人類が交通事故を永遠に根絶できない理由、車が存在する限り不可能?
ここまでの検証から、「自動車が存在する限り交通事故を完全に根絶することはできないのか」という問いに対しては、理論上の完全な無事故と、社会として死亡・重傷事故を極限まで減らすことを分けて考える必要があるという結論になる。

現状(2026年9月時点)
自動車が社会に普及してから100年以上が経過し、道路交通の安全性は長期的には大きく改善してきた。しかし、交通事故そのものが消滅したわけではなく、2026年9月現在も道路交通は世界規模で大量の死傷者を生み続けている。世界保健機関の最新の包括的統計では、2021年の道路交通事故による死者は年間約119万人と推計されており、交通事故は依然として主要な公衆衛生上の問題である。
重要なのは、交通事故による死者数が減少していることと、事故そのものを完全に根絶できることは別問題だという点である。世界保健機関は、実証済みの対策によって交通事故死を大幅に減らせるとしている一方、2030年までに死者・負傷者を少なくとも半減させるという国際目標を掲げており、「完全なゼロ」よりも、現実の交通システムに存在する危険を段階的に減らしていく考え方が中心となっている。
日本でも状況は同様である。警察庁によれば、2025年の交通事故死者数は2,547人となり、現在の統計方式で比較可能な1948年以降で最少を記録したが、これは交通事故がなくなったことを意味せず、事故による負傷や重傷事故もなお発生している。
むしろ日本の数字から見えてくるのは、安全対策が進めば死者数を大幅に減らせる一方、一定水準まで減少した後は、単純な取り締まりや注意喚起だけではさらなる改善が難しくなるという事実である。事故を減らす段階から、事故が発生しても死亡や重傷につながらない交通システムを構築する段階へ、安全政策の重点が移りつつある。
根絶が不可能とされる主な理由(構造的・心理的要因)
交通事故を完全に根絶することが難しい最大の理由は、道路交通が単純な機械システムではなく、人間、車両、道路、天候、交通規則、都市構造などが同時に作用する巨大な複合システムだからである。道路上では毎秒のように状況が変化し、同じ場所で同じ速度を維持していても、周囲の車両や歩行者の行動によって危険度は変化する。
さらに、交通事故の発生には明確な単一原因が存在しない場合が多い。速度超過、脇見、疲労、判断ミス、車両故障、道路設計、視界不良、路面状態、信号制御など複数の要因が重なり、結果として事故に至ることがあるため、一つの原因を排除すれば事故が消えるという構造にはなっていない。
人間側にも限界がある。運転者は常に周囲を完全に監視できるわけではなく、注意力には限界があり、疲労や心理状態によって判断能力も変化する。道路交通の安全を「すべての運転者が常に正確に判断し、規則を守り、適切に操作する」ことに依存すれば、必ずどこかでシステム上の弱点が発生する。
この点は、近年の交通安全思想でも重要視されている。世界保健機関は、人間がミスをすることを前提として道路交通システムを設計し、事故が起きても重大な傷害につながりにくい「安全なシステム」という考え方を重視している。
人間の認知・判断・操作の限界
運転という行為は、外部環境を認識し、危険を予測し、複数の選択肢から行動を決定し、その判断をアクセル、ブレーキ、ハンドルなどの操作に変換する連続的な処理である。しかし、人間の感覚器官と脳には処理速度、注意力、記憶容量、予測能力に限界がある。
たとえば、交差点を走行する車両の中から突然歩行者が現れた場合、運転者は「発見する」「危険だと判断する」「ブレーキを踏む」という複数の処理を短時間で行わなければならない。しかも、その間にも車両は移動し続けるため、認知や反応にわずかな遅れが生じただけでも停止距離が伸び、衝突を回避できなくなる可能性がある。
速度はこの問題をさらに大きくする。世界保健機関は、平均速度が1%上昇すると死亡事故のリスクが約4%、重傷事故のリスクが約3%上昇するとしており、速度は事故が起きる確率だけでなく、衝突した際の結果の重大さにも直接関係する。
したがって、人間の注意力を向上させるだけでは限界がある。教育や啓発は重要だが、「人間が絶対にミスをしない状態」を作ることはできないため、交通安全を人間の能力だけに依存させない仕組みが必要になる。
システムの複雑性と確率的限界
交通事故の完全根絶を難しくするもう一つの要因は、道路交通が極めて複雑な確率的システムであることだ。都市部だけを考えても、自動車、二輪車、自転車、歩行者、公共交通機関、緊急車両などが異なる速度と目的で同じ空間を利用している。
そこに雨、雪、霧、逆光、夜間、路面凍結、工事、落下物、動物の飛び出しなどが加わる。さらに、他の道路利用者がどのような行動を取るのかを完全に予測することもできないため、どれほど高度な安全装置を導入しても、未知の組み合わせが発生する余地は残る。
この問題は、事故を「ゼロか100か」で考えると見えにくくなる。現実の安全技術では、事故が起こる確率を下げること、事故が起きた場合の衝撃を小さくすること、負傷者を迅速に救命することを積み重ね、全体として死亡リスクを可能な限り低下させるという考え方が合理的である。
つまり、車両が存在する限り「事故が発生する可能性」を数学的に完全なゼロへ押し下げることと、「交通事故による死亡をほぼ発生させない社会」を作ることは区別する必要がある。前者には原理的な困難がある一方、後者については技術、道路設計、速度管理、法制度、救急医療などを組み合わせることで、現在より大幅に改善できる余地がある。
トレードオフ(利便性と安全性)のジレンマ
交通事故を減らすうえで見落とせないのが、安全性と利便性のトレードオフである。理論上は、車両の速度を極端に低下させ、車間距離を大きくし、交差点や歩行者の存在する区域で自動車の走行を厳しく制限すれば、衝突の危険は大幅に低下するが、その代償として移動時間や輸送効率が犠牲になる。
自動車が社会に必要とされているのは、単に速く移動できるからだけではない。通勤、通学、物流、救急、介護、農林水産業、建設業など、現代社会の広範な活動が道路交通に依存しているため、安全だけを最大化して自動車の機能を制限すれば、別の社会的損失が発生する。
この問題は高速道路でも都市部でも同じである。速度を下げれば衝突時の被害は小さくなる一方、長距離輸送の時間が延び、物流費や移動時間が増加する可能性があるため、安全対策は交通の目的そのものを損なわない範囲で設計しなければならない。
さらに、道路利用者によって求めるものが異なる点も重要である。歩行者にとって安全な道路と、物流事業者にとって効率的な道路、緊急車両にとって迅速に移動できる道路は必ずしも同じ設計にならない。
したがって、交通事故を根絶するという目標を単純な規制強化だけで実現することには限界がある。現実的には、交通の利便性を維持しながら危険な部分だけを技術や制度によって取り除き、事故が発生しても死亡や重傷に至りにくい構造へ変えていく必要がある。
自動運転技術がもたらす変化と残る課題
自動運転は、この問題の構造そのものを変える可能性を持つ。人間の注意力、反応速度、疲労、飲酒、脇見などに起因する事故を、機械による認識と制御へ置き換えることで、人間の運転ミスに由来する事故を減らせる可能性がある。
実際、米国運輸省道路交通安全局は、自動運転を含む先進的な車両技術について、人為的なミスを減らし、安全性を向上させる可能性があるとしている。一方で、自動運転技術が現在すべての交通環境で人間を完全に代替できる段階に到達したわけではなく、安全性を評価するための検証や基準整備が引き続き重要となっている。
自動運転の最大の強みは、人間には困難な監視を一定の条件下で継続できる点にある。周囲の車両との距離、車線位置、速度、信号などを常時監視し、設定された条件に従って機械的に操作することで、注意散漫や反応遅れを減らすことが期待される。
しかし、自動運転車が道路上のすべての状況を完全に理解できるわけではない。センサーが対象を認識できない場合、道路標識が隠れている場合、豪雨や濃霧によって視界が悪化した場合、道路工事によって通常とは異なる通行方法が必要になった場合など、想定外の状況が発生する。
特に難しいのが、人間の行動を予測する問題である。歩行者が横断するのか、停止するのか、自転車が車線変更するのか、対向車が交通規則を無視するのかを機械が事前に完全に知ることはできない。自動運転は「環境を正しく認識する技術」だけでなく、「他者が次に何をするのかを推測する技術」でもある。
このため、自動運転が普及すれば交通事故が消えるという単純な構図にはならない。事故の原因が人間の操作ミスから、センサー、制御ソフトウェア、通信、地図、道路環境、機械による判断などへ移動する可能性がある。
「責任の所在」と「エッジケース」
自動運転が高度化すると、従来とは異なる法的問題も発生する。人間がハンドルを握っていた時代には、運転者の操作が事故原因の中心となりやすかったが、機械が運転判断を担う場合には、運転者、車両メーカー、システム開発者、道路管理者、通信事業者など、複数の主体が関係する可能性がある。
たとえば、自動運転車が正常な道路を走行中、突然道路上に障害物が現れたとする。回避すれば対向車線へ進入する可能性があり、直進すれば障害物と衝突する可能性がある場合、システムがどのような判断をするべきなのかという問題が生じる。
これは単なる技術上の問題ではない。どの選択が最も安全なのかという基準を誰が決定し、その判断を法律上どこまで認めるのかという社会制度の問題でもある。
こうした、通常の試験では十分に再現できない特殊な状況は一般に「エッジケース」と呼ばれる。道路交通には膨大な組み合わせが存在するため、すべてのケースを事前に列挙して試験することは現実的ではない。
米国の自動車技術者団体などが自動運転システムの安全評価や運用設計に関する基準を整備しているのも、この問題と関係している。自動運転の安全性は単純な「事故件数」だけで判断するのではなく、運行条件、システムの限界、異常時の対応、人間への引き継ぎなどを含めて評価する必要がある。
さらに難しいのは、事故が発生した場合に「人間なら避けられたのか」「機械なら避けられたのか」という比較である。人間の運転にも事故リスクが存在する以上、自動運転に対して絶対的な無事故を要求すれば、技術の導入そのものが極端に難しくなる可能性がある。
その一方で、「人間より事故が少ない」というだけで、どのような事故でも許容されるわけではない。自動運転車が社会に受け入れられるためには、事故率だけでなく、事故発生時の責任、記録の保存、事故原因の検証、被害者への補償まで含めた制度が必要になる。
混在交通の危険性
自動運転の普及過程で特に大きな問題となるのが、手動運転車と自動運転車が同じ道路を走る「混在交通」である。すべての車両が同じ方式で動けば一定のルールを設定しやすいが、現実には人間が運転する車両、自動運転車、自転車、二輪車、歩行者などが長期間にわたって共存することになる。
人間の運転には個人差がある。急加速する人もいれば、慎重に減速する人もおり、車線変更の判断や交差点への進入速度も異なる。
自動運転システムは、こうした人間の不規則な行動を予測しながら走行しなければならない。つまり、自動運転車だけを高度化しても、道路上のすべての主体が機械的に統一された行動をするわけではないため、交通全体の不確実性は残る。
特に問題となるのが、交通規則には明確に書かれていない「暗黙の意思疎通」である。人間の運転者同士なら、速度を少し落とす、車体をわずかに前へ出す、相手を先に行かせるなど、視線や車両の動きによって互いの意図を伝えることがある。
自動運転車がこのような曖昧な意思表示をどこまで理解できるのかは、技術上の重要な課題となる。さらに、歩行者や自転車利用者は必ずしも交通規則に従った行動をするとは限らず、道路外から突然進入する可能性もある。
したがって、自動運転技術の発展だけで交通事故を根絶することは難しい。車両側の知能を高めるだけでなく、道路そのものを予測しやすくし、速度を管理し、信号や標識を高度化し、道路利用者が互いの行動を理解しやすい環境を作る必要がある。
ここから導かれるのは、交通安全の主体を「運転者」や「自動車」だけに限定する考え方から、「道路交通システム全体」へ広げる必要性である。事故を減らすための技術は、車両内部だけではなく、道路、信号、通信、法制度、救急医療まで含む総合的な仕組みへ移行していくことになる。
今後の展望と現実的な着地点
ここまで見てきたように、交通事故を完全にゼロにすることと、交通事故による死亡・重傷を社会的に極限まで減らすことは分けて考える必要がある。前者は、人間の認知能力、機械の認識能力、道路環境、気象条件、他者の予測不能な行動などを考慮すると極めて困難だが、後者については技術と制度を組み合わせることで大きな改善が期待できる。
現実的な目標は、「事故が起きない社会」だけではなく、「事故が起きても人が死なない、重傷を負わない社会」に近づけることだろう。自動車そのものの安全性能を高めるだけでなく、道路設計、速度管理、歩行者保護、救急医療、事故後の救命体制までを一体として考える必要がある。
この考え方では、交通事故の発生件数だけを安全性の指標にする必要もなくなる。事故が発生しても、衝突速度を低下させ、車両の衝撃吸収性能によって乗員を保護し、歩行者への衝撃を抑え、さらに救急搬送を迅速化できれば、事故による死亡や重傷を減らすことができるからである。
つまり、交通安全の最終目標を「事故の発生確率をゼロにすること」から「事故が発生した場合の被害を最小化すること」まで広げることが重要になる。この発想は、自動運転が普及した後にも残る人間と機械の不確実性を考えるうえでも重要な意味を持つ。
ビジョン・ゼロの理念
この考え方を象徴するのが「ビジョン・ゼロ」である。ビジョン・ゼロは1997年にスウェーデンで採用された交通安全政策を起点とし、交通事故による死亡・重傷を当然の犠牲として扱わず、道路交通システムそのものを安全に変えていくという理念を持つ。
この思想では、人間が交通規則を完全に守ることだけを安全対策の前提にしない。人間は間違えるという前提に立ち、道路設計、車両、速度、規則、監視、救急医療などを組み合わせて、人間が犯したミスが死亡事故へ直結しない構造を作ることを重視する。
これは従来型の「事故を起こした人間を処罰する」という考え方とは異なる。もちろん危険運転や故意の違反に対する法的責任は必要だが、交通安全そのものについては、個人の注意力だけではなく、事故を誘発する環境や事故の被害を拡大させる構造まで検討する。
世界保健機関も、道路交通事故への対応について、速度管理、道路インフラ、車両安全、法執行、救急医療などを組み合わせた体系的な対策を重視している。国際的にも、2030年までに道路交通による死者・負傷者を大幅に減らすことが重要な目標として位置づけられている。
ただし、ビジョン・ゼロを「事故が1件でも起きれば政策失敗」と理解すると、現実の交通政策とは乖離する。重要なのは、最終的な理念として死亡・重傷をゼロに近づけながら、短期的には死亡者数、重傷者数、危険地点、速度違反などを具体的な指標として改善していくことである。
インフラと通信の融合(V2X)
今後の交通安全で重要性を増すと考えられるのが、車両単体ではなく、車両と道路を通信によって接続する仕組みである。その代表例が「車両とあらゆる対象との通信」を意味する技術であり、車両同士、車両と道路設備、車両と歩行者などの間で情報を共有することを目指している。
現在の自動車は基本的に車載センサーによって周囲を認識する。カメラ、レーダー、測位装置などを利用すれば車両周辺の状況を把握できるが、建物の陰に隠れている車両や、交差点の向こう側から接近する車両など、車両自身のセンサーだけでは直接確認できない対象も存在する。
通信を組み合わせれば、車両自身が見えていない情報を別の機器から取得できる可能性がある。たとえば交差点の信号機から信号状態を受け取り、前方車両から急ブレーキの情報を受け取り、道路側から工事や路面状態の情報を受け取るといった仕組みが考えられる。
米国運輸省は、車両同士や車両と道路インフラなどが情報を交換する通信技術について、衝突回避や交通管理などへの活用可能性を検討している。こうした技術が十分に普及すれば、車両単独の「見る能力」だけに依存しない交通安全システムを構築できる可能性がある。
ただし、通信が加われば問題がすべて解決するわけではない。通信障害、機器故障、情報の遅延、誤情報、サイバー攻撃、異なるメーカー間の規格の不一致など、新しいリスクも発生する。
特に重要なのは、通信情報を「絶対に正しい情報」とみなしてはいけないことである。車両が受信した情報が古かったり、道路側の設備が故障していたりすれば、正確な判断ができなくなる可能性がある。
そのため、将来の交通システムでは、センサー、通信、地図、道路設備など複数の情報源を組み合わせ、それぞれに異常が発生しても安全側へ移行できる構造が求められる。これは自動運転車そのものを賢くするというより、道路全体を一つの巨大な安全システムとして設計する考え方である。
法的・社会システムの刷新
技術が進歩しても、法律や制度が従来の自動車社会を前提としたままでは十分に機能しない。自動運転車が事故を起こした場合、誰が運転主体なのか、車両所有者に責任があるのか、メーカーに責任があるのか、システム開発者や道路管理者に責任が及ぶのかを明確にする必要がある。
また、事故原因を調査するためには、車両が事故直前に何を認識し、どのような判断をし、どのような制御を行ったのかを記録できなければならない。従来の交通事故調査では運転者の証言や車両の損傷、道路上の痕跡などが重要だったが、自動運転時代にはシステムの判断記録そのものが重要な証拠になる。
一方で、車両が大量の走行情報を記録するようになれば、個人情報や行動履歴の扱いも問題になる。安全性を高めるために必要なデータと、個人のプライバシーを守るために制限すべきデータをどこで区切るのかという新たな制度設計が必要になる。
さらに、自動運転技術を導入できる地域と導入できない地域の格差も考慮しなければならない。高度な通信設備や道路インフラを整備できる都市部と、人口が少なく設備投資が難しい地域では、利用できる安全技術に差が生じる可能性がある。
このため、将来の交通安全政策は「最新の自動車を買えば安全になる」という方向だけでは不十分である。道路インフラ、通信設備、法制度、公共交通、救急医療を含め、社会全体として安全性を底上げする仕組みが必要になる。
今後の展望
今後の交通安全は、単一の革新的技術によって完成するものではなく、複数の技術と制度が重なり合う方向へ進むと考えられる。衝突被害軽減装置、自動運転、道路側のセンサー、通信、速度管理、信号制御、歩行者保護、救急医療などがそれぞれの役割を担うことになる。
その中でも重要なのは、「人間を完全に排除すれば安全になる」という発想を避けることである。完全自動化が実現するまでには長い移行期間が必要であり、その間には人間が運転する車両と自動運転車が共存する。
したがって、今後数十年にわたって重要になるのは、異なる能力を持つ車両が同じ道路を安全に利用できる仕組みである。自動運転車が人間の運転者を理解し、人間の運転者も自動運転車の挙動を予測できるようになれば、混在交通による不確実性を低減できる可能性がある。
また、交通安全を評価する指標も変化する可能性がある。事故件数だけではなく、衝突回避率、危険地点での速度、歩行者との接近回数、急ブレーキの発生頻度、重傷化率、救急搬送時間など、多面的なデータによって道路交通全体を評価する必要がある。
最終的には、「事故を完全に起こさない自動車」を作ることだけが目標ではなく、「人間や機械が失敗しても、その失敗が死亡事故にならない社会」を構築することが現実的な方向となる。車が存在する限り事故の可能性を完全に消すことは極めて難しいが、事故によって命を失う確率を限界まで引き下げることは、技術と制度の組み合わせによって追求できる。
まとめ
ここまでの検証から、「自動車が存在する限り交通事故を完全に根絶することはできないのか」という問いに対しては、理論上の完全な無事故と、社会として死亡・重傷事故を極限まで減らすことを分けて考える必要があるという結論になる。交通事故は、人間、機械、道路、環境、制度が相互作用する複雑なシステムの中で発生するため、すべての事故可能性を永続的にゼロへ固定することには構造的な困難がある。
世界保健機関の2023年の報告では、2021年の世界の道路交通事故死者は推計約119万人に上る一方、2010年からは減少している。つまり、安全対策によって事故死を減らすことは可能だが、世界全体では依然として膨大な人的被害が存在している。
日本ではさらに長期的な改善が確認できる。警察庁によれば、2025年の交通事故死者数は2,547人で、現在の統計方式で比較可能な1948年以降の最少となった。これは道路交通の安全性が大きく向上してきたことを示す一方、死者数がゼロになったわけではなく、事故そのものや負傷者が残っていることも意味する。
したがって、交通安全の歴史は「事故を完全に消すことに失敗してきた歴史」と見るべきではない。むしろ、人間のミスが事故につながり、事故が負傷につながり、負傷が死亡につながるという連鎖を一つずつ断ち切ることで、死亡リスクを大幅に低下させてきた歴史と見るべきである。
この観点に立てば、今後の最大の課題は「事故ゼロの自動車」を作ることではなく、事故が起きても死亡や重傷につながらない交通システムを作ることになる。
「車がある限り不可能」という単純な結論ではない
「自動車が走る限り事故はなくならない」という表現には、一定の合理性がある。数千キログラムにもなる物体が一定以上の速度で移動し、人間や他の車両と同じ空間を共有する以上、衝突という物理現象そのものを完全に排除することは難しい。
しかし、そこから「だから交通安全対策には限界がある」と結論づけるのは適切ではない。交通事故の危険性は、自動車の存在そのものだけで決まるのではなく、速度、道路構造、車両性能、運転者の状態、交通量、交通規則、気象条件、救急体制などによって大きく変化するからである。
たとえば、同じ衝突でも低速であれば被害が小さくなり、高速であれば重大な傷害につながる可能性が高くなる。歩行者と自動車が完全に分離された道路では接触機会そのものを減らせるし、衝突被害軽減装置によって事故発生時の被害を抑えることもできる。
つまり、交通事故には「発生するかどうか」という問題と、「発生した場合にどれほどの被害になるか」という問題が存在する。今後の交通安全政策では、この2つを別々に管理することが重要になる。
完全無事故から「死亡・重傷ゼロ」へ
ここで重要になるのが、スウェーデンを起点として発展した「ビジョン・ゼロ」の理念である。スウェーデンでは1997年にビジョン・ゼロが交通安全政策の基礎として採用され、人間がミスをすることを前提に、道路交通システムそのものを安全にする考え方が発展してきた。
この思想では、道路利用者だけに安全責任を押し付けるのではなく、道路管理者、車両メーカー、行政、警察などを含めた関係者が安全に対して責任を分担する。人間の能力には限界があるという前提に立つことで、ミスそのものを完全になくすのではなく、ミスが死亡や重傷へ発展しないようにする。
この考え方は、自動運転時代にも有効である。自動運転が人間より正確に走行できる場面が増えても、システムがあらゆる状況で完全に正しい判断をするとは限らないため、道路や車両側に安全余裕を持たせることが必要になる。
その意味で、将来の交通安全は「人間か機械か」という二者択一ではなくなる。人間も機械も失敗する可能性があるという前提に立ち、それぞれの失敗が重なっても重大事故に至らないよう複数の安全層を配置することが重要になる。
自動運転だけでは完成しない交通安全
自動運転技術は、交通事故を減少させる重要な要素になる可能性がある。人間の脇見、疲労、反応遅れ、飲酒などによる事故を減らせる可能性があるためである。
一方で、自動運転にも認識限界、予測限界、通信障害、センサー障害、ソフトウェア上の問題、悪天候、道路工事などの課題が残る。さらに、すべての車両が自動運転になるまでには長い移行期間が想定され、その間は人間が運転する車両との混在が避けられない。
したがって、自動運転車だけを高度化するのではなく、道路側にも情報を持たせる必要がある。信号機、道路設備、他の車両、歩行者などから情報を取得できれば、車両自身のセンサーだけでは把握できない危険を早期に認識できる可能性がある。
その代表的な方向が、車両同士や車両と道路設備、歩行者などを通信で接続する仕組みである。米国運輸省は、こうした車両間・車両とインフラなどの通信を、交通安全や自動運転を補完する技術として位置づけている。
交通事故ゼロに近づくための条件
将来、交通事故による死亡・重傷をさらに減らすためには、少なくとも5つの領域を同時に改善する必要がある。
第1は速度管理である。速度は事故発生の可能性だけでなく、衝突した場合の被害規模にも影響するため、道路の種類や周辺環境に応じた適切な速度設定が重要になる。
第2は道路設計である。歩行者、自転車、自動車を可能な範囲で分離し、見通しの悪い交差点を改善し、危険地点を構造的に減らすことで、人間の注意力に依存する部分を減らすことができる。
第3は車両技術である。衝突回避、衝突被害軽減、乗員保護、歩行者保護などを組み合わせれば、事故発生後の被害を小さくできる。自動運転についても、完全自動化だけではなく、人間の運転を支援する段階から安全性を高めることが重要になる。
第4は通信と交通インフラである。車両単体では把握できない情報を道路側や他の車両から取得できれば、交差点や見通しの悪い場所などで危険を早期に認識できる可能性がある。ただし、通信そのものが新たな障害にならないよう、故障時にも安全を維持できる設計が必要になる。
第5は法制度と救急医療である。事故原因を正確に調査し、適切な責任を設定し、被害者を迅速に救命できる体制を整える必要がある。事故を完全に防げない以上、事故発生後の対応まで含めて交通安全と考える必要がある。
現実的な着地点
以上を総合すると、「人類は交通事故を永遠に根絶できない」という命題には、一定の条件付きで肯定的な答えが導かれる。ただし、それは「事故を減らすことは不可能」という意味ではなく、すべての交通事故を物理的・確率的に完全なゼロへ固定することが極めて難しいという意味である。
交通事故は、人間が存在し、車両が移動し、道路を複数の主体が共有する限り、完全には予測できない事象が残る可能性が高い。自動運転が高度化しても、人間の行動、自然環境、機械故障、通信障害などの不確実性が完全に消えるわけではない。
しかし、「事故ゼロ」と「交通死亡ゼロ」を同一視する必要もない。自動車が存在する社会でも、速度を抑え、危険な場所を分離し、車両を安全化し、通信で危険を共有し、事故後の救命能力を高めれば、死亡・重傷事故を現在より大幅に減らす余地は残されている。
最も現実的な方向は、完全無事故を待つのではなく、死亡・重傷につながる事故を一つずつ減らし、そのために人間、車両、道路、通信、法律、医療を一つの安全システムとして再設計することである。
交通事故の歴史を振り返れば、安全性は一度に革命的に向上したのではない。シートベルト、エアバッグ、衝突安全車体、飲酒運転対策、速度管理、道路分離、運転支援技術など、数多くの対策を積み重ねることで死者数が減少してきた。
したがって、未来の交通安全において重要なのは、「事故を起こさない完璧な車」を探すことだけではない。完璧ではない人間と完璧ではない機械が同じ社会で活動することを前提に、それでも人命を守れる多重的な仕組みを構築することこそ、最も現実的な方向である。
結論
「車が存在する限り交通事故は根絶できない」という表現は、事故の発生可能性を完全なゼロにするという意味では妥当性を持つ。しかし、それを交通安全の限界と捉える必要はない。
むしろ2026年時点で求められているのは、事故発生の可能性を限界まで下げると同時に、事故が起きた場合の死亡・重傷化を防ぐことである。世界保健機関が示す年間約119万人という道路交通事故死者数は問題の規模を示す一方、各国での安全対策によって死亡者数を減らせることも示している。
最終的な目標は、「自動車が存在する社会から事故を完全に消すこと」ではなく、「人間のミスや機械の故障があっても、人命が失われにくい社会を作ること」に置くべきである。自動運転、車両安全技術、ビジョン・ゼロ、道路インフラ、通信、法制度、救急医療を一体化することで、その目標に近づくことは可能である。
交通事故の完全根絶が極めて困難であることと、交通事故による死亡を減らす努力が無意味であることは全く違う。むしろ、完全なゼロを前提としないからこそ、現実の社会で達成可能な安全水準を一段ずつ引き上げていくことが重要になる。
参考・引用リスト
- 世界保健機関『世界道路交通安全状況報告書2023』。2021年の世界の道路交通事故死者数を約119万人と推計し、2030年までの大幅な削減目標を示している。
- 世界保健機関「道路交通安全」関連資料。道路、車両、速度、利用者、法制度、救急対応などを組み合わせた包括的な交通安全対策を扱っている。
- 警察庁「令和7年中の交通事故死者数について」。2025年の日本の交通事故死者数が2,547人となり、1948年以降で最少となったことを公表している。
- スウェーデン交通局「交通安全・ビジョン・ゼロ」。1997年に採用されたビジョン・ゼロの理念と、道路、車両、歩行者環境などを組み合わせた安全対策について説明している。
- 米国運輸省「車両とあらゆる対象との通信」。車両間、車両とインフラ、車両と歩行者などの通信を交通安全や自動運転を補完する技術として説明している。
- 米国運輸省「接続された車両に関する研究・技術資料」。通信技術を利用して道路上の危険情報を共有し、衝突回避や交通安全を向上させる可能性について整理している。
追記:「交通事故ゼロ」は本当に不可能なのか
ここまでの議論をさらに突き詰めると、「交通事故を永遠に根絶することは不可能」という命題そのものにも注意が必要である。不可能という言葉には、物理的に不可能なのか、技術的に現在は不可能なのか、経済的に現実的ではないのか、あるいは社会的に受け入れられないのかという複数の意味が含まれているからである。
たとえば、すべての自動車を道路から排除すれば、自動車同士の衝突事故は発生しなくなる。しかし、それは交通事故を技術によって根絶したのではなく、自動車交通そのものを消滅させた結果である。
逆に、自動車の利便性を維持しながら事故をゼロに近づけようとすれば、道路利用者、車両、道路、通信、制度などすべての要素を高度化する必要がある。したがって問題の本質は、「車があるから事故が起きる」という単純な関係ではなく、「高速で移動する巨大な物体を、多数の予測不能な主体が共有する空間で安全に運用することの難しさ」にある。
交通事故は「単一原因」では説明できない
交通事故の根絶を難しくしているのは、事故が単一の原因から発生するとは限らないことでもある。運転者の不注意だけでなく、道路構造、速度、車両状態、天候、照明、交通量、他者の行動などが重なって事故が発生する場合がある。
このため、ある一つの技術を導入すれば交通事故が消滅するという考え方には限界がある。自動ブレーキが普及しても、すべての衝突を防げるわけではなく、道路を改良しても運転者の誤操作がなくなるわけではない。
安全対策は、いわば複数の防壁を重ねる作業になる。1つの防壁を突破する危険が発生しても、その次の防壁によって事故を回避し、さらに回避できなければ被害を軽減し、最後には救急医療によって生命を救うという多重的な構造が必要になる。
この考え方は、将来の自動運転にもそのまま当てはまる。自動運転システムだけにすべての安全性を委ねるのではなく、車両側、道路側、通信側、制度側にそれぞれ安全余裕を持たせる必要がある。
「人間より安全」と「完全に安全」は違う
自動運転をめぐる議論では、「人間より安全なら導入すべきなのか」という問題も発生する。ここで重要なのは、「人間より事故が少ない可能性」と「事故が一切発生しないこと」はまったく異なるという点である。
人間の運転には、疲労、脇見、飲酒、居眠り、判断ミス、反応遅れなどの問題が存在する。これらを機械によって減らせるなら、自動運転や運転支援技術には交通安全上の大きな意味がある。
しかし、自動運転にも別種のリスクが存在する。センサーが対象を正しく認識できない場合、ソフトウェアが想定外の状況に遭遇した場合、通信や測位に障害が発生した場合など、人間とは異なる形でシステムが失敗する可能性がある。
そのため、自動運転の評価では「無事故か」という二択ではなく、どの条件下でどの程度安全なのかを検証する必要がある。自動運転の安全性は、道路環境、速度、天候、交通量、対象となる道路利用者などを含めた条件付きの問題になる。
エッジケースは永遠に残る可能性がある
交通事故の完全根絶を阻む要素として、エッジケースの問題は特に重要である。エッジケースとは、通常とは大きく異なる特殊な状況であり、発生頻度が低いため通常の試験だけでは十分に検証しにくい事象を指す。
たとえば、夜間の大雨の中で道路工事が行われ、通常とは異なる場所に誘導員が立ち、さらに別の車両が故障して道路上に停止しているという状況を考えることができる。このような複数の異常条件が同時に発生すれば、通常の試験で想定されている環境とは大きく異なる。
しかも、道路上の組み合わせは無限に近い。したがって、「過去に発生したすべての事故を再現できるシステム」を作ることと、「未来に発生するすべての事故を防げるシステム」を作ることには大きな隔たりがある。
人工知能や自動運転技術が高度化すれば、この問題を大幅に縮小できる可能性はある。しかし、未知の状況を完全にゼロにすることは難しいため、最終的には未知の状況に遭遇した場合でも、危険を最小化する設計が必要になる。
交通安全の最終目標は「完全予測」ではない
この問題から重要な示唆が得られる。交通システムに求められるのは、未来を完全に予測する能力ではなく、予測できない事象が発生しても破局的な結果を避ける能力である。
たとえば、前方に突然障害物が出現した場合、その存在を完全に予測することは難しい。しかし、車両の速度が低ければ回避できる可能性は高くなる。
さらに、道路の見通しが良く、車間距離が確保され、衝突被害軽減装置が作動し、乗員保護性能が高ければ、仮に衝突しても被害を小さくできる可能性がある。
つまり、未来の交通安全では「予測できないものをすべて予測する」のではなく、「予測できないものが存在しても安全側に倒れるシステム」を作ることが重要になる。
これは自動運転に限らず、人間が運転する車両にも適用できる。人間がミスをすることを前提に速度や道路構造を設計すれば、運転者の一瞬の判断ミスが死亡事故に直結する可能性を下げられる。
便利な社会ほど安全対策が難しくなる
もう一つ重要なのは、社会が便利になるほど交通システムの複雑性が増すという問題である。物流の高速化、即時配送、長距離通勤、観光、自家用車の普及などは生活を便利にしたが、その一方で道路上を移動する車両の数と種類を増加させてきた。
将来的には、さらに自動配送車、無人移動サービス、電動二輪車、小型移動機器などが加わる可能性がある。移動手段が多様化すれば、単純に自動車だけを対象にした交通安全政策では対応できなくなる。
したがって、未来の道路では「自動車の安全」から「移動システム全体の安全」へと視点を広げる必要がある。歩行者、自転車、二輪車、自動車、公共交通、物流車両などを個別に管理するだけでなく、それらが同じ空間でどのように相互作用するのかを考える必要がある。
最終的な着地点
以上を踏まえると、「車が存在する限り交通事故は永遠に不可能」という表現は、厳密には修正する必要がある。正確には、自動車交通を維持したまま、未来に発生するあらゆる衝突可能性を物理的・確率的に完全なゼロへすることは極めて困難であるというべきである。
一方、交通事故による死亡や重傷を大幅に減らすことは、すでに実現可能性が確認されている方向である。日本を含む各国で交通死亡者数が長期的に減少してきたことは、安全技術、道路政策、法執行、医療体制などを組み合わせることで人的被害を減らせることを示している。
したがって、人類が目指すべき交通安全の姿は、「事故を起こさない完璧な機械」を完成させることだけではない。人間も機械も失敗することを前提に、その失敗を事故につなげず、事故になっても死亡や重傷につなげない交通システムを構築することである。
その意味で、交通事故の歴史における最大の転換点は、自動車そのものを完全無欠にすることではなく、安全性を車両単体の問題から社会システム全体の問題へ移すことである。自動運転、通信、道路インフラ、速度管理、車両安全、ビジョン・ゼロ、法制度、救急医療は、それぞれ単独で完成するのではなく、相互に補完することで効果を発揮する。
最終的に「交通事故ゼロ」という言葉は、現実の達成値というより、交通による死亡と重傷を限界まで減らすための長期的な目標として理解するのが適切である。事故が完全には消えない可能性を認めながら、それを理由に安全対策の限界を設定するのではなく、事故が起きても人命が失われない方向へ交通システムを継続的に改善することが、2026年以降の現実的な課題となる。
参考・引用リスト(追記)
- 世界保健機関『世界道路交通安全状況報告書2023』。2021年の世界の道路交通事故死者数を約119万人と推計し、2030年までの大幅な削減目標を示している。
- 世界保健機関「道路交通安全」関連資料。道路、車両、速度、利用者、法制度、救急対応などを組み合わせた包括的な交通安全対策を扱っている。
- 警察庁「令和7年中の交通事故死者数について」。2025年の日本の交通事故死者数が2,547人となり、1948年以降で最少となったことを公表している。
- スウェーデン交通局「交通安全・ビジョン・ゼロ」。1997年に採用されたビジョン・ゼロの理念と、道路、車両、歩行者環境などを組み合わせた安全対策について説明している。
- 米国運輸省「車両とあらゆる対象との通信」。車両間、車両とインフラ、車両と歩行者などの通信を交通安全や自動運転を補完する技術として説明している。
