「セックスしたくない」夫婦で言えぬ訳、日本人に求められる「性の対話能力」
「セックスしたくない」と夫婦に言えない問題の背景には、性に対する羞恥、夫婦役割への固定観念、拒絶されることへの恐怖、慢性的な疲労、家事や育児の負担、性生活を話し合う語彙の不足など、複数の要因が存在する。
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現状(2026年9月時点)
日本の夫婦関係を考えるうえで、性行為の減少はもはや一部の夫婦だけが抱える特殊な問題ではない。2026年時点でも、夫婦間の性生活が長期間途絶える「セックスレス」は広く存在しており、問題の核心は単純な性欲の低下だけではなく、「したくない」「今はしたくない」「以前のようにはできない」といった意思を、相手に率直に伝えにくいことにある。
日本家族計画協会の調査では、婚姻関係にある男女の48.3%が1か月以上セックスをしていないという結果が示されている。また、2026年版の「ニッポンのセックス」は、2025年末に20~60代の男女14,312人を対象として実施され、現在の日本における性行動、性意識、性生活の頻度などを大規模に調査している。調査方法や対象者が異なるため単純比較はできないものの、日本人の性生活が「夫婦なら当然に維持されるもの」とはいえない状況は明確になっている。
ここで重要なのは、性行為の回数が少ないこと自体を直ちに夫婦関係の失敗と判断しないことである。夫婦の双方が現在の状態に納得しているなら、それは必ずしも問題ではない。むしろ問題になるのは、一方が望んでいるにもかかわらず他方が望んでいない場合、あるいは望まない側が拒否の意思を表明できず、相手も本当の理由を理解できないまま関係が固定される場合である。
つまり、「セックスしたくない」という感情そのものよりも、それを夫婦間で安全に伝えられないことが問題なのである。「疲れている」「気分になれない」「今は必要だと思わない」「触れられること自体が嫌だ」といった言葉を口にしたとき、相手から責められる、愛情を疑われる、浮気を疑われる、夫婦関係の破綻と受け取られると予想すれば、人は沈黙を選びやすい。
「言えぬ訳」と背景にある構造的要因
日本の夫婦が性生活について率直に話しにくい背景には、性を私的なものとして扱う文化だけではなく、「夫婦なら応じるべきだ」という古い役割意識も残っている。性行為を愛情表現としてのみ捉えると、拒否は「愛情がない」という意味に変換されやすくなり、性欲の有無という個人的な問題が、夫婦の人格評価や関係性の評価にまで拡大する。
さらに、日本では性について具体的に話すための語彙が十分に普及しているとは言い難い。「したい」「したくない」という2択になりやすく、その中間にある複雑な状態を説明しにくい。たとえば「性行為そのものは嫌ではないが、仕事の直後は無理」「性交よりもスキンシップがほしい」「妊娠の可能性が不安」「痛みがある」「今日は一人でいたい」といった違いを細かく伝える能力がなければ、夫婦の会話は要求と拒絶の衝突になりやすい。
この問題は、性教育の不足とも無関係ではない。日本性教育協会が2023年度に実施した第9回青少年の性行動全国調査では、若者の性行動や性的関心、交際などについて継続的な調査が行われているが、性教育は性交や避妊だけで完結するものではなく、相手との意思疎通、同意、身体的境界、拒否する権利を含む対人関係教育として考える必要がある。
また、夫婦関係が長期化すると、恋愛時代には存在した「相手にどう見られるか」という意識が薄れ、生活共同体としての機能が前面に出る。家計、仕事、家事、育児、介護、住宅、親族関係などの問題が積み重なるほど、性愛は日常生活の優先順位から押し出されやすくなる。
したがって、セックスレスを「性欲の問題」とだけ説明することには限界がある。実際には、夫婦がどれだけ自由時間を持っているのか、家事や育児をどの程度分担しているのか、互いに心理的な余裕を持てているのか、そして不満を言葉にできる関係なのかという、生活全体の構造が性生活にも反映されている。
過剰な疲労と「面倒くささ」の常態化
性生活を阻害する要因として無視できないのが、慢性的な疲労である。過去の日本家族計画協会の調査でも、セックスレスの理由として「仕事で疲れている」や「面倒くさい」といった回答が確認されており、性行為が心理的・身体的な負担として認識される状況が存在してきた。
ここでいう「面倒くさい」は、必ずしも相手への嫌悪を意味しない。風呂に入る、身支度をする、寝室へ移動する、相手の反応を考える、避妊をする、翌日の仕事を考えるといった複数の行動を含め、性行為に伴う一連のプロセスそのものを負担と感じている可能性がある。
特に共働き世帯では、仕事が終わった後も家事や育児が続く。身体は休息を求めているのに、夫婦のどちらかが「夫婦なのだから性生活も維持すべきだ」と考えれば、性行為が本来の親密さではなく、さらに追加された義務として認識される危険がある。
この状態が長期化すると、「したくない」という感情を説明することさえ面倒になり、拒否する側は曖昧な返答を繰り返すようになる。一方、求める側は理由が分からないため、「自分に魅力がなくなったのか」「嫌われたのか」「他に相手がいるのか」と考え、双方の認識が食い違っていく。
重要なのは、性生活を改善するために性生活だけを改善しようとしないことである。睡眠不足、長時間労働、家事負担、育児負担、経済的不安、夫婦間の不公平感などが解消されなければ、性行為への意欲だけを取り戻そうとしても持続しにくい。
日本の夫婦に必要なのは、「なぜしないのか」と問い詰めることではなく、「なぜ性生活に向かう余裕がなくなっているのか」を確認する視点である。性行為を夫婦関係の独立した項目として扱うのではなく、生活全体の余力を示す一つの指標として見ることが、問題を個人の性欲や愛情の欠如に還元しないために重要である。
「家族化」による性愛のタブー視
夫婦関係が長くなると、相手は恋愛対象である以前に「家族」として認識されるようになる。これは安定した関係を形成するうえで重要な変化だが、その一方で、家族に対して性的な欲望を示すことを「気恥ずかしい」「生々しい」と感じるようになる場合がある。
恋愛初期には、服装、髪型、身体的接触、会話の内容など、相手から異性としてどう見られるかを意識する機会が多い。しかし結婚後は、食事、洗濯、家計管理、子育て、仕事の調整など生活上の実務が増え、相手が「恋愛する人」から「生活を一緒に運営する人」へと変化していく。
この変化そのものは悪いものではない。むしろ長期的な夫婦関係には、恋愛関係だけでは成立しない信頼、協力、責任分担が必要である。ただし、生活共同体としての側面が強くなりすぎると、性愛を持ち込むことへの心理的な抵抗が生まれる。
特に子どもが生まれると、夫婦は「父親」「母親」という役割を強く意識するようになる。家庭内で親として振る舞う時間が圧倒的に増えれば、「子どもの親である相手を性的な対象として見る」という意識に戸惑うこともある。
ここには、日本社会における性の扱い方も影響している。性は極めて個人的な領域であり、公の場で詳細を語るものではないという意識が強いため、夫婦であっても性生活について具体的に話すことが習慣化されていない。
その結果、性生活が順調な時期には問題が表面化しなくても、妊娠、出産、加齢、病気、仕事の変化、育児負担などによって状況が変化したとき、夫婦は突然「性について話し合う必要」に直面する。しかし、それまで話してこなかったテーマを、問題が発生した瞬間から円滑に話せるとは限らない。
拒絶による関係悪化・心理的拒絶の回避
「セックスしたくない」と言えない大きな理由の一つは、拒絶した後の関係悪化を恐れることである。性行為を求める側にとっては単なる身体的欲求ではなく、「愛されていることを確認したい」「夫婦として必要とされたい」という感情が含まれる場合があるため、拒否を個人的な否定として受け止めることがある。
一方、拒否する側も、相手を傷つけたくないという理由から本音を隠すことがある。「今日は疲れている」と言えば一時的な問題として処理できるが、「今後も性的な関係を積極的には望まない」と伝えれば、夫婦関係そのものを揺さぶる可能性があるからだ。
ここで発生するのが、心理的な拒絶の回避である。拒否する側は曖昧な言葉を使い、求める側はその曖昧さを「いつか応じてもらえる」という意味に解釈し、結果として同じ問題が繰り返される。
この状態では、夫婦の双方が傷つかないようにしているつもりでも、実際には問題が長期化する。求める側は拒絶された理由が分からず、拒否する側は繰り返し誘われることに負担を感じ、次第に「誘われること自体が嫌だ」という状態に移行する可能性がある。
さらに深刻なのは、拒否が人格への攻撃として受け止められる場合である。「夫なのだから」「妻なのだから」という役割意識が強いほど、性行為を断ることが単なる意思表示ではなく、配偶者としての義務を拒否する行為と解釈されやすい。
しかし、結婚していることと、いつでも性的行為に同意することは同じではない。夫婦であっても、その都度の意思確認と身体的な境界線は尊重される必要があり、相手の意思を無視して性生活を維持することは、親密さの維持とは逆方向に働く。
重要なのは、「断られない夫婦」を目指すことではない。「断っても関係が壊れない夫婦」をつくることである。拒否する権利が保障されているからこそ、同意した性行為も義務ではなく、自発的な親密さとして成立する。
日本人に足りないもの
では、日本人に足りないものは何なのか。単純に性欲が不足しているわけでも、性生活に対する関心が低いという一言で説明できるわけでもない。
むしろ不足しているのは、性を「話し合う対象」として扱う能力だと考えられる。性について考えることと、性について相手と交渉することは別の能力であり、日本では後者を学ぶ機会が十分に提供されてきたとは言い難い。
学校教育における性教育も、身体の仕組み、妊娠、性感染症、避妊などの知識だけでなく、相手との関係性や同意、境界線、望まない性的接触を拒否する権利などを含む必要がある。文部科学省も、生命の尊重、人権、性に関する適切な理解を含む教育の重要性を示している。
成人後についても事情は同じである。夫婦になったからといって、性について話す能力が自動的に身につくわけではない。むしろ結婚、妊娠、出産、加齢、更年期、病気など、人生の各段階で性生活は変化するため、その都度コミュニケーションを更新する必要がある。
ここで求められるのが、「性を特別視しすぎないこと」と「性を軽視しないこと」の両立である。性行為を神聖なものとして扱いすぎれば話しにくくなる一方、単なる娯楽や夫婦の義務として扱えば、相手の感情や身体を軽視することになる。
つまり、日本人に必要なのは、性を恥ずかしい話題でも、夫婦の義務でも、単なる快楽でもなく、「2人の人間が身体と感情について交渉する生活上のテーマ」として扱う視点である。
「性」をオープンに・かつ健全に語るリテラシーと語彙
性生活について話し合うためには、まず具体的な言葉が必要になる。「したい」「したくない」だけでは、夫婦間の複雑な状態を説明できないからである。
たとえば「性行為はしたくないが、抱きしめてほしい」「性交は痛いので避けたい」「仕事が忙しい時期は性欲がなくなる」「今は妊娠を望んでいない」「性行為を求められること自体がプレッシャーになる」といった表現があれば、拒否と愛情を切り離して説明できる。
また、「今日は嫌だ」と「あなたとはもうしたくない」は全く違う意味を持つ。ところが、夫婦間で語彙が少なければ、その違いを説明できず、相手も極端な解釈をしてしまう。
この問題は、性生活だけに限定されない。家事分担でも、「手伝ってほしい」と言うだけでは相手が何をすればよいのか分からないのと同じで、性についても「もっとしてほしい」「もうしたくない」だけでは具体的な交渉にならない。
したがって、性のリテラシーとは単なる性的知識ではない。自分の身体と感情を把握し、それを相手に伝え、相手の意思も聞き、双方が納得できる範囲を調整する能力まで含む。
この能力が不足していると、性生活に問題が起きたとき、夫婦は「我慢する」「拒否する」「怒る」「黙る」という4つの選択肢に追い込まれやすい。そこに「説明する」「相談する」「条件を変える」「別の親密さを選ぶ」という選択肢を増やすことが重要になる。
コンセンサス(合意形成)と境界線の意識
夫婦間の性生活を考えるうえで、今後ますます重要になるのが合意形成の考え方である。結婚しているという事実は、相手がいつでも性的接触に応じることを意味しない。
合意とは、単に拒否されなかった状態ではない。相手が自由に意思を示せること、圧力や脅しによって応じていないこと、途中で気持ちが変われば止められることなどが含まれる。
この考え方を夫婦生活に取り入れると、「断られたら愛されていない」という発想から距離を置けるようになる。拒否は人格否定ではなく、その時点における一つの意思表示であり、相手を尊重するための情報でもある。
同時に、拒否する側にも説明責任があると考える必要がある。ただし、それは性的行為に応じる義務ではなく、長期的な夫婦関係を維持するために、自分の状態を可能な範囲で言葉にする責任である。
「今日は無理」「最近ずっと疲れている」「性交は避けたいがスキンシップはほしい」と伝えれば、相手は次の行動を考えられる。反対に、何も説明されない状態が続けば、相手は自分自身を原因として疑い、夫婦関係への不信を深める可能性がある。
したがって、健全な夫婦関係では「性行為に同意する自由」と同時に「性行為を断る自由」も保障されなければならない。そして両者を対立させるのではなく、意思を伝え合うことで夫婦としての新しい合意をつくっていく必要がある。
「ロマンス・プロセス」を維持する労力への価値観
夫婦の性愛について語るとき、しばしば「恋愛感情は自然に続くもの」という前提が置かれる。しかし、結婚生活が長期化するほど、恋愛初期に自然に発生していた接触や会話、外出、身体的な親密さは、意識的に維持しなければ生活の中から消えていく。
ここでは、こうした継続的な親密さを維持するための過程を「ロマンス・プロセス」と呼ぶことにする。これは特定の恋愛術を意味するものではなく、夫婦が互いを単なる同居人や共同生活者として扱うのではなく、一人の異性あるいは一人の親密な相手として認識し続けるための継続的な働きかけを指す。
恋愛初期には、相手と会うために時間をつくり、服装を考え、会話をし、食事をし、相手の好みを知ろうとする。しかし結婚後になると、同じ行動が「わざわざすること」と認識されやすくなる。
そこには、日本社会における「家族になったのだから努力しなくてもよい」という価値観も存在する。夫婦は生活を共有する以上、家族として安心できる存在であることが重要だが、安心と性愛は必ずしも同じものではない。
むしろ、安心できる関係だからこそ、相手に対して遠慮がなくなり、身だしなみや言葉遣い、会話、スキンシップなどに対する意識が薄れることもある。相手への信頼が深まることと、恋愛的な緊張感が維持されることは、別の問題なのである。
一方で、「夫婦なのだからいつまでも恋人のように振る舞うべきだ」と要求することも適切ではない。年齢、健康、仕事、子育て、介護などによって、人間の身体と生活条件は変化するからだ。
重要なのは、恋愛初期と同じ状態を再現することではなく、その時々の夫婦に合った親密さを再構築することである。性行為の回数を増やすことだけではなく、会話、食事、外出、スキンシップ、2人だけの時間などを含めて、夫婦関係を定期的に更新する必要がある。
この「維持には労力が必要だ」という認識が弱いと、性生活の変化が起きたときに、「愛情がなくなった」「年齢のせいだ」「性欲がなくなった」といった単純な説明に流れやすい。しかし実際には、夫婦が互いに時間を割く機会が減少した結果として、性愛も衰退している可能性がある。
課題
性生活の問題を考える際に、もう一つ注意しなければならないのが、「回数」に対する過度なこだわりである。性交渉の頻度は数字として把握しやすいため、夫婦関係を評価する指標として使われやすい。
しかし、性行為の回数が多ければ夫婦関係が良好で、少なければ不仲だという単純な関係は成立しない。重要なのは、夫婦双方がその頻度に納得しているか、性行為が負担になっていないか、身体的・心理的な満足が得られているかである。
2026年版の「ニッポンのセックス」では、20~60代男女を対象に性生活について調査されており、現在の日本人の性生活には大きな個人差があることが示されている。調査では、1か月の性交渉回数の平均だけを見ても、年代や婚姻状況などによって差があり、「日本人」という一括りでは実態を捉えにくい。
これは重要な点である。平均値は社会全体の傾向を示すことはできても、一組の夫婦がどの程度性生活を持つべきかという基準にはならないからだ。
むしろ「月に何回なら正常なのか」という発想が強くなるほど、性生活が評価対象になってしまう。夫婦のどちらかが「平均より少ない」と感じれば、それだけで焦りや不安を抱く可能性がある。
さらに、回数を増やすことが目的になると、性行為そのものが義務化する危険もある。「今月はまだ1回しかしていない」「前の性交渉から何日も空いている」という考え方は、性生活を夫婦間のノルマに変えてしまう。
性行為の本来の意味は、数字だけでは測定できない。性的な満足、安心感、愛情、身体的な快感、心理的なつながりなど、複数の要素が重なって成立しているからである。
したがって、今後の夫婦関係では「何回したか」よりも、「2人がその性生活をどう感じているか」を重視する必要がある。頻度の低い夫婦でも双方が納得していれば問題は小さく、頻度が高くても一方が苦痛を感じていれば健全とはいえない。
「回数」の多寡にとらわれる強迫観念と満足度の乖離
性に関する情報が大量に流通する現在では、性生活にも「標準値」が存在するように錯覚しやすい。インターネット、雑誌、映像作品、広告などでは、性的魅力や性生活が理想化されることが多く、自分たちの性生活と比較する機会が増えている。
しかし、他人の性生活を外部から正確に知ることはできない。表面的には性生活が活発に見える夫婦でも、実際にはどちらかが我慢している可能性があり、反対に性生活がほとんどない夫婦でも、深い親密さを維持している場合がある。
ここで生じるのが、回数と満足度の乖離である。数字が増えても満足度が高まるとは限らず、逆に頻度が少なくても、一回ごとの親密さや相互理解が高ければ、夫婦双方が満足する場合がある。
したがって、性生活を「量」だけで評価することには限界がある。必要なのは、頻度、満足度、身体的負担、心理的負担、夫婦間の合意などを分けて考えることである。
代替手段(ポルノ・風俗・個別の趣味)による回避の常態化
夫婦間の性生活が減少した場合、人は必ずしも性的欲求そのものを失うわけではない。配偶者との性行為を避けながら、ポルノ、風俗、自慰、性的な趣味など、別の方法によって欲求を処理することもある。
この現象を直ちに問題視することはできない。夫婦の性的関係と個人の性的欲求は完全に同一ではなく、個人が自分の身体や性的欲求をどのように扱うかには一定のプライバシーがあるからだ。
ただし、代替手段が夫婦間の問題を話し合わないための手段として固定化すると、別の問題が発生する。配偶者との性生活について話すより、一人で処理したほうが簡単で、相手を説得する必要もなく、拒絶される心配もないからである。
この場合、性的欲求が存在しているにもかかわらず、夫婦間の性的関係だけが消滅することになる。つまり、「性欲がなくなった」のではなく、「配偶者と性的関係を持つことの心理的コストが高くなった」という状態である可能性がある。
ポルノなどの性的コンテンツについても、利用そのものと夫婦関係への影響は分けて考える必要がある。問題となるのは、利用の有無だけではなく、それが夫婦間の信頼、性生活、時間、金銭、性的期待にどのような影響を与えているかである。
また、風俗などの利用については、夫婦間の合意や感染症、金銭、心理的な裏切りの認識など、別の問題が発生する。配偶者が知らないまま利用している場合には、「性生活の代替」という問題だけでは済まなくなる。
したがって、代替手段の増加を単純に「性欲の解放」と評価することも、「不健全」と断定することも適切ではない。重要なのは、それによって夫婦が互いの欲求や不満を話し合う必要性を失ってしまうのか、それとも個人の選択として夫婦関係と両立しているのかという点である。
少子化・家族解体へのマクロな影響
夫婦の性生活と少子化を直接結び付けることには注意が必要である。子どもを持つかどうかは、所得、雇用、住宅、結婚年齢、育児負担、教育費、価値観など多くの要因によって決まるため、「セックスレスだから少子化になった」という説明は単純すぎる。
一方で、夫婦間の性的関係の変化が、出生行動と完全に無関係ともいえない。日本では婚外出生の割合が低く、出生の大部分が婚姻関係の中で生じるため、結婚する人の減少と夫婦が子どもを持つ時期の変化は、人口動態と密接に関連している。
国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査でも、結婚、出産、子育てをめぐる意識や行動には長期的な変化が確認されている。結婚した夫婦が持つ子どもの数だけでなく、結婚そのものを選択する人の割合、結婚年齢、出産時期などを合わせて考える必要がある。
また、性生活の減少を少子化対策の中心に置くことにも問題がある。少子化対策を「もっと夫婦で性行為をするべきだ」という方向に単純化すれば、女性や男性に出産・性行為の義務を負わせる結果になり、個人の自己決定権を侵害する危険がある。
必要なのは、夫婦が子どもを望む場合に、妊娠・出産・育児を選択しやすい環境を整えることである。経済的不安、長時間労働、住宅費、教育費、育児負担などを改善しなければ、性生活だけを活性化しても出生数の増加には結び付きにくい。
さらに、「家族解体」という言葉についても慎重な議論が必要である。夫婦が従来型の性生活を維持しなくなったからといって、直ちに家族が崩壊するわけではない。むしろ、家族の形が多様化する中で、夫婦関係を性的関係だけで評価しないことも重要になっている。
これからの日本社会では、結婚、性愛、出産、家族をすべて一つのセットとして扱う考え方から距離を置く必要がある。夫婦が性的関係を持つかどうか、子どもを持つかどうか、どのような家族を形成するかについて、それぞれを分けて考え、本人たちの意思を尊重することが求められる。
今後の展望
これからの日本社会で必要になるのは、「夫婦なら性生活があって当然」という前提を維持することでも、「性行為をしない夫婦は問題がある」という価値観を強めることでもない。必要なのは、性行為をするかしないかを含めて、夫婦が自分たちの関係を自分たちで決められる環境をつくることである。
2026年版の大規模な性に関する調査でも、性生活の頻度には年代や個人によって大きな差があることが示されている。20~60代の性経験者14,312人を対象とした調査では、1か月の性行為回数の全体平均は1.95回だったが、平均値はあくまで集団の特徴を示すものであり、個々の夫婦が目指すべき基準ではない。
したがって、今後は「平均より多いか少ないか」ではなく、「双方が納得しているか」という基準を重視する必要がある。これは性生活を軽視する考え方ではなく、むしろ性的な関係を一方的な義務から解放し、双方の意思に基づく親密な関係として再構築する考え方である。
「性の呪縛」からの解放と多様性の受容
日本では長く、結婚、性愛、出産、家族が一つの連続した人生モデルとして語られてきた。結婚すれば性行為をし、子どもを持ち、家庭を形成するというモデルは一定の社会的安定を生み出した一方で、その枠組みに適合しない人々の選択を見えにくくしてきた。
現在では、結婚していても子どもを持たない夫婦、性生活をほとんど持たない夫婦、性的な親密さより精神的なつながりを重視する夫婦など、さまざまな関係が存在する。重要なのは、こうした違いをただちに「正常」「異常」という二分法で評価しないことである。
もちろん、夫婦の一方が性生活を望み、他方が望まない場合には問題が発生する。しかし、その問題は「どちらが正しいか」を決めることでは解決しにくく、互いの希望、拒否、限界、代替できる親密さを確認しながら新しい合意をつくる必要がある。
ここで重要なのが、性的多様性と夫婦間の合意を混同しないことである。性のあり方は多様であってよいが、相手の意思を無視してよいという意味ではない。
「したくない」という意思も尊重されるべきであり、「したい」という意思も否定されるべきではない。ただし、両者が一致しない場合には、どちらかが当然に相手へ従うのではなく、その不一致自体を夫婦関係の課題として扱う必要がある。
その意味で、「性の呪縛からの解放」とは性行為をなくすことではない。性行為をしなければならないという圧力からも、性生活がなければ夫婦として失格だという圧力からも離れ、自分たちにとって必要な親密さを選択できる状態を意味する。
ワークライフバランスと生活環境の根本的改善
性生活の問題を解決するために、夫婦だけに努力を求めることにも限界がある。慢性的な長時間労働、睡眠不足、家事や育児の偏り、経済的不安が残ったままでは、夫婦に「もっと会話しろ」「もっと性生活を大切にしろ」と求めても、実際の生活に余力がないからである。
性行為は、単純な身体機能だけで決まるものではない。仕事から帰宅して家事をこなし、子どもの世話をし、翌日の準備をしている人に対して、さらに夫婦関係を維持するための努力を求めれば、それ自体が新たな負担になる可能性がある。
したがって、夫婦の性生活を考える場合には、労働時間、睡眠、家事分担、育児分担、自由時間、住環境などを同時に検討する必要がある。夫婦が2人で過ごせる時間がほとんどない社会で、性生活だけを個人の努力によって維持することには構造的な限界がある。
特に家事や育児の偏りは、夫婦間の性的関係にも影響しうる。日常生活で一方だけが負担を背負っている状態では、相手への不満が蓄積し、その相手を性的なパートナーとして見ることが難しくなる場合がある。
この問題を「女性の性欲」「男性の性欲」といった性別の違いだけで説明するのも適切ではない。誰であっても、慢性的な疲労や不公平感が続けば、親密な関係に向かう心理的余裕を失う可能性がある。
今後必要なのは、性生活を改善するための直接的な方法だけではなく、性生活を阻害している生活条件そのものを改善することである。労働時間を適正化し、家事と育児を公平に分担し、夫婦それぞれが一人の時間と2人の時間を確保できる環境をつくることが、結果として夫婦関係の安定にもつながる。
「対話のスキル」のアップデート
性生活について話す場合、「もっとしてほしい」「したくない」といった結論だけを伝えるのではなく、その背景を説明することが重要になる。たとえば、「あなたが嫌いだからしたくない」のではなく、「仕事と育児で疲れ切っていて性的な気分になれない」と説明できれば、問題の性質は大きく変わる。
反対に、性生活を求める側も、「夫婦なのだから応じてほしい」と要求するのではなく、「最近距離を感じていて寂しい」「身体的な親密さがほしい」と自分の感情を説明するほうが建設的である。要求を感情の表現に置き換えることで、相手を責める会話から、自分の状態を共有する会話へ変えられる。
また、話し合うタイミングも重要である。性行為を断られた直後や、夫婦喧嘩の最中に性生活の問題を解決しようとすれば、感情的な反応が強くなりやすい。
落ち着いている時間に、「性生活について一度話したい」と前置きして話すほうがよい。話し合いの目的を「その場で性行為をすること」ではなく、「互いの状態を理解すること」と決めておけば、拒否する側の心理的負担も小さくなる。
さらに、「できること」と「できないこと」を分けることも有効である。性交はしたくないが抱き合うことはできる、今は性行為は難しいが月に1度は2人で外出したい、というように、親密さを1種類の行為だけで考えないことが重要になる。
このような対話には、相手の発言を途中で否定しないことも必要である。「そんな理由はおかしい」「夫婦なのにありえない」と返せば、次の会話は成立しなくなる。相手の意見に同意する必要はないが、相手がそう感じている事実を認めることはできる。
つまり、性生活に関する対話能力とは、説得する技術ではない。相手を自分の望む方向へ変えるための交渉ではなく、自分と相手の希望と限界を確認し、その中間に現実的な選択肢を探す技術である。
少子化対策と性生活を混同しない
夫婦の性生活を考える際、少子化との関係は避けて通れない。しかし、「セックスレスを解消すれば少子化が解決する」という主張には明確な限界がある。
国立社会保障・人口問題研究所の第16回出生動向基本調査では、結婚持続期間15~19年の夫婦について、最終的な平均出生子ども数を示す「完結出生児数」が初めて2人を下回った前回調査に続き、出生をめぐる意識や行動の変化が確認されている。また、理想の子ども数と予定する子ども数には差があり、その背景には子育てや教育にかかる費用などが挙げられている。
この事実から分かるのは、出生数を左右する要因が性生活だけではないということである。結婚する時期、子どもを持つ時期、経済的負担、仕事との両立、育児環境など、多数の要因が重なって出生行動を形成している。
2024年の人口動態統計でも、日本の出生をめぐる厳しい状況は続いている。厚生労働省は出生数、合計特殊出生率、婚姻、離婚などについて継続的に統計を公表しており、少子化を考えるには性行為の頻度ではなく、人口動態全体を確認する必要がある。
したがって、少子化対策として必要なのは、夫婦に性生活を促すことではない。子どもを望む人が安心して結婚し、妊娠し、出産し、育児を継続できる社会条件を整えることである。
性行為は本来、個人の身体と意思に関わる問題である。国家や社会が出生数を増やす目的から個人の性生活へ過度に介入すれば、性の自己決定権を損なう危険がある。
少子化対策と夫婦関係の改善は、重なる部分があっても同じ政策目標ではない。この2つを切り分けることが、今後の議論を健全にするために重要である。
今後の日本では、「夫婦だから性行為をする」「愛情があるなら性行為をする」という単純な価値観は徐々に弱まっていくと考えられる。一方で、性行為を望む人がその希望を表明しやすくなることも同じように重要である。
つまり、今後目指すべきなのは「性行為をする社会」でも「性行為をしない社会」でもない。「したい人も、したくない人も、自分の意思を安全に伝えられる社会」である。
そのためには、学校段階から同意、境界線、身体の自己決定、相手との対話について学ぶ機会を増やし、成人後も夫婦関係や性に関する相談を利用しやすくする必要がある。また、医療、心理、法律、家族支援など複数の専門領域をつなぐ相談体制も重要になる。
夫婦自身にも変化が求められる。性行為を「夫婦関係の成績表」として扱うのではなく、夫婦関係の中にある複数の親密さの一つとして捉えることで、性生活をめぐる不要な圧力を減らせる。
同時に、性生活を諦めてしまえばよいという話でもない。双方が性行為を望んでいるのに、疲労、忙しさ、会話不足、長年のすれ違いによって関係が失われているのであれば、その関係を再構築する努力には十分な意味がある。
結局のところ、性生活の問題は夫婦関係全体を映す鏡になりうる。性行為だけを増減させるのではなく、夫婦が互いを一人の人間として理解し、生活の負担を分け合い、自由に意思を伝えられる関係をつくることが、本質的な解決に近づく。
まとめ
「セックスしたくない」と夫婦に言えない問題の背景には、性に対する羞恥、夫婦役割への固定観念、拒絶されることへの恐怖、慢性的な疲労、家事や育児の負担、性生活を話し合う語彙の不足など、複数の要因が存在する。したがって、これを単純な性欲の問題として処理することはできない。
また、性生活の回数を増やすこと自体を目標にする必要もない。2026年時点の大規模調査でも性生活には大きな個人差が存在し、平均値を夫婦の基準として使うことには限界がある。
重要なのは、夫婦の双方が自分の意思を表明できることである。「したくない」と言えることは、夫婦関係を拒否することではない。同時に、「したい」と言えることも、相手に応じる義務を発生させるものではない。
これから必要になるのは、性をタブーとして沈黙する文化から、性を人権、健康、親密さ、夫婦関係の一部として冷静に話し合える文化への転換である。そこでは、性行為の有無よりも、互いの意思が尊重されているかどうかが重要になる。
そして、性生活を取り戻すために最も必要なのは、性生活だけを変えようとすることではない。働き方、家事、育児、睡眠、経済的不安、夫婦の自由時間など、2人の生活そのものを見直す必要がある。
日本人に不足しているのは、性欲そのものではなく、性について率直に話し、相手の意思を確認し、違いを調整するための対話能力なのかもしれない。今後の課題は、この能力を個人の努力だけに任せず、教育、医療、家族支援、社会環境の側からも支えることである。
「セックスしたくない」と言えることは、夫婦関係の終わりを意味しない。むしろ、言えなかったことを言葉にできることこそが、夫婦が次の段階へ進むための出発点になる。
参考・引用リスト
- 相模ゴム工業「ニッポンのセックス2026」
2025年12月実施、47都道府県の20~60代男女を対象とした調査。本調査14,312人、事前調査30,000人。性生活の頻度、性生活に対する意識、セックスレスなどを調査している。 - 国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」
2021年実施。結婚、夫婦の出生力、理想・予定子ども数、妊娠・出産などについて調査している。 - 国立社会保障・人口問題研究所「第15回出生動向基本調査」
結婚と出産をめぐる意識・行動を継続的に調査し、夫婦の出生力や結婚過程などを分析している。 - 厚生労働省「令和6年(2024)人口動態統計」
出生、死亡、婚姻、離婚などの人口動態について、確定数を公表している。 - 厚生労働省「令和6年(2024)人口動態統計月報年計」
出生数や出生率などの年次推移を確認するための基礎資料である。 - 文部科学省「生命の安全教育」および学校における性に関する指導資料
性に関する指導について、生命の尊重、人権、適切な意思決定などの観点から教育上の考え方を示している。 - 日本性教育協会「青少年の性行動全国調査」
青少年の性行動、性意識、交際などについて継続的に調査している。 - 世界保健機関「性と生殖に関する健康・権利に関する資料」
性の健康、性的権利、性教育などを考える際の国際的な基礎資料として参照できる。
追記:「したくない」と言える夫婦関係とは何か
ここまでの分析をまとめると、「セックスしたくない」という感情そのものは、ただちに夫婦関係の異常を意味するものではない。問題となるのは、その意思を表明できないこと、あるいは相手の意思を確認できないまま性生活が義務化し、拒否と要求の繰り返しによって夫婦双方が疲弊する状態である。
性生活の頻度には大きな個人差があり、年齢、健康状態、婚姻期間、仕事、子育て、心理状態などによって変化する。そのため、社会全体の平均値を個々の夫婦に適用することには限界があり、「平均より少ないから問題だ」という判断は慎重でなければならない。
一方で、性生活の減少をすべて「個人の自由」として処理することにも問題がある。一方が苦痛を感じているのに話し合いができない、拒否を伝えると怒られる、要求を断ることで人格を否定される、といった状態であれば、そこには明確な夫婦関係上の問題が存在する。
したがって、「性生活があるかないか」ではなく、「性生活について話し合えるか」が重要な評価軸になる。これは性行為の回数を増やすことよりも、長期的な夫婦関係を考えるうえで重要な視点である。
数字から見る日本の性生活
2026年時点で公表されている性に関する大規模調査を見ると、日本人の性生活にはかなり大きなばらつきがある。相模ゴム工業が2025年末に実施した調査では、20~60代の男女14,312人を対象に性生活などについて調べており、1か月の性行為回数の平均は1.95回だった。
この数字だけを見ると、日本人の性生活は「月2回程度」という印象を受ける。しかし、平均値は性生活を持つ人と持たない人、年代の異なる人、婚姻関係の異なる人を一つの数値にまとめたものにすぎない。
したがって、「月2回が日本人の標準」という理解は適切ではない。平均値は社会の傾向を知るための統計であって、個人や夫婦に対する規範ではないからである。
むしろ重要なのは、夫婦の性生活に対する認識が一致しているかどうかである。週に何度も性行為をする夫婦でも一方が我慢しているなら問題があり、数か月に1度しか性行為をしない夫婦でも双方が満足しているなら、それだけを理由に問題視する必要はない。
この考え方は、性生活を「量」から「質」へと転換することを意味する。回数、時間、性交の有無だけではなく、安心感、満足感、相互尊重、身体的負担、心理的負担などを含めて評価する必要がある。
「セックスレス=夫婦関係の破綻」ではない
日本ではセックスレスという言葉が広く知られるようになった一方、それが夫婦関係の破綻を意味するかのように使われることもある。しかし、性生活の減少と夫婦関係の悪化は、必ずしも同じ現象ではない。
夫婦の中には、性的関係が少なくても会話や信頼関係を維持しているケースがある。逆に、性生活があっても、家事や育児の不公平、経済的な問題、暴言、心理的な距離などによって夫婦関係が悪化しているケースも存在する。
したがって、性生活だけを取り出して夫婦関係全体を評価することには限界がある。性生活は夫婦関係を構成する一要素であり、重要ではあるものの、唯一の要素ではない。
むしろ性生活の問題が表面化したとき、それを夫婦関係全体を点検するきっかけとして利用するほうが有益である。「なぜしたくないのか」「なぜ求めているのか」という問いから、疲労、家事分担、愛情表現、身体的な問題、心理的な問題などを確認できるからである。
「したくない」と「嫌い」は同じではない
夫婦間で最も誤解されやすいのが、「性行為をしたくない」と「配偶者が嫌い」を同一視することである。実際には、性欲は睡眠、疲労、ストレス、薬剤、加齢、ホルモン変化、身体疾患、心理状態などさまざまな要因によって変化する。
また、相手への愛情があっても性的欲求が生じないことはある。逆に、性的欲求があっても夫婦関係への満足度が低い場合もあるため、性欲と愛情を完全に同一視することはできない。
ここを理解できないと、「愛しているなら応じるはずだ」という論理が生まれる。しかし、愛情は性的同意とは別のものであり、愛情があることを理由として性的行為への同意を要求することはできない。
同時に、性的欲求を持つ側がその感情を持つことも否定されるべきではない。重要なのは、欲求を持つことと、相手に応じる義務を課すことを分けることである。
この区別ができれば、性生活の話し合いは「どちらが正しいか」という争いから、「2人の希望がどこで一致し、どこで一致しないのか」という問題へ変わる。
日本人に求められる「性の対話能力」
今後、日本社会で重要になるのは、性について知識を持つことだけではない。自分の希望や拒否を言葉にし、相手の意思を聞き、双方が納得できる範囲を探す「性の対話能力」が必要になる。
これは特別な技術ではない。「今日は疲れている」「性交はしたくない」「抱きしめてもらうだけならうれしい」「今は妊娠を望んでいない」「最近、夫婦の時間が少なくて寂しい」といった自分の状態を具体的に伝える能力である。
そして、聞く側にも能力が必要になる。相手が拒否したときに、「なぜ」「いつならいい」「自分が嫌いなのか」と詰め寄るのではなく、「分かった」「今は難しいのだな」と受け止めることが、次の対話につながる。
これは性生活だけでなく、家事、育児、金銭、仕事、親族関係など、夫婦生活全般に共通する。夫婦関係を安定させるためには、「察してほしい」という期待よりも、自分の状態を言語化する能力が重要になる。
医療・心理・相談支援の役割
性生活の問題には、夫婦間のコミュニケーションだけでは解決できないケースもある。性交時の痛み、性機能の問題、ホルモン変化、薬剤の副作用、精神的な不調など、医学的な原因が関係している場合があるからだ。
こうした場合、「愛情が足りない」「夫婦仲が悪い」と決めつけることは問題の解決を遅らせる。婦人科、泌尿器科、心療内科、精神科、性に関する専門的な相談機関など、状況に応じた専門家につなぐことが必要になる。
また、夫婦間の話し合いが成立しない場合には、夫婦関係を扱う心理職や相談機関を利用する選択肢もある。第三者が入ることで、夫婦だけでは言いにくかったことを整理できる場合がある。
ただし、相談の目的は「性行為を増やすこと」ではない。夫婦双方の意思を整理し、身体的・心理的な安全を確保しながら、今後の関係について合意を形成することが目的である。
少子化との関係をどう考えるか
少子化については、性生活の減少だけを原因とする説明を避ける必要がある。日本では婚外出生の割合が低く、出生と婚姻行動には強い関連があるため、結婚する人の減少や結婚時期の変化が出生数に影響することは確かだが、その背景には経済、雇用、住宅、教育、育児、男女の役割分担など多数の要因がある。
国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査でも、理想とする子どもの数と実際に予定する子どもの数には差があり、その背景には子育てや教育にかかる負担などが存在する。したがって、少子化対策を性生活の活性化だけで説明することは、問題の構造を過度に単純化している。
必要なのは、子どもを持ちたい人が、その希望を実現できる環境をつくることである。安定した雇用、適切な労働時間、住宅環境、保育サービス、教育費への支援、男性の育児参加、女性に偏らない家事負担などを総合的に改善する必要がある。
同時に、子どもを持たない選択も尊重されなければならない。少子化対策を進めることと、個人に出産を義務づけることは全く別の問題である。
今後の展望――「夫婦の標準」をなくす
これからの日本では、「夫婦とはこういうものだ」という単一の標準モデルがさらに弱まる可能性が高い。結婚していても性生活を持たない夫婦、子どもを持たない夫婦、仕事と家庭の役割を柔軟に分担する夫婦など、生活の形は多様化している。
その中で必要なのは、すべての夫婦に同じ性生活を要求することではない。夫婦が自分たちにとって何が必要なのかを考え、その結果を互いに共有できる環境をつくることである。
「月に何回」という数字ではなく、「2人とも納得しているか」という基準に移行することが重要である。性生活を持たないことが問題なのではなく、本人が望んでいないのに強制されること、望んでいるのに話し合えないことが問題なのである。
この視点に立てば、「セックスしたくない」という言葉も、否定的な意味だけを持たなくなる。それは夫婦関係を拒絶する宣言ではなく、自分の身体や心理状態について相手に伝える重要な情報になりうる。
そして「セックスしたい」という言葉も同様に、恥ずかしい要求として扱う必要はない。それは親密さを求める一つの意思表示であり、相手がそれを尊重しながら、自分の意思を示すことができればよい。
最後に
「セックスしたくない」と夫婦で言えない問題を解決するために、必要なのは性生活の回数を増やすことではない。必要なのは、性生活について話しても関係が壊れないという安心感をつくることである。
そのためには、性をタブー視しすぎないこと、性行為を夫婦の義務にしないこと、拒否する権利と望む権利の双方を認めること、そして互いの境界線を尊重することが重要になる。
また、夫婦間の性生活を取り巻く問題は、仕事、家事、育児、睡眠、健康、経済状況などと切り離せない。夫婦に「もっと努力しろ」と求めるだけではなく、そもそも夫婦が親密さを維持できるだけの時間と余裕を持てる社会をつくる必要がある。
日本人に不足しているものを一つ挙げるなら、それは性欲ではなく「性について話す言葉と技術」だと考えられる。自分の意思を伝え、相手の意思を聞き、違いがあれば調整する能力を、性教育、家庭教育、医療、相談支援の各領域で育てていくことが今後の課題となる。
夫婦の性生活は、昔ながらの「夫婦なら当然」という規範から、個人の意思と相互の合意によって形を決める時代へ移行している。その変化は、必ずしも家族の弱体化を意味しない。
むしろ、「したくない」と言えることと、「したい」と言えることの両方が保障される夫婦関係こそ、長期的にはより安定した親密さを築く可能性がある。性行為をするかしないかという二択ではなく、互いの身体、感情、生活を尊重しながら関係を更新できることが、これからの夫婦に求められる基本条件になる。
参考・引用リスト(追記)
- 相模ゴム工業「ニッポンのセックス2026」
- 国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」
- 国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」
- 厚生労働省「人口動態統計」
- こども家庭庁「少子化対策に関する資料」
- 一般社団法人日本家族計画協会「男女の生活と意識に関する調査」
- 日本性教育協会「青少年の性行動全国調査」
- 文部科学省「生命の安全教育」
- 世界保健機関「性と生殖に関する健康・権利に関する資料」
- 世界保健機関・国連教育科学文化機関「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」
