ドラッグシティ
「まさか、朝っぱらからクスリキメてる?」
10年以上前、友人のサラが私の顔を初めて見た時に言い放った言葉である。
当時、私は無駄に痩せ、頬がこけてげっそりしていた。しかし、別に体調が悪い訳でもないし、無理な減量をしていた訳でもない。恐らく、ヤセ型を脱却すべく筋トレを頑張っていたので、体調が悪そうに見えたのかもしれない。
ファッション業界で働くサラは、クスリに嫌悪感を持っている。理由はマンハッタン中にコカインやヘロインなどの違法薬物が蔓延し、それに関連する犯罪が後を絶たないためだ。
サラは、目が落ちくぼみ、げっそりした私の顔を見て「こいつはドラッグディーラーだ」と確信したらしい。しかし、午前10時にビジネスの場でクスリをキメるほど、私はイカれていない。
事情を説明すると、「スーツを着た真面目そうなアジア人が緊張した顔をしていたので、からかっただけだ」と言われた。しかし、私は本気で落ち込み、もう少し体重を増やそうと結審した。
ニューヨークはドラッグの街である。大通りから少し道を外れるとフードを被った男に「いいクスリあるぜ/今日は上物を用意した」などと意味不明なことを言われ、下手をすると銃で脅されたりする。
一部の州ではマリファナが合法化されている。しかし、ニューヨーク州は禁止、某警察官僚曰わく、「恐らく解禁されることはないだろう」とのこと。理由は、解禁すると取り返しのつかない事態を招くためだ(乱用&乱用でマンハッタン全域がマリファナ天国になる)。
サラはコカインとヘロイン、その他の危険薬物はやらないと言いつつ、「週末のマリファナはOK」という、よく分からないルールを自分の中に掲げている。
マリファナは安価で入手しやすく、タバコと同じ感覚で吸えるため、バーでそれらしきものをやっている人をよく見かけた。
サラにマリファナはなぜOKなのか聞くと、「知らないし、細かいことは気にするな。それより、この前紹介したジェーン(仮名)とはやったのか?男らしくさっさとキメて、合わなければ別れる。ニューヨークの常識だ」となぜか説教されてしまった。
キメたい男と女たち
私はあまりキメたいと思わない。
ただし、本能のままに女性を抱くことが嫌いなわけでもない。風俗店でお世話になった(客として)ことも多々あるし、セックスほどイカしたスポーツはないと思っている。
しかし、サラやセックスクイーンを自称するケイト(仮名)のように、毎日相手をとっかえひっかえして楽しむことには抵抗を感じる。
私はニューヨークという無法地帯に足を踏み入れるまで、セックス中毒になるのは男ばかり、女性も興味がない訳ではないが、男ほどは興味を示さず、結婚、出産すると、子供と家庭が生活の中心になり、セックスへの興味が薄れてしまう、と勝手に信じていた。
日本で生まれ育ち、鹿児島と言う片田舎の常識(?)にとらわれていた私は、まず大阪に上陸し、「この街は狂っている」と驚き、次に東京では「首都は一味違う。男と女たちは、皆、金と酒とクスリの虜だ」と震え上がった。そしてニューヨークで、「大阪も東京もこのイカれた街には敵わない。男と女は100歳になってもキメたいのだ」と確信した。
ある日、午前0時前にサラから電話が入った。「エミリー(仮名)が男に追いつめられた。フォローするから一緒に来てくれ」と助けを求められたのである。
電話から10分後、自宅前にサラとエミリーの乗ったタクシーが止まったため、乗り込んだ。エミリーは頭を抱え、サラは苦々しい顔をしている。開口一番、「応援相手を間違えた。あんたじゃなくケイトを呼ぶべきだった」と言われ、「それなら帰って寝ます」と答えたかったが、ひとまず話だけでも聞こうと思い、行きつけのバーへ移動することになった。
エミリーはひと月ほど前からマックスという弁護士と交際していた。年収100万ドルの男と聞いていたので、「エミリーはいい男を捕縛したな」と内心思っていた。
サラはエミリーに対し、「男は女の肛門を支配したがる。それ自体は悪い行為ではないと思うが、イヤならハッキリイヤと言うべきだ。簡単に掘らせたら、恐らく上下関係が構築され、あんたは『お尻掘られ女』の烙印を押される。彼はこれから、奴隷をいたぶる感覚でセックスを楽しむようになるだろう」と警告した。
要約すると、「エミリーはマックスにアナルセックスを強要された」のである。しかし、上品でお嬢さま系の彼女は肛門提供に違和感を感じ、最悪の事態(?)だけはひとまず回避したらしい。
バーに入り、セックスにオープンなケイト(仮名)が合流。まず男の意見を聞かせなさい、ということで、私が答弁させられることになった。
私はアナルセックスに興味がない。そして、エミリーもそれに抵抗を感じている。答えはひとつしかなかった。「イヤならイヤとハッキリ言いなさい。もしそれでマックスに別れを提案されたら、その程度の男と見切りをつけるべきだ」
モラル
サラに「たまには良いことも言うのね」と褒められたが、ケイトは大反対した。
彼女は肛門提供ごときで男を捨てるなどあり得ないと語り、「女性の身体はそれを受け入れるように作られている。気持ちいいのに何が問題なのか分からない。私ならチャンスと考える。肛門を提供する代わりに、相手の肛門にも指を突っ込み、前立腺マッサージを施しなさい。男は皆、肛門を責められたいと願っている」と付け加えた。
さらに、「相手がサラブレッドサイズなら、ボディオイルなどの潤滑油をしっかり使い、まずは先端から、といった感じで身体を慣らすべき。標準サイズであれば大丈夫。ただし、サイズに問わず潤滑油は品質の良い物を使った方がよい」とかなり具体的なアドバイスも施した。
ケイトの言うことにも一理あると思ったが、イヤならイヤとハッキリ言うべきだろう。当のエミリーは、マックスと別れたくないらしく、曖昧な態度をとっていた。
エミリー肛門提供未遂事件は、結局未遂のまま終わった。
エミリーはマックスにしつこく提案されたものの、「標準的なプレイがよい」と譲らず、交際は終了。彼女は酷く落ち込んでいたが、お尻掘られ女の汚名をそそぐことは容易ではなく、それによって上下関係が生じてしまえば、後々苦労するのはエミリー本人である。
後日、私は一度大阪へ帰省し、友人たちにこの事案を説明した。友人のY子も「ニューヨーカーのお尻好き」「マンハッタンで肛門を緩めてはならない」ことを知っていたらしく、「男でも油断しない方がいい。バーで酩酊して、朝、目が覚めたら知らない男に掘られていた」という笑えない例を教えてくれた。
サラは「モラルを守ることが大切」と何度も行った。コカイン、ヘロインはダメだが、週末のマリファナはギリギリOKもニューヨーカーのモラル。肛門提供がイヤならハッキリ言うことも同様である。
1週間後、私は半年マンハッタンに滞在することが決まり、自分の未来を憂いた。
「お尻掘られ男」になりたくなければ、モラルを持って行動するしかない。コカインやヘロインについても同様である。私は覚悟を決めニューヨークに乗り込んだ。
その日の夜、サラにゲイ主催のゲイパーティがあるから参加しろと誘われ、「これから一体どうなってしまうのか」と頭を抱えつつ、タクシーに乗車。男たちの楽園に飛び込んだ。
【関連トピック】
・マンハッタン/地球上の男女は皆変態である