目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ナイジェリア連邦共和国(Federal Republic of Nigeria)
首都:アブジャ(Abuja)
人口:203,452,505人(2020年推定)
面積:923,768㎢(日本の2.5倍)
気候:熱帯気候
・南部の気温と湿度は1年を通して安定している。
・北部は夏と冬の気温差が大きい。
・南部の年間降水量は3,000~5,000mm。(5,000mm以上降る地域もある)
・北部の年間降水量は500~1,000mm。
・梅雨時期(5~8月)の観光はおすすめしない。
・南部はかなり蒸し暑いので、体調管理に注意。
・マラリア、コレラ、麻疹、風疹、狂犬病などの感染症に注意。
経済:
・開発途上国
・インフォーマル経済。
・GDPは約4,481億ドル(2019年推定)
・西アフリカのリーダー。
・主要産業はサービス。(GDPの50%以上)
・農業生産量はアフリカ最大。(世界6位)
・全労働者の3分の1が農業関連の仕事に従事している。
・アフリカを代表する石油輸出国のひとつ。
・石油の輸出が経済成長を支えている。
・観光部門はGDPの約6%を占めるまでに成長した。
・貧富の格差が大きい。
・インフォーマルセクターで働く数百~数千万人の労働者は、劣悪な環境下で生活している。
人種(民族):
・ハウサ人 27.4%(推定)
・ヨルバ人 21%
・イボ人 14.1%
・フラニ人 6.2%
・イビビオ人 2.2%
・ティブ人 2.2%
・イジョ人 2%
・カヨリ人 1.7%
・その他(民族数は250以上と考えられている)
言語:
・ハウサ語
・ヨルバ語
・イボ語
・その他(少なくとも525以上の言語が確認されている)
宗教:
・イスラム教 51.5%(推定)
・キリスト教 46.9%
・その他 4.6%
ナイジェリア連邦共和国
政治(目次に戻る
大統領:ムハンマド・ブハリ(Muhammadu Buhari)
政治体制:連邦共和制
・イギリス連邦に属する。
・国家元首は大統領。
・女性の政治参加を認めている。
・二院制(上院:109人、下院:360人)
・最高権力機関は上院。
・1999年に軍事政権を倒し、民主化を達成した。
・近年、選挙の不正は減少したと伝えられている。
・人身売買が蔓延しており、現代の奴隷制と呼ばれている。
・軍の強権的な取り締まりが問題になっている。
・政府はイスラム過激派組織、ボコ・ハラムの対処に苦慮している。
法律:ナイジェリアの憲法
・裁判所は、「最高、高等、控訴、地方」など。
・宗教の自由を認めているが、イスラム過激派組織および反政府組織はこの考えを拒否している。
・2014年に同性婚(同性愛)を禁じた。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・避難勧告命令発令中(2020年12月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2020年12月時点)
治安:かなり悪い
・一部地域でイスラム過激派組織、ボコ・ハラムの活動が活発化している。
・ボコ・ハラムの拠点と考えられている北東部エリア周辺には近づかないこと。
・近年、反政府勢力の活動は沈静化しつつある。
・ボコ・ハラムに関連する盗賊集団に注意。(殺人、強盗、誘拐など)
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・軍や警察の厳しい取り締まりに注意。不審者と間違われるような行動はとらないこと。
・爆弾テロ、重火器を使ったテロに注意。市街地でも油断は禁物。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は100社以上。
・国営テレビ局は数局あると伝えられている。
・民間テレビ局は20社以上。
・ラジオ局は100局以上。
・検閲は厳しくないと伝えられている。
・報道と言論の自由を保障している。
・軍事政権時代に数十から数百人のジャーナリストが投獄、追放、拷問、もしくは処刑された。
・ラジオが主要媒体。テレビの認知度は低い。
・インターネットは繁華街限定。砂漠や地方の貧しいエリアの通信網は整備されていない。
【国営メディア】
・AKBC 1988年
・ラゴステレビ 1980年
【民間メディア】
・アフリカ独立テレビ’(アフリカ大陸全土で利用可能)
・チャンネルテレビ
・ギャラクシーテレビ
軍隊(目次に戻る
2020年軍事力ランキング:42位
・軍人数:120,000人(推定)
即戦力 120,000人
予備兵 0人
・陸海空軍を保有
・国防予算:22億ドル
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のナイジェリア連邦共和国および周辺地域に国家は存在しなかった。
・民族の長は自分たちの土地を管理し、侵略者(他の民族、欧州の探検家など)から守った。
・各民族は異なるイスラム教の文化を構築し、それが紛争の火種になった。
・欧州諸国はアフリカを探索し、貿易に適した土地を調査、開発した。
・欧州の企業は黒人を捉え、奴隷として他の植民地や自国に移送、販売し、利益を得た。(奴隷貿易)
1800年代
・1804年、スンニ派イスラム教カリフ制国家、ソコト帝国誕生。
・カリフ制(預言者ムハンマドの後継者に指名された者が率いる共同体)はアフリカ全土に経済成長をもたらした。
・ソコト帝国は1890年頃までに非イスラム教徒200~250万人を奴隷にしたと伝えられている。
・1800年代、各民族の長はソコト帝国や他の侵略者から土地を守るために戦い、自分たちが信仰するイスラム教の文化を守ろうとした。
・奴隷制度の確立に伴い、ソコト帝国や他の小規模な王国の農業分野は急速に成長した。
・1807年、アフリカで活動する欧州各国の提案により、奴隷貿易が禁止される。しかし、違法な密輸業者による奴隷の売買は続いた。
・1852年、イギリスがラゴス州の併合を宣言。
・1885年、ベルリン会議開催。欧州諸国が西アフリカの勢力に対するイギリスの支配を公式に認める。
1900年~第一次世界大戦
・1900年1月1日、イギリス政府、ナイジェリア全土および周辺地域の植民化を宣言。(ナイジェリア保護領設立)
・1903年初旬、イギリス軍はアフリカ北部の支配者、ソコト帝国との戦いを制した。
・1903年3月13日、ソコト帝国がイギリスの支配を認め、アフリカ最大のカリフ制国家は滅亡した。
・1903年6月、イギリス軍、ソコト帝国の残党を討ち滅ぼし、完全勝利を宣言。
・1914年1月1日、ナイジェリア北部保護領と南部保護領が統合される。ただし、行政上は北部と南部に分けられたままだった。
・1918年11月、第一次世界大戦終結。ナイジェリアは戦争に関与していない。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・植民地化に抵抗する民族の暴動が各地で発生する。
・イギリス政府はキリスト教関連の教育機関の設立を断念した。また、現地の行政機関もイスラム教の伝統文化の保護を優先し、キリスト教関連機関の設立を奨励しなかった。
・欧州から持ち込まれたキリスト教の信者は増加傾向にあった。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・第二次世界大戦はナイジェリアのナショナリズムを成長させ、多くの民族および市民がイギリスからの独立を求め、抗議した。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。ナイジェリアは戦争に関与していない。
終戦~現在
・1959年、議会選挙。北部人民会議(NPC)が312議席中134議席を獲得した。
・1960年10月1日、イギリス政府がナイジェリアの独立を認める。
・独立の条件は、国会と地域の自治を規定する憲法の制定だった。
・NPCとナイジェリア市民法議会(NCNC)が最初の連立内閣を立ち上げる。
・1959年の議会選挙で73議席を獲得したアクショングループ(AG)も連立内閣への参加を求めたが、NPCの指導者は要求を拒否した。
・AGは脅迫と暴力で政治への参加を狙ったが、リーダーが国家反逆罪の罪で起訴され、勢力拡大に失敗した。
・1963年10月1日、「ナイジェリア連邦共和国」誕生。ンナムディ・アジキウェが初代大統領に就任した。一方、AGは西部地域の政治から除外された。
・1966年1月15日、南東部地域のイボ族の将校を中心とするグループがクーデターを決行。NPC・NCNC連立政権を倒し、北部および西部地域の統治者を暗殺した。なお、アジキウェ大統領は攻撃をかわし、生き延びた。
・連立政権崩壊直後、ジョンソン・アグイイ・イロンシ将軍が別のクーデターを起こし、イボ族の将校グループは撤退を余儀なくされた。(軍事政権誕生)
・1966年6月~10月、南東部地域のイボ族の住民8万~10万人(推定:半分は子供)が虐殺され、100万~200万人が東部に逃れた。
・1967年5月30日、イボ族のリーダー、エメカ・オジュクウ中佐が「ビアフラ共和国(南東部地域)」の独立を宣言。
・1967年7月6日、ナイジェリア内戦勃発。(ナイジェリアアラブ連合vsビアフラ共和国)
・1967年7月6日、政府軍がビアフラ共和国に侵攻。
・政府軍はビアフラ共和国を完全封鎖し、壊滅的な食糧危機を引き起こした。
・1970年1月15日、ナイジェリア内戦終結。軍事政権はビアフラ共和国の領土をすべて取り戻した。
<ナイジェリア内戦>
・戦死者 4万~10万人(推定)
・負傷者 数百万人
・戦争難民 50万~200万人
・ビアフラ共和国の餓死者 200万~350万人
・1973年~74年、石油価格の高騰に伴い、ナイジェリア経済は急速に発展した。
・1975年7月29日、ムルタラ・モハメッド将軍率いるグループが無血クーデターを決行、新軍事政権の樹立を宣言。
・1976年2月13日、オルセグン・オバサンジョ中将率いるグループがクーデターを決行。大統領を暗殺し、新軍事政権樹立を宣言。
・1979年、5つの軍事政党の支持を受け、国民党(旧北部人民会議:NPC)のシェフ・シャガリが大統領に就任。
・1983年、議会選挙。シャガリ政権が不正選挙で勝利を収め、他の野党軍事政党は猛反発した。
・1983年12月31日、政府軍がクーデターを起こし、シャガリ政権は解体された。
・1985年8月、ムハンマド・ブハリ少将率いるグループが無血クーデターを決行。イブラヒム・ババンギダ将軍が大統領に就任した。
・ババンダギ大統領は就任初日に報道の自由を回復し、裁判を受けることなく拘束された政治家および軍人を釈放した。また、経済対策の一環として、軍、警察、公務員および民間部門の賃金削減を決めた。
・ババンダギ大統領は1990年までに完全なる民主化および文民統制を確立させると宣言した。
・1990年4月、クーデターを試みた将校など関係者69名が軍事裁判にかけられ、国家反逆罪の罪で全員処刑された。
・1993年6月12日、初の大統領選挙が行われた。しかし、ババンダギ大統領は選挙の結果を無効にすると発表し、ナイジェリアは大混乱に陥った。
・1993年11月、サム・アバチャ国防相が政権を奪取、ババンダギ大統領は追放された。
・アバチャ大統領は民主的な機関を解体し、各地域の知事をすべて軍人に置き換えた。さらに、民主的な選挙を禁じ、完全なる軍事政権国家の設立を宣言した。
・1997年12月20日、クーデターを計画した政府軍の将軍、警察、民間人などが逮捕され、銃殺刑に処された。
・1998年6月8日、アブチャ大統領が心不全で死去。アブドゥルサラミ・アブバカール将軍が新大統領に就任した。
・アブバカール大統領はアブチャ政権の悪政を修正した。
・1999年5月、議会選挙。人民民主党が歴史的な勝利を収め、オルシェグン・オバサンジョが大統領に就任。16期続いた軍事政権に勝利した。
・1999年5月29日、憲法改正。
・軍事政権打倒後、オバサンジョ大統領の民主化政策に対抗する反政府勢力、イスラム過激派組織ボコ・ハラムなどが各地で暴力的な抗議を引き起こした。
・2003年、オバサンジョ大統領再選。
文化(目次に戻る
・1,150以上の方言と250以上の民族グループが確認されている。
・文化は民族グループによって大きく異なる。
・民族グループの正確な情報(人口、文化の違い、考え方の違い)を理解している者は極めて少なく、政府も情報を把握しきれていない。
・ナイジェリア料理の主菜は山芋、キャッサバ、トウモロコシなど。
・カモシカやキリンの肉など、手に入りにくい食べ物が人気。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。
・その他の人気スポーツはボクシング、ラグビー、陸上競技、バスケットボール。
・オリンピックの獲得メダル数は25個。
・スポーツ分野のさらなる発展に期待。
【有名スポーツ選手(チーム)】
・サッカー男子代表(Nigeria national football team)アトランタオリンピック金メダル。
その他(目次に戻る
・民主政権誕生後も、民族グループの小競り合いは続いている。
・内戦、飢餓、民族間の争いなどを経て西アフリカのリーダーに成長した。