◎ボロボロのイラン核合意を復活させるウィーン交渉はまもなく合意に達すると噂されている。
2022年2月11日/イラン、首都テヘランの広場で開催された1979年の革命を祝うイベント、米国の国旗を燃やす人々(Getty Images/AFP通信)

2月11日、イランの首都テヘランで1979年の革命を記念するイベントが開催され、数千台の車とバイクがパレードを行った。

イランの初代最高指導者ルーホッラー・ホメイニー氏率いる革命勢力は1979年2月11日にパフラヴィー朝を打倒し、イスラム共和国を樹立した。

テヘランの中央広場に集まった人々はイランの国旗を振り回し、最高指導者のアヤトラ・アリ・ハメネイ氏を称賛し、米国とイスラエルを罵倒した。国営メディアは数十万人がイベントに参加したと報じている。

ボロボロのイラン核合意を復活させるウィーン交渉はまもなく合意に達するとされている。

米国のドナルド・トランプ前大統領は2018年に核合意から撤退し、イランに厳しい経済制裁を科し、外国資産を凍結したうえで、イランの原油、天然ガス、石油化学製品に対する投資を禁止した。

エブラヒーム・ライシ大統領は11日、「イランはバランスの取れた外交政策を模索しているが、経済的に自立するために大きく前進する必要がある」と述べた。「私たちはウィーンやニューヨークに頼るつもりはありません...」

ホワイトハウスのジェン・サキ報道官は先週、「核合意の再開は目の前」と述べる一方、「イランの核開発が進展していることを考慮すると、今後数週間以内に成果が出なければ、核合意に戻ることは不可能になる」と警告した。

広場に集まった人々は「米国に死を」「イスラエルに死を」などと叫び、革命を祝った。AP通信によると、いくつかのグループは米国とイスラエルの国旗を燃やし、何度も踏みつけたという。

イラン政府はコロナウイルスの感染拡大を考慮し、国民に自動車やバイクでパレードするよう呼びかけていた。保健当局によると、国内のウイルスはほぼオミクロン株に置き換わったという。直近1週間の平均陽性は約35,000件、死亡者は約100人、累計陽性は670万件、死亡者は13万人を超えた。

コロナワクチン接種は比較的順調に進んでおり、2回接種を終えた人は2月10日時点で人口の約65%、ブースター接種率は約25%。

イラン革命はモハンマド・レザー・パフラヴィー国王の支配に対する広範な不安から始まった。末期ガンで密かに病床にあった国王は、1979年1月にイランから逃亡し、その後、ホメイニー氏が亡命先から帰国し、デモ隊と治安部隊の対立後、王国は崩壊した。

パフラヴィー朝崩壊から2か月後、イランはホメイニー氏を初代最高指導者とするイスラム共和国体制を確立した。

1979年11月、イランは米国がパフラヴィー国王の入国(がん治療のため)を認めたことに激怒し、米国大使館を占領、人質事件に発展した。

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