目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:コンゴ共和国(Republic of the Congo)
首都:ブラザビル(Brazzaville)
人口:5,293,070人(2021年推定)
面積:342,000㎢(本州の1.5倍)
気候:熱帯気候
・乾期は11月~3月。
・雨季は4月~10月。
・アフリカの中では雨の多い国に分類される。
・1年を通して蒸し暑く、とてもジメジメしている。
・年間降水量は地域によって異なる。(最小1,000mm、最大2,500mm以上)
・気温は1年を通して安定している。(最低25~27℃、最高30~31℃)
・野生動物が多数生息している。
・希少な野生動物(ゾウ、ゴリラ、キリンなど)が多数生息している。
経済:
・開発途上国
・GDPは125億ドル(2019年推定)
・インフォーマル経済。
・主要産業は製造業とサービス業。
・石油の輸出が政府の歳入の大半を占めている。
・主要貿易パートナーは中国、アメリカ、フランス。
・失業率は50%前後。
・貧困ライン以下の生活を送っている市民は人口の約40%、
・2014年から2016年の石油価格の下落が経済に大きな影響を与えた。
・石油セクター以外の産業はほとんど発展していない。
・主要農作物はキャッサバ、砂糖、米、トウモロコシ。
人種(民族):
・コンゴ人 48%(2010年推定)
・サンガ人 20%
・テケ人 17%
・ンボシ人 12%
・その他 3%
言語:
・フランス語(公用語)
・リンガラ語
・モノクツバ語
・キコンゴ語
・その他多数
宗教:
・ローマカトリック 52.9%(2015年推定)
・プロテスタントなど 35.6%
・先住民族の宗教 4.7%
・その他 2.3%
・無宗教 3%
・不明 1.4%
コンゴ共和国
政治(目次に戻る
大統領:デニス・サスヌゲソ(Denis Sassou Nguesso)
首相:クレマン・ムアンバ(Clémen Mouamba)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年。
・複数政党制。
・上院の議員定数は72人、任期は6年。
・下院(国会)の議員定数は151人、任期は5年。
・デニス・サスヌゲソ大統領が1997年以来権力を維持している。
・選挙の結果に抗議する野党勢力は銃殺される。
・国民投票の結果に抗議する野党勢力は銃殺される。
・政治家の汚職が深刻な社会問題になっている。
法律:コンゴ共和国の憲法
・2015年の国民投票で死刑を廃止した。
・司法の独立を保障している。
・一部地域では私刑(処刑や拷問)が横行している。
・特定の民族の差別問題に悩まされている。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年2月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)
治安:悪い
・反政府勢力の活動エリアには近づかないこと。
・近年テロ事件は発生していない。
・凶悪犯罪(強殺、殺人、誘拐、強姦、レイプなど)に巻き込まれる可能性がある。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・国境周辺には近づかない方がよい。
・反政府勢力「レジスタンス国民会議(CNR:通称ニンジャ部隊)」は2017年の停戦合意以来、活動を自粛しているが、その他の反政府勢力や武装勢力は各地で散発的に活動しており、注意が必要。
・置き引きや引ったくりに注意。
・目立つ服装や行動は避けた方がよい。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は10社ほど確認されている。
・国営テレビ局は1社。
・国営ラジオ局は2社。
・民間テレビ局は10局ほど確認されている。
・民間ラジオ局は複数確認されている。
・報道と言論の自由を保障していない。
・政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受ける。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は5~6%。
・検閲はないと伝えられている。
・アメリカやイギリスのケーブルテレビを視聴できる。
【国営メディア/設立年】
・TVコンゴ 1962年頃
【民間メディア】
・Canal FM
・RadioLiberte
・その他
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:124位
・軍人数:12,000人(推定)
即戦力 10,000人
予備兵 0人
準軍組織 2,000人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:7億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、コンゴ王国(現在のコンゴ共和国)の各民族の長たちはヨーロッパ人の侵攻に直面していた。
・ポルトガルは当時、コンゴ王国を支配下に置いたと主張していたが、先住民族はこの主張を却下し、激しく抵抗した。
・アフリカのジャンヌダルクと呼ばれるドナ・ベアトリス・キンパ・ヴィータはコンゴ王国の理想を取り戻し、奴隷を解放するために戦ったが、ポルトガル軍に打ち負かされ、魔女と非難されたのち火刑に処されたと伝えられている。
1800年代
・1800年代、コンゴ王国および周辺国の奴隷貿易は最盛期を迎えた。
・コンゴ王国の酋長たちはポルトガル人に抵抗し続けた。
・ポルトガルはコンゴ川を起点とした商取引システムを確立し、コンゴ王国の農作物や工業製品を各地に出荷した。これによりコンゴ川周辺に人が集まり、町が形成された。
・1800年代中頃、コンゴ川周辺(現在のコンゴ共和国とコンゴ民主共和国の一部)の本格的な植民地化が始まり、先住民族の力は弱まった。
・コンゴ王国に到達したフランスの探検家や商人たちが支配地域を拡大した。ただし、ポルトガルの主張する植民地エリアは侵害しなかったと伝えられている。
・フランスの探検家、ピエール・サボルグナン・デ・ブラザは、平和的かつ友好的な交渉で先住民との商取引を確立した。
・1880年、コンゴ王国のマココ王とフランス政府がピエール・ド・ブラザ条約に調印。コンゴ王国はフランスの主権下に置かれた。(フランス領コンゴ誕生)
・1886年、デ・ブラザがフランス領コンゴの総督に就任。
・デ・ブラザ総督は先住民の生活および収入を優先し、商取引におけるフランスの取り分を大きく減らした。
・1897年、フランス政府が先住民の生活を優先しすぎるデ・ブラザ総督を解任。
・先住民族はフランスの支配にはひとまず従ったが、その他のヨーロッパ諸国の侵攻には強く反発した。
1900年~第一次世界大戦
・フランス領コンゴは第一次世界大戦に関与していない。
・1908年、フランス政府がフランス領赤道アフリカ(AEF)の設立を宣言。対象エリアは、現在のコンゴ共和国中部と中央アフリカ共和国の一部地域。
・フランス政府がブラザビルをコンゴの首都に指定。
・先住民族たちはフランス政府が施行した強制労働を強いる法律によって奴隷以下の扱いを受けた。フランス政府は搾取に抗議した者を容赦なく殺し、ねじ伏せた。
・フランス政府の残虐な搾取と処刑はフランス本土で大々的に報じられた。結果、フランスの世論は先住民族の扱いに憤慨し、抗議活動を引き起こし、現地の企業に対するボイコット運動に発展した。その後、虐待的な商取引に関わった企業はほとんど破産し、奴隷的な慣行は1930年頃までに廃止された。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・フランス領コンゴは第二次世界大戦に関与していないが、一時的にナチスドイツの支配下に置かれた。
・1921年、コンゴ・オセアン鉄道の建設が始まる。
・フランス政府は先住民族にコンゴ・オセアン鉄道建設への従事を命じ、工事完了までに20,000~25,000人が死亡したと伝えられている。
・1934年、コンゴ・オセアン鉄道開通。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・1940年6月、ナチスドイツがフランスを占領。コンゴはナチスの支配下に置かれたが、直接影響を受けることはなかった。
・首都ブラザビルはフランスの自由を象徴する都市として機能し、第二次世界大戦の影響で商取引は大きく増加した。
・1944年1月、ブラザビル会議。フランスの政治家と植民地の政治家が会談し、ブラザビル宣言に署名した。
<ブラザビル宣言の要点>
1.フランスと植民地の団結を宣言。
2.植民地に一定の自治権を与える。
3.植民地の市民にフランスの市民と同等の権利を与える。
4.植民地の市民にフランスの参政権を与える。
5.先住民に公職に就く権利を与える。
6.新たな経済改革で植民地の経済力を高める。
・コンゴのインフラと商取引は戦争需要で大きな恩恵を受けた。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1946年10月27日、フランスの憲法改正に伴い、フランス領赤道アフリカ(AEF)に議会が設置された。なお、植民地は公式にはフランスの一部だったが、そこで生活する市民は政党や組織を結成する自由など、フランスの市民と同じ権利を獲得した。
・1958年、フランスの憲法改正に伴い、植民地の自治権が大幅に強化されたが、独立は認められなかった。
・1959年2月、首都ブラザビルで独立を求める大規模な抗議活動が発生。フランス軍はこれを力でねじ伏せ、数十人が死亡、数百人が負傷した。
・1959年4月、大統領および議会選挙。フルベール・ユールーがフランス領コンゴの初代大統領に就任、自治区限定の憲法も合わせて制定した。
・1960年8月15日、「コンゴ共和国」が独立を宣言。フルベール・ユールーが初代大統領に就任した。
・1963年8月6日、ユール―大統領が一党独裁体制への移行を宣言。
・1963年8月13日、労働組合によるクーデターが発生。大統領の宮殿は労働者たちに包囲され、フランスは軍事介入を拒否したため、ユール―大統領は辞職に追いやられた。
・1963年8月14日、ルフォンセ・マサンバ・デバットが大統領に就任し、暫定臨時政府をブラザビルに設置した。
・1965年、コンゴはソビエト連邦、中華人民共和国、北朝鮮、北ベトナムとの友好関係を確立した。
・デバット大統領は国内の様々な制度、部族間の問題、イデオロギーに直面し、問題を打開する有効な対策を打ち出すことはできなかった。
・1968年9月、数日間の激しい戦闘ののち、デバット政権は打倒された。
・1968年12月31日、軍事クーデターを主導したマリアン・ングアビが大統領に就任。
・1969年、ングアビ大統領が国名を「コンゴ人民共和国」に変更すると宣言。政府は国家革命運動の管理下に置かれた。国家革命運動はその後、コンゴ労働党(PCT)に名を改める。
・1972年2月22日、軍事クーデター未遂事件発生。
・1977年3月16日、ングアビ大統領が暗殺される。PCTの軍事委員会の委員11人が暫定政府を率い、ジョアキム・ヨンビ・オパンゴが大統領に就任した。
・1977年3月25日、ングアビ大統領の暗殺に関わった元大統領のルフォンセ・マサンバ・デバットが銃殺刑に処される。
・1979年、デニス・サスヌゲソ大佐がオパンゴ大統領を追放し、新大統領に就任。
・サスヌゲソ大統領(現職)は東側諸国に接近し、ソビエト連邦との新たな友好協定に署名した。
・1992年、ソビエト崩壊でマルクス・レーニン主義の勢いは弱まり、コンゴ人民共和国は複数政党制民主主義への移行を開始した。(一党独裁体制崩壊)
・1992年8月、大統領および議会選挙。パスカル・リスバが現職のサスヌゲソ大統領を破り、新大統領に就任した。
・1997年6月5日、政府軍は軍事クーデターを計画したサスヌゲソ前大統領の自宅を取り囲み、関係者を逮捕しようとした。しかし、サヌスゲソ前大統領を支援するコブラ部隊が政府軍に襲いかかり、大規模な戦闘に発展した。
・1997年6月5日、コンゴ共和国内戦勃発。(政府軍vsコブラ部隊)
・1997年6月17日、フランスとアメリカの連合軍が共同作戦を決行。コンゴは3日間の停戦に合意し、ブラザビル空港から外国人約6,000人が国外に脱出した。
・1997年9月、政府はサヌスゲソ前大統領に閣僚入りを提案したが、拒否された。
・1997年10月、ニンジャ部隊(民兵)が政府軍に公式に加わる。
・1998年、ニンジャ部隊とコブラ部隊の戦闘は激しさを増し、政府関係者や上級公務員が各地で暗殺された。
・1998年11月14日、ニンジャ部隊の分隊、過激派忍者組織が都市ミンドゥリを爆撃し、民間人数十人を殺害。
・1998年12月16日、過激派忍者組織が首都ブラザビルに侵攻。激しい戦闘は4日ほど続き、20万人以上の民間人が市街に避難した。
・政府軍とコブラ部隊は過激派忍者組織を打ち負かし、捕縛した残党はその場で処刑した。4日間の戦闘の犠牲者は1,000~1,500人と見積もられている。
・1999年12月29日、コンゴ共和国内戦終結、サヌスゲソ前大統領のコブラ部隊が勝利し、政権を奪取した。
<コンゴ共和国内戦>
・両軍参加者:30,000~40,000人(推定)
・負傷者:数万人(推定)
・死亡者:14,000~25,000人(推定)
・20万人以上が国内避難民になった。
・1999年12月30日、サヌスゲソが暫定大統領に就任。
・2002年、大統領選挙。サヌスゲソ暫定大統領が有効票の90%を獲得した。なお、野党のライバルたちは選挙活動を激しく妨害され、唯一残った信頼できる候補者は立候補を辞退した。
・2002年1月、憲法改正。大統領の権限が強化され、任期は7年に延長された。
・2009年、大統領選挙。現職のサヌスゲソ大統領が有効票の90%以上を獲得した。
・2015年、サヌスゲソ大統領が2016年の大統領選出馬を目指し、憲法を改正。これに野党関係者と支持者が猛反発し、各地で抗議活動が勃発した。その後、サヌスゲソ大統領は政権を脅かすニンジャ部隊への攻撃を開始した。
・2015年3月27日、大統領選挙(前倒し)および国民投票。大統領の任期は5年、最大就任回数は3回に変更され、現職のサヌスゲソ大統領が3期目の当選を果たした。
・2016年4月、ニンジャ部隊が活動再開を宣言。政府軍や公務員への攻撃を開始し、約8万人が国内避難民になった。
・2017年12月、政府とニンジャ部隊が停戦協定に合意。
文化(目次に戻る
・フランスの植民地だった時代の建築遺産が多数残されている。
・不安定な政治情勢と紛争が国内の様々な文化に深刻な影響を与えている。
・各民族の文化や風習はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。
・サッカー男子代表は1970年代初頭に開催されたアフリカネイションズカップで優勝した。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・冬季オリンピックの出場実績なし。
【有名スポーツ選手】
・サージ・イバーカ(Serge Ibaka)NBA選手。
その他(目次に戻る
・石油の輸出が政府の歳入の大半を占めている。
・政治情勢は極めて不安定。ニンジャ部隊が活動を活発化させる可能性あり。