水泳授業:廃止、民間委託、プールシェア、今後どうなる?
日本の学校水泳は現在、大規模な制度転換期にある。背景には老朽化した学校プール、更新費用の増大、教員の働き方改革、気候変動による授業実施困難化という四つの構造要因が存在する。
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現状(2026年6月時点)
2026年現在、日本の学校水泳は大きな転換点を迎えている。従来は「各学校が自前のプールを保有し、教員が授業を行う」という形態が標準であったが、この前提そのものが全国で見直され始めている。
特に自治体レベルでは、老朽化した学校プールの更新を断念し、民間スイミングスクールへの委託や複数校による共同利用へ移行する事例が急増している。静岡市をはじめ、多くの自治体が学校プールの統廃合や外部委託を検討・実施しており、今後さらに拡大すると予測されている。
文部科学省やスポーツ庁も、水泳授業の継続そのものを否定しているわけではないが、「学校プールを維持すること」よりも「持続可能な水泳教育の実現」を重視する方向へ政策の軸足を移しつつある。
学校プールでの水泳授業
日本の学校水泳は世界的に見ても特徴的な制度である。多くの国では水泳教育は地域クラブや民間スクールが担うが、日本では学校教育の中でほぼ全国的に実施されてきた。
その背景には、水難事故防止という安全教育上の目的がある。島国であり河川や海岸が多い日本では、「泳げること」は単なるスポーツ技能ではなく生存技術として位置付けられてきた。
学習指導要領においても水泳は重要な運動領域として扱われており、小学校から中学校まで継続的な指導が行われている。学校プールはその基盤インフラとして整備されてきた。
しかし、この制度は高度経済成長期から昭和後期に整備された施設群を前提としている。2020年代後半に入り、その前提条件が急速に崩れ始めている。
背景:なぜ今学校プールが見直されているのか?
学校プール見直しの背景には単一要因ではなく、複数の構造問題が存在する。
第一に施設の老朽化である。多くの学校プールは1970〜1980年代に整備されており、更新時期を迎えている。
第二に自治体財政の制約がある。少子化による児童数減少の中で、利用期間が年間数週間程度の施設に巨額投資する合理性が問われている。
第三に教員の働き方改革である。水泳授業やプール管理は教員負担が大きく、教育行政全体で見直し対象となっている。
第四に気候変動の影響がある。猛暑や豪雨により、従来型の屋外プール授業が成立しにくくなっている。
これらの問題が同時進行的に発生した結果、「学校がプールを所有する必要はあるのか」という根本的な問いが生じている。
老朽化と巨額の財政負担
現在、多くの学校プールは耐用年数を超過しつつある。
プール本体だけでなく、ろ過設備、配管設備、更衣室、シャワー設備、防水工事など広範囲な改修が必要となる。更新費用は数億円規模に達するケースも珍しくない。
さらに維持費も無視できない。水道代、電気代、薬剤費、点検費、清掃費など継続的なランニングコストが発生する。
年間使用日数が20日から30日程度であることを考えると、費用対効果に疑問を持つ自治体が増えるのは自然な流れである。
公共施設マネジメントの観点から見ると、学校プールは利用効率が極めて低い施設の一つである。このため自治体全体の施設再編計画の中で統廃合対象となりやすい。
教員の負担軽減(働き方改革)
学校プールは教員に大きな負担を課している。
授業指導だけでなく、水質管理、安全管理、設備点検、事故対応、緊急時対応計画など多くの業務が存在する。
さらに近年ではプール給水ミスによる大量漏水事故も全国で発生しており、管理責任の重さが問題視されている。
文部科学省は2024年、「学校における働き方改革に配慮した学校プールの管理の在り方」に関する通知を発出し、教員負担軽減を重要課題として位置付けた。
専門外である水泳指導に苦慮する教員も少なくない。特に若手教員では競泳経験がないケースも多く、指導の質のばらつきが指摘されている。
猛暑による「入れない夏」と天候不順
気候変動は学校水泳に大きな影響を与えている。
かつては「暑いからプールに入る」であったが、現在は「暑すぎてプールに入れない」状況が増加している。
熱中症警戒指数(WBGT)が基準を超えると授業は中止となる。またプールサイドの高温化や水温上昇も問題化している。
加えて集中豪雨や落雷リスクも増えている。結果として授業回数が大幅に減少し、計画した学習内容を実施できないケースが増えている。
一方、屋内型スイミング施設では天候の影響を受けにくく、年間を通じて安定した指導が可能である。この点が民間委託を後押ししている。
現在進行中の「3つの代替アプローチ」と検証
現在、日本各地で主に三つの代替モデルが試行されている。
第一が民間スイミングスクールへの委託である。
第二が複数校によるプール共同利用である。
第三が地域スポーツ施設との複合化である。
これらはいずれも「学校ごとにプールを持つ」という従来モデルからの転換を意味する。
プールの廃止・授業の民間委託
最も急速に拡大しているのが民間委託である。
自治体は学校プールを廃止し、児童生徒をスイミングスクールへ送迎する。指導は専門インストラクターが担当する。
最大の利点は指導の専門性である。泳力別指導や補助指導が可能となり、泳力向上効果が高いと報告されている。
また屋内温水プールを活用できるため、天候や季節に左右されない。
一方で課題もある。移動時間の増加、利用料の上昇、施設確保競争などである。特に都市部ではスイミングスクールの予約確保が難しくなる可能性がある。
プールシェア(複数校での共同利用・拠点化)
第二のモデルはプールシェアである。
自治体内の複数校が一つの学校プールを共同利用する方式である。
例えば五校のプールを一校へ集約することで更新費用を大幅に削減できる。
学校施設を活用できるため民間委託ほどの費用は発生しない。また教育課程との連携も比較的維持しやすい。
しかし、移動手段の確保や時間割調整が必要となる。さらに拠点校の教員負担が増加する懸念も指摘されている。
地域の社会体育施設との複合化
第三のモデルは複合施設化である。
学校専用施設ではなく、地域住民も利用する公共スポーツ施設として整備する方式である。
温水プール、トレーニング施設、健康増進機能などを一体化し、年間を通じて稼働率を高める。
公共施設再編の観点からは合理的である。学校だけでなく地域全体の健康づくりやスポーツ振興にも寄与する。
ただし建設費は高額であり、人口規模が小さい自治体では導入が難しい。
構造的メリット・デメリットの比較分析
財政・コスト
財政面では民間委託やプールシェアが有利である。
特に更新費用回避効果は大きい。老朽化施設を更新するよりも外部活用の方が長期的に安価となるケースが多い。
ただし、民間施設利用料や送迎費用は継続的に発生する。そのため自治体ごとに最適解は異なる。
教育・指導の質
指導の専門性では民間委託が優位である。
スイミングクラブの指導者は泳法指導や安全管理に習熟している。
一方、学校教育としての一体感や学級活動との連続性は低下する可能性がある。
学校・教員
教員負担軽減では民間委託が最も効果的である。
プール管理業務から解放されるため、本来業務へ集中できる。
ただし、学校側の授業運営権限が縮小し、外部事業者依存が強まる。
地域格差
最大の懸念は地域格差である。
都市部には民間施設が豊富に存在する。
しかし、地方や過疎地域では委託先自体が存在しない場合がある。
結果として地域によって教育機会格差が拡大する可能性がある。
どうなる?水泳授業の未来予測
今後10〜20年で学校プールは大幅に減少すると考えられる。
ただし、水泳教育そのものが消滅する可能性は低い。
むしろ「学校プール中心の水泳教育」が終わり、「地域資源活用型水泳教育」へ移行する可能性が高い。
重要なのは施設の所有ではなく、水難事故防止と基本泳力の確保である。
都市部:「完全外注化」と「スクール格差」の顕在化
都市部では完全外注化が主流になる可能性が高い。
民間スイミングスクールやスポーツクラブが豊富に存在するためである。
一方で新たな問題として「スクール格差」が生じる可能性がある。
質の高い施設を利用できる自治体と、予約困難な施設しか確保できない自治体との差が拡大する可能性がある。
地方・過疎部:「拠点校シェア」または「水泳授業のあり方の見直し」
地方では都市部と同じモデルは成立しにくい。
民間施設不足や移動距離の問題があるためである。
このため拠点校シェア方式が有力となる。
さらに将来的には、「泳法習得」中心から「水難事故防止教育」中心への転換も議論される可能性がある。
「学校」から「地域」への完全な移行(部活動に続く地域移行)
部活動地域移行と同様の流れが水泳にも及ぶ可能性がある。
学校は教育目標を設定し、実際の指導は地域スポーツクラブや民間事業者が担う。
これは教育行政全体のアウトソーシング化の一部として理解できる。
学校が全てを抱え込む時代から、地域全体で子どもを育てる時代への転換とも言える。
求められる「持続可能な制度設計」
今後の課題は持続可能性である。
財政効率だけを追求すると教育機会格差が拡大する。
逆に従来方式を維持すると自治体財政や教員負担が限界に達する。
必要なのは地域特性に応じた複数モデルの併存である。都市部、地方、中山間地域で異なる制度設計が求められる。
今後の展望
2026年時点で明らかなのは、「学校ごとにプールを持つこと」がもはや自明ではなくなったことである。
今後10年で学校プール総数は減少すると考えられる。しかし、水泳教育そのものは形を変えて存続する可能性が高い。
文部科学省やスポーツ庁も持続可能な水泳授業の実現を重視しており、自治体は多様な選択肢を比較検討する段階に入っている。
まとめ
日本の学校水泳は現在、大規模な制度転換期にある。背景には老朽化した学校プール、更新費用の増大、教員の働き方改革、気候変動による授業実施困難化という四つの構造要因が存在する。
従来の学校プール中心モデルは、高度経済成長期に整備された施設群と人口増加社会を前提としていた。しかし、少子化と財政制約が進む現代では、その維持が難しくなっている。
代替策として、民間委託、プールシェア、社会体育施設との複合化が進んでいる。それぞれに利点と課題が存在するが、共通しているのは「学校が単独でプールを保有する時代」の終焉である。
今後は都市部では民間委託が主流となり、地方では拠点校シェアや地域施設活用が中心になると予測される。また部活動地域移行と同様に、水泳教育も学校から地域へ役割が移行していく可能性が高い。
最終的に重要なのは施設の所有ではなく、子どもたちが安全に水と関わる能力を身につけることである。学校プールの廃止は水泳教育の終わりではなく、持続可能な教育システムへの再編成の始まりと捉えるべきである。
参考・引用リスト
- 文部科学省「学校における働き方改革に配慮した学校プールの管理の在り方について」(2024年)
- 文部科学省「令和8年度 文教施設における多様なPPP/PFIの先導的開発事業(概要)」
- スポーツ庁「持続可能な水泳授業の実施に向けた参考資料について」(2026年)
- 静岡新聞アットエス「小中学校のプールで広がる老朽化 授業を民間施設で行う動き進む」(2026年3月17日)
- SBS NEWS「小中学校のプールで広がる老朽化 授業の外部委託を本格実施へ=静岡市」(2026年3月17日)
- ルネサンス「水泳授業民間委託事業のご案内」
- 日テレNEWS「プールの授業は民間委託へ 教育現場で進む水泳教育の見直し」(2025年)
- TSK news イット!「学校のプールがなくなる!? 高額修繕費に“ギブアップ”」(2024年)
- 学習指導要領(小学校・中学校保健体育関連資料)
- 各自治体公共施設マネジメント計画・学校施設長寿命化計画関連資料
リアルな課題への深掘り検証
学校プールの見直しは、しばしば「民間委託すれば解決する」「プールを廃止すれば財政負担が減る」という単純な議論として語られる。しかし実際には、現場レベルでは複雑な課題が存在しており、制度変更そのものが新たな問題を生み出す可能性もある。
現在進行している改革は、単なる施設の統廃合ではない。戦後から続いてきた学校水泳の仕組みそのものを再設計する試みであり、教育、財政、地域社会、スポーツ振興、安全教育など多面的な視点から検証する必要がある。
「移動時間」という見落とされがちな問題
民間委託の成功事例では、指導の質向上や教員負担軽減が強調されることが多い。しかし現場では、移動時間が大きな課題となっている。
例えば授業時間が45〜50分であっても、移動に往復40分を要する場合、実際の水中活動時間は大幅に減少する。さらに着替えや点呼、安全確認を含めると、学校プール時代よりも実技時間が短くなることもある。
特に都市部では交通渋滞、地方では長距離移動という別々の問題が発生する。単純に「民間施設があるから委託できる」という話ではなく、教育課程全体との整合性を考慮しなければならない。
災害時・緊急時の施設機能喪失
学校プールは平常時には水泳授業の場であるが、災害時には消防用水や生活用水として活用される場合がある。
南海トラフ巨大地震や首都直下地震への備えが求められる中、学校プールの廃止は地域防災機能の縮小という側面も持つ。
もちろんプールを防災目的だけで維持することは現実的ではない。しかし、学校プールが担っていた「教育以外の公共機能」をどのように代替するのかという議論は、まだ十分とは言えない。
「泳げる子」と「泳げない子」の格差拡大
民間スイミングスクールの指導は専門性が高い。
一方で、学校水泳が果たしてきた社会的役割の一つは、「家庭環境に関係なく全員が最低限の泳力を身につけること」であった。
近年は民間スイミングスクールへ通う児童と、全く泳ぐ機会のない児童との格差が拡大していると指摘されている。
学校水泳が縮小した場合、この格差を誰が埋めるのかという問題が生じる。教育政策として考えるならば、「効率化」と同時に「機会均等」の視点が不可欠である。
民間事業者依存リスク
民間委託にはもう一つの課題がある。
それは自治体が特定事業者へ依存する構造が生まれることである。
人口減少が進む地域では、民間スポーツクラブそのものが経営難に陥る可能性もある。委託先の撤退や倒産が発生した場合、水泳授業の継続が困難になる。
つまり民間委託は万能解ではなく、「持続可能なパートナーシップ」が前提条件となる。
「三位一体(自治体・学校・民間事業者)」による最適解へのアプローチ
今後の水泳教育改革において重要なのは、自治体、学校、民間事業者の三者が役割分担を明確化することである。
従来は学校が施設管理、授業運営、安全管理の全てを担っていた。しかし人口減少社会において、このモデルは限界を迎えている。
必要なのは責任放棄ではなく、役割の再配置である。
自治体の役割
自治体は全体設計者として機能する必要がある。
どの学校を統合するのか、どの施設を維持するのか、どの地域で民間委託を行うのかを中長期的視点で判断することが求められる。
特に重要なのは単年度予算ではなく、20〜30年単位で施設更新費を見据えることである。
プール更新だけを議論するのではなく、学校施設全体、公共施設全体の中で最適配置を考える必要がある。
学校の役割
学校は教育目標の設定者としての役割を維持する必要がある。
指導そのものを外部委託しても、「何を学ばせるのか」という教育的責任は学校に残る。
今後は泳法指導だけではなく、水難事故防止、着衣泳、自己救命能力、水辺の安全教育などを含めた総合的な水教育が重視される可能性が高い。
学校は教育の方向性を示す司令塔として機能し続ける必要がある。
民間事業者の役割
民間事業者は専門性の提供者である。
競泳技術、水慣れ指導、安全管理技術など、学校だけでは確保が難しい専門的ノウハウを提供できる。
また屋内温水施設を活用することで、気候変動による授業中止リスクも軽減できる。
ただし利益追求のみでは公共教育を担うことはできない。自治体や学校との長期的信頼関係が不可欠である。
「三位一体モデル」の本質
最適解とは、誰か一者が全てを担うことではない。
自治体が制度設計を行い、学校が教育目標を示し、民間事業者が専門指導を提供する。
それぞれが強みを発揮することで、初めて持続可能な水泳教育が成立する。
「ローカル・ジャスト・サイズ(地域ごとの適正規模)」を見極める
今後の水泳教育改革において最も重要な概念の一つが、「ローカル・ジャスト・サイズ」である。
これは全国一律のモデルを押し付けるのではなく、地域ごとの人口規模、財政力、地理条件、施設状況に応じて最適解を選択する考え方である。
都市部モデル
大都市圏では民間施設が豊富に存在する。
そのため完全民間委託や外部委託型モデルが比較的成立しやすい。
更新費用を考慮すると、自前プールを維持する合理性は今後さらに低下する可能性が高い。
地方都市モデル
地方都市では民間施設は存在するが数が限られる。
このため一部委託とプールシェアを組み合わせたハイブリッド型が現実的である。
学校プールを全廃するのではなく、拠点校方式によって集約するケースが増えると予想される。
過疎地域モデル
過疎地域ではさらに事情が異なる。
民間施設が存在しない場合も多く、長距離移動は教育活動そのものを圧迫する。
その場合、限られた学校プールを重点的に維持する方が合理的なケースもある。
つまり「プール廃止」が正解ではなく、「残す方が安い」という地域も存在する。
一律解は存在しない
ここで重要なのは、全国共通の正解が存在しないことである。
東京23区と離島地域では条件が全く異なる。
したがって今後求められるのは、「全国標準モデル」ではなく「地域最適モデル」である。
令和の水泳教育が目指すべき姿
昭和・平成の水泳教育は、「全員が一定以上泳げるようになること」を目標としてきた。
しかし令和時代においては、目標そのものを再定義する必要がある。
人口構造、気候、財政環境、教育環境が大きく変化しているからである。
「泳法習得」から「生きる力」へ
将来的にはクロール25メートルを泳げること以上に、水辺で自らの命を守る能力が重視される可能性が高い。
世界的にも近年は「Water Safety Education(ウォーターセーフティ教育)」の重要性が高まっている。
水難事故を防ぐ判断力、危険予測能力、浮いて待つ技術、着衣泳などが重視される方向へ移行している。
「施設中心」から「学習成果中心」へ
従来はプールを持つことが目的化していた側面がある。
しかし、本来重要なのは施設ではなく学習成果である。
どこで学ぶかではなく、何を身につけるかが問われる時代になっている。
「学校完結型」から「地域共創型」へ
部活動改革と同様、水泳教育も地域移行が進む可能性が高い。
学校だけで完結する時代から、地域全体で子どもを育てる時代への転換である。
これは教育サービスの縮小ではない。むしろ地域資源を最大限活用する新しい教育モデルへの移行と捉えることができる。
改革の本質は「プールをなくすこと」ではない
学校プール改革の本質は、プールを廃止することではない。
本質は、人口減少社会、財政制約社会、気候変動社会において、どのように水泳教育を持続可能な形で維持するかという問いである。
今後は民間委託、プールシェア、複合施設化など多様なモデルが並存することになる。その際に重要なのは、自治体・学校・民間事業者が三位一体となり、それぞれの地域にとって最適な「ローカル・ジャスト・サイズ」を見極めることである。
令和の水泳教育が目指すべき姿は、「学校プールを守ること」でも「全て民営化すること」でもない。限られた資源の中で、すべての子どもに安全教育と水辺で生き抜く力を保障することである。
その意味で、日本の水泳教育は今まさに「施設の時代」から「学習成果の時代」へ、「学校単独の時代」から「地域共創の時代」へと移行しつつあるのである。
総括
日本の学校水泳は現在、戦後教育史の中でも大きな転換点を迎えている。かつて学校プールは、校庭や体育館と同様に学校教育に不可欠な施設と考えられていた。しかし2020年代に入り、その前提そのものが全国的に見直され始めている。2026年現在、多くの自治体が学校プールの更新を断念し、民間スイミングスクールへの委託や複数校による共同利用、地域スポーツ施設との連携へと舵を切り始めている。これは単なる施設の老朽化対策ではなく、日本の水泳教育そのもののあり方を再定義する動きである。
そもそも日本の学校水泳は、世界的に見ても非常に特徴的な制度であった。多くの国では水泳は家庭や地域スポーツクラブで学ぶものであるのに対し、日本では学校教育の一環として全国的に実施されてきた。その背景には、四方を海に囲まれ、河川や湖沼も多い日本の地理的特性がある。水難事故を防ぎ、自らの命を守る力を育成することは重要な教育課題とされてきた。その結果、学校プールは単なる体育施設ではなく、安全教育や生存教育を支える社会インフラとして整備されてきたのである。
しかし現在、その仕組みは大きな岐路に立たされている。最大の理由は施設の老朽化である。現在の学校プールの多くは1970年代から1980年代に整備されたものであり、耐用年数を超えている施設も少なくない。プール本体だけでなく、ろ過設備や配管、更衣室、防水工事など大規模な改修が必要となるケースが増加している。更新費用は数千万円から数億円規模に及ぶこともあり、少子化によって児童生徒数が減少する中で、その投資を正当化することが難しくなっている。
さらに問題を複雑にしているのが自治体財政の悪化である。学校プールは年間を通じて利用される施設ではない。実際には数週間から一か月程度しか使用されず、残りの期間は維持管理費のみが発生する。公共施設マネジメントの観点から見れば、極めて稼働率の低い施設である。そのため多くの自治体では、限られた財源をより優先度の高い施設整備へ振り向けるべきだという議論が強まっている。
また、教員の働き方改革も重要な要因となっている。従来の学校プールは、教員が授業だけでなく、水質管理や設備点検、安全管理、緊急時対応など多くの業務を担ってきた。しかし、教員不足や長時間労働が社会問題化する中で、本来の教育活動以外の負担を軽減する必要性が高まっている。特に近年ではプール給水ミスによる大量漏水事故が全国で発生し、教員が背負う管理責任の重さが改めて問題視されている。こうした状況の中で、水泳授業を外部委託しようとする動きは必然的な流れとも言える。
加えて、気候変動による影響も無視できない。かつては「夏だからプールに入る」という発想であったが、現在では「暑すぎてプールに入れない」状況が各地で発生している。猛暑による熱中症リスク、プールサイドの高温化、異常な水温上昇に加え、豪雨や雷による授業中止も増加している。結果として、せっかく学校プールを維持していても計画通りの授業が実施できないケースが増えている。一方で屋内温水プールを持つ民間施設では天候の影響を受けにくく、年間を通じて安定した指導が可能である。この差が民間委託を後押しする要因となっている。
こうした背景のもとで、現在は主に三つの代替アプローチが進められている。第一は民間スイミングスクールへの委託である。これは学校プールを廃止し、児童生徒が民間施設へ移動して専門インストラクターから指導を受ける方式である。第二はプールシェアであり、複数校が一つのプールを共同利用することで維持費や更新費を削減する方式である。第三は地域スポーツ施設との複合化であり、学校専用ではなく地域住民も利用できる温水プール施設を整備し、教育と地域スポーツ振興を両立させる方式である。
それぞれの方式には明確なメリットが存在する。民間委託では専門的な指導が可能となり、泳力向上や安全管理の面で高い効果が期待できる。プールシェアでは学校施設を活用しながらコスト削減が可能となる。複合施設化では年間を通じた利用によって施設の稼働率を高めることができる。従来の学校単独保有モデルと比較すると、いずれも一定の合理性を持つ。
しかし一方で、これらの改革には新たな課題も存在する。例えば民間委託では移動時間が発生するため、実際の水中活動時間が減少する可能性がある。また民間施設が十分に存在しない地域では導入自体が困難である。さらに民間事業者への依存が進めば、経営状況の悪化や撤退によって教育活動が不安定化するリスクも生じる。
地域格差の問題も深刻である。都市部には多数のスイミングスクールが存在するが、地方や過疎地域では委託先そのものが存在しない場合もある。都市部では完全外注化が進む一方、地方では拠点校シェアや限定的な維持が選択される可能性が高い。この結果、水泳教育の内容や環境に地域差が生じる可能性がある。教育機会均等の観点からは、この格差をどのように是正するかが重要な課題となる。
また、水泳教育が担ってきた社会的役割についても再評価が必要である。学校水泳は単なるスポーツ技能の習得ではなく、家庭環境に関係なく全ての子どもに泳ぐ機会を保障する役割を果たしてきた。民間スクールへ通える家庭とそうでない家庭の格差が広がる中で、学校水泳の縮小は新たな教育格差を生み出す可能性もある。したがって改革は効率性だけでなく、公平性や公共性という視点からも検討されなければならない。
今後の方向性として重要なのは、「三位一体モデル」の構築である。自治体、学校、民間事業者がそれぞれの役割を明確にし、協働して持続可能な制度を作り上げる必要がある。自治体は制度設計と財政運営を担い、学校は教育目標の設定と学習成果の管理を担い、民間事業者は専門的指導や施設運営を担う。この役割分担が機能することで、初めて持続可能な水泳教育が実現できる。
その際に鍵となる考え方が、「ローカル・ジャスト・サイズ」である。全国一律のモデルを追求するのではなく、それぞれの地域の人口規模、財政状況、施設配置、地理条件に応じた最適解を選択することが求められる。都市部では民間委託が有効であっても、過疎地域では学校プールを維持した方が合理的な場合もある。重要なのは、どの方式が優れているかではなく、その地域に最も適した規模と仕組みを見極めることである。
さらに、令和時代の水泳教育は、その目的自体を再定義する必要がある。従来は「一定距離を泳げること」が重視されてきた。しかし今後は、着衣泳や自己救命能力、水難事故防止教育など、水辺で命を守るための能力を重視する方向へ移行していく可能性が高い。世界的にもウォーターセーフティ教育の重要性が高まっており、日本も同様の流れの中にある。つまり、水泳教育の中心は「泳法習得」から「生きる力の育成」へと変化しつつあるのである。
総じて言えば、日本の学校水泳改革の本質は、プールをなくすことではない。本質は、人口減少社会、財政制約社会、気候変動社会という新たな時代環境の中で、水泳教育をどのように持続可能な形で維持していくかという問いにある。学校プールは減少していく可能性が高い。しかし、それは水泳教育の終焉を意味するものではない。むしろ学校単独型から地域共創型へ、施設中心から学習成果中心へ、そして泳法中心から安全教育中心へと進化していく過程である。
令和の水泳教育が目指すべき姿とは、学校がプールを持ち続けることでも、全面的な民営化でもない。限られた資源の中で、すべての子どもが安全に水と関わる力を身につけられる仕組みを構築することである。そのためには自治体、学校、民間事業者、地域社会が連携し、それぞれの地域に適した持続可能なモデルを創り上げていかなければならない。日本の学校水泳は今、施設の時代から学びの時代へ、所有の時代から連携の時代へと大きく転換しようとしているのである。
