ウルグアイ東方共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ウルグアイ東方共和国(Uruguay Eastern Republic)

首都:モンテビデオ(Montevideo)

人口:3,387,605人(2021年推定)

面積:176,220㎢(北海道の2倍)

気候:温暖湿潤気候
・乾期(冬)は5月~9月。
・雨季(夏)は11月~3月。
・年間降水量は地域によって多少異なるが、おおむね1,000~1,500mmの範囲。
・首都モンテネグロの夏季の気温は最低12~18℃、最高24~30℃。
・首都モンテネグロの冬季の気温は最低7~12℃、最高15~20℃。

・ハリケーンの影響を受けることはほとんどない。
・観光におすすめな時期は夏(北部:11月~3月、南部:12月~2月)
・海は夏場でも冷たいが泳げないことはない。1月~3月は22~24℃。

経済:
・開発途上国(高所得経済)
GDPは557億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーは中国(19%)、ブラジル(16%)、アメリカ(6%)
・主要輸入パートナーは中国(20%)、ブラジル(20%)、アルゼンチン(13%)
・主要輸出品は牛肉、大豆、セルロース、米、小麦、木材、乳製品など。

・開発途上国に分類されているが、アフリカやインド太平洋の発展途上国よりはるかに優れた経済力を持っている。
・国内の電力の約95%を水力発電で賄っている。
・隣国ブラジルとアルゼンチンの経済の影響を受けやすい。
・農業人口とGDPに占める割合は近年大きく減少している。
・ソフトウェア部門の新興企業は世界で活躍している。
・輸出主導経済。過去数十年貿易黒字を維持している。(2017年は約30億ドルの黒字)

人種:
・白人 87.7%(2019年の世界人口レビュー推定)
・黒人 4.6%
・先住民族 2.4%
・ヒスパニック 0.2%
・その他 5.1%

言語:
・スペイン語(公用語)
ポルトガル語
・イタリア語
・カタロニア語
・ドイツ語
・先住民族の言語

宗教:
・カトリック 47.1%(2019年の世界人口レビュー推定)
・無神論 17.2%
・カトリック以外のキリスト教 11.1%
・ユダヤ教 0.2%
・その他 1.1%
・無宗教 23.2%

ウルグアイ東方共和国

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大統領:ルイス・ラカジェ・ポー(Luis Lacalle Pou)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、再選は可能だが、最低1期開けなければならない。
・二院制。
・上院の議員定数は30人、任期は5年。
・代議院(下院)の議員定数は99人、任期は5年。
・有権者は国民投票で法律の改正を要求できる権利を持っている。
・リベラル派が多数派を占めているが、保守派も近年台頭している。
・現職のルイス・ラカジェ・ポー大統領は中道右派。

法律:ウルグアイ東方共和国の憲法
・南米で最も権利を意識している国。
・非人道的な刑務所、女性に対する差別、司法への介入などの懸念事項は確認されていない。
・1970年代から80年代の軍事独裁政権時代の失敗を憲法に反映している。
・国民の大多数は基本的人権を最重視する社会民主主義派を支持している。
・信教の自由を保障し、特定の宗教を支持しないと宣言している。
・女性とジェンダーの権利を保障している。
・2012年に中絶を非犯罪化した。

ウルグアイ東方共和国/ルイス・ラカジェ・ポー大統領(左)

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:良くはない
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・繁華街では強盗、窃盗、引ったくり、スリなどが頻発している。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・パスポートやキャッシュカードは金庫などの安全な場所に保管すること。
・持ち歩く現金は最小限にとどめた方がよい。
・近隣諸国に比べると犯罪率は低い。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・スラム街と呼ばれる地域はギャングや麻薬密売組織の拠点になっている可能性がある。
・銃火器は近隣諸国に比べると市場に流通していないが、油断は禁物。

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・新聞社は海外のメディアを含めると100社以上。
・国営テレビ局は2社。
・民間テレビ局は100局以上。
・民間ラジオ局は20局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は90%以上。
・一番人気のSNSはフェイスブック。
・検閲はない。
・2015年にアナログ放送を停止した。

【国営メディア/設立年】
・National Broadcasting of Uruguay 2015年
・SODRE 1929年

【民間メディア】
・チャンネル10
・モンテカルロTV
・テレビウルグアイ
・チャンネル12
・その他多数

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2021年軍事力ランキング:102位

・軍人数:26,500人(推定)
  即戦力 25,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 1,500人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:12億ドル(推定)

ウルグアイ東方共和国/故グレゴリオ・アルバレス将軍

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1700年代

・1700年代、現在のウルグアイ東方共和国と周辺地域はブラジル帝国の支配下に置かれていた。

・1726年、首都モンテビデオが設立された。

・1750年代、最初のアフリカ人奴隷が到着したと伝えられている。

・1775年3月、ポルトガル軍がウルグアイと周辺地域に攻撃を仕掛けるもブラジル軍に追い払われる。

・1790年代、ウルグアイは裕福なブラジル帝国の貴族や民間人の観光地になったと伝えられている。

1800年代

・1800年代初頭、ウルグアイはイギリス、スペイン、ポルトガル、そしてブラジルの間で発生した紛争の影響を受けた。

・1806年、イギリス軍がブエノスアイレス(アルゼンチン)を占領。

・1807年、イギリス軍が首都モンテビデオを占領。自治政府軍がイギリス軍に立ち向かったが、歯が立たなかった。その後、イギリスは南米侵攻から撤退し、自国の戦いを優先した。

・1825年8月25日、ブラジル帝国からの独立を宣言。

・1828年5月18日、ウルグアイとブラジルが紛争の終結に合意。

・1828年8月28日、ウルグアイの独立はモンテビデオ条約に基づき公式に承認された。

・1830年7月18日、新憲法公布。

・1833年11月、チャールズ・ダーウィンがプンタゴルダに到着し、ウルグアイの自然を調査した。

・1836年、国内初の政党、コロラド党とブランコ党(国民党)が結成された。

・1860年代、スイス移民が首都モンテビデオに定住し、新たな農業コミュニティを形成した。

・1864年8月10日、ウルグアイ戦争勃発。(ブラジル連合vsウルグアイコロラド党)ブラジル帝国はウルグアイに宣戦布告することなく襲いかかった。

・1864年10月12日、パラグアイ戦争勃発。(ブラジル・ウルグアイ・アルゼンチン連合vsパラグアイ)三国同盟はパラグアイが南米の政治的安定を損なっていると信じていた。

・1865年2月20日、ウルグアイ戦争終結。ブラジル連合の勝利に伴いコロラド党は解体されたが、数万人の党支持者は国内で活動を続けた。

・1870年3月1日、パラグアイ戦争終結。パラグアイは壊滅的な敗北を喫し、国内の成人男性の90%が殺害されたと伝えられている。

<パラグアイ戦争>
・参加者:約50万人(推定)
・負傷者:10万~20万人(推定)
・死亡者:40万~45万人(推定)

・1872年、ロレンツォ・バトル・イ・グラウ将軍大統領は、軍事政権に反対する抗議活動を抑圧し、反抗的な指導者と市民を処刑した。

・1872年4月、国内の電力供給に関する協定が締結され、議会の代表者は地域の関係政党に新たなルールを周知した。

・1875年、ウルグアイ政府は軍人で構成された。政府は近代国家の組織化に向けた措置を講じ、経済的および社会的変革を奨励した。

・1875年5月、無血軍事クーデター勃発。しかし、ブランコ党の指導者アパリシオ・サラビアと陸軍高官は連立を組むことでこれを阻止した。

・1876年、軍事クーデター勃発。軍のラ・トーレ大佐はブランコ党政権を打倒し、軍事行政長官に就任した。このクーデター以降、ウルグアイの経済は安定し、牛肉と羊毛の輸出が急増した。

・1879年、イタリアとスペインの移民の増加に伴い、国内の人口は43万人を超えた。

・1886年8月17日、マキシモ・サントス将軍大統領が顎を撃たれ重傷を負う。

・1886年11月18日、サントス将軍大統領が辞任。マキシモ・タジェス将軍が大統領に就任した。

ウルグアイ東方共和国/ビーチ

1900年~第一次世界大戦

・ウルグアイは第一次世界大戦に関与していない。

・1903年~1907年と、1911年~1915年に大統領を務めたあったホセ・バッジェ・イ・オルドニェスは、ウルグアイの近代的な政治を確立した。

・1904年、コロラド党はマソレルの戦い(1日続いた反乱)でブランコ党を打ち負かし、政権を奪取すると宣言した。

・1905年、低所得者に対する所得税を廃止。

・1906年、全ての都市に中等学校を設置。

・1907年、女性の離婚権利を認めた。

・1914年、失業手当を導入。

・1915年、電話網を国有化。

・1917年、憲法改正。国名を「ウルグアイ東方共和国」に変更した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1925年8月25日、憲法改正。

・1928年、ウルグアイは世界で初めて政党に公的助成金を支給した。

・1930年、ウルグアイは最初のFIFAW杯を主催し、初優勝を果たした。政府は大会を実現させたFIFA会長に敬意を表した。なお、欧州の参加国は4ヵ国だけだった。

・1933年3月、軍事クーデター発生。ブランコ党の指導者ルイス・アルベルト・デ・エレーラの合意を得た軍は議会を解体し、指導者を追放し、独裁体制を確立した。追放された大統領はクーデターに抗議して自殺した。

・1934年、新憲法公布。

・1938年、アルフレド・バルドミール将軍が大統領に就任。軍事政権は自由市場政策を追求しながら、国の経済と商業に対する支配を維持した。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1940年6月、ナチスドイツがウルグアイとの外交関係を断ち切ると脅迫。

・1942年1月25日、ウルグアイは他の南米諸国と並んで、ナチスドイツとの外交関係を断ち切った。

・1945年2月、ウルグアイは国連の宣戦布告に署名し枢軸国との戦争に参加したが、戦闘に関わる前に戦争は終結した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

終戦~現在

・1945年12月18日、国連に加盟。

・1950年初頭、ウルグアイの経済は第二次世界大戦と朝鮮戦争の影響で大きく成長し、一人当たりの平均所得は南米で最も高くなった。

・1950年代半ば、国内経済は世界的な軍事紛争の終結に伴い、大きな問題に直面した。世界の農産物市場の需要は大きく減少し、ウルグアイはインフレ、大量失業、労働者の生活水準の急激な低下などに見舞われた。

・ウルグアイの輸出市場は軍事紛争の終結に伴い急落したため、政府は外貨準備を使って予算削減を回避した。しかし、ウルグアイペソは切り下げられ、インフレ率は60%に達し、経済は深刻な危機に陥った。

・1958年11月、総選挙。ブランコ党がコロラド党から政権を奪取した。しかし、ブランコ党の経済政策は上手く機能せず、各地で暴動が発生した。

・1967年、総選挙。コロラド党がブランコ党から政権を奪取した。これに伴い、ブランコ党支持者は全国各地で抗議活動と反乱を決行し、経済危機はさらに悪化した。この時、1960年代初頭に結成された左翼市民ゲリラのツパマロスが各地で暴動を扇動した。

・1968年、コロラド党のホルヘ・パチェコ大統領は国内の治安悪化を受け、非常事態を宣言した。

・1971年、大統領選挙。コロラド党のフアン・マリア・ボルダベリーが大統領に就任し、市民の自由はさらに制限された。

・1972年、ボルダベリー大統領は、ラウル・センディック率いるツパマロス国民解放運動(MLN)の市民ゲリラ部隊と戦うために陸軍を招集し、MLNを力でねじ伏せた。

・1973年2月8日、ボルダベリー大統領は軍に対する権力を主張したうえで、引退したアントニオ・フランチェーゼ将軍を国防大臣に任命したが、陸軍と空軍の司令官はこれを却下した。

・1973年2月9日、軍の長は国の政治経済システムの抜本的な変更を要求したうえで、失業を終わらせ、地元産業を支援し、腐敗をなくし、農地改革を実施し、すべてのテロを終わらせることを約束した。

・1973年6月27日、ボルダベリー大統領は民間ゲリラ軍事独裁政権のリーダーに就任した。

ボルダベリー大統領はMLNを完全解体するために拷問を多用し、労働組合役員、共産党メンバー、反抗的な一般市民に対しても拷問を駆使した。拷問の慣行は1985年の独裁政権終焉まで続いた。

・1973年末、ウルグアイは世界を代表する政治犯罪国家になり、MLNのリーダーは仮設刑務所で繰り返し拷問を受けた。治安の悪化を受け、多数のウルグアイ人が世界中に政治亡命を求めたため、ウルグアイから脱出する移民は劇的に増加した。

・1976年、民間ゲリラ政権はボルダベリー大統領を追放し、アルベルト・デミチェリを大統領に指名した。

・1981年、民間ゲリラ政権はグレゴリオ・アルバレス将軍を大統領に指名した。

・1984年、独裁政権に対する大規模な抗議が全国各地で始まり、ゼネラルストライキ後、独裁政権は文民政府に戻る計画を発表した。

・1985年3月、大統領選挙に勝利したコロラド党のフリオ・マリア・サンギネッティが文民政府の大統領に就任し、独裁政権は終了した。

・ザンギネッティ政権は経済改革と統合された民主化を実施した。しかし、独裁政権時代の人権侵害の告発は行わず、ツパマロス国民解放運動(MLN)などに対する弾圧と拷問を行った軍当局者は起訴されなかった。

・1973年から1985年まで続いた軍事政権の間に約180人のウルグアイ人が殺害されたと伝えられている。犠牲者の大半はアルゼンチンや他の近隣諸国で処刑され、そのうち36人だけがウルグアイで処刑された。

・1986年9月、ウルグアイは92カ国で形勢される多国間貿易協定に合意した。

・1988年、中国との外交関係を樹立。

・1989年、1973~1985年の独裁政権時代の軍関係者に恩赦を与えるかどうかを決める国民投票が行われ、賛成多数で可決された。

・1990年3月1日、ルイス・アルベルト・ラセルが大統領に就任。

・1991年3月26日、アスンシオン条約締結。ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイが加盟し、その後、チリ(1996年)、ボリビア(1997年)、ペルー(2001年)、ベネズエラ(2004年)の準会員が加わり、メキシコは2004年にオブザーバーの地位を与えられた。

・1994年4月、世界貿易協定に署名。

1995年3月1日、フリオ・マリア・サンギネッティが大統領に就任。

・1999年11月28日、大統領選挙。コロラド党のホルヘ・バジェが、社会主義者のタバレ・バスケスに勝利した。

・2001年3月、ウルグアイ軍はコンゴ内戦の終結を目指す国連平和維持軍の活動に加わった。

・2001年~2004年、経済危機の影響で、人口の約15%が国外に移住した。

・2002年7月末、政府は金融危機に伴う資本の流出を阻止するために、銀行に2日間営業を停止するよう命じた。

・2002年8月4日、米国財務省はウルグアイの金融危機を沈静化させるために15億ドルを融資すると発表した。

・2004年、貧困ライン以下の生活を余儀なくされている市民は人口の30%に達した。

・2005年3月1日、社会主義者のタバレ・バスケスが大統領に就任し、ラテンアメリカの左派指導者の仲間入りを果たした。バスケス政権はアメリカへの慎重なアプローチと自由市場政策を支持したうえで、キューバとの外交関係を回復した。

・2006年3月30日、政府は国際通貨基金(IMF)から借り入れた2006年末に期限を迎える債務6億3000万ドルを予定より早く返済した。

・2006年7月28日、政府はIMFから借り入れた2007年末に期限を迎える債務9億ドルを予定より早く返済した。これにより、IMFに対する債務の50%が処理された。

・2008年11月11日、上院は妊娠初期段階での中絶を非難する決議案を可決したが、タバレ・バスケス大統領は11月14日に拒否権を行使した。

・2009年8月27日、議会は同性愛者とレズビアンのカップルの養子縁組を許可する法案を可決した。

・2009年9月9日、上院は同性愛者とレズビアンのカップルの養子縁組を許可する法案を可決し、世界から称賛された。ラテンアメリカで同性愛者とレズビアンのカップルの養子縁組を許可した国はウルグアイが初めてだった。

・2009年10月22日、ウルグアイ最後の独裁者、グレゴリオ・アルバレスは、1973年から1985年の軍事政権の間に反対勢力を粛正した罪(37人に対する殺人罪)で25年の実刑判決を受けた。

・2010年、ウルグアイの労働組合活動家の数は2003年の4倍に増加した。国際労働組合総連合によると、ウルグアイは「基本的労働者の権利、特に結社の自由、団体交渉の権利、ストライキの権利」を保証する国に姿を変え、アメリカ大陸で最も先進的な国になった。

2010年2月10日、1971年から1976年まで政権を支配した元独裁者フアン・マリア・ボルダベリーは、1973年のクーデターを主導した罪で懲役30年の実刑判決を受けた。

・2010年4月20日、オランダの国際司法裁判所はウルグアイのパルプ工場が共有河川を汚染しているというアルゼンチンの主張を却下する判決を下した。

2010年11月8日、軍事政権時代に暗躍したミゲル・ダルマオ将軍が殺人罪で有罪判決を受け、刑務所に送られた。ダルマオ将軍は1973年から1985年の独裁政権下に発生した人権侵害で投獄された最初の現役軍人になった。

・2011年3月15日、パレスチナ自治区を国家と認める決議案を可決。

・2012年9月25日、上院は妊娠中絶を合法化する法案を可決した。

2013年4月10日、上院は同性結婚を合法化する法案を可決した。

・2013年12月10日、上院はマリファナを合法化する法案を可決、大統領は2日後に署名した。

・2014年5月2日、政府は合法マリファナ市場に関する新しい規則を発表し、政府はマリファナ関連のビジネスに深く関与し、違法行為は厳しく取り締まると宣言した。

2014年6月26日、サッカー代表のルイス・スアレスがブラジルの代表選手にガブリと噛みつく。

・2014年11月、大統領選挙。タバレ・バスケス前大統領が右翼反対派候補のルイス・ラカジェポウに勝利した。

・2015年3月19日、東部マルドナド州で飛行機の墜落事故が発生。10人が死亡した。

・2019年6月28日、EUとウルグアイを含む南米4か国ブロックは新たな貿易協定を締結した。

・2019年11月、大統領選挙。保守的なルイス・ラカジェ・プーが勝利し、15年続いた左派の支配に終止符を打った。

ウルグアイ東方共和国/自転車と女性

文化(目次に戻る

・スペインとポルトガルの影響を強く受けている。

・隣国アルゼンチンの文化とよく似ているが、ウルグアイ人は違うと主張している。

・サッカーとマテ茶をこよなく愛している。

・タンゴとカンドンベ(アフリカ系ウルグアイ人の踊り)はユネスコ無形文化遺産に登録されている。

・2000年代初頭の喫煙率は成人の約3分の1と非常に高かった。現在は減少傾向にある。

・主食はパスタとパン。主菜は牛肉、チーズ、魚介類全般。

・ワインの生産に力を入れており、輸出量は年々増加している。

スポーツ(目次に戻る

・人口約300万人の小国だが、南米を代表するスポーツ国家に成長した。

・一番人気はサッカー。国民は三度の飯よりサッカーを愛している。

・その他の人気スポーツはバスケットボール、ボクシング、ラグビー、テニス、モータースポーツ。

サッカー代表チームはFIFAワールドカップを2度制している。(1930年、1950年)

・コパアメリカ(サッカー)の優勝回数は15回。

・オリンピックでのメダル獲得数は10個(金:2個、銀:2個、銅:6個)

・1998年の長野五輪で冬季オリンピックデビューを果たした。

【有名スポーツ選手】

・ルイス・スアレス(Luis Suárez)サッカー選手。世界で最も有名なストライカーのひとり。ラ・リーガのFCバルセロナに所属していた。

ウルグアイ東方共和国/サッカースタジアム

その他(目次に戻る

開発途上国に分類されているが、アフリカやインド太平洋の発展途上国よりはるかに優れた経済力を持っている。

軍事独裁政権時代の混乱を乗り越え、南米を代表する国家に成長した

ウルグアイ東方共和国/首都モンテビデオ
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