SHARE:

コンテンプト・オブ・コート 1-8

2018年3月。ニューヨーク市マンハッタン。午前9時14分。

ローリー・ブルックスは、事務所の前に立っていた。

六年間使った法律事務所だった。

看板には、

BROOKS LAW OFFICE

と書かれている。

入口のガラス扉には、昨夜まで貼られていなかった紙が一枚あった。

弁護士会からの業務停止通知。

六か月。

ローリーは紙を外した。

丸めてバッグに入れる。

鍵を取り出した。

ドアを開ける。

中は静かだった。

机が四つ。

応接用のソファ。

法律書が並んだ本棚。

壁には過去に担当した裁判の記録写真が数枚ある。

ローリーは自分の机の前で止まった。

机の上には書類が積まれていた。

依頼人からの手紙。

裁判記録。

請求書。

すべて、もう触れられない。

業務停止中は弁護士として仕事ができない。

ローリーは机の引き出しを開けた。

名刺入れを取り出す。

自分の名前。

LAURIE BROOKS

その下に、

ATTORNEY AT LAW

とある。

ローリーは名刺を一枚取り出した。

しばらく見た。

そして引き出しへ戻した。

電話が鳴った。

ローリーは受話器を取った。

「ブルックスです」

相手は事務員だった。

「先生、昨日の件ですが……」

「もう先生じゃないわ」

「すみません」

「気にしないで」

「荷物はどうします?」

ローリーは室内を見回した。

「全部処分して」

「全部ですか?」

「私物だけ残して」

「分かりました」

「それと」

「はい」

「私が戻るまで、ここを誰にも貸さないで」

「六か月ですよ?」

「分かってる」

電話を切った。

ローリーはバッグを持った。

もう一度、事務所を見た。

感傷はなかった。

ただ、長く使った場所を確認しているだけだった。

扉を閉める。

鍵を掛ける。

そして歩き出した。

その先に、一台の車が停まっていた。

黒いセダン。

運転席にはマイク・ハンターがいた。

マイクはエンジンを切ったまま、ローリーを見ていた。

ローリーは気づかない。

歩道を歩いていく。

マイクは車内から黒い手帳を取り出した。

ページを開く。

そこには、いくつかの名前が書かれていた。

その中の一つに目を止める。

LAURIE BROOKS

マイクは手帳を閉じた。

視線を上げる。

ローリーがタクシーに乗り込んだ。

車が走り出す。

マイクは追わなかった。

携帯電話が鳴る。

画面には、アンカレッジのニュース記事が表示されている。

マイクは記事を開いた。

画面には大きな見出しが出ていた。

ANCHORAGE MAYOR MURDER CASE

アンカレッジ市長殺害事件。

市長が自宅近くで射殺された事件。

容疑者はすでに拘束されている。

裁判開始まで十四日。

担当裁判官は、マリベル・ヴァレンタイン。

マイクは記事を最後まで読む。

その下に、被告人の名前があった。

カーター。

マイクはその名前を記憶した。

携帯電話を閉じる。

車を発進させた。


ローリーは空港へ向かっていた。

タクシーの後部座席。

バッグの中には着替えと数冊の本だけ。

運転手がミラー越しに言った。

「休暇ですか?」

「違うわ」

「仕事?」

「それも違う」

「じゃあ?」

ローリーは窓の外を見た。

「帰るの」

「どこへ?」

「アラスカ」

運転手が驚いた。

「ニューヨークから?」

「そう」

「寒いですよ」

「知ってる」

「アラスカに家が?」

「父親がいる」

それ以上は答えなかった。

タクシーは空港へ向かった。

ローリーはバッグから一冊の本を取り出した。

表紙には一人の女性裁判官の写真がある。

著者名。

MARIBEL VALENTINE

マリベル・ヴァレンタイン。

ローリーが尊敬する裁判官だった。

ローリーはページを開いた。

何度も読んだ本だった。

法廷での判断。

証拠の扱い。

裁判官としての責任。

そこには、ローリーが弁護士を続ける理由が書かれている。

ローリーは一行を指でなぞった。

そして本を閉じた。

昨日、自分が法廷で裁判官を押したことを思い出す。

ローリーは目を閉じた。

数秒後、開いた。

「……最悪」

そう呟いた。

しかし、表情は変わらなかった。


数時間後。

アンカレッジ。

空港の到着ロビー。

ローリーはキャリーバッグを引いて歩いていた。

人は少ない。

ニューヨークとは違う。

音が少ない。

広い。

外へ出る。

冷たい空気が頬に当たった。

ローリーは立ち止まった。

久しぶりの故郷だった。

タクシー乗り場へ向かう。

その途中、空港内の大型モニターが目に入った。

ニュース番組が流れている。

画面にはアンカレッジ市長殺害事件の映像。

ニュースキャスターが事件を説明している。

「アンカレッジ市長殺害事件の裁判は、十四日後に始まる予定です」

ローリーが足を止める。

「被告人は現在、アンカレッジ拘置施設に収容されています」

画面が切り替わる。

裁判所の映像。

その名前が表示される。

マリベル・ヴァレンタイン判事

ローリーは画面を見た。

「マリベル判事……」

尊敬する人物だった。

ローリーは本をバッグに戻した。

タクシーに乗る。

「どちらまで?」

ローリーは住所を告げた。

「トーマス・ブルックスさんの店まで」

運転手が車を出す。

ローリーは窓の外を見る。

見慣れた景色が流れていく。

二十代でニューヨークへ出た。

弁護士になった。

そして、半年間の業務停止処分を受けて戻ってきた。

父親には、まだ電話していない。

何を言えばいいのか分からない。

だが、会えば分かる。

そう思っていた。

その頃。

アンカレッジ国際空港の別の出口から、一人の男が出てきた。

マイク・ハンター。

黒いコート。

片手には小さなバッグ。

もう片方の手には黒い手帳。

マイクは空港の外へ出た。

冷たい風が吹く。

マイクは立ち止まり、遠くの山を見た。

二十年ぶりのアンカレッジだった。

母親が死んだ町。

戻るなと言われた町。

誰も信じるなと言われた町。

マイクは手帳をポケットに入れた。

そして歩き出した。

二人はまだ、お互いの存在を知らない。

だが、二十年の時間を挟んで、同じ町に戻ってきていた。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします
あなたへのおすすめ