コラム:アメリカ建国250年、第一次世界大戦がもたらした歴史的転換
1900年代前半の米国は、進歩主義時代の国内改革と第一次世界大戦参戦を通じて、近代国家としての枠組みを完成させた。
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2026年1月時点の国際社会において、アメリカ合衆国は依然として世界最大級の経済力と軍事力を有し、国際政治・経済秩序において中心的な役割を果たしている。ウクライナ戦争や中東情勢、米中関係の緊張、気候変動対策など、多くの国際課題において米国の政策判断は世界的影響力を持つ。その一方で、国内では政治的分極化、経済格差、人種問題、移民政策、産業構造の転換といった課題が顕在化している。
こうした「世界的指導国としての米国」と「国内問題を抱える大国」という二面性は、決して現代に特有のものではない。その原型は20世紀初頭、特に1900年代前半に形成された。産業資本主義の急成長、民主主義の再編、社会改革、そして第一次世界大戦への参戦という一連の出来事は、今日の米国の国際的立場と国内構造を理解する上で不可欠である。
20世紀初頭(1900年代前半)の米国
19世紀末から20世紀初頭にかけての米国は、急速な工業化と都市化を背景に、世界有数の経済大国へと成長していた。鉄鋼、石油、自動車、電力といった分野で巨大産業が形成され、アンドリュー・カーネギー、ジョン・D・ロックフェラー、J・P・モルガンといった実業家が莫大な富と影響力を持った。
歴史学者エリック・フォナー(Eric Foner)は、この時代を「近代アメリカの骨格が形成された時期」と位置づけている。大量生産・大量消費社会の基盤が築かれた一方で、労働者の低賃金・長時間労働、移民の急増による都市問題、政治腐敗、貧富の格差といった深刻な社会問題が顕在化した。
こうした矛盾への対応として登場したのが、後述する「進歩主義時代」である。
1900年代前半:国内の変革と「進歩主義時代」
1900年代前半の米国では、単なる経済成長だけでなく、政治・社会制度の改革が大きなテーマとなった。進歩主義(Progressivism)は、学者、ジャーナリスト、政治家、市民運動家など多様な主体によって担われ、「政府は公共の利益のために積極的に介入すべきだ」という理念を共有していた。
当時の調査報道ジャーナリズム、いわゆる「マックレーカー(Muckraker)」と呼ばれる記者たちは、企業の不正や政治腐敗、劣悪な労働環境を暴き、世論を喚起した。アイダ・ターベルによるスタンダード・オイル批判や、アプトン・シンクレアの小説『ジャングル』はその代表例である。
政治・経済の仕組みを刷新した「進歩主義時代(Progressive Era)」
進歩主義時代は、おおむね1890年代から1920年代初頭まで続いたとされる。この時期、連邦政府および州政府は、従来の「自由放任主義」から脱却し、公共利益のための制度改革を推進した。
セオドア・ルーズベルト大統領は「スクエア・ディール(公平な取引)」を掲げ、政府による企業規制と消費者保護を推進した。後任のウィリアム・ハワード・タフト、ウッドロウ・ウィルソンも、形は異なるものの進歩主義的政策を継承した。
政治学者サミュエル・ハンチントンは、この時代を「米国における国家能力の飛躍的強化の起点」と評価している。
独占の禁止、巨大企業による市場独占への規制が強まる
進歩主義時代の重要な柱の一つが反トラスト政策である。1890年制定のシャーマン反トラスト法は、それまで十分に執行されていなかったが、20世紀初頭に本格的に活用された。
1904年のノーザン・セキュリティーズ事件では、最高裁が巨大鉄道トラストの解体を命じ、連邦政府の規制権限が明確化された。1914年にはクレイトン反トラスト法と連邦取引委員会(FTC)が設立され、市場競争の監視体制が制度化された。
経済史家ロバート・ウィーブは、これらの改革を「現代アメリカ資本主義のルールブックの確立」と表現している。
社会改革の胎動、女性参政権や労働環境の改善、1920年に発効する禁酒法に向けた運動など
社会改革も進歩主義時代の重要な側面である。労働災害や児童労働が社会問題化し、労働時間規制や最低賃金制度の導入が進められた。1911年のトライアングル・シャツウエスト工場火災は、劣悪な労働環境を象徴する事件として改革を加速させた。
また、女性参政権運動は長年の活動の成果として、1920年に憲法修正第19条が批准され、全米で女性の投票権が認められた。
禁酒運動も宗教団体や市民運動を背景に勢力を拡大し、1919年の憲法修正第18条と1920年の禁酒法(ヴォルステッド法)施行へとつながった。
外交の伝統、伝統的なモンロー主義(孤立主義)を維持
19世紀以来、米国外交の基本原則はモンロー主義であり、欧州の政治対立には極力関与しない姿勢を取っていた。20世紀初頭においても、米国は欧州列強の同盟関係から距離を保ち、第一次世界大戦勃発時も中立を宣言した。
ウッドロウ・ウィルソン大統領は「思想と良心における中立」を掲げ、戦争への直接介入を避ける姿勢を示していた。
第一次世界大戦(1914年〜1918年)と米国の参戦
1914年に勃発した第一次世界大戦は、当初は欧州中心の戦争であったが、次第に世界規模へと拡大した。米国は中立国として連合国に物資供給を行い、経済的には深く関与していた。
1917年4月の参戦が戦局の決定的な転換点に
1917年4月、米国はドイツに宣戦布告し、連合国側として参戦した。アメリカの人的・物的資源の投入は、消耗戦に疲弊していた連合国に決定的な影響を与えた。
軍事史家デイヴィッド・ケネディは、米国参戦を「戦争の力学を根本から変えた出来事」と評価している。
参戦の背景
ドイツは1917年に無制限潜水艦作戦を再開し、米国の商船も攻撃対象とした。さらに、ドイツ外務省がメキシコに対し、米国参戦時に対米戦争への協力を求めたツィンメルマン電報が暴露され、米国内世論は急速に参戦支持へと傾いた。
軍事的・経済的貢献
ジョン・パーシング将軍率いるアメリカ遠征軍(AEF)は、西部戦線で重要な役割を果たした。米国は約300億ドルの戦費を調達し、兵器・物資供給の中心として「世界の兵器廠」と呼ばれた。
一方で、戦死者・戦病死者を含め11万6000人以上の犠牲を払った。
戦争がもたらした歴史的転換
戦後、米国は欧州諸国への債権国となり、世界経済の中心的地位を確立した。女性や黒人労働者の社会進出、政府権限の拡大など、国内社会にも大きな変化が生じた。
国際連盟と孤立主義、十四か条の平和原則
ウィルソン大統領は十四か条の平和原則を提唱し、国際連盟の創設を主導した。しかし、米国内の孤立主義的世論と上院の反対により、米国は国際連盟に加盟しなかった。
この矛盾は、理想主義と現実政治の乖離を象徴している。
まとめ
1900年代前半の米国は、進歩主義時代の国内改革と第一次世界大戦参戦を通じて、近代国家としての枠組みを完成させた。孤立主義から国際関与への転換、経済大国化、社会改革の進展は、現代アメリカの基礎を形成している。
参考・引用リスト
Eric Foner, The Story of American Freedom, W.W. Norton
David M. Kennedy, Over Here: The First World War and American Society, Oxford University Press
Samuel P. Huntington, Political Order in Changing Societies, Yale University Press
米国国立公文書館(National Archives and Records Administration)
ブリタニカ百科事典(Encyclopaedia Britannica)
アメリカ歴史学会(American Historical Association)
追記:第一次世界大戦という「外部の衝撃」と米国の世界超大国化
外部の衝撃としての第一次世界大戦と米国
第一次世界大戦は、アメリカ合衆国にとって「自発的に選択した戦争」ではなく、国際環境の激変によって不可避的に巻き込まれた「外部からの衝撃」であった。この戦争は、米国の外交姿勢、経済構造、国家権力、国際的地位を根底から変化させる転換点となった。
歴史学者ポール・ケネディは、大国の興隆を説明する上で「戦争は国家の潜在力を顕在化させる試金石である」と述べているが、第一次世界大戦はまさに米国の潜在力を一挙に表舞台へ引き上げた出来事であった。
参戦以前:潜在的超大国としての米国
1914年時点で、米国はすでに以下の条件を備えていた。
世界最大規模の工業生産力
豊富な天然資源と農業生産力
欧州戦争による本土破壊を免れた安全な地理条件
高い人口増加率と移民による労働力供給
しかし、これらはあくまで「潜在力」に過ぎなかった。国際政治の場では、英国・フランス・ドイツといった欧州列強が依然として主導権を握り、米国は「経済大国だが政治的には脇役」という立場にあった。
第一次世界大戦は、この潜在力を強制的に動員させる契機となった。
経済動員と国家能力の飛躍的拡大
1. 戦時経済体制の構築
1917年の参戦以降、米国政府は短期間で大規模な戦時動員体制を構築した。
戦時産業委員会(War Industries Board)
食糧管理局(Food Administration)
燃料管理局(Fuel Administration)
これらの機関は、生産・価格・流通を国家が調整する体制を確立し、自由放任主義から計画経済的手法への部分的転換を実現した。
経済史家ヒュー・ロックオフは、この時期を「米国における現代的国家経済運営の出発点」と評価している。
2. 世界最大の債権国への転換
戦争中、米国は連合国に対して巨額の融資を行った。1914年以前、米国は純債務国であったが、1919年には世界最大の債権国へと転換した。
欧州諸国の対米債務は100億ドル以上
金準備の世界的集中が米国に進行
これにより、ロンドンに代わってニューヨークが世界金融の中心として台頭した。
第一次世界大戦における主要な戦い
1. マルヌ会戦(1914年)
戦争初期のマルヌ会戦は、ドイツ軍の短期決戦構想(シュリーフェン・プラン)を頓挫させ、長期消耗戦への転換点となった。この時点では米国は未参戦であったが、戦争の泥沼化が後の参戦条件を形成した。
2. ヴェルダンの戦い(1916年)
ヴェルダンでは、フランス軍とドイツ軍が約10か月にわたり激戦を展開し、双方で70万人以上の死傷者を出した。欧州列強の疲弊は極限に達し、米国参戦が戦局を左右する状況が形成された。
3. ソンムの戦い(1916年)
英仏連合軍によるソンムの戦いでは、戦車が初めて本格投入されたが、戦果は限定的であり、消耗戦の象徴となった。
4. 第二次マルヌ会戦(1918年)
1918年、ドイツ最後の攻勢を阻止した第二次マルヌ会戦では、アメリカ遠征軍(AEF)が本格的に参戦し、連合国の反攻を可能にした。
5. サン=ミエル攻勢・ムーズ=アルゴンヌ攻勢
AEFが独自指揮で実施したサン=ミエル攻勢およびムーズ=アルゴンヌ攻勢は、米軍が単なる補助戦力ではなく、戦局を動かす主体であることを示した。
軍事参戦がもたらした国際的地位の変化
1. 戦争勝利の「決定打」としての米国
軍事史家ジョン・キーガンは、「米国の参戦は兵力以上に『未来が連合国側にある』という心理的効果をもたらした」と述べている。
新鮮な兵力、圧倒的な物資供給力、経済的持久力は、消耗した欧州諸国に代わり、米国が主導権を握ることを意味した。
2. 平和構想の主導権
ウッドロウ・ウィルソン大統領は、十四か条の平和原則を通じて、戦後秩序の理念的枠組みを提示した。
秘密外交の否定
民族自決
国際連盟の創設
これらは、従来の勢力均衡外交とは異なる「アメリカ型国際主義」を示していた。
大戦後の米国と欧米諸国の関係の変化
1. 英国との関係:覇権の静かな交代
第一次世界大戦後、英国は財政的・軍事的に疲弊し、世界覇権は事実上米国へ移行した。英米関係は対立ではなく「協調的継承」という形を取った点が特徴的である。
2. フランスとの関係:安全保障観の乖離
フランスはドイツ再興への恐怖から厳格な安全保障体制を求めたが、米国は欧州への恒久的関与を避けた。この認識の差は、戦後秩序の不安定化につながった。
3. ドイツとの関係:経済的再統合
米国は賠償一辺倒ではなく、ドーズ案などを通じてドイツ経済の再建を支援し、欧州経済全体の安定を重視した。
4. 孤立主義への回帰とその矛盾
米国は国際連盟に加盟せず、表面的には孤立主義へ回帰した。しかし、金融・貿易・文化面では世界への影響力を拡大し続けた。この「政治的非関与と経済的覇権の併存」は、後の第二次世界大戦まで続く特徴となった。
第一次世界大戦が決定づけた米国の地位
第一次世界大戦は、米国を
地域大国から世界大国へ
経済大国から軍事・政治大国へ
孤立主義国家から国際秩序形成主体へ
と不可逆的に変貌させた。
この変化は米国自身の意図だけでなく、戦争という外部の衝撃によって加速されたものであり、20世紀以降の国際秩序は、この転換を前提として構築されていくことになる。
第一次世界大戦後のアメリカと20世紀世界史の連続構造
第一次世界大戦と第二次世界大戦の連続性
――「一つの大戦争」としての20世紀前半――
1. 断絶ではなく連続としての二つの世界大戦
20世紀史研究において、第一次世界大戦(1914〜1918年)と第二次世界大戦(1939〜1945年)は、しばしば「別個の戦争」として扱われてきた。しかし近年の歴史学では、両大戦を「一連の危機的連続過程」と捉える見方が主流となっている。
イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームは、1914年から1945年までを「短い20世紀」における一つの大戦争の時代と位置づけた。この視点に立つと、第一次世界大戦は未完の戦争であり、その矛盾と不安定性が第二次世界大戦へと直結したと理解できる。
米国にとっても、第一次世界大戦は「一時的な例外的参戦」ではなく、第二次世界大戦への制度的・心理的・構造的準備段階であった。
2. 戦後秩序の不完全性と米国の中途半端な関与
第一次世界大戦後、米国は国際連盟に加盟せず、欧州の安全保障体制から距離を取った。しかしその一方で、
欧州諸国への巨額融資
国際金融・貿易の中心化
技術・文化の影響力拡大
といった形で、事実上の世界的影響力を拡大し続けた。
この「政治的非関与と経済的関与の乖離」は、ヴェルサイユ体制の不安定化を招いた。ドイツは賠償負担に苦しみ、フランスは安全保障不安を抱え、英国は覇権を維持できなかった。そこに決定的な調停者としての米国が不在であったことが、ファシズム台頭と再戦争への道を開いた。
結果として、第二次世界大戦は、第一次世界大戦後に解決されなかった問題の「再爆発」として発生した。
3. 第二次世界大戦で完成する「アメリカ型世界秩序」
第一次世界大戦後、米国は世界秩序の設計者になることを一度拒否した。しかし第二次世界大戦後には、
国際連合
IMF・世界銀行
GATT(後のWTO)
集団安全保障体制(NATO)
といった制度構築を主導し、もはや後退しなかった。
この違いを生んだのは、第一次世界大戦の経験である。戦時動員、国際金融、同盟管理のノウハウはすでに1917〜18年に蓄積されており、第二次世界大戦はそれを「完全実装」する段階であった。
進歩主義と戦時国家の関係
――改革国家から動員国家へ――
1. 進歩主義の本質:国家介入の正当化
進歩主義時代の本質は、単なる社会改革ではなく、「国家が公共善のために市場と社会に介入することの正当化」にあった。
反トラスト法
労働規制
消費者保護
行政機関の専門化
これらはすべて、国家能力の強化を意味していた。
政治学的に見れば、進歩主義は「リベラルな価値を掲げた国家権力の拡張」であり、戦時国家の前提条件を整えた運動であった。
2. 第一次世界大戦=進歩主義の実験場
1917年以降の戦時体制は、進歩主義の理念を極限まで押し広げたものであった。
生産計画
価格統制
労使協調
宣伝と世論統制
これらは平時には困難であったが、「戦争」という非常事態のもとで実行された。
経済史家ロバート・ヒッグスは、これを「クライシスが国家権力を不可逆的に拡大させる現象」と分析している。
3. 戦時国家の遺産とニューディールへの接続
第一次世界大戦後、米国は一時的に「平常化」へ戻ったが、国家介入の技術と正当性は失われなかった。これが1930年代のニューディール政策に直結する。
公共事業
金融規制
社会保障
これらは、進歩主義+戦時国家の経験がなければ実現困難であった。
つまり、第一次世界大戦は、米国を「限定国家」から「管理国家」へと変質させた決定的契機であった。
日本史との比較――大正期日本との対照
1. 同時代的出発点としての大正期日本
大正期(1912〜1926年)の日本は、米国の進歩主義時代と多くの共通点を持つ。
産業化の進展
都市労働者の増加
普通選挙運動
社会主義・労働運動の台頭
いずれも「近代国家の成熟期」に共通する現象である。
2. 第一次世界大戦の影響:日米の共通点と相違点
第一次世界大戦は、日本にとっても「外部の衝撃」であった。欧州列強が戦争に集中する中、日本はアジア市場での地位を拡大し、好景気(大戦景気)を経験した。
ここまでは米国と類似している。
しかし、決定的な違いは以下の点にある。
米国:民間経済と国家が協調し、国際秩序形成へ
日本:軍部・官僚主導で勢力圏拡大を志向
3. 民主化の進展と限界
大正期日本では、
普通選挙法(1925年)
政党政治の発展
といった民主化が進んだ。しかし同時に、
治安維持法
軍部の政治的自立
という逆方向の動きも強まった。
米国では、進歩主義と戦時国家が議会・選挙・司法に組み込まれたのに対し、日本では軍と国家が民意から乖離していった。
4. 「外部の衝撃」への適応の差
第一次世界大戦後の世界では、
米国:国際秩序の設計者へ
日本:列強への挑戦者へ
という道が分岐した。
この差を生んだ要因として、
政治制度の柔軟性
市民社会の厚み
軍の統制構造
が挙げられる。
結論
――20世紀前半の分岐点としての第一次世界大戦――
第一次世界大戦は、単なる一つの戦争ではなく、
米国にとっては「世界超大国化の起点」
欧州にとっては「覇権の終焉」
日本にとっては「選択を誤れば破局へ向かう分岐点」
であった。
進歩主義が生み出した国家能力、戦時国家が鍛えた動員力、そして第二次世界大戦で完成する国際秩序――これらはすべて、第一次世界大戦という外部衝撃を軸に連続している。
この構造を理解することは、現代世界における米国の役割、そして大国が「危機にどう対応するか」という普遍的問題を考える上で不可欠である。
十四か条の平和原則
Woodrow Wilson, Address to Congress, January 8, 1918
原文(英語)
The Fourteen Points
Open covenants of peace, openly arrived at, after which there shall be no private international understandings of any kind but diplomacy shall proceed always frankly and in the public view.
Absolute freedom of navigation upon the seas, outside territorial waters, alike in peace and in war, except as the seas may be closed in whole or in part by international action for the enforcement of international covenants.
The removal, so far as possible, of all economic barriers and the establishment of an equality of trade conditions among all the nations consenting to the peace and associating themselves for its maintenance.
Adequate guarantees given and taken that national armaments will be reduced to the lowest point consistent with domestic safety.
A free, open-minded, and absolutely impartial adjustment of all colonial claims, based upon a strict observance of the principle that in determining all such questions of sovereignty the interests of the populations concerned must have equal weight with the equitable claims of the government whose title is to be determined.
The evacuation of all Russian territory and such a settlement of all questions affecting Russia as will secure the best and freest cooperation of the other nations of the world in obtaining for her an unhampered and unembarrassed opportunity for the independent determination of her own political development and national policy.
Belgium, the whole world will agree, must be evacuated and restored, without any attempt to limit the sovereignty which she enjoys in common with all other free nations.
All French territory should be freed and the invaded portions restored, and the wrong done to France by Prussia in 1871 in the matter of Alsace-Lorraine should be righted.
A readjustment of the frontiers of Italy should be effected along clearly recognizable lines of nationality.
The peoples of Austria-Hungary, whose place among the nations we wish to see safeguarded and assured, should be accorded the freest opportunity of autonomous development.
Romania, Serbia, and Montenegro should be evacuated, occupied territories restored, Serbia accorded free and secure access to the sea, and the relations of the several Balkan states determined by friendly counsel along historically established lines of allegiance and nationality.
The Turkish portions of the present Ottoman Empire should be assured a secure sovereignty, but the other nationalities which are now under Turkish rule should be assured an undoubted security of life and an absolutely unmolested opportunity of autonomous development, and the Dardanelles should be permanently opened as a free passage to the ships and commerce of all nations.
An independent Polish state should be erected which should include the territories inhabited by indisputably Polish populations, which should be assured a free and secure access to the sea.
A general association of nations must be formed under specific covenants for the purpose of affording mutual guarantees of political independence and territorial integrity to great and small states alike.
和訳
十四か条の平和原則(訳)
公開された平和条約が締結されるべきであり、その後いかなる秘密の国際的了解も存在してはならない。外交は常に率直に、かつ公の視野の下で行われるべきである。
公海における航行の完全な自由が、領海を除き、平時および戦時を問わず保障されるべきである。ただし、国際協約の履行を目的とする国際的措置によって、全体または一部が閉鎖される場合はこの限りではない。
可能な限りすべての経済的障壁を撤廃し、平和に同意しその維持に参加するすべての国家間において、貿易条件の平等を確立すべきである。
国内の安全に支障を来さない最小限の水準まで、各国の軍備を削減するための十分な保障が相互に与えられ、かつ受け取られるべきである。
すべての植民地問題は、自由で、公正で、かつ完全に公平な態度で調整されるべきである。その際、主権の帰属を決定するにあたり、当該地域の住民の利益が、宗主国政府の正当な請求と同等の重みをもって考慮されなければならない。
ロシアの全領域からの撤兵が行われ、ロシアに関わるすべての問題は、ロシアが自国の政治的発展および国家政策を独立して決定するための、何ら妨げのない自由な機会を確保する形で解決されるべきである。
ベルギーは撤兵され、完全に回復されなければならない。これは、他のすべての自由国家と同様に享受する主権を何ら制限することなく行われるべきである。
フランスの全領域は解放され、侵略された地域は回復されるべきである。また、1871年にプロイセンがアルザス=ロレーヌにおいてフランスに加えた不正は是正されなければならない。
イタリア国境は、明確に認識可能な民族的境界線に沿って再調整されるべきである。
オーストリア=ハンガリー帝国の諸民族には、諸国民の中における地位が保障されるとともに、最大限自由な自治的発展の機会が与えられるべきである。
ルーマニア、セルビア、モンテネグロは撤兵され、占領地域は回復されるべきである。セルビアには自由かつ安全な海への出口が与えられ、バルカン諸国間の関係は、歴史的に確立された忠誠および民族性の線に沿って、友好的協議によって決定されるべきである。
現存するオスマン帝国のトルコ人地域には、確固たる主権が保障されるべきである。一方、トルコの支配下にある他の諸民族には、生命の安全と自治的発展の完全に妨げられない機会が保証されなければならない。また、ダーダネルス海峡は、すべての国の船舶および通商に対し、恒久的に自由開放されるべきである。
独立したポーランド国家が樹立されるべきであり、明らかにポーランド人が居住する領域を含み、自由かつ安全な海への出口が保障されなければならない。
大小すべての国家の政治的独立および領土保全を相互に保障するため、特定の規約の下に一般的な国際連合が設立されなければならない。
