カザフスタン共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:カザフスタン共和国(Republic of Kazakhstan)

首都:ヌルスルタン(Nur-Sultan)

人口:18,744,548人(2020年推定)

面積:2,724,900㎢(日本の7.2倍)

気候:大陸性気候
・夏は温かく、冬は非常に寒い。
・夏場は北エリアもそれなりに暖かくなる。南エリアは非常に暑い。(最高気温は40℃を超える)
・冬場はシベリアの冷気に覆われるため、防寒対策必須。(最低気温はー40℃を下回ることも珍しくない)
・年間降水量は300mmほど。乾燥している。
・カスピ海沿いの南エリアは冬場もかなり暖かく、過ごしやすい、
国土の大部分は平野。山岳地帯は少ない

経済:
・開発途上国
・中央アジア最大の経済規模を誇る。
GDPは約1,816億ドル(2019年)
・石油と鉱物資源が豊富。
・世界トップクラスの石油および天然ガス輸出国になる可能性を秘めている。
ウランの生産量世界一。(世界の市場の35%を占める)
・主要産業は農業。
・1991年の独立から数年間、不況に苦しんだ。
・市場経済国に認定された。(EU:2000年、アメリカ:2002年)
・2000年代、経済は石油と鉱物価格の上昇を受け急拡大した。
・2006年のGDP伸び率は前年比10.6%のプラス。
・ウクライナ危機(2014年)の影響で成長率が鈍化。
・石油部門の成長が特に著しい。
・経済成長の80%以上を石油部門が占めている。
・政府は非石油部門の開発と成長に力を入れている。
・2020年上期の自動車輸出は前年比の7倍に増加。
・国営企業の民営化プロジェクトを推進している。(2016年~現在)

人種:
・カザフスタン人 63.1%(2009年の国税調査より)
・ロシア人 23.7%
・ウズベク人 2.9%
・ウクライナ人 2.1%
・ウイグル人 1 4%
・タタール人 1.3%
・ドイツ人 1.1%
・その他 4.5%

言語:カザフ語(公用語)
・ウズベク語
・キルギス語
・タタール語
・ウイグル語
・英語

宗教:
・イスラム教 72%(2020年推定)
・キリスト教 23.1%
・無宗教 4%
・その他 0.9%
・ムスリムの大多数はスンニ派。シーア派、アフマディー派は少ない。
・憲法で信教の自由を保証している。

カザフスタン共和国

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大統領:カシムジョマルト・トカエフ(Kassym Jomart Tokayev)
首相:アスカル・マミン(Askar Mamin)

政治体制:両院制
・議会は元老院(上院:47人)とマジリス(下院:107人)で構成。
・大統領の任期は5年。
・首相と第一副首相は大統領が任命する。
・行政長官(国、地方)の任命権は大統領が持っている。
・行政権は議会が行使。
・選挙の投票率(大統領、議会)は非常に高い。
・選挙は比例代表制。

法律:カザフスタンの憲法
・最高裁判所の裁判官は44人。
・憲法評議会メンバーは7人。
・司法権の独立は憲法で保証されている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報が出ている。(2020年11月時点)

治安:市街地は普通。隣国との国境付近は危険。
アフガニスタンとの国境付近はイスラム過激派の活動地域
・麻薬の密輸と取り締まりの関係で、一部エリアの治安は非常に悪い。
・地雷設置エリア(主に国境付近、区画されている)への立ち入りは禁止。
・近年、国内でイスラム過激派によるテロは発生していない。

カザフスタン共和国/首都ヌルスルタンのモスク

マスメディア(目次に戻る

・国内で活動する新聞社は約1,000社。
・国営テレビ局は1社。民間は100社以上。
・ラジオ局は多数。カザフ語とロシア語が大多数を占める。
・市街地のインターネット網は整備されている。
・憲法で報道の自由を保証している。
野党メディアおよびそれに関連する個人は検閲の対象
・国内でメディア活動する場合は、文化情報スポーツ省の許可を得る必要がある。

【国営メディア/設立年】
・カザフスタン 1958年

【民間メディア(抜粋)】
・Khabar Agency
・YelArna
・NTVPlus
・Gakku TV(国内初の音楽専用チャンネル)
・KTK

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2020年軍事力ランキング:63位

・軍人数:132,000人(推定)
  即戦力 132,000人
  予備兵 0人

・陸、海、空軍を保有

・国防予算:40億ドル

歴史(目次に戻る

1700年代

・15世紀~18世紀初頭、現在のカザフスタンとその周辺地域はカザフ・ハン国の領土だった。

・カザフ・ハン国は北のロシア帝国と頻繁に領土争いを繰り広げてきた。

カザフ・ハン国に統治者はおらず、部族間の争いが絶えなかった

・1730年、争いに敗れた小部族のリーダー、アブル・ハイルがロシア帝国の援助を求める。

・ロシア帝国は援助を受け入れ、カザフ・ハン国の領土に侵入、領土の一部を支配した。

・1798年、ロシア帝国は中央エリアの大軍を征服、少しずつ領土を広げたが、カザフ・ハン国は独立を維持した。

1800年代

・1820年、カザフ・ハン国の南エリアを治めるコカンド・ハン国がロシア帝国の支配下に入ることを認める。

・1822年、ロシア帝国がカザフ・ハン国の統一を開始。3つの主要な地域を統治してきたリーダーたちは、この政策を受け入れた。

・ロシア帝国が自国民(ロシア人)に土地を与え始める。1822年~1848年の間に、多くのロシア人がカザフ・ハン国に移り住んだ。

ロシア帝国の植民地化に反対する武装勢力の蜂起が各地で発生する

・カザフ人は植民地になっても人口を増やし続けた。

・カザフ・ハン国は他の周辺国より数段食料に恵まれ、人口を増やすことができたと考えられている。

・少数ながらも領土を抑えたロシア人たちは、遊牧民族の土地を少しずつ削り取り、移動を制限した。

・1863年、ロシア帝国が新しい帝国政策を発表。国境付近の紛争地を併合すると主張した。

・1890年代、遊牧民族は移動する土地の大半を失い、大混乱に陥った。

・ロシア帝国は領土の開発を進め、オスマン帝国やイギリスなどとの戦いに備えた。

1900年~第一次世界大戦

・1906年、現在のロシアとウズベキスタンを結ぶトランスアラル鉄道が完成。ヨーロッパロシアと中央アジアが1本のルートでつながった。

・1906年~1912年、ロシア帝国の政策により、カザフ・ハン国を含む中央アジア一帯にロシアの農場が約50万カ所整備された。

・1914年、第一次世界大戦勃発。ロシア帝国軍はカザフ・ハン国を含む中央アジアの部族を徴兵、出兵を強制した。

・1916年7月、多くのカザフ人が徴兵に反対するバスマチ蜂起に参加した。

・1916年末、ロシア帝国軍は徴兵に反対する武装勢力を粛正。数千人のカザフ人が死亡、数千人が中国やモンゴルに逃亡したと伝えられている。

多くのカザフ人とロシア人が帝国に反旗を翻し、ロシア革命に大きな影響を与えた

・1917年、ロシア・ソビエト社会主義共和国(ロシアSFSR、ソビエト)誕生。

・1917年、カザフ・ハン国の一部を支配した民族主義者のリーダーが「アラシュ自治国」の建国を宣言。

・アラシュ自治国は2年以上独立を守りぬいたが、最後はソビエトに屈し、解体された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年、現在のカザフスタン領土を含むキルギス自治社会主義ソビエト共和国(キルギス自治SSR)設立。

・1925年、キルギスSSRはカザフ自治社会主義ソビエト共和国(カザフ自治SSR)に改名。

・1936年、カザフ自治SSRはソビエトから分離され、「カザフソビエト社会主義共和国(カザフSSR)」に改名。(首都:アルマトイ)

・1929年~1934年、スターリンの農業集団化政策の影響でカザフ自治SSRとソビエトで大飢饉が発生。期間中、100万人以上が餓死し、国内の家畜の約80%が死んだ。

・第二次世界大戦中、多くのソビエト市民とソビエトの産業がカザフSSRに移住(移転)した。

・同時期にタタール人、ドイツ人、イスラム教徒の他民族がカザフSSRに逃げ込んだ。

終戦~現在

・1953年、ソビエトのフルシチョフ書記長が処女地開拓政策を開始。これにより、カザフSSR国内に小麦の耕作地などが開拓された。

・1960年代、石炭、石油、天然ガス鉱床の開発政策が実行される。

・一連の工業化政策の影響で遊牧民人口が大きく減少。

・1986年12月16日、ソビエト当局がカザフSSRのディンムハメッド・クナエフ書記長を解任。これに抗議するデモが発生し、数十人が死亡。数千名の死傷者と逮捕者を出した。

・1990年6月、ソビエトはカザフSSRに対する主権を宣言。国内の民族グループはこれに猛反発し、治安の悪化を招いた。

・1991年8月21日、ヌルスルタン・ナザルバエフが「カザフスタン共和国」の初代大統領に就任。

1991年12月16日、カザフスタン共和国が独立を宣言。独立国家共同体(CIS)に加盟する。

・1991年12月25日、ソビエト崩壊。ロシア連邦誕生。

・1992年3月2日、国連に加入。

・1995年8月30日、新憲法を制定。

・1997年12月10日、首都をアルマトイからアスタナ(現在のヌルスルタン)に移転。

・カザフスタン共和国は独立後も経済および国家安全保障の問題において、ロシア連邦に強く依存している。

・ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、アメリカとの良好な関係維持に努めた。

・1994年と1995年、カザフスタンはアメリカの提案に従い核計画を放棄。セミパラチンスク核実験場を閉鎖後、核弾頭を全て廃棄した

・2019年3月20日、カシムジョマルト・トカエフが大統領に就任。

・2019年3月23日、首都アスタナの名を初代大統領の名にちなんだヌルスルタンに変更。

文化(目次に戻る

遊牧民の牧畜文化がベース

・カザフ料理の主菜は子羊肉、馬肉、乳製品。

・肉は塩漬けしたうえで乾燥させる。(遊牧民の長期保存法)

・代表的な飲み物は「馬乳酒(お酒ではない)」。馬乳を発酵させた飲み物で、お腹を下しやすい人にはおすすめしない。

カザフ人は「おもてなし」を大切にする。ゲストへの食事や馬乳酒の提供は当たり前。

・国を挙げて映画分野に力を入れている。(政府が映画の製作に関わることもある)

・カザフ映画「Tulpan」はカンヌ映画祭である視点部門賞を受賞した。

・カザフ映画「Kelin」はアカデミー国際長編映画賞の最終選考に残った。

カザフスタン共和国/遊牧民、草原を疾走する馬

スポーツ(目次に戻る

・政府主導で選手の育成に力をいれている。

・一番人気はサッカー。ただし、FAFAワールドカップの出場経験はない。

・ボクシングの強豪国。ゲンナジー・ゴロフキン(ミドル級世界王者)はカザフスタンを代表するスター選手。

・ナターシャ・ラゴシナは女子ボクシングの2階級世界王者(ヘビー級、スーパーミドル級)。無敗のまま引退。

・自転車競技の強豪国。代表選手たちはオリンピックや有名レース(ツール・ド・フランス)などで素晴らしい成績を残している。

・重量挙げの強豪国。イリア・イリン(105kg級)はオリンピックで2大会連続金メダルを獲得した数少ない重量挙げ選手のひとり。

オリンピックの戦績、金16個、銀24個、銅32個

【有名スポーツ選手】
・オルガ・リパコワ(Olga Rypakova)陸上三段跳び、オリンピック金メダリスト。

・アレクサンドル・ヴィノコウロフ(Alexander Vinokourov)自転車、オリンピック金メダリスト、ツール・ド・フランス4勝他実績多数、カザフの英雄と呼ばれている

・ゲンナジー・ゴロフキン(Gennady Golovkin)世界ミドル級王者、現役。

・イリア・イリン(Ilya Ilyin)重量挙げ、オリンピック金メダリスト。(2大会連続)

その他(目次に戻る

・独立後のインフレと不況を克服した初代大統領のヌルスルタン・ナザルバエフは、国の英雄と見なされている。

・豊富な天然資源を活かし、中央アジアを代表する国に発展した。

カザフスタン共和国/首都ヌルスルタンの植物園
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