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コラム:かつての花形企業「電通」が没落した経緯

電通の「没落」は突然の崩壊ではなく、外部環境の急激な変化と内部の構造的欠陥が長期間にわたって蓄積した結果である。
日本、電通本社(Getty Images)
1. 電通とは――「花形企業」の代表格

電通は1901年創業の老舗広告代理店であり、日本広告業界の中心的存在として長らく「花形企業」の代名詞だった。テレビ・新聞・雑誌などマスメディア向けの広告営業力、クライアントとの強固な関係、イベントやプロモーションの総合力により高度経済成長期以降、業界のリーダーシップを保ってきた。国内市場での強力なシェアと、日本の企業文化に深く結びついたブランディング力は同社の大きな強みであった。


2. 最近の動向(2025年10月時点の概観)

2025年前半の業績は、国内は比較的堅調だったが海外事業が大きく足を引っ張った。四半期や上期の決算ではオーガニック成長率がマイナスに転じ、営業利益面でも前年期から悪化している。グローバル再編・構造改革の一環として海外での人員削減や大規模な見直しを検討しているという報道があり、海外事業を売却する可能性まで市場で取り沙汰される状況になった。これらは同社が国内での優位性を維持しつつも、国際競争や事業環境の変化に対応できていないことを示している。


3. 業績不振の背景(総論)

電通の業績不振は単一要因ではなく、複合的な構造問題が積み重なっている。主な要因は次の通りだ。

  • 海外事業の統合・買収戦略が期待通りに機能しなかったこと

  • デジタル化/プラットフォーム支配の進展に対する対応の遅れと投資回収の難航

  • 伝統的ビジネスモデル(メディアバイイング、クリエイティブ制作、プロモーション)からの転換への苦戦

  • 米巨大テック企業(Google、Meta、Amazonなど)による広告流通の支配と、彼らの技術・データ優位性によるマージン圧迫

  • 経営と組織風土の問題(古い慣行、長時間労働、コンプライアンス問題の繰り返し)

これらが同時多発的に作用し、収益性と企業価値を毀損している。


4. 海外事業の不振――買収拡大のツケ

2012年の英国Aegis買収など、大型のM&Aで海外プレゼンスを拡大してきたが、買収後の統合(PMI: post-merger integration)や現地市場に合ったサービス再設計が十分でなかった。2024〜2025年の決算ではアジア太平洋、米州、EMEAいずれの地域でもオーガニック成長率がマイナスになった期があり、海外セグメントがグループ全体の成長を阻害した。これを受けてグローバル再編案や海外の人員削減、場合によっては海外事業の一部売却を検討する報道まで出ている。買収時に見込んだシナジーが実現せず、買収価格と将来キャッシュフローの乖離が生じた点が大きい。


5. デジタル化への対応の遅れ

インターネット広告の拡大は日本の広告市場においても主要トレンドになっている。電通はデジタル領域へ投資し事業を拡大してきたものの、デジタルネイティブ企業や専業のデジタルエージェンシー、またプラットフォーム自身(Google/Meta等)との競争において、技術開発、データ解析、アドテクの迅速な更新・導入で後手に回る局面があった。日本国内のインターネット広告費は成長しているが、広告代理店が担う「仲介」としての役割は薄まりつつあり、直接取引やプラットフォーマー主導の広告配信が進んでいる。電通は国内のデジタル成長から一定の収益を得ているが、グローバルなデジタル競争での優位確保が十分ではない。


6. 既存のビジネスモデルからの転換に苦戦

従来の広告代理店モデルは、メディア枠の仲介とクリエイティブ制作、顧客コミュニケーション設計に価値があった。しかし、データドリブンな広告配信、プラットフォームの自己完結型広告商品、AIを活用したクリエイティブ・最適化ツールの台頭により、仲介マージンは圧縮されている。クライアントがパフォーマンス重視で「成果を出すこと」を要求する中、広告代理店はコンサルティング、システム開発、データ統合、顧客体験設計(CX/BX)などに業務範囲を広げる必要があるが、事業転換には人材・組織・カルチャーの変革が必要であり、それが遅れたことが苦戦の一因になっている。


7. 事業環境の変化と競争激化

広告市場の構造変化は、以下の方向で進行している。

  • マス媒体からデジタルへのシフト

  • 広告主のマーケティング内製化(in-house)やデータ活用の高度化

  • プラットフォーム(GAFA等)による広告収益の集中化と透明性問題

  • 専業デジタルエージェンシーやコンサルティングファーム、テクノロジーベンダーとの競争

特に米巨大テックの出現は、メディア買付け・広告配信・計測・最適化の領域で圧倒的な技術力とスケールを持ち、従来の広告代理店の“仲介”機能を侵食している。これにより従来型の手数料やマージンが減少し、代理店は付加価値の再定義を迫られた。


8. 度重なる不祥事と古い経営体質

電通は過去に長時間労働や過労自殺の問題で社会的批判を受けた。特に2015年に発覚した新入社員の過労自殺事件は労働基準監督署による労災認定や同社に対する行政調査・書類送検を招き、企業イメージと内部統制の脆弱性が露呈した。以後、働き方改革やコンプライアンス改善が進められたが、長年にわたる「古い経営体質」や過度の長時間労働、縦社会や年功序列といった組織文化は簡単に変わらなかった。これらの問題は採用・定着・外部評価に影響を与え、優秀な人材確保を難しくした面がある。


9. 長時間労働の常態化、「鬼十則」と社風

電通に限らないが、日本の広告業界内部には長時間労働や過度な仕事優先の風土が存在した。電通内部で語られる「鬼十則」はしばしば企業文化の象徴として引用され、過去の過酷な働き方の一面を説明する語り口として用いられてきた。これが若手の燃え尽きやコンプライアンスリスク、企業イメージ低下につながったことは否定できない。業務の属人化や無理な受注文化、顧客の無理な要望に「なんでもやる」形で応える風土が健全な事業運営の阻害要因になった。


10. 縦社会と年功序列、「なんでもやる」文化の副作用

縦割り組織や年功序列は意思決定の硬直化を招き、迅速な変化対応を阻害する。加えて「なんでもやる」文化は収益性の低い業務までも引き受けることを促し、コスト構造の悪化を招いた。クライアントニーズが高度化・専門化する中で、組織内でのスキル分配や評価制度の刷新が遅れると、成長分野への投資や人材シフトが進まない。結果として新規事業開発やデジタル人材の育成・確保に遅れが出た。


11. 海外事業の立て直しは可能か?

海外事業の立て直しは理論的には可能だが、実務的には難易度が高い。選択肢としては以下が考えられる。

  1. 統合と選択と集中:不採算部門や重複事業を整理し、コア領域へ資源を集中する。

  2. パートナー戦略:現地強者やテクノロジーパートナーと連携し、単独でのフルスペック展開を避ける。

  3. 売却・分社化:資金回収のため不採算の海外ユニットを売却し、経営資源を国内及び成長領域に回す。実際に海外事業売却が検討されているとの報道がある。

  4. デジタル/データ基盤の補強:グローバルなデータ管理やアドテクを強化し、プラットフォームに依存しない付加価値を作る。

ただし、これらは短期で実行可能な策と中長期の投資を両立させる必要があり、人員削減・再配置や投資判断の厳格化が求められる。現実的には、海外事業の一部売却や大幅なリストラクチャリングが検討される水準に来ている。


12. 国内事業の構造改革――何を変えるべきか

国内での構造改革は電通の生き残りに不可欠だ。具体的な論点は次の通り。

  • データとテクノロジーの内製化・提携:第三者プラットフォームに依存しない測定・最適化基盤の構築。

  • 付加価値型サービスへのシフト:単なる広告配信から顧客体験(CX)、マーケティングオートメーション、ビジネス変革支援(BX)へサービスを拡充する。

  • 組織・報酬制度の見直し:成果主義や専門職の評価制度を導入し、人材の流動性を高める。

  • コンプライアンスと労務管理の徹底:過去の教訓に基づく労働環境改善と再発防止の制度化。

国内市場が依然として安定的な収益源である以上、ここでの競争優位性を維持・強化することが短中期の最重要課題だ。


13. 経営戦略の転換――何が求められるか

経営戦略上の転換点は以下の3点に集約される。

  1. ビジネスモデルの再定義:メディア仲介から「ビジネス変革パートナー」へ。クライアントの売上や顧客ロイヤルティ向上に直接貢献するサービスを商品化する。

  2. 資本配分の見直し:成熟事業の効率化と成長事業への投資バランスを厳格に見直す。必要ならば非中核資産を売却し、キャッシュを成長投資に回す。

  3. 組織・人材の再編:デジタルやデータサイエンス、プロダクトマネジメントなどの専門人材を中核に据え、旧来の営業・指揮系統をフラット化する。

これらは表面的にはよく語られるが、実行には強い経営の意思と投資、そして短期的痛みを受け入れる覚悟が必要だ。


14. 問題点と課題(整理)
  1. ガバナンスとリスク管理の甘さ:過去の不祥事が示すように、法令遵守と労務管理の強化が必要だ。

  2. 海外の収益性低下:買収統合の失敗や市場適応の不足が課題。

  3. デジタル・テクノロジーでの相対的劣位:技術投資と人材育成の遅れ。

  4. 織文化の硬直化:縦社会や年功序列がイノベーションを阻害している。

  5. 収益構造の脆弱性:仲介手数料と制作収益に依存する部分の縮小と多角化の必要性。


15. 巻き返しなるか?――実現可能性の評価

巻き返しは可能だが、実現性は経営判断の速さと実行力に依存する。具体的には次の条件が満たされれば可能性は高まる。

  • 主要な非中核事業の整理と、売却による財務基盤の強化

  • デジタル、データ、AI領域への戦略的・継続的投資

  • ガバナンス改革と働き方の抜本的改善による人材獲得力の回復

  • 海外事業に関しては「選択と集中」または「段階的撤退・再編」の判断を速やかに行うこと

ただし、競合他社や巨大テック企業の動き、広告市場の技術革新は速く、外部環境の変化に対する実行の遅れは致命傷になり得る。よって「計画的でスピード感のある実行」が不可欠である。


16. 今後の展望

短期(1〜2年)では、構造改革とコスト削減、海外事業の見直しによる損失の抑制が中心になる。中期(3〜5年)では、デジタルとBX領域での収益化、テクノロジー商品(SaaS型マーケティングツール等)やコンサルティングサービスへのシフトが鍵になる。長期的には、広告代理店という枠組みを超えて「企業の顧客接点・デジタル変革を一気通貫で支援するプレーヤー」へと生まれ変わることができれば、再び成長軌道に乗る可能性がある。

しかし、そのためには過去の栄光に依存した組織風土の解体、透明性と説明責任の強化、外部と連携したイノベーション創出の加速が不可欠だ。外部環境は厳しく、選択と実行の速度によっては市場の「敗者」になり得る一方、速やかな改革と投資を断行すれば再起の道は開ける。


参考データ

  • 電通グループ 四半期業績概要(売上高・地域別のオーガニック成長率等)を参照。決算資料では上期における海外地域のオーガニック成長率低下や営業損失の発生が確認できる。

  • 2025年時点で海外事業の抜本的見直しや海外人員削減の検討が報じられている。約3,400人の削減検討など大規模な見直し案が報道されている。

  • 英国フィナンシャル・タイムズなどで、電通が国際事業の売却を検討しているとの報道があり、同社が国際競争力と投資回収の難しさに直面していることが報じられている。

  • 電通が公表する「日本の広告費」報告書では、インターネット広告費の拡大など国内市場の構造変化が示されている。

  • 過去の過労自殺事件に関する同社の公式発表や労働基準監督署の対応、社会的批判の経緯。これが後の働き方改革や社内制度変更の契機になった。


最後に

電通の「没落」は突然の崩壊ではなく、外部環境の急激な変化と内部の構造的欠陥が長期間にわたって蓄積した結果である。国内の強さに依存し続けたこと、海外拡大戦略の実行力不足、デジタル・プラットフォームの台頭に対する戦略的対応の遅れ、そして組織文化やガバナンスの問題が複合して業績と信頼を蝕んだ。再起は可能だが、単なるリストラやコストカットだけでは不十分であり、事業の再定義、テクノロジー投資、組織・文化の変革という本質的な転換を伴う必要がある。行動の遅れは致命的であり、今後の数年が同社の運命を決める重要な期間になる。

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