目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:リベリア共和国(Republic of Liberia)
首都:モンロビア(Monrovia)
人口:5,073,296人(2021年推定)
面積:111,370㎢(本州の0.5倍)
気候:熱帯気候
・1年中高温多湿で暑い。
・雨季は5月~10月。
・乾期は12月~2月。
・年間降水量は地域によって大きく異なり、多い地域は5,000mmを超える。
・沿岸に位置する首都モロンビアの夏場の平均気温は最低が23~24℃、最高は26~31℃。
・首都モロンビアの冬場の平均気温は最低が23~24℃、最高は30~31℃。
・海水温は1年を通じて27~28℃ほど、いつでも海水浴を楽しめる。
・観光に最適な時期は1月~2月。比較的乾燥しており、過ごしやすい。
・いつ雨が降るか分からないため、レインコートは必須。
経済:
・後発開発途上国
・GDPは30億ドル(2020年推定)
・主要産業は農業とサービス業。
・主要輸出パートナーはドイツ(36%)、スイス(14%)、UAE(9%)
・主要輸入パートナーはシンガポール(30%)、中国(24%)、韓国(18%)
・主要輸出品はゴム、木材、ダイヤモンド、ココア、コーヒーなど。
・貧困ライン以下(生活費:1日1.9ドル未満)で生活している人の割合は人口の約54%。
・リベリア内戦の後遺症から立ち直りつつある。
・天然資源(水と鉱物)に恵まれた国だが、インフラの開発が進んでおらず、資源を活かし切れていない。
・国内の事業は、主にレバノンとインド系の外国人に支配されている。
・人口の60~70%が自給自足生活を送っている。
人種(民族):
・クペレ族 20.3%(2008年推定)
・バッサ族 13.4%
・グレボ族 10%
・ジオ族 8%
・マノ族 7.9%
・クル族 6%
・ロマ族 5.1%
・ゴーラ族 5.1%
・キッシ族 4.8%
・その他 20.1%
言語:
・英語(公用語)
・先住民族の言語(約20種類)
宗教:
・キリスト教 85.6%(2008年推定)
・イスラム教 12.2%
・先住民族の宗教 0.6%
・無宗教 1.4%
・その他 0.2%
リベリア共和国
政治(目次に戻る
大統領:ジョージ・ウェア(George Weah)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は6年、1回再選可能。
・上院の議員定数は30人、任期は9年。
・衆議院(下院)の議員定数は73人、任期は6年。
・軍事政権は2006年に崩壊した。
・民主主義への移行期間中。
・汚職と縁故主義が蔓延している。
法律:リベリア共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・一部地域では試練裁判(違法)の風習が残っている。試練の種類は地域によって異なるが、火責め、水責め、毒責め、むち打ちが多いと伝えられている。
・汚職を罰する法律がない。
・一夫多妻制は違法だが、多くの男性が地元の伝統に従い、複数人と結婚している。
・2012年に同性結婚を禁止および犯罪化する法律を施行した。
・アフリカ大陸初の女性大統領であり、ノーベル平和賞を受賞したエレン・ジョンソン・サーリーフ元大統領は同性愛者とLGBTの権利を否定した。
・人身売買と児童労働が蔓延している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年7月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)
治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・国連の治安維持ミッションにより、治安は大幅に改善された。
・観光客や一般人に対する強盗、窃盗、暴力などが報告されている。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は極力持ち歩かず、安全な場所に保管すること。
・マリ戦争でアフリカ連合軍と対峙しているイスラムジハード軍が活動している可能性がある。
・国境付近には近づかない方がよい。
・周辺国に比べると治安は比較的安定しているが、いつ悪化してもおかしくないため、旅行の際には注意が必要。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。特に無許可のタクシーには注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は10社あると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は4局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は15局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は7~10%。
・検閲はない。
・2012年に名誉棄損と侮辱を取り締まる法律を施行した。
【国営メディア/設立年】
・リベリア国立テレビ 1964年
【民間メディア】
・Clar TV
・DC TV
・パワーTV
・リアルTV
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:138位
・軍人数:2,200人(推定)
即戦力 2,200人
予備兵 0人
準軍組織 0人
・陸軍を保有。
・国防予算:1,450万ドル(推定)
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1700年代
・1700年代、現在のリベリアと周辺地域はイギリスを含む欧州各国の支配下に置かれていた。
・当時の記録はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・イギリス人は海岸沿いにいくつかの交易都市を設置した。
1800年代
・1822年:アメリカ植民地協会はアフリカの自由を確立するために、主に有色人を西アフリカの海岸沿いの都市に送り始めた。
・記録によると、1820年から1843年の間にリベリアに送り込まれた移民希望者約4,500人のうち、無事現地にたどり着いたのは1,800人ほどだったという。アメリカ植民地協会および州の関連支部は、13,000人以上の有色人をアメリカと中米からリベリアに送り込み、現地で支援を提供した。これらの自由なアフリカ系アメリカ人とその子孫はコミュニティ内で結婚し、「アメリコ・ライベリアン」として識別されるようになった。
・1847年7月26日:「リベリア共和国」が独立を宣言。合衆国憲法の政治原則を参考にした憲法を公布した。
・1862年:アメリカのエイブラハム・リンカーン大統領はリベリアの移住政策を成功と称賛したうえで、有色自由人を現在のパナマの一部であるチリキに移住させると提案した。
・1865年:入国港法の施行に伴い、部族と外国との直接貿易が禁止された。
・1877年:主にアフリカ系アメリカ人で構成されるホイッグ党が勢力を拡大し、与党としての地位を確立した。
・1892年7月:リベリアの女性、マーサ・アン・アースキン・リックスがウィンザー城でビクトリア女王に謁見し、リベリア初の外交上の贈り物である手作りのキルトを贈った。リックスはアメリカのテネシー州で生まれた元奴隷だった。
1900年~第一次世界大戦
・1914年:リベリアの貿易の約4分の3をドイツが占めるようになり、イギリスの植民地当局とフランス領ギニアおよびコートジボワールのフランス植民地当局は懸念を表明した。
・1914年7月:第一次世界大戦勃発。リベリアは中立を宣言した。
・1917年8月4日:リベリアがドイツに宣戦布告。連合国に西アフリカの基地を提供した。
・1918年11月:第一次世界大戦終結。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1919年:リベリアはベルサイユ平和会議に出席し、国際連盟に加盟した。会議と国際連盟に参加したアフリカ諸国は非常に少なく、リベリアは西側諸国と緊密に連携していると国際社会にアピールした。
・1926年:政府の認可を受けた国内初のゴム農園ファイアストン・タイヤアンドラバー・カンパニー誕生。この産業は25,000人以上の雇用を生み出し、リベリア経済のバックボーンになった。
・1927年:議会選挙。ホイッグ党は圧倒的処理を収めたと主張したが、選挙結果は物議を醸した。当時の記録によると、ホイッグ党の候補者は有権者数の15倍を超える票を獲得したという。
・1936年:強制労働慣行を廃止した。
・1939年9月:第二次世界大戦勃発。
・1942年:アメリカとの防衛協定を締結。ゴムは戦略的に重要な商品であり、リベリアはアメリカとその同盟国に天然ゴムの十分な供給を保証した。
・1943年:ウィリアム・タブマンが大統領に選出された
・1944年:枢軸国に宣戦布告。
・1945年9月:第二次世界大戦終結。
・アメリカとの防衛協定はロバーツフィールド空港、首都モンロビアの港湾施設、内陸部につながる道路の建設などを後押しし、リベリアのインフラと経済は大きく成長した。
終戦~現在
・リベリアの鉄、木材、ゴムなどの天然資源の輸出は1946年から1960年の間に大幅に増加した。
・1951年5月:女性と先住民族の財産所有者が初めて大統領選挙に投票した。
・1958年:憲法改正。人種差別を非合法化した。
・1971年:リベリアのゴム輸出量が世界1位になった。
・1971年:タブマン大統領死去。ウィリアム・トルバート・ジュニアが後任に選ばれた。
・トルバート大統領はソビエト連邦、中国、キューバ、東側諸国との外交関係を確立し、アメリカに厳しく非難された。
・1973年:トルバート大統領は第四次中東戦争中にイスラエルとの関係を断絶したが、ベトナム戦争におけるアメリカへの関与は継続すると発表した。
・1974年:ソビエト連邦から初めて支援を受ける。
・1978年:欧州経済共同体と貿易協定を締結した。
・1979年:議会が米の値上げを提案したことを受け、各地で暴動が発生。治安当局は抗議者を厳しく取り締まり、40人以上が死亡した。
・1980年4月12日:軍事クーデター発生。サミュエル・ドウ軍曹率いるクーデター軍はトルバート大統領と補佐官13人を公開処刑し、人民償還評議会を設立したうえで憲法を一時停止し、権力を掌握した。
・1981年:ドウ大統領はアメリカのロナルド・レーガン大統領との良好な関係を確立した。レーガン大統領はリベリアへの財政援助を1979年の2,000万ドルから7,500万ドルに増やし、その後、9,500万ドルまで引き上げた。
・1984年:軍事政権はアメリカおよび他の債権国の猛烈な圧力に屈し、野党の合法的な活動を承認した。
・1985年10月:大統領選挙。ドウ大統領が地滑り的勝利を収めたが、国際社会は選挙結果を認めなかった。政府は選挙前に、野党候補者を50人以上殺害していた。
・1985年11月:ドウ大統領の元副司令官主導の反政府勢力がクーデターを起こすも失敗に終わる。クーデターに加担した推定500~600人はひとり残らず処刑された。
・1989年12月;チャールズ・テイラー率いるリベリア国民愛国戦線(NPFL)が政府に対する反乱を開始した。
・1989年12月末:第一次リベリア内戦勃発。(軍事政権vsNPLF)
・1990年:西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)がリベリアに平和維持軍を派遣。
・1990年9月9日:NPFLがドウ大統領の暗殺に成功。
・1991年6月:リベリア軍の反政府勢力グループ、民主主義のためのリベリア連合解放運動(ULIMO)結成。
・1991年9月:ULIMOはリベリア西部に侵攻し、NPFLから領土を提供された。
・1997年8月:第一次リベリア内戦終結。NPLFは軍事政権に勝利し、その後の選挙でチャールズ・テイラーが新大統領に選出された。
<第一次リベリア内戦>
・両軍参加者:75万~80万人(推定)
・両軍負傷者:30万~40万人(推定)
・両軍死亡者:40万人(推定)
・民間人死亡者:22万~25万人(推定)
・1999年1月:ガーナとナイジェリアは、リベリアがシエラレオネの革命統一戦線(反政府勢力)を支援したと非難した。これを受け、アメリカとイギリスはリベリア政府に援助を停止すると圧力をかけた。
・1999年4月:第二次リベリア戦争勃発。(政府vs反政府勢力)
・2000年7月:政府は反政府勢力(民主主義のためのリベリア連合解放運動)から最初の大規模な攻撃を受けたと報告した。
・2001年5月:国連安全保障理事会がリベリアに対する武器禁輸制裁を発動。テイラー大統領はシエラレオネの反政府勢力と物々交換(ダイヤと武器)したとして厳しく非難された。
・2002年1月:リベリア人とシエラレオネ難民5万人以上が戦闘地域から避難した。
:2002年2月:テイラー大統領が非常事態を宣言。
・2003年3月:反政府勢力が首都モンロビアに迫る。国軍はこれを迎え撃った。
・2003年7月:国軍と反乱軍の戦闘が激化。両軍合わせて数千人が死亡し、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は平和維持軍の派遣を決めた。
・2003年8月:第二次リベリア戦争終結。双方はアクラ平和協定に署名し、リベリア暫定政府が発足した。なお、テイラー大統領はナイジェリアに亡命し、ジュデ・ブライアントが暫定政府を率いることになった。
<第二次リベリア内戦>
・両軍参加者:数十万人
・両軍負傷者:分からない
・両軍死亡者:15万~30万人(推定)
・2003年9月:米軍がリベリアから撤退。国連は平和維持ミッションの開始を発表し、首都を含む地域一帯に兵士数千人を配備した。
・2004年10月:首都モンロビアで暴動が発生、少なくとも16人が死亡した。国連の平和維持軍は、反政府勢力の元戦闘員が暴動を指揮したと非難した。
・2005年11月:大統領選挙。エレン・ジョンソン・サーリーフが勝利。アフリカ大陸初の女性大統領が誕生した。
・2006年2月:議会は1979年から2003年の間に発生した人権侵害を調査する真実和解委員会を設立した。
・2006年4月:ナイジェリアに亡命したテイラー元大統領がシエラレオネの裁判所に出廷。
・2006年6月:国連安全保障理事会がリベリアに科していた武器禁輸制裁を緩和し、木材の輸出禁止を解除した。
・2006年7月:サーリーフ政権は15年間停電状態が続いていた首都に電気を通した。
・2007年4月:国連安全保障理事会はリベリアに科していたダイヤモンドの輸出禁止制裁を解除した。内戦に資金を注入していたリベリアのダイヤモンドは「ブラッド・ダイヤモンド(血のダイヤ)」と呼ばれ、安保理は2001年に禁輸制裁を科していた。
・2007年5月:国連はリベリア政府に試練裁判を非合法化するよう促した。試練は地域によって異なり、火責め、水責め、毒責め、むち打ちが一般的。
・2007年6月:ハーグの国際司法裁判所でナイジェリアに亡命したテイラー元大統領の裁判が始まる。
・2008年1月:最高裁判所は、「大統領は地方自治体の長を任命できる」と裁定した。地方選挙は財政難と内戦の影響で1985年以来行われていない。
・2008年2月:アメリカのジョージ・W.ブッシュ大統領がリベリアを訪問。
・2008年3月:1984年以来となる国勢調査を実施。
・2009年2月:サーリーフ大統領は真実和解委員会の中で、第一次リベリア内戦開始時、テイラー元大統領を支持したと認めた。
・2009年7月:真実和解委員会は議会に報告書を提出した。委員会は報告書の中で、戦争の統治者約200人を起訴し、サーリーフ大統領を含む高官を公職から外すよう推奨した。
・2009年9月:国連安全保障理事会は2011年に予定されている大統領選挙を支援するために、平和維持軍の任務期間を2010年まで延長することを決議した。
・2010年2月:キリスト教徒の学生が殺害されたこと受け、ロファ州北部でキリスト教徒とイスラム教徒が衝突。いくつかの教会とモスクが破壊された。
・2010年9月:債権国(19カ国)は、リベリアの債務12億ドルを放棄した。
・2010年11月:サーリーフ大統領が議会を解散。リベリアを白紙に戻すと宣言した。
・2011年4月:ナイジェリアに亡命したテイラー元大統領の戦争犯罪裁判の審理が終了。
・2011年10月:サーリーフ大統領がノーベル平和賞を受賞。
・2011年11月:総選挙。サーリーフ大統領が勝利した。なお、主要ライバルは第2ラウンドをボイコットした。
・2012年2月:リベリアとシエラレオネの沖合で油田が発見される。
・2012年3月:反政府勢力の自由平和評議会を主導したジョージ・ボリーがアメリカからリベリアに強制送還された。
・2012年4月:ハーグの国際司法裁判所はテイラー元大統領にシエラレオネで反政府勢力を支援および指揮した罪で懲役50年の実刑判決を言い渡した。テイラー元大統領は現在、イギリスの刑務所に収監されている。
・2012年6月:リベリアに拠点を置くとされる反政府ゲリラ組織がコートジボワールで国連平和維持軍の兵士7人を殺害。事件を受け、リベリアはコートジボワールとの国境を閉鎖した。
・2013年1月:国連難民高等弁務官事務所は、15万人以上のリベリア人の帰国を支援するプログラムが完了したと発表した。
・2013年6月:自然保護団体のグローバルウィットネスは、リベリアの森林のおおよそ半分が違法に伐採されていると発表した。
・2014年7月~10月:政府はエボラウイルスの感染拡大を受け、緊急事態を宣言した。
・2014年10月:世界保健機関(WHO)は西アフリカにおけるエボラ出血熱の蔓延は国際的な公衆衛生上の緊急事態であると述べ、国際社会に対応を求めた。アメリカのバラク・オバマ大統領は西アフリカに医療施設を建設し、現地の医療従事者を訓練するために、約3,000人の米軍要員を派遣すると発表した。
・2016年1月:国連はリベリアと西アフリカのエボラ出血熱は終息したと宣言した。2013年12月以降、西アフリカでは11,000人以上、リベリアでは少なくとも4,809人がエボラで死亡した。
・2016年6月:リベリアで活動していた国連平和維持軍は、治安維持の権限をリベリア軍と警察に移譲した。
・2017年12月:大統領選挙。欧州のプロリーグで活動した元サッカー選手のジョージ・ウェアが勝利した。
・2018年1月22日:ジョージ・ウェアが大統領に就任。
文化(目次に戻る
・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・地方で生活している先住民族の多くは、先祖代々伝わっている宗教に基づき、超自然的な世界を信じている。
・地方の慣習法に基づき、男性は最大4人の妻を持つことが認められている。(憲法は認めていない)
・各部族は異なる古代から伝わる伝統音楽と工芸品を継承している。
・主食は米。主菜はキャッサバ、地元でとれる魚、バナナ、柑橘系の果物、オオバコ、ココナッツ、オクラ、サツマイモなど。
・都市部は西側諸国の影響を強く受けているが、地方は先住民族の文化を守っている。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカーとバスケットボール。
・複数の多目的スタジアムを運用しており、国際大会の予選なども主催している。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
【有名スポーツ選手】
・ジョージ・ウェア大統領(George Weah)サッカー選手。アフリカ最優秀選手を3度受賞。セリエAのACミランやプレミアリーグのチェルシーFCなどでプレーした。
その他(目次に戻る
・リベリア内戦の後遺症から立ち直りつつある。
・豊かな天然資源に恵まれた国だが、インフラストラクチャーが整備されていないため、資源を有効活用できていない。