友達でも敵?Z世代で「フレネミー」が急増・流行する4つの深層心理
「フレネミー」という言葉は、今後もしばらくはSNSやメディアで使用され続ける可能性が高い。しかし、注目すべきなのは言葉そのものではなく、それが象徴する人間関係の変化である。
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2026年に入り、「フレネミー(Frenemy)」という言葉が日本でも急速に注目を集めている。SNSやネットニュースでは「Z世代で流行する新語」「友達なのに敵」「表面上は仲良しだが裏では足を引っ張る人」といった説明とともに紹介される機会が増えた。
しかし、現象そのものは決して新しくない。人間関係の研究では古くから「両価的(アンビバレント)な対人関係」や「競争と協力が共存する関係」として研究されてきたテーマであり、「フレネミー」という語も英語圏では数十年前から使用されてきた概念である。
つまり、2026年現在に起きているのは「新しい人間関係」が生まれたのではなく、「昔から存在していた人間関係に名前が付いたことで、多くの人が自覚するようになった現象」と理解する方が実態に近い。
さらに、この現象は単なる流行語として片付けられるものではない。SNS社会、比較文化、心理的安全性、コミュニケーションスタイルの変化など、現代社会が抱える複数の構造的課題が交差した結果として、「フレネミー」という概念が広く受け入れられているのである。
本稿では、「フレネミー」を単なるネットスラングではなく、社会心理学・コミュニケーション学・デジタル社会論の観点から体系的に分析し、その背景と実態を検証する。
現状(2026年7月時点)
2025年後半から2026年にかけて、日本国内では「フレネミー」という言葉がテレビ番組、ニュースサイト、SNS、ライフスタイルメディアなどで取り上げられる機会が急増した。特に若年層向けメディアでは、「あなたの周りにもいるかもしれない」「友達のふりをした敵」といった形で紹介され、多くの共感を集めている。
背景には、TikTokやInstagram、X(旧Twitter)、YouTube Shortsなどのショート動画文化がある。短時間で共感を得やすい「あるあるネタ」として、「褒めているようで実はマウントを取る友人」「相談に乗るふりをして情報を集める知人」などが大量に投稿され、「それってフレネミーでは?」というコメントが定着し始めた。
また、若年層だけではなく、職場やママ友コミュニティ、趣味のサークルなどでも同様の現象が共有されるようになった。年齢を問わず経験し得る人間関係であるにもかかわらず、SNSによって言語化・可視化されたことで、多くの人が自身の経験を「フレネミー」という言葉に結び付けるようになったのである。
一方で、「相手を嫌いになったらフレネミー」「少しでも競争意識があればフレネミー」といった誤解も急速に広まっている。こうした単純化は、本来の概念を曖昧にし、人間関係を不必要に対立的に捉える危険性も含んでいる。
心理学や社会学では、人間関係は友人か敵かという二元論では説明できないことが知られている。実際には、「親しいからこそ競争する」「仲が良いから嫉妬も生まれる」といった感情が複雑に混在することは、ごく自然な現象である。
したがって、2026年時点で重要なのは、「フレネミー」という言葉を流行語として消費することではなく、人間関係の複雑さを理解するための一つの概念として適切に位置付けることである。
「友達(Friend)」の顔をした「敵(Enemy)」
「フレネミー(Frenemy)」は、「Friend(友達)」と「Enemy(敵)」を組み合わせた合成語である。
この語が示すのは、「完全な敵」ではない。「完全な味方」でもない。相手は笑顔で接し、相談にも乗り、食事にも付き合う。しかしその一方で、陰では悪口を言ったり、比較したり、失敗を喜んだり、相手の評価を下げるような行動を取ることがある。
つまり、「友人関係」と「敵対関係」が同時に存在している状態を表す概念なのである。
人間関係を白黒ではなくグラデーションとして考えれば、このような存在は決して珍しくない。例えば、学校では仲が良いが成績ではライバルである友人、職場では協力関係にあるが昇進では競争相手になる同僚などは、友情と競争心を同時に抱えている。
しかし、「フレネミー」と呼ばれる関係には、単なる競争以上の特徴がある。それは、自分の利益や優越感を得るために、友人関係を利用する点である。
例えば、「あなたって本当に天然でかわいいね」という発言が、一見すると褒め言葉に聞こえても、「頭が悪い」という意味を暗に含んでいる場合がある。また、「心配だから聞くんだけど」と前置きしながら、実際には個人情報を集めて第三者へ話すケースもある。
このような行動は直接的な攻撃ではないため、被害者自身も「考え過ぎかもしれない」と感じやすい。その曖昧さこそが、フレネミーの最大の特徴である。
社会心理学では、このような間接的な敵意は「関係性攻撃(Relational Aggression)」とも関連して研究されている。身体的暴力ではなく、人間関係や評判を利用して相手に心理的ダメージを与える行動であり、特に閉鎖的なコミュニティでは発生しやすいことが知られている。
つまり、「フレネミー」とは単なる意地悪な人ではない。「友人」という立場を利用しながら、見えにくい形で競争や攻撃を行う存在なのである。
「フレネミー」の定義と誤解
近年、日本では「フレネミー」という言葉が広まるにつれ、その意味も拡大解釈される傾向が見られる。しかし、本来の定義はそれほど単純ではない。
一般的には、「友人を装いながら敵対的な感情や行動を示す人物」、あるいは「協力と敵対が混在する関係性」を指す言葉として理解されている。
ここで重要なのは、「嫌いな人」と「フレネミー」は同じではないという点である。単に性格が合わない相手や、意見が対立する相手はフレネミーではない。
また、競争関係にあるだけでもフレネミーとは言えない。受験やスポーツ、仕事などでは、競争しながらも互いを尊重する健全なライバル関係が存在する。このような関係は、むしろ双方の成長を促すものであり、心理学ではポジティブな競争として評価されることも多い。
フレネミーになるのは、「友人関係を維持する意思」と「相手を傷付けたい、または優位に立ちたい意思」が同時に存在している場合である。
さらに、SNSでは「苦手な友達=フレネミー」という短絡的な解釈も広がっている。しかし、人間関係には必ず摩擦があり、時には嫉妬や羨望を抱くこともある。それだけで相手をフレネミーと断定することは適切ではない。
むしろ、安易なラベリングは、本来修復可能な人間関係まで壊してしまう危険性がある。「フレネミー」という概念は便利である一方、人間関係を単純化し過ぎない慎重さも求められるのである。
事実整理:実は「新語」ではない
日本では2026年頃から「新語」として紹介されることが多いが、実際には「フレネミー」は決して新しい言葉ではない。
英語圏では20世紀半ば頃から類似表現が確認されており、1990年代には新聞や雑誌でも一般的に使用されるようになった。その後、辞書にも収録され、「友人でありながら敵でもある人物」という意味で広く定着している。
さらに、心理学・社会学の世界では、「フレネミー」という言葉が普及する以前から、アンビバレントな対人関係、社会的比較、嫉妬、関係性攻撃などの研究が積み重ねられてきた。つまり、言葉は新しく見えても、その背後にある現象自体は古くから存在していたのである。
歴史を振り返れば、人類は常に協力と競争を繰り返してきた。家族、親族、職場、地域社会など、同じ集団に属する者同士は互いに助け合う一方で、資源や地位を巡って競争もしてきた。この「協力と敵対の同居」は、人間社会の基本的な特徴の一つである。
現代では、その構造がSNSによって可視化され、誰もが他者の日常や成功をリアルタイムで比較できるようになった。その結果、従来から存在していた複雑な人間関係が、「フレネミー」という分かりやすい言葉によって再認識されるようになったのである。
したがって、「フレネミー」は2026年に突然誕生した新概念ではない。古くから存在していた人間関係を、現代のデジタル社会が新たな形で浮かび上がらせた言葉と理解することが、現象を正しく捉える第一歩となる。
Z世代で「フレネミー」が急増・流行する4つの深層心理(総論)
「フレネミー」という言葉が日本で急速に浸透した背景には、単なる流行やSNSの話題性だけでは説明できない、現代社会特有の心理的・社会的要因が存在する。特に1990年代後半から2010年代前半頃に生まれたとされるZ世代は、生まれた時からインターネットやスマートフォンが身近にあり、人間関係の形成と維持にSNSが深く組み込まれている世代である。
そのため、学校や職場だけでなく、オンライン空間でも常に他者と接続された状態で生活している。この「常時接続社会」は利便性を高める一方で、人間関係のストレスを持続的なものへと変化させた。かつては学校や職場を離れれば一時的に距離を置けた相手とも、SNSを通じて日常的に接触することが可能となり、心理的な休息時間が減少したのである。
社会心理学では、人間は所属集団の中で自己評価を行う傾向があることが知られている。従来は家族や学校、職場など比較的限定された範囲で比較が行われていたが、SNSでは数百人、時には数千人規模の情報が日常的に流入するため、比較対象が飛躍的に増加している。
比較対象が増えること自体は必ずしも悪いことではない。多様な価値観や生き方に触れることで、自らの視野を広げる契機にもなる。しかし、人間の認知には「自分より優れている情報ほど目につきやすい」という傾向があり、成功体験や華やかな生活ばかりを目にすると、自分だけが取り残されているという感覚を抱きやすくなる。
こうした心理状態では、友人は単なる仲間ではなく、「比較対象」や「競争相手」としても認識されやすい。その結果、友情と競争心が複雑に入り混じり、「応援したい気持ち」と「負けたくない気持ち」が同時に存在する状況が生まれる。
さらに現代社会では、成果や人気が数値として可視化される場面が増えている。SNSでは「いいね」やフォロワー数、動画再生数などが誰の目にも分かる形で表示され、学校では成績、就職活動では内定先、社会人になれば年収や役職など、様々な指標が比較材料となる。こうした「見える評価」が、人間関係の緊張感を高める一因となっている。
もちろん、Z世代だけがこうした状況に置かれているわけではない。しかし、幼少期からデジタル環境に適応してきた世代ほど、その影響を日常の一部として受け入れており、オンライン上での評価や他者との比較が自己認識に与える影響も大きいと考えられている。
本稿では、その背景にある四つの要因として、「SNSによる可視化された比較とマウンティング」「衝突を極端に避ける事なかれ主義」「繋がり過剰(オーバー・コネクティビティ)の弊害」「自己防衛としてのラベリング」を順に検討する。
① SNSによる「可視化された比較」とマウンティング
フレネミーという現象を理解するうえで、最も重要なキーワードの一つが「社会的比較(Social Comparison)」である。社会心理学者レオン・フェスティンガーは1954年、人は自分自身を評価する際、他者との比較を通じて自己を理解しようとする傾向があるとする「社会的比較理論」を提唱した。
この理論自体はSNS誕生以前から存在していたが、デジタル社会はその比較の頻度と範囲を劇的に拡大させた。現在では起床直後から就寝前まで、スマートフォンを通じて友人や知人、著名人の近況が次々と流れ込み、比較の機会がほぼ途切れることなく続いている。
SNSに投稿される内容は、多くの場合、日常生活の中でも特に魅力的な場面が選択される。旅行、恋愛、就職、昇進、ブランド品の購入、資格取得など、成功や充実を感じさせる情報が目立ちやすく、失敗や不安、平凡な日常は投稿されにくい。
その結果、閲覧者は他者の「編集された人生」と、自分自身の「編集されていない現実」とを無意識に比較することになる。この構図は、自尊感情を低下させたり、焦燥感や嫉妬を生み出したりする要因となり得ることが、多くの心理学研究で指摘されている。
こうした比較は、親しい友人との間で特に強く生じやすい。全く知らない著名人よりも、同年代で似た環境にいる友人の成功の方が、自分との距離が近いため、心理的な影響を受けやすいのである。
例えば、同じ大学に通っていた友人が希望する企業へ就職したり、自分より先に結婚したり、人気クリエイターとして成功したりすると、「すごい」という尊敬の気持ちと同時に、「なぜ自分ではないのか」という複雑な感情が生じることがある。これ自体は人間として自然な反応であり、必ずしも否定されるべきものではない。
問題は、その感情を適切に処理できない場合である。嫉妬や劣等感を率直に認めることが難しいと、人は無意識のうちに相手を引き下げることで心の均衡を保とうとすることがある。その手段として現れやすいのが、「マウンティング」と呼ばれる行動である。
マウンティングとは、自分の方が優れていることを暗に示し、相手より優位な立場に立とうとするコミュニケーションを指す。露骨に自慢する場合もあれば、一見すると謙虚な表現や助言の形を取りながら、自らの優位性を示そうとする場合もある。
例えば、「そんな会社で大丈夫? 私は残業が少ない会社だから助かってる」「旅行いいね。でも私は海外じゃないと満足できないかな」「そのブランドも人気だけど、私は限定モデルを買ったよ」といった発言は、一見すると何気ない会話に見える。しかし、話題の中心を自分へ移し、自身の優位性を印象付ける効果を持つことがある。
近年では、マウンティングは単なる自慢話だけではなく、「共感」を装って行われることも増えている。「私も昔は苦労したから分かる」という言葉が、本来の励ましではなく、「自分はすでにその段階を乗り越えた」という優越感の表明として使われる場合もある。このような表現は攻撃性が見えにくいため、受け手は違和感を抱きつつも反論しにくい。
SNSでは、こうした間接的な優越性のアピールがさらに強化される。投稿そのものが他者との比較材料となるだけでなく、コメント欄やストーリーズでの反応、リアクションの有無まで含めて評価の対象となるため、人間関係に細かな心理的駆け引きが入り込みやすい。
また、SNSには「文脈の欠落」という特徴もある。短文や画像だけでは発信者の真意が十分に伝わらず、受け手が過剰にネガティブな意味を読み取ってしまうことも少なくない。そのため、本来は悪意のない投稿であっても、「自慢している」「見下している」と受け止められ、フレネミー認定につながるケースもある。
逆に、本当に悪意を持つ人物は、この曖昧さを利用することがある。直接攻撃ではなく、「偶然を装った比較」「冗談を装った皮肉」「励ましを装った否定」を繰り返すことで、自らの責任を回避しながら相手に心理的ダメージを与えるのである。
重要なのは、SNSそのものがフレネミーを生み出しているわけではないという点である。SNSは、人間が本来持つ比較欲求や承認欲求を増幅し、それを可視化する装置として機能しているに過ぎない。
したがって、SNS上で見られるマウンティングや比較文化を理解するためには、個人の性格だけでなく、デジタル環境が人間の心理に与える影響を踏まえて考察する必要がある。フレネミーという現象は、個人の悪意だけでは説明できず、現代社会全体が作り出した比較構造の中で生じている側面があることを忘れてはならない。
② 衝突を極端に避ける「事なかれ主義」
フレネミーという関係性が生まれやすい背景には、現代のコミュニケーション文化が大きく影響している。その中でも特に注目されるのが、「対立そのものを避けることが善である」という価値観の浸透である。
近年では、「空気を読む」「場を乱さない」「相手を否定しない」といったコミュニケーションが高く評価される傾向にある。学校教育や企業研修でも、多様性の尊重や協調性が重視されるようになり、他者への配慮は重要な能力として位置付けられている。
もちろん、こうした価値観そのものは否定されるべきではない。対話を通じて相互理解を深め、無用な対立を避けることは成熟した社会の条件でもある。しかし、その考え方が極端になると、「本音を言わないこと」「問題を表面化させないこと」が最優先となり、人間関係に別の歪みを生み出す可能性がある。
本来、人間関係には意見の違いや価値観の衝突が存在する。むしろ、適切な対立や議論は相互理解を深め、信頼関係を強化する契機にもなり得る。ところが、「嫌われたくない」「関係を壊したくない」という思いが強すぎると、不満や違和感を率直に伝えることが難しくなる。
その結果、表面上は笑顔で接しながら、内心では不満や嫉妬を蓄積させるという状態が生まれる。直接的な対話が避けられる一方で、陰口や皮肉、遠回しな批判といった間接的な表現が増えやすくなるのである。
心理学では、このような行動は「受動的攻撃(Passive-aggressive behavior)」の一形態として説明されることがある。怒りや不満を率直に表現する代わりに、皮肉や無視、遠回しな嫌味などによって相手へ不快感を与える行動であり、本人にも明確な悪意の自覚がない場合が少なくない。
例えば、友人から相談を受けた際に、「あなたなら大丈夫だよ」と励ましながら、その内容を第三者へ話してしまうケースがある。本人は「悪気はなかった」「心配して相談しただけ」と認識しているかもしれないが、受け手にとっては信頼を裏切られたと感じる出来事となる。
また、SNS上では「いいね」を押さない、返信を遅らせる、特定の投稿だけ反応しないといった、ごく小さな行動も人間関係のメッセージとして受け取られることがある。直接的な対立を避ける代わりに、こうした微細なサインを通じて感情が表現されるため、誤解や不信感が生じやすくなる。
このように、衝突を避けようとする姿勢そのものが悪いわけではない。しかし、「対立を避けること」が目的化すると、本来は話し合いによって解決できた問題が、陰で積み重なり、フレネミー的な関係へと変質していく危険性がある。
③ 「繋がり過剰(オーバー・コネクティビティ)」の弊害
現代社会の特徴として、常に誰かとつながっている状態が挙げられる。スマートフォンの普及により、人は場所や時間を問わず連絡を取り合うことが可能となり、SNSでは友人や知人の日常をリアルタイムで知ることができる。
この状態は「オーバー・コネクティビティ(Over-connectivity)」、すなわち「繋がり過剰」とも呼ばれる。情報通信技術の発展によって、人間関係の物理的な距離は縮まった一方で、心理的な距離まで近づき過ぎたことによる弊害が指摘されている。
かつてであれば、学校や職場で会う相手とは、帰宅すれば自然と距離を置くことができた。しかし現在では、LINEやInstagram、Xなどを通じて、仕事や学校が終わった後も人間関係は継続する。休日であっても他者の投稿が流れ込み、完全に社会的接触を断つことは難しい。
このような環境では、人間関係の「適度な距離」が失われやすい。心理学では、親密さには適切な距離が必要であり、近過ぎても遠過ぎてもストレスが生じることが知られている。適度な距離が保たれることで、お互いの違いを受け入れやすくなり、感情も整理しやすくなる。
しかし、常時接続の状態では、他者の成功や失敗、交友関係、趣味、買い物、旅行などが絶えず流れ込む。その情報量の多さは、本来知る必要のなかった情報まで日常的に受け取ることを意味する。
例えば、「自分は誘われなかった食事会」「知らないところで仲良くなっていた友人同士」「他人との楽しそうな交流」などをSNSで偶然目にすると、それだけで疎外感や孤独感を抱く人も少なくない。これは「Fear of Missing Out(FOMO:取り残されることへの不安)」とも関連する心理現象である。
さらに、オンライン上では人間関係の境界線も曖昧になりやすい。現実ではそれほど親しくない相手ともSNS上では毎日のように交流し、「知人」と「友人」の区別がつきにくくなる。その結果、本来なら適切な距離を保つべき相手とも過度に接触し、摩擦が増える可能性がある。
フレネミー関係も、この「近過ぎる距離」から生まれることが多い。必要以上に互いの日常を知り、比較し、反応し続けることで、小さな嫉妬や違和感が蓄積され、やがて敵対感情へと変化していくのである。
情報技術は人々を結び付けたが、同時に「距離を置く自由」を失わせた側面もある。現代の人間関係を理解するには、「つながること」の利点だけでなく、「つながり過ぎること」のリスクにも目を向ける必要がある。
④ 自己防衛としての「ラベリング」
「フレネミー」という言葉が急速に広まった背景には、人々が複雑な人間関係を理解しやすくするための「ラベリング(Labeling)」という心理的機能も関係している。
ラベリングとは、曖昧で理解しにくい出来事に名前を付けることで、状況を整理しようとする認知の働きである。人は原因が分からない出来事に対して強い不安を感じるため、「これは○○という現象だ」と分類することで安心感を得ようとする。
例えば、以前であれば「何となく一緒にいると疲れる人」「褒められているのに嫌な気分になる人」としか説明できなかった相手に対して、「あの人はフレネミーだったのだ」と理解できれば、経験を整理しやすくなる。
この点において、「フレネミー」という概念は一定の有用性を持つ。言葉があることで、自分だけが感じていた違和感ではないことを知り、適切な距離の取り方を考えるきっかけになるからである。
一方で、ラベリングには副作用も存在する。それは、人間関係を単純化し過ぎる危険性である。
現実の人間は、完全な善人でも悪人でもない。誰しも嫉妬することもあれば、他者を羨むこともあり、時には不用意な発言で相手を傷付けることもある。それだけで直ちに「フレネミー」と決めつけるならば、人間関係の修復や相互理解の可能性を失うことになる。
また、SNSでは短いエピソードだけを見て他者を評価する文化が広がっている。「一度嫌味を言われた」「褒められたけれど違和感があった」といった断片的な情報だけで、「あの人はフレネミーだ」という結論に飛躍しやすい。
これは認知心理学でいう「確証バイアス(Confirmation Bias)」とも関係している。一度「この人はフレネミーだ」と思い込むと、その考えを裏付ける情報ばかりに注意が向き、相手の善意や好意的な行動を見落としてしまう可能性が高まる。
さらに、「フレネミー」という言葉は、時として自分自身を守るための心理的防衛にも利用される。例えば、自分より成功した友人に対する嫉妬や劣等感を認めたくないとき、「あの人はフレネミーだから距離を置こう」と考えることで、自尊心を保とうとする場合がある。
もちろん、本当に有害な人間関係から離れることは重要である。しかし、その判断は一時的な感情ではなく、継続的な言動や客観的な事実に基づいて行う必要がある。
「フレネミー」という概念は、人間関係を理解するための便利な道具ではあるが、それはあくまで「道具」に過ぎない。人を安易に分類し、複雑な現実を単純化するためのレッテルとして用いるならば、その言葉自体が新たな対立を生み出す要因にもなり得るのである。
要注意!フレネミーに共通する3つの特徴
これまで見てきたように、フレネミーとは単純に「性格の悪い人」や「気の合わない友人」を指す言葉ではない。その本質は、「友人という立場を維持しながら、見えにくい形で優位性を確保しようとする対人行動」にある。
そのため、フレネミーの言動は露骨な攻撃ではなく、日常会話やSNS上の何気ないやり取りの中に巧妙に組み込まれていることが多い。本人は冗談や親切のつもりで発言している場合もあり、悪意が自覚されていないケースも少なくない。
心理学では、人間のコミュニケーションは「言葉そのもの」だけでなく、「どのような文脈で」「誰が」「どのような関係性の中で」発したかによって意味が大きく変化すると考えられている。同じ発言であっても、信頼関係のある友人から受ければ励ましになり、競争意識の強い相手から受ければ皮肉として受け取られることがある。
また、人間には「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれる認知傾向があり、否定的な出来事や曖昧な言動を強く記憶する性質がある。そのため、一度違和感を覚えると、その後の何気ない言葉まで悪意として受け取りやすくなる。
したがって、以下に紹介する特徴は「一度でも当てはまればフレネミー」と判断するためのチェックリストではない。むしろ、これらの言動が継続的・反復的に現れ、相手との関係に慢性的な疲労感や不信感をもたらしているかどうかが重要な判断材料となる。
1. 毒入りの褒め言葉
フレネミーを象徴する特徴として最もよく挙げられるのが、「毒入りの褒め言葉(Backhanded Compliment)」である。これは一見すると賞賛しているように聞こえるものの、その中に否定や優越感、皮肉が含まれている発言を指す。
例えば、「意外と仕事ができるんだね」「思っていたより可愛い」「その服、あなたらしくていいね」「そんな会社でも採用されたんだ」といった表現は、表面的には肯定的な言葉で構成されている。しかし、その前提には「本来は期待していなかった」「普通はそうではない」という含意が存在する。
このような表現は、直接的な悪口ではないため、受け手は反論しにくい。「褒められているのだから気にし過ぎではないか」と自分を納得させようとする一方で、心には説明しづらい違和感が残る。
言語学では、このような表現は「含意(Implicature)」を利用したコミュニケーションとして説明されることがある。話し手は明示的には否定していないため、「そんな意味で言ったわけではない」と容易に弁解できる一方、受け手には否定的なニュアンスが伝わる構造となっている。
また、社会心理学では、人は自尊感情を維持するために、自分より近い立場にいる他者との比較を行いやすいことが知られている。友人が成功した際、その成功を全面的に認めることが難しい場合、「でも」「意外と」といった限定的な評価を加えることで、自分との心理的な差を縮めようとすることがある。
例えば、友人が難関資格に合格した際、「すごいね。でも運も良かったんじゃない?」という一言が添えられるだけで、努力や能力への評価は相対的に低められる。このような発言は、本人が無意識に行っていることも少なくない。
SNSでも同様の現象は見られる。投稿に対して「いいね!」と反応しながら、「私にはそんな生活は向いていないけどね」とコメントを付け加えるなど、祝福と距離の取り方が混在した表現が使われることがある。こうした言動は、応援しているようでいて、相手の成功を素直に認めきれない心理の表れと考えられる。
もっとも、「毒入りの褒め言葉」は文化や個人差の影響も受ける。冗談を好む関係性では軽口として受け止められる場合もあり、発言だけを切り取って善悪を判断することは適切ではない。重要なのは、その発言が繰り返されることによって、自分が常に軽視されていると感じるかどうかである。
2. 心配のフリをした詮索
二つ目の特徴は、「心配している」という姿勢を見せながら、実際には情報収集や噂話を目的とした質問を繰り返すことである。
人は基本的に、他者から関心を向けられると安心感を抱きやすい。「最近元気?」「何か困っていることはない?」という言葉そのものは、健全な人間関係では思いやりの表現である。
しかし、フレネミー的な関係では、この「心配」が情報取得の手段として利用されることがある。例えば、「最近仕事どう?」「恋人とうまくいってる?」「転職を考えてるって本当?」といった質問を重ね、集めた情報を第三者へ伝えたり、後の比較材料として利用したりするケースである。
このような行動は、本人にとっては「世間話」や「コミュニケーション」の一環である場合もある。そのため、自覚的な悪意がないまま他者のプライバシーを侵害してしまうことも少なくない。
心理学では、人は所属集団の中で情報を共有することで結束を強めようとする性質を持つとされる。そのため、噂話そのものは人間社会に普遍的な現象であり、必ずしも悪意だけから生まれるわけではない。
しかし、その情報共有が特定の人物の評価を下げたり、本人の了承なく私的情報を広めたりする段階になると、信頼関係を損なう行為へと変化する。特にSNSでは、スクリーンショットやDMの内容が容易に共有されるため、情報漏えいの範囲が従来よりも格段に広がっている。
また、「あなたのためを思って言うけれど」という前置きにも注意が必要である。この表現は本当に善意から使われることも多いが、中には自分の価値観を押し付けたり、相手をコントロールしたりするための免罪符として用いられることがある。
例えば、「その会社、本当に大丈夫?」「そんな恋人はやめた方がいい」「あなたには向いていないと思う」といった助言が、十分な情報や相手への理解を欠いたまま繰り返される場合、それは支援よりも支配に近いコミュニケーションとなり得る。
健全な友人関係では、相手の意思決定を尊重しつつ必要な助言を行う。一方でフレネミー的な関係では、相手の選択肢を狭め、自分の優位性を維持する方向へ助言が傾くことがある。この違いは一見すると分かりにくいが、長期的には信頼関係に大きな差を生む。
3. 人の不幸で生き生きする
三つ目の特徴は、他者の失敗や不幸に対して過度な関心や喜びを示すことである。
心理学には、ドイツ語由来の概念として「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」がある。これは「他人の不幸を見て快感を覚える感情」を意味し、多くの人が程度の差こそあれ経験し得る自然な心理現象とされている。
例えば、圧倒的な成功者が思わぬ失敗をしたとき、「少し安心した」と感じることは珍しいことではない。これは、自分との格差が一時的に縮まったように感じられるためであり、必ずしも人格的な問題を意味するわけではない。
しかし、フレネミー的な関係では、この感情が繰り返し表面化する。友人が失敗したときだけ積極的に連絡を取る、落ち込んでいる様子を必要以上に聞き出そうとする、あるいは失敗談を周囲へ話題として広めるといった行動が見られることがある。
また、成功したときには反応が薄い一方で、失敗した際には急に親身になるケースもある。このような対応は、本人が無意識のうちに「相手が自分より下の立場にいると安心する」という心理を抱いている可能性を示唆する。
SNSでは、この傾向がさらに複雑になる。他者の炎上や失敗が短時間で拡散され、多くの人がコメントを寄せることで、個人の失敗が娯楽として消費される現象も見られる。フレネミー的な人物は、その流れの中で「心配している」と言いながら、実際には相手の失敗を興味本位で眺めたり、話題として利用したりすることがある。
もちろん、友人の失敗に対して助言をしたり、一緒に原因を考えたりすること自体は健全な支援行動である。問題となるのは、その関心が相手の回復ではなく、自分の優越感や好奇心を満たす方向へ向かっている場合である。
健全な友情では、相手の成功を共に喜び、失敗したときには再び立ち上がれるよう支えることが基本となる。フレネミーとの違いは、成功と失敗のどちらにより強い関心を示すかという点にも表れやすい。
Z世代が「フレネミー」と健全に付き合うための処方箋
ここまで見てきたように、「フレネミー」は特殊な人格を持つ人だけを指す概念ではない。比較社会、SNS、競争環境、承認欲求など、現代社会が持つ複数の要因が重なり合うことで生じる人間関係の一形態である。
そのため、「フレネミーを完全になくす方法」は存在しない。人は誰しも嫉妬し、競争し、ときには他者を羨む感情を抱く。重要なのは、その感情に振り回されず、適切な距離感を保ちながら人間関係を築くことである。
心理学では、精神的健康を維持するためには「他者を変えようとするより、自分の認知や環境を調整する方が効果的」であると考えられている。以下では、現代社会において実践しやすい三つの考え方を紹介する。
情報の「食事制限」を行う
人間の身体が食べ物によって作られるように、心は日々取り込む情報によって大きな影響を受ける。その意味で、SNSやニュース、動画コンテンツは「情報の食事」とも言える。
現代では、他人の生活を無制限に見ることができる。しかし、本来、人間は何百人もの近況を毎日知るようには進化していない。認知科学や進化心理学では、人間が安定して維持できる社会的関係には一定の上限があることが指摘されており、それを超える情報量は精神的負荷となりやすい。
SNSを長時間利用していると、自分とは関係のない成功や失敗まで次々と目に入る。その結果、比較や嫉妬、不安が慢性化し、自尊感情が低下する場合があることは、多くの心理学研究でも報告されている。
そこで有効なのが、「情報の食事制限」という考え方である。これはSNSを完全にやめることではなく、必要以上に比較を生み出す情報との接触を減らすことである。
例えば、起床直後や就寝前にはSNSを見ない時間を設ける、閲覧時間を一日三十分程度に制限する、自分を疲れさせるアカウントの閲覧頻度を減らすなど、小さな工夫でも心理的負担は軽減される。
また、「全ての情報を知る必要はない」という認識も重要である。現代では「知らなければ損をする」という不安が生じやすいが、実際には他人の近況を細部まで把握することが幸福につながるとは限らない。
情報を選択的に摂取することは、現代におけるセルフケアの一つと考えられる。
SNSの「ミュート・親しい友達」機能を駆使する
SNSには、人間関係を断絶させることなく距離を調整するための機能が数多く用意されている。その代表例が「ミュート」や「親しい友達」機能である。
日本では、相手をブロックしたりフォローを解除したりすることに強い抵抗感を持つ人が少なくない。特に学校や職場など現実でも関係が続く相手に対しては、「関係を悪化させたくない」という思いから無理に交流を続けてしまうことがある。
しかし、人間関係には「ゼロか百か」だけではない中間的な距離が存在する。SNSのミュート機能は、その代表的な例である。相手とのつながりを維持したまま投稿を表示しない設定にすることで、不必要な比較やストレスを減らすことができる。
また、「親しい友達」機能を利用すれば、自分の投稿を見せる相手を限定できる。すべての近況を全員へ公開する必要はなく、内容に応じて共有範囲を調整することは、健全な自己開示の方法と言える。
コミュニケーション研究では、信頼関係は「適切な自己開示」によって形成されると考えられている。しかし、それは「何でも話すこと」を意味しない。相手との関係性に応じて共有する情報を選ぶことも、成熟した対人スキルの一つである。
SNSでは「全員と平等につながること」が理想のように見えるが、現実の人間関係は本来、親密度に応じて層構造になっている。家族、親友、知人、同僚など、それぞれ距離が異なるのは自然なことであり、その違いをSNS上でも反映させることが、無理のない人間関係につながる。
つまり、便利な機能を積極的に活用することは逃避ではなく、自分自身の心理的健康を守るための環境調整なのである。
「そういうキャラ」として鑑賞する
フレネミーへの対処法として、近年、心理学やメンタルヘルス分野で注目されている考え方の一つが「認知的距離を取る」という方法である。
これは相手を変えようとするのではなく、「この人はこういうコミュニケーションを取る人なのだ」と一定の距離を置いて観察する姿勢である。
例えば、毎回マウンティングをする人に対して、「また始まった」と冷静に受け止めることができれば、その言葉を必要以上に自分の価値と結び付けずに済む。
もちろん、深刻なハラスメントやいじめを我慢するべきだという意味ではない。精神的・身体的な被害が生じている場合には、距離を置くことや第三者へ相談することが優先される。
ここで言う「鑑賞する」とは、相手の言動を一歩引いた視点で捉える認知の技法である。認知行動療法やマインドフルネスでも、出来事を客観視することによって感情への巻き込まれを軽減する方法が用いられている。
また、人間には「他人を変えられる」という思い込みを持ちやすい傾向がある。しかし、人格や価値観は短期間では変わらないことが多い。相手を変える努力に過度なエネルギーを使うより、自分の反応を調整する方が現実的であり、精神的な負担も少ない。
「そういうキャラなのだ」と考えることは、相手を見下すことではない。自分の心を必要以上に消耗させないための心理的な境界線を引く作業なのである。
今後の展望
「フレネミー」という言葉は、今後もしばらくはSNSやメディアで使用され続ける可能性が高い。しかし、注目すべきなのは言葉そのものではなく、それが象徴する人間関係の変化である。
今後、生成AIや仮想空間、メタバース、オンラインコミュニティの発展により、人間関係はさらにデジタル化していくと考えられる。現実世界とオンライン空間の境界が曖昧になるほど、人間関係の複雑さも増していくだろう。
一方で、近年では「デジタル・ウェルビーイング」や「SNS疲れ」に関する研究も進み、情報との付き合い方を見直す動きが世界的に広がっている。利用時間の管理、通知の制限、オフラインでの交流を重視するライフスタイルなどが、精神的健康の維持に有効であることが示されつつある。
また、学校教育や企業研修でも、SNSリテラシーだけでなく、対人関係における心理的境界線(バウンダリー)の重要性が取り上げられる機会が増えている。相手を尊重しながらも、自分自身を守る技術は、今後ますます重要な社会的能力となるだろう。
さらに、「フレネミー」という概念が広く知られることで、人間関係を安易に善悪で判断するのではなく、「なぜそのような言動が生じるのか」という背景に目を向ける姿勢も求められる。嫉妬や競争心は人間に普遍的な感情であり、それ自体を否定するのではなく、適切に扱うことが成熟した社会には必要である。
まとめ
本稿では、「フレネミー」が2026年現在、なぜZ世代を中心に注目されているのかを、社会心理学、コミュニケーション学、デジタル社会論の視点から検証した。
まず確認したように、「フレネミー」は2026年に誕生した新しい概念ではなく、古くから存在していた複雑な人間関係を表す英語表現である。近年になって急速に広まった背景には、SNSの普及によって比較や競争、人間関係の曖昧さが可視化されたことが大きく影響している。
また、Z世代においては、「可視化された比較」「衝突を避ける文化」「繋がり過剰」「ラベリングによる自己防衛」といった複数の要因が重なり、フレネミーという概念に共感しやすい社会環境が形成されていることを確認した。
さらに、「毒入りの褒め言葉」「心配のフリをした詮索」「人の不幸への過度な関心」といった特徴を紹介したが、これらはいずれも一回の出来事だけで判断すべきものではない。重要なのは、相手との関係全体を見渡し、自分が慢性的な疲労感や不信感を抱いているかどうかを冷静に見極めることである。
最後に示したように、現代社会では他者を完全に変えることは難しい。一方で、自分が接する情報量を調整し、SNSの機能を活用し、心理的距離を保つことは十分に可能である。健全な人間関係とは、すべての人と仲良くすることではなく、自分と相手の境界線を尊重しながら、無理のない距離感を維持することによって築かれるものなのである。
参考・引用リスト
【学術・専門書】
- Leon Festinger, A Theory of Social Comparison Processes(1954)
- Roy F. Baumeister, The Need to Belong(1995)
- John Bowlby, Attachment and Loss
- Daniel Kahneman, Thinking, Fast and Slow
- Susan Cain, Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking
- Brené Brown, Daring Greatly
- Robin Dunbar, How Many Friends Does One Person Need?(ダンバー数に関する研究)
- Gordon W. Allport, The Nature of Prejudice
【専門機関・研究】
- American Psychological Association(APA)
- Association for Psychological Science(APS)
- Pew Research Center(SNS利用・若年層調査)
- OECD(デジタル社会・ウェルビーイング関連報告)
- 世界保健機関(WHO)(メンタルヘルス関連資料)
- 総務省『情報通信白書』
- 内閣府『子供・若者白書』
- 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)公開資料
【辞典・用語】
- Merriam-Webster Dictionary("frenemy")
- Cambridge Dictionary("frenemy")
- Oxford English Dictionary("frenemy")
- APA Dictionary of Psychology
【国内外メディア・調査】
- NHK
- 日本経済新聞
- BBC
- CNN
- The New York Times
- The Guardian
- Forbes
- Harvard Business Review
- 各種SNS利用実態調査・若年層意識調査(2023~2026年公表資料)
