イラク共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在
  ・サダム・フセイン

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:イラク共和国(Republic of Iraq)

首都:バグダッド(Baghdad)

人口:40,194,216人(2020年推定)

面積:437,072㎢(日本の1.2倍)

気候:砂漠気候
・夏の間は晴天が続き、極めて暑く、乾燥している。
・低地の年間降水量は100~200mm。
・7月と8月の平均気温は30~35℃。
・冬(12月~2月)は極めて過ごしやすい。
・冬の平均気温は2~15℃。
・丘陵地帯と山間部の気候は穏やか。ただし、夏の間はほとんど雨が降らない。

経済:
・開発途上国
石油に著しく依存している。(政府歳入の90%)
GDPは約2,300億ドル(2019年)
・君主制打倒後、経済は急速に発展した。
・イラン・イラク戦争で経済に大打撃を与えた。
・湾岸戦争およびその後の制裁で大打撃を受けた。
・2003年イラク侵攻およびイラク戦争で荒れ地になった。
・フセイン政権打倒後、経済と治安は改善した。
・インフォーマル経済。
・中産階級および低所得層の失業率はとても高い。
・政府は農業、漁業、鉱業の発展に力を入れている。
・中東を代表する石油輸出国のひとつ。

人種:
・アラブ人 70%
・クルド人 20%
・トルコ人 4%
・その他 6%

言語:
・アラビア語(公用語)
・クルド語(公用語)
・イラクトルクメン
・アッシリアカルデア
・アルメニア語

宗教:イスラム教(国教)
・シーア派 70%
・スンニ派 22%
・キリスト教 2~5%
・ヤルサニ 2%
・シャバク 2%
・ヤズィーディー 1.4%
・ゾロアスター教 0.6%
・その他

イラク共和国

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大統領:バルハム・サリフ(Barham Salih)
首相:ムスタファ・アル=カーズィミー(Mustafa Al-Kadhimi)

政治体制:共和制
・フセイン政権崩壊後、2005年にイラク議会成立。
・議会はイラク代表評議会とイラク連邦評議会で構成される。
・国家元首は大統領。
深刻な汚職問題に悩まされている
・イラクの腐敗は風土病と呼ばれている。
・イスラム国(IS)の敗北後も、政治の腐敗は一向に解消されない。
・公共工事は多額の賄賂を提供できる大手企業が独占している。
・イラク戦争後の建設ブーム(ラッシュ)で建設部門は著しく汚染された。

法律:イラクの憲法
・2005年10月、国民投票で承認。12月に発効した。
・信仰と宗教の自由を保障している。
・民兵の活動を禁止。
・裁判所は、「最高、地方、刑事裁判所、調査裁判所」の4種。

イラク共和国/国内避難民

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渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2020年12月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2020年12月時点)

治安:極めて危険
・イスラム国(IS)などの過激派組織が潜伏していると思われる。
・自動車爆弾やロケット弾攻撃などに巻き込まれる可能性がある。
・イランのソレイマニ司令官暗殺以来、中東の情勢が悪化している。
・反政府勢力が活発に活動している。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は30以上。
・国営テレビは1局。
・民間テレビは20局以上。
・ラジオ局は20以上。
・インターネットの検閲は普通。
・言論と報道の自由を保障している。
フセイン政権時代、報道の自由は存在しなかった

【国営メディア/設立年】
・アル・イラクヤ 2003年

【民間メディア】
・アル・シャルキーヤ
・イシュタルTV
・アル・バグダディアTV
・その他

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2020年軍事力ランキング:50位

・軍人数:165,000人(推定)
  即戦力 165,000人
  予備兵 0人

・陸軍と海軍を保有

・国防予算:17.3億ドル

2003年3月19日 Getty Images/ワシントンD.C.ホワイトハウス、イラク国内での軍事作戦開始を宣言するジョージW.ブッシュ大統領

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1700年代

・1700年代、現在のイラクおよびその周辺一帯はオスマントルコの領土(1533年~1918年)だった。

・オスマンイラク(現在のイラク領土)は、地域の部族の戦闘地帯だった。

・1704年、マムルーク王朝がオスマンイラクの統治を開始する。

・1747年、マムルーク王朝、オスマントルコから自治権を奪取する。

・自治権を得たマムルーク王朝は、経済と軍事の近代化プログラムを導入した。

・オスマンイラクは1704年まで4つのエリアに分けられていた。
 1.バグダッド州
 2.シェフリゾル州
 3.バスラ州
 4.モスル州

1800年代

・1831年、オスマントルコがマムルーク王朝を討ち滅ぼし、オスマンイラクの自治権を取り戻す。

・オスマントルコはオスマンイラクを3つのエリアに分割した。
 1.バグダッド州 
 2.バスラ州
 3.モスル州

・戦争、内戦、紛争、飢餓などの影響で、オスマンイラクの人口は西暦800年の3,000万人から500万人まで減少したと伝えられている。

2003年4月9日 AP通信/イラク共和国、首都バグダッド、米兵とサダム・フセイン像

1900年~第一次世界大戦

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。オスマントルコはドイツ連合に加担する。

・1916年、アラブの反乱勃発。オスマンイラクを含む中東諸国はイギリスの支援を受け、オスマントルコに反旗を翻した。

・1918年10月30日、ムドロス休戦協定調印。オスマントルコは完全敗北を受け入れ、領土を英仏に明け渡す。

・1918年11月、第一次世界大戦終結、英仏連合軍の勝利。

・1918年11月、英仏がオスマントルコの領土を獲得。(サイクス・ピコ協定)

サイクス・ピコ協定に基づき、現在のイラクの領土が確立する

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・第一次世界大戦後、現在のイラクはイギリスの占領下に置かれた。

・イギリス占領時代、シーア派とクルド人は独立のために戦った。

・イギリスはスンニ派と緊密に協力し、独立を訴えるシーア派や他の民族のナショナリズムに対抗した。

・1920年、セーブル条約調印。オスマントルコの分割が最終承認される。

・1921年、国民投票の結果、スンニ派ハシミテ家のエミール・ファイサルが国王に選ばれる。

・1922年11月1日、オスマントルコ王朝廃止、約400年の歴史に幕を下ろす。

・1927年、キルキークの近くで巨大な油田が発見される。

・1932年、イギリスが「イラク王国」の設立を宣言。初代国王はエミール・ファイサル。

・1936年、シーア派と他の部族による軍事クーデター(失敗)が発生。その後も数年の間、スンニ派に対するクーデターが立て続けに発生する。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1941年5月2日、英イラク戦争勃発。イラク王国はナチスドイツとイタリアの支援を受けた。

・1941年5月31日、英イラク戦争終結。イギリス連合軍の勝利。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

終戦~現在

・1945年、国連に加盟。アラブ連盟の創設メンバーになる。

・1948年、大規模な抗議活動がバグダッド全域で発生。共産主義国家の支援を受けた反政府組織がイギリスとの条約に反対した。(アル・ワスバ蜂起)

・1947年11月30日、パレスチナ戦争勃発。(アラブ連盟vsイスラエル)

・1948年5月15日、アラブ-イスラエル戦争勃発。(アラブ連盟vsイスラエル)

・1949年3月10日、アラブ-イスラエル戦争終結、イスラエルの勝利。

・1949年7月20日、パレスチナ戦争終結、イスラエルの勝利。

・1958年7月14日、クーデター発生。革命軍の勝利。イラク王朝を打倒した。

・1958年7月14日、新政府、「イラク共和国」の成立を宣言。

・1961年9月、第一次クルド・イラク戦争勃発。(クルド人組織vsイラク共和国連合軍)

・1963年2月、バース政党、大統領と首相を暗殺。(バース政党クーデター)

・1963年6月、政府軍、クルド人に対する大規模軍事作戦を開始。

・1966年4月、アブドゥル・サラム・アリフ大統領、ヘリコプターの墜落事故に巻き込まれ、死亡。

・1968年、バース政党が政権を奪取。イラク共和国の体制は完全に崩壊する。

・1968年の革命後、イラクの経済は急速に回復する。バース政党は軍ではなく農業と産業の発展に予算を投じた。

・1970年3月、第一次クルド・イラク戦争、膠着状態のまま終結。両軍の死傷者数は推定10万人。

・1972年6月、イラク国有石油会社誕生。(イギリスの石油会社は撤退)

・イラク石油会社設立後、急速な経済発展を遂げる。

サダム・フセイン

・1979年7月、サダム・フセインが大統領に就任。

・1980年3月、国会の成立を宣言。

・フセイン政権は田園と農村地帯を近代化した。

・1980年9月、イラン・イラク戦争勃発。

・1986年3月、アンファール作戦開始。フセインの指示で10万~20万人のクルド人が虐殺された

・1988年3月16日、イラクの都市ハラブジャの戦闘でマスタードガスが使用され、クルド人3,000~7,000人が死亡、数万人が負傷した。(歴史上最大の化学兵器を使用した民間人大量虐殺事件)

・1988年8月、イラン・イラク戦争、膠着状態のまま終結。両軍の死亡者は民間人も含め100万人以上。フセインはイラクの勝利を宣言した。

・1990年、フセイン、クウェートが石油資源を確保するために国境を侵したと非難、債務の返済を免除するよう要求した。

・1990年7月25日、フセインとイラク駐米大使が会談。

・1990年8月2日、イラク、クウェートに侵攻。湾岸戦争勃発。(クウェート・アメリカ連合軍vsイラク)

・国連安全保障理事会、イラクへの経済制裁を全会一致で可決。

・1991年1月17日、連合軍の空爆開始、広島原爆7発分の爆弾が投下された。(砂漠の嵐作戦)

・1991年2月24日、連合軍の地上攻撃開始。

・1991年2月28日、湾岸戦争終結、クウェート・アメリカ連合軍の勝利。

・1991年3月、イラク暴動勃発。(政府vsシーア派・クルド人連合)

・1991年4月、イラク暴動鎮圧。フセインの指示で推定数万人のクルド人が虐殺され、200万人以上が難民になった。

・1991年4月、恒久的停戦に関する国連の条件に同意。イラクは国連の制裁下に置かれた

・2001年9月11日、米同時多発テロ発生。

・2002年11月8日、国連安全保障理事会、決議1441を全会一致で可決。フセインに武装解除義務を順守する最後の機会を与えた。

・2003年3月20日、米英連合軍、イラクに侵攻。作戦は3週間で終了した。(イラク戦争勃発)

・2003年12月13日、連合軍、国内に潜伏していたフセインを拘束。

・2005年1月、議会選挙が行われる。

・2005年12月、憲法制定。

・2006年12月30日、フセイン、絞首刑に処せられる。

・2011年12月14日、バラク・オバマ大統領、イラクからの完全徹底を宣言。(イラク戦争終結)

・2011年~、反政府組織、イスラム国などの活動は小規模ながらも続いている。

2003年12月14日 Getty Images/イラク共和国、サダム・フセイン

文化(目次に戻る

・イスラム文化。

・古代メソポタミア文明発祥の地。

・有名な工芸品は高級絨毯およびカーペット。

・人気料理はケバブ、ガウス、バミエ、クジなど。

・フセイン政権崩壊以来、新時代のアーティストが多数誕生している。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

・バスケットボール、水泳、重量挙げ、ボディービル、テコンドー、ボクシング、キックボクシング、テニスも人気。

・サッカーイラク代表は中東およびアジアを代表する強豪国。

・夏季オリンピックのメダル獲得数は1個。

・フセイン政権時代、イラクのスポーツは後ろ向きだった。

その他(目次に戻る

・イランイラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争で近代化しつつあったイラク経済は壊滅した。

・フセイン政権打倒後、経済と治安は回復傾向にある。

イラク戦争開始以来、小さな反乱と紛争が続いている

イラク共和国/サッカー場

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