ブルキナファソ/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:ブルキナファソ(Burkina Faso)

首都:ワガドゥグー(Ouagadougou)

人口:20,835,401人(2021年推定)

面積:274,200㎢(本州の1.2倍)

気候:熱帯気候
・北部は乾燥地帯。
・南部の雨季は長く、豊かな植生を維持している。
・1年を通じて暑い。ただし、冬の夜は少し寒くなることがある。
・北部サヘル地域の夏場の平均気温は最低が24~28℃、最高は34~45℃。
・北部サヘル地域の冬場の平均気温は最低が15~18℃、最高は32~37℃。

・中央部に位置する首都ワガドゥグーは比較的過ごしやすい。
・ワガドゥグーの夏場の平均気温は最低が22~26℃、最高は31~38℃。
・ワガドゥグーの冬場の平均気温は最低が17~20℃、最高は33~36℃。
・南部の年間降水量は1,000~1,200mm。
・観光に適した時期は12月と1月。

経済:
・後発開発途上国
GDPは165億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と農業。
・主要輸出パートナーはベナン(26%)、トーゴ(12%)、日本(6%)
・主要輸入パートナーはコートジボワール(19%)、パキスタン(18%)、ガーナ(5%)

・主要輸出品は金、綿、家畜全般、ゴマ。

・人口の80%以上が自給自足で生計を立てており、サービス業や製造業に関与している国民はごくわずか。
・慢性的な高失業率に悩まされている。(2020年:推定70%)
・貧困ライン以下の生活を送っている国民は人口の40~50%と推定されている。
・年間降雨量の変動が大きく、雨の少ない年は農作物に壊滅的な被害が出る。
・主要農作物はササゲ、ソルガム、トウモロコシ、サトウキビ、綿、ピーナッツ、カシューナッツなど。

人種(民族)
・モシ族 52%(2010年推定)
・フラニ族 8.4%
・グルマ族 7%
・ボボ族 4.9%
・グルンシ族 4.6%
・セネ族 4.5%
・ビッサ族 3.7%
・ロビ族 2.4%
・ダガリ族 2.4%
・トゥアレグ族 1.9%
・ジョラ族 0.8%
・不明 0.3%
・その他 7.2%

言語:
・フランス語(公用語)
・その他の様々な先住民族の言語

宗教:
・イスラム教 61.5%(2010年推定)
・ローマカトリック 23.3%
・先住民族の宗教 7.8%
・プロテスタント 6.5%
・無宗教 0.7%
・不明 0.2%

ブルキナファソ

政治(目次に戻る

大統領:ロック・マルク・クリスチャン・カボレ(Roch Marc Christian Kaboré)
首相:クリストフ・ジョセフ・マリー・ダビレ(Christophe Joseph Marie Dabiré)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は127人、任期は5年。
・2014年のブルキナファソ蜂起まで左派の民主主義進歩会議が議会を支配していた。
・アフリカの中では民主主義を尊重する国家に分類される。

法律:ブルキナファソの憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)を含む多数の国連条約を批准している。
・アフリカの中で人権を尊重する国家に分類される。
・同性愛は合法であり、同性愛者を取り締まる法律はない。
・2008年5月に公布した人身売買防止法はあらゆる形態の人身売買を禁止し、有罪判決を受けた犯罪者に対して最高20年の懲役または終身刑を科す。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年6月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:かなり危険
・自爆テロや大量殺人などの凶悪事件が頻繁に発生している。
・イスラムジハード組織や反政府組織が活発に活動している。
・北部のサヘル地域における対イスラムジハード戦争(マリ戦争)は継続中。
・北部のマリおよびニジェールとの国境付近はイスラムジハード軍の活動エリア。
・中部および南部でもテロ、大量殺人、誘拐などの凶悪事件が多発している。
・首都ワガドゥグーは比較的安全と考えられているが、油断は禁物。
・銃火器や爆弾が市場に流通しており、誰が武装しているか分からない。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。

ブルキナファソ/首都ワガドゥグー

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は9社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は1局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は数局ある。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせや制裁を受ける可能性があると指摘されている。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は5%未満。
・政府の最高情報評議会であるCSCは、メディアの監視を担当している。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ブルキナファソラジオ・テレビ 1963年

【民間メディア】
・ブルキナファソTV

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:129位

・軍人数:11,450人(推定)
  即戦力 11,200人
  予備兵 0人
  準軍組織 250人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:3億ドル(推定)

ブルキナファソ/ブルキナファソ軍とフランス軍の兵士

歴史(目次に戻る

1700年代

・1700年代、現在のブルキナファソを含むサヘル地域には複数の王国があり、様々な部族が生活していたと考えられている。

・当時の統治や部族に関する記録はほとんど残っていない。

・現在のボボ・ディウラッソ(西部の都市)にグウィリコと呼ばれる王国が創設され、ダイアン、ロビ、ビリフォーなどの民族グループが定住したと考えられている。

1800年代

・1800年代、ブルキナファソは地域に王国を築いたモシ族の支配下に置かれていたと考えられている。

・モシ族は、現在のガーナ北部からブルキナファソにやってきたと考えられている。モシ族は数世紀の間、農民兼兵士として活動し、領土、宗教的信念、社会構造を外部の勢力から守った。

・1896年:現在のブルキナファソを含むサヘル地域はフランスの保護領になった。フランスは対象地域をオートボルタと呼び、フランス領オートボルタの創設を公式に宣言した。

・1897年:地域の強力な統治者サモリ・トゥーレ率いる勢力は東部と西部地域でフランス軍に抵抗したが、領土を奪還することはできなかった。

・1898年:フランス軍はオートボルタの大部分を事実上征服したが、地域軍はその後も各地で抵抗を続けた。

・1898年6月14日:英仏条約に基づき、現在のブルキナファソの国境が確立された。

ブルキナファソ/民家

1900年~第一次世界大戦

・1904年:フランスの植民地帝国の再編の一環として、現在のブルキナファソの領土はセネガル北部とニジェールに統合された。

・1915年:現在のブルキナファソの西部とマリとの国境地帯は、植民地政府に対する最も重要な反乱のひとつと見なされているボルタバニ戦争(1915年11月~1917年2月)の舞台になった。

・ボルタバニ戦争は植民地支配に抵抗する反乱軍とフランス軍の戦いで、1916年の反乱軍の人数は15,000〜20,000人に膨れ上がった。反乱軍は各地で勇敢に戦い、いくつかの勝利を収めたが、最終的にはフランス軍に屈し、指導者は処刑もしくは投獄された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1919年:フランス領オートボルタは「フランス領西アフリカ」の独立した構成地域のひとつになった。

・フランスは武装蜂起の再燃を恐れ、オートボルタの先住民に配慮する政策を実行した。その後、オートボルタの自治政府は自治権を強化するために、現在のセネガル北部とニジェールから分離された。

・1920年代:初代知事に選ばれたフランソワ・チャールズ・アレクシス・エドゥアール・ヘスリングはインフラを改善する野心的な道路建設プログラムを開始し、輸出用の綿花栽培の強化を目指した。しかし、強制的な綿花推進政策は失敗に終わり、地域の収入は伸び悩んだ。

・1932年9月5日:フランス領西アフリカは解体され、コートジボワール、スーダン、ニジェールの3地域に分割された。

ブルキナファソ/子供たち

終戦~現在

・1947年9月4日:フランスは連合の一部として、保護領オートボルタを復活させた。これにより、オートボルタはフランス連合の一部になった。

・1958年12月:オートボルタがフランス連合共同体内の自治共和国としての地位を確立する。これに伴い、オートボルタ共和国はアフリカ共同体に正式に加入した。

・1960年8月5日:オートボルタ共和国がフランスから独立。モーリス・ヤメオゴが初代大統領に就任した。その後、政府は憲法を施行した。

・1960年9月:ヤメオゴ大統領はボルタイック民主連合(UDV)以外の政治活動を禁止した。

・1966年1月3日:軍事クーデター発生。政府の緊縮財政計画に反対するサンゴール・ラミザナ将軍はヤメオゴ大統領を追放し、憲法を停止したうえで、軍事政権を樹立した。

・1970年:ラミオザ大統領は国民投票で承認された新憲法により、新しい大統領を選出すると約束していたが、国内情勢の悪化などを理由に軍事政権を維持すると発表し、新首相にジェラール・ウエドラオゴを指名した。

・1974年:ラミザナ大統領はウエドラオゴ首相を追放し、議会を解散することで権威を再主張した。

・1976年6月14日:新憲法を施行。ラミザナ大統領は文民政府への移行を約束した。

・1977年:議会は新憲法に基づき複数政党制を採用し、ラミザナ大統領は在任を許可された。

・1978年:大統領選挙。ラミオザ大統領は公開選挙で勝利を収めた。

・1980年11月25日:軍事クーデター発生。ラミザナ大統領はセイェ・ゼルボ大佐率いる軍に打倒され、追放された。ゼルボ大佐は軍事回復委員会を国の最高機関と定め、1976年の憲法を廃絶した。

・1982年11月7日:軍事クーデター発生。ジェラール・ウエドラオゴ元首相率いる大衆救済評議会(CSP)はゼルボ大統領を追放した。CSPは政党の結成を禁止したが、文民政府への移行と新憲法の施行を国民に約束した。

・1983年1月:左翼指導者のトーマス・サンカラ大尉が首相に就任したが、右翼曲折を経て逮捕された。

・1983年8月4日:軍事クーデター発生。逮捕されたサンカラ大尉率いる反政府勢力は政府を打倒した。その後サンカラ大統領は大量予防接種、インフラの改善、女性の権利の拡大、国内の農業消費の奨励、砂漠化防止プロジェクトを含む一連の革命的なプログラムを開始した。

・サンカラ大統領の国内政策には全国規模の識字キャンペーン、農民への土地の再分配、鉄道と道路の建設、女性性器切除の非合法化、強制結婚と一夫多妻制の採用なども含まれていた。

・1984年8月2日:サンカラ大統領は国名をオートボルト共和国から「ブルキナファソ」に変更する大統領令に署名した。

・1984年8月4日:議会は国名をブルキナファソに変更する大統領令を承認した。

・1985年12月25日:アガシェ戦争勃発。(ブルキナファソvsマリ)

・1985年12月30日:アガシェ戦争終結。両国は停戦協定に合意した。一連の戦闘の死者数は両軍合わせて100人以上と伝えられている。この戦争はブルキナファソでは「クリスマス戦争」と呼ばれている。

・1987年10月15日:軍事クーデター発生。サンカラ大統領は側近のブレーズ・コンパオレ大尉率いるクーデター軍に屈し、処刑された。サンカラ大統領の遺体は2015年に発掘された。

・1987年10月15日:コンパオレ大尉が大統領に就任した。

・1989年9月18日:2週間のアジア歴訪から戻ったコンパオレ大統領は、側近のレンガニとゾンゴによる軍事クーデター計画を厳しく非難し、二人を逮捕した。その日の夜、二人は即決処刑され、遺体は焼却処理されたと伝えられている。

・1989年12月23日:治安部隊は、ブルキナファソの反政府勢力と協力してクーデターを企てた容疑で民間人30人を逮捕したと発表した。クーデター計画に関与した者たちの安否は明らかにされていない。

・1990年:コンパオレ大統領は限定的な民主改革を実行し、ブルキナファソの民主化を国際社会にアピールした。

・1991年6月2日:新憲法施行。

・1991年12月:大統領選挙。コンパオレ大統領は新憲法に基づく選挙で100%の支持を集め、再選を果たした。

・1992年:初めての複数政党制による議会選挙。コンパオレ大統領の労働運動が過半数を獲得した。

・1998年:大統領選挙。コンパオレ大統領は地滑り的勝利を収めた。

・1999年6月:経済的不満と人権侵害の申し立てに抗議するゼネストが発生した。

・1999年8月:国営の鉱山会社Soremibが国内最大の金鉱山の閉鎖を発表した。

・2000年4月:憲法改正により、大統領の任期が7年から5年に短縮された。

・2000年12月:政府は武器の輸入を監視する国連機関の設立に合意した。この時ブルキナファソは、シエラレオネとアンゴラの反政府勢力への武器の密輸に関与したという申し立てに直面していた。

・2004年4月:軍事法廷は2003年10月にコンパオレ大統領に対するクーデターを企てたとして告発された容疑者13人を裁判にかけた。秘密裁判の結果、ルーサー・オウアリ大尉はクーデターを企てた罪で懲役10年の実刑判決を受けた。

・2005年11月:大統領選挙。コンパオレ大統領圧勝、3期目の当選を決めた。

・2006年12月:首都ワガドゥグーで発生した警察と軍隊の致命的な銃撃戦を受け、地域経済サミットの延期が決まった。

・2007年5月:議会選挙。与党労働運動が過半数を維持。

・2008年4月:地域経済の悪化と賃金の不満に対するゼネストと抗議活動が発生。抗議者たちは賃金の引き上げを要求した。

・2009年4月:議会は選挙に出馬する政党の候補者の少なくとも30%を女性にすることを要求する法案を可決した。

・2010年7月:フランスはブルキナファソ国内でアルカイダによる誘拐が発生する可能性に言及し、国民に旅行を控えるよう警告した。

・2010年11月:新しい金鉱山の運用を開始。テルティウス・ゾンゴ首相は新たな収入源になると期待を表明した。

・2010年11月:大統領選挙。コンパオレ大統領が4期目の当選を果たす。

・2011年3月:警察に拘留された学生が死亡したことを受け、全国各地で数週間にわたる大規模な抗議行動が発生した。

・2011年4月:国軍の兵士数千人が賃金の未払いに抗議する抗議活動を展開。その後、兵士を含む抗議者たちは食糧価格の高騰に抗議し、各地で大規模な集会を開催した。

・2011年7月:第二の都市ボボディウラッソで政府軍と抗議者が衝突。少なくとも7人が死亡し、数百人が負傷した。

・2012年1月:コンパオレ大統領は、警察による捜査の結果、税関長のオスマネ・ギロからスーツケースに入った現金約400万ドル(約4.5億円)を押収したと発表し、ギロを解任した。

・2012年11月コンパオレ大統領は隣国マリとイスラム過激派組織との戦争の解決に向けた交渉を仲介すると発表した。

・2013年4月:オランダの国際司法裁判所は、ニジェールとブルキナファソの数十年にわたる国境紛争を解決した。

・2013年7月:全国各地でコンパオレ大統領の上院創設計画に反対する抗議活動が発生する。野党指導者は上院を創設することで、コンパオレ大統領は権力を維持し続けると主張した。

・2014年1月:コンパオレ大統領の上院創設計画に反対する抗議は激しさを増し、各地で激しい抗議が展開された。

・2014年10月:コンパオレ大統領の任期を5年引き延ばす憲法改正案に反対する抗議活動が発生。その後、抗議はコンパオレ大統領の解任を求める大規模な反乱に発展した。野党関係者は一連の反乱をブルキナファソの黒い春と呼んだ。

・2014年10月30日:軍はすべての政府機関を解散し、夜間外出禁止令を課した。

・2014年10月31日:爆発的な圧力に直面したコンパオレ大統領が辞任。27年に及んだ支配に終止符が打たれた。

・2014年11月:暫定政府は国を運営するための枠組みに合意し、ミシェル・カファンド前外相が暫定大統領に就任した。

・2015年4月:北部の鉱山でルーマニアの警備員が誘拐される。事件後、イスラム過激派組織が犯行声明を発表した。

・2015年4月:暫定議会はコンパオレ前大統領の同盟国に、年内に予定されている大統領選挙と総選挙への出馬を禁じた。

・2015年5月:1987年の軍事クーデターで処刑されたサンカラ元大統領の遺体と思われる遺骨が発見される。これを受け、同氏の死の原因を特定する作業が開始された。

・2015年9月16日:軍事クーデター発生。大統領警備隊(RSP)はカファンド暫定大統領と首相を拘束し、民主主義国家評議会を形成すると宣言した。

・2015年9月22日:軍事クーデターの首謀者であるジルベール・ディエンデレは文民政府の回復を約束し、謝罪した。

・2015年9月23日:カファンド暫定大統領と首相は政権に復帰した。

・2015年9月25日:政府はRSPに解散を命じた。

・2015年9月26日:検察官は9月16日の軍事クーデターに関与したディエンデレ、関係者、4つの政党の資産を凍結した。

・2015年11月29日:総選挙。元首相のロック・マルク・クリスチャン・カボレが元経済財務大臣のゼフィリン・ディアブレを破り、大統領に就任することが決まった。

・2015年12月29日:クリスチャン・カボレが大統領に就任。

・2016年1月7日:クリスチャン・カボレが大統領はポール・カバティエバを首相に指名した。

・2016年1月:イスラムジハード軍が首都ワガドゥグーのホテルとカフェを襲撃、29人を殺害した。犠牲者の多くは外国人だった。

・2016年12月:イスラムジハード軍がマリ国境近くの軍事基地を襲撃し、兵士11人を殺害した。

・2017年2月:サヘル地域の5カ国が対イスラムジハード共同テロ対策部隊の設立に合意。

・2017年8月:首都ワガドゥグーのトルコ料理店でテロ攻撃、民間人18人が死亡した。

・2018年3月:イスラムジハード軍がブルキナファソのフランス大使館を襲撃。ジハード軍の8人を含む16人が死亡した。

・2019年10月11日:マリとの国境近くのサルモシ村のモスクでテロ攻撃が発生、16人が死亡し、2人が負傷した。

・2020年7月8日:ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告により、ジハード軍と戦い死亡したとされる兵士180人(推定)の遺体がブルキナファソ北部で発見されたことが分かった。

・2020年11月:大統領選挙。カボレ大統領は再選を果たすが、北部地域の住民はジハード軍との戦争の影響で選挙に参加できなかった。

・2021年6月4日:ブルキナファソ政府は、ニジェール国境近くのソルハン村で民間人少なくとも100人がジハード軍と思われるテロリストに殺害されたと発表した。

文化(目次に戻る

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・先住民族の文化の中で重要な要素はマスク(仮面)とダンスと伝えられている。

・首都ワガドゥグーには大規模な芸術家コミュニティがいくつか存在する。

・世界的に有名なアフリカ映画テレビ祭のひとつ、FESPACOを毎年開催している。

・主食は米、キビ、トウモロコシ。主菜は野菜と豆類全般、地元で獲れる魚、羊肉、山羊肉。

ブルキナファソ/首都ワガドゥグーの市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、野球、サイクリング、ラグビーユニオン、ハンドボール、テニス、陸上競技、ボクシング。

・全国の町や村は独自のアマチュアサッカーチームを結成している。

・野球とソフトボールの人気が高く、サンホ・ラシィナ選手は日本の高知ファイティングドッグスでプレーしている。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

・マリ北部のサヘル戦争(フランス連合軍vsイスラムジハード軍)に参加している。

・西アフリカ諸国の中では民主主義を尊重する国家と見なされている。

ブルキナファソ/女性たち
スポンサーリンク