アンドラ公国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:アンドラ公国(Andorra)

首都:アンドラ・ラ・ベリャ(Andorra la Vella)

人口:77,543人(2019年推定)

面積:468㎢(石川県金沢市とほぼ同じ)

気候:山岳気候
・フランスとスペインの間のピレネー山脈に位置する。
・年間降水量は地域によって多少異なるが、おおむね1,000mm前後。
・首都アンドラ・ラ・ベリャは国内で最も低い地点(バリラ渓谷)に位置する。
・首都の夏場の平均気温は最低が10~12℃、最高は23~26℃。
・首都の冬場の平均気温は最低がマイナス1~2℃、最高は6~10℃。

・海抜約1,800mの都市ソルデュの夏場の平均気温は最低が3~6℃、最高は14~18℃。
・ソルデュの冬場の平均気温は最低がマイナス7~マイナス3℃、最高は1~4℃。
・平均高度は1,900mで、高地は雪に覆われている。
・最高峰は標高2,942mのコマ・ペドローザ。

経済:
・先進国
・EU非加盟国だがユーロを採用し、特別な硬貨を発行する権限を与えられている。
・GDPは31億ドル(2012年推定)
・主要産業は観光業。
・主要輸出パートナーはスペイン(60%)とフランス(20%)
・主要輸入パートナーはスペイン(55%)とフランス(20%)

・主要輸出品はタバコ製品と家具。

・年間観光客数は約1,000万人(2019年推定)
・経済の中心は観光業であり、GDPの約80%を占めている。
・国内のホテル数は約270軒、レストランは約400軒、観光客向けの小売店は数百軒。
・アンドラの商品は他のEU諸国との価格差を維持することを許可されており、観光客は免税に大満足する。
・農業と畜産業に利用可能な土地は限られているため、食料はほぼ輸入に頼っている

人種
・アンドラ人 33%(CIAワールドファクトブック推定)
・スペイン人 23%
・ポルトガル人 21%
・フランス人 17%
・アラブ人 3%
・その他 3%

言語:
・カタルーニャ語(公用語)
・スペイン語
・フランス語
・ポルトガル語
・英語
・その他

宗教:
・ローマカトリック 90.1%(2011年国勢調査)
・プロテスタント 2.1%
・その他のキリスト教 1.8%
・イスラム教 1.1%
・無宗教 2.5%
・不明 2.8%

アンドラ公国

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共同公:ジュアン・エンリク・ビベス・イ・シシリア(Joan Enric Vives i Sicília)
共同公:エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)
首相:シャビエル・エスポー(Xavier Espot)

政治体制:立憲君主制
・国家元首はドゥルジェイ教区の司教(スペイン)とフランス大統領。
・共同公(国家元首)の権限は限られている。
・共同公(国家元首)はアンドラに住んでいない。
・フランスおよびスペインと特別な関係を結んでいる。
・郵便サービスを扱う機関はなく、郵便はフランスとスペインの機関が行っている。
・総評議会の議員定数は28人、任期は4年。
・中道右派勢力(連立)が過半数を維持しているが、リベラル派との差はわずか。

法律:アンドラ公国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・4人の裁判官は共同公が選任する。
・近年、女性に対する暴力(主に家庭内暴力)が増加している。
・配偶者レイプを含むレイプ犯罪は最大15年の懲役刑を科される。
・売春は違法。
・政府は無料の保育園を複数運営している。
・人身売買に関する法律はないが、国内で人身売買があったという報告はない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:良い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・犯罪に巻き込まれる可能性は低いが、貴重品の取り扱いには注意したい。
・デートレイプや違法薬物(エクスタシーなど)に関連する犯罪が報告されている。女性旅行者は特に注意。
・バー、パブ、クラブなどにおけるアルコールのトラブルに注意。
・男性旅行客は女性がらみのトラブルに注意。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は極力持ち歩かず、安全な場所に保管したい。
・知らない人の誘いを避ける。知らない人についていかない。
・ゲレンデ外でのスキーは危険、決められたコースを滑ること。

アンドラ公国/リゾートエリア

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は2社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局はない。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は80~90%。
・スペインとフランスの民間テレビおよびラジオを受信できる。
・検閲はない。
・国営のアンドラテレビは国内の固定電話、携帯電話、インターネット、光ファイバー通信、デジタル電話およびITサービスを一括管理している。

【国営メディア/設立年】
・アンドラテレコム 1975年

【民間メディア】
・ー

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 240人

・軍隊を保有していない。
・防衛はフランスに委託している。
・国境管理と国内の治安維持活動は警察の仕事。

・国防予算:2,000万ドル(推定)

アンドラ公国/総評議会庁舎

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1700年代

・アンドラは12世紀から14世紀の間はほぼ同じ経済システムを維持し、冶金(ファルグやファルガカタラナに類似したシステム)を大量に生産し、1692年頃にタバコと輸入貿易を導入した。

・1710年代:アンドラの住民たちはカタルーニャ人の権利を支持したうえで、カタルーニャ関連の様々な作品を生み出した。

1793年:アンドラ人はフランスの保護下に置かれた状態を維持したいと考えたが、フランスの革命政府はこの要求と宗主国としての役目を放棄した。

1800年代

・1803年代:アンドラはナポレオン戦争の開始に先立ち、中立を宣言した。

・1806年:ナポレオンはアンドラの人々の請願を聞き入れ、アンドラを共同公国に戻した。これに伴い、フランスの共同大公の権利は国王から大統領に変更された。

・1812年~1813年:フランスはカタルーニャを併合したうえで4つの地区に分割し、アンドラも地区のひとつに組み込まれた。

・1866年:憲法改正により選挙制度が大きく見直される。

アンドラ公国/ピレネー山脈と教会

1900年~第一次世界大戦

・アンドラは第一次世界大戦に公式に参加していないが、軍の将校であるバレンティ・ナウディ、ジョセップ・エスタニー、ルネ・フゲの3人を連合国に派遣した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

1930年代:スキーリゾートや文化団体が発足した。

・1933年:選挙前の社会不安で国内の治安情勢が急速に悪化。隣国フランスは治安を回復させるためにアンドラを一時的に占領した。

・1934年7月6日:冒険家で貴族のボリス・スコスヤレフはアンドラの王ボリス1世になると宣言したうえで、アーゲル司教率いる大公軍に宣戦布告した。

・1934年7月20日:共同大公とジャスティ・ギタルティ・ビラルデボ司教率いる治安部隊は自称ボリス1世を逮捕し、国外に追放した。

・1938年:スペイン内戦(スペイン市民戦争)の影響がアンドラに波及する。フランスは再びアンドラに軍を送りこみ、治安の回復を図った。

・スペイン内戦中、アンドラの住民は両陣営の難民を受け入れ、その多くがアンドラに定住し、その後の経成長に貢献した。

・1939年9月:第二次世界大戦勃発。アンドラは中立を宣言した。

・大戦中、アンドラはヴィシーフランスからスペインに兵器や物資を送る重要な密輸ルートのひとつになった。

・多くのアンドラ人が、難民の入国と追放を推進し、経済犯罪を犯し、市民の権利を減らし、スペインのフランコ主義に同情する総評議会の姿勢を厳しく非難した。しかし、総評議会のメンバーは、これらの措置はアンドラの存続と主権を保護するために必要だと主張した。

・1943年:アンドラ国内で活動した特定のグループは、フランスとスペインの密輸に関わったうえで、ナチスの占領下に置かれた人々を助けた。最も著名なグループはイギリスの諜報部MI6と接触し、400人近くの逃亡者を助け、その中には連合軍の要員もいたと伝えられている。グループは1944年末まで活動を継続した。

・1945年9月:第二次世界大戦終結。

アンドラ公国/子供

終戦~現在

・1958年:北米のジャーナリストは、「アンドラは1914年にドイツに宣戦布告したが、1958年まで平和条約に署名しなかった」と主張し、物議を醸した。しかし、主張を裏付ける証拠は明らかにされなかった。

・報道機関のラジオ・イ・テレビシオ・ダンドラは2014年、北米のジャーナリストの主張を調査したが、宣戦布告の文書は見つからなかったと報告した。歴史家のペレ・カヴェロによると、マルセイユのドイツ領事館とカタルーニャの政府当局間で当時やり取りされた手紙を発見したが、ドイツ領事館はアンドラと戦争状態にあるかどうかを尋ね、政府当局は宣戦布告には言及していなかったという。

1959年12月:山間部で山火事が発生、炎は2日後に鎮火した。事件を受け、議会は2年後にアンドラ消防隊を発足させた。

・1967年:フランスの共同大公、シャルル・ド・ゴールがアンドラを公式訪問した。

・1968年4月:健康保険制度を導入。

・1969年:フランスの共同大公、シャルル・ド・ゴールがアンドラを公式訪問した。

・1970年:憲法改正。女性の参政権を保障した。

・1982年:最初の行政機関ガバンを発足。責任者は国務院(議会)が指名した。

・1982年:カタルーニャのピレネー山脈で大規模な洪水が発生。アンドラの市民12人を含む数十人が犠牲になった。

・1990年:アンドラは鉄環絞首刑を公式に廃止した。なお、この鉄環絞首刑は12世紀後半から採用されていなかった。

・1993年3月:憲法改正の是非を問う初めての国民投票が実施された。結果、2人の共同大公の権限は大幅に制限され、行政、立法、司法機関が発足した。また憲法改正に伴い、フランスとスペインは大使館を設置した。(議会制民主主義に移行)

・1993年7月28日:国連に加盟。

・1993年12月:総選挙。オスカー・リバス・レイグが初代首相に就任した。

・1994年12月:レイグ首相が辞任。自由党のマルク・フォルネ・モルネが後任に選出された。

・1996年:第51回国連総会に参加し、アメリカと外交関係を結んだ。

・2001年:議会選挙。モルネ首相が再選を決める。

・2002年10月:政府はEUの排出基準の1,000倍を超える焼却炉の閉鎖を決定。労働者たちは激しく反発し、各地で抗議活動が展開された。

・2005年4月:議会選挙。自由党が勝利。アルバート・ピンタットが首相に就任した。

・2005年7月-EUとの協力協定発効。

・2006年:EUとの通貨協定発効。アンドラはユーロを採用したうえで、2014年に独自のユーロコインを発行できる権限を与えられた。

・2009年3月:脱税者やマネーロンダリングを追跡しやすくする銀行秘密規則の緩和に合意した。

・2009年4月:総選挙。社会民主党が第一党になったが、単独過半数はならず。

・2011年4月:議会選挙。中道右派政党が社会民主党に勝利。民主党のアントニ・マルティが首相に就任した。

・2012年1月1日:法人税(10%)を導入。

・2013年6月:政府はEUから脱税を防止するよう促され、初めて個人所得税と消費税(2%)を導入した。

・2015年:アメリカがアンドラの主要銀行のひとつであるバンカプリバダダンドラに制裁を科す。同行はマネーロンダリングの温床になっていると指摘されていた。

・2016年2月:アメリカはアンドラの主要銀行のひとつ、バンカプリバダダンドラに対する制裁を解除した。

・2016年12月:議会はEU居住者の保有する銀行口座に対する秘密保持契約を終了すると発表した。

・2018年3月:公務員の約3分の1が契約変更の見直し法案に激しく抵抗し、全国規模に大規模なストライキに発展した。

・2020年10月16日:国際通貨基金(IMF)に加盟。

アンドラの失業率は世界最低水準を維持しており、2019年は2%だった。

アンドラの子供たちの39%はアンドラの学校に通い、33%はフランスの学校に通い、28%はスペインの学校に通っている。

<アンドラのCOVID-19タイムライン>
・2020年3月2日:最初のコロナ患者を確認。ミラノから帰国した20代の男性だった。

・2020年3月12日:2件目の症例を確認。87歳の女性。

・2020年3月15日:新規症例4件。

・2020年3月16日:新規症例9件。首相は国内のすべての学校を閉鎖したうえで、建設および産業活動の停止を命じた。

・2020年3月22日:最初の死亡者。累計感染者112件。

・2020年3月29日:保健大臣は医療スタッフ80人がコロナに感染していたと発表した。

・2020年5月4日~5月13日:人口の大多数に対するPCR検査を実施。

・2020年5月18日~5月27日:人口の大多数に対する2回目のPCR検査を実施。

・2020年8月:月前半の平均新規陽性者数は約4件、後半は約12件。

・2021年1月:スペインとファイザー社のワクチン契約を受け、アンドラに30,000回分のファイザーワクチンが提供(有料)された。

・2021年7月時点の累計感染者数は約14,000件、累計死亡者は約130人。

文化(目次に戻る

・カタルーニャ自治州とフランスの影響を強く受けている。

・国民はとても明るく、陽気。ただし、フランス人のような気分屋ではないと信じられている。

・夏に開催されるソルスティス火災祭は、2015年にユネスコの無形文化遺産に登録された。

・料理は主にカタルーニャ、フランス、イタリアの要素を取り入れている。

・お祭りやイベント(主にカーニバル)を好む。

アンドラ公国/市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはウィンタースポーツ、サッカー、ラグビー、バスケットボール、ローラーホッケーなど。

・2012年にクリケット代表チームを立ち上げた。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・1976年以来、全ての夏季および冬季オリンピックに出場している。

その他(目次に戻る

・人口約8万人弱の小国だが、世界トップクラスの観光産業を維持している。

・コロナウイルスの影響で観光産業は大きな打撃を受けたが、IMFに加盟することで危機からの脱却を図ろうとしている。

アンドラ公国/スキー場
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