大切なもの

ベイルートは砕け散ったガラス、瓦礫、そして人々の涙に包まれている。

港湾エリア近くのアパートで生活していたエディ・ビター氏は大切なものを失った。

彼のアパートの壁に深く刻まれた亀裂は深く、見るも無残な状態である。もちろん、人が生活できるような状態ではない。

ベター氏は瓦礫を飛び越え、正面玄関近くを指さした。そこに赤く残った血は、彼の弟のものである。

ベター氏の妻、ヤラ氏は、数日前に起きた悪夢を思い出し、涙を流した。

ベイルートを襲った大爆発はレバノンを危機的状況に陥れ、そこで生活していた人々は財産と希望を失った

ヤラ氏はBBCの取材に対し、「今、悲しみと怒りがレバノンの新しい通貨になった。私たちはここにとどまり、子供を産み、生活する。私たちは今回のような悲劇を二度と起こさないために、もっと強くならねばならない」と述べた。

国連のレバノン救済チームは、8月4日に発生した大爆発と、1975年から1990年まで続いたレバノン内戦を比較し、「わずか15秒で、人々は再び全てを失った」と表現した。

レバノン政府を襲う政治的混乱と財政的混乱は、同国史上前例のないものであり、かつてない規模の回復努力と政策を実行しなければならない。

ベイルートの壊滅規模はレバノン内戦の被害をはるかに超え、信じがたいレベルに達している。措置を急がねば、大勢の住民の命にかかわるだろう。

港湾エリアには、国内に出荷する小麦の大半を保管する穀物貯蔵サイロがあった。しかし、それらは大爆発に飲み込まれ、何があったかも分からないほど粉々に消し飛んでしまった。

人々が船舶から積み荷を降ろしていたエリアには、深さ40m以上の巨大クレーターだけが残り、他には何もない。

大使館の関係者によると、少なくとも43名のシリア人労働者が港湾エリア近くで爆発に巻き込まれ死亡したという。また、近隣の工業地域近くに住んでいた多くの難民家族が住居と貯蓄を失った。

爆心地から数マイル離れた地点のアパートですら酷く破壊され、路上にはゴミや瓦礫が散乱している。約30万人が住居を失い、ホームレスになった

国連人道支援機関によると、基本的な公共サービス(電気、水、病院など)が回復するまでの期間は不明。まずは生活に欠かせないものを可能な限り早く復旧しなければならない、と危機感を示した。

現在、3つの主要病院が活動を停止しており、まともに機能しているヘルスケアセンターは全体の半分以下である。

港の近くで店を経営していた男性はBBCの取材に対し、「爆発は私たちから全てを奪った。金属は紙のように引き裂かれ、私の店の前でも2人が亡くなった」と肩を落とした。

ベイルートの惨状を見たレバノン国民は、ほうきやシャベルを持ち寄り、街中に散乱したガラスと瓦礫を撤去すべく行動を開始した。

郊外から訪れたボランティアたちは、傷つき涙を流すベイルートを元に戻したい、と一心不乱に働く。ボランティアの行動は、この国の新しいシンボルになった

友人たちと港湾エリアの片づけを手伝う建設エンジニアの男性は、ほぼ全壊状態の高僧マンションから放出された瓦礫を汗だくになりながら運んでいた。

ボランティアは相互扶助、助け合いの精神で力を尽くしている。しかし、彼らの不屈の精神にも限界がある。

粉々に打ち砕かれたベイルートを立て直すためには、政府の力が必要不可欠である。

レバノン政府は通貨崩壊、コロナウイルス、政治家の不正・汚職・腐敗に抗議する反政府抗議デモ、そして、今回の大爆発によって機能を停止した。

父親は娘と妻を失った

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レバノン政府

港湾エリアに安全対策を怠った状態で保管されていた2,750トンの硝酸アンモニウムは、レバノン政府および一部の政治家の腐敗を象徴している。

同国の政治システムは、最も重視すべき宗教間(キリスト教、シーア派、スンニ派など)のパワーバランスを考慮し、レバノン内戦後に確立された。

しかし、権力や派閥間の争い、金や権力の奪い合いを防ぐことはできず、壊滅的なレベルの腐敗につながった。

不正や汚職で富を蓄えた者たちは政府の中枢であぐらをかき、様子を伺っている。そして、大爆発に巻き込まれた人々は、その様子を見て落胆するのである。

ジェムマイゼ地区は今回の大爆発で深刻な被害を受けた。

同地区は主要なキリスト教派閥に属し、レバノン軍と深い関りを持つ比較的裕福な人々が生活する。

イスラム教スンニ派教徒が暮らすコーニッシュ地区とマライシェ地区も被害を受けた。

港湾エリアで働いていたイスラム教シーア派の労働者たちは、レバノンを支配する武装政治組織、ヒズボラへの重要な支援基盤だった。

人々は腐敗しきった政治家たちを恨んでいる。彼らの多くが、自分の信じる宗派の政治家を信じていた。

しかし、宗派を盾に私腹を肥やし続けてきた政治家を信用した結果が今である。

レバノンの政治アナリスト、サミ・ネーダー氏は、宗派間の分裂とパワーバランスが生み出した政治システムを「政党カルテル」と表現した。

大爆発後、反政府抗議運動の気運が高まっている。

デモ隊は殉教者広場に集合し、抗議の声を上げた。彼らが望むものは不正・汚職・腐敗の撲滅である。

デモ隊は国会議事堂前に設置されたバリケードを突破しようと試みた。が、機動隊による催涙ガス弾とゴム弾の手中砲火を受け、撤退した。

8月11日、内閣はベイルートが未曽有の危機にあるにも関わらず職務を放棄、総辞職した。

ハッサン・ディアブ首相は国民の怒りを収めるために大ナタを振るった、と思われている。しかし、大半の国民は「同じことが繰り返されるだけ」「茶番」と考え、抗議の手を緩めない。

政治家たちは、圧倒的な力を持つ宗教指導者にこびへつらい、新しい首相を選ぶ。政党カルテルを抜本的に見直さない限り、同じことが延々と繰り返されるだけだ。

当局は、8月15日に予定されている大規模な抗議活動への対策として、国会議事堂周辺に巨大な金属板を設置した。

大切なものを失ったエディ・ビター氏は、無能な犯罪者たちによってもたらされた爆発を非難した。

「政府は私たちから税金を受け取り、到底払いきれない借金を与えてくれた。政府は私たちの大切なものを奪った。政府は同胞たちを焼き殺した。政府は私たちの希望と魂を殺した。しかし、私たちは絶対に諦めない」

残骸の中、ビター氏はレバノンが「国のために最善を尽くす若者たちによって統治されるだろう」と約束した。

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