目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ジョージア(Georgia)
首都:トビリシ(Tbilisi)
人口:3,997,000人(2021年推定)
面積:69,700㎢(北海道の0.8倍)
気候:大陸性気候
・気温は地域によって大きく異なるが、おおむね寒い。
・年間降水量も地域によって大きく異なる。多い地域は2,500mm以上、少ない地域は500mm以下。
・黒海沿いの地域の冬はかなり穏やかで過ごしやすい。
・首都トビリシの冬場の平均気温は最低が12~20℃、最高は25~31℃。
・首都トビリシの夏場の平均気温は最低がマイナス1~5℃、最高は5~13℃。
・観光におすすめの時期は6月中旬から9月中旬。
・夏場の観光は薄手の服で可能。ただし、夜は寒くなることがあるので注意が必要。
経済:
・開発途上国
・GDPは157億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアゼルバイジャン(13%)、ロシア(13%)、アルメニア(11%)
・主要輸入パートナーはトルコ(17%)、ロシア(10%)、中国(9%)
・主要輸出品は車両、鉄合金、金属くず、肥料、金、鉄鉱石など。
・2014年以来、EUとの貿易は年々上昇しているが、独立国家共同体(CIS)との貿易は減少している。
・旧ソビエト連邦の中では比較的自由で透明性の高い国家といえる。
・2004年から2007年のGDP実質成長率は平均10%、2007年の伸び率は過去最高の12.3%に達した。
・2008年の南オセチア紛争は経済に深刻な影響を与えたが、それでもGDPはプラス成長を維持した。
・外国直接投資(FDI)がジョージアの経済成長を支えている。
・1991年の独立以来、高失業率に悩まされてきたが、2019年には11.6%まで減少した。
・地域経済の中で最も急速に成長している産業は観光業。連邦政府と州政府はインフラと観光地の改修に投資し、民間企業も多数投資を行っている。
人種:
・グルジア人 86.8%(2014年国勢調査)
・アゼルバイジャン人 6.3%
・アルメニア人 4.5%
・ロシア人 0.7%
・オセット人 0.4%
・ヤズィーディー人 0.3%
・その他 1%
言語:
・グルジア語 87.64%(公用語)(2014年国勢調査)
・アゼルバイジャン語 6.23%
・アルメニア語 3.9%
・ロシア語 1.24%
・オセット語 0.15%
・その他 0.84%
宗教:
・グルジア正教会 83.41%(2014年国勢調査)
・イスラム教 10.73%
・アルメニア使徒教会 2.94%
・カトリック教会 0.52%
・エホバの証人 0.33%
・ヤズィーディー教 0.23%
・プロテスタント 0.07%
・ユダヤ教 0.04%
・不明 1.73%
ジョージア(グルジア)
政治(目次に戻る
大統領:サロメ・ズラビシュヴィリ(Salome Zourabichvili)
首相:イラクリ・ガリバシヴィリ(Irakli Garibashvili)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は150人、任期は4年。
・現職のサロメ・ズラビシュヴィリ大統領はジョージア初の女性大統領。
・南オセチアとアブハジアの独立問題に悩まされている。
・2003年のバラ革命(無血クーデター)で旧ソビエト体制の内閣を追放した。
・2008年の南オセチア紛争でロシアとの関係が急速に悪化し、独立国家共同体(CIS)から脱退した。
・EUおよび北大西洋条約機構(NATO)への加盟を目指している。
法律:ジョージアの憲法
・基本的人権を保障している。
・司法の独立を保証している。
・分離主義者に支配されている南オセチアとアブハジアでは、多くの人権違反が確認されている。
・現職のサロメ・ズラビシュヴィリ大統領は女性とLGBTQの権利の確立に向けた法整備を推進している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年5月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)
治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・南オセチアとアブハジアの分離主義者が活発に活動している。
・国際社会は南オセチアとアブハジアはジョージアの領土と認めている。
・隣国ロシアの政治情勢に影響を受けやすい。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・南オセチアとアブハジアの事実上の国境付近には近づかない方がよい。
・南オセチアとアブハジアに立ち入る際はジョージア政府の承認を得なければならず、ロシア側からの入国は不法入国扱いされ、刑務所に収監される。
・繁華街ではスリ、引ったくり、置き引きに注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は500社以上。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は7局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は100局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・旧ソビエト連邦の中で唯一、報道と言論の自由を完全に保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は60~70%。
・南オセチアとアブハジアは報道と言論の自由を保障していない。
・検閲はない。
【国営メディア/設立年】
・グルジア公共放送 1956年
【民間メディア】
・イメディTV
・ルスタヴィ2TV
・アジャラTV
・その他多数
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:92位
・軍人数:25,400人(推定)
即戦力 20,000人
予備兵 0人
準軍組織 5,400人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:3億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1783年7月24日、ゲオルギエフスク条約締結。これにより、ジョージア王国(グルジア王国)のカヘティ州はロシア帝国に併合された。
・1795年、イラン王国のアーガー・モハンマド・カーン王がジョージアに侵攻し、首都トビリシと周辺地域を占領した。これにより、東ジョージアは一時的にイランに再占領されることになった。
・1799年、ロシア帝国がトビリシに侵攻。イラン軍を蹴散らした。
1800年代
・1801年1月8日、ロシア帝国がジョージア王国カヘティ州の併合完了を宣言。
・1801年9月12日、ロシア皇帝アレクサンダー1世がカヘティ州の併合を承認。
・1804年、現在のジョージアの大部分がロシア帝国の領土になる。
・1810年、ロシア軍がジョージア王国の一部であるイメレティ王国に侵攻。イメレティ王朝は領土をすべて明け渡した。
・1811年7月18日、グルジア正教会がロシアからの独立を求める活動を各地で開催したが、ロシア軍に鎮圧され、指導者と反抗的な信者は処刑された。
・1813年10月24日、イランとロシアがゴレスターン条約に合意。これにより、東ジョージアはイランからロシアに正式に移譲された。
・1829年9月、ジョージア王国の一部であるグリア公国のデイヴィッド・グリエリ王はロシア軍に退位を命じられ、グリア公国はロシアに併合された。
・1858年、ジョージア王国の一部であるスヴァネティ公国はロシア軍に敗れ、ロシアの州になった。
・1864年、ジョージア王国の一部であるアブハジア公国はロシアに併合された。この時、アブハジアのミハイル・シェルバシゼ王子はロシアへの権利の譲渡を拒否し、地方都市のヴォロネジに追放された。
・1867年、ジョージア王国の一部であるミンレリア公国は廃止され、ロシアに編入された。
・1878年7月、ベルリン条約締結。これによりオスマン帝国はジョージア王国の一部であるアジャシア自治共和国をロシアに明け渡した。
・1879年、歴史上で最も有名なジョージア人のひとり、将来ソビエトの指導者になるイオシフ・ジョガシヴィリが生まれる。
1900年~第一次世界大戦
・1918年4月22日、現在のアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコ、ロシアの一部で形成されるザカフカース民主連邦共和国誕生。
・1918年5月26日、ロシア革命の影響を受け、「ジョージア民主共和国」がザカフカース民主連邦共和国からの独立を宣言。
・1918年5月28日、ザカフカース民主連邦共和国は設立からわずか1カ月で崩壊した。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1921年2月25日、ソビエトのポルシェビキ軍がジョージア民主共和国を占領。これによりジョージアは「ジョージアソビエト社会主義共和国(ジョージアSSR)」になった。
・1922年、ジョージアはアルメニア、アゼルバイジャンで形成されるザカフカース社会主義連邦ソビエト連邦(トランスコーカサスSFSR)に編入された。
・ソビエトは1921年から1924年にかけてジョージア人約5万人を処刑した。さらに、1935年から1938年、1942年、1945年から1951年にかけて、スターリンの勅命を受けたソビエトのラヴレンチー・ベリアは、ジョージア人15万人以上を粛正した。
・1936年、ザカフカース社会主義連邦ソビエト連邦は解体された。
終戦~現在
・1956年3月、ソビエトのニキータ・フルシチョフ書記長の政策に反対する抗議が全国各地で発生。ソビエト軍は独立を求める抗議者たちを手当たり次第に処刑した。
・1972年、エドゥアルド・シェヴァルドナゼがジョージア共産党の党首に就任。
・1978年4月14日、首都トビリシの自治政府はジョージアSSRの新しい憲法の採択に伴い、ジョージア語は唯一の公用語ではないと宣言した。
・1989年4月9日、ソビエト軍がトビリシの抗議者を力づくで解散させ、少なくとも21人を殺害した。
・1989年11月10日、凍った対立と呼ばれるアブハジア紛争(ジョージアvsアブハジアの分離主義者とロシア軍)が始まる。この紛争は現在も続いており、解決する見通しは立っていない。
・1990年、議会選挙。国民党連合が共産党に勝利し、ズヴィアド・ガムサフルディアが議会議長に就任した。
・1990年12月、南オセチアの独立を求める分離主義者たちが全国で暴動を展開し、ジョージアSSR軍と衝突した。記録によると、一連の戦闘で数百人が死亡し、数万人が国内避難民になったという。
・1991年、ソビエトからの独立の是非を問う国民投票が行われ、賛成多数で可決された。
・1991年1月5日、南オセチア戦争勃発。(ジョージアvs南オセチアの分離主義者)
・1991年4月9日、「ジョージア」がソビエトからの独立を宣言。ズヴィアド・ガムサフルディアが大統領に就任した。
・1991年12月22日、グルジア内戦勃発。(ジョージア軍vsジョージア反政府勢力軍vs南オセチア軍)
・1991年12月26日、ソビエト崩壊。
・1992年6月24日、南オセチア戦争終結。南オセチアはジョージアから領土を奪い取り、事実上の独立共和国になったが、国際社会はこれを認めていない。
<南オセチア戦争>
・両軍参加者:20,000~30,000人(推定)
・両軍負傷者:数千人(推定)
・両軍死亡者:約1,000人
・1993年9月、アブハジアを抑えていたジョージア軍が分離主義勢力に敗れ、領土を明け渡す。
・1993年10月、ジョージア議会は独立国家共同体(CIS)への加盟に合意し、ロシアの支援を受ける。これにより、ジョージア西部の反乱軍は鎮圧された。
・1993年12月31日、グルジア内戦終結。アブハジアと南オセチアの分離主義者は自分たちの主張する領土を、ジョージア反政府勢力軍は議会を支配した。
・1994年1月、ジョージア政府とアブハジアの分離主義者が停戦協定に署名。地域の治安を守るために、ロシアの平和維持軍が配備されることが決まった。
・1995年11月、大統領選挙。エドゥアルド・シェワルナゼが勝利した。
・2000年4月、大統領選挙。エドゥアルド・シェワルナゼ大統領が再選。
・2001年7月、ロシアがアジアニ軍事基地をジョージアに譲渡。
・2001年10月、アブハジア共和国内で北コーカサスの支援を受けるアブハジア軍とジョージアの準軍事組織が衝突。ロシアは衝突を非難したうえで、「ジョージアはチェチェンの反政府勢力をサポートしている」と非難したが、ジョージア政府はこの主張を却下した。
・2001年11月、シェワルナゼ大統領の命を受けた治安部隊は、政府を厳しく批判する民間テレビ局Rustavi-2を破壊し、激しい抗議活動が発生した。シェワルナゼ大統領は野党と抗議者のデモに応え、内閣を解散した。
・2002年4月、アメリカの対テロ特殊部隊とジョージア軍が共同訓練を実施。アメリカは兵器も提供した。
・2002年9月、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ジョージアのパンキジ渓谷に潜伏しているチェチェンの反政府勢力を捕らえるようジョージア政府に命じ、拒否すれば軍事行動を起こすと警告した。
・2002年10月、ジョージアは領土内のチェチェン反政府勢力に対するテロ対策作戦を決行し、ロシアとの対立を解消した。一連のゲリラ戦で反政府勢力の兵士数人が死亡し、その他は拘束され、ロシアに引き渡された。
・2003年5月、アゼルバイジャンの首都バクーからジョージアを経由してトルコのジェイハンにつながる石油パイプラインの敷設作業が始まる。
・2003年11月、バラ革命を受け、シェワルナゼ大統領は退陣した。
・2004年1月、大統領選挙。反ロシア派のミヘイル・サアカシュヴィリが勝利した。
・2004年6月、ジョージア議会は南オセチアの分離主義者による密輸を厳しく取り締まり法案を可決した。この決定は南オセチアの非難を引き起こし、ロシアのプーチン大統領も懸念を表明した。
・2004年8月、ジョージア軍と南オセチアの反政府勢力が衝突、数人が死亡した。
・2005年1月、アブハジア共和国の大統領選挙。親ロシアのセルゲイ・バガプシュが勝利した。
・2005年2月、ズラブ・ジワニア首相が自宅で死亡、ガス中毒と伝えられている。事故を受け、ズラブ・ノガイデリが首相に就任した。
・2005年7月、ロシアはジョージアとの協定に基づき、ソビエト時代に設置した基地から軍隊を撤退させる任務を開始。撤退作戦は2008年末までに完了する予定だった。
・2006年1月、ロシアとジョージアの国境付近のガスパイプラインで爆発が発生し、ロシアからのガス供給と電力供給が止まる。ロシア政府は北コーカサスの反政府勢力によるテロと主張したが、サアカシュヴィリ大統領はロシアの破壊工作と反論した。
・2006年3月、ロシアがジョージアワインの輸入停止を発表。プーチン大統領は健康上の理由による措置と述べたが、ジョージアは政治的な動機によるものだと非難した。
・2006年7月、アゼルバイジャン・ジョージア・トルコ間をつなぐパイプラインが開通。
・2006年8月、ジョージアはアブハジア共和国のコドリ渓谷を支配している武装ゲリラ勢力のリーダー、エムザル・クヴィツィアーニから領土を奪還し、首都トビリシのアブハジア反政府をこの地域に移す計画を発表した。これにアブハジアの反政府勢力は強く反発し、和平交渉は打ち切られた。
・2006年10月、ジョージア国内に潜伏していたロシアのスパイが拘束される。これにロシア政府は強く反発し、ジョージアに制裁を科したうえで公共交通機関を断絶し、ロシア国内のジョージア人を国外に追放した。
・2006年11月、南オセチアでジョージアからの独立の是非を問う国民投票が実施され、賛成200%で承認されたが、国際社会は投票自体を却下した。
・2007年9月、イラクリー・オクルアシュヴィリ前国防相が、サアカシュヴィリ大統領を汚職と殺人の罪で非難し、全国規模の抗議活動を引き起こしたが、汚職と殺人に関する証拠は提供されなかった。
・2007年11月、非常事態宣言発出。親ロシア派のデモ隊がサアカシュヴィリ大統領の辞任を求め、機動隊を衝突した。この時ロシアは、ジョージアに拠点を置く最後の軍隊を撤退させたが、アブハジアと南オセチアの駐留軍は維持した。
・2008年1月、大統領選挙。サアカシュヴィリ大統領が再選した。
・2008年4月、北大西洋条約機構(NATO)はジョージアの加盟申請の承認を12月まで延期すると発表した。
・2008年4月、ロシアはアブハジアと南オセチアとの関係を強化すると発表した。国際社会とジョージアはロシアを厳しく非難し、サアカシュヴィリ大統領は「プーチン大統領はジョージア全土を併合しようとしている」と述べた。
・2008年5月、議会選挙。サアカシュヴィリ大統領率いる反ロシア派は親ロシア派を圧倒した。しかし、アブハジアと南オセチアの分離主義者は選挙結果を却下し、議会をボイコットすると脅迫した。選挙後、ロシアは兵士約300人をアブハジアに派遣した。
・2008年6月、アブハジアはジョージア政府との国交を断絶すると宣言し、最近発生した一連の爆破テロへの関与を非難したが、ジョージア政府はテロへの関与を否定した。
・2008年8月1日、南オセチア紛争(ジョージア・ロシア戦争)勃発。(南オセチア・ロシア連合軍vsジョージア)
・ロシア軍はジョージアに侵攻し、南オセチアとアブハジアの領土内に駐留していたジョージア軍を追放した。ロシア軍の侵攻は5日間続き、その後関係国はフランスが仲介した和平協定に署名したが、プーチン大統領はアブハジア共和国と南オセチア共和国を独立国家として認めると宣言し、ジョージアと西側諸国の怒りを引き起こした。
・2008年9月、ロシア軍はアブハジア共和国と南オセチア共和国に展開しているロシア軍の駐留を維持すると宣言した。
・2009年5月、ムフロヴァニ陸軍基地で戦車大隊による反乱が発生。ジョージア政府は反乱を鎮圧したうえで、ロシアのエージェントがクーデターに関わっていると非難したが、プーチン大統領はこの主張を却下した。
・2009年6月、NATO軍がジョージア国内で軍事演習を開始。
・2009年7月、国連の平和維持ミッションはアブハジアの停戦ライン監視任務を終了した。国連安保理は任務の延長を求めたが、ロシアの拒否権に阻まれた。
・2009年9月、EUがジョージア国内の内戦および紛争に関する報告書を公表。ジョージア政府にも一部の責任を負わせたが、ロシアは報告書を却下した。
・2010年1月、ロシアとジョージアは2008年の南オセチア紛争開始以来初となる直行旅客便の運航を再開した。
・2010年10月、憲法改正。議会は大統領の権限を抑制し、首相と議会の役割を拡大する憲法改正法案を可決した。
・2012年7月、サアカシュヴィリ大統領は10月の議会選挙に向け、イヴァネ・メラビシヴィリ内務相を新首相に任命した。
・2012年9月、サアカシュヴィリ大統領は囚人に対する虐待の告発を受け、内務大臣と刑務所長を解任し、完全かつ公平な調査を約束した。
・2012年10月、議会選挙。野党連合のビジナ・イヴァニシュヴィリが首相に就任し、サアカシュヴィリ大統領の存在感は一気に薄れた。
・2013年10月、大統領選挙。グルジアの夢(ジョージアドリーム連合)のギオルギ・マルグヴェラシヴィリが勝利した。
・2013年11月、ビジナ・イヴァニシュヴィリ首相が辞任を表明。イラクリ・ガリバシヴィリが後任に選ばれた。
・2014年2月、サアカシュヴィリ前大統領の同盟国に対する汚職訴訟が展開され、ビジナ・イヴァニシュヴィリ前首相は汚職の罪で懲役5年の実刑判決を受けた。
・2014年6月、EUとの貿易パートナーシップ協定に署名。
・2014年7月、野党党首のジョルジ・ウグラバがマネーロンダリング容疑で拘束される。支持者たちは、逮捕は政治的な動機だと主張した。
・2014年8月、サアカシュヴィリ前大統領が2005年に政敵のひとりに対する暴行を計画した罪で起訴される。サアカシュヴィリ前大統領は起訴内容を全て否定した。
・2014年11月、ガリバシヴィリ首相が親ロシアの国防相を解任。これに2人の大臣が反発し、辞任した。ロシアはこの解任に強く反発し、アブハジア共和国との戦略的パートナーシップ協定に署名した。
・2015年3月、ロシアと南オセチア共和国は「同盟と統合条約」に署名し、隣国ジョージアが万一侵攻してきた時は粉々に打ち砕くと約束した。
・2015年5月、サアカシュヴィリ前大統領が亡命先のウクライナのオデッサ州知事に就任。テレビインタビュー中でジョージア野党連合政府を非難し、「いつの日か祖国に戻る」と述べた。
・2015年8月、南オセチアの駐留ロシア軍が国境を超えてジョージアの領土内に約1.5km侵攻。ジョージアの東西を結ぶ幹線道路を脅かした。
・2016年10月、議会選挙。与党のグルジアの夢(ジョージアドリーム連合)が過半数を獲得した。
・2017年4月、南オセチアでロシアへの加入を実施する計画の一環として、国名をアラニア州に変更するかどうかを決める国民投票が行われ、賛成多数で承認された。
・2018年6月、ギオルギ・クヴィリカシュヴィリ首相がビジナ・イヴァニシュヴィリ議員との論争の末、辞任。イヴァニシュヴィリ議員が後任に選ばれた。
・2020年11月、議会選挙。グルジアの夢が勝利を収めるも、野党連合の「団結の力」は選挙結果を拒否した。
・2021年2月、野党党首ニカ・メリア議員の逮捕未遂事件を受け、ギオルギ・ガハリア首相が辞任。イラクリ・ガリバシヴィリが後任に選ばれた。
文化(目次に戻る
・ソビエトとキリスト教の影響を強く受けている。
・2003年のバラ革命以来、グルジア文化の復活に力を入れている。
・世界で最も古いワイン生産国の1つ。
・ワインに関連する地元の伝統はジョージア国民のアイデンティティのひとつであり、ユネスコの無形文化遺産に認定されている。
・主食は米と小麦。主菜は肉と魚介類全般、ソーセージ、チーズ、卵、地元でとれる様々な野菜、ワイン。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツは、サッカー、バスケットボール、ラグビーユニオン、レスリング、柔道、重量挙げ。
・レスリングのグレコローマンスタイルにはジョージアの文化と要素が組み込まれていると伝えられている。
・オリンピックでのメダル獲得数は32個(金:8個、銀:7個、銅17個)
・人口約400万人の小国だが、東欧を代表するスポーツ大国に成長した。
【有名スポーツ選手】
・ラシャ・タラハーゼ(Lasha Talakhadze)重量挙げ選手。2016年リオ五輪金メダリスト、史上最高のスーパーヘビー級重量挙げ選手と呼ばれている。
その他(目次に戻る
・南オセチアとアブハジアはジョージアの領土。
・南オセチア紛争が終結する見通しは立っていない。