コンテンプト・オブ・コート 1-3
2018年3月。ニューヨーク市マンハッタン。午後10時54分。
「ジョニー」
廊下から、もう一度声がした。
ジョニーは振り返らなかった。
マイクも動かなかった。
部屋にいる男たちの視線だけが、ドアへ向けられている。
「誰だ?」
部下の一人が小声で聞いた。
ジョニーが答えた。
「知らない」
「でも、名前を……」
「黙れ」
ジョニーはマイクを見た。
「お前の仕業か?」
「違う」
「なら誰だ?」
「俺に聞くな」
マイクは床に置かれた自分の革鞄を見た。
さっき部下が調べた鞄だ。
ジョニーも視線を追った。
「何だ?」
「鞄を返してくれ」
「何をする?」
「仕事だ」
「ここで?」
「ここだからだ」
ジョニーは部下に目を向けた。
「渡せ」
男が革鞄を持ってきた。
マイクは受け取ると、机の上に置いた。
鍵を開ける。
中から薄いファイルを取り出した。
ジョニーが眉をひそめる。
「何だ、それは?」
「税務記録」
「誰の?」
マイクはファイルを開いた。
「お前たちのだ」
ジョニーの表情が変わった。
「何を言ってる?」
「正確には、お前たちが関係している会社の記録だ」
マイクは一枚の紙を抜いた。
「テラ・インフラテック」
ジョニーの部下が顔を見合わせる。
「次に、関連会社のノース・スター・ロジスティクス」
もう一枚。
「それから、ダウンタウンの不動産管理会社」
さらに一枚。
「三社とも別法人だ。代表者も違う。登記上はな」
ジョニーが近づいた。
「それが何だ?」
「銀行口座を調べれば分かる」
マイクは書類を机に並べた。
「同じ日に、同じ金額が動いている」
「偶然だ」
「三年間、毎月?」
ジョニーは黙った。
マイクは別の紙を出した。
「建設工事の架空請求」
また一枚。
「従業員への脅迫費用」
また一枚。
「現金で処理された裏金」
ジョニーの部下が拳銃を握り直した。
「その書類をよこせ」
マイクは首を振った。
「嫌だ」
「殺されたいのか?」
「さっきからそればかりだな」
マイクはファイルを閉じた。
「もっと面白い話をしよう」
ジョニーが睨む。
「何だ?」
「この記録はここにある一部じゃない」
マイクは自分の頭を指で軽く叩いた。
「コピーしてある」
「どこに?」
「クラウド」
「嘘だ」
「そう思うなら撃てばいい」
ジョニーは黙った。
マイクは落ち着いていた。
「俺を殺しても記録は消えない」
「誰が持っている?」
「複数の場所にある」
「誰だ?」
「それを教える理由がない」
ジョニーはマイクの胸ぐらをつかんだ。
「遊んでるのか?」
「遊んでない」
「じゃあ何が目的だ?」
「依頼人を返せ」
「それだけか?」
「今はな」
ジョニーの手に力が入る。
マイクは視線を落とした。
「その手を離せ」
「嫌だ」
「なら、そのままでいい」
マイクはファイルを開いた。
「このページを見ろ」
ジョニーが見る。
そこには送金記録があった。
日付。
金額。
口座番号。
会社名。
そして、別の会社への送金。
マイクは指で一行を示した。
「この金」
「……」
「テラ・インフラテックから出ている」
「だから?」
「三日後に別会社へ移されている」
「合法的な取引だ」
「その会社は三日前に設立された」
ジョニーの顔から表情が消えた。
「それがどうした」
「設立した翌日に口座を開設」
マイクは次の行を指した。
「翌週には全額を現金化」
「普通の事業だ」
「事務所が存在しない」
ジョニーは答えなかった。
「従業員もいない」
マイクはページをめくる。
「電話番号はプリペイド携帯」
もう一枚。
「住所は空き店舗」
最後の一枚。
「そして、税務申告では売上ゼロ」
マイクはファイルを閉じた。
「便利な会社だな」
部屋の空気が重くなった。
ロウが小さく息を吐いた。
「マイク……」
「大丈夫だ」
マイクはロウを見た。
「もう終わる」
ジョニーが低い声で言った。
「その記録をどうする?」
「公表する」
「どこに?」
「インターネット」
「馬鹿な」
「今の時代、新聞社に持ち込む必要はない」
マイクはスマートフォンを取り出した。
ジョニーの部下が銃を向ける。
「動くな」
「もう動いた」
マイクは画面を見せた。
「予約投稿を設定してある」
ジョニーが画面を見る。
「何時だ?」
「午前零時」
「あと一時間もない」
「そうだな」
「止めろ」
「依頼人を解放したらな」
ジョニーはマイクを睨んだ。
「お前、本当に弁護士か?」
「弁護士資格を持っている」
「こんな脅しをする弁護士は初めてだ」
「俺もこんな依頼人を助けるのは初めてだ」
ロウが苦笑した。
ジョニーは笑わなかった。
「記録を公開したら、お前も無事では済まない」
「分かってる」
「コールを敵に回すことになる」
マイクはその名前を聞いた。
一瞬だけ目が止まった。
「コール?」
ジョニーは何も言わなかった。
マイクはその反応を見逃さなかった。
「ケンドリック・コール」
ジョニーの目が鋭くなる。
「誰から聞いた?」
「お前の顔」
「何?」
「名前を出した瞬間、顔が変わった」
ジョニーは拳を握った。
「探偵ってのは嫌な仕事だな」
「そうでもない」
マイクはファイルを閉じた。
「人間は嘘をつく。でも、金の流れは嘘をつかない」
ジョニーは部下たちを見る。
誰も口を開かなかった。
「依頼人を解放しろ」
マイクが言った。
「今すぐだ」
ジョニーは動かない。
マイクも動かない。
壁時計の秒針だけが音を立てていた。
午後10時56分。
あと一時間あまり。
ジョニーはようやく口を開いた。
「お前、俺たちを本当に脅してるつもりか?」
マイクは答えた。
「脅しじゃない」
「何だ?」
「通知だ」
「違いは?」
「脅しなら、俺の要求を拒否すれば何かが起きる」
マイクはジョニーを見る。
「これは違う」
「どう違う?」
「拒否した時点で、もう起きる」
ジョニーは沈黙した。
マイクはロウの方へ歩いた。
銃口が一斉に動く。
「座れ」
「嫌だ」
「止まれ」
マイクは止まった。
「銃を下ろせ」
「お前が先だ」
マイクはスマートフォンを見せた。
画面には一つの表示が出ている。
予約投稿 23:59
ジョニーがそれを見た。
「止めろ」
「ロウを解放しろ」
「先に止めろ」
「順番が違う」
マイクは言った。
「俺は依頼人を取り戻す」
ロウが顔を上げる。
「マイク……」
「黙ってろ」
マイクはジョニーから目を離さない。
「俺の仕事を邪魔するなら、その瞬間にお前たちの会社は世界中から注目される」
ジョニーの顔から血の気が引いた。
マイクは静かに続けた。
「だから選べ」
部屋には誰も動かなかった。
雨音だけが窓を叩いていた。
そしてジョニーは、初めてマイクをただの弁護士ではなく、一人の敵として見た。
