◎最も深刻な被害を受けた沿岸の町レ・カイの住民たちは、国際援助配布サイトに到着した国際赤十字社のトラックに殺到し、物資の奪い合いと殴り合いが発生した。
ハイチの現地メディアによると、西部地域で発生した地震の混乱が収束する見通しは全く立っておらず、8月20日には援助物資をめぐる暴動が発生したという。
地震は8月14日の午前8時30分頃(現地時間)に発生した。アメリカ地質調査所(USGS)によると、震源は首都ポルトープランスから西におよそ125キロ離れた地点で、震源の深さは10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは7.2と推定されている。
最も深刻な被害を受けた沿岸の町レ・カイの国際援助配布サイトの外に並んでいた女性はAP通信の取材に対し、「食料の配給はいつ始まりますか?」と述べた。「私は昨日からここに並んでいます。食べ物はいつ届きますか?」
AP通信の取材に応じた80歳の男性は「我慢の限界です」と政府を厳しく非難した。「私たちは被害者です。私は瓦礫に押しつぶされましたが、ボランティアに助けてもらいました。政府は何をしているのですか?食料は?水は?」
レ・カイの住民たちは配布サイトに到着した国際赤十字社のトラックに殺到し、物資の奪い合いと殴り合いが発生した。治安当局は騒ぎを押さえようとしたが、数の力には勝てず、トラックは制圧され、混乱は頂点に達した。
AP通信によると、ある男性グループはコンテナから物資が入った大きな袋を引っ張りだし、どこかに立ち去ったという。小さな袋を確保したある男性は別の男性に「泥棒」と呼ばれ、その後大勢に取り囲まれた。
援助の遅れに対する欲求不満は何日も続いており、配布サイトに並ぶ人の数は日を追うごとに増えたと伝えられている。しかし、暴動や暴力が発生したのは20日が初めてだった。
市民保護局は20日、これまでに約2,200人の死亡を確認し、12,000人以上が負傷し、300人以上と連絡が取れていないと明らかにした。被災した家屋は10万戸以上と伝えられている。
政府はレ・カイとその隣の港湾都市ジュレミーを結ぶ橋の通行を制限したため、物資の運搬に大きな影響が出た。
一方、現地入りした国際援助部隊は、「被災地の病院はほとんど機能しておらず、医療機器および用品の援助が必要不可欠」と訴えた。
アリエル・アンリ首相は20日、現地入りした政府機関と援助団体に、各町、各村、そしてまだ被害を特定できていない遠隔地のニーズを特定し、ハイチの政府機関を通じて寄付を集めるよう要請した。
国連のアミナ・モハメッド副事務総長はアンリ首相と19日に会談し、その後レ・カイを訪問した。
モハメッド副事務総長は20日の記者会見で、「市民保護局は現場の対応を主導しなければならない」と呼びかけた。「援助の管理ミスは多くの死につながります...」
ハイチ政府は2010年の地震で資金調達に失敗し、厳しく非難された。
2010年1月に首都ポルトープランスで発生したハイチ地震(M7.0)では推定30万人が死亡した考えられているが、正確な死亡者数は不明。地震により、推定100万人が住居を失い、数十万人が飢餓に直面し、町は荒廃し、大統領官邸を含むほとんどの建物が崩壊した。