コスタリカ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:コスタリカ共和国(Republic of Costa Rica)

首都:サンホセ(San José)

人口:5,094,118人(2020年推定)

面積:51,100㎢(北海道の0.6倍)

気候:熱帯気候
・赤道に近いため、気温の変化は小さい。
・乾期は12月~4月。
・雨季は5月~11月。
・年間降水量は地域によって大きく異なる。熱帯雨林では4,000mmを超える。
・海水温は1年を通じて28~30℃。いつでも海水浴を楽しめる。

・海抜約1,100mの首都サンホセの年間平均気温は最低が14~17℃、最高は24~27℃。
・太平洋に面する都市プンタレナスの年間平均気温は最低が22~24℃、最高は32~35℃。
・太平洋に面する南部の都市ケポスの年間平均気温は最低が22~24℃、最高は30~32℃。
・高地は1年を通じて涼しい。最高峰は標高3,820mのチリポ山。
・ハリケーンの影響を受けやすい。最盛期は10月~11月。
・観光に最適な時期は2月~3月。

経済:
・開発途上国
GDPは610億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(41%)、ベルギー(6%)、パナマ(6%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(38%)、中国(13%)、メキシコ(7%)

・主要輸出品はバナナ、パイナップル、コーヒー、メロン、観葉植物、砂糖、牛肉、シーフードなど。

・コスタリカの経済は
他の中米諸国に比べると非常に安定しており、中米の中では最高の生活水準を維持している。
・慢性的な貿易赤字と対外債務の処理に苦労している。
・1980年代以前は農業が経済活動の中心だったが、現在はサービス(特に観光業)と製造業が基幹産業になっている。
・2020年の経済成長率はコロナの影響で観光業が大きな影響を受け、約10年ぶりにマイナスに転じた。
・中南米を代表する人気観光地のひとつ。
・国内の電力の98%以上を水力発電、地熱、風力、太陽光、バイオマスなどの再生可能エネルギーで賄っている。

人種(国籍)
・白人およびメスティーソ 83.6%(2011年国勢調査)
・ムラート 6.7%
・先住民族 2.4%
・黒人 1.1%
・その他 1.1%
・不明 5.1%

言語:
・スペイン語(公用語)
・英語

宗教:
・ローマカトリック 71.8%(2016年推定)
・福音派 12.3%
・プロテスタント 2.6%
・エホバの証人 0.5%
・無宗教 10.4%
・その他 2.4%

コスタリカ共和国

政治(目次に戻る

大統領:カルロス・アルバラド・ケサダ(Carlos Alvarado Quesada)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は4年、2期連続は不可、2期(8年)間隔を開ければ立候補可能。
・一院制、議員定数は55人、任期は4年。
・州議会はなく、州知事職は1998年に廃止された。(地方議会はある)
・大統領の権限は他の中南米諸国に比べるとかなり制限されており、立法予算を拒否することはできない。
・他の中南米諸国の中に比べるとほぼ完全な民主主義を維持している。
・中道派と左派勢力が議席の大半を維持している。保守勢力は停滞気味。

法律:コスタリカ共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・女性、子供、難民の権利を保障している。
・LGBTQの権利はここ数年で大幅に改善された。
・ジェンダー平等の推進に重点を置いてきた歴史があり、女性を差別することは違法。
・女性議員は議会の約34%、地方議会の約47%を占めている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年7月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)

治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・他の中南米諸国に比べると治安は比較的安定しているが、良くはない。
・ギャングやメキシコの麻薬カルテルとつながりのある組織の活動が報告されている。
・地元でスラム街と呼ばれている地域には近づかないこと。
・首都サンホセでは麻薬組織が活発に活動している。
・特定の地域では殺人、強盗、誘拐などが多発している。
・流しのタクシーには乗車しない。特に無許可のタクシーには注意が必要。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・銃火器が市場に流通しており、誰が武装しているか分からない。
・一部地域ではギャングや麻薬組織の銃撃戦が頻繁に発生するため注意が必要。

コスタリカ共和国/市場

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は11社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は8局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は10局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は85~90%。
・検閲はない。
・世界で最も報道の自由を保障している国のひとつ。

【国営メディア/設立年】
・SINART SA 1970年

【民間メディア】
Noticias Repretel
・Extra Noticias
・Noticias Telenorte
・エルヘラルドテレビ
・その他

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 1,000人

・軍を保有していない。
・国内の治安維持活動と国境警備はコスタリカ公安部隊(警察)が担っている。

・国防予算:5,000万ドル(推定)

コスタリカ共和国/アレナル火山

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1700年代

・1700年代、コスタリカを含む中米諸国はスペインの植民地下に置かれていた。

1800年代

・1800年代初頭:コスタリカの独立支持勢力はナポレオンのスペイン占領に触発され、全国各地で活動を活発化させた。

・1808年:キューバから持ち込まれたコーヒーが主要農作物になる。

・1810年代:スペインからの独立を求める戦いが現在の中央メキシコ周辺で展開された。

・1821年9月15日:中央アメリカ連邦共和国がスペインからの独立を宣言。コスタリカではメキシコ加盟派と中央アメリカ加盟派の間で論争が発生した。

・1821年10月29日:スペインが中央アメリカの独立を正式に承認。

・1823年4月5日:オチョモゴ戦争勃発。(メキシコ加盟派vs中央アメリカ加盟派)

・中央アメリカ連邦共和国への加盟を支持する組織は保守的なメキシコ加盟派を撃破し、首都をカルタゴからサンホセに変更した。

・1823年7月:コスタリカは中央アメリカに加わることを公式に宣言した。

・1824年~1825年:ニカラグアのグアナカステ州が離脱を表明。その後、コスタリカの一部になった。

・1838年11月14日:「コスタリカ共和国」が中央アメリカから独立。

・コスタリカにはコーヒーをヨーロッパ市場に輸出する定期的な貿易ルートがまだなく、インフラの欠如はコーヒーの輸出に大きな影響を与えた。コーヒー生産地域は主に中央部の山岳地帯にあり、コーヒーは太平洋岸のプンタレナス港に輸送された。パナマ運河が開通する前、ヨーロッパ行きの船は太平洋に到達するためにホーン岬(南アメリカの最南端)を航行しなければならなかった。

・1843年:コスタリカは商人のウィリアム・ル・ラチュールの支援を受け、ヨーロッパへの交易路を確立した。

・1850年5月10日:スペインがコスタリカを公式に承認。

・1850年代:コスタリカ陸軍最高司令官のフアン・ラファエル・モラ・ポラス大統領はニカラグアを乗っ取ったアメリカの冒険家ウィリアム・ウォーカーに対する攻撃を開始し、地域の主導権を維持した。

・1859年:モラ・プラス大統領は無血クーデターで追放された。

・1870年代:トマス・グアルディア大統領は鉄道への集中的な投資を奨励し、外国企業を積極的に受け入れた。

:1870年代:政府はアメリカの実業家マイナーC.キースと契約を結び、サンホセからカリブ海のリモン港間を結ぶ鉄道の建設を開始した。この鉄道は1890年に完成した。

・1874年:アメリカのビジネスマン、マイナー・クーパー・キースがバナナ栽培をコスタリカの持ち込み、ユナイテッド・フルーツ・カンパニーを設立した。

コスタリカ共和国/ビーチ

1900年~第一次世界大戦

・コスタリカは第一次世界大戦に関与していない。

・1914年:パナマ運河開通。

・1917年:クーデター発生。フェデリコ・ティノコ・グラナドスがアルフレド・ゴンザレス大統領を追放した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・コスタリカは第二次世界大戦に関与していない。

・1919年8月:独裁者のグラナドス大統領は世論の圧力に屈し、辞任。その後ヨーロッパに亡命した。

・1942年4月:リベラル派のホセ・フィゲーレス・フェレールがメキシコに亡命。この時フィゲーレスは、自国に帰還し、保守派と戦うと決意していた。

・1940年~1944年:国民共和党のラファエル・アンヘル・カルデロン・ガーディア大統領は、労働者の権利や最低賃金を設定するなど、自由主義改革を推進した。

コスタリカ共和国/子供

終戦~現在

・1948年3月:大統領選挙。テオドロ・ピカード・ミハルスキー大統領の対立候補であるホセ・フィゲーレス・フェレールの勢力は選挙結果を認めなかった。

・1948年3月12日:コスタリカ内戦勃発。(国軍vs民族解放軍)

・1948年4月19日:敗北が目の前に迫っていたピカード大統領とコスタリカの著名な労働組合幹部であるベンハミン・ヌニェス神父はメキシコ大使館協定に署名し、武装蜂起を集結させた。

・1948年4月20日:ピカード大統領は辞任を表明したうえで、サントス・レオン・エレーラを暫定大統領に任命した。その後、ピカード前大統領とラファエル・アンヘル・カルデロン・ガーディア元大統領はニカラグアに亡命した。

・1948年4月24日:コスタリカ内戦終結。民族解放軍の勝利により、ピカード政権は崩壊した。

・サントス・レオン・エレーラ暫定大統領は国軍を廃止したうえで制憲議会を発足させ、新憲法を公布した。

・1948年5月8日:ホセ・フィゲーレス・フェレールを暫定大統領とする暫定軍事政権が誕生した。

・1949年:新憲法により、アフリカ系の女性に選挙権が与えられた。

・1949年:大統領選挙。国民解放党(PLN)の共同創設者であるフェレール暫定大統領が勝利、軍事政権から文民政府に移行すると宣言した。フェレール大統領は社会保障制度の導入や銀行の国有化など、野心的な社会主義プログラムを開始した。

・1950年代~1960年代:保守派が政権を奪取したが、主要な社会主義改革は継続された。

・1963年:イラス火山が噴火。降灰と天候不良により、地域の農業は深刻な被害を受けた。

・1968年:アレナル火山が噴火。少なくとも数十人が死亡した。

・1974年:大統領選挙。国民解放党(PLN)ダニエル・オドゥベールが勝利。オドゥベール大統領は社会主義政策を加速させると宣言した。

・1978年:大統領選挙。経済活動の低迷でPLNの支持率は急落し、保守派のロドリゴ・カラソ・オディオが勝利した。

1978年:コーヒーの価格が下落し、コスタリカの収益は激減した。

1979年:主要な輸入品である石油の価格がオイルショックの影響で高騰。輸出の低迷に悩まされていたコスタリカの経済はさらに低迷した。

・1982年:大統領選挙。PLNのルイス・モンジ・アルバレスが勝利し、厳しい緊縮財政計画を導入した。

・1982年:アメリカはコスタリカ政府に、ニカラグアの左翼運動サンディニスタ民族解放戦線に対抗するよう圧力をかけた。

・1985年:コスタリカの治安部隊とサンディニスタ民族解放戦線が各地で小規模な衝突を繰り返す。衝突開始から数か月後、アメリカで訓練をコスタリカの反ゲリラ特殊部隊が活動を開始した。

・1986年:大統領選挙。PLNのオスカル・アリアス・サンチェスが勝利。

・1987年:サンチェス大統領の考案した平和計画にニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスが署名した。この平和計画は西側諸国の支持を集め、サンチェス大統領はノーベル平和賞を受賞した。

・1990年:大統領選挙。中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)のラファエル・カルデロン・フルニエが勝利。

・1994年:大統領選挙。国民解放党(PLN)のホセ・マリア・フィゲレス・オルセンが勝利。

・1998年:大統領選挙。PUSCのミゲル・ロドリゲス・エケヴェリアが政権を奪取した。

・2000年:ロドリゲス大統領はニカラグアとの国境沿いを流れるサンファン川の権利をめぐる問題を解決した。

・2002年4月:大統領選挙。PUSCのアベル・パチェコ・デ・ラ・エスプリエラが決選投票の末、勝利。

・2003年5月:国営のエネルギーおよび電気通信関係の労働者がパチェコ大統領の民営化計画に反対するストライキを決行。教師も給料問題に関するストライキに参加した。公務員のストは物議を醸し、その後3人の大臣が責任を取って辞任した。

・2004年7月:チリの在コスタリカ大使3人が、首都サンホセの大使館内で警備員に殺害された。

・2004年10月:3人の元大統領(ホセ・マリア・フィゲレス・オルセン、ミゲル・ロドリゲス・エケヴェリア、ラファエル・カルデロン・フルニエ)の汚職調査が始まる。3人は請負業者から多額の現金を受け取っていたと告発された。

・2005年1月:大雨によりカリブ海沿岸地域で洪水が発生。政府は非常事態を宣言した。

・2006年3月:大統領選挙。国民解放党(PLN)のオスカル・アリアス・サンチェス元大統領が勝利。対立候補のオットン・ソリスは手作業による再集計と法的な異議申し立ての後、敗北を認めた。

・2006年10月:アメリカとの自由貿易協定案に抗議する公務員ストライキ(計2日)が行われる。

・2007年5月:政府は2021年までに世界初のカーボンニュートラル国になることを目指すと発表した。

・2007年6月:政府は中国の投資を誘致するために、台湾との友好関係を解消した。

・2007年10月:中央アメリカ自由貿易協定(CAFTA)の批准の是非を問う国民投票が行われ、賛成が反対をわずかに上回った。

・2008年11月:中国の胡錦濤 国家主席がコスタリカを訪問。

・2009年3月:サンチェス大統領はキューバとの外交関係を再構築すると発表した。コスタリカとキューバの関係は1961年のキューバ危機で崩壊した。

・2009年10月:ラファエル・カルデロン・フルニエ元大統領が汚職で有罪判決を言い渡される。懲役5年の実刑判決。

・2010年2月:大統領選挙。国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ・ミランダが勝利。コスタリカ初の女性大統領が誕生した。

・2011年3月:ハーグの国際司法裁判所はコスタリカとニカラグアに対し、国境沿いの河川地域周辺から治安部隊を撤退させるよう命じた。

・2012年9月:ニカラグアのサンクリストバル火山が噴火。同時に首都サンホセの西に位置するニコヤ半島で地震が発生し、2人が死亡した。

・2013年5月:世界最大のオンライン両替所と見なされていたコスタリカを拠点とするリバティリザーブの創設者が60億ドル規模のマネーロンダリングで逮捕された。

・2014年4月:大統領選挙。中道左派の市民行動党(PAC)のルイス・ギジェルモ・ソリス・リベラが勝利した。

・2014年6月~7月:FIFAワールドカップでベスト8を達成。予選でウルグアイとイタリアに勝利し、世界の度肝を抜いた。

・2014年8月:政府はコスタリカ国内でキューバを不安定化させるために活動しているアメリカの秘密プログラムを調査すると発表した。

・2015年3月:ニカラグアが約8,000人のキューバ移民の通過を拒否。移民希望者たちはコスタリカ国内で約4か月間立ち往生し、その後中央アメリカ諸国は新しいパイロットプログラムに合意した。これにより移民希望者たちはエルサルバドルへの移動を許可され、アメリカに到達した。

・2015年12月:ハーグの国際司法裁判所はコスタリカとニカラグアの国境沿いに位置するサンファン川の小さな湿地帯区画はコスタリカの領土と裁定した。

・2017年:核兵器禁止条約に署名。

・2018年5月:大統領選挙。市民行動党(PAC)のカルロス・アルバラド・ケサダが勝利した。

・2019年:コスタリカの電力供給の99.62%が再生可能エネルギーになった。この年、100%に到達した期間は300日を超えた。

文化(目次に戻る

・スペインとキリスト教の影響を強く受けている。

・義務教育期間は12年。公立学校は全て無料。

・カーニバル系のイベントが全国各地で開催されている。

・コスタリカ料理は、スペイン、南米、カリブ海、そしてアメリカの影響を受けている。

・主食は米。主菜は肉全般、玉ねぎ、トウモロコシ、豆類、バナナ、ココナッツミルク、チーズなど。

・料理は地域によって大きく異なる。カリブ海エリアはココナッツミルクやバナナを使った料理が多く、北西部エリアはトウモロコシやチーズ系が特に多い。

コスタリカ共和国/カーニバル

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、水泳、バスケットボール。

・サッカー代表は中米最強。2014年のワールドカップでは死の組(イタリア、イングランド、ウルグアイ)をトップで通過し、初のベスト8入りを果たした。

・オリンピックでのメダル獲得数は4個。(金:1個、銀:1個、銅:2個)

・冬季オリンピックにも何度か出場している。

【有名スポーツ選手】

・クラウディア・ポル(Claudia Poll)水泳選手。初の五輪金メダリスト。

その他(目次に戻る

・治安は他の中米諸国に比べると安定しているが、油断は禁物。

・中南米で最も自由な国のひとつ。

コスタリカ共和国/首都サンホセ
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