インドの死刑制度:抑止効果の欠如と報復主義的な傾向
インドの死刑制度を今後どのように扱うべきかという問題は、単純に「死刑を残すか廃止するか」という二者択一だけでは捉えきれない。
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現状(2026年9月時点)
インドは2026年9月現在も死刑制度を維持している国である。ただし、死刑が犯罪に対する通常の刑罰として広範に適用されているわけではなく、インド最高裁判所は死刑を例外的な刑罰と位置づけ、生命刑、すなわち終身刑を原則として、死刑は「最も稀なケース(rarest of rare)」に限定すべきだという判例法理を形成してきた。
近年のインドでは、死刑判決そのものが存在し続ける一方、上級審、とりわけ最高裁判所による死刑確定には極めて慎重な姿勢がみられる。「The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)」の最新統計によると、2025年末時点で574人が死刑判決を受けた状態にあり、その内訳は男性550人、女性24人であった。また2023年から2025年までの3年間、最高裁判所は死刑判決を一件も確定させておらず、2025年には10人を無罪としたと報告されている。
この状況は、インドの死刑制度を単純に「死刑を積極的に執行する制度」と理解することの難しさを示している。実際には、第一審で死刑判決が下されても、高等裁判所や最高裁判所で再検討され、終身刑への減刑、再審理、無罪判決などに至る可能性が存在するためである。
一方で、死刑をめぐる社会的・政治的議論が弱まっているわけではない。凶悪な殺人事件や性犯罪などが発生すると、被害者や家族に対する正義の実現という観点から死刑を求める世論が形成されることがあり、メディア報道や政治的言説がその圧力を強める場合もある。英国政府が2025年に公表したインドの司法制度に関する国別資料でも、インドでは死刑が広く支持されているとされ、とりわけ残虐な性犯罪に対する社会的憤激が死刑支持と結びついていることが指摘されている。
したがって、現在のインドの死刑制度を分析する際には、「死刑が法律上存在するか」という一点だけでは不十分である。重要なのは、死刑がどのような犯罪に対して求められ、裁判所がどのような基準で死刑と終身刑を区別し、さらにその判断に被害者感情、社会的良心、世論、犯罪抑止という複数の価値がどのように入り込んでいるのかを検討することである。
さらに2026年には、死刑執行方法についても司法上の議論が続いている。2026年8月、インド最高裁判所は絞首刑を死刑執行方法として廃止するよう求めた申立てを退けた一方、将来的に新しい科学的・医学的証拠が示されれば別の方法を検討する余地を認め、政府による専門家委員会の設置にも言及したと報じられている。これは死刑制度そのものだけでなく、「国家がどのような方法で生命を奪うことを許されるのか」という刑罰の人道性も、なお議論の対象となっていることを示す。
法制上の位置づけと「最も稀なケース」の原則
インドにおける死刑の法的位置づけを理解するうえで中心となるのが、最高裁判所が1980年の「Bachan Singh(バチャン・シン)事件」で示した「rarest of rare(稀有の中の稀有)」の原則である。この判例では、死刑は通常の刑罰ではなく例外的な刑罰であり、終身刑が原則、死刑は例外という基本構造が示された。
この考え方は、その後の最高裁判例によって繰り返し確認されてきた。2023年の最高裁判決でも、「life sentence is a rule and death is an exception(無期刑・終身刑が原則であり、死刑は例外である)」、つまり生命刑が原則で死刑が例外であるとの法理が明確に確認され、「最も稀なケース」の判断は個々の事件の事情によって行われるとされた。
ここで重要なのは、単に犯罪が重大であるというだけでは、直ちに死刑が正当化されるわけではないという点である。最高裁判例では、犯罪の性質だけでなく、犯人の人格、背景、犯行に至った事情、更生可能性などを含めて量刑を個別化することが求められてきた。
この考え方には、刑罰を「犯罪に対する機械的な反応」としてではなく、「個々の犯罪者にどの刑罰が相当なのか」という観点から決定するという近代刑法上の重要な原則が含まれている。特に死刑は不可逆的な刑罰であるため、後になって誤判が判明した場合に完全な回復が不可能となることから、通常の自由刑よりも厳格な判断が必要になる。
しかし、実際の裁判において「最も稀なケース」が完全に客観的な基準として機能しているかについては、重大な疑問が残されている。Project 39Aによるインド最高裁の死刑判決研究では、死刑判断における更生可能性の検討が十分ではないケースが確認されており、最高裁が死刑を確定した50人の事件のうち34人、すなわち68%について、判決文で更生の問題が扱われていなかったと分析されている。
この問題は、死刑制度における「犯罪の重大性」と「犯罪者の更生可能性」という二つの評価軸が衝突することを意味する。犯罪が極めて残虐であればあるほど、裁判所や社会は犯罪そのものに強く注目しやすくなるが、死刑の適用を例外に限定するのであれば、本来は「なぜこの人物には終身刑では足りないのか」という積極的な説明が必要になる。
つまり、「最も稀なケース」という原則は、単に「非常に残酷な犯罪だから死刑」という意味ではない。むしろ、犯罪の重大性を認めたうえで、それでもなお終身刑では不十分であり、かつ当該犯罪者に死刑を科すことが刑罰体系上やむを得ないのかを検討するための高度な量刑原則として理解する必要がある。
この点からみると、インドの死刑制度には二つの異なる側面が存在する。一方では、死刑を例外に限定することで国家による生命剥奪を抑制しようとする司法的制約が存在し、他方では、重大犯罪に対する社会的憤激や被害者感情を背景として、死刑を要求する強い社会的圧力が存在するのである。
この二つの力の緊張関係こそが、インドの死刑制度を理解する重要な出発点となる。法理上は「例外」であるにもかかわらず、凶悪犯罪が社会に衝撃を与えた際には、死刑が「正義」の象徴として要求されることがあり、この現象が後に検討する「報復主義的な傾向」と深く関係してくる。
抑止効果の欠如(科学的・統計的検証)
死刑制度を存続させる最も強力な実利的根拠の一つは、「極めて重い刑罰を科すことで、将来の犯罪を思いとどまらせることができる」という抑止論である。理論的には、犯罪者が刑罰の重さを合理的に計算し、死刑という究極的な不利益を避けるために犯罪を実行しなくなるならば、死刑には生命を奪うこととは別に社会全体の犯罪を減少させる機能があることになる。
しかし、ここで問題となるのは、死刑が存在することと、それによって犯罪が減少することは同じ命題ではないという点である。科学的に検証すべきなのは「死刑制度がある国・地域では犯罪が少ないか」だけではなく、「死刑を執行することによって、終身刑など他の重い刑罰を科した場合よりも追加的な抑止効果が生じるか」という、より厳密な因果関係である。
この点について、米国のNational Research Council(全米研究評議会)は2012年、死刑と殺人率の関係を扱った多数の研究を検討した結果、既存研究には重大な方法論上の問題があり、死刑が殺人率に与える影響について科学的な結論を導くには不十分だと評価した。研究によって「抑止する」「影響がない」「逆に殺人を増加させる」と結論が分かれており、研究結果そのものが一貫していなかったためである。
特に重要なのは、死刑の抑止効果を分析する場合、単純な相関関係では足りないということである。例えば死刑執行が多い地域で殺人率が低かったとしても、それが死刑によるものなのか、警察活動、社会経済的条件、銃器規制、貧困率、教育水準、人口構成など別の要因によるものなのかを分離しなければならない。
また、死刑執行件数が少ない場合には統計的検出力そのものが弱くなる。さらに犯罪者の行動は、刑罰の重さだけで決まるものではなく、逮捕される確率、捜査能力、裁判の迅速性、社会的環境、薬物やアルコールの影響、衝動性、精神状態など複数の要因によって左右される。
このため、刑罰研究では「刑罰がどれほど重いか」だけでなく、「捕まる可能性がどれほど高いか」という確実性の問題が重要になる。死刑をさらに重くしても、犯罪者が逮捕される可能性を低く認識しているなら、理論上の刑罰の重さが実際の行動抑制につながらない可能性がある。
死刑の抑止効果をめぐる議論では、この「合理的な犯罪者」という前提そのものにも問題がある。計画的で長期的な犯罪の場合には刑罰を計算する余地がある一方、激情、衝動、薬物、精神状態、家庭内暴力などが関係する犯罪では、犯罪実行時に将来の死刑を冷静に計算しているとは限らない。
したがって、死刑という極端に重い刑罰を設定すれば、それだけ比例して犯罪が減少するという単純なモデルは、現実の犯罪行動を十分に説明できない。少なくとも現在までの主要な科学的研究からは、「死刑には終身刑を超える明確で安定した抑止効果がある」と断定できるだけの証拠は確立されていない。
犯罪発生率への影響のなさ
インドについても、死刑制度と犯罪発生率を直接結びつけることには慎重さが必要である。インドは人口規模が極めて大きく、州ごとの社会経済状況、警察制度、司法アクセス、都市化、教育、所得格差などが大きく異なるため、全国の犯罪統計だけから死刑の効果を抽出することは容易ではない。
さらに、死刑判決や執行の件数そのものが犯罪全体に対して非常に限定的であることも重要である。2026年2月に公表された「The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)」の2025年年次統計では、2016年から2025年までの10年間にインドで死刑判決を受けた者は累計1,279人とされているが、これは同国で発生する膨大な数の犯罪全体と比較すればごく一部である。
ここから直ちに「死刑は犯罪発生率に何の影響も与えない」と統計学的に断定することも適切ではない。むしろ正確な表現は、「死刑制度の存在によって犯罪発生率が低下したという明確な因果関係を確認することは困難であり、死刑が他の重刑より優れた抑止効果を持つことを示す確固たる証拠も確認されていない」というものである。
これは重要な区別である。科学的研究において「効果がない」と「効果があることを証明できない」は同じ意味ではなく、データ上の限界を考慮するなら、死刑の犯罪抑止効果については後者の表現の方が妥当である。
したがって、死刑制度を維持する根拠を「犯罪を減らすため」と限定するなら、その政策的正当性には相当な検証が必要になる。死刑が終身刑などの代替刑よりも優れた抑止効果を持つことが証明されていない以上、死刑の必要性を犯罪抑止だけから説明することは困難だからである。
犯罪者の心理的特性
死刑の抑止効果を検討するためには、犯罪者が実際にどのような心理状態で犯罪を実行するのかを見る必要がある。犯罪者を常に「刑罰を合理的に比較して最も利益の大きい選択をする人間」と想定すると、現実の犯罪行動を過度に単純化することになる。
特に殺人などの重大犯罪では、犯罪実行時の心理状態が多様である。計画的な犯罪も存在する一方、怒り、嫉妬、恐怖、復讐、対人葛藤、衝動性などによって行動が急激にエスカレートするケースもあり、その瞬間に「死刑になる可能性」を冷静に計算しているとは限らない。
この問題は、死刑が「犯罪者の恐怖心」を刺激することで犯罪を防ぐという単純なモデルに疑問を投げかける。犯罪者が逮捕されるとは考えていない場合、たとえ死刑が存在しても、それは犯罪行動を直接抑制する要因にならないからである。
さらに、性犯罪や家庭内暴力などでは、犯罪者と被害者の関係性、支配欲、衝動性、社会的孤立などが重要な要因になることがある。こうした犯罪では刑罰の最大値を引き上げるだけで犯罪そのものを予防できるとは限らず、早期発見、被害者保護、警察へのアクセス、加害者への介入など別の政策手段が必要になる。
この観点から見ると、死刑は「犯罪が起きた後」に国家が加える究極的な刑罰であるのに対し、犯罪抑止政策は本来、犯罪が起きる前の段階にも作用しなければならない。したがって、死刑制度を犯罪対策の中心に置くことには構造的な限界がある。
インド法委員会の指摘
この問題をインド自身がどのように評価してきたかを考えるうえで重要なのが、インド法委員会(Law Commission of India)の第262号報告書「The Death Penalty(死刑)」である。これは2015年に公表された報告書であり、インドの死刑制度について、憲法、犯罪政策、抑止効果、誤判、社会的弱者への影響などを包括的に検討した重要な政府系資料である。
第262号報告書の意義は、死刑存廃を単なる道徳的対立として扱うのではなく、「死刑を維持することで具体的な社会的利益が得られるのか」という刑事政策上の問題として検討している点にある。特に死刑の抑止効果については、既存の国際的研究を検討し、死刑が終身刑などの他の刑罰よりも優れた抑止効果を持つという十分な証拠が存在するかについて慎重な態度を示している。
この点はインドの死刑制度を考えるうえで極めて重要である。なぜなら、死刑を正当化するためには「犯罪者を罰する」という応報的理由だけでなく、「将来の犯罪を防ぐ」という功利主義的理由が頻繁に提示されるが、後者について十分な実証的根拠がないなら、死刑の必要性を説明する論拠の一つが弱くなるからである。
もっとも、法委員会の議論をもって「死刑には絶対に抑止効果がない」と結論づけるのも適切ではない。科学的には、抑止効果が存在しないことを完全に証明することと、現在利用可能な研究から特別な抑止効果を確認できないことは別の問題だからである。
むしろ法政策上重要なのは、死刑という不可逆的な刑罰を正当化できるほどの確実な利益が確認されているかという点である。死刑によって失われた生命は、後から誤判が判明しても回復できないため、その刑罰を維持するには通常の刑罰以上に強い根拠が求められる。
さらに、インドの実際の死刑制度を見ると、第一審と上級審との間に判断の差が存在することも確認できる。「The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)」の2025年統計では、2016~2025年の10年間に1,279人が死刑判決を受けた一方、死刑制度の運用は裁判所の段階によって大きく異なり、近年の最高裁判所は死刑確定に非常に慎重な姿勢を示している。
この事実は、インドの死刑制度が単純な「犯罪→死刑」という直線的な仕組みではないことを示している。死刑判決が下されても、その後の司法審査によって生命刑へ変更される可能性があり、制度そのものの不確実性が大きいのである。
ここからさらに重要な問題が浮かび上がる。それは、死刑が犯罪抑止のためというよりも、「極めて重大な犯罪には、それに見合う極めて重い刑罰を科すべきだ」という社会的・道徳的要求によって支持されているのではないかという問題である。
つまり、死刑制度をめぐる議論は、犯罪を将来減少させるための「抑止」という目的から、犯罪者が犯した行為に相応しい苦痛を与えるという「応報」の問題へと移行する可能性がある。次回以降、この転換を詳細に分析することが、インドの死刑制度を理解するうえで重要になる。
ここまでの検討から、死刑の犯罪抑止効果については、強い刑罰であること自体をもって効果が証明されたとはいえないことが分かる。国際的な研究では結果が一致せず、National Research Council(全米研究評議会)も既存研究から死刑と殺人率の因果関係を科学的に確定することはできないと評価している。
インドにおいても、死刑制度が犯罪発生率を明確に低下させたとする確固たる証拠を確認することは難しい。そのため、死刑を支持する理由を「犯罪抑止」だけに求めることには大きな限界があり、むしろ死刑支持の背景にある応報感情、被害者感情、社会的良心、世論の圧力を検討する必要がある。
インドの死刑制度を考える際、単純に「死刑は犯罪を抑止するのか」という問題だけを見ていては、制度が維持されてきた理由を十分に説明できない。死刑には、将来の犯罪を防止するという功利主義的な目的だけでなく、すでに行われた犯罪に対して、それに相応する刑罰を科すという応報的な側面が存在するからである。
インド法委員会の第262号報告書「The Death Penalty(死刑)」は、2015年に公表された包括的な死刑制度研究であり、死刑の抑止効果、誤判、憲法上の問題、社会経済的弱者への影響などを検討している。同報告書は、死刑をめぐる議論を単なる犯罪者への厳罰要求としてではなく、刑罰制度全体の目的と正当性の問題として扱っている。
特に重要なのは、死刑の抑止効果について、終身刑などよりも死刑が優れた犯罪抑止手段であるという確固たる科学的証拠が存在するかという問題である。前回検討したように、国際的な犯罪学研究では死刑と犯罪率の因果関係を明確に確定することは難しく、死刑を維持する根拠を抑止効果だけに依存することには大きな限界がある。
このことは、死刑の正当化根拠が別の領域へ移行する可能性を意味する。すなわち、「死刑によって犯罪を減らせるから必要なのだ」という説明から、「これほど重大な犯罪を犯した者には、それに相応する究極の刑罰を科すべきだ」という応報的な説明への移行である。
インドの死刑判例を研究してきた「The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)」の分析は、この問題を非常に明確に示している。同研究によれば、インド最高裁の死刑判決では、犯罪者本人に関する事情よりも犯罪の残虐性や社会的影響など、犯罪そのものに重点が置かれる傾向が確認されている。
したがって、インドの死刑制度を理解するには、「抑止刑」と「応報刑」という二つの刑罰思想を区別する必要がある。前者は将来の犯罪を減少させることを目的とし、後者は過去に行われた犯罪の重大性に応じて刑罰を科すことを重視する。
問題は、応報がどこまで許容されるべきかという点にある。犯罪者に責任を負わせること自体は近代刑法において当然に認められるが、国家が犯罪者の生命を奪うところまで進む場合には、単なる「被害に対する報復」と「法に基づく刑罰」との境界を慎重に検討しなければならない。
報復主義(応報刑論)的な傾向の背景
応報刑論は、犯罪者が悪いことをしたから、それに見合った刑罰を受けるべきだという考え方である。これは必ずしも私的な復讐を意味するものではなく、国家が法に基づいて犯罪の重大性に応じた刑罰を科すという意味で、刑罰理論上の正当な考え方の一つである。
しかし、死刑の場合には応報の程度が極端になる。自由を奪う刑罰とは異なり、死刑は国家が犯罪者の生命そのものを奪うため、「犯罪と刑罰の均衡」という問題が、究極的な形で現れる。
インド最高裁判所の判例史を見ると、この応報的側面が次第に強調される場面があったことが分かる。特に「Machhi Singh v. State of Punjab(マッチ・シン対パンジャーブ州事件、1983年)」では、「最も稀なケース」を判断する際の犯罪の残虐性、動機、社会への影響、被害者の無力性などが重視され、後の判例に大きな影響を与えた。
ここで注目すべきなのが、「犯罪者がどのような人間なのか」よりも、「どれほど凄惨な犯罪を行ったのか」が前面に出る危険性である。死刑は本来、個人の責任と事情を考慮して慎重に適用されるべきだが、犯罪の残虐性が強調されるほど、犯罪者の生育環境、貧困、精神状態、教育、社会的背景、更生可能性などが後景に退く可能性がある。
Project 39Aの研究は、この点をインドの死刑判決における重要な問題として指摘している。バチャン・シン判決が犯罪と犯罪者双方の加重事情・減軽事情を考慮する個別化された量刑を重視したのに対し、マッチ・シン以降の判例では犯罪中心の判断が強まったと分析されている。
これは、応報刑論そのものが問題なのではなく、「応報」の判断が何を基準に行われるかが問題だということを意味する。犯罪の結果だけを重視すれば、被害の大きさがそのまま刑罰の重さに変換され、犯罪者個人の事情や更生可能性が軽視される危険がある。
さらに重大なのは、被害者や社会が感じる怒りと、裁判所が行う法的判断との関係である。重大犯罪が社会を震撼させた場合、国民から「これほどの犯罪には死刑しかない」という声が生まれることがあるが、裁判所は本来、世論そのものではなく法と証拠に基づいて判断しなければならない。
この点で、インドの死刑制度には「法的応報」と「社会的報復感情」が接近する危険性が存在する。前者は法の支配の下で刑罰を比例的に決定する考え方だが、後者は犯罪者に対する怒りや憎悪を刑罰として実現することに近づくためである。
「社会的良心」と世論の圧力
インドの死刑制度を特徴づける概念の一つが、「collective conscience(集合意識・共同意識)、すなわち「社会的良心」または「集団的良心」である。これは、極めて凶悪な犯罪によって社会全体が強い衝撃を受け、社会がその犯罪に対して究極的な刑罰を要求するという考え方である。
この概念はマッチ・シン判決などを通じて死刑判断の議論に入り込んだ。Project 39Aの分析によれば、マッチ・シンは「社会の集団的良心が強く衝撃を受けた場合」を死刑判断の重要な要素として位置づけ、その後のインドの死刑判例に影響を与えた。
この考え方には一定の合理性もある。刑法は社会秩序を維持する制度であるため、重大な犯罪によって社会の規範が大きく侵害された場合、社会がそれに対して強い反応を示すこと自体は自然だからである。
しかし、法学的には大きな問題が生じる。「社会の良心」とはいったい誰の意見なのかという問題である。社会には死刑支持者もいれば反対者も存在し、犯罪の背景や被告人の更生可能性についても意見は分かれるため、「社会が死刑を求めている」と一括りにすることには危険がある。
さらに、メディア報道によって社会の認識が形成される場合、報道量の多い事件ほど「社会的に重大な事件」と認識される可能性がある。事件そのものの重大性と、社会がその事件をどれほど知っているかは、本来別の問題である。
この問題は「メディア・トライアル」と呼ばれる現象とも関係する。捜査や裁判が終了する前から被疑者・被告人に対する強い非難が形成されると、司法判断そのものが社会的圧力の影響を受ける危険性が生じる。
特に性犯罪や子どもに対する犯罪など、社会的憤激が強くなりやすい事件では、この傾向が顕著になり得る。被害者に対する共感が強まること自体は重要だが、その感情が直ちに死刑という結論に結びつくなら、被害者支援と刑罰政策が混同される可能性がある。
Project 39Aの研究は、インド最高裁の死刑判断において「collective conscience(集合意識・共同意識)」や「society's cry for justice(社会の正義を求める叫び)」が刑罰の正当化根拠として使用されてきたことを指摘している。同研究は、こうした判断が刑罰の基礎を「犯罪に対する相応の刑罰」から、社会的な復讐要求に近い方向へ移動させる可能性についても批判的に分析している。
この点は、死刑を「報復主義的」と評価する際の重要な根拠となる。ただし、ここでも「インドの死刑制度そのものが単純な復讐制度である」と断定することは適切ではなく、むしろ、司法制度の内部に応報的・世論反応的な要素が入り込む構造が存在する、と評価する方が正確である。
被害者救済の代替手段の欠如
死刑支持の背景を理解するためには、被害者側が求めているものが必ずしも「犯罪者の死」だけではないことにも注目する必要がある。被害者や遺族が求める正義には、真相の解明、加害者の責任追及、経済的補償、医療・心理的支援、社会的尊厳の回復、再発防止など複数の要素が含まれる。
しかし、これらの支援が十分に機能しない場合、死刑が「正義が実現したことを目に見える形で示す手段」として受け止められる可能性がある。特に重大犯罪では、被害者側が長期間にわたって裁判や捜査に対応しなければならず、司法手続そのものが新たな負担になる場合がある。
そのため、死刑をめぐる議論では、犯罪者への刑罰だけでなく、被害者に対して国家がどのような支援を提供しているのかを同時に検討する必要がある。被害者救済制度が十分でない状態で死刑だけが強調されるなら、死刑が「被害者のための正義」の代替物として機能してしまう危険がある。
インド法委員会は、死刑制度を検討する際に被害者の利益を無視してはいないが、刑罰政策全体を死刑の有無だけで捉えることには限界がある。法委員会の資料群には、犯罪被害者への補償制度を扱った報告書も存在し、刑事司法における被害者救済を刑罰とは別の政策課題として捉える必要性が示されている。
ここから導かれる重要な結論は、被害者救済と死刑を同じ問題として扱ってはいけないということである。犯罪者を死刑にしたとしても、失われた家族を取り戻すことはできず、被害者の心理的苦痛や経済的困難が自動的に解消されるわけでもない。
したがって、本当に被害者中心の刑事司法を構築するのであれば、死刑の有無とは別に、被害者補償、医療・心理支援、司法手続へのアクセス、証人保護、迅速な捜査・裁判、再発防止などを強化する必要がある。死刑を「正義の完成」とみなすだけでは、犯罪によって生じた社会的損失の大部分を解決できないからである。
ここまでの分析から、インドの死刑制度には「抑止」という機能だけでは説明できない側面があることが明らかになる。犯罪抑止について確固たる追加的効果が確認されにくい一方で、犯罪の重大性に応じた報いを求める応報的な考え方や、「社会的良心」を満足させるという論理が死刑判断に入り込んできた。
とりわけ「collective conscience(集合意識・共同意識)」という概念は、法と社会感情との緊張関係を象徴している。社会が重大犯罪に強く反応すること自体は自然だが、その反応を死刑という不可逆的な刑罰に直接結びつける場合には、個別化された量刑や被告人の更生可能性が軽視される危険がある。
一方、死刑支持を単純に「復讐感情」と片づけることも適切ではない。犯罪被害者や遺族が強い処罰を求める背景には、生命や尊厳を奪われたことへの正義要求、国家による犯罪否定への期待、そして司法制度への信頼を回復したいという切実な事情が存在するからである。
したがって、死刑制度の問題を考える際には、「死刑に賛成か反対か」という二択から離れる必要がある。重要なのは、犯罪を減少させる政策、犯罪者を適正に処罰する制度、被害者を救済する制度、そして社会的憤激を法的判断に適切に位置づける仕組みを、それぞれ分離して検討することである。
社会的弱者への偏り
インドの死刑制度を評価する際、刑罰の重さだけでなく、「誰が死刑判決を受けているのか」という視点が不可欠である。法の上では、死刑は犯罪の重大性に応じて平等に適用されることになっているが、現実の刑事司法では、被告人が置かれている社会経済的環境や、十分な弁護活動を受けられるかどうかが裁判結果に影響する可能性がある。
この問題を体系的に研究しているのが、インドの「National Law University Delhi(NLUデリー)」に設置されたProject 39Aである。同機関はインドの死刑制度について、死刑囚の社会経済的背景、法的代理人へのアクセス、裁判手続、量刑判断などを継続的に調査しており、死刑制度が単純な犯罪の重大性だけでは説明できないことを明らかにしてきた。
Project 39Aの研究で繰り返し問題とされているのは、死刑判決を受けた人々の中に、社会的・経済的に不利な立場にある人が相当数存在することである。これは「貧しい人ほど犯罪を犯す」という意味ではなく、貧困や教育格差が、逮捕後の弁護活動、証拠収集、保釈、裁判への対応能力などを通じて、刑事司法上の不利益につながる可能性を意味する。
刑事裁判において、同じ犯罪を犯したとしても、被告人がどのような弁護を受けられるかによって裁判結果が変わる可能性がある。特に死刑事件では、犯行事実だけでなく、犯罪者の生育環境、家族関係、精神状態、教育歴、雇用状況、社会的環境、更生可能性などを詳細に調査する必要があるため、弁護活動の質は量刑判断にとって極めて重要になる。
ところが、経済的に余裕のない被告人は、私選弁護人を依頼することが難しく、公的な法律扶助に依存する場合がある。法律扶助制度は司法アクセスを保障するために不可欠だが、制度が存在することと、実際に高品質な弁護活動が提供されることは同じではない。
Project 39Aの研究では、インドの死刑事件において、法的代理の質が重大な問題となり得ることが示されている。特に、量刑段階で被告人の個人的事情や更生可能性を十分に調査しない場合、「犯罪の残虐性」という目立ちやすい要素だけが判断材料として強調される危険がある。
これは前回検討した「最も稀なケース」の原則とも直接関係する。死刑を例外的な刑罰とするのであれば、裁判所は犯罪そのものだけでなく、被告人側の減軽事情についても十分な情報を得たうえで判断する必要があるからである。
しかし、被告人の社会的背景に関する情報が十分に収集されなければ、裁判所は「犯罪の結果」と「犯罪の残虐性」に偏った判断を行う可能性がある。その場合、表面的には同じ「重大犯罪」であっても、弁護活動によって減軽事情が十分に提示された被告人と、そうでない被告人との間で、量刑結果に差が生じる可能性がある。
この問題は、死刑制度特有の不可逆性によってさらに深刻になる。自由刑であれば誤判が判明した後に釈放することが可能だが、死刑が執行された場合、後から無実が判明しても生命を回復させることはできない。
したがって、死刑制度においては「合理的な疑いを超えて有罪である」という一般的な刑事裁判の基準だけではなく、量刑判断そのものについても最大限の慎重さが必要になる。犯罪事実に関する誤判だけでなく、死刑を選択することが適切だったかという「量刑上の誤り」も重大な問題になるからである。
貧困と司法アクセス
貧困と死刑制度の関係を考える場合、重要なのは単純な所得格差ではなく、「司法制度を利用するための資源の格差」である。刑事事件では、優秀な弁護人を確保し、証拠を調査し、証人を探し、被告人の生育歴や精神状態を調査し、専門家の意見を取得するには時間と費用が必要になる。
経済的に恵まれた被告人であれば、こうした活動を私費で行える場合がある。しかし貧困層の被告人では、そのような選択肢が限られるため、制度上は同じ権利を持っていても、実際に利用できる司法資源には大きな差が生じる可能性がある。
ここには刑事司法における「形式的平等」と「実質的平等」の違いが存在する。法律がすべての被告人に弁護人を付ける権利を認めていても、その弁護人が十分な時間と資源を持っていなければ、権利は形式的なものにとどまる可能性がある。
特に死刑事件では、量刑段階における社会調査が重要になる。被告人の幼少期、家庭環境、教育、就労、社会的孤立、精神的問題、虐待経験などを明らかにすることは、その人物の更生可能性を判断するうえで重要だからである。
したがって、死刑制度を本当に「最も稀なケース」に限定するのであれば、被告人について十分な情報を取得するための制度的保障が必要になる。弁護人が十分な調査を行えない状態で死刑判決を下すことは、例外刑としての死刑制度そのものと緊張関係にある。
死刑判決と社会的周縁化
死刑囚の社会的背景を研究することには、もう一つ重要な意味がある。それは、刑罰が個人の犯罪行為だけでなく、その人物が社会のどの位置にいたかという問題とも結びついている可能性を検証できることである。
社会的に周縁化された人々は、教育や雇用、住居、医療、法的支援などへのアクセスが弱い場合がある。その結果、犯罪に至る前の段階でも社会的保護を受けにくく、犯罪後の段階でも司法制度から十分な支援を受けにくいという二重の不利益が生じる可能性がある。
ここで重要なのは、こうした社会的背景が犯罪行為を正当化するわけではないということである。重大な犯罪については、被害者の権利と安全を守り、犯罪者に適切な責任を負わせる必要がある。
しかし、「責任を負わせること」と「死刑にすること」は同じ問題ではない。責任を認めたうえで、終身刑などの代替刑が存在するなら、なぜ国家が生命を奪う必要があるのかという追加的な説明が求められる。
この点で、社会的弱者に対する死刑の集中は、単なる量刑問題を超えて、国家刑罰権の公平性という問題につながる。もし司法資源の少ない人ほど死刑に至るリスクが高いのであれば、死刑制度は法の下の平等という原則との関係で重大な検証を必要とする。
「死刑制度の公平性」という問題
死刑制度について「犯罪が重大なら死刑」という基準だけを採用すると、制度の公平性を判断することは難しい。なぜなら、犯罪の重大性には客観的な要素がある一方、「どの程度の残虐性なら死刑なのか」「更生可能性をどの程度考慮するのか」という部分には、裁判官による評価が入り込むからである。
そのため、インド最高裁は長年にわたって「rarest of rare(稀有の中の稀有)」という基準を発展させてきた。しかしProject 39Aの研究が示すように、死刑判決の理由には裁判官ごとの評価の差が存在し、量刑判断の予測可能性には問題が残されている。
これは死刑制度に固有の問題である。終身刑と一定期間の自由刑との境界も難しいが、死刑の場合には最終的な結果が不可逆的であるため、裁判官による判断のばらつきが生命そのものの差につながる。
さらに、「社会的良心」や「社会の要求」という概念を量刑に取り入れる場合、その社会が誰を指しているのかという問題も生じる。多数派の怒りやメディアによって形成された世論が、社会的に弱い立場にある被告人の権利を圧迫するなら、刑事司法の役割である「少数者の権利保障」が損なわれる可能性がある。
法の支配とは、社会の怒りが強い事件ほど厳しく処罰することを意味しない。むしろ社会的憤激が最高潮に達している事件であっても、証拠と法律に基づいて冷静に判断し、被告人の権利を保障することに法治国家としての司法の価値がある。
今後の展望
インドの死刑制度をめぐる今後の最大の課題は、死刑を存置するか廃止するかという二択だけではない。仮に死刑制度を当面維持するのであれば、少なくとも死刑判決が誤判、貧困、弁護活動の不足、社会的周縁化などによって左右されないよう、制度上の安全装置を強化する必要がある。
第一に必要なのは、死刑事件における弁護活動の質を大幅に向上させることである。単に弁護人を形式的に選任するだけではなく、証拠調査、量刑調査、精神医学的評価、社会背景調査などを十分に実施できる時間と資源を保障する必要がある。
第二に、死刑判決に至る量刑理由をより明確にする必要がある。「最も稀なケース」という抽象的な基準だけでは、個々の事件について死刑が必要だった理由を十分に説明できない可能性がある。特に「なぜ終身刑では不十分なのか」という点を裁判所が具体的に説明することが重要になる。
第三に、死刑事件については上級審による実質的な再審査を確保する必要がある。第一審の判断に誤りがあった場合、控訴審や最高裁がそれを是正できることは、死刑制度における最低限の安全弁となる。
第四に、死刑とは別に被害者救済制度を強化する必要がある。被害者への金銭的補償、医療・心理支援、法律支援、証人保護、裁判手続への支援などを拡充すれば、「犯罪者を死刑にすることが被害者への正義である」という構図を弱めることができる。
第五に、犯罪予防政策そのものを強化する必要がある。犯罪が起きた後に究極的な刑罰を科すだけではなく、家庭内暴力への介入、児童保護、教育、貧困対策、警察へのアクセス改善、被害者支援など、犯罪発生前の段階に政策資源を投入する必要がある。
さらに重要なのは、死刑に関する統計と司法情報を継続的に公開することである。どのような犯罪について死刑が求刑され、どのような属性の人が死刑判決を受け、どの程度が上級審で減刑され、どの程度が無罪になるのかを透明化しなければ、制度の公平性を客観的に評価することができない。
2026年現在、The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)などの研究機関がこうしたデータを蓄積していることは重要な意味を持つ。2025年末時点で574人が死刑判決を受けた状態にあったという統計は、死刑執行数だけを見ていると把握できない「死刑囚となっている人々の規模」を示しており、死刑制度を刑罰執行だけでなく司法手続全体として捉える必要性を示している。
これまでの検討を総合すると、インドの死刑制度には、少なくとも三つの異なる問題が存在する。第一は、死刑が終身刑を上回る犯罪抑止効果を持つことを科学的に確定できないという問題、第二は、重大犯罪への応報と「社会的良心」が死刑を求める力として作用する問題、第三は、貧困や司法資源へのアクセス格差が死刑制度の公平性に影響する可能性である。
この三つは互いに独立しているわけではない。抑止効果が明確でないにもかかわらず、重大犯罪への社会的憤激によって死刑が支持され、さらに社会的弱者が十分な司法資源を持たない場合、死刑制度は「犯罪を効率的に減らす制度」というより、「社会が極めて重大と判断した犯罪者に究極的な責任を負わせる制度」として機能する方向へ傾く可能性がある。
ただし、これをもってインドの死刑制度全体を単純に「報復主義」と断定することは適切ではない。インド最高裁は一貫して死刑を例外刑として位置づけ、近年の最高裁は死刑判決の確定にも慎重であり、制度内部には死刑の適用を制限しようとする強い司法的力学も存在する。
したがって、インドの死刑制度は「死刑存置=報復主義」という単純な構図ではなく、応報的な社会感情、犯罪抑止をめぐる不確実性、司法による制限、被害者救済、社会経済的格差という複数の要素が衝突する制度として理解する必要がある。
今後の展望
インドの死刑制度を今後どのように扱うべきかという問題は、単純に「死刑を残すか廃止するか」という二者択一だけでは捉えきれない。死刑制度が維持されている現状においても、その適用範囲を厳格に制限し、誤判を防止し、被告人の更生可能性を十分に検討し、被害者救済を強化することによって、制度が抱える問題を少しずつ縮小することは可能である。
もっとも、長期的には死刑廃止を含めた刑罰政策の再検討が避けられない可能性がある。インド法委員会は第262号報告書において死刑について包括的な検討を行っており、現在も同報告書はインドの死刑政策を考えるうえで重要な政府資料として位置づけられている。
死刑を存続させる場合に第一に必要となるのは、「最も稀なケース」という原則を実質化することである。単に最高裁判例で死刑を例外刑と宣言するだけではなく、各事件において、なぜ終身刑では不十分なのか、なぜ当該被告人について更生可能性を否定できるのかを具体的に説明する必要がある。
この点では、近年の最高裁判所の姿勢に一定の変化がみられる。The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)によると、2023年から2025年までの3年間、最高裁は死刑判決を一件も確定させておらず、2025年には10人を無罪としたとされる。
一方、第一審レベルでは死刑判決が依然として多数言い渡されている。2025年にはセッションズ裁判所が94件の事件で128人に死刑を言い渡しており、これは死刑制度の運用が「第一審では比較的強く、上級審では慎重」という二層構造になっていることを示している。
この乖離は、必ずしも司法制度の失敗だけを意味しない。むしろ上級審が死刑判決を慎重に審査していることは、不可逆的な刑罰に対する司法上の安全装置が機能していることを意味する側面もある。
しかし、第一審で死刑判決を受ける人が毎年多数存在する以上、その後の控訴審で是正すればよいという発想にも限界がある。死刑判決そのものが被告人と家族に与える心理的・社会的負担は大きく、長期間にわたる死刑囚としての拘禁も深刻な問題になり得るからである。
そのため、改革の重点は「最高裁で死刑を取り消すこと」だけではなく、第一審の段階から適切な量刑判断を行うことに移す必要がある。特に2022年のMachhi Singh v. State of Punjab(マッチ・シン対パンジャーブ州事件、1983年)判決以降、被告人の精神状態、生活状況、刑務所での行動などを量刑判断に適切に反映することが重視されている。
2025年の統計でも、The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)は、最高裁が手続的保障を重視する方向に進む一方、下級審ではその要請が十分に実行されていないケースが残っていると分析している。2025年の死刑判決128人という数字は、死刑制度の問題が単に最高裁の判例理論だけでは解決できず、第一審の量刑実務そのものを改革する必要があることを示している。
第二の課題は、弁護活動の質を高めることである。死刑事件では犯罪事実の争いだけでなく、被告人の生育環境、精神状態、社会的背景、更生可能性などを詳細に調査する必要があり、一般的な刑事事件以上に高度な弁護活動が必要になる。
経済的に恵まれない被告人であっても、十分な司法資源を利用できるようにすることは、死刑制度の公平性を維持するための前提条件である。法的扶助を形式的に提供するだけではなく、専門家、心理学者、精神医学者、社会調査員などを含めた多面的な量刑調査を可能にする体制が求められる。
第三の課題は、被害者救済を死刑から切り離して考えることである。重大犯罪の被害者や遺族が強い刑罰を求めることは理解できるが、死刑そのものが被害者の経済的・心理的・社会的問題を解決するわけではない。
被害者に対する補償、医療、心理的ケア、法律支援、証人保護、裁判手続への支援などを強化すれば、被害者が「国家による究極的な刑罰」を正義の唯一の象徴として受け止めなければならない状況を減らすことができる。これは死刑廃止論だけではなく、被害者中心の刑事司法を構築するという観点からも重要である。
第四の課題は、犯罪抑止政策そのものの再設計である。これまで検討したように、死刑が終身刑を上回る特別な抑止効果を持つことを示す科学的証拠には限界がある以上、犯罪を減らす政策資源を死刑の強化だけに投入することには合理性が乏しい。
犯罪抑止には、警察による適切な捜査、犯罪の発見可能性、迅速な司法手続、被害者保護、教育、貧困対策、家庭内暴力への介入など複数の政策が関係する。したがって、死刑を「犯罪対策の象徴」とするよりも、犯罪が発生する社会的条件そのものに介入する政策を強化する方が、長期的な犯罪予防という観点からは重要になる。
第五の課題は、死刑制度に関するデータの透明性を高めることである。誰が死刑判決を受け、どのような犯罪が対象となり、どの程度の割合で上級審が減刑・無罪判決を行い、どのような事情が量刑変更に影響したのかを継続的に公開する必要がある。
この点で、The Square Circle Clinic(ザ・スクエア・サークル・クリニック、旧Project 39A)が2016年以降継続して全国の死刑関連データを収集・分析していることは重要である。2025年末の死刑囚は574人で、これは同機関が集計を開始した2016年以降の年末時点で最大の数字であり、死刑制度が「執行された人数」だけでは把握できないことを示している。
また、2025年には138人が死刑囚の状態から離脱している。死刑判決を受けた人が、その後の司法判断によって減刑や無罪などの形で死刑制度から離脱するという事実は、第一審判決だけを基準として死刑制度の規模を評価することの危険性を示している。
こうしたデータを継続的に公開し、学術研究者、弁護士、裁判所、政策担当者、報道機関、市民社会が検証できるようにすることは、死刑制度の透明性と説明責任を高めるうえで不可欠である。
まとめ
本稿では、「インドの死刑制度:抑止効果の欠如と報復主義的な傾向」という問題を、刑罰論、犯罪学、司法制度、社会心理、被害者救済、社会経済的格差という複数の観点から検討した。
第一に、インドでは2026年9月現在も死刑制度が存続しているが、最高裁判所は「rarest of rare」、すなわち「最も稀なケース」の原則によって死刑を例外的な刑罰として位置づけている。生命刑を原則とし、死刑を例外とする考え方は、死刑の適用を制限する重要な司法上の原則となっている。
第二に、死刑の犯罪抑止効果については、科学的・統計的に明確な結論が確立していない。特に、死刑が終身刑などの代替刑よりも優れた抑止効果を持つという因果関係を確実に証明することは困難であり、「死刑だから犯罪が減少する」という単純な因果モデルには重大な限界がある。
第三に、犯罪者の行動は必ずしも合理的な刑罰計算によって決定されるわけではない。衝動、激情、社会的環境、精神状態、人間関係などが犯罪行動に影響する場合、死刑という刑罰の存在をさらに重くするだけでは犯罪防止につながらない可能性がある。
第四に、死刑を維持する社会的根拠としては、犯罪抑止だけではなく応報的な刑罰観が重要な位置を占める。重大な犯罪には重大な刑罰を科すべきだという考え方自体は刑罰理論上の一つの立場であるが、死刑の場合には国家が犯罪者の生命そのものを奪うため、応報の限界をどこに設定するかという根本的な問題が生じる。
第五に、インドの死刑判例では「collective conscience(集合意識・共同意識)」、すなわち社会的良心という概念が重要な役割を果たしてきた。この概念は、極めて重大な犯罪に対して社会が強い衝撃を受けた場合に、死刑を含む厳罰が正義として要求されることを説明するものだが、同時に「社会の意思を誰が代表するのか」という問題を含んでいる。
社会的憤激は刑事司法に影響を与え得るが、司法の役割は世論をそのまま刑罰に変換することではない。むしろ世論が最も激しくなっている事件であっても、証拠、法律、個別事情、更生可能性に基づいて判断することこそ、法の支配における司法の重要な役割である。
第六に、被害者救済と死刑を同一視することにも問題がある。死刑によって犯罪者が処罰されても、失われた生命が戻るわけではなく、被害者や遺族が抱える心理的、経済的、社会的負担が自動的に解消されるわけでもない。
したがって、被害者補償、心理的支援、医療、証人保護、司法手続への支援などを充実させることが、死刑の有無とは独立した重要な刑事司法改革となる。
第七に、死刑制度の公平性を考えるうえでは、社会的弱者への影響を無視できない。貧困、教育格差、弁護人へのアクセス、社会的周縁化などが量刑結果に影響する可能性がある以上、「同じ法律が適用されている」という形式的平等だけでは、死刑制度の公平性を十分に保証できない。
特に死刑事件では、犯罪事実だけでなく、被告人の生育環境、精神状態、生活状況、更生可能性などを詳細に調査する必要がある。したがって、司法資源へのアクセスが弱い被告人ほど十分な量刑弁護を受けられないのであれば、死刑制度の公平性そのものが損なわれる可能性がある。
2025年のデータは、この問題を象徴している。セッションズ裁判所は128人に死刑を言い渡した一方、最高裁は3年連続で死刑を確定させておらず、2025年には10人を無罪とした。これは第一審の死刑判決が必ずしも最終的な司法判断を意味しないこと、そして死刑制度において上級審による厳格な審査が極めて重要であることを示している。
以上を総合すると、インドの死刑制度を単純に「犯罪抑止のための制度」と説明することには無理がある。実際には、応報、被害者感情、社会的良心、世論、司法政策、犯罪抑止、そして国家による生命剥奪の正当性という複数の価値が衝突する制度として存在している。
したがって、「インドの死刑制度には報復主義的な傾向がある」という評価は、死刑制度全体が単純な復讐制度であるという意味ではなく、犯罪抑止という実証的根拠が限定される一方、重大犯罪に対する応報、社会的憤激、集団的良心が死刑を正当化する重要な力として作用しているという意味で理解するのが妥当である。
最終的に問われるべきなのは、「どれほど凶悪な犯罪なら死刑に値するか」だけではない。「死刑でなければ達成できない刑罰上の目的が本当に存在するのか」「終身刑や被害者支援などの代替手段では達成できないのか」「国家が不可逆的に生命を奪うことを正当化できるほど確実な利益が存在するのか」という問題である。
この問いに対して十分な実証的根拠を示せないのであれば、死刑制度の存続には、犯罪抑止とは別の正当化根拠が必要になる。そしてその根拠が応報であるならば、国家刑罰として許容される「応報」の限界を改めて検討する必要がある。
インドの死刑制度は、まさにこの刑罰の根本問題を示している。犯罪者に責任を負わせる必要性と、国家が生命を奪うことの限界、被害者の正義と被告人の権利、社会の怒りと司法の冷静さ、そして刑罰の応報性と犯罪予防という異なる価値を、どのように均衡させるかが、今後のインド刑事司法にとって最大の課題となる。
参考・引用リスト
1.インド法委員会
Law Commission of India, Report No. 262: The Death Penalty, 2015. インドの死刑制度について、死刑の抑止効果、憲法上の問題、誤判、量刑、社会的背景などを総合的に検討した主要な政府系資料である。インド法委員会公式サイトに第262号報告書が掲載されている。
Law Commission of India, Report No. 187: Mode of Execution of Death Sentence and Incidental Matters, 2003. 死刑執行方法と死刑制度に付随する問題を検討した資料であり、死刑制度の人道性や執行方法を考える際の基礎資料となる。
2.The Square Circle Clinic/旧Project 39A
The Square Circle Clinic, Death Penalty in India: Annual Statistics 2025, published February 4, 2026. 2016~2025年の10年間にわたるインドの死刑判決、死刑囚人口、上級審の判断などを収集・分析した主要な実証資料である。10年間で1,279人が死刑判決を受け、2025年末時点で574人が死刑囚となっていたことなどが報告されている。
The Square Circle Clinic, Death Penalty in India: Annual Statistics 2025, appellate outcomes and sentencing data. 2025年にセッションズ裁判所が128人に死刑を言い渡した一方、最高裁が3年連続で死刑を確定させていないことなど、第一審と上級審との判断の乖離を示している。
The Square Circle Clinic, Death Penalty in India: Annual Statistics 2024. 2024年末時点の死刑囚が564人に達し、最高裁が2年連続で死刑を確定させなかったことなどを報告している。
3.死刑と犯罪抑止に関する研究
National Research Council, Deterrence and the Death Penalty, National Academies Press, 2012. 米国における死刑と殺人率の関係を研究した既存の統計分析を検討し、従来研究には方法論的な問題があり、死刑が殺人率に与える因果的効果について確定的な結論を導くことはできないと評価した重要な研究である。
この研究はインドの犯罪率を直接分析したものではないため、インドにそのまま適用することはできない。しかし、死刑の抑止効果を科学的に評価する際に、単純な犯罪率比較では因果関係を確定できないという方法論上の問題を示す資料として重要である。
4.インド最高裁判所・死刑判例
Bachan Singh v. State of Punjab, Supreme Court of India, 1980. インドの死刑制度における「rarest of rare」原則の基礎となった重要判例であり、死刑を例外的刑罰として位置づける現在の判例法理の出発点となった。
Machhi Singh v. State of Punjab, Supreme Court of India, 1983. 「最も稀なケース」の判断要素を具体化し、犯罪の性質、残虐性、社会への影響などを重視する方向に死刑判例を発展させた重要判例である。
Manoj v. State of Madhya Pradesh, Supreme Court of India, 2022. 死刑量刑に際して、被告人の精神状態、生活状況、刑務所内での行動などの情報を適切に収集・検討する必要性を強調した判例であり、現在の死刑量刑手続を検討するうえで重要である。
5.研究機関・学術資料
National Law University Delhi, Project 39A/The Square Circle Clinic. インドの死刑制度について、死刑囚の社会経済的背景、司法アクセス、量刑実務、精神的健康、更生可能性などを継続的に研究している。現在のインドにおける死刑制度の実証研究を理解するうえで重要な研究機関である。
The Square Circle Clinicによる研究は、死刑制度を「死刑執行の有無」だけで評価するのではなく、第一審判決、控訴審、最高裁判決、減刑、無罪判決、死刑囚として拘禁される期間などを含めて司法制度全体として分析している点に特徴がある。
6.本稿における資料の位置づけ
本稿では、インドの死刑制度そのものに関する判断についてはインド法委員会、インド最高裁判所およびThe Square Circle Clinic/Project 39Aの資料を中心的な根拠とした。犯罪抑止効果については、インド固有のデータだけでは因果関係の検証に限界があるため、国際的な犯罪学・刑罰学研究も併用して評価した。
また、「報復主義的な傾向」という表現は、インドの司法制度全体を単純に「復讐を目的とする制度」と断定するものではない。本稿では、死刑の正当化において犯罪の重大性、応報、社会的良心、被害者感情、世論などが重要な役割を果たし得るという意味で、応報刑論的・報復的な要素が存在することを指して用いている。
以上を踏まえると、インドの死刑制度について最も妥当な評価は、「抑止効果が完全に存在しないことが科学的に証明された制度」というものではなく、死刑が終身刑を上回る特別な犯罪抑止効果を持つことを示す十分に確立された証拠がないにもかかわらず、応報、社会的良心、被害者感情などが死刑存置・適用を支える重要な要素となっている制度というものである。
この区別を明確にすることが、死刑をめぐる感情的な賛否を超えて、インドの刑事司法を科学的・法学的・社会学的に評価するための出発点となる。
