◎チェルノブイリ原子力発電所4号機のメルトダウン事故は35年前の1986年4月26日に発生した。
4月26日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、チェルノブイリで新しい核廃棄物保管施設の運用を開始すると発表した。
チェルノブイリ原子力発電所4号機のメルトダウン事故は35年前の1986年4月26日に発生した。この事故により、当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国は壊滅的な放射能汚染に直面し、国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関(WHO)が作成した報告書によると、爆発の影響で発電所の作業員56人が死亡し、推定4,000人が放射線を浴びた影響でその後死亡したという。
メルトダウン発生時、汚染された地域周辺で生活していた住民約700万人のうち、約220万人がウクライナ人だった。
IAEAのラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長と共にチェルノブイリを訪れたゼレンスキー大統領は演説で、「立ち入り禁止区域を復活させる」と誓った。「ウクライナは一人ではありません、私たちはパートナーから幅広い支援を受けています。本日、新しい核廃棄物保管施設の運用を開始しました。さらに、次の施設の建設に向けた取り組みも進められています...」
ウクライナ当局は26日、チェルノブイリ原子力発電所周辺の立ち入り禁止区域に、次の100年間で発生する核廃棄物を保管できる新たな施設を建設すると発表した。ウクライナは現在4つの原子力発電所を運用しており、そこで発生する核廃棄物はロシアに輸送しなければならない。当局によると、新しい保管施設を建設することで、輸送費を年間2億ドル(約220億円)節約できるという。
グロッシ事務局長は、「IAEAはウクライナと共に、チェルノブイリ原発の廃炉作業、放射性廃棄物の処理、環境修復に向けたたゆまぬ努力を継続する」とツイートした。
首都キエフの北110kmにあるチェルノブイリ原子力発電所は深夜に爆発し、放射性物質を大気に放出した。当時のソビエト当局はメルトダウンが発生したことを公表せず、大惨事を悪化させた。原発近くの町、プリピャチの住民は翌日避難できたが、周辺国は高放射性降下物を検出するまで事故に気づかなかった。
事故後、周辺住民10万人以上が避難を余儀なくされ、ソビエト当局は2,600㎢(東京都とほぼ同じ)を立ち入り禁止区域に設定した。ミハイル・ゴルバチョフ書記長の勅命を受けた労働者たちは、爆発した原発を石棺で覆う無謀な作業に駆り出され、その多くが被爆したと伝えられている。
原発を巨大なアーチ型の石棺で覆う作業は2019年まで続き、その間、放射能は漏れ続けた。
ウクライナ保安庁は災害発生から35年に合わせて、事故に関連する機密文書を公開した。同庁によると、ソビエト政府は1986年7月8日に被爆者の数を含む事故の全情報を法律で厳格に保護したという。
同庁によると、1987年10月に現地の取材を許可されたフランスのジャーナリストは採集した土と水を持ち帰ろうとしたが、KGBは採集したサンプルをきれいな土と水に交換したという。