◎世界の指導者たちが最も著名な人権活動家に哀悼の意を表した。
2008年3月12日/南アフリカ、首都ヨハネスブルグ、ネルソン・マンデラ大統領とデズモンド・ツツ大主教(Getty Images/AFP通信)

世界の指導者や人権団体が12月26日に死去した南アフリカのデズモンド・ムピロ・ツツ名誉大主教に哀悼の意を表し、功績を称賛した。

ネルソン・マンデラ財団
デズモンド・ツツ名誉大主教の喪失は計り知れません。彼は南アフリカや世界中の多くの人々に祝福を与えました。

不公正と闘うという彼の意思は生き続けます。

<アントニオ・グテーレス事務総長>
ツツ大主教は世界にインスピレーションを与える人物でした。アパルトヘイト時代、彼は社会正義、自由、非暴力的抵抗の象徴でした。

ツツ大主教の死は世界に大きな空白をもたらしますが、「すべての人々により良い世界を届けるために戦い続ける」という彼の意思は、私たちの心の中で生き続けます

<バラクオバマ元大統領>
デズモンド・ツツ大主教は私や他の人々の指導者であり、友人であり、道徳の羅針盤でした。ツツ大主教は自国の解放と正義を確立するという闘争に根ざし、不公正に強い関心を持っていました。

彼はユーモアのセンスを失わず、意欲を失いませんでした、ミシェルと私は彼を心から恋しく思います。

2009年8月12日/ワシントンD.C.ホワイトハウス、デズモンド・ツツ大主教とバラク・オバマ大統領(Getty Images/AFP通信)

<エリザベス女王>
彼との出会いと素晴らしく暖かいとユーモアと愛情を覚えています。

ツツ大主教の喪失は南アフリカの人々、そして彼に愛情と尊敬の念を抱いていたイングランドと連邦全体に広がっています。

<ジミー・カーター元大統領>
彼がカーター・センターに影響を与えた3つの言葉、「愛・自由・思いやり」ほど彼の功績をよく表現する言葉はありません。

彼は、南アフリカのアパルトヘイトを終わらせるための長い闘い、真実と和解委員会の創設に向けた取り組みにおけるリーダーシップ、そして地球人にその価値観を伝え、共有しました。

彼の温かさと思いやりは不滅です。

<南アフリカの与党:アフリカ民族会議>
大きなバオバブの木が倒れました。南アフリカと民主主義は道徳的良心を私たちに伝え続けた男を失いました...

1995年3月21日/南アフリカ、ケープタウン、デズモンド・ツツ大司教とエリザベス女王(John Moore/AP通信)

<ジョー・バイデン大統領>
神と民に仕えたツツの死を知り心が痛みます。ツツの遺産は国境を越え、時代を超えて響き渡るでしょう。

<ボリス・ジョンソン首相>
デズモンド・ツツ大主教の死を聞き、深く悲しんでいます。彼はアパルトヘイトとの戦いと新しい南アフリカを作るための闘いにおいて、極めて極めて重要な人物でした。彼のリーダーシップと抑えられないユーモアは後世に語り継がれるでしょう。

<人権NGOアムネスティ・インターナショナル
彼は人権侵害者が誰であろう恐れませんでした。世界はすべての人々の平等を保障するために働き続け、彼の遺産を尊重しなければなりません。

<バーニス・キング博士(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の末娘)>
賢者であり人権指導者であり、そして強力な巡礼者であるツツ大主教の死を知り、とても悲しんでいます。長老の意思と功績は永遠に語り継がれます。

<メアリー・ロビンソン 元アイルランド大統領>
ツツ大主教の喪失に打ちのめされています。長老の情熱、献身、そして道徳的羅針盤がなければ、今日の民主主義はありません。

彼は独特の言い回しで、私に「希望の囚人」になるよう促し、正義、平等、自由への献身的な取り組みで世界から愛されていました。今日、私たちは彼の死を悼み、彼の信念を生かし続けると決意を表明します。

ダライ・ラマ14世
私たちは友情と精神的な絆を大切にしてきました。デズモンド・ツツ大主教はより大きな共通の利益のために世界に奉仕し続けました。彼は真の人道主義者であり、人権の完全な擁護者でした

2015年4月23日/インドのダラムサラ、デズモンド・ツツ大主教とダライ・ラマ14世(Ashwini Bhatia/AP通信)

デズモンド・ツツのタイムライン

・1931年10月7日:ヨハネスブルグ近郊のクレルクスドルプで生まれる。

・1947年:結核に感染。回復後、南アフリカで働くイングランド国教会の牧師トレヴァー・ハドルストンに仕える。

・1955年:ノマリゾ・レア・シェンクサネと結婚。ヨハネスブルグの中等学校で働き始める。

・1961年:南アフリカのアパルトヘイトに反対し、教育現場を離れる。その後、イングランド国教会の牧師に。

・1962年:キングス・カレッジ・ロンドンで神学を学ぶ。

・1966年:南アフリカに戻り、ケープタウンの神学校の指導者になる。

・1975年:イングランド国教会初のヨハネスブルグ黒人学部長に。

・1976年:レソトの司教に。その後、南アフリカでアパルトヘイトに対する批判を公の場で表明。

・1978年:南アフリカ教会協議会の書記長になり、アパルトヘイトの主要な反対者として世界的に有名になる。

・1984年:ノーベル平和賞を受賞。ツツは受賞演説の中で、「アフリカ南部に平和はありません。正義がないので平和もありません。すべての住民が正義を享受するまで、本当の平和と安全はあり得ません」と述べた。

・1985年:ヨハネスブルクの最初の黒人司教に。

・1986年:ケープタウン初の黒人大主教に叙階された。

・1989年:ケープタウンで開催された3万人規模の反アパルトヘイト行進を主導。

・1990年:アパルトヘイトに反対し27年間拘留されたネルソン・マンデラと再会。マンデラはツツを「人々の大司教」と呼んでいた。

・1994年:すべての人種の投票を認める初の民主選挙が行われた。

・1995年:ネルソン・マンデラ大統領がツツを真実和解委員会の委員長に任命。

・1996年:大司教としての公式の活動から退く。イングランド国教会からケープタウン名誉大主教の称号を与えられた。

・1997年:前立腺癌と診断されたことを公表。

・1998年:真実和解委員会が報告書を公表。アパルトヘイト勢力に虐待の責任のほとんどを負わせる一方、与党アフリカ民族会議も人権侵害で有罪となった。このとき民族会議は報告書を公表しないようツツに訴え、叱責された。

・2009年:米国の大統領自由勲章を受賞。

・2010年:公務から引退。報道機関に「私に電話しないでください、私があなたに電話します」と言った。

・2013年:ケープタウンでLGBTQの権利に関する国際キャンペーンを開始。ツツ「私は同性愛嫌悪の神を崇拝しません」

・2013年12月5日:ネルソン・マンデラ大統領死去。

・2021年10月:ケープタウンのセントジョージ大聖堂で90歳の誕生日を祝う。

・2021年12月26日:ケープタウンで死去。享年90歳。

1984年12月7日/ワシントンD.C.ホワイトハウス、デズモンド・ツツ司教とロナルド・レーガン大統領(Getty Images/AFP通信)
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