フィジー共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:フィジー共和国(Republic of Fiji)

首都:スバ(Suva)

人口:926,276人(2018年推定)

面積:18,274㎢(鹿児島県の2倍)

気候:海洋性熱帯気候
・乾期は6月~10月。(冬)
・雨季は12月~4月。(夏)
・気温は1年を通して安定している。(最低:22~24℃、最高:26~31℃)
・年間降雨量は地域によって多少異なる。内陸部の多い地域は3,000mm以上。
・熱帯低気圧の影響を受けやすい。

・サイクロンの季節は12月下旬から4月上旬。直撃は年に1~2回。
・2016年のサイクロンウィンストン(カテゴリー5)は島全体に甚大な被害をもたらした。
・観光に最適な時期は5月中旬から10月中旬。比較的涼しく、雨が少ない。

経済:
・開発途上国
GDPは54億ドル(2019年推定)
・太平洋諸島最大の経済規模を誇る。
・主要産業は農業とサービス業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(21%)、AUS(15%)、NZ(8%)
・主要輸入パートナーはAUS(19%)、NZ(17%)、シンガポール(17%)
・人口の約30%が貧困ライン以下の生活を送っている。

・主要農作物はサトウキビ、キャッサバ、ココナッツ、サトイモ、生姜、コプラなど。
・慢性的な貿易赤字に悩まされているが、観光産業の黒字で貿易赤字を帳消しにしている。
・人口の約10%が不法占拠した土地や建物で生活している。

人種(民族):
・メラネシア人 56.8%(2015年推定)
・インド人 37.5%
・ロトゥマ人 1.2%
・その他 4.5%

言語:
・フィジー語(公用語)
・英語(公用語)
・ヒンドゥスターにー語
・その他の先住民族の言語

宗教:
・プロテスタント 45%(2007年推定)
・ヒンドゥー教 27.9%
・その他のキリスト教 10.4%
・ローマカトリック 9.1%
・イスラム教 6.3%
・シーク教 0.3%
・無宗教 0.8%
・その他 0.3%

フィジー共和国

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大統領:ジオジ・コンロテ(Jioji Konrote)
首相:ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ(Josaia Voreqe Bainimarama)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は3年。
・行政の長は首相。任期は4年。
・一院制。議員定数は51人。任期は4年。
・第一党は保守的なフィジーファースト党。

法律:フィジー共和国の憲法
・2013年施行。
・司法の独立を保障している。
・多重国籍を許可している。
・新憲法により、これまで認められていなかった多くの権利が認められた。
・同性婚を認めていない。
・ゲイの献血を禁止している。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年3月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:普通
・近年、国内でテロ事件は発生していない。
・イスラム過激派組織や反政府勢力の活動は確認されていない。
・一部地域で強盗、強姦、詐欺、暴行事件が多発している。
・スラム街を拠点に活動している犯罪組織が複数存在する。
・置き引き、引ったくり、スリに注意。
・富裕層を標的にした犯罪が多数発生しているため、高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。

フィジー共和国/リゾートエリア

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数社あると伝えられている。
・国営テレビ局はない。
・民間テレビ局は6局。
・民間ラジオ局は15局。
・国営ラジオ局は1社。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は低い。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ー 年

【民間メディア】
・フィジーワン
・フィジーテレビ
・FBC TV
・太平洋放送サービスフィジー
・スカイパシフィック
・マイTV

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:9,500人(推定)
  即戦力 3,500人
  予備兵 6,000人
  準軍組織 0人

・陸軍と海軍を保有。

・国防予算:1億ドル(推定)

フィジー共和国/軍隊

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1700年代

・1700年代、ヨーロッパの漁師や商人はフィジーの近海で積極的に活動していた。

・フィジーの先住民族は島に上陸した異人をほとんど受け入れたが、占領を試みようとする者たちには攻撃を仕掛けた。

・1774年、イギリスの航海士、ジェームズ・クックがフィジーと周辺の島々に到着した。クックはフィジー諸島を「ブライ諸島」と呼び、捕鯨とナマコ漁の輸出拠点に理由できると紹介した。

・1790年代、捕鯨者とナマコ商人が先住民族との本格的な接触を開始した。

・捕鯨者とナマコ商人は商品を島に提供したうえで、先住民族の曹長に海沿いのエリアを使用させてほしいと提案した。

1800年代

・1820年、捕鯨者とナマコ商人たちはオバラウ島にヨーロッパスタイルの町を設置した。

・イギリスとアメリカの商人たちは島に魚介類の加工所を建設し、アジアやヨーロッパに様々な商品を出荷した。

・1820年代後半、米英の商人はフィジーの先住民族を労働者として雇い、見返りに銃や弾丸を与えた

・1830年代、キリスト教の宣教師が島に定住し始める。

・1840年代、フィジー諸島のほぼ全てにヨーロッパ人が入植し、先住民族と労働契約を結んだ。

・1850年代初頭、キリスト教に反対する一部の先住民族の酋長がキリスト教徒に宣戦布告した。しかし、フィジーの大半を支配していたイギリス人は軍に支援を求め、酋長に圧力をかけた。

・1854年、イギリス軍がフィジー諸島の海上を封鎖。キリスト教に宣戦布告した酋長たちは武器を捨て、キリスト教への改宗に同意した。

・1871年、イギリス海軍の元中尉、ジョージ・オースティンウッズと先住民族の酋長たちが自治政府を設立。フィジー諸島のほとんどの酋長がオースティンウッズの提案に同意した。

・1871年6月5日、「フィジー王国」がイギリスの統治システムから独立することを宣言。郵便サービス、通貨システム、税制、裁判所、警察システムを迅速に確立した。

・1871年~1874年、イギリスの統治を受け入れる部族と民族主義者による戦闘が各地で発生した。(フィジー内戦)

・一連の内戦の正確な死者数は不明。非武装の民間人も戦いに巻き込まれ、数千人が処刑されたと伝えられている。

・1874年3月21日、フィジー王国の先住民族がイギリス軍の支配を受け入れる。

・1874年9月23日、イギリスのハークルス・ロビンソンがフィジーの初代知事に就任。

・1874年10月10日、先住民族の酋長たちがイギリスの植民地支配を公式に受け入れる。(イギリス領フィジー誕生)

・1875年から1876年、フィジーおよび周辺の島々で麻疹が大流行し、当時の先住民の約3分の1、40,000人以上が死亡した。

・1875年6月、アーサー・ハミルトン・ゴードンが知事に就任。

・1875年末、一部の先住民族がゴードン知事の支配に抗議し、紛争に発展した。

・1876年10月、ゴードン知事が紛争の終結を宣言。一連の戦闘で先住民族の戦闘員数十人が死亡した。

・1890年代、インドの労働者数十万人がサトウキビ農園で働くためにフィジーに移住した。

フィジー共和国/ビーチ

1900年~第一次世界大戦

・フィジーは第一次世界大戦に関与していない。

・1904年、議会の見直しが行われ、優秀なヨーロッパ人が議員に就任した。しかし、先住民族の酋長はこれに異議を唱え、イギリスに圧力をかけた。

・1904年末、新議会発足。イギリスは先住民族の酋長が指名した議員の就任も一部認めた。

:1916年、インド人の代表者が初めて議会に加入。

・イギリス政府はフィジー人の兵役を許可しなかったが、イギリス連邦加盟国として第一次世界大戦に参加したいと主張する若者は後を絶たなかった。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・イギリス人入植者は各地にプランテーションや砂糖工場を建設し、フィジー人を労働者として雇った。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・イギリス政府は先住民族を戦争に参加させないという方針を覆し、フィジー歩兵連隊の結成を承認した。連隊はオーストラリアとニュージーランド軍に所属した。

・フィジーは連合軍の訓練基地として利用され、ナンディに空港が整備された。

・フィジー人は激戦地になったソロモン諸島での戦闘(連合軍vs大日本帝国)で活躍したと伝えられている。

・フィジー人は戦地でヨーロッパ人とは異なる待遇を受けたことに憤慨し、入隊を拒否する者が続出した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

終戦~現在

・1953年、憲法改正。議会の定数を19人から32人に拡大した。

・1950年代、多くの先住民族の酋長たちはインド人コミュニティに政治を支配されることを恐れ、イギリスに植民地支配を継続してほしいと訴えた。しかし、第二次世界大戦の負債と後遺症に直面していたイギリスは植民地を手放すことをすでに決めていた。

・1963年、イギリス議会がフィジー議会に権限を委譲。

・1965年7月、ロンドンで植民地の憲法を話し合う憲法会議が開催された。これを受け、インド人コミュニティの代表者はイギリスの憲法に倣い、公正かつ公平な選挙システム、参政権、その他のルールを定めるよう求めた。一方、インド人の支配を恐れる先住民族の酋長は、新憲法ではなく植民地体制を継続するよう求めた。

・1970年4月、イギリス議会がフィジーの完全なる主権を認める決議案を可決。

・1974年10月10日、「フィジー共和国」が独立を宣言し、イギリス連邦に加盟した。

・1974年11月、議会選挙。先住民族で構成される同盟党が議席の過半数を獲得した。

・1977年3月、議会選挙。インド人主体の国民連邦党が議席の過半数を獲得したが、リーダーシップの欠如と、一部の関係者が先住民族と衝突したため、議会を形成できなかった。

・1977年9月、議会選挙。同盟党が52議席中36議席を獲得した。

・1987年4月、議会選挙。ティモシー・バヴァドラ率いるインド連合が過半数を獲得し、インド人主体の政府が発足した。

・1987年5月14日、軍事クーデター発生。国連平和維持軍で活動していたシチヴェニ・ラブカ中佐はパヴァドラ首相と政府閣僚を拘束し、新政府の樹立を宣言した。

・1987年5月15日、ラブカ首相はエリザベス2世に忠誠を尽くすと宣言したが、イギリス議会は軍事政権を承認せず、憲法に従うよう促した。

・1987年9月25日、ラブカ首相が憲法廃止を宣言、ティモシー・バヴァドラ元首相を国外に追放した。

・1987年10月10日、イギリス連邦から離脱。ラブカ首相が初代大統領に就任した

・1987年10月11日、フィジーの英連邦離脱は広範な非難を巻き起こし、インド、オーストラリア、ニュージーランドを含む諸外国はラブカ政権の承認を拒否した。

・1987年12月6日、ラブカ大統領が諸外国の圧力に屈し、辞任。

・1987年12月8日、大統領選挙。ペナイア・ガニラウが大統領に就任した。

・1990年、ガニラウ政権が先住民族間の差別を禁止する新しい憲法を起草。議会は酋長の許可を得たうえで、新憲法を施行した。

・1992年、議会選挙。1987年の軍事クーデターを主導したシチヴェニ・ラブカ中佐が、新憲法の下で行われた民主的な選挙で議会に復帰し、首相に任命された。

・1995年、憲法審査委員会設立。

・1997年7月、新憲法起草。先住民族、フィジー人、インド人の指導者は新憲法を支持した。

・1997年10月、新憲法施行。議会はイギリス連邦に復帰する決議案を賛成多数で可決した

・1999年5月、議会選挙。インド人のマヘンドラ・チョードリーが首相に就任した。

・2000年5月19日、クーデター発生。ジョージ・スパイト率いる民族主義者がチョードリー首相と議員を人質にとり、1カ月半以上議会に立てこもった。

・2000年7月、治安部隊が軍事クーデターを引き起こしたスパイトと関係者を逮捕。先住民族の酋長たちは元銀行家でクーデターに関与したライセニア・ガラセを暫定首相に任命した

・2001年、議会選挙。民族同盟党が過半数を獲得し、ガラセが首相に就任した。

・2005年、ガラセ政権は2000年のクーデターに関与した容疑者たちに恩赦を与える和解統一委員会を設立すると提案したが、軍最高司令官のジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ将軍はこの法案に強く反対した。バイニマラマ将軍はクーデターに関与したガラセ首相に恩赦を与えるべきではないと主張した。

・2006年11月、ガラセ政権が和解統一委員会を設立する法案を議会に提出。バイニマラマ将軍はこれに強く反発し、議会を解散するよう圧力をかけた。

・2006年11月29日、ガラセ首相とバイニマラマ将軍がニュージーランドの仲介で会談。

・2006年12月3日、バイニマラマ将軍が政権を奪取し、暫定大統領に就任した。

・2007年1月4日、バイニマラマ暫定大統領が新首相に就任。ラトゥ ジョセファ・イロイロを大統領に指名した。

・2009年4月9日、控訴裁判所は、2006年のクーデターおよび新政権樹立は違憲であると判決を下した。この判決を受け、イロイロ大統領は憲法を廃止し、裁判官と中央銀行総裁を含む憲法に基づく役職者をひとり残らず解任した。

・2009年4月10日、イロイロ大統領は新民族政権の樹立を宣言し、バイニマラマを首相に任命したうえで国内旅行を制限し、報道機関への検閲を許可する「公的緊急規制」を発効すると発表した。

・2009年4月11日、バイニマラマ首相が議会選挙は2014年まで行わないと宣言。

・2013年9月、新憲法施行。

・2014年9月、議会選挙。バイニマラマ首相のフィジー第一党が過半数を獲得した。

フィジー共和国/先住民族の踊り

文化(目次に戻る

・先住民族、インド、ヨーロッパの文化が混ざり合っている。

・先住民族は家族と土地を最重要視している。

・メケと呼ばれるフィジー固有のダンスが有名。

・近年は西側と中国の文化を積極的に取り入れている。

・主食は米と小麦。主菜はキャッサバ、サトイモ、シーフード全般、猪肉、地元の野菜。

・デザート文化が古くから定着している。人気デザートはカスタードやカボチャのパイ、蒸しプリン。

・ココナッツをこよなく愛している。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はラグビー。

・三度の飯よりラグビーを愛している。

・その他の人気スポーツはサッカー、バスケットボール、ネットボール、レスリング、ボートレース。

・フィジースポーツ協会は自己資金(主にスポンサー料)で運営されている。

・7人制ラグビーの代表チームはワールドカップを2度制覇している。

7人制ラグビーの代表チームは2016年のリオ五輪で同国初の金メダルを獲得した

・政府は五輪初の金メダルを獲得日を国民の祝日に指定した。

フィジー共和国/ラグビー代表チーム

その他(目次に戻る

現職のジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ首相はクーデターで政権を奪取した

・先住民族間の差別問題は新憲法で大方解消したが、LGBTの権利はほとんど認めていない。

フィジー共和国/カフェ
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