キルギスタンについて知っておくべきこと
・カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国と国境を接する。
・ソビエト連邦の一部だった時は、キルギスソビエト社会主義共和国と呼ばれていた。
・1991年に独立を宣言、現在の名前(キルギス共和国/キルギスタン)を取得した。
・2005年、アスカル・アカエフ大統領を蜂起によって一掃。2010年にはクルマンベク・バキエフ大統領を追放した。
・脅迫、暴力、買収に満ちた選挙を繰り返し、事あるごとに大統領が追放される。
破壊的な抗議と不安が首都を覆い尽くす
10月9日、首都ビシュケクでの破壊的な抗議活動を抑え込みたいソーロンバイ・ジェーンベコフ大統領は非常事態を宣言した。
混乱は過熱し、ある集会所ではアルマズベク・アタンバイエフ前大統領の車が銃撃を受けた。なお、前大統領にケガはなかった。
4日に行われた不正だらけの議会選挙とそれに伴う一連の騒乱は、キルギスタンを掌握した。
議会選挙の結果を却下した抗議者たちは、6日に政府庁舎と大統領府を襲撃、再選挙を要求した。
ジェーンベコフ大統領は、現地時間9日20:00に非常事態宣言を発出。首都への治安維持部隊、軍の兵士、重火器の配備が可能になった。なお、大統領は10月21日まで宣言を維持するよう命じている。
現在、首都ビシュケクでは夜間外出禁止令と厳格な軍事制限が課されており、首都に出入りする者は軍と警察のチェックを通過しなければならない。
4日から始まった抗議活動により、少なくとも1人が死亡、1,000人以上が負傷した。
抗議者たちの要求
抗議者たちは議会選挙の結果を却下し、激しい蜂起に発展。その後、中央選挙管理委員会は結果を無効にすると発表した。
・議会選挙の結果は無効になり、首相が辞任を表明
衝突は権力の真空を生み出し、暴徒の怒りは全国に拡散。人々は政府機関を襲撃し、新たな指導者が設置された。
6日、ボロノフ首相が一連の騒乱と議会選挙の不祥事の責任をとり辞任を表明。抗議者たちは誰が新政府を率いるかについて合意できず、各グループは自分たちの指導者に権力を掌握してほしいと望んでいる。
9日、ジェーンベコフ大統領は記者団に対し、「国会議員が合法的な内閣を任命し、法の支配が回復したのち辞任する」と語った。
あるグループは、抗議者たちによって刑務所から解放されたと伝えられている元国会議員のサディール・ジャパロフ氏を支援している。なお、銃撃されたアタンバイエフ前大統領も今回の騒乱中に刑務所から解放されたひとりである。
35人の野党国会議員グループは、ジャパロフ氏が新しい首相になると宣言した。しかし、別の抗議者たちは任命のプロセスに異議を唱えている。
9日の抗議活動
抗議者たちは首都ビシュケクの中央に位置するアラトゥーススクエアで石と土の塊を互いに投げ合った。
刑務所から解放されたアタンバイエフ前大統領はBBCの取材に対し、「衝突中に銃撃を受けた」と述べた。
社会民主党の広報担当はキルギスタンのニュースウェブサイト24に、「前大統領は新たな戦いを開始した。何者かに銃撃を受けたが、彼は無事である」と語った。
また別の党関係者は地元メディアのインタビューの中で、「サパル・イサコフ前首相も銃撃を受けた」と述べている。
AP通信によると、副首相に推薦された29歳の活動家が抗議活動中に負傷し、病院に運ばれたという。
不正議会選挙
混乱を引き起こした議会選挙は4日に実施された。
・不正投票を疑う抗議者たちの怒りが爆発
投票の結果、立候補した16の政党のうち議席を獲得したのは4党だけだった。なお、この4党のうち3党はジェーンベコフ大統領と密な関係を構築している。
一方、12党は議席を確保できず、共同で議会選挙の結果を認めないと宣言した。
彼らは大統領に近い政党による「票の購入」「有権者への暴力・脅迫・強制投票」を非難。欧州安全保障協力機構(OSCE)の選挙監視機関も、議会選挙の結果について「深刻な懸念」を表明した。
一部のオブザーバーは、投票所で特定の政党名を記した投票用紙が売買され、さらに、賄賂を受け取った有権者が特定の投票所にバスで運ばれ投票していたと述べている。
キルギスタンはロシアが支配する経済および安全保障同盟のメンバーであり、クレムリンの経済的支援に依存している。
ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、9日に開催された安全保障理事会でキルギスタンの状況などについて話し合った。
クレムリンの広報担当、ドミトリー・ペスコフ報道官は記者団に対し、「大統領は混乱を望んでおらず、状況を迅速に安定させる必要があると指摘した」と語った。
キルギスタンで新たな衝突が発生