向の構図を、「ロシアもまた国際刑事司法の担い手を裁くことができる」という対抗構図へ変えようとしている。

ロシアの主張

ロシアが赤根智子国際刑事裁判所(ICC)所長らを刑事責任の対象としている根本には、ICCそのものに対する強い法的・政治的な否定がある。ロシア政府は、ICCがロシアに対して管轄権を持たないにもかかわらず、ロシア国民を違法に訴追し、プーチン大統領に逮捕状を発付したと主張している。

ロシアが特に強調するのが、ローマ規程の締約国ではないという点である。ロシアは2000年にローマ規程へ署名したものの批准せず、2016年には署名国としての立場も撤回したため、ICCに対する自国の同意が存在しない以上、ICCによるロシア国民への刑事管轄権行使には正当性がないという立場を取っている。

この主張には、国家主権と国際刑事司法の関係という根本的な問題がある。国際刑事裁判所は国家そのものを裁く裁判所ではなく、個人について国際犯罪の刑事責任を追及する制度であるため、「ロシアがICCに加盟していない」という事実だけで、ICCがウクライナ情勢について一切の管轄権を持たないと結論づけることはできない。

ウクライナはローマ規程を正式批准する以前から、ICCの管轄権を一定の範囲で受け入れる宣言を行っていた。そのため、ウクライナ領内で行われたとされる犯罪については、犯罪行為者がロシア国民であってもICCの管轄権が成立し得るというのがICC側の基本的な法的構成である。

ここでロシアとICCの主張は真正面から衝突する。ロシアは「自国が同意していない国際裁判所による刑事管轄権の行使」を問題にする一方、ICC側は「犯罪が行われた場所と被害国の管轄権受諾」を根拠として、自らの司法権を正当化している。

ロシアはさらに、国家元首に対する逮捕状そのものにも異議を唱えている。国家元首には国際法上の免除が認められるべきであり、外国の裁判所が現職大統領を逮捕対象にすることは国家主権への侵害だというのがロシア側の論理である。

しかしICCは、国際犯罪については公職や国家元首という地位だけを理由に刑事責任から免れることはできないという考え方を採っている。ローマ規程27条は、国家元首や政府高官などの公的資格を理由として刑事責任を免除したり、刑罰を軽減したりすることを原則として認めていない。

この対立は、単なる条文解釈の違いにとどまらない。国家主権をどこまで優先するのか、それとも大量虐殺や戦争犯罪などの重大な国際犯罪については国家元首であっても個人責任を追及できるのかという、国際法の基本思想そのものが衝突しているのである。

ロシアによる「対抗司法」の構図

こうしたロシアの主張を実際の行動に移したものが、2025年12月の欠席裁判であり、今回の身柄引き渡し要求である。ロシアはICCの司法判断を受け入れるのではなく、自国の司法制度を使ってICCの裁判官や検察官を逆に被告人として扱った。

この構造は「対抗司法」と呼ぶことができる。ICCがロシア側の個人に刑事責任を問うのに対し、ロシアはICC側の司法関係者に刑事責任を問うことで、国際司法の一方向的な権威を相殺しようとしている。

2025年12月のロシア国内判決では、ICC関係者9人が欠席のまま有罪とされた。その後、ロシア側は彼らを国際手配の対象とし、2026年10月にはオランダなど複数国に対して身柄の拘束・引き渡しを求める段階に進んだ。

実際に赤根氏らがロシアへ引き渡される可能性は極めて低い。しかし、実効性が低いからといって、この措置が無意味になるわけではない。むしろロシアにとっては、実際の逮捕よりも「ICCの裁判官が国際的な犯罪者として扱われている」という構図を作り出すこと自体に政治的価値がある。

この動きが持つ「戦略的・政治的意味」の分析

第1の意味は、プーチン大統領への逮捕状を相対化することである。ICCがプーチン氏を逮捕状の対象にしたのに対し、ロシアはその逮捕状を発付した裁判官らを犯罪者として扱うことで、「ICCだけがロシアを裁く側ではない」という構図を国際社会に提示している。

これは法的な意味よりも、政治的な意味が大きい。ロシアはICCの判断を無効化できなくても、その判断を「国際的に共有された正義」ではなく、「西側諸国と結びついた政治的な司法判断」として印象づけることができるからである。

第2の意味は、ICC関係者個人への心理的圧力である。赤根所長らが実際にロシアへ渡航する可能性は低いとしても、ロシア側が刑事事件として扱い、国際手配を主張すれば、対象者の海外渡航には一定の不確実性が生じる。

もちろん、ICC加盟国がロシアの要求を受け入れるとは限らない。それでも対象者本人にとっては、「どの国へ行けば安全なのか」「第三国の国内法上、ロシアからの逮捕要求がどのように扱われるのか」という新たな問題が生じるため、国際司法関係者に対する圧力として一定の効果を持つ。

第3の意味は、ICCの活動を萎縮させることである。ICCの裁判官や検察官が、国家指導者を捜査した結果として対象国から刑事訴追を受けるという状況が常態化すれば、将来の事件で裁判官や検察官が国家からの報復を意識する可能性がある。

国際刑事司法は、国内司法と比較して強制力が弱い。独自の警察組織を持たず、逮捕や証拠収集、被告人の移送などで加盟国の協力に大きく依存しているからである。

そのため、ICCの最大の資産は軍事力でも警察力でもなく、司法判断の正当性と加盟国の協力である。ロシアがICC関係者そのものを犯罪者として扱うことは、この「正当性」と「協力」の基盤を直接攻撃する行為と見ることができる。

第4の意味は、ロシア国内向けの政治的メッセージである。ロシア政府にとって、プーチン氏が国際刑事裁判所から逮捕状を受けたという事実は、国内世論においても重大な問題になる。

その際、「ロシアが国際司法から一方的に追及されている」という構図だけを見せれば、ロシア側が受け身に立っている印象を与える。しかし、ICC関係者自身を訴追し、引き渡しまで要求すれば、「ロシアも相手側を法的に追及している」という対抗姿勢を示すことができる。

つまり今回の要求は、外交政策としての対外的な圧力であると同時に、国内政治における権力の正当化にも利用できる。プーチン氏への逮捕状を「ロシアに対する攻撃」と位置づけ、それに対してロシアが司法的に反撃しているという物語を構築できるからである。

ICCおよび国際司法秩序への揺さぶり

今回の問題をより大きな視点から見ると、最大の論点はICCそのものの権威にある。ICCは国際社会における重大犯罪の責任者を、国家の壁を越えて追及するために設立されたが、その仕組みは各国の協力なしには機能しない。

したがって、強大な軍事力と政治力を持つ国家が「ICCの司法判断を認めない」だけでなく、「ICCの裁判官や検察官を自国の刑事司法で追及する」という状況は、制度に対する強い挑戦となる。

さらに問題なのは、この種の対立がロシアだけに限定されないことである。ICCは2025年以降、米国からも裁判官や検察官に対する制裁を受けており、2026年8月には赤根所長を含むICC関係者への米国による制裁について、ICCが司法の独立性に対する攻撃だとして強く反発している。

つまりICCは現在、ロシアと米国という世界有数の大国から、それぞれ異なる理由で強い圧力を受けている。ロシアはウクライナ情勢をめぐる捜査・逮捕状を問題にし、米国はICCによるイスラエル関係者らへの捜査などを問題視しているという違いはあるが、結果としてICCの司法活動に対する政治的圧力が強まっている点では共通している。

これは国際刑事司法にとって深刻な問題である。ICCが「大国の利害に左右されず重大犯罪を裁く機関」として存在できるのか、それとも大国の反発を受けるたびに司法関係者自身が制裁や刑事訴追の対象となるのかという、制度の将来を左右する問題だからである。

一方で、ロシアによる今回の措置が直ちにICCを機能不全にするわけではない。ICCには多数の加盟国が存在し、ウクライナ情勢についても加盟国や被害国側からの協力が継続しているため、ロシアが一国でICCの司法手続きを停止させることはできない。

むしろ逆説的だが、こうした圧力によってICCを支持する国々が結束する可能性もある。国際刑事司法を守るという共通利益が、ロシアや米国などによる圧力への対抗軸になる可能性があるためである。

「逮捕状を出した側を逮捕する」という異例の構図

今回の事件を象徴的に表現すれば、「逮捕状を出した側を逮捕対象にする」という構図である。もちろん、ロシアが発した逮捕要求とICCの逮捕状は、その法的根拠や国際的な承認の範囲が同じではないため、単純に「双方が同じことをしている」と考えるべきではない。

ICCはローマ規程という多国間条約に基づいて設立された常設の国際裁判所であり、加盟国による条約上の枠組みと一定の管轄権を持つ。一方、ロシアの裁判はロシア国内法に基づく国内刑事手続きであり、その判決を他国が国際的な逮捕義務として当然に認めるわけではない。

この違いは非常に重要である。ロシア側が「ICC関係者に逮捕状を出した」という事実と、「国際社会がその逮捕状を執行する義務を負う」という問題は別だからである。

したがって、今回の引き渡し要求の最大の効果は、実際の身柄確保よりも政治的・宣伝的な側面にあると考えられる。ロシアはICCの司法判断を否定し、逆にICC関係者を犯罪者として扱うことで、国際社会における法的正統性をめぐる競争に持ち込もうとしている。

そして、この戦略が成功するかどうかを左右するのは、ロシアが赤根氏らを実際に拘束できるかではない。第三国がロシアの司法判断をどこまで認めるのか、ICC加盟国がどこまでICCを守るのか、そして国際社会がどちらの司法的正当性を支持するのかが、本当の勝負になる。

この意味で、2026年10月の身柄引き渡し要求は、表面的にはロシアと赤根所長ら9人の個人的な対立に見える。しかし実際には、国家主権と国際刑事司法、国内法と国際法、政治権力と司法の独立性という、国際秩序の根幹に関わる問題を浮かび上がらせている。

法的・実効性の観点

今回のロシアによる身柄引き渡し要求を法的に見る場合、まず区別しなければならないのは、ロシア国内で有効な刑事判決であることと、第三国がその判決を承認し、身柄引き渡しに応じることは別問題だという点である。2025年12月のモスクワ市裁判所による判決はロシアの国内法に基づく刑事判決だが、それだけでオランダなどの第三国に赤根智子所長らを逮捕・引き渡す義務が発生するわけではない。

特にオランダについては、事情が明確である。ICC本部が置かれているオランダはICCを支える主要国の一つであり、2026年9月にもイェッテン首相が国連総会でICCと国際法秩序を守る必要性を訴えているため、ロシアの要求に応じる可能性は極めて低いとみられる。

そもそもICCのローマ規程は、ICCが逮捕状を発付した人物について、締約国に逮捕・引き渡しを要請できる仕組みを定めている。規程89条は、ICCからの逮捕・引き渡し要請について、締約国が国内法上の手続きに従って協力することを規定している。

これに対して、ロシアはローマ規程の締約国ではない。そのため、ロシアが自国の国内裁判所でICC関係者に有罪判決を出したことと、他国がその判決を国際的な逮捕・引き渡し義務として扱うこととの間には、大きな隔たりがある。

さらに、赤根氏ら9人については、2025年12月に欠席裁判で懲役3年6カ月から15年の判決が出され、その後、国際手配の対象となった。しかし、国連人権理事会の特別手続きに提出された資料でも、この判決がICCにおける当事者らの公的職務に関連して行われたことが問題として取り上げられている。

したがって、第三国がロシアの要請を検討する場合、単純に「ロシア国内で有罪判決が確定しているから逮捕する」という判断にはならない。対象者の国際的な地位、ICCとの関係、国内法、国際法上の義務、そしてロシアの刑事手続きそのものの正当性などを総合的に検討する必要がある。

実効性はどこまであるのか

実際問題として、今回の要求によって赤根氏らがロシアへ移送される可能性は極めて低い。特にICCの本拠地であるオランダが、ICC所長をロシアへ引き渡すことになれば、ICCの司法的独立性を自ら否定することになるためである。

したがって、今回の要求を「身柄を本当に奪取するための手続き」とだけ理解すると、その意味を過小評価することになる。むしろ重要なのは、ロシアが自国の刑事手続きを国際社会に提示し、ICC関係者に対する法的・政治的圧力を可視化することにある。

実際、ロシア最高検察庁は今回、オランダだけでなく、名前を公表していない複数国にも身柄の拘束・引き渡しを要請したとされる。これは、対象者がどこへ移動してもロシア側の刑事責任追及から逃れられないというメッセージを発する措置と解釈できる。

ここには一種の「移動コスト」を高める効果がある。ロシアが対象者を実際に拘束できなくても、対象者が第三国へ渡航する際に、ロシア側の逮捕要求や国内法上の判断が問題になる可能性を生み出すからである。

ただし、これもロシア側が自由に世界各国で逮捕を実現できるという意味ではない。各国には自国の法制度と国際法上の義務があり、ロシアの国内判決を自動的に執行する国際的な仕組みが存在するわけではないからである。

今後の展望

今後、最も注目されるのはオランダの対応である。オランダがロシアの要求を拒否すれば、ロシア側はそれを予想したうえで、改めてICCやオランダを「政治化された国際司法の側」と批判する可能性が高い。

一方、オランダが要求を受け入れる可能性は現状では極めて低いとみられる。ICC本部を置く国家として、オランダはICCの裁判官・検察官の安全と司法活動を保護する立場にあり、今回の要求に応じれば、国際刑事司法制度全体への重大な打撃となるためである。

次に考えられるのは、ロシアによる対象者の国際手配の継続である。ロシアは今後も赤根氏らを犯罪者として扱い、海外渡航や国際会議への参加などの機会に政治的圧力をかける可能性がある。

ただし、こうした手法が長期的にどこまで効果を持つかは別問題である。ICC加盟国の大半がロシアの国内判決を正当な国際逮捕要求として認めなければ、ロシアの措置は実際の身柄確保ではなく、政治的な威圧措置にとどまる可能性が高い。

一方、ICC側にも弱点がある。ICCは独自の警察機構を持たず、逮捕状の執行を加盟国の協力に依存しているため、加盟国の協力が弱まれば司法手続きの実効性そのものが低下する。

2024年9月にプーチン氏がICC加盟国であるモンゴルを訪問した際、モンゴルが逮捕しなかったことをめぐり、ICCはモンゴルが協力義務を履行しなかったと判断した。この事例は、ICCが逮捕状を発付する能力と、実際に対象者を拘束する能力との間に大きな隔たりがあることを示した。

この意味で、今後の焦点はロシアによる今回の要求そのものより、各国が国際刑事司法上の義務をどこまで履行するのかに移っていく可能性がある。

国際司法秩序にとって何を意味するのか

今回の問題を長期的な国際秩序の視点から考えると、最大の問題は「誰が誰を裁くのか」という司法権の競合である。ICCは国家の枠を超えて個人の国際犯罪責任を追及する制度だが、ロシアは国家主権を根拠として、その司法判断を拒否している。

そしてロシアは拒否するだけでなく、自国の裁判所を使ってICCの裁判官・検察官を処罰するという対抗措置を取った。2025年12月の判決では9人が欠席裁判で有罪とされ、懲役3年6カ月から15年の刑が言い渡された。

これは国際刑事司法にとって危険な前例になり得る。もし国家が国際裁判所の判断を受けた際、その裁判官や検察官を自国法で刑事訴追し、さらに第三国に引き渡しを要求することが一般化すれば、国際裁判官は常に「司法判断を下した結果として国家から報復される可能性」を意識することになる。

もっとも、現段階で国際司法制度が崩壊しつつあると断定するのも適切ではない。ICCには多数の締約国が存在し、ロシアの圧力に反して司法活動を支持する国も多く、国際刑事司法の制度そのものが直ちに消滅するわけではない。

むしろ今後は、ICCを支持する国々がどこまで制度を守るかが重要になる。ロシアによる赤根氏らへの要求だけでなく、他国からICC関係者への制裁や政治的圧力も重なる中で、加盟国が裁判官・検察官の独立性をどこまで共同で防衛できるかが問われる。

今回の動きの本当の狙い

総合すると、今回のロシアによる身柄引き渡し要求には、少なくとも4つの狙いが重なっていると考えられる。第1はプーチン氏への逮捕状への報復、第2はICC関係者への直接的な圧力、第3はICCの司法的正統性の低下を狙う政治的宣伝、第4は国内外に向けてロシアが主権と自国法を守っているという姿勢を示すことである。

中でも重要なのは第3の要素である。ロシアにとって、赤根氏らを実際にロシアへ連行できる可能性が低いことは、必ずしも大きな問題ではない。

なぜなら、ロシアが「ICCの裁判官もロシアでは犯罪者として扱われている」という事実を繰り返し発信できれば、プーチン氏への逮捕状に対する国際的な認識を相対化できるからである。これは法廷で勝つこととは異なるが、国際政治における物語の主導権を争うという意味では一定の効果を持つ。

しかし、この戦略には限界もある。ICCの逮捕状とロシア国内裁判所の判決では、成立根拠、管轄権、国際的な条約上の位置づけが異なるため、「ロシアもICC関係者に逮捕状を出したから両者は同じ」という単純な理解にはならない。

したがって、国際社会が最終的に判断するのは、双方の主張が同じ強さを持つかどうかではなく、どの司法判断を国際法に基づくものとして認めるのかという問題になる。

まとめ

2026年10月8日にロシア最高検察庁がオランダなど複数国に対して赤根智子ICC所長ら9人の身柄引き渡しを求めたのは、2023年3月のプーチン大統領への逮捕状に始まるロシアとICCの対立が、新たな段階に入ったことを示している。2025年12月のロシア国内での欠席裁判による有罪判決、国際手配、そして今回の引き渡し要求は、一続きの対抗措置として理解する必要がある。

ロシア側の核心的な主張は、ICCにはロシア国民を訴追する十分な法的根拠がなく、プーチン氏への逮捕状は違法だというものである。しかしICCは、ウクライナが管轄権を受け入れていることなどを根拠に、ウクライナ領内で行われたとされる国際犯罪について管轄権を行使しており、ロシアがローマ規程の締約国ではないという一点だけでICCの管轄権が否定されるわけではない。

2023年3月の逮捕状は、プーチン氏個人について国際刑事責任を追及する可能性を正式に示した点で、ロシアにとって極めて大きな政治的打撃だった。ICCは、占領されたウクライナ地域からロシアへの子どもの違法な追放・移送について、プーチン氏らに刑事責任を負う合理的な根拠があると判断した。

これに対してロシアは、逮捕状を受け入れるのではなく、発付に関与した裁判官や検察官を逆に犯罪者として訴追した。この「対抗司法」は、実際の身柄確保よりも、ICCの権威を相対化し、国際社会における司法的正統性をめぐる競争を仕掛ける意味が大きい。

現実的に見れば、赤根氏らがロシアへ引き渡される可能性は極めて低い。特にオランダが要求に応じる可能性は低く、今回の措置が直ちに赤根氏らの身柄確保につながるとは考えにくい。

しかし、だからといって今回の動きが無意味というわけではない。ロシアはICC関係者個人に圧力を加え、国際司法に関わる人物の移動や活動に不確実性を与え、さらにICCの司法判断そのものを政治化されたものとして描くことができる。

最も重要なのは、今回の問題がロシアとICCだけの対立ではないことである。国際刑事司法が大国の政治的圧力に耐えられるのか、国家元首であっても重大な国際犯罪について個人責任を問えるのか、そして国際裁判所の裁判官・検察官が国家による報復から守られるのかという、国際法秩序そのものの問題が問われている。

したがって、今回のロシアの身柄引き渡し要求は、実際の逮捕・引き渡しを目的とした司法手続きであると同時に、ICCの正統性をめぐる政治戦、そして国際司法秩序への圧力として理解するのが最も適切である。今後の焦点は、ロシアがどの国に対してさらに要求を拡大するのか、ICC加盟国がどのように対応するのか、そしてこうした圧力がICCの捜査・裁判活動にどこまで影響するのかに移ることになる。


参考・引用リスト

  • 国際刑事裁判所「プーチン大統領およびマリア・リボワベロワ氏への逮捕状に関する検察官声明」2023年3月17日。
  • 国際刑事裁判所「ウクライナ情勢・逮捕状に関する公式資料」。プーチン氏らに対する逮捕状の概要、対象となった犯罪類型など。
  • 国際刑事裁判所「ローマ規程」第89条。ICCによる逮捕・引き渡し要請と締約国の協力義務に関する規定。
  • 国際赤十字委員会「ローマ規程第89条」。ICCへの身柄引き渡し制度に関する条約資料。
  • 国連人権理事会・特別手続き関連資料「ロシアによるICC検察官・裁判官への欠席裁判」。2025年12月12日のモスクワ市裁判所による有罪判決についての資料。
  • 共同通信「赤根智子所長らの身柄引き渡しを要請 ロシア最高検、オランダなどに」2026年10月8日。今回のロシアによる引き渡し要求、2025年判決、オランダの立場など。
  • ロシア・メディアゾーン「ロシア、プーチン逮捕状をめぐり欠席裁判で有罪となったICC現職・元関係者の引き渡しを要求」2026年10月8日。対象9人、ロシア側の主張、国際手配の経緯など。
  • AFP通信「ロシア、主任検察官らICC職員9人に実刑判決、プーチン氏逮捕状に報復」2025年12月13日。2025年12月判決の概要と刑期。
  • TBSクロスディグ・ブルームバーグ「ICC赤根所長らの身柄引き渡しをオランダなどに要求」2026年10月8日。ロシア最高検察庁の声明、オランダの対応見通しなど。
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