コラム:アメリカ建国250年、第二次世界大戦、世界史の転換点
第二次世界大戦における米国の役割は戦略的・経済的・社会的に世界史の転換点である。
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2026年時点で第二次世界大戦は終戦から81年以上が経過しているにもかかわらず、世界史・米国史の中で最重要の転換点として位置づけられている。欧米・アジアを中心とした各国で記念行事・研究が継続され、戦史・戦略研究・政策形成における基盤的事象として扱われている。米国は戦後に形成された自由主義国際秩序の主要設計者・維持者として今日に至っており、国際政治・経済・安全保障に大きな影響を及ぼし続けている。
2025年には東京大学・ハーバード大学等の共同研究プロジェクトによって戦後国際秩序の形成における米国の役割が再評価され、Pax Americanaの持続可能性・限界が議論されている。これらは戦争の直接経験を有する世代がほぼ消滅した時代における「記憶の継承」として重要な意味を持つ。
第二次世界大戦とは
第二次世界大戦(1939–1945)は、20世紀最大の武力衝突であり、全世界の主要な大国を巻き込んで戦われた総力戦である。当初は欧州におけるドイツ・イタリアの枢軸国と英国・フランスの連合国の対立として始まったが、1941年以降は米国・ソ連の参戦により「全地球的規模」の戦争に発展した。戦死者数は推定5,000万–8,000万人とされ、民間人の犠牲者も多い。
戦争の特徴は、戦車・航空機・海軍力・暗号戦・原子爆弾の使用など技術革新が戦闘形態そのものを変えたことである。また、戦後の国際連合創設や国際経済体制の構築へとつながる重要な歴史的契機となった。
米国と第二次世界大戦
米国は開戦当初中立政策を採りつつも、連合国への援助(レンドリース法による軍需物資供与)を通じて戦争に関与した。だが1941年12月7日の真珠湾攻撃を契機に正式に参戦することとなり、戦線は欧州・アフリカ・太平洋の三大戦域で展開された。米国の工業力・人的資源・新技術投入は連合国の勝利に決定的な影響を与えた。
国家のあり方を根本から変えた歴史的転換点
第二次世界大戦は「全体戦争」と呼ばれるように、軍事のみならず社会・経済・政治の全領域を戦争目的へと動員する体制を米国にもたらした。戦時総動員体制は国民生活のあり方を変え、戦後の福祉国家的政策や軍産複合体の基礎を形成した。また戦後復興と平和秩序構築への米国主導の関与は、孤立主義から国際主義への転換を促した。
米国の参戦と主要な戦い
1941年:開戦と初期の防衛戦
12月7日:真珠湾攻撃
1941年12月7日、日本軍によるハワイ・真珠湾への奇襲攻撃が行われ、米太平洋艦隊に大きな損害が出た。戦艦・航空機の破壊は米国世論を一気に戦争支持へと変え、12月8日に米国は対日本宣戦布告した。
12月11日:独伊が米国に宣戦布告
日本の真珠湾攻撃を受けて、ドイツ・イタリアの枢軸2国は米国に対して宣戦布告した。これにより米国は欧州戦線でもドイツ・イタリアと全面的な戦争状態となった。
12月:フィリピン・グアム・ウェーク島の失陥
真珠湾後、日本軍はフィリピン・グアム・ウェーク島など太平洋域内の重要拠点を急速に制圧した。米・フィリピン守備隊は激戦の末、物資不足と補給断絶により退却を余儀なくされた。
1942年:反攻の足がかり
5月:珊瑚海海戦
1942年5月にはオーストラリア北東沖で航空母艦を中心とした海戦が発生し、日本軍の攻勢は阻止された。これは航空機主体の海戦として初の本格的戦いであり、連合国側に戦略的成功をもたらした。
6月:ミッドウェー海戦(太平洋の転換点)
1942年6月のミッドウェー海戦は太平洋戦争の戦局を決定付ける転換点である。米軍は暗号解読により日本の作戦を察知し、複数の航空母艦を撃沈することに成功した。以後、日本の攻勢は失速し、連合国側が主導権を握った。
8月:ガダルカナル島の戦い開始
1942年8月、ソロモン諸島ガダルカナル島への上陸作戦が開始された。激しい陸海空の戦闘が続き、戦力消耗戦となったが、戦略的要地の確保に成功した。
11月:トーチ作戦(北アフリカ)
同年11月、米・英連合軍は北アフリカへの大規模上陸作戦(トーチ作戦)を実施し、枢軸軍に対する反攻の足掛かりを築いた。
1943年:連合軍の攻勢拡大
7月:ハスキー作戦(シチリア島上陸)
1943年7月、連合軍はシチリア島への上陸作戦を展開し、欧州・地中海戦線での戦線拡大に成功した。これによりイタリア半島侵攻の道が開かれた。
11月:タラワの戦い
太平洋戦線では11月のタラワの戦いが行われ、日本の要塞化した島に対する米軍の直接上陸作戦の困難さが明らかになったが、最終的に米軍は制圧に成功した。
1944年:決戦と解放
6月4日:ローマ解放
1944年6月初頭、連合軍はイタリア中部・ローマを解放し、枢軸側の抵抗を削いだ。ローマ解放は欧州戦線における連合軍の継続的進撃を象徴した。
6月6日:ノルマンディー上陸作戦(D-Day、欧州の転換点)
1944年6月6日、史上最大規模の上陸作戦がフランス北部ノルマンディーで開始された。D-Dayは第二次世界大戦における欧州戦線の決定的な転換点であり、西部戦線でのドイツ軍の後退が不可避となった。
10月:レイテ沖海戦
太平洋戦線ではレイテ沖海戦が発生し、日本海軍は実質的に制海力を喪失した。フィリピン奪回戦闘が展開され、補給路の確保が重視された。
12月:バルジの戦い
欧州戦線末期、ドイツ軍は反撃を試みたが、バルジの戦いで連合軍に撃退された。この戦闘は西部戦線での最終的な大規模攻勢であり、ドイツの戦力は決定的に疲弊した。
1945年:終戦への道
2月:硫黄島の戦い
太平洋戦線では1945年2月、硫黄島への上陸戦が展開された。地上戦は熾烈を極め、両軍合わせて多数の犠牲が出たが、米軍は戦略的要地を確保した。
4月:沖縄戦
続いて沖縄戦が行われ、日本本土への侵攻の前哨戦となった。激しい地上戦・航空戦が展開され、多くの民間人・兵士が犠牲になった。
5月8日:V-Eデー(欧州戦勝記念日)
1945年5月8日、ドイツ降伏に伴い欧州戦線は終結した。連合国は勝利を宣言し、ナチスによる占領統治は終焉した。
8月6日・9日:広島・長崎への原爆投下
米国は日本本土に対して広島(8月6日)・長崎(8月9日)への原子爆弾投下を実施した。これらは戦争終結に向けた決定的要因の一つと評価される一方で、倫理的・人道的論争を引き起こした。
9月2日:V-Jデー(対日戦勝記念日)
1945年9月2日、連合国軍は日本の降伏文書調印を受理し、第二次世界大戦は正式に終結した。
銃後(ホームフロント)の変革
米国国内では戦時総動員が国民生活全体を巻き込んだ。戦時生産委員会(War Production Board)による工業生産の統制、戦時債(ワープ債)の発行、配給制度の導入、労働力の女性動員(“Rosie the Riveter”の象徴)が進んだ。これらは戦時経済の効率化と国民統合を促進したが、自由主義社会における国家介入の拡大をもたらした。
経済の爆発的成長
戦時体制への移行は米国経済を戦前の大恐慌から脱却させる契機となった。軍需生産は工業生産指数を急激に押し上げ、1944–45年には国民総生産(GNP)が戦前比で大幅に増加した。大量雇用と賃金の上昇は中産階級の拡大を促し、戦後の経済的繁栄(いわゆる“戦後経済ブーム”)の基礎を築いた。
社会構造の変化
戦争は人種・性別役割に関する社会構造にも変革を促した。女性の労働参加は戦後も続き、ジェンダー役割の再評価をもたらした。またアフリカ系米国人の軍・工場動員は公民権運動の機運を高め、戦後の人種平等運動につながっていった。
影の側面
戦争は重大な人道的・倫理的課題も残した。日系米国人の強制収容、戦闘における民間人犠牲、原爆投下の倫理性、占領統治の方法などは今日でも歴史学・倫理学の重要な議論対象となっている。
歴史的影響と2026年時点の視点
第二次世界大戦は国際秩序を根本から再編した。国連の創設、ブレトン・ウッズ体制に基づく国際通貨基金(IMF)・世界銀行の設立、国際貿易の自由化路線は戦後のグローバル化を促進した。米国は軍事・経済・文化の面で「超大国」としての地位を確立し、冷戦期の西側陣営の中心としての役割を果たした。
超大国化とPax Americana
米国の戦後戦略は、核抑止力・同盟網(NATO・日米安保等)を基盤にした平和体制の維持であった。これが「Pax Americana」と呼ばれ、冷戦・ポスト冷戦期を通じて国際安全保障の根幹となった。2026年時点でも米国は多極化する世界で中心的プレイヤーの一角を占めている。
80周年の記憶
2025–26年は主要戦役の80周年に当たり、記念式典・研究出版が相次いでいる。戦争記憶の継承、歴史教育の強化、平和構築の意識深化が国際的・国内的に重視されている。
まとめ
第二次世界大戦における米国の役割は戦略的・経済的・社会的に世界史の転換点である。真珠湾攻撃による参戦から始まり、ミッドウェー海戦・ノルマンディー上陸作戦を経て連合国の勝利に貢献した。戦時体制の導入は米国の社会・経済を変革し、戦後の国際秩序形成に深く関与した。今日でも戦争の記憶と教訓は政策・教育・国際関係論に影響を及ぼしている。
参考・引用リスト(代表例)
William L. O’Neill, A World at War
John Keegan, The Second World War
Arthur M. Schlesinger Jr., The Politics of Upheaval
「レンドリース法」(Lend-Lease Act)関連史料
米国国立公文書記録管理局(NARA)戦史資料
国立第二次世界大戦博物館(米国ニューオーリンズ)収蔵資料
以下では、①ノルマンディー上陸作戦が成功した理由・世界に与えた影響・教訓、②広島・長崎への原爆投下が世界にもたらしたもの、③米国政府の政策資料・公的史料を踏まえた第二次世界大戦における主要な戦いの概要の三点まとめる。
Ⅰ.ノルマンディー上陸作戦が成功した理由・世界に与えた影響・教訓
1.ノルマンディー上陸作戦が成功した理由
ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦、1944年6月6日)が成功した要因は、単一の戦術的巧妙さではなく、戦略・情報・生産力・同盟調整の総合的優位にあったと評価されている。
第一に、圧倒的な物量と工業力である。米国を中心とする連合国は、航空機・揚陸艦・戦車・兵站物資を大量に生産・投入する能力を有していた。米国政府の戦時生産委員会(War Production Board)の報告によると、1944年時点で連合国側はドイツを大きく上回る航空機・車両・艦艇を保有しており、これが継続的な上陸と補給を可能にした。
第二に、情報戦・欺瞞作戦の成功が挙げられる。連合国は「フォーティテュード作戦」によって、主上陸地点がカレーであるとドイツ側に誤認させた。米英の暗号解読(ウルトラ)と情報操作により、ドイツ軍はノルマンディー上陸後もしばらく主力を投入できず、初動対応に遅れた。
第三に、制空権・制海権の完全な掌握である。上陸前から連合国はドイツ空軍を消耗させ、上陸当日にはほぼ自由に航空支援を行える状況を整えていた。これによりドイツ軍の機動・反撃能力は大きく制約された。
第四に、多国間同盟の高度な調整能力である。米英を中心にカナダ、自由フランスなど多国籍部隊が統一司令部の下で作戦を遂行した点は、近代戦史上画期的であった。アイゼンハワー連合軍最高司令官の指揮体制は、政治的利害を調整しつつ軍事的合理性を確保するモデルとなった。
2.ノルマンディー上陸作戦が世界に与えた影響
ノルマンディー上陸作戦は、単に欧州戦線の勝敗を決しただけでなく、戦後世界の構造形成に直接的影響を与えた。
第一に、ナチス・ドイツ崩壊の不可逆性を確定した点である。西部戦線が本格的に開かれたことで、ドイツは東西両面作戦を強いられ、戦略的選択肢を失った。
第二に、西欧解放と戦後民主主義秩序の基盤形成である。米英主導による解放は、西欧諸国が戦後に自由主義陣営に組み込まれる前提条件となった。これは冷戦初期における欧州分断の線引きにも影響した。
第三に、米国の軍事的・政治的主導権の確立である。大陸規模の上陸作戦を成功させた能力は、米国を「決定的な軍事行為主体」として世界に印象づけ、戦後の超大国化を決定づけた。
3.ノルマンディー上陸作戦の教訓
ノルマンディー上陸作戦から得られた教訓は、現代の軍事・安全保障政策にも通用する。
第一に、戦争は戦場だけでなく、経済・情報・外交の総合力で決まるという点である。軍事的勇敢さのみでは戦争は勝てず、国家全体の動員能力が決定的となる。
第二に、同盟管理と統合指揮の重要性である。多国籍作戦を成功させるには、政治的妥協と明確な指揮系統が不可欠である。
第三に、民間社会を含む長期的影響を考慮した戦略立案の必要性である。ノルマンディー上陸は軍事的成功であったが、その後の占領・復興政策が戦後秩序の安定を左右した。
Ⅱ.広島・長崎への原爆投下が世界にもたらしたもの
1.軍事的・政治的影響
広島・長崎への原子爆弾投下は、第二次世界大戦を事実上終結へ導いた一方で、核兵器という新たな戦争形態を人類にもたらした。これにより戦争の終結は加速されたが、同時に「一発で都市を壊滅させる兵器」が現実のものとなった。
米国政府内部文書(戦後公開資料)によれば、原爆投下は日本の降伏を促進すると同時に、ソ連を含む他国に対する抑止的示威という側面も有していた。
2.国際秩序への影響
原爆投下は核抑止理論(deterrence theory)の出発点となり、冷戦期の国際政治を規定した。核兵器の存在は大国間の直接戦争を抑制する一方、核拡散・軍拡競争という新たな不安定性を生んだ。
国連設立後、核兵器管理・軍縮が主要課題となり、核不拡散条約(NPT)などの国際枠組みが形成された背景には、広島・長崎の経験がある。
3.倫理的・人道的影響
原爆投下は大量の民間人犠牲を伴い、戦争倫理・国際人道法に根本的な問いを突き付けた。戦後、無差別攻撃の正当性、科学技術者の責任、国家意思決定の倫理性が学術的・社会的に議論され続けている。
広島・長崎は「被爆地」として、核兵器廃絶運動・平和教育の象徴的存在となり、世界的な反核意識形成に大きな役割を果たした。
Ⅲ.米国政府の政策資料を踏まえた主要な戦いの概要
以下では、米国国防総省、国立公文書記録管理局(NARA)、戦史局(U.S. Army Center of Military History)などの公的資料を基に、主要戦闘を簡潔に整理する。
1.真珠湾攻撃(1941年)
米国参戦の直接的契機であり、孤立主義から国際主義への決定的転換点となった。
2.ミッドウェー海戦(1942年)
情報戦と航空母艦運用の重要性を示し、太平洋戦争の主導権を米国側に移した。
3.ガダルカナル島の戦い(1942–43年)
消耗戦を通じて日本軍の攻勢能力を削ぎ、反攻戦略を確立した。
4.北アフリカ戦線(トーチ作戦、1942年)
欧州での実戦経験を積み、連合軍の統合作戦能力を高めた。
5.ノルマンディー上陸作戦(1944年)
西部戦線を開き、ドイツ敗北を決定づけた。
6.レイテ沖海戦(1944年)
史上最大規模の海戦として、日本海軍の戦略的崩壊を招いた。
7.硫黄島・沖縄戦(1945年)
本土侵攻の前段階として極めて激烈な地上戦が行われ、原爆投下判断に影響を与えた。
結論
ノルマンディー上陸作戦と原爆投下は、第二次世界大戦の帰趨を決定づけただけでなく、戦後世界の軍事・政治・倫理構造を形成した二つの象徴的出来事である。前者は集団安全保障と同盟協調の成功例として、後者は科学技術と人類倫理の限界を示す警鐘として、2026年時点においても強い意味を持ち続けている。第二次世界大戦の主要戦闘を理解することは、現代の国際秩序と安全保障を理解するための不可欠な前提である。
米国の「孤立主義」の歴史的背景
1.建国期から第一次世界大戦までの孤立主義
米国の孤立主義は、偶発的な政策ではなく、建国理念に深く根ざした外交思想であった。ジョージ・ワシントン初代大統領は1796年の告別演説において、欧州の恒久的同盟に関与することを避けるべきだと明言した。これは若い共和国が欧州列強の権力政治に巻き込まれることを回避し、国内発展を優先する戦略的判断であった。
19世紀を通じて米国は大陸拡張と内的統合に注力し、モンロー主義に象徴されるように「欧州は新世界に介入せず、米国も欧州政治に関与しない」という相互不干渉を原則としてきた。この時代の孤立主義は、地理的条件(大西洋・太平洋による隔絶)と国内成長の余地に支えられていた。
2.第一次世界大戦後の孤立主義の強化
第一次世界大戦への参戦は、米国にとって例外的な出来事であった。戦後、ウィルソン大統領は国際連盟構想を提示したが、米上院はこれを批准せず、結果として米国は国際連盟に加盟しなかった。この決定は「欧州の紛争に再び巻き込まれることへの拒否」として理解され、1920年代から30年代にかけて孤立主義はむしろ強化された。
世界恐慌の影響もあり、国内問題の解決が最優先とされ、中立法の制定によって対外関与は制度的にも制限された。この段階での孤立主義は、戦争疲れと経済的内向き志向が結合したものであった。
第二次世界大戦がもたらした決定的転換
1.孤立主義の限界の露呈
1930年代後半、ナチス・ドイツ、日本、イタリアの拡張主義は、孤立主義の前提を根底から揺るがした。欧州とアジアでの戦争は、地理的距離によって米国の安全が保証される時代が終わりつつあることを示していた。
フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、世論の制約の中で段階的に関与を深め、レンドリース法によって事実上の参戦状態を作り出した。これは「武力を用いない参戦」という新しい形態であり、孤立主義がもはや完全には維持できないことを象徴していた。
2.真珠湾攻撃と不可逆的な転換
1941年12月7日の真珠湾攻撃は、米国の外交路線を一夜にして変えた。この攻撃は、孤立主義が国家安全を保証し得ないことを国民に直感的に理解させた。戦争は「遠い世界の問題」ではなく、「直接的脅威」となったのである。
この瞬間以降、孤立主義への回帰は政治的にも心理的にも不可能となった。米国は自国の安全を確保するためには、国際秩序そのものの形成に関与せざるを得ないという認識に到達した。
「自由世界のリーダー」への自己定義
1.戦後構想と国際制度設計
第二次世界大戦後、米国は意図的に国際秩序の設計者となる道を選んだ。国際連合、IMF、世界銀行、GATTなどの制度は、戦争の再発防止と経済安定を目的としつつ、自由主義的価値観を中核に据えて構築された。
この段階での米国の自己認識は、「覇権国家」というよりも「秩序維持者(order builder)」であった。孤立主義は、もはや無責任な選択肢とみなされ、国際関与こそが平和の条件と理解された。
2.冷戦とリーダーシップの固定化
冷戦の勃発は、米国を「自由世界のリーダー」として固定化した。ソ連とのイデオロギー対立において、米国は民主主義・市場経済・人権を守る陣営の中心を自任した。
NATOの創設は、建国以来避けてきた恒久的軍事同盟への正式な参加を意味し、孤立主義との決別を制度的に確定させた。以後、米国の安全保障は「自国防衛」ではなく「同盟圏防衛」と不可分のものとなった。
自由世界のリーダーとしての役割の実態
1.成功の側面
米国の国際関与は、西欧と日本の復興、国際貿易の拡大、比較的安定した国際秩序の形成に寄与した。核抑止の下で大国間戦争が回避された点は、歴史的に重要な成果である。
また、民主主義や法の支配といった規範は、米国の影響力を通じて広範に普及した。
2.構造的矛盾
一方で、「自由世界のリーダー」という自己定義は、しばしば軍事介入の正当化装置として機能した。冷戦期の代理戦争、ポスト冷戦期の地域紛争介入は、理想と現実の乖離を露呈させた。
2026年の視点から見た負の遺産
1.過剰介入と疲弊
米国は第二次世界大戦後、世界各地に軍事的・政治的に関与し続けた結果、「過剰な責任」を背負うことになった。長期戦争は人的・財政的負担を増大させ、国内の分断を深めた。
2.反米感情と信頼低下
自由と民主主義を掲げながらも、現実には政権交代介入や軍事行動が行われたことは、国際社会における米国の道徳的権威を損なった。2026年時点では、米国のリーダーシップは依然として重要である一方、無条件には受け入れられていない。
3.国内民主主義への影響
恒常的な戦時体制は、監視強化、軍産複合体の肥大化、政策決定の透明性低下をもたらした。これは建国時に警戒された「自由と安全の緊張関係」を再浮上させている。
教訓:孤立主義でも覇権主義でもない第三の道
2026年の視点から得られる最大の教訓は、孤立主義の完全否定も、無制限の介入主義も持続不可能であるという点である。
第一に、国際関与は不可避であるが、それは多国間協調と国際制度を通じて行われるべきである。
第二に、軍事力は秩序維持の一手段にすぎず、外交・経済・規範形成と統合されなければならない。
第三に、国内民主主義の健全性が、国際的リーダーシップの正当性を決定する。
最後に
米国が孤立主義を捨て「自由世界のリーダー」となった経緯は、第二次世界大戦という歴史的衝撃への合理的対応であった。しかしその選択は、同時に長期的責任と矛盾を伴うものであった。2026年の今日、第二次世界大戦の教訓は、米国のみならず国際社会全体に対し、「力と責任、理想と現実をいかに調和させるか」という普遍的課題を突きつけ続けている。
ポツダム宣言(英文全文)
Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender
Issued at Potsdam, July 26, 1945
We—the President of the United States, the President of the National Government of the Republic of China, and the Prime Minister of Great Britain, representing the hundreds of millions of our countrymen, have conferred and agree that Japan shall be given an opportunity to end this war.
The prodigious land, sea and air forces of the United States, the British Empire and of China, many times reinforced by their armies and air fleets from the west, are poised to strike the final blows upon Japan. This military power is sustained and inspired by the determination of all the Allied Nations to prosecute the war against Japan until she ceases to resist.
The result of the futile and senseless German resistance to the might of the aroused free peoples of the world stands forth in awful clarity as an example to the people of Japan. The might that now converges on Japan is immeasurably greater than that which, when applied to the resisting Nazis, necessarily laid waste to the lands, the industry and the method of life of the whole German people. The full application of our military power, backed by our resolve, will mean the inevitable and complete destruction of the Japanese armed forces and just as inevitably the utter devastation of the Japanese homeland.
The time has come for Japan to decide whether she will continue to be controlled by those self-willed militaristic advisers whose unintelligent calculations have brought the Empire of Japan to the threshold of annihilation, or whether she will follow the path of reason.
Following are our terms. We will not deviate from them. There are no alternatives. We shall brook no delay.
There must be eliminated for all time the authority and influence of those who have deceived and misled the people of Japan into embarking on world conquest, for we insist that a new order of peace, security and justice will be impossible until irresponsible militarism is driven from the world.
Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan’s war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.
The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.
The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.
We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.
Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese participation in world trade relations shall be permitted.
The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.
We call upon the Government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.
Signed at Potsdam, July 26, 1945
Harry S. Truman
President of the United StatesWinston S. Churchill
Prime Minister of Great BritainChiang Kai-shek
Chairman of the National Government of the Republic of China
(※ソ連は本宣言の発出国ではなく、後に対日参戦した)
ポツダム宣言(日本語訳)
日本国降伏条件を定める宣言
1945年7月26日 ポツダムにおいて発表
我々、すなわち米国大統領、中華民国国民政府主席および英国首相は、数億の国民を代表して協議し、日本に対してこの戦争を終結させる機会を与えることに合意した。
米国、英国および中国の陸海空軍は、西方からの軍隊および航空部隊によって幾重にも強化され、いまや日本に対し最終的打撃を加える態勢にある。 この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで戦争を遂行するという連合国すべての決意によって支えられ、鼓舞されている。
覚醒した自由諸国民の力に対して行われた、無益かつ無意味なドイツの抵抗の結果は、日本国民に対する明白な前例として、恐るべきほど明確に示されている。 現在日本に集中しつつある力は、ナチスの抵抗に適用され、その国土、産業、生活様式を必然的に荒廃させた力よりも、はるかに強大である。我々の軍事力が全面的に行使され、これに我々の決意が加わるならば、日本の武装勢力の不可避的かつ完全な破壊、そして同様に日本本土の完全な荒廃を意味するであろう。
日本が、無謀な計算によって日本帝国を滅亡の瀬戸際に導いた、専横な軍国主義的助言者に引き続き支配されるか、それとも理性の道を選ぶかを決する時が来た。
以下は我々の条件である。 我々はこれらから逸脱しない。代替案は存在しない。いかなる遅延も許されない。
日本国民を欺き、世界征服への道へと誤導した者たちの権威と影響力は、永久に除去されなければならない。 無責任な軍国主義が世界から駆逐されない限り、平和・安全・正義の新たな秩序は不可能であるからである。
かかる新秩序が確立され、日本の戦争遂行能力が破壊されたことが十分に証明されるまで、連合国が指定する日本領土の諸地点は、ここに掲げた基本目的を達成するために占領される。
カイロ宣言の条項は履行され、日本の主権は、本州、北海道、九州、四国および我々が決定する諸小島に限定される。
日本軍は完全に武装解除された後、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられて、家庭に復帰することが許される。
我々は日本国民を民族として奴隷化する意図も、国家として滅ぼす意図も有しない。 しかし、我々の捕虜に対して残虐行為を行った者を含むすべての戦争犯罪人には、厳正な裁きが下される。日本政府は、日本国民の間における民主的傾向の復活と強化を妨げるすべての障害を除去しなければならない。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重が確立されなければならない。
日本は、その経済を維持し、現物による正当な賠償を可能にする産業を保持することは許されるが、再び戦争を行うことを可能にする産業は許されない。 この目的のため、原材料については、管理ではなく、利用へのアクセスが認められる。最終的には、日本が世界貿易関係に参加することも許される。
連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に基づいて、平和的志向を有する責任ある政府が樹立された後、速やかに日本から撤退するものとする。
我々は日本政府に対し、すべての日本武装勢力の無条件降伏を直ちに宣言し、その誠意を示すための適切かつ十分な保証を与えることを要求する。 日本に残された選択肢は、迅速かつ完全な破壊のみである。
