アラブ首長国連邦(UAE)/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:アラブ首長国連邦(United Arab Emirates)
 ・アブダビ首長国
 ・アジュマーン首長国
 ・ドバイ首長国
 ・フジャイラ首長国
 ・ラスアルハイマ首長国
 ・シャルジャ首長国
 ・ウンム・アル・カイワイン首長国

首都:アブダビ(Abu Dhabi)

人口:9,701,315人(2020年推定)

面積:83,600㎢(北海道とほぼ同じ)

気候:砂漠気候
・夏は4月の最終週頃から10月初めまで
・夏のドバイは暑く、熱風が吹き、高湿度
・冬は10月初めから翌4月まで
・冬のドバイはアクティビティに最適
・雨は冬に降る

経済:
・新興国
・オイルマネー
GDPは約4,210億ドル(2019年)
石油と天然ガスに大きく依存している
・観光産業に力を入れており、世界で最も豪華なホテルのいくつかは、UAEに拠点を置いている。
・一時期に比べると建設ブームは多少落ち着いた。(現在、全国で総額3,000億ドルほどの建設プロジェクトが稼働している)
・石油依存からの脱却を目指し、様々な分野に投資している。
・深刻な所得格差
・貧しい者たちは非公式市場(インフォーマル)で働いている。

人種:外国籍が大多数を占める
・インド 260万人(2019年統計)
・パキスタン 120万人(2014年統計)
エミラティ(UAE) 100万人(2015年統計)
・バングラデシュ 70万人(2013年)
・フィリピン 50万人(2014年統計)
・エジプト 50万人(2014年)
・その他

言語:アラビア語
・ペルシャ後やヒンドゥー語なども広く使われている。

宗教:イスラム教
・シーア派よりスンニ派のほうが多い。
・ユダヤ教の小さなコミュニティが存在する。
・無宗教は全体の4%

【2005年の国勢調査】
・イスラム教(76%)
・キリスト教(9%)
・その他(15%)

アラブ首長国連邦(UAE)

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大統領:ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン(Khalifa bin Zayed Earl Nahiyan)
首相:ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(Mohammed bin Rashid Earl McTum)

政治体制:絶対君主制
7つの首長国で形成されている
・大統領はアブダビ首長国の統治者が務める。
・首相はドバイ首長国の統治者が務める。

法律:アラブ首長国連邦の憲法
・ベースはシャリア法(イスラム法)
・司法制度は首長国によって異なる。
・裁判所は「最高裁判所、連邦裁判所、地方裁判所、シャリア裁判所、民事裁判所、コモンロー裁判所」に分類される。

【罰せられる犯罪(抜粋)】
・言葉による虐待:ムチ打ち
・アルコール摂取:ムチ打ち
・中絶:1年以下の懲役および罰金
・虐待(レイプ):1年以上の懲役
・イスラム教の冒涜、背教:死刑、外国人は国外追放
・ドレスコード違反:怒られる、悪質だと逮捕される
・同性愛:首長国によって異なる、投獄、ムチ打ち、死刑もあり得る
・公共の場での性交、キス:投獄、ムチ打ち
・ラマダン時の飲食、喫煙:逮捕(妊娠中の女性と子供には適用されない)

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2020年10月時点)

治安:地域によって異なる
・近年、国内でテロは発生していない。
・近年、日本人を狙ったテロは発生していない。
・イスラム国(IS)の攻撃対象。
・その他のテロ組織にも警戒が必要。

アラブ首長国連邦(UAE)/ドバイの夜景

マスメディア(目次に戻る

・アラビア語の日刊紙は7紙、英字新聞は12紙。
・テレビ局は国営、民間を合わせると数十社。
・ラジオ局は民間。アラビア語、英語、ヒンドゥー語などから選べる。
・インターネットが急速に復旧した。
・人気のSNSはフェイスブック、インスタブラム、ツイッター、YouTube。

【国営メディア/設立年】
Dubai Media Incorporated 2003年
・Emirates Media Incorporated 1969年

【その他メディア】
Sharjah Media Corporation
TV View aggregator

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2020年軍事力ランキング:45位

・軍人数:64,000人(推定)
  即戦力 64,000人
  予備兵 0人

・主力は陸軍

・国防予算:228億ドル

・石油生産量・埋蔵量は世界トップクラス

歴史(目次に戻る

1700年代

・現在のアラブ首長国連邦およびその周辺一帯は、ポルトガル帝国の支配下に置かれていた。

・東アラビア全域(ペルシャ湾)で真珠産業が発展。主な市場はヨーロッパとインドだった。

・国際商人ネットワークが確立され、真珠は町とポルトガル帝国に潤いをもたらした。しかし、帝国は港湾エリアに重税を課した。

・地元の漁師たちは真珠の採取時期を6月~9月に限定し、その他は成長を促す期間と見なした。人々は過去の乱獲とそれに伴う不漁から多くを学び、養殖産業は最盛期を迎える。

・真珠を採取するダイバーは身体にロープと石を結び付けた状態で潜水。採取が終わり次第、船上の仲間に合図を送り、勢いよく引き上げてもらった。

・1700年代、東アラビアの港湾エリアはポルトガル帝国の重税に苦しめられたが、大きな戦争や紛争は発生せず、比較的平和に過ごすことができた。

1800年代

・オスマン帝国が東アラビアとペルシャ湾の支配に動き出す。しかし、計画は失敗に終わり、ヨーロッパやインドとの貿易産業は無事保護された。

・当時、イギリスはペルシャ湾を「海賊海域」と呼び、地域一帯をパトロールする英国海軍は海賊の取り締まりと海運産業への嫌がらせを行った。

・1809年、英国海軍とペルシャ湾の港を支配するアル・カシミが衝突、紛争に発展する。戦いは英国海軍の勝利に終わり、アル・カシミの指導者、フッサン・ビン・ラーマは平和条約に調印した。

・1815年、イギリスとアル・カシミの平和条約は破棄され、再び紛争が始まる。

・1819年、ペルシャ湾に侵攻した英国海軍はアル・カシアを圧倒。翌1820年に平和条約(航海自由条約)を結んだ。なお、この条約はイギリスの船舶にのみ保護を与え、その他の部族や漁師は一切恩恵を受けなかった。

・航海自由条約は反発を招き、その後、1835年頃まで紛争や小さな小競り合いが続く。

・1853年、イギリスは永久海事停戦を施行、支配下に置く地域の長に署名を強制した。また1856年には奴隷貿易を抑制するための約束、1879年には債務放棄者に対する扱いを決める条約が締結された。

・1892年、ペルシャ湾の国々は、イギリスと独占協定を締結した。これは、ペルシャ湾一帯に施行され、イギリス政府以外との貿易、領土の割譲、売却などを一切禁じた。なお、イギリスはこの見返りにオマーンの保護と支援を約束した。

1900年~第一次世界大戦

・アラブ首長国連邦およびその周辺一帯、ペルシャ湾はイギリスに支配されていた。

・イギリスは各国の内政に自由に干渉・管理できた。しかし、これに反発する紛争が各地で発生する。

・この頃、各首長国の地位に多くの変化が生じた。

東アラビアは第一次世界大戦の直接的な影響を受けなかった

第一次世界大戦~第二次世界大戦

ペルシャ湾およびその周辺地域で石油が発見される

・1930年、最初の石油開発会社が予備調査を開始する。

・1936年、イギリスがオマーン海岸沖の国々を国家として認め、トルーシャル首長国が誕生した。

・イギリスは権限を行使し、石油の掘削を開始。また、クーデターで権力を得た新たな支配者を認め、来たるべき戦いに備えた。

トルーシャル首長国を含む東アラビアの国々は、第二次世界大戦の直接的な影響を受けなかった。

・石油の発見がペルシャ湾の運命を変えた。

終戦~現在

・1950年代後半、ペルシャ湾のウムシャイフ、マーバンの砂漠などで発見された石油は、アブダビ首長国から輸出された。なお、探鉱の権利は、イギリス政府と合意した英国企業にのみ与えられた。

・1952年、武装したサウジアラビアのグループがアブダビ首長国の国境を越え、オマーンの村やオアシスを占領。サウジアラビアはアブダビ領土の大部分と、その他エリアの主権を主張した。(ブライミ紛争)

・1960年代初頭、アブダビで石油が発見され、シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アルナヒャンが同地を支配する。その後、イギリスは石油投資とアメリカの石油会社との契約を失い始める。

・首長国の統治者たちは、首長国間の問題を調整する評議会を設立。石油関連の開発事業を継続しつつ、各種問題を解決し始めた。なお、この評議会はアラブ首長国連邦誕生に合わせて解散する。

・1966年、イギリス政府は「東アラビアを統治する余裕がなくなった」という結論に達する。

・1968年1月16日、イギリス政府はバーレーン、カタール、各首長国との条約関係を終了すると発表。この決定は、1971年3月に当時のエドワード・ヒース首相(英)が再確認した。

・石油をめぐるアラビア各国の動きが激しくなり、独立後の体制を決める協議が難航する。

・バーレーンとカタールを含む「9首長国連邦会議」は物別れに終わる。各国が支配権(石油の権利)を主張し、会議はわずか4回しか開催されなかった。その後、バーレーンは1971年8月、カタールは同年9月に独立した。

・1971年12月1日、イギリスの首長国条約が失効。

・1972年12月2日、各首長国はアラブ首長国連邦の条約に署名し、憲法草案を起草。この日、初めてアラブ首長国連邦の国旗が掲げられた

・2001年、アメリカは同時多発テロの首謀者、アルカイダの主要金融センターがUAEにあると特定。これを受けUAEは容疑者と結びつく口座を凍結し、マネーロンダリングを厳しく取り締まった。

・2004年11月、UAEの初代大統領シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アルナヒャン(アブダビ首長国の統治者)が死去。長男のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン(現職)がその座を受け継いだ。

・2006年1月、首相のシェイク・マクトゥーム・ビン・ラシッド・アル・マクトゥーム(ドバイ首長国の統治者)が死去。長男のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム(現職)がその座を受け継いだ。

・UAEはアラブの春(民主化を求める反政府抗議行動、暴動、武装反乱)の直接的な影響をほとんど受けていない。

文化(目次に戻る

・東アフリカとインド亜大陸の文化の影響を受けている。

・男性はウールや綿で織られた白い「カンドゥラ」を好む。

・女性は肌を隠すアバヤ(黒い上着)とスカーフを主に着用している。

・若者は洋服を好む。ただし、露出の多いものを着用すると、ドレスコード違反で逮捕される可能性あり。

・主食は魚、肉、米。イスラム教徒は豚肉禁止。

・シーフード料理とマトン料理が人気。

・ラクダの肉も期間限定で販売される。

・代表的な伝統芸能は歌と踊り。

・ハリウッドやボリウッドの映画も普通に上映される。ただし、敬虔なムスリムは見ない。

アラブ首長国連邦(UAE)/アブダビのモスク

スポーツ(目次に戻る

最も人気のあるスポーツはサッカー

・投資会社アブダビ・ユナイテッド・グループ(ADUG/アブダビ王族)は、プレミアリーグの強豪、 マンチェスター・シティFCのオーナー。買収金額は400億円、ADUGの総資産は100兆円(いずれも推定)。

・オイルマネーで世界の強豪選手を呼び寄せることができる。

・統治者たちは、様々なスポーツ(クリケット、バスケットボール、モータースポーツ、テニス、ゴルフなど)にオイルマネーを注入し、大きく発展させたいと考えている。

・UAEプロリーグ(サッカー)は世界で最も裕福なサッカーリーグのひとつ。

【有名スポーツ選手】
・アハメド・アル・マクトゥーム(Ahmed Al-Maktoum)UAE初のオリンピック金メダリスト
・セルジュ・トマ(Sergiu Toma)柔道のオリンピックメダリスト
・アリー・マブフート(Ali Mabkhout)サッカー
・モハマド・タウキル(Mohammad Tauqir)クリケット

その他(目次に戻る

・世界で最も裕福な国のひとつ。

・アブダビ王族が絶対的な権利を持っている。

・石油がUAEおよびペルシャ湾一帯の価値を爆発的に高めた。

・石油はとてつもない利益をもたらしたが、それに依存するあまり、他の産業は力強さに欠ける

・シェール革命後、中東の石油の魅力・価値・影響力は著しく低下した。

・新型コロナウイルスの影響で世界の経済活動が停滞し、石油需要が激減。UAEを含む石油生産国は帰路に立たされている

アラブ首長国連邦(UAE)/ラクダに乗る人々
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