SHARE:

ホットドッグが米国の「象徴」になった経緯 建国250年

19世紀の米国には多くのドイツ系移民が流入し、フランクフルトやウィーンに由来するソーセージを各地へ広めた。
1963年4月8日/米MLBアメリカンリーグ開幕戦、ホットドッグを食べるケネディ大統領(AP通信)

ホットドッグ」は野球場や独立記念日の祝賀行事、街角の屋台などで親しまれ、今や米国を象徴する食べ物の一つとなっている。しかし、その起源をたどると、ドイツから渡ってきた移民たちが持ち込んだソーセージ文化に行き着く。

19世紀の米国には多くのドイツ系移民が流入し、フランクフルトやウィーンに由来するソーセージを各地へ広めた。白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)やボックヴルスト、ブラッドソーセージなどは移民社会で日常的に食べられていたが、やがてパンに挟んで手軽に食べられる形へと変化し、都市部の屋台で販売されるようになった。こうした携帯性と手軽さが急速な普及を後押しし、移民の食べ物だったソーセージは、多民族国家である米国社会に溶け込んでいった。

「ホットドッグ」という名称が文献で初めて確認されたのは1884年9月14日付のインディアナ州の新聞とされる。当時、同州では日曜日の飲酒や娯楽を制限する厳格な「ブルー・ロー(安息日法)」が導入され、街頭での食品販売も規制対象となった。その記事には、「ウィンナーソーセージ売りでさえ街角でホットドッグを売ることは許されない」と記されており、これが現在確認されている最古の「ホットドッグ」という表現とされる。当時すでにドイツ由来のソーセージが米国社会に浸透し始めていたことを示す史料として知られている。

その後、ホットドッグは急速に米国文化と結び付いていく。食文化研究者ブルース・クレイグ(Bruce Kraig)氏は、「1890年代にはホットドッグは野球場と切り離せない存在になった」と指摘する。試合を観戦しながら片手で食べられる利便性が人気を集め、球場の定番メニューとして定着した。さらにニューヨークで毎年7月4日の独立記念日に開催されるホットドッグ早食い大会は、この食べ物を建国記念日と結び付ける象徴的な行事となり、愛国心や祝祭文化を象徴する存在へと押し上げた。

他の州でも地域色豊かなホットドッグ文化が発展した。全米ホットドッグ・ソーセージ協議会によると、全米には少なくとも19種類の代表的な地域スタイルが存在する。ポテトフライをのせるクリーブランドの「ポリッシュ・ボーイ」、ベーコンで巻くアリゾナ州の「ソノラン・ドッグ」、ケシの実入りパンにピクルスやトマト、スポーツペッパーなど7種類の具材を載せる「シカゴドッグ」など、その土地ならではの特色が受け継がれている。同じホットドッグでも地域によって味や作法が大きく異なり、それぞれが地元のアイデンティティーを表す食文化となっている。

ホットドッグは外交の舞台でも登場した。1939年、第2次世界大戦開戦直前にイギリス国王ジョージ6世夫妻が現職君主として初めて米国を訪問した際、ルーズベルト大統領夫妻はピクニックでホットドッグを振る舞った。格式を重んじるルーズベルト氏の母親は難色を示したと伝えられるが、国王は気に入り、おかわりを求めたという。また1959年には、ソ連のフルシチョフ首相が米国視察中に初めてホットドッグを口にし、「宇宙開発ではソ連が勝つこともあるが、ソーセージ作りでは米国にかなわない」と語った逸話も残る。こうした出来事は、ホットドッグが米国の豊かさや大衆文化を象徴する「食の外交」の道具としても機能してきたことを物語る。

近年もホットドッグは芸術や文学の題材となっている。2024年にはニューヨーク・タイムズスクエアに全長約20メートルの巨大ホットドッグ彫刻が設置され、正午に紙吹雪を噴き出すパフォーマンスで話題を集めた。作家ジェイミー・ロフタス(Jamie Loftus)氏は全米各地のホットドッグ店を巡る体験をまとめた著書を出版し、「ホットドッグは米国という国を象徴する存在であり、多くの人々に喜びと郷愁を与える食べ物だ」と表現している。ドイツ移民が持ち込んだ一つのソーセージは、長い歴史の中で米国社会に根付き、野球や祝祭、外交、芸術にまで広がる文化的シンボルへと成長したのである。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします