カンボジアの国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)

首都:プノンペン(Phnom Penh)

人口:16,449,519人(2020年推定)

面積:181,035㎢(北海道の2.1倍)

気候:亜熱帯気候
・雨季(5月~10月上旬)
・乾期(11月~3月)
・最高気温は1年を通して30~35℃。夏場は40℃近くまで上昇することも珍しくない。
・最低気温は1年を通して20~24℃。
・年間総降雨量は1,000~1,500mmほど。南東部が特に多い。
・台風に悩まされている。
・雨季のむし暑さと熱中症に注意。

経済:
・開発途上国
・経済は2000年以降、順調に成長している。
GDPは約267億ドル(2019年)
・主要産業は農業と縫製業。
・近隣諸国との関係回復が貿易のプラス成長につながった。
縫製業が輸出の80%を占めている。この部門の女性労働者は約30万人
・衣料品生産の拠点と位置付ける海外企業も多い。
・中国の強力な縫製技術に苦しめられた時期もあったが、労働単価の安さを活かし、現在も右肩上がりで成長し続けている。
・農業の主要輸出品は米、トウモロコシ、キャッサバ、落花生、ゴマ、大豆など。
・1990年代後半から観光産業が急成長している。
・一番人気の観光地はユネスコ世界遺産、アンコール・ワット。

人種:
・クメール人 90%
・ベトナム人 5%
・中国人 1%
・その他 4%

言語:クメール語(公用語) 90%
・ベトナム語 5%
・中国語 1%
・タイ語 0.01%
・日本語 0.01%
・韓国語 0.01%
・その他

宗教:仏教(国教)97.9%
・イスラム教 1.1%
・キリスト教 0.5%
・その他 0.6%

カンボジア王国

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国王:ノロドム・シハモニ(Norodom Sihamoni)
首相:フン・セン(Hun Sen)

政治体制:立憲君主制
・国家元首は国王。ただし、政治には携わらない。
王位継承者は政府の承認を得なければならない
・政府の長は首相。
・首相は第一党から選出。
・二院制。上院と下院で構成される。
・上院の定数は61人、任期は6年。
・下院(国会と呼ばれている)の定数は125人、任期は5年。
・地方自治体は24の州と市で構成。
カンボジア人民党が議席を独占している。(下院は100%、上院は95%)
・議会選挙は与党が必ず圧勝する。
・議会はポル・ポト政権の失敗以降、民主主義に傾倒している。

法律:カンボジアの憲法(1993年公布)
・裁判所は、最高裁判所と下級裁判所。
・憲法で司法権の独立を保障しているが、裁判所は政府と軍の影響を強く受けている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2020年11月時点)

治安:悪い地域もある
・ひったくりに注意。
・スラム街では強盗や誘拐事件が多発。
・重火器が市場に出回っている。
・近年、大規模なテロ攻撃は発生していない。
・カンボジアとの国境付近の一部や内戦時代の戦闘地には地雷が残っている。
交通事故に注意。乱暴な運転をする人が多い
・感染症(デング熱、ジカウイルス、マラリア)に注意。

カンボジア/ハーブを摘む女性

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は100以上。
・国営テレビ局は1社。
・受信できる民間テレビ局は10以上。
・ラジオ局は60以上。
・インターネット網は充実しており、検閲はほとんどない。
・市民は主にタイのテレビ番組を視聴している。
・報道の自由を保障している。
・倫理観の不足したジャーナリストが脅迫まがいの取材を行っている。

【国営メディア/設立年】
・カンボジア国営放送 1954年(テレビ放送は1966年から)

【民間メディア】
・カンボジア国立テレビ
・カンボジア王国軍テレビ
PNN TV
・MNBT TV

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2020年軍事力ランキング:107位

・軍人数:125,000人(推定)
  即戦力 125,000人
  予備兵 0人

・陸・海・空軍を保有

・国防予算:6億ドル

歴史(目次に戻る

1700年代

・アンコール時代(9~14世紀)に現在のカンボジアを統治していたクメール王朝は衰退、「暗黒時代」と呼ばれる時代に突入する。

・17~18世紀頃にカンボジアとその周辺を支配したのはシャム王国(現在のタイ)とベトナム王国だったと伝えられている。

・18世紀、クメールの王朝は近隣諸国に支配されていた。

1800年代

・19世紀、カンボジアはシャム王国とベトナム王国の戦いに巻き込まれ、王朝はまともに機能していなかったと伝えられている。

・カンボジアは隣国に支配されることを拒み、欧州の大国、フランスがそれに応えた。

・1863年8月11日、フランスのノロドム・プロンバリラック王とカンボジアのノロドム王が協定に署名。カンボジアはフランスの植民地になった

・フランス政府はカンボジア王朝の自治権を認めたが、決定権はフランスの将軍に与えられた。

・フランス政府はカンボジア王朝の権力を縮小し、奴隷制度を廃止するなど、様々な改革を実施した。

・1884年、コーチシナを統治したチャールズ・アントワーヌ・フランソワ・トムソンが、プノンペンの王宮に部隊を派遣。国王を倒しフランスの支配を確立しようと試みた。

・1885年、ノロドム王と王位を争う兄のシ・ボサーがクーデターを決行。弟を追放した。

・追放されたノロドムはジャングルに拠点を置くゲリラ軍と手を組み、反撃。兄のシ・ボサーを討ち滅ぼした。

カンボジア/アンコール・ワット

1900年~第一次世界大戦

・1904年、ノロドム王死去。後継者は息子でなくノロドムの兄弟、シソワットに決まった。

・フランス政府はノロドム王を植民地支配に抵抗するリーダーと位置づけ、その息子に王位を継承させなかった。

・1904年、フランスとシャム王国の領土争いが激化する。(フランス・シャム戦争)

・1907年、フランスとシャム王国が停戦協定に合意。カンボジアとシャム王国の領土を一部交換した。

・シャム帝国はイギリスの協力を得て、カンボジア(フランス)の領土拡大に対抗した。

・20世紀初頭、カンボジアの税金はフランス領の中で特に高かった

・1916年、プノンペンで減税を求める抗議運動が発生する。

・フランス政府はカンボジアの開発(道路や鉄道を整備)に力を入れた。

・カンボジアは第一次世界大戦の影響を受けなかった。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1940年5月10日、フランスとナチスドイツの戦闘が本格化。

・1940年6月25日、フランス陥落。

・1940年10月、フランス・タイ領インドシナ紛争勃発。これにより、インドシナにおけるフランスの植民地支配が弱体化する。

・1941年8月、大日本帝国陸軍がカンボジアのフランス保護区域に進出、占領した。

・大日本帝国陸軍はフランスから自治権を奪わず、引き続き領土を管理するよう命じた。

・1942年7月20日、プノンペンでフランスの支配に抗議する大規模集会が発生。

・1945年3月9日、大日本帝国はインドシナにおけるフランスの支配を却下。現地に駐留するフランス軍は武装解除を命じられた。

・1945年3月13日、カンボジアの王は大日本帝国の要請に基づき、独立を宣言。大日本帝国はこれを批准し、プノンペンに領事館を設置した。

・1945年3月18日、ノロドム・シハヌークが首相に選出。

・1945年8月15日、大日本帝国降伏。

・連合軍は、カンボジアの大日本帝国兵士に武装解除を指示した。

終戦~現在

・1945年10月、カンボジアは再びフランスの植民地になり、独立は却下された。(フランス領カンボジア州誕生)

・1952年6月、カンボジア州のシハヌーク首相が内閣の解散と憲法の停止を発表。

・1953年1月、シハヌーク首相が国会の解散を宣言、戒厳令を発動した。

・1953年3月、シハヌーク首相、渡仏。

・1953年7月3日、フランス政府がカンボジア州、ベトナム州、ラオス州の独立を認める。

・1953年11月9日、「カンボジア王国」が独立を宣言。

・1960年代、カンボジア王国の政治は二極化し、カンプチア共産党(CPK)などの活動が活発化。各地で政府の支配に反対する反乱が発生した。

・1968年1月17日、カンボジア内戦勃発。(政府vsCPK他反乱連合軍)北ベトナムのベトナム人民軍(PAVN)などが戦いに加わったことで、内戦は複雑になった。

・カンボジア内戦とベトナム戦争は複雑に絡み合い、ゲリラ戦は苛烈を極めた。

・1970年4月、アメリカのリチャード・ニクソン大統領がカンボジアのNVA基地破壊および侵攻を開始すると発表。(カンボジア侵攻)

・アメリカ空軍はカンボジアとベトナムの陣地を爆撃。戦争と内戦の終結を目指したが、PAVNの封じ込めは不可能だった。

・反乱軍を率いるクメール・ルージュ(CPK)はPAVNの物資と軍事支援に支えられた。

・CPKは1973年までにカンボジアの領土の60%を奪取、人口の25%を支配した。

・1975年1月1日、政府軍が一斉攻撃を開始。

・1975年4月17日、CPKが勝利を宣言。カンボジア王国は敗れ、壊滅的なレベルの難民危機を引き起こした

・カンボジア内戦の死者数は275,000~310,000人。約200万人が国内避難民になった。(いずれも推定)

・1976年1月5日、「民主カンプチア国」誕生。CPKの独裁体制が確立する。

・1976年10月25日、ポル・ポトが首相に就任。

・ポル・ポトは中国共産党と毛沢東の支援を受け、民主カンプチア国の共産化を目指した。

・CPKの政策は文化大革命に強く影響を受けており、1979年1月までに少なくとも市民100~300万人が殺害された。(推定)

・1978年12月25日、カンボジア・ベトナム戦争勃発。(CPKvsカンプチア救国民族統一戦線)

・1979年1月10日、ベトナム軍の支援を受けるカンプチア救国民族統一戦線(KUFNS)がCPKを打倒。「カンプチア人民共和国(PRK)」の設立を宣言した。一方、戦いに敗れたポル・ポト政権はタイ国境近くのジャングルに後退する。

・1984年12月26日、フン・センがPRKの首相に就任。

・1989年9月26日、カンボジア・ベトナム戦争終結、PRKの勝利。

・1991年10月23日、パリ和平協定調印。カンボジア・ベトナム戦争の完全終結が宣言される。

・1992年2月28日、国連安全保障理事会決議745により、PRKが国連の管理下に置かれる。カンボジア国連暫定当局(UNTAC)設立。

・1993年5月、国民議会選挙により立憲君主制が採択される。

・1993年9月24日、新憲法公布。

・1994年9月24日、ノロドム・シハヌークが国王に就任。

1998年4月15日、ポル・ポト死去。墓は建立されず、「ポル・ポトはここで火葬された」と書かれた看板が設置され、遺骨の一部は土の上に放置されている。

・2004年10月14日、ノロドム・シハモニが父の後を継ぎ、国王に就任。

・2015年6月20日、フン・センが6期目の就任を決める。

文化(目次に戻る

カンボジア文化はアンコール時代(9~14世紀)に形成された

・仏教文化。ただし、日本とはかなり異なる。

・人の頭に触れたり足を向けることはタブーとされている。(頭にも魂が宿っていると考えられているため)

・挨拶時は両手を胸の前で合わせてお辞儀する。(ナマステポーズ)

・ドアは静かに閉める。

・足を組んで座らない。

・年上の人とアイコンタクトをとってはいけない。

・カンボジア料理は近隣諸国の料理(タイ、ベトナムなど)に似ている。主菜は米。

カンボジア/クメール料理

スポーツ(目次に戻る

・サッカーと武道が人気。

・武道はボクシング、キックボクシング、テコンドー、空手、古代格闘技、レスリングなどに分類される。

・オリンピックでのメダル獲得実績はなし。

・近年、政府はアスリートの育成に力を入れ始めている。

その他(目次に戻る

・ユネスコ世界遺産、アンコール・ワットは一見の価値あり。

現在、治安は比較的安定している

カンボジア/寺院
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